「それ、なんて曲ですか?」
荷物の仕分けをしているヴァッシュの顔を覗き込みながら、少年が言った。
「え?」
「郵便屋さんが歌ってる曲、なんて曲ですかぁ?」
クセのある金髪に、くりっとした緑色の瞳。それから、独特の間延びした声、その声が彷彿とさせるのは、ヴァッシュがよく知る女性だった。
「ああ、これ……なんて曲だったかな」
ミリィの息子だ。息子は母親に似るなんて言うけれど、それにしたってこの子は似過ぎだろうと苦笑いする。まるで、ミリィが男の子になったようなのだから。
「それより、どうしたんだい? 僕の所に来るってことは、何かおつかい?」
「そうなんですよ。これ、お母さんから」
封がされていないから、恐らく遠方へのお届け物ではないのだろう。ということは、自分宛ての品物だ。
簡単な包装の小包を開けて、ヴァッシュは思わず「わぁお!」と声を上げた。
「これはこれは、ドーナッツですな!」
「えへへ~」
少年も嬉しそうに笑った。
ヴァッシュは頂いたばかりの小包を片手に、小屋のドアをそっと開き、クローズと書かれた札を下げる。
「今日はもう店じまいだな」
「店じまいですか?」
「うん、明日出発する分の荷物は纏めたからね。あとはこの」
「ドーナッツを頂くだけですね~!」
「そうですね~!」
町の片隅にあるポストハウス。今、ヴァッシュはそこの管理人をしている。管理人とは言ったものの、時たま人を雇うことはあるけれど、配達するのも荷物の仕分けをするのも、ほとんどが彼の仕事であった。
「僕、大きくなったら、ヴァッシュさんのお仕事のお手伝いがしたいです」
「セイリオは、お父さんの仕事を継いだ方がいいんじゃ……?」
「うーん、お父さんの仕事も継いで、ヴァッシュさんのお手伝いもできたら幸せですねぇ」
「それは働き過ぎだよ」
「そうかなぁ」
分けられたドーナッツをもぐもぐと咀嚼しながら、ミリィの息子・セイリオは笑顔で答えた。
少年はまだ十歳前後であったはずだから、それくらい奔放な夢を語るのは良い事だ。
「ヴァッシュさん、明日出発して、どのくらいに戻るんですか?」
ヴァッシュは、壁に貼られたタイムスケジュールと地図を交互に見て、それから首を傾げる。
「そうだなぁ、予定では翌日に中継所に荷物を置いて来れるだろうけど、あくまで予定だから……明後日、陽が落ちるまでには戻ってきたいと思うよ」
「じゃあ、ポストが一杯にならないように見ておきますね」
「ははは! そうはならないと思うけど、よろしく頼むよ」
電子化の進んだ昨今では、ほとんど郵便を利用する者はない。だから、ヴァッシュが任されるのは、もっぱら小包やパーツの輸送に関してだった。
「でも、いきなり忙しくなるかもしれませんよ!」
「十年くらい前は忙しかったんだけどなぁ。最近は全然……」
ここ数年は、手紙などほとんどなくなった。メールや通信で事足りるのだ。
けれど、ヴァッシュは、それはそれで進歩だと思っている。自分の机の引き出しに貯め込まれた手紙を覗きながら頷いた。時代の流れを否定する権利は、ヴァッシュにはない。
「それを食べたら、暗くならない内に帰るんだよ」
「はぁい」
手に残っていた一欠片を口に放り込んで、セイリオは郵便小屋を出て行った。治安は随分良くなったとは言え、それだって夜に子供を一人で歩かせるには危険だ。
セイリオを見送る自分の手元に残ったドーナッツを見て、ヴァッシュは慌てて自分もそれを口に運んだ。
出発は明日の早朝。最後の確認と、それから、仕分けできる分の荷物の仕分けは済ませておいた方が良い。ヴァッシュだって、最早体力おばけとは言い難いのだから。
