「それで、どうなったの?」
「外れた看板を打ち付けて直して、ついでにベランダの建て付けが緩んでるところなんかも直して。そうしたら、お礼に昼食を御馳走してくれたんス」
「いいなぁ……」
ぐきゅるるると、ヴァッシュの腹から音が鳴る。その背後でもう一音、同じく空腹を訴える音が鳴ったのを聞いて、リヴィオは振り返った。
「そんなわけで、自分は腹減ってないんですけど……なんか、すいません……」
「いや、直したのはリヴィオであるから、ご厚意を受けるのはリヴィオであって、俺たちではない。そうだよな」
ヴァッシュは振り返り、俯いているウルフウッドに言った。
「いや……そもそもな、人様んちの看板に頭突きかまして壊したくせに、それを直したからと言うて昼飯を馳走になるか普通! 常識で考ええや!」
「いや、はは……」
空腹のお陰で機嫌のすこぶる悪いらしいウルフウッドが上げた声は、砂漠では何に反響をすることもなく、すっと消えてしまった。
彼と同様に、空腹でわずかに機嫌を損ねているヴァッシュが、そんなウルフウッドに足で砂を掛けながら反論する。
「うるっせーな! 日頃の行いだよ、エセ牧師! 悔しかったら心を入れ替えて、聖人にでもなりやがれ!」
「うっさいわボケ! 歩く災厄の人間台風様に言われたないわい!」
「何をー! お前、人が気にしていることを……!」
「気にしたところで変わらへんやろー、一億年と二千年前からなーんも変わらへんやろー!」
「失礼だな! そんなにおじいちゃんじゃありませんー!」
「ジジイと変わらんくせに何言うてんねん、アーホ! ボーケ!」
足を止めて言い合いに精を出し始めてしまった同行者に背を向けたまま、リヴィオは「あーあ」と溜め息を吐いた。
「……俺たちからしたら、一億年も百五十余年も、大して変わらないんだよなぁ……」
そんなぼやきもまた、わずかな風に飲まれて消えてしまったのだった。
「ほらほら、遊んでないで行きましょうよ」
いつまで経っても言い合いをやめない二人に呆れつつも笑顔で振り返ったリヴィオの顔に、パニッシャーが投げ付けられる。
「どぅわ!」
「どこをどう見たら遊んでるように見えるんや!」
「そうだそうだ!」
先程までの喧嘩の調子はどこへやら。たった一コマの間に意気投合している。
リヴィオは、パニッシャーの下敷きにされながら、そんな二人を恨めしげに見上げた。
「どっからどう見ても、戯れてるようにしか見えないっす……」
言わなければ良かったかと、後悔してももう遅い。つい口から漏れてしまった本音によって、リヴィオは更なる襲撃を受ける羽目になったのだった。
この三人が砂漠を渡っているのには訳があった。数日前に首都近くで各々過ごしていた三人の元に、大気圏の観測を担当している管轄から連絡が入ったのだ。
その内容は、こうだった。
「はぁ、未確認の宇宙船……」
「そう、外見は地球製のものらしいけど、地球軍から出発したものではないそうよ。認識信号も不明の船らしいわ。何より、通信に応答もない。不審ね」
その連絡をヴァッシュの元に届けたルイーダの口ぶりからすると、特に深刻な内容ではないように思えた。
「それで、何故そんな話が僕のところに?」
コーヒーカップを片手にルイーダを見上げるヴァッシュに、彼女は意外そうに肩をすくめる。
「あら、退屈そうに見えたけど、気のせいだったかしら」
「実際、その通りではあるんだけど、真っ正面から言われると腑に落ちないなぁ……ははは」
やれやれと首を振って見せるヴァッシュに、ルイーダは口角を上げて、柔らかく笑った。
「退屈しのぎにおすすめをしたいところだったんだけど、本音は、もう少し真面目な話でね。私たちは……いえ、地球連邦も皆、曲りなりに得たこの安定を壊す材料の到来を恐れている。だから、貴方にこうしてお願いする羽目になっているわけ」
本音だという彼女の言葉に、ヴァッシュは残っていたコーヒーを口に運びつつ、うんと声を上げた。
「だろうね。わかるつもりだよ。勿論行く。それに、ルイーダの言うとおり、退屈でもある。なんていうか、もうふやけちゃいそうだ」
