鈍った幸福論
ヒトになろうとしたところで無理な事はもうずっと昔にわかっていた。
それでもなろうとした事もあったし、今だってヒトだったらどんなにいいだろうと思う。
憧れるのは、絶対に手に入らないとわかっているからだと誰かがどこぞの成金を指さして語っていた事もあったがそれは正しい。
人間台風なんて呼ばれるようになってからどのくらい経ったかもう覚えちゃいないけど、もう僕にはヒトの中に紛れ込むのも無理な話になってしまった。
「うっひゃぁ……」
賞金首の貼り紙を見る度思うのだけれど、なんでこんなバカみたいに笑ってしまったものか。
「むしろなんでこの画を使ったのかねェ……」
けれどこの紙きれを見る度にもう一つ思う事は、これも人間だからこそのひとつの扱いなのかとやけに安堵してしまう事だった。
銃口を向けられるのにはもう随分と慣れたし、賞金を掛けられる前から生きるのには必死だった。
今更と言った感じも否めない。
名前を呼ばれ恐れられるまでにはそれなりに苦労があった。
「ヴァッシュ・ザ・スタンピード!」
呼ばれて振り返る。
振り返り際に背後で発砲音がした。銃弾は頭の上を掠めて飛んでいく。
前言撤回、恐れられるが故に苦労をしている。
ヴァッシュは体勢を低くしたまま抜いた銃で対峙した相手の右手を撃った。
男の銃はゆっくりと弧を描いて地面に落ちる。カラカラと地面が擦れる音がした。
「びっくりするじゃないですか……」
男は短く舌を打つと傷めた右手を押さえて逃げて行った。
近くに仲間が待機しているのかもしれない。ヴァッシュは細い路地を静かに駆け抜ける。
「できれば撃ちたくないんだけどなぁ」
虚しくもその声は冷たい建物の壁に飲まれた。生きるために金が必要なのだと彼らは言う。ヴァッシュの首に懸けられた額があれば一生を遊んで暮らせる事だろう。
彼らの寿命ならば、
(別にそれでも構わないんだけど、ね)
やらなければならない事がある。たったひとつだけ。
望みはとうに捨てきった。残っているのは目的のみ。
(望みって、言うのかな。これを)
自身の兄弟のような存在。唯一の血縁者とも言える。
見つけ出さなくてはならない、欠けた記憶を追っても自分が何をすべきなのかはわからない。
けれど、見つけ出して対峙しなければならない。
そのひとつの目的のためにヴァッシュは有名になりすぎた。
(やりにくいったら、ないな)
ヒトは好きだと思う。けれど時々わからなくなる。煙たがられても尚、こうして歩く事に意義があるのか。
「そーかー、人生悪いコトばっかじゃないねんなあ」
顔を上げた。
人好きのしそうな顔が少し訛りの強い声で言った。
「あ、そや。自己紹介しとこ。ウルフウッドや、ヨロシク!」
出された手を怪訝に思った。けれど素直に握ったその手は熱かった。
砂漠で生き倒れかけていたのだから当たり前かとも思う。
(悪い事じゃ、ない……?)
人間台風は面倒事を持ってくる。
傭兵として重宝される事はあった。けれど、出会い頭にそんな風に言われるなんて思いもしなかった。
面白い男だ、ヴァッシュは思わず吐息を漏らした。
少なくとも見つけられて良かったと、安堵する。人が死ぬのは、悲し過ぎるから。
(悪い事にならないと、いい)
せめてそんな風に言ってくれる人間くらいは巻き込まずにいたいものだ。
ちらりと見やった横顔は穏やかに笑っていた。