「……ていうか、老体に対してハード過ぎない? この仕事……」
過去に起こったプラントの反乱から、およそ十余年が経過しようとしている。自分にこの仕事を割り振り、姿を消してしまった女性の顔を思い出しながら、ヴァッシュはやれやれと肩をすくめた。
「仕方ないよなぁ……」
地球から送りこまれてくる文明や技術は、目覚ましいものだが、それでもこのノーマンズランドには、持って生まれてしまった粗野さがある。
はっと顔を上げる。アナログな時計を見て、首を振った。
「しまった。呆けてる場合じゃなかった……」
少なくとも、砂漠を渡るのはやはりハードなのだ。
◆ ◆ ◆
ブロ、ブロロと不穏で不安定な音を上げる赤カブを眺めて、ヴァッシュは「あーあ」と声を上げた。
元々、手に入りにくい骨董品らしいペイントのカブで、尚且つ、幾年にも渡る運転練習に付き合わせてしまった。
防塵仕様にカスタマイズしてあるとは言え、老い先は短いのだろうなと同情する。
「……ブラドに選んでもらったのが失敗だったよ」
郵便屋と言ったらこれだろうが! と、半ば押し付け気味に与えられたカブちゃんにぽんと手を乗せて、ヴァッシュは首を振った。
「ここは、前時代の地球じゃないんだから……」
それでも、似合わなくはないと思ってしまうから困る。
巻き込まないように丈を調整した赤いコートに黒いガマ口鞄を背負って、ヴァッシュは配達物のほとんどをバイクに詰め込んだ。
「行きますか」
戸締り用心・火の用心、である。最悪、小屋のポストと戸締りはセイリオが見てくれるだろうから、心配するのは火の用心くらいだ。
中継所のある町までの間に立ち寄れる場所の配達物はヴァッシュが配達し、それ以外はまた大型の中継所で保管、分配される。
郵便小屋から中継所までに会える家族はほとんど顔見知りであるから、ヴァッシュにとっては気の楽な旅路であった。旅路だけで、言うならば。
「ば、バイクなんて、やっぱ……い、いら、いらにゅああああ」
悲鳴を上げながらもバランスを取って走っていく背中を、町人の何人かが手を振って見送っていた。
◆ ◆ ◆
軌道にさえ乗ってしまえば、鼻歌のひとつも出てくる。何より、砂漠に出てしまえば、何かにぶつかる可能性は格段に減る。
これがまた、止まる時は大変なんだけど、と思いながらゴーグルを掛けた目を細める。
(あの頃は、今よりもっと下手だったから、やっぱり君が運転するのが良かったんだろうな)
サイドカーまで付けていたのに、よくもあんなに上手に運転できたものだと思う。誰かに教わったんだろうか。
対象の男を思い出しながら、ヴァッシュは「んー」と声を上げた。
遠くにワムズの群れが見える。本当に遠くだから、ヴァッシュの目にはミミズよりも小さく見えていた。
エンジンの音と風邪を切る音で、その他の音はほとんど耳に入らない。
ふと、水筒の水を飲もうとブレーキを掛けた時だった。ガマ口鞄が開いていることに気付いたのは。
うんしょと身体の前に回した鞄の口が、ぱくぱくと開く。
「……開いている……?」
ヴァッシュはゆっくりと顔を上げて、自分の走ってきた軌道を見た。
「……わお」
慌ててバイクから降りる。そして、どしゃどしゃと砂の上を駆けた。
数は把握している。宛先も。だから、集めきれればなんてことはない。今日は、鞄に入れた手紙はそんなになかったはずだから。
しかし、だ。万が一にも、一通でも見つからなかったらどうしよう。そんな不安がヴァッシュの頭を過る。
鞄の中の封筒を確認しながら来た道を戻っていると、なんてことはない。ヴァッシュが案じているような事態は起こっておらず、鞄の中には予定数の封筒が収まっていた。
