“クーパー=ロールウェイバー”



「今から十年くらい前にね、この国には空賊がいたんだって」
 少年の声に耳を傾けながら、赤毛の男は自分の愛機の下に潜り込んでいた。そっと手を伸ばせば、少年がニッパーを差し出してくる。それを手元も碌に見ずに受け取ると、ようやく気の抜けたような声で返事をした。
「ふうん」
「空賊って言ったって、悪いやつじゃないよ。ギゾクってやつなんだ。おとうが言ってた」
「義賊」
ちらりと顔を覗かせた男の鼻を、少年はタオルでぐいぐいと拭う。
「その親方は、赤い髪で赤い飛行艇に乗った、すっごく目立つ奴だったんだってさ」
「それも、おとう情報か」
「そ。だから……」
少年は男の声に僅かに俯いて、そして口を尖らせて言った。
「あんたが、そんな赤い髪してるのがいけないんだ!」
「それはそれは……」
赤毛の男、クーは困ったと言わんばかりに溜め息を吐いて、そして橙色の愛機の装甲をパンと叩く。古いフォルムの飛行艇は、クーの平手に、かたかたと音を鳴らした。
「そんな義賊様と間違われるなんて、俺ってなんて不幸なんでしょ……」
 これ見よがしにそう呟けば、少年はバツが悪そうに「だから、ごめんって言ったじゃん!」と声を上げた。
 クーは先刻、街中でこの少年に追い掛け回され、碌に買い物もできない内に旅の相棒の元に戻ってくる破目になったのだった。
「俺だって、もう元気に追いかけっこできる歳じゃないんだからさ……人違いでも勘弁してもらいたいよなぁ……」
「おっさんくさい……」
「だって、おっさんだもん」
 おっさんと称するには些か童顔な顔立ちを見せるために前髪を掻き分け、クーは飛行艇の操縦席に詰め込んでいる荷物を覗き込んだ。
「缶詰はもういいか……水と燃料は買っておきたい所だけど。あー、はいはい……アイテルの燃料もね。わかってるよ。ここ暫く海ッ原が続いてたもんなぁ……」
「兄ちゃん、何と話してるの……?」
いつまでもハッチに顔を突っ込んでいるクーにならって、少年が背伸びをする。そんな少年を見下ろして、クーはそっと笑った。
「船と話してるんだよ」
「船……?」
「そ、飛行艇には妖精が付きものだろ?」
 クーがハッチの中に腕を突っ込み、そして取り出したのは、大きな硝石だった。
「……これって、もしかして晶霊炉(しょうれいろ)……? まるで宝石みたいだ……初めて見たよ」
「小型船で晶霊炉が載せてるのは、俺くらいのもんだと思うよ」
 クーが取り出したのは、機械に精霊を留める炉。即ち、晶霊炉と呼ばれる機材の一部であった。
 この世界で大きな機械を動かすには、実体を持たない精霊の力を僅かながら借りる必要がある。しかし、前述したように大半の精霊は実体を持たないため、石英をよりどころとして、ある場所に留めておく必要があった。そのために利用するのがこの晶霊炉である。
「こんな貴重な物、放置しておいていいの……?」
 少年の危惧はもっともであった。晶霊炉は本来、大型船やオアシスと呼ばれる空中都市に利用されるものである。そのような用途から、一般人にはとても手の届かないような価値を持つ代物であった。
「盗まれちゃっても文句言えないよ……?」
「まぁ、キーは掛けてあるし」
クーは晶霊炉を元の位置に戻しながら、ハッチを閉める。そして呟いた。
「それに、俺以外の言う事は聞かないからねぇ」
「どういう意味?」
「妖精さんは気まぐれってこと、かな」
クーの言葉に首をぐるんと傾げた少年に、クーはけらけらと笑った。
「まぁ、俺以外に操縦できないよ。こんな古い船、って話。ええと、君なんて言ったっけ? ちょっと燃料を買うの手伝ってくんないかな」
「オレ? いいけど……オレは、ジンだよ。ジン=ジャックフル」
「そう、ジン。俺はクーパー=ロールウェイバー。しがない飛行艇乗りの道楽者デス」
「そういう自己紹介をする奴にしがない奴はいないって、じっちゃんが言ってた……」
「それもそうね……」
クーは、妙な知識ばかりの少年に、がっくりと肩を落とした。どうやら、この少年にファンタジーの常套句は尽く通用しないらしい。
「ああ、でもその空賊の話は信用してるわけだ。俺を街中で追い掛け回してくれたジンくんとしては」
「うるさいなぁ……」
 話を蒸し返すクーに、ジンはついにちっと舌を打ち、そしてぼそぼそと口の中で何かを呟いていた。内容は上手く聞き取れなかったが、クーは気にも留めず、ジンの肩を叩く。
