世界は今日も穏やかに
「ワイが死んでも、あくまでおどれの阿呆のように広い身内の一人なんやろなぁ」
意地が悪いと思うた。でも聞かずにはいられなかった。
全人類に、いやプラントも含めてのやきもちなんて阿呆なんはワシの方や。
ヴァッシュは目を見開いて呆然とウルフウッドを見た。
酒場で流れる穏やかな空気の中でウルフウッドは酸素が薄くなるような錯覚に襲われた。
「なんで死ぬとか言うんだよ」
「深い意味はないで」
「あってたまるか」
「おどれの特別って何やろ思っただけや、あかんの?」
ヴァッシュはバンとテーブルを叩く。その音には少なからず苛立ちが含まれていた。
普段は穏やかな男である。機嫌に直結した行動はなかなか起こさない。些か酔っているのだろう。
「アカンよ、アカン!」
図体がでかいくせに、子供のような動きが目立つ。
ウルフウッドはやれやれと肩を落とす仕草をして、それから白い煙をヴァッシュに向かって吹きかけた。悲鳴を上げながらそれを必死に払う子供をウルフウッドはじぃと見つめたまま「ワイは死んだらあかんか?」と尋ねた。
ヴァッシュは動きを止めて椅子に深く座り込むとぼんやりとテーブルを見つめる。
あまりに儚い姿にウルフウッドは「冗談やって」と頭を撫でてやりたくなったが、それでは駄目なのだ。
下手をすればこの世界の全てを己の身内と分類してしまう男である。果たしてヴァッシュにとって自分の存在とはなんなのか、突き詰めてしまえばただそれが気になって仕方がない。それを知るためには今ここで甘やかしてはならない、黙って見ていなければならないのだ。
やがてヴァッシュは口を真一文字に結んで玉のような涙を流し出した。ぼろっと落ちたそれに呆気に取られ、ウルフウッドは口から煙草を落としそうになってしまった。
「おぇ…」
「うっ…えっ…!」
嗚咽まで吐かれてはもうどうにも対応しきれない。
ウルフウッドは慌てて椅子から立ち上がりヴァッシュの頭をがしがしとかき混ぜた。
「なんで泣き出すねん!あー!!ワイが悪かった!堪忍やって!!」
ヴァッシュの左手が頼りなくウルフウッドの袖を掴む。
きゅうと握ってくるそれに、ウルフウッドは嗚呼と息を吐いた。
(好きやなぁ…)
一生懸命に顔を拭うヴァッシュの右手をすくい上げ、くつくつと笑う。
「そんなにしたら赤なってまうわ」
「お前が変な事言うからだ!!」
「へぇへぇ、トンガリ~泣いたらあかんで~」
「お前のせいだー!」
びえーと泣いたままのヴァッシュの右手をあやしながら、動かしようのない己の右手を難儀に思う。
こう必死に捕まれては振り切る訳にもいかないのだ。
(皺んなってまうかな)
しかしどうしようもない嬉々とした気持ちがこみ上げて仕方がない。
頬を撫で、水の球を拭う。こうして涙を流す姿を心底綺麗だと思う。
「もうええ」
言葉の意味を理解して、ヴァッシュが切なそうに眉をひそめた。
「わかりにくいかな」
「何が」
やっと離れていく指を見て、急にウルフウッドは寂しさが胸を突くのを感じた。
椅子に座り直し、備え付けの灰皿に燃焼した白い灰を落とす。
「でもお前は、違うんだよ」
何が違うのか、それを問いたい気持ちをぐっと抑え、ウルフウッドは静かに頷いた。
ヴァッシュを混乱させたい訳ではない。出来れば混乱などさせたくはない。けれどいつか、間違いなくヴァッシュよりも先に自分は消えるんだろう。
その唯一無二の刻にこの男は何を思うのか、
「お前はいなくなっちゃ嫌だ」
世界のために生きる馬鹿な男が絞り出した数少ない自分のための願いを、今だけは聞き入れてやろうと思う。
ウルフウッドは乗せられたままのヴァッシュの右手をやんわりと握った。