ほっと胸を撫で下ろし、バイクまで戻ろうと顔を上げた時だった。
目の前に、白い封筒が落ちている。
「あれ、数、間違えてたかな」
それを拾い上げて、ああと思った。
「……これ、俺の封筒か」
宛先がない。ただ、中には確かに便箋が入っている。
確認するまでもなかった。それは、ヴァッシュがしたためた手紙であった。
ゴーグルを上げて、封筒の裏と表を見つめ、それから鞄にしまった。
「持ってきちゃったんだ……」
宛先がないから、出しようのない、届けようのない手紙だった。
再びバイクに跨って、今度こそ鞄が開いていないことを確認し、ヴァッシュはさっと走り出した。
「下手くそなふりも、そろそろやめないとな」
本当はもう人並みの運転ができるのだと、手紙には書かなかった気がする。
◆ ◆ ◆
「おお、郵便屋さん」
老人の住まう家の、壊れかけたポストに封筒を入れている時だった。家の窓から、フライパンを持った老人に声を掛けられた。
「こんにちは。お手紙の配達です」
「そうだろうね」
赤いカブをちらりと見て言う。
ここは前時代の地球ではないが、一部ではやはりこれが郵便の目印として定着しつつあるのだろう。それと、このえらく目立つ自分のコートが。
ヴァッシュは自分の立て襟を指で抓んで、そっと笑った。
「肉を焼いていたのだがね。郵便屋さん……いや、ヴァッシュもどうだい」
「お肉!」
「老人一人では食べ切れないとわかっているのに、つい作り過ぎてしまうもんだから」
「それじゃあ……お言葉に甘えて頂きます!」
石段にいそいそとバイクを止め直したヴァッシュを見て、老人がにっこりと笑った。
ヴァッシュは、そのお宅で焼いたトマ肉とコンソメのスープを頂くことになった。昔からの嗜みで携帯食料は持ってこそいるが、こうして頂ける食事はやはり良いものだ。それに、人と取る食事も。
「君は、今日はどこまで行くんだね」
「今回も中継地までです」
「では、帰りにもここを通るのかな?」
「どうでしょう……帰りは用事がないから、別のルートで戻るかも」
「それは残念だ。今度は蒸し焼きにでもしようかと思ったのだけど……」
先程、食べ切れないからと言っていたような気がした。もしかして、ヴァッシュがここを訪れることを見越しての用意だったのだろうかと疑いたくもなる。思わず、手元のプレートを見た。
「おじいさん、挑戦し続けますねぇ……」
「連れもいないし、料理くらいしか楽しみがなくてね」
「楽しみがあるなら良いことじゃないですか」
フォークに刺したトマ肉をはむっと口に入れて、ヴァッシュは微笑んだ。
「おいひい」
「でしょう。そう言ってくれる人がいるのは、やっぱり嬉しいことだよねぇ」
老人はヴァッシュの食べ終わったプレートを片付けながら、思い出したように「ああ、そうだ」と呟いた。
ヴァッシュが顔を上げると、エプロンのポケットから封筒を取り出す。
「郵便屋さんに」
「え?」
「まぁ、頂き物なんだけどね」
蓄えたひげを撫でて、老人がにっこりと微笑み、頷く。
ヴァッシュは彼に促されるまま、差し出された封筒を受け取った。その封筒を開けると、中には一枚のポストカードが入っていた。
ヴァッシュはそれを持ち上げて、カードに写っている写真に目を細める。
「……わぁ」
「どこの景色かはわからないんだけど、この星にはなさそうな風景だよねぇ。いやぁ、僕も良い物を見せてもらえたよ」
そこに写っていたのは、青い空と同じくらいか、もっと深い青の水たまり。海だった。
「すごい。これってもしかして、地球の風景じゃないですか。これをどこで?」
「それは秘密」