「まぁ、その罪滅ぼしにでも、この俺を燃料屋まで案内した上で、荷物を運ぶ手伝いをしてくれたまえよ、ジンくん!」
「うーん、何故かムカつく……」
どさくさに紛れて呟かれた暴言は、聞かなかったことにした。
クーはジンの案内によって、迷うことなく街の燃料屋に訪れることができた。そもそもそんなに広い街ではないようで、人伝に歩けばいつかは辿り着けたであろうが、そもそもクーが少年を重宝したのは、燃料を購入した後であった。
「お……重い」
鈍い声を上げながら燃料を抱えているジンに、クーが「軟弱だなー」と零した。
「ご家庭に燃料運んだりしないのか?」
「うっ……そういうのは、じっちゃんがボケ防止に……」
「なるほど、ジンくんは蝶よ花よタイプなわけだ」
「誰が蝶よ花よだ……! オレだって将来は……将来はな……!」
飛行艇を着陸させた丘のふもとまで来て、荷物を下ろし、暫しの休憩を取る。深呼吸を繰り返し、ようやく荷物を持つ前までの威勢に戻ったジンが言った。
「将来は、義賊になるんだ……!」
「……それで、さっきの話に戻るわけだ」
 クーは燃料を入れたタンクの上に座り、そして、汗で貼りついているジンの前髪を払った。
「義賊って言ったって、今は空賊は公に取り締まりの対象だ。昔と違って、空域保安官なんてものも発足されてるんだぜ? そんなご時世で空賊になろうなんて、ご家族が悲しむと思うけどなぁ……」
「空域保安官なんて、数が少なくて信用できるか! あんなもの出来たばっかりじゃないか!」
「出来たばっかりでも、体制としてはしっかりしたもんさ。何せ、新政府様がお作りになった組織だからね」
 どこか皮肉めいたクーの言い方に、ジンはむっと口を尖らせた。
「このパドルに、政府なんて役に立つもんかよ」
 クーたちが暮らす世界、エクゾビテント・パドルは、地、海、空に分かれて人々が過ごしていた。
比較的富裕の地位を持つ者は、空に浮いた都市オアシスに住み、残りの人民は限られた地上で水面の上昇に怯えながら過ごすか、もしくは生活の拠点を海に移し、漂流しながら過ごすかに限られている。
 空域保安官を作った新政府の拠点は、オアシスにある。つまりは、大義名分に何を掲げようとも、彼らが優先するのは富裕民であり、彼らもまた富裕民の一部でしかないということだ。
「それでも、賊なんかよりは宛てになると思うけどな」
クーが零した言葉もまた真理であった。
何分、空域保安官は発足からまだ日が浅く、人員も満足とは言えない。危惧されるのも仕方のない現状である。しかし、クーには空域保安官を宛てにしたい理由があった。
「……それに、捕まえて欲しい輩もいるし……」
 できるなら、早急に。
 そんな気持ちに駆られて、クーは重い腰を上げると、自分の持っていた分の燃料をまた持ち上げて、丘の上へと向かった。
「ジン、急ごう。俺は君以外にも追われてる身なんだ。見つかったら敵わないんだから……」
「ちょ、待ってよ。もう少しだけ休憩……」
 ジンの声は、速足のクーには届いていないようだった。
「ねぇ、クーさん! もうちょっと待ってってば!」
「しょうがないなぁ……置いていってくれて構わないよ。俺が二周するから……」
クーはいつまでも泣き言を言っているジンを振り返り、できればやりたくなかった手間を提案した。
「そんな無責任な……」
「こっちのセリフだよ、それは!」
 クーの声に、ジンはむっと口を尖らせた。そして、持っていた燃料のタンクを地面に下ろす。
「もう少し待ってくれたっていいじゃん!」
「我儘に付き合ってる暇はないからな。言っただろ、俺は君以外からも追いかけ回されてるんだって」
「……アンタ、悪者なの?」
「失礼だな、悪者に追いまわされてるんだよ!」
「そうだよな……だって、なんだか騙しやすそうだもん」
口を尖らせて憤怒の顔をしていたジンの表情が、ニヤニヤとしたものに変わったのを見て、クーはじりりと眉を寄せた。
「お陰様で、って言うのが当たってるのかな……」
 手元の燃料を地面に下ろし、肩をすくめる。そして、腰のベルトにそっと右手を伸ばした。
「子供と思って、晶霊炉なんてのを見せた奴が悪いんだぜ」
「勘違いしてるかもしれないけど、俺は誰にでも晶霊炉は見せるさ。言っただろ? キーは掛けてあるし、あいつは市販化されているような精霊じゃないんだ。奪われたって使いようがない」
「売る事はできるさ!」
ジンは小さなショックガンを構えた。拳銃よりも発砲者の負荷が少なく、慣れれば子供でも扱える小型の武器だ。
