心の洗濯
「のぼせるから気ぃ付けろって……言った傍からこれかいっ!」
ヴァッシュは冷えたタオルを頬に当てながらゴメンと弱々しく呟いた。
弱々しく、否ヘロヘロとが正しいかもしれない。
「だって気持ち良かったんだもん……」
小さな町だった。近郊に小さな火山があるために掘れば温泉が湧き出るという類稀な特質に、若干の賑わいがある町。
ヴァッシュとウルフウッドが停泊した宿にも勿論温泉が備わっていて、ヴァッシュが張りきって部屋を出て行った後、あまりに帰りが遅いと様子を見に行ってみ
たところ……
「あのまま沈めたろうかと思うたわ!」
半ば湯に沈んだ金髪を発見した、という塩梅である。
「だからゴメンって!」
くわんくわんくわん。後頭部を目に見えない何かに引っ張られた気がしてベッドに沈む。
アホウだのバカだのボケだの、騒ぎながらもウルフウッドが部屋まで引きずってきてくれた事には感謝しなければならない。
このタオルだって用意したのはウルフウッドだ。
ああ気持ちいいと握り締めていると、ウルフウッドが煙草の火を消してつかつかと寄ってきた。
「アホウ」
タオルを取られて「やーん」と唸れば、気持ちわるうと引っ叩かれる。
一応患者さんなのにっ!ケガ人とか病人に冷たいよこの人!
ついでに手癖が悪くて、足癖と頭癖も、長くて綺麗な指が勿体ないなぁとふと思う。
体温が高い指先に髪を梳かれ、頬を撫でられるともう何もかもどうでもよくなってしまって、抵抗を忘れてしまって、だとか。
そこまでぼんやり考えてヴァッシュは自分の頭を叩いた。
(何、考えてるんだ僕はっ……!)
頬がかぁっと紅潮して体温が尚更上がった気がした。くわん、ともう一度頭が浮いた。
大抵、身体を探られるのは灯りの無い所で、それに指先なんてまじまじ見ている余裕もないのだけれど、けれど確かに触れてくるのは彼のあの手で。
(綺麗なんてとんでもねぇ……やらしいの間違いだっ……!)
そのやらしい手癖を知っている自分もどうかしてると横を向いたところでぎしりとベッドが鳴った。
「首に当てるんやって」
ひたり。ごつごつした手に握られた柔らかいタオルが首筋に当たる。
ヴァッシュはくすぐったくて、ベッドに座ったウルフウッドを見上げ少し笑った。
「ひゃっこいやろー」
「ほっぺたの方がいいー」
甘えるように手を伸ばす。タオルを掴む手の上に手を乗せるとウルフウッドの肌もひやりと冷たい。
それでもう外も随分涼しいのかと気付かされた。
「手ぇあっついわー……どんだけ浸かってたん」
「んー……わかんない……」
温泉は初めてだった。他にもこのような町に訪れる事はあったが、何故か入浴する気にはならず、
(余裕ができたってことかなぁ……)
タオルを握ったまま背を向けている背中を見て息を吐く。
いつものスーツ姿でなくて、黒いハイネックのそれにやっぱり黒が似合うなぁとぼんやり思った。
(しっかし……)
ヴァッシュは肌に絡むお湯の感触を思い出してへにゃりと笑う。
「気持ち良いんだねぇ……本当極楽ってカンジ」
「のぼせてもうたら地獄やろ」
「うっ……」
その通りデシタ。申し訳ありませんデシタ。
打ちひしがれるヴァッシュ。
その姿を慰めるでもなく笑うでもなく、ウルフウッドは持ったままのタオルでヴァッシュの襟刳りから覗く傷をなぞる。
「傷、沁みんかったか」
「あーうん。大丈夫」
その言葉で気付いた。だから初めてなんだと。シャワーですら浴びるのが億劫な時もある。
今日は目立った傷をこさえてなかったから入れたのだ。
右手の甲を見て、それからぐっと拳を握ってみる。
やっと意識と身体の動きが伴ってきて一先ずは安堵した。
「ていうか、調子良いかも」
疼きもない。
それに安心したのかウルフウッドはタオルを持ったままにベッドを立った。
「お風呂?」
「ちゃうわい……どんだけ温泉が恋しいねや、おんどれぇ……」
「だってぇ……」
じゃあなんだろうと首を捻る。
そういえば町には、こういう特質からか所謂色街のような通りもあったなと首を廻らせ、ヴァッシュはまさかと眉をひそめた。
「なんて顔してんねん……」
「いや、お楽しみに行くのかと……」
むっと口を尖らせつつも、ヴァッシュは戸惑っていた。
どんなにケガをしても体調を崩してもそうそう弱気になるなんて事はなかったのに。
自分で墓穴掘ってどうするんだチクショー。
「はぁ?」
「いや、いいんだけどね、別に……いや折角だしね、うん!ドウゾドウゾ、こんなヘタレは気にせずどうぞ……」
甘えたいだなんて態度微塵にも悟られたくない。ぶんぶんと手を振って誤魔化してみても鳩尾の辺りがきゅうと苦しくなる。
ウルフウッドがベッドまで戻ってきて、そしてタオルを持っていない方の手でヴァッシュの額を撫でた。
前髪を掻きあげられ、顔を覗かれると益々気まずくなる。
甘えたいだなんてそんな気持ちはなくて、でもそんなのは嘘で。
「誰が置いてくか」
突然の感触にひゅっと息を飲む。額に落とされた唇に思わず目を閉じる。
「よう喋る時と、だんまりの時は離れる訳にいかんやろ」
ウルフウッドは濡らしてくると手に持っていたタオルをひらひらさせた。
これはまた、世話掛けますと情けなくヴァッシュが笑ってみせるとウルフウッドの方も溜息混じりに笑う。
どうやら満更でもないようで、本当にまったく世話を掛けてしまうもんだこの男にはと目を細めた。
ああ、そや、と足を止めたウルフウッドが振り返る。
「そんなにエエなら、一緒にどうでっかー」
「へ?」
意味ありげな表情でニヤと笑うウルフウッドにきょとんとする。
「温泉、一緒にどや。もっと気持ち良くしたるで」
ぱたりと閉まった扉。
タオルを取られて酷く後悔した。
ものすごいマヌケ面をしたのに隠せなかったものだから、ヴァッシュは枕にぼふっと顔を伏せてヘンタイめと唸った。