人差し指を立てて言う老人。
「え?」
「とにかく、郵便屋さんにあげる」
老人の言葉に、ヴァッシュはぱしぱしと瞬きを繰り返し、そして、つい「はぁ」と頷いた。
あげる、というのだから、貰っておこう。
受け取った封筒をガマ口鞄に入れて、それからヴァッシュは席を立った。
「ごちそうさまでした。今度はまた、何かお礼を持って伺います」
「いいんだよ、お礼なんて。いつも配達してもらってるお礼だから」
そんな風に言う老人には、首を横に振って見せた。そういうわけにはいきません、というつもりだった。
「また元気な姿を見せてね、郵便屋さん」
「おじいさんこそ。料理はすごい趣味だと思うけど、量はほどほどにね」
「ああ、わかってるとも」
見送ってくれた老人に、一礼をして走り出す。
次にヴァッシュが訪れたのは、小さな集落だった。
その中の、軒先で子供が転がっている一軒の飲食店、そこにバイクを止める。
「こんちはー」
「あー! ヴァッシュー!」
「よお、ジャス。今日も元気だなぁ」
小さいながらも賑わっている店の様子とラジオの声を聞いて、昼過ぎなのだと知る。では、中の店主はきっと忙しいに違いない。
今にも騒ぎ出しそうな少年に、ヴァッシュは早々に封筒を差し出す。
「ほら、お父さんからのお手紙だぞ」
「ありがとう!」
少年はヴァッシュの手紙を喜々として受け取ると、服についている埃を払う。
「父さん、今はどこにいるんだろう」
「今は、首都にいるみたいだよ。これからまた水脈を探しに出るんだってさ……って、手紙に書いてあるかな。リリィに読んでもらったらいいよ」
「やめてよヴァッシュー、俺、もうそんなに小さくないんだぜ? 手紙くらい自分で読めるって!」
「あはは、そうだったか。ゴメンゴメン」
少年が赤子の時から知っているヴァッシュとしては、何とも感慨深いことだった。
中で調理に励んでいる少年の母親に気付かれる前に退散しようとバイクに跨ると、少年が慌ててヴァッシュに駆け寄った。
「あ、ちょっと待ってよ! はい、これ!」
少年に差し出されたポストカードに、ヴァッシュはむっと首を傾げる。
「ヴァッシュにプレゼント」
「なんだい……?」
「見てくれよ。岩の壁だぜ? こんなの見た事ないよ」
先程老人から受け取った物と似た感覚。やはりこのカードに写っている風景も、この星のものではないのだ。
ヴァッシュも見たことのない景色に、眉を寄せる。
「これを、どこで?」
「それは秘密!」
「ありゃ……」
またこの答えか。そこもまた、老人のそれと同じだった。
「まぁ、いいか」
ヴァッシュは少年から受け取ったポストカードを鞄に入れて、やはりしっかりと口を閉じた。
「それじゃあ、ジャス、リリィによろしく。母さんを困らせるなよ」
「わかってるって! ヴァッシュも気を付けてな!」
ひらひらと手を振って送り出される。
悪い気はしないが、ヴァッシュの頭の中では謎のポストカードのことが気に掛かっていた。
ここではない景色の描かれたポストカード、それも無記名の、宛先のない郵便物。
「……行き先のない……かぁ」
昔、ずっと昔、レムが言っていた夢の話に似ている。宛先がないから、どこにでも、誰にでも渡せる。
キッとブレーキを踏んだ。砂の真ん中で、ヴァッシュは鞄の中身を探る。出てきたポストカードは二枚。それを見比べて、それからゴーグルを外した。
「これは、どこへ行く予定だったんだろう」
きっと、届くはず、届くはずと思っている受け取り主がいるのだと思う。そして、このハガキたちも、届くはず、届くはずと、自分たちが役割を果たすその時を待っているのではないか。
