妥協協定
「意外と根に持ってるもんやな……」
――カラッポだって言ってたよな。でも僕は……
ああ、腹立つ。ウルフウッドは、がりがりと頭を掻いた。知れば知る程不器用で、見ていられなくなった。だから手を伸ばした。その眼にまるで、拒絶されたような気になって、だから腹が立つ。
(そんな、まさかな……)
冗談ではない。何のために命を捨てようとしたのか。くれてやると言ったのか。理解できないことばかりだ。あいつも、自分ですらも。
「呑気に寝くさりよって……不死身なん、好都合や……」
ぶっ殺してやろうと思った。力の限り。
(胸糞悪いわ、ホンマ)
人が生きることに散々執着して生きている中に彼がいる。望んでも手に入らない可能性を抱えた男が、そこにいる。寝首をかくだなんて、性に合わない。言い訳を重ねて見下ろした。間抜けな寝顔に、ウルフウッドは長い長い溜息を吐いた。
どこが違うというのだろう。そんなこと、本当は自分もわかっていて、けれど認められない。苛立ちが募るばかりだった。
(早ぅ、目ぇ覚ませや……)
生気のない寝顔に呟いた。
気がおかしくなる。何があかんねや。なにが食い違いを起こさせるんや。黙ったままに問い掛けてみても、相手は何も返さない。当然だ。眠っているのだから。
「アホらし……」
その寝顔が、くすっと笑った気がした。慌ててベッドを離れる。さも今までそこにはいなかったような顔をして。
「ウル……フ……ド……?」
そして、わざとらしく舌打ちをした。
「また七面倒くさいことしよって」
「あー……」
面倒のせいではない。自分が腹を立てているのは、そんな理由ではなく、その笑顔に尚更腹が立った。
不死身、あいつと同じなんて好都合。ぶっ殺してやろうと、確かにあの時そう思った。それを知って尚、こいつは自分に笑顔を向けるのだろうか。
ナインライブスのあまりの頑丈さに、頭を過ぎったのは『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』の姿で、目には見えなくとも、化け物の代名詞として、それほど自分の中で大きな存在になっていたのだと知る。
(腕引き千切って中身ぶちまけて、そしたら空になるんかな)
ヴァッシュ・ザ・スタンピードを? それとも、今隣にいるこいつを?
ベッドに横たわって、ぼうと天井を見る。白かった。それは本当に、真っ白だった。
例
えば、ウルフウッドがその白い色を真っ赤に染めようとしたならば、彼は、どんな顔をするのだろう。血で汚れた顔で、きっと彼は笑うんだと思う。無意識に
シーツを強く握っていた。白い。白い世界。握り締めたシーツすら真っ白の世界。気が滅入る。ポケットを探っても、煙草は見当たらない。そうだ、没収された
のだった。
「なぁ」
「ん?」
部屋には、二人しかいなかった。だから声を掛ければ返事をするのはただ一人だけなのだとわかっていたのに、返ってきた返事にウルフウッドは、思わず身体を強張らせた。黙ったままでいると、痺れを切らしたヴァッシュが、カーテンから顔を出した。
「なに」
「腹……減った、思うて……」
勿論、そんなことを言うつもりで呼んだわけではない。だのに、つい口をついて出たのは、そんな言葉だった。
「口寂しいな……思うて」
そう呟いて余所を向いたウルフウッドに、ヴァッシュは「うん?」と首を傾げた。
「煙草は?」
「ルイーダはんに、没収されてもうた」
ウルフウッドは、酷い怪我をしていた。真面目なルイーダが、そんな彼に喫煙なんて許すわけがない。ヴァッシュが、それを聞いてくすと笑った。
きっと、先日までのウルフウッドならば、突然軽口で絡んでくるようなことはなかったと思う。けれど、言葉ではうまく表現できないが、なんとなくヴァッシュ
に対するウルフウッドの気持ちが変わったような気がした。彼の中で、何がそうさせたのか、気になる気持ちも半分。知らなくてもいいと、強がる気持ちも半
分。
「寂しいって言っても、僕、何も持ってないしなぁ……」
そんなウルフウッドの気持ちも知らず、ヴァッシュは辺りをきょろきょろと見渡して呟いた。その声で我に返る。
お菓子でもあればいいんだけど、とサイドテーブルをちらと見てはみたが、そこにはやはり何もなく、ヴァッシュは自分のベッドに座るウルフウッドを振り返
る。ウルフウッドは、後ろに手を突いて、首の筋をぐっとの伸ばしながらその視線に応じた。暫く動いていなかったから、身体は随分と固まっていた。
「ん?」
「ああ、ごめん」
何とも言えない表情で、ヴァッシュはついと目を逸らす。
