僕には眩しい


「貴方は、誰にでも優しいのね」

そう言って平手で殴られたのを、今でも覚えている。懐かしいだなんて思わない。こんな風に接することを優しいと言うのなら、僕は、誰にだって優しくしたいと思う。だから、それは僕にとって、まるで褒め言葉だった。

「そうだよ、僕は誰にだって……」
「そいつは、結構なことやなぁ」

ククク、と笑われた。
その声に、ヴァッシュはふっと眉をしかめた。

「なるほど、それで、そん女にひっぱたかれたんや? どんな女だったん? べっぴんか?」

ヴァッシュの前でジョッキを呷ったウルフウッドが、唇を手の甲で拭って、にやけた視線でヴァッシュを見る。目の前の皿に盛られた豆を、もそもそとつまみながら、ヴァッシュはささやかに頬を膨らませた。

「君ねぇ……マトモに僕の話、聞く気ないでしょ」
「ああ、興味あらへん。それよか、べっぴん? 乳デカかったん?」
「四つ星ってところでしたかね……こう、高嶺の花と言う程でもなく、引っ掛けやすい感じの」
「ほほう」

肩をすくめて笑ったヴァッシュに、ウルフウッドは、ヴァッシュの手元にあった豆の皿を自分の手元へと手繰り寄せた。そして、今し方アルコールを流し込んだ口に、いくつか放り込む。静かに唸った。

「アンタは誰にでも優しいのね。なんでアタシだけに優しくしてくれないの……! ってなもんやろ、相手の女は」
「さぁねぇ……でもさ」
「あ、ネェちゃーん! ハム追加な!」

手近な所にいたウェイトレスを引っ掛けて、つまみを注文するウルフウッドに、ヴァッシュは思わず長い息を吐いた。

「なんや、食うやろ。ハム」
「……食べますけどね」

仕切り直すために、ヴァッシュは首を左右に振った。パキパキと鳴った関節の音に、「疲れているのかもしれない」と思いながらも、そっと手を組む。

「優しさと愛って、比例するわけじゃないだろ? それは、理解してもらえないわけ?」
「おどれがそれを言うんかい!」
「いいや、俺は今、全男性諸君の気持ちを代弁をしたの! 君だって思うでしょ? わかってもらうって権利は無いわけ? 俺達には!」

拳を握り、拡声器でも持ち出しそうな勢いでテーブルに身を乗り出したヴァッシュの額に手を当てて、ウルフウッドは「こいつ、熱でもあるんんとちゃうんか」とぼやく。その台詞を聞いて、ヴァッシュは、尚更身を乗り出した。

「熱なんかないやい!」
「あ、あかん。目は据わっとる」

押さえられていた手の平がはずれ、支えるものを失ったヴァッシュは、そのままテーブルにごとんと頭を突いた。そして、拗ねたように、じっとりと視線を上げて、見下ろしてくるウルフウッドを睨む。

「酔ってはいますけどね!」
「そんなん熱出してるんと同じや。アホウ」
「ちゃうわい!」

わざとらしく口調を真似るヴァッシュに、ウルフウッドは口角を上げた。ヴァッシュを見下ろしながら、ジョッキに再び口を付ける。空になった中身に、次を注文した。

「嫌になっちゃうなぁ……もう」
「腐れるなっちゅうねん」
「でもさぁ……」

身体を起こしたヴァッシュが、頬杖をつきながらウルフウッドを見た。新しいジョッキを受け取って、早速口に付けようとしていたウルフウッドが、「ん?」とヴァッシュの方を向く。

「君に恋人がいたとしたらさ、同じように対応すると思うかい?」
「コイビトと、その他大勢とっちゅう話か?」

頷くヴァッシュに、ウルフウッドは一度ジョッキを置いた。そして、天井の扇風機の羽を見上げ、そっと息を吐く。

「多分、ちゃうやろなぁ」
「だろ?」
「まぁ、それはワイの心の中の話やけどな」

はて、と瞬きを繰り返すヴァッシュを指差し、ウルフウッドはニヤリと笑う。

「ワイの心の中なん、おんどれには見えへんやろ?」
「あったりまえだろ、そんなの……」

口を尖らせて、むすくれるヴァッシュに向けていた指を、自分の胸に向けて、ウルフウッドは声を上げて笑った。

「そこで拗ねんなや」
「拗ねてねぇよ……」

ウルフウッドの心など読めないと言った自分とは真反対に、時折、まるでヴァッシュの心を見透かしているかのような言動をするウルフウッドに、少しだけ嫉妬した。そんな気持ちを否定するように、ヴァッシュは反論する。拗ねてなどいないと、そう言い張る。