だって、ポストカードなんだから。
「……せめて、一言でもメッセージがあったら良かったのに」
ヴァッシュは、カードを鞄に仕舞い、再び走り出す。
ぱぱぱとか、ぷぷぷだとか、妙な音を鳴らすカブの独り言を風の隙間に聞きながら走る。
「本当、そろそろ換え時だよな。君は……」
ぺぷーと情けない返事が聞こえた。
◆ ◆ ◆
更にヴァッシュが走る事二軒分、荷物を届けたその引き換えに、やはりポストカードを手渡される。誰も彼も、誰から譲られたのか、その詳細を言おうとはしなかった。
ヴァッシュのことを良く知る、目の前の彼女でさえ口を割らない。
「秘密、ですわ」
返ってきた「秘密」という言葉に、ヴァッシュは、むむうと口を尖らせる。
「どうしたもんか」
「良いじゃありませんか。頂いておけば」
ステンレスのカップに口を付けながら、メリルが呟く。ほんの少し大人びた顔つきになったにしても、可愛らしい姿に変わりはない。
「君にまで秘密って言われると、流石に怪しむよ?」
「だって秘密なんですもの。仕方ないじゃありませんか」
メリルの仮住居の隣にテントを張り、ヴァッシュはむーと口を尖らせた。
「それより、ソファくらい使って頂いて構いませんのに……と、いつも言ってますわね」
「いやぁ、あはは」
「まぁ、そういうところ、嫌いではありませんわ」
「でしょ。君も、そろそろ転居でもするの? 荷物、纏めてたみたいだけど」
夕食の際に住居に上がらせてもらった時に見た。大きな家具を除いて、荷物が纏められていた。
「そうですわね。任地が変わるので……このタイミングで会えて良かったです」
「そっかぁ」
メリルは変わらずノーマンズランドブロードキャストで働いているらしい。星の上を転々とする様は、とても逞しいものだった。
「……もう一人にも、会えて良かったですしね」
「え?」
「ミリィとご家族のことですわ」
「あ、そっかー……また離れちゃうんだね」
「ええ」
完成したヴァッシュのテントと、折りたたまれた毛布をちらりと見て、それからメリルは微笑んだ。
「毛布、大丈夫ですか? 良ければお貸ししますけど」
「うん、大丈夫」
「そうですか」
立ち上がり、自分の住居に戻っていくメリルの背中を見送りながら、ヴァッシュはふわぁと欠伸をした。
「みんな、すごいなぁ」
少しずつ、けれど確かに変わっていく。
自分だって変わっている。止まっているカブを見て、目を細めた。
変わっていくことが常で、けれど、自分には決して変わらない部分があって。それが少しもどかしい。仕方ないことなのだと折り合いを付ける。付けたはずだ。
鞄の中、仕舞い込んだポストカードたちを見る。
海の写真、それから、岩壁の写真、続く二枚は、お城と一面の田畑。少なくとも、ノーマンズランドにこの規模の田畑は存在しない。そして、おとぎ話に出てくるような大きなお城もない。
「どれもこれも、地球の写真だ。でも、どうしてこんなものばかり……僕に」
何故、ヴァッシュに届けられるのだろう。
メリルが秘密だと言うからには、もう絶対に彼女は何も教えてくれないだろう。それに、黒幕は彼女でもない。
「あ、そうだ、ヴァッシュさん」
ばさっといきなり開かれたテントに、ヴァッシュがぎょっとする。
「ど、どしたの!」
「朝ごはんは用意してお待ちしてますので、目が覚めたらどうぞ」
「は、はぁい」
ヴァッシュが驚いている顔に悪戯っぽく微笑んだ彼女は、やっぱり何も教えてはくれないのだろうな。
ヴァッシュは、そんな風に思って肩をすくめた。
◆ ◆ ◆
カブを引き摺りながら、中継所のある街に踏み込んだ。あとは、このカブちゃんの中身を中継所に置いて、ゆったりまったりと自分の郵便小屋に戻るだけだ。