そんな物騒な物を構えたジンに、クーはやれやれと首を振った。
「……俺って、なんて不幸なんでしょ……」
こんな僻地で、子供に脅されるなんて……と肩を落としているとショックガンの軌道がクーの胸に向けられた。
「ショックガンって言ったって、心臓に当たれば暫くはおねんねだぜ!」
「そりゃあいい。痛くないなら何よりなんだけど……」
「余裕ぶっこきやがって……!」
 バチンと電気の弾けるような音がした。その瞬間、クーの身体は崩れ落ちる。何の抵抗もせずにショックガンの餌食となったクーに、ジンは豆鉄砲を食らったような顔をした。
「……な、なんだこいつ、避けもしないでやんの……」
 挙動不審にクーの懐を探り、そして飛行艇の鍵を奪うと、さっさと丘を駆け上がって行った。
 そんなジンの姿を頭だけで追いながら、クーはうむむと唸り声を上げる。
「……そんな元気があるなら、燃料を持って行ってくれりゃあ良かったのに……」
呟いた言葉はかすれてこそいたが、確かに口から発せられていた。
 ジンはそんなことも気付かずに意気揚々とクーの飛行艇のハッチを開けた。碌に計器の確認もせずに晶霊炉の収められている金具を外し、そして持ち上げる。先程と変わらぬ美しい石英の姿を間近で眺め、そしてハッチから飛び降りた。
「船ごと奪っても良かったけど、こんなボロ船、ギゾク様には似合わないからな」
 胸に抱えた晶霊炉を持って、崖を下ろうとすれば、のそのそと丘を上がってきたクーと鉢合わせになった。
 今まで見せたどんな表情よりつまらなそうな顔をしたクーに、ジンは一時たじろぐ。
「な、なんだよ……! もう一回食らわせてやる……!」
胸に晶霊炉を抱いたまま、片手でショックガンを構えたジンに、クーはもう一度首を振る。
「何度眠らせてくれたって構わないんだけど、俺もそんなに暇じゃないんだ。お遊びに付き合うのはここまでだし、その石英なら持っていってくれても構わないし」
「石英……? 晶霊炉だろ? 俺はこいつを売って、儲けた金で船を買うんだ!」
「それで、義賊になろうっての? それもいいけど、義賊としてはどう、かなぁ……」
「うるさい!」
 あまりに子供らしい発想だ。目的のために手段を選ばないのは、誉められたものではないが。
「晶霊炉って、なんで晶霊炉って呼ぶか知ってる……?」
 ショックガンで撃たれた気怠さが残っているのかぼんやりと低い声で続けるクーに、ジンは首を傾げる。けれど、標準は逸らさない。
「精霊が宿ってるからだろ? 何言ってんだ……」
「じゃあ、精霊が宿ってなかったら?」
「それはただの石英……って、まさか!」
ジンはようやく事の次第に気付いたようだ。慌てて手元の炉を地面に投げつけ、クーを睨む。
「お前、騙したな! 別に晶霊炉を持ってやがるのか!」
「そういう言葉遣いは感心しないなぁ……」
クーはふるふると首を振って、両手を上げた。表情は、未だどこかひやりとしたものを孕んでいる。あるいは、気怠さのために気合が今一つ入らないのかもしれない。
「見えない奴が悪い」
両手を上げたクーが降参をしたのだと勘違いしたジンが、じりじりとクーに近付いていく。けれど標準は決して逸らさない。
「どこだ、どこに隠してる!」
「隠してない」
「嘘だ! だって、あそこに精霊はいないって言ったじゃないか!」
「……本当に見えないんだな。お前、賊には向いてないよ」
 最後に言われた一言に、ジンは顔を上げる。そこで、ようやく気付いた。
 精霊など、あの石英の中にはいなかったのだ。
何故なら、ジンが見上げた男の肩に乗り、長くどろりと尾を巻き付けて涼しい顔をしていたのだから。
「……赤い鳥?」
「やっと見えたんだ」
 相も変わらない口調を目の前にして、ジンは呆ける。
「本当の晶霊炉は、俺のコレ」
クーは左の胸を叩き、目を閉じた。
「折角落ち付いていたのに、お前のそれのせいで起きちゃったみたいだけど、ね」
 それ、と称されたショックガンを見て、ジンがぶるりと震えた。慌てて後退し、そして改めてクーに標準を合わせると躊躇なく引き金を引いた。
 先程と同じように弾けた電気がばちりとクーの胸を打った。
「ぐっ……!」
 僅かに苦悶の表情を浮かべながら、クーは頭を横に振る。はらはらと赤い髪が散った。
「ば、化け物だ!」
ジンが吐き捨てた言葉に、クーは右の頬を拭う。巻き付いた赤い鳥の尾が、きゅっとクーの身体を絞めたように見えた。