「そう言ってくれると助かるわ」
黒髪をわしわしと掻いて、ヴァッシュが立ち上がった。
ルイーダは、彼が持っていたカップをさっさと受け取り、そして「洗っておくわ」と言った。
「せめてもの餞別に、便利なものを付けるから。受け取ってから出てちょうだい」
「便利なもの……? 旅道具か何か?」
「そうね、似たようなものだわ」
ルイーダに渡したカップを暫く見下ろしていたヴァッシュが、ひらと手を上げ、そしてお言葉に甘えて彼女の前から立ち去った。
数日後、ルイーダの言っていた旅道具にほんの少しだけ期待を抱きながら、ヴァッシュが彼女に出立の報告をしに向かった。
そこで待っていたのが、リヴィオとウルフウッドであった。
「……これは、売っても二束三文にもならない旅道具だなぁ」
思わずこぼれたヴァッシュの言葉に、ウルフウッドがそんなヴァッシュの頭をすぱんと叩く。
「いってー! 何すんのさー!」
「何すんのはこっちの台詞や! 誰が二束三文にもならんやと!」
「お前らだ、お前ら!」
「おどれかて同じようなもんやろがー!」
「残念でしたー! 僕は元・600億ダブドルだぞ、どうだ参ったか!」
「参るか!」
「ハイハイ、そこまで」
ウルフウッドとヴァッシュのやりとりを見かねて、ルイーダが手を叩く。そんな二人の間で口を歪めてぼんやりしていたリヴィオが、そのルイーダの声で目を開けた。
「俺に、この二人と同行しろと……」
「その通りよ。二人きりにしたら、どこに消えるかわかったものではないからね。今回はあくまでも調査なんだから、しっかり戻ってもらわなくちゃ」
「せやなー、こいつ、すぐどっか行きよるもんなー」
「うっさいなー! 僕にだっていろいろあるんだよ!」
ルイーダの言葉に対して、へらりと笑ってヴァッシュを指さすウルフウッドの額を、ルイーダが小突いた。
「あだっ!」
「貴方もよ」
「ちぇ……」
悪ガキ二人を手玉に取っているルイーダを見つめ、自分の場合は、とてもではないがこうも上手くはいかないだろうと顔を青くするリヴィオ。そんな彼に、ルイーダは目を細めて見せた。
「大丈夫よ。孤児院でも子供の相手をしているのでしょう?」
「いやぁ、ははは……こんな大きな子供は専門外ですよ」
頭を掻きながら言うリヴィオに、ヴァッシュとウルフウッドは「誰が子供だー!」と喚いていたが、ルイーダが振り返ると同時に、ぴたっと静まった。やはり、彼女のように上手くいかないだろうことは目に見えていた。
そんな事情から同行することになった三人だったが、最初に感じていた不安よりも、こうなった今では楽しみの方が大きい。そんなリヴィオである。
「ヴァッシュさん、地図を」
「ほいほい」
空腹故に始まった喧嘩は、その空腹が故に今は落ち着き、ヴァッシュは口にドーナッツを運びながら、荷物の中から地図を広げる。
先導するリヴィオは地図を片手で受け取り、その図面に目を走らせると、はたと足を止めた。
「あれ……?」
「どったの?」
「いや、その」
振り返ったリヴィオを不思議そうに見つめるヴァッシュの手には、確かにドーナッツという菓子がある。
「……どうしたんすか、そのお菓子……」
「非常食」
「は?」
「非常食だよ。ねぇ、ウルフウッド?」
「おう、せやで」
は? と首を傾けるばかりのリヴィオを見て、ウルフウッドとヴァッシュは顔を見合わせ、そしてぷっと吹き出した。
「もしかして、リヴィオも食べたかった? ごめんねー、あまりにも腹が減ってたらしくて、珍しくウルフウッドの奴が食べちゃってさ」
「え?」
「いや、リヴィオには必要あらへんやろ。なんせこいつ御馳走になってんからなぁ」
「いや、そういう問題ではなく」
きょろきょろと挙動不審になるリヴィオに、ウルフウッドとヴァッシュは神妙な顔をして首を傾げた。
「ああ、ほーか。そういうことか。トンガリには必需品やで、ドーナッツ」
「非常食だからね」
「そういう問題やない。驚いとるんや、コイツ。そんなもんいつの間に用意しとったんや、と。な、リヴィオ」