「こんにちはー」
プラントを背後に抱える大きな建物。その正面には、これまたバカでかいシャッターがあった。それが、今この星の郵便・運搬事業を回している施設だ。ここは中継施設だから、その一端でしかない。
ヴァッシュは、「PLANT'S CORPORATION」と書かれた大きな看板を横目に、中継所のドアを開けた。
「ああ、ヴァッシュさん、お疲れさん」
目深に帽子を被った局員が迎えてくれる。
ヴァッシュは受付台に荷物を下ろしながら、「やれやれでしたよ」とこぼした。
「道中で、宛先のないハガキを受け取っちゃってねー」
「宛先のない、ですかー」
「そう、それも何枚も……えっと、四枚、かな」
「へー」
「写真のハガキなんだけど、ほら……?」
それまで荷物を見下ろしていたヴァッシュが顔を上げて、四枚のポストカードを指に挟んで見せる。と、局員は帽子の影の向こうでニヤリと笑って言った。
「ヴァッシュはんも見ます? これが五枚目なんやけど」
局員が手に持っている五枚目のカード、それには、どこかの施設の前で仏頂面をしている男の姿と、老女の姿があった。
きょとんと目を丸くしたヴァッシュと、帽子の男の視線が、ようやく交わった。
暫しの間。
「……え」
そして、先に声を上げたのは、ヴァッシュの方であった。
「あーーーーーーーーっ!」
「アホウ、声で気付かんかい。ボケェ」
局員が、目深に被っていた帽子をはずして、黒髪を掻き混ぜる。
ヴァッシュの目の前にいたのは、ウルフウッドだったのだ。
「えっ、き、聞いてない! 聞いてないぞ、俺は!」
「言うてへんもん。なぁ、ルイーダはん」
「そうね」
奥から現れた老女は、年齢のわりに背筋をピンと張って、つかつかと歩み寄ってくる。
ヴァッシュは、並んだ二人の姿にあんぐりと口を開けて呆けていた。
「地球の視察から戻ったついでに、郵便の中継所に立ち寄ってね。貴方のスケジュールを見て、ニコラスが悪ふざけを思い付いたものだったから。久しぶりね、ヴァッシュ」
「ル、ルイーダ……お久しぶりだね……」
ヴァッシュを郵便小屋の管理人にして、何光年銀河の向こう、地球に視察へと旅立って行ったルイーダと、その相棒に駆り出されたウルフウッドが、目の前にいる。
ヴァッシュは、ルイーダがこぼした「ニコラスが悪ふざけを……」のくだりに、眉をひくつかせた。
「……ちょっと待ってよ。じゃあ、何、これは?」
「少し考えればわかるやろ」
「わからん」
「ワイが事前に蒔いといたんや」
局員の帽子を指で遊びながら、ウルフウッドは悪びれもせずに言う。
「まぁ、おどれの配達ルートでテキトーに蒔いたんやけど、その様子やと、みーんな秘密は守ってくれたみたいやな。いやー、親切な人々やなぁ」
「なんで君がそんなことするのか、ちっともわからん!」
「まぁ、だから悪ふざけなんでしょうね」
その一言で言って済ますルイーダを、ヴァッシュは子供のような目で見る。
「直接渡してくれればいいのに……! 何年振りだと思ってんだよう……」
「およそ、十年ぶりかしら?」
「何せ移動に時間食ってもうたからなぁ。それと治療、か。まぁ、快適な星ではあったな。やっぱり、こん星はどこ行っても埃っぽいわ。あかん、はようまたこの過酷地帯に慣れへんと……」
ぶつくさと地球の査察結果についてのやりとりしている二人に、ヴァッシュはついに受付台を殴った。
「だから、さぁ!」
「なんや」
「どうしたの、ヴァッシュ。行儀が悪いわ」
「久しぶりなのに、何! この仕打ち!」
「何このも何も、こういう仕打ちや、で」
