悲しい恋の歌ばかりでは、気が滅入ってしまいます。たまには明るい恋の歌なんてのも、悪くはないんじゃないでしょうか。
「……はぁ?」
ロマンの欠片もない男が、大口を開けてもう一度「はぁぁぁ?」と呆れたように声を上げるのを聞きながら、ヴァッシュは額に指を当てた。わざとらしく溜息を吐いて見せる。
「いやね、僕は思ったわけですよ。切ないラブソングはそりゃあ持て囃されますけどね。こんな時代だからこそ……そう、こんな時代だからこそ、ただ甘いだけの恋の歌が必要なんじゃないかと!」
「拳振り上げてのご高説中悪いんやけど、何がどこからそういう話になったんや……?」
「キミが仏頂面してるからさ」
「してへんけど」
「してるよ。僕にはわかるもん」
「してへんて」
「してる」
「してまへん言うてるやろ」
まぁまぁ、そんなわけで、とヴァッシュは鼻歌を歌い始める。ラジオは、この間砂埃で壊れた。どこのチャンネルに合わせても、ガガガとピーという音しかしない。電波を拾えなくなったのかもしれない。これだから安物はいけない。
「おい、下手くそな歌やめーや……」
「失礼だなキミはー!」
のそのそ砂の上を歩きながら、のそのそウルフウッドのパニッシャーを眺めながら、ただ歩く。何も無い砂漠をぼんやりと歩く。そろそろ水を補充できないと行き倒れルートに突入するような気がする。けれど、ヴァッシュは鼻歌を続ける。
「鼻歌ばっか歌ってても、それが切ないラブソングなんか、それとも甘いだけの恋の歌かどうかわからへんやん……」
「やっぱり聞いてんじゃん」
「聞こえてくるだけや。頼んでへんわ」
振り返らないまま、足も止めないで言うウルフウッドに、ヴァッシュは口笛を鳴らしてみる。
それでも、曲の方向性を聞いてくる時点で、ある程度の興味があるということになる。
「キミって、わりと素直じゃないよね」
「おんどれもなぁ」
「……ム。ぼかぁ、結構素直な方だと思うけど」
「はぁ、さいでっか」
気のない返事である。
青い空の端を見ながら、ぼんやりと気のない歌を歌う。どうでもいい曲だ。ラブソングかどうかもわからない。ヴァッシュが知らない国の曲だから、歌詞の意味もわからない。ただ記憶の隅にある歌を歌う。ぼうっとした声になっていることには、自分でも気付いている。
ウルフウッドはもう文句を言わなくなっていた。
とてとてと、少し早足で歩み寄る。
ヴァッシュは、ウルフウッドの顔を覗き込んだ。ウルフウッドの口元で、煙草がついと上がる。
「なんやぁ」
「……今の曲、好き?」
「もう口出しする気にもならへんだけや」
「そっか」
目を細める。それを見て、ウルフウッドがきょとんとした。それからヴァッシュの顔を押し退けて、また黙って歩いて行く。そんな背中を見て、ヴァッシュはべっと舌を出した。
「仏頂面じゃなくなってるクセに」
――素直じゃないなぁ。
とっとっと、とまたウルフウッドと一定の距離を置いて歩き出す。ふと止まった背中が、「あー」と空を見上げた。
「まぁ、ええんとちゃうか」
「何が?」
「甘いだけの恋の歌、や」
「ああ、その話?」
自分で適当なことを言っておいて忘れかけていた。というか、興味がないもんだと思っていた。だからヴァッシュも忘れていたのに、わざわざ蒸し返してくれた。
「わいもたまに、おんどれにチューしたなるしなぁ」
「は?」
指に煙草を挟んでふかーと煙を吐き出したウルフウッドが肩口に振り返って、ニヤと笑った。
「こんな時代やからこそ、ワケもなくチューしてもええんとちゃうん? そういうことやろ?」
――あ、やばい。こいつ、変なスイッチ入った。
ヴァッシュは、じりと踵を下げる。
位置について、ヨーイ……ドン! 僅かにウルフウッドが早かった。パニッシャーを投げ出して砂の上を走り出したウルフウッドから逃げるように、ヴァッシュも走り出す。
おいおい、こんな時に追いかけっこ始めたら、本当に行き倒れちゃうってば! それに似たような言葉を喚きながら、砂の上を跳んだり跳ねたり転がったりする。
その内、取っ組み合いになったままどしゃっと転がる。砂が舞う。口の中に入る。二人で、ぺっと砂を吐き出した。
「だぁぁぁもう、バカ!」
「おんどれに言われたかないわ!」
「おっまえが急にチューしたいとか言い出すから!」
「おどれが変な高説垂れるからやろが」
「ソレ、僕関係なくない?」
顔面が砂まみれで、キスどころではなくなった。お互いにのそりと立ち上がって砂を払う。
ウルフウッドが、切なくぽつんと転がっているパニッシャーを拾い上げて担ぎ直した。ぱらぱらと砂が散る。
「切な……素直に言うてもチューのひとつもさしてくれへん」
「いや、しねぇだろ……」
「甘くても切なくてもあかんねんなぁ……」
「今のは甘くも切なくもなくない……?」
仏頂面をやめて悪戯っぽい顔ばかりするウルフウッドに、ヴァッシュは「気まぐれな奴だなぁ」と思った。
「なぁ」
「今度は何……」
頭をガリガリ掻いているウルフウッドの髪から、また砂がばらばらと散る。あまりにも埃っぽくなっているものだから、ヴァッシュはぷっと笑った。
「さっきの、ぼーっとした曲。また歌ってや」
「……いいけど」
「おおきに」
「ほな行くでー」と、またのそのそ歩き出したウルフウッドの背中を見る。さっきから景色はちっとも変わっていやしないはずなのに、ついヴァッシュはぱしぱしと瞬きをした。なんていうか、ちょっと眩しくなってしまったからだ。
「す、好きなら好きって言えばいいのに……」
ほらな、やっぱり全然素直じゃない!
どしゃっと砂を蹴り上げてみたが、そこには何の形も残らなかった。