すれ違っているのに妙に息の合う二人に挟まれ、リヴィオは首を振ったり頷いたり、そればかりを一生懸命に繰り返している。
そんな彼の様子をサングラス越しに見つめ、ウルフウッドはニヤリと笑った。
「まぁ、キャリアの差やな」
「なんのだよ」
「いや、人間台風と同行する旅の」
「言うほど、キミもご一緒してませんけどね……」
てきぱきと会話を済ませ、そしてリヴィオの手の地図をヴァッシュが引き抜く。そのまま彼の数歩先で振り返り、二人は笑った。
「ほな、行くで、リヴィオ」
「そうだよ。またドーナッツ補充しないとね」
反射的に返した返事は、つい威勢が良いものになった。
しかし、ヴァッシュの希望の通りにドーナッツの補充ができたのは、その次の日の夜であった。
一晩は野営を行い、その後また何キロメートルも歩いた三人は、首都の生活で身体が鈍っていたことに苦悶した。
「規則正しい食生活って、なんてすばらしいんや……」
「そうだよねぇ……キミは特に、入院もあったしねぇ……ああ、頼めばデザートまで出てくる生活ってなんて素晴らしいの……お茶の時間はまだなの……コーヒー、誰かコーヒー淹れて……」
そんな二人のぼやきを背中で受けながら、自分はそれほど贅沢をしていなかったことに気付き、リヴィオは苦笑いした。
それと同時にわずかな憤りさえ感じたが、この際それは置いておく。
町に到着すると、早速宿の手配を済ませた。その後、酒場でテーブルに三人で腰を下ろし、頼んだ夕食が届くのを待っている。
そんな時だった、ウルフウッドがぽつりと呟いた。
「なぁ、突然の襲撃とかはないんか。大丈夫なんか、人間台風様」
疲労と空腹からテーブルに伏せっていたウルフウッドの不穏な言葉に、ヴァッシュがぎょっと顔を上げる。釣られて、リヴィオが口元を歪めた。
「まさか! 流石にもう大丈夫でしょ……」
「ヴァッシュさんは、もう賞金首ではないですよね?」
「ところがどっこい、や……」
ギクンと肩を怒らせたヴァッシュ。人差し指を立てて低い声で言ったウルフウッドに、リヴィオはつい訳がわからないというような顔をした。
「どういうことなんです?」
「こいつ、呼ぶんやで。騒動を」
「ソ、ソウドウ……?」
ぶんぶんと首を振るヴァッシュ。まるで、何かを払うかのようなそのコミカルな動きに、リヴィオは思わず口角を下げた。
「何やってんですか、ヴァッシュさ……」
その途端、店の裏方で爆音がした。
ざっと立ち上がるヴァッシュ。そして、それに釣られて立ち上がるウルフウッド。取り残されたリヴィオが、二人を交互に見やる。
「……え、マジです?」
「今の音なんだろう!」
「アカン!」
真剣な表情で音のする先を見るヴァッシュと、何よりも先に制止の声を上げるウルフウッド。
「ちょっと待ってくださいよ」
流れに割り込もうとしているわけではない。単純に、ただ説明を受けたいだけのリヴィオが声を上げたが、ヴァッシュには既に聞こえていないようだった。
「いや、ちょっと見てくるだけだよ」
「せやから、それがアカンて」
ウルフウッドが腕を伸ばすが、それよりもなお速く、ヴァッシュはひらりと店を飛び出した。
「せめて晩飯食ってからにしいやー!」
空腹を訴え続ける腹を押さえながらも、パニッシャーを抱えたウルフウッドがヴァッシュを追う。
事の次第にまったく追い付けていないリヴィオは、膝に乗せていたマントと帽子を持ち上げて、二人が店を飛び出して行ったのを見送ることしかできなかった。
「あ、あのう……」
そんなリヴィオに、店員の女の子が皿を差し出す。
「おつまみの盛り合わせとパスタ3人前、お持ちしましたぁ……」
リヴィオはあんぐりと口を開けたまま彼女を振り返ると、暫し苦悶してからパチンと指を鳴らす。
「あ、あの、つ……包んでもらっていいですか……」
女の子は「はぁい」と一声残して、持ってきたばかりの食事を引き上げて行った。
すでに影も形も見えない二人が、どこぞかでドンパチを始めた音を遠くに聞きながら、リヴィオは呟いた。