ぺっと渡された五枚目のポストカードを渋々受け取り、ヴァッシュはむっと口を尖らせたまま、ウルフウッドとルイーダの顔を見た。
「郵便屋さん、どれもこれもおんどれへの手紙や。地球の写真、好きやろ」
「ウルフウッド……ルイーダ……」
「ハイ」
「……おかえり」
不貞腐れたかのような顔のまま、ぼそりと言ったヴァッシュに、ルイーダとウルフウッドは顔を見合わせ、それから笑った。
ウルフウッドが腕を伸ばして、がしがしとヴァッシュの頭を撫で付ける。
ヴァッシュは、堪らずわっと泣き出した。
◆ ◆ ◆
中継所で突然泣き出すという一騒動を起こしたヴァッシュは、鼻を赤くしたまま、外でカブの埃を払っていた。
「おんどれ、こーんなにあぶなっかしーのに乗っとったんかい」
「だって、ブラドが……」
未だに不貞腐れているらしいヴァッシュを見下ろし、ウルフウッドが、ふかーっと煙草の煙を吐き出す。
「そろそろ機嫌直し」
「うるさいなぁ。元はと言えば君たち……いや、君が悪いんだろ」
「ちょっとしたお茶目さんやんかー」
「ちょっとしたじゃないよ」
まったく、とヴァッシュが立ち上がる。
「だーめだ。エンジンがご機嫌斜め……変な音してたもんなぁ……」
「トンデモ年代物みたいやんか。もうアカンのとちゃう?」
「困ったなぁ……これがないと、俺の仕事は困るんだよ」
「せやな」
中継所から出てきた局員が、ヴァッシュのカブを見て顎に手を当てた。
「どうします、ヴァッシュさん。うちの整備士に見せてみますか?」
「はぁ、それが良いのかも……」
「でも、それだと郵便小屋までの足が……バス代経費で出しましょうか?」
「ああ、それなら」
局員とヴァッシュの間に、ウルフウッドが割って入る。
「ワイが単車持ってきとるさかい、面倒見たることにしますわ」
「はぁー?」
「え、いいんですか?」
「ええですよ」
ルイーダは既に街の中の自宅に戻ってしまっているものだから、ヴァッシュを助けてくれる者はない。そもそも、彼女がいたところでヴァッシュを助けてくれるかどうかはさておき、結局、ヴァッシュはウルフウッドのバイクで帰路に着くことになってしまったのだった。
「ああ、僕のカブちゃん……」
「ええやん。ワイのバイク運転したってや」
「何言ってんの!」
バシンとウルフウッドの額を叩く。
「あだっ!」
「君が運転するんだよ!」
「ちぃ……」
ウルフウッドは、ヴァッシュの首に掛かっていたゴーグルを掴んで頭から引き抜くと、それを自分の首に掛ける。
そして、あからさまな溜め息を吐いた。
「ったく……運転できるようになったんやろが。ええやん……なんでワイやねん……」
「お前の単車だろ」
「ごもっとも……」
確かに、運転はできるかもしれないけれど、ヴァッシュが練習したのは、あのカブだけだ。だから、大型バイクにいきなり乗れるわけがないし、車の運転だって相変わらず下手くそだ。
ヴァッシュは郵便のバッグを腹に抱えて、ウルフウッドのバイクのサイドカーに飛び乗った。
「さて、じゃあ行きますか」
「念のための携帯食料と、水と、なんやかんや、ワイの分も持っとるやろな」
「持ってるわけないだろ。自分で調達しなよ」
「はぁ、殺生なやっちゃ……久しぶりやとか言っときながら……」
「久しぶりだからこそ持ってないんだよ」
せやな、と肩をすくめるウルフウッド。
「君の方こそ、久しぶりなのに図々しいよ」
「へいへい……」
首にぶら下げていたゴーグルを目の位置まで上げながら、ウルフウッドは「せや」と声を上げた。その声に、ヴァッシュは反射的に顔を上げる。
「一枚忘れとったわ」
「何が?」
「郵便、や」