「なんか、珍しいなと思ってさ……」
「珍しい……?」
ウルフウッドは、身を乗り出す。
「何が珍しいんや」
「ええっと、なんていうか、子供っぽいこと言うからさ。キミが」
それも、自分に向かって。ヴァッシュがそう言うと、ウルフウッドはふんと鼻を鳴らして、自分の唇を指でなぞった。
「……ワイがガキっぽいと、あかんのか……」
「いや、そうは言わないけど、なんか可愛いなぁって……」
クスリと、目を細めて言うヴァッシュにウルフウッドは唖然とした。唇に添えた手をそのまま、ぽかんとヴァッシュの顔を振り返る。
(嗚呼、それや)
ヴァッシュの腿を覆うシーツの上から、手を置く。びくりと動揺を見せたヴァッシュに、にやぁと笑って見せた。
「カワイイ、って?」
「ハイ……」
ヴァッシュの腿をするすると撫で回し、静かに目を細める。多分、そこはあまり触られたくない所なのだろう。ヴァッシュがささやかに眉をひそめたのがわかった。
「その、気に障りましたかね……」
「気分のええもんではないですなぁ……」
ヴァッシュが膝を立てようとしたその気配に、ウルフウッドは手の平を離す。その代わりに、頭を横たえた。えっ、とヴァッシュが息を飲んだのがわかった。喉仏が動くのを見て、相手も男なのだと思う。
「え……?」
ウルフウッドは目を閉じて、口角を上げた。
綺麗だと思った。その血圧を増す音が、急速に思考を通わせた。
「ちょ……っ!」
男に膝を貸す趣味はないよ! そう言って膝を立てようとするヴァッシュの努力も空しく、流し目で睨めば、彼はもう何も抵抗などできはしなかった。ヴァッシュが、額を押さえて長く重い息を吐いた。ウルフウッドは、ふっと笑って仰向けからうつ伏せに体勢を変える。
「……わかっててやってるだろ……」
ウルフウッドを見下ろすヴァッシュの表情は、仄かに上気していた。ウルフウッドは、暫く煙草と無縁の唇をヴァッシュの足の付け根に押し付けた。そして、そのまま唇を動かす。
「なにが」
ひくんと跳ねたヴァッシュの身体。ニヤと笑ってやると、頭の上から「もういい……」と、どもる声が降ってきた。
「おおきに」
シーツ越しに伝わる体温がぬくい。ヴァッシュの呼吸が波を打つように身体に伝わってきた。随分緊張していると思う。誰が? 彼じゃない、自分が、だ。
「……怒るんだったら、そういう可愛いことしなければいいのに……」
ぼさぼさの髪を撫で付けられて、目を開ける。怒っているわけではない。ただ気に食わないだけであって。
「おんどれからしたら、どいつもこいつも可愛いやろ」
「どういう意味よ、それぇ……こっちにだって選ぶ権利くらいありますよーだ……」
「どうだか」
おネエちゃんも子供も、そこらでオイタしてるチンピラも、全部ひっくるめて愛しているんじゃないだろうか。このトンチンカンは。
「……ええなぁ」
そんな途方もない愛情を、羨ましいと思った。欲しいわけじゃない。ただ、バラ撒けるだけの余裕が羨ましかった。そこにどんな苦痛があろうとも、本当に選ぶ権利があるのだとしたら。
「欲しいわ、そんな……権利」
うつらうつらと揺れる思考の中、呟いた。
腕引き千切って中身ぶちまけて、血みどろの中で笑うそいつを食ったなら、手に入るのだろうか。けれどきっと、こいつのようには笑えないと思う。
「……キミには、あってもいいと思う」
口寂しさはどこかに散っていた。降ってきた声に感じたのは、眠気と安心感。そして浮遊感。このまま眠れたら幸せだろうに。
ウルフウッドは身体を起こして、口の内側を噛んだ。
「買い被りすぎやで」
「……そう思う」
笑いながら言ったヴァッシュが、ウルフウッドが沈んでいたシーツの上を撫でて目を伏せる。名残惜しい気がして、ウルフウッドはベッドに膝立ちしたままその金髪を見下ろしていた。
「でも、僕も買い被られてるから、多分おあいこ」
困ったように眉根を寄せて、そうして笑った。そんな風に笑われるなどと思っていなかった。重荷に、なっているのか。口から出そうになった言葉を噛み殺し、そうして代わりになる言葉を探す。
「そやな。年の割に、かわええとは思っとる」
「……そう?」
「ん」
きょとんと上がった視線を振り切るように立ち上がった。そら、確かに買い被っているかもしれない。何が可愛いや、と自分に吐き捨ててやりたくなった。
「……なんか、ありがと」
身体を起こしたのは、やはり失敗だったのかもしれない、そう思ってしまった。血みどろの中で笑うその顔よりも、今目の前で照れくさそうに笑うその表情の方が、似合う。
どうしようもない気持ちがそう言った。