「それ、騒動を呼んでるんじゃなくて、首突っ込んでるの間違いでは……」
ついでに言えば、悪化させてるのでは……と、そんなリヴィオの言葉は、何ともごもっともなものだった。
町の保安官からボロボロなヴァッシュと無傷を決め込んでいるウルフウッドを引き渡され、三人で宿に戻る。
その後、店の女の子が包んでくれた食事を囲んで、ようやく念願の夕食となった。
「あいてて……口の中切ったみたい……トマトソースが染みるなぁ……」
「アホ」
「アホとはなんだ。俺たちが行ったから自殺は止められたんだぞ? 良かったじゃないか」
「自殺? 結局なんの騒ぎだったんすか?」
「いや、それがさ、無理心中って言うの? 男の子がダイナマイトを身体に巻いててね? それを売った武器商人がまた性質の悪い相手でさぁ……本人の爆発は防いだけど、ギャラリーに絡まれちゃって」
むぐむぐとパスタを咀嚼しながら言うヴァッシュの隣で、心底疲れたというような顔をしたウルフウッドがぼそりと言った。
「結局、ぜーんぶまとめて、コレや」
拳をぱっと開いて示したウルフウッドに、リヴィオは「うーん」と声を上げる。
「自殺者が思い留まったっていうか、留まらされたっていうか……なら、良かったんじゃないっすかね……」
「その代償にこのアホが怪我さらした上に、十人くらい縛り上げることになったんやけどな」
「じゃあ、お前は彼を見殺しにしろって? もっと巻き込まれる人が出てたかもしれないんだぞ?」
「んなこと言うてへんやろ。良かったやないか……」
けほけほと咽るウルフウッドが、流石に煙草を手放した。
「疲れたけどなぁ……」
指先の煙草を見つめて渋そうな顔をするウルフウッドに、リヴィオはそっと眉を寄せる。
「ニコ……ウルフウッドさん、大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫やないのはトンガリの方やで。何故かその爆弾くんの彼女に殴られとったし」
「どうにかしてー! ってね、うーん、切ない……男の拳より軽いはずなのに、女性に殴られると胸が苦しいのは何故だろう……」
ヴァッシュはさすさすと左の頬を撫でながら、ついでに口の端についたソースを拭っていた。そんなヴァッシュを横目に、ウルフウッドがニィと口角を上げる。
「アホなこと言うてんと……もーらい!」
「あー!」
賑やかにパスタの山を取り合い始めた二人を眺めていたリヴィオの手が、ふと止まった。
「おい、リヴィオ! ぼーっとしてると、この手癖の悪いエセ牧師に取られちまうぞ!」
「エセ牧師とはなんや、エセとは!」
「リヴィオ……?」
ぽーっとしているリヴィオの顔を、ヴァッシュが覗き込む。彼のそんな仕草に、リヴィオははっと我に返り、そして、ふにゃあと人の良い顔で笑った。
「あ、その、俺、なんかお腹一杯になっちゃって」
「何言ってんだ。たくさん食っておかないと、明日もたないぞ?」
「大丈夫っスよ」
鼻先を指で掻いて立ち上がったリヴィオが、「部屋に戻ります」と言った。そんなリヴィオの背中を、ヴァッシュとウルフウッドは不思議そうに見送った。
リヴィオが部屋のドアを閉めた途端に、背後からはまたヴァッシュの「あー! テメェー!」という声が聞こえる。大方、ウルフウッドがパスタをひったくったのだろう。
喧騒に背を向け、一人になったリヴィオは、つい頬を上げて微笑んだ。
「元気だなぁ、二人とも」
ドンパチをかましたばかりだと言うのに、二人は何事もなかったかのような顔でパスタを取り合っている。
砂漠を渡って、星と月に見下ろされて眠り、食事にありつき、そしてその手で戦っている。
「……楽しい」
ルイーダに話を振られ、二人の姿を見た当初は不安で一杯だったが、こうして実際に歩いてみると、楽しくて仕方がない。こんな時間がずっと続けばいいと、そんな風に思ってしまう。
その傍らで、ウルフウッドの具合がどこか悪そうに思えて、身体のことを案じている自分がいる。楽しいからこそ、その不安が拭いきれない。