ごそごそと、小さなリュックの中身を探っている。
視察のために持っていたバッグだろうか。その中から取り出したのはやはりポストカードだった。それと、小さな一枚のチケット。
「これ……?」
ポストカードに写っているのは、大きな黒い塊だった。
「これが、汽車、や」
「キシャ……」
「実物は流石に見つからんかったわ。だから、ワイもこのカードの写真でしか見てへん。結構調べて回ったんやけどなぁ。ん、で」
ウルフウッドがぴっと指を差した自分の手元に、ヴァッシュは視線を落とす。
「それが、汽車のチケット……いや、キップやな。それがないと乗られへんねん」
「キップ……」
ウルフウッドが持ってきたものには、きちんと行き先が書いてある。昔、レムが言っていた行き先が白紙の切符ではないが、今目の前にある話にだけ聞いたそれを、ヴァッシュは目を細めて眩しそうに見た。
「まぁ、最近は簡易化が進んで、それ持たんでも電車には乗れるらし……あ、今は汽車から電車になってて……」
「ね、ウルフウッド」
顎に手を当てながら言うウルフウッドの説明を遮って、ヴァッシュは声を上げる。
「んあ?」
「これ、僕がもらっていいの?」
そんなことを言うヴァッシュに、ウルフウッドは「はぁ」と肩を落とした。
「もらっていいも何も……言うたやろ」
ヴァッシュの鞄にあるだろう五枚のポストカードも、今、彼が手に持っているカードもキップも。ウルフウッドは、それらを指差して言った。
「それもこれも、郵便屋さんに贈り物やで」
口角を上げて言うウルフウッドを見上げて、ぼんやりとしていたヴァッシュが、くしゃっと笑う。
「あはは! ありがとう!」
「そんなん言うて、待ってたんやろ。便りなりメールなり届くの」
「待ってないよ。全然待ってない」
「嘘や」
「待ってないよ」
ただ、出せない手紙はたくさんあるけれど。
ヴァッシュは、そんな言葉を飲み込んで、口をにんまりとさせる。
――小屋に戻ったら、急いで手紙を燃やさなくっちゃ。本当に、本当にたくさん書いてしまったから。
「や、ちっとくらい期待したやろ……?」
「してないよ」
目の前で読まれたら、顔から火が出てしまうかもしれない。だって、あれは届かない前提の手紙だったんだもの。
「……帰ってきて、良かったんか」
「何言ってんの。当たり前じゃない」
ぱたぱたとはためくスーツの裾を握るか握らまいか悩んで、ヴァッシュはそっと手を下ろした。
運転してるから、きっと危ない。
「おかえりって言ったじゃない」
「せやなぁ」
「待ってたんだよ、本当に」
「はぁ? 今、おどれ……」
「手紙なんて待ってなかったけど」
止まったバイク、止まったウルフウッド。ヴァッシュは、そんな彼を見上げないままで言う。
ああ、遠くにワムズの群れが、ああ、本当に遠くだけど。
「君が帰ってくるの、待ってたんだよ」
ウルフウッドがぽかんとして、それから「ほうか」と間抜けに返事をした。
ゆったりと走り出したバイクのサイドカーの中で、ヴァッシュはその声を反芻する。なんて間抜けな調子だろう。
絶対に見せない。絶対に読ませない。だって、手紙の末尾はいつも、いつ帰ってくる? 予定が立ったら連絡ください、そんな内容だったから。
(郵便屋さん、郵便屋さん、今日は、今日こそは、僕宛ての手紙は、ねぇ、僕宛ての手紙はありますか? 彼から手紙が、帰りの予定が届くはずなんです)
風を切る、その隙間で、ヴァッシュは鼻歌を歌っていた。
(ああ、でも、もう大丈夫)
ヴァッシュは、バイクを運転する彼の姿をちらりと見上げる。
(もう、届きましたから)
おみやげと、他でもない、何よりの便りが。