「ワイの心の中でどう考えて行動しようが、他の奴にそんなの見えへん。つまり、説明せな全部おんなじにも見えるっちゅうわけや。せやろ?」

それを言いきって、ウルフウッドはテーブルに肘をついた。手に頭を乗せて、確かめるように「なぁ」と呟く。そんな姿に、ヴァッシュは不服ながらも、何度か頷く。

「そんなこと、わかってるけどさぁ……僕は……僕は、僕にだけ向かってるものを見つけるよ。特別って思う瞬間を喜ぶ。同じ所を探すより、そっちの方が幸せじゃないかい?」
「うわぁ、ムカつく程のポジティブシンキング……」

げぇ、と表情を歪めたウルフウッドの額に、ヴァッシュの拳がぐりぐりと当たる。

「何か言ったかなァ?」

自分の額に当たる拳を掴んで、ウルフウッドが静かに息を吐いた。

「ほんなら、わかるんかなぁ」
「は?」

ヴァッシュの右手を掴んだまま、ウルフウッドが真っ直ぐにヴァッシュを見据えた。言葉も何もない。空気に淀みすら窺えない。ヴァッシュは、何故だか瞬きをするのが怖くなり、目を見開いた。

「な、に……」

唇を開いたヴァッシュの拳を掴む手の人差し指を立てて、その先をヴァッシュの顔に向ける。ウルフウッドは、口角を上げた。

「カウンターの中のネェちゃんが、ずぅっとおどれの背中見とる。意味深やでぇ、あの目はー……」

おちょくるような口調で言うウルフウッドに、ヴァッシュは、はっと我に返った。そして、口をあんぐりと開けたまま、慌てて自分の右手を取り戻すと、振り返る。
ウルフウッドの言う通り、カウンターの向こうにいる少女が、じっとヴァッシュを見つめていた。そんな彼女と視線が合い、気まずい風に目を逸らされた。ヴァッシュは、困ったようにニコリと笑う。少女は、尚更ぎくしゃくとした様子で、カウンターの奥へと行ってしまった。

「アホー……」
「きっ、君が変なこと言うからだろぉ!」
「おどれに対するトクベツには、気ぃ使ってるんやろ? だから、試しに聞いてみただけやん。なんや、やぁっぱりわかっとらん。論外や、論外」

頭の後ろに腕を回して伸びをするウルフウッド。噛み付かんばかりの勢いで唸るヴァッシュを目の前に、ウルフウッドが黒い前髪の向こうでそっと笑った。

「ええで、ええで。気付かんでええねん。ワイも、気付かんふりすることにするわ」

ヴァッシュは、はたと首を傾げた。この男は、何に気付かないふりをしようと言うのか。何に気付いていると言うのか。

「何が?」
「ええからええから。あ、まぁた見られとる。こりゃあ大変やなぁ」

ウルフウッドに対する疑問をそのままに、ヴァッシュは再び背後を振り返る。先程と同じようなシチュエーションに、口を真一文字に結んだ。

「せやから、おんどれはアホっちうんじゃい」

おかしそうに笑うウルフウッドに、ヴァッシュは頬を膨らませた。

「アホって言うなよ、アホってー!」

声を張り上げて怒るヴァッシュに、ウルフウッドはきょとんと目を丸くして、それからどうしようもないと言うような顔で笑った。
やはり、見透かされているような気がしてならない。ヴァッシュは、終いに泣き出しそうになったが、苦いアルコールを流し込むことで涙を堪えると、「いーっ」と歯を覗かせた。

「あーもう、そんなアホウは、ずーっと気付かんでええねん」

そんな風に呟いたウルフウッドが、何を指しているのか。ヴァッシュには、結局わからないまま、ただおかしそうに笑うその表情を、ずっと眺めていたいと思った。