「ヴァッシュさんも、わかってるに違いないよな」
だから、こうしてリヴィオが退散すれば、すぐにウルフウッドを休ませるだろう。
そして、楽しい時間を過ごしている最中には気付かないものであるが、そっと我に返った時、疲労は漏れ出す。それは、体力おばけのリヴィオも例外ではない。両肩はずしりと重かった。
脳内麻薬万歳。そんな言葉が頭を過った。リヴィオは自室に戻った瞬間、大きく腕を伸ばす。
「……しかし、疲れた」
体力は確かに消耗している。今日くらいは、一人でゆっくり休もう。
翌日、寝坊したリヴィオがマントを小脇に抱えて宿を出ると、そこには既にヴァッシュとウルフウッドの姿があった。
「す、すみませんでした……!」
「いいよいいよ、気にすんなよー」
ヴァッシュがひらひらと手を振る。その向こうで、ウルフウッドは宿先に止めてある二輪をじっと眺めていた。
「マイカーは家に置いてきただろ。行くぞ、ウルフウッド」
訝しげに声を掛けるヴァッシュを振り返り、ウルフウッドは唇に煙草を銜えた。火を点けながら「へいへい」と答える。
そんな彼がなかなか面倒そうに立ち上がるものだから、リヴィオは、つい手を貸そうかとさえ考えてしまった。
「ウルフウッドさん、疲れ、取れませんでしたか……」
「ああ?」
そんなリヴィオの問い掛けに、ウルフウッドは首を振る。
「いや、よう寝たで。朝飯も食うたし、元気や」
安堵からそっと笑ったリヴィオに対して、ウルフウッドはニィと笑い、彼の背中を叩く。
「おどれかて、昨日あれしか食ってないやんか。腹減ってないんか? 朝飯は?」
「あ、サンドウィッチを頂いて、かきこんできました」
「結構や」
パニッシャーのベルトを肩に背負ってスタスタと歩くウルフウッドの背中に、リヴィオはほっと息を吐いた。
首都の連中だって、ウルフウッドの掛かり付けの医師だって、身体に不調があるまま表になど出させないだろう。それはわかっていても、どうしても拭えないものがある。
ちらりとリヴィオを振り返ったヴァッシュが眉根を寄せて笑ったのも、そんな理由からだと思う。
「ここから、そう遠くないんだろ?」
「せやな。町の門の保安官に聞いたで。数日前にでっかい音がしたて。調査を調査を首都に依頼したら、もう向かってるって返事があったともな。そら、ワイらのことやろ」
「だね」
ウルフウッドがただ二輪を眺めていただけでなく、既に情報収集を行っていた。そのことに驚いたリヴィオが目をぱちくりさせていると、ヴァッシュはニッと笑って言った。
「こいつ、情報集めが早いんだよな。僕がトレーニングしてる間に出てっちゃうんだもん」
「トレーニング……?」
リヴィオが首を傾げると、ヴァッシュはぽりぽりと頭を掻いた。
「ああ、そう。俺さ、未だに毎朝トレーニングしてて……ていうか、習慣で。やらないと落ち着かなくて……」
「ああ、あれまだやってたんかい……」
そんなウルフウッドの言葉に、ヴァッシュはぶーと口を尖らせる。
「仕方ないだろー、何年もやってるとやめらんないの!」
「何十年の間違いやろ。あれか、ジジイの散歩みたいなもんか」
ふかーと煙草の煙を吐いたウルフウッドの頭を、ついにヴァッシュがひっぱたいたが、今日は喧嘩にまでは発展しなかった。
数日似たような光景を見せられていると、最初こそオロオロしていたものだが、段々と微笑ましくもなってくる。
「何笑ってんねん」
「そーだぞー?」
「いや……すいません」
リヴィオは二人に指摘されて口許を拭うと、へへっと笑った。
「仲、いいなと思って」
二人はつんと口を尖らせるばかりで、否定はしなかった。
「では、行きますか」
そんな二人の合間を摺りぬけ、リヴィオが先陣を切る。振り返らなくても、ついて来てくれるのはわかっていた。
帽子とマントの隙間で、リヴィオは口角が上がるのを堪えることができなかった。
大きな音がした、という現場までは2時間程度の道のりであった。そこにはルイーダの言伝通り、飛行船が砂に斜めに突き刺さっていた。
未確認飛行物の正体は、古いロケットだった。恐らく、小型船に区分されるだろう。小型とは言え、それなりの質量があるのは間違いがなく、墜落が近隣の町に影響を与えなかったのは幸いだったのかもしれない。
「随分古いタイプだね……俺も直接は見た事がないや……」
「そうですね……中に人は、いや、生き物は乗ってるんでしょうか……」
ヴァッシュは古く錆びた翼を見上げる。太陽光の反射で鈍く光っていた。
一方で、周囲を動き回り観察を進めているウルフウッドが声を上げる。
「アカンでこれ。出入り口のスイッチはやられとるし、外壁にはカビまで生えとるわ。こら、中を調べるにはぶっ壊さないかんようやで」
サングラスを上げて目を凝らしながら言うウルフウッドが、ゆっくりと顔を上げてロケットの全体を見上げる。
「……トンガリ、これ何に見え……」
「えー?」
ウルフウッドの問い掛けに、やけに間延びした返事をするヴァッシュ。
「てぇ、おどれ何勝手に開けようとしとんのや……」
違和感を覚え、ヴァッシュのいる方を覗き込んだウルフウッドが問い掛ける。
ロケットの入り口にガチガチとナイフの切っ先を当てていたヴァッシュが、ぐるりと振り返った。
「だって、生き残ってる人がいるかもしれないし! 船は古くてもコールドスリープならさ! 生きてるかも!」
「あんなぁ、おどれも今随分古いって言ったやんか。んな冷蔵庫開け……やめとき。事情話してその手のプロに来てもらうのがええて……おどれかて、バイオロブスターなん見たないやろ……」
「それ、どこの世界線の話……?」
ウルフウッドがあまりにげっそりとした顔をするものだから、ヴァッシュはナイフを片付けることにした。
「確かに」
コンコンと装甲を叩き、そして溜め息を吐く。
「これは、漂流してたものが、偶然重力に絡まって落ちてきたと考えるのが妥当なのかな……」
わずかに肩を落としたヴァッシュの背中を、ウルフウッドがばんと叩く。
「いったー! 何すんだよ!」
「だから、これ読めて、さっきから言ってんねん」
「あのなぁ、読めって……俺は古代学者でも何でもないんだぞ……っと。えーっと……そ、の?」
消えかかっている外壁の文字に、目を凝らす。ヴァッシュが目をぱちくりさせている間に、ウルフウッドが呟いた。
「future is now……」
「お前ね……」
「ニコ兄、読めてるじゃないっすか……」
ヴァッシュが、じとりととウルフウッドのことを睨んだ。
一方で、それまでぽーっとロケットを眺めていたリヴィオが、帽子を押さえながら笑う。
「その未来は今、ですか」
「……さて」
ヴァッシュは、そんな消えかかった文字を、左手でパンと叩く。彼の義手と相まって、軽くも大きな音が鳴った。
「どの未来だったんだろうねぇ」
ウルフウッドが、背後で煙草に火を点ける。
「今ってからには、今やろ」
「今、俺達がこいつを見上げてる状況?」
口に出してみると不思議なものだ。ロケットではなく、自分たちを主体にしたにすぎないヴァッシュの言葉が、リヴィオの中でじわりと解ける。
「……あ」
と、先程までヴァッシュがナイフを突き立てていたロケットの入り口が、がこんと音を立てて落ちてきた。3人の間に緊張が走った。
「あ、開いてしまったぁぁぁぁ……」
おどれが、あんたが、というウルフウッドとリヴィオの言葉が被った。二人は顔を見合わせて一息置くと、改めて言った。
「おどれが開けたんやろが!」
「あんたが開けたんでしょうが!」
二人の言葉による襲撃を受けて、ヴァッシュは「ひぇーん」と情けない声を上げる。
そんなヴァッシュの態度から、先行する気のないことを悟ったリヴィオが咳払いをすると、隣のウルフウッドが冷たく言い放った。
「トンガリ、行ってこいや」
「え、あ、うん」
とりあえずの返事をしたヴァッシュが、暫くしてポンと手を叩いた。
「行こう、リヴィオ。一人は嫌だ。バイオロブスターがいるかもしれない……そんなエイリアンを相手に、一人で戦うのは非常にまずい」
どこの世界線の話だという重ね重ねのツッコミはさておき、ヴァッシュはそそくさとリヴィオのマントをひっぱり、中に入っていった。
「せこい……」
置いてけぼりをくらったウルフウッドも、結局ロケットの中に足を踏み入れた。二人も三人もエイリアンの前では変わらないだろうが。
しかし、緊張感たっぷりで乗りこんで行ったにも関わらず、内部があまりにもがらんどうだったために、三人は拍子抜けする破目となった。
「……無人機だったんだ」
安心したようなヴァッシュの声に、リヴィオとウルフウッドは頷く。人の気配がないのを察知し、三人でそれぞれ内部を捜索したが、人の姿はおろか、生き物の存在さえ確認できなかった。
「やっぱり、捨て置かれた無人機が、偶然重力に捕まったってのが有力やろな」
「じゃあ、町に戻ったら、そのことをルイーダに報告して……」
ウルフウッドとヴァッシュが、ちらりと視線を交わした。
「今回は、お開きかな。問題はなさそうだし、あとは管轄の人間がこいつを研究サンプルとして持ち帰るだけだろうし?」
ヴァッシュの声のトーンが、ほんのわずかに上がったのをリヴィオは聞き逃さなかった。
そんな彼がはっと顔を上げると、ウルフウッドが独特の煙草の持ち方で口許を覆っている。
「戻ったら、また穏やかな日々の始まりやなぁ……定期的に健診受けるのも、面倒になってきたとこやねん」
突然、何を言い始めるのだろう。
リヴィオの頭に、ルイーダの言葉が過る。彼女は確か、こんなことを言っていたはずだ。「どこに消えるか、わかったものではない」と。
「キミね、それは受けておいて欲しいところなんだけどなぁ、僕としては。ま、僕の方も、暇そうだからって雑務ばっかり押し付けられるのも飽きてきたところでさぁ……」
リヴィオは、心なしか呼吸が苦しくなったような気がした。酸素が薄まったなんてことはない。今このロケットは、呼吸ができる星に墜落していて、尚且つ入口はブチ壊れている。酸素の濃度は一定のはずだ。
これは精神的なもののせいだ。
嫌な予感に口を結んでいたリヴィオの耳に、ウルフウッドの朗らかな声が入ってくる。
「なんや、ワイら、珍しく意見が合ったな」
「ですなぁ」
パンと手を叩き合ったヴァッシュとウルフウッドが、ニィと笑ってロケットから飛び出した。そして、さかさかと砂を速足で歩いて行くのを、リヴィオが慌てて追い掛ける。
「と、突然何の話っすか!」
「えーっと」
二人が、リヴィオをくるりと振り返った。そして言った。
「逃げます」
「ほな、よろしく」
そして、そのまま離れて行く。
なんて楽しそうな声だろう。なんて楽しそうな背中だろう。この旅の中で、こんな二人は初めて見たかもしれない。
そんなことを考えていると、リヴィオの中の別の誰かが言った。おい、いいのかよ? と、間違いなく彼は言ったのだ。
「ちょ、ま……っ! ふ、二人とも……!」
リヴィオは、その声に背中を押されるまま、思わず声を上げた。
「おっ、俺も……っ! うわぁ!」
あまりに慌てていたものだから、リヴィオはロケットの入り口から砂に足を下ろすなり、すってんころりんとバランスを崩した。
突如として上がったリヴィオの悲鳴に、ヴァッシュとウルフウッドは振り返る。
リヴィオは急いで立ち上がり、そして、足を止めた二人に走り寄った。
「俺も、連れて行ってくださぁい!」
あまりにも必死で、あまりにも慌てていたから、またもずしゃりと転んでしまった。そんなリヴィオの必死さに、ヴァッシュとウルフウッドは顔を見合わせ、そして、ぷっと吹き出した。
笑われていることに照れてしまって顔を上げられないリヴィオの目の前に、二つの手が差し出される。
今、自分はどれだけ呆けていることだろう。そうは思いながらも、ゆっくりと上がっていく視線を止めようとは思わなかった。
見上げれば、そこには困ったような笑顔が二つ、リヴィオに向けられていた。
「おら、行くで。泣き虫リヴィオ」
「おいてっちゃうよ~?」
得られなかったもの。それが、目の前に差し出されている。選択に悩む余地はない。
リヴィオは、いつか思い描いていた道に手を伸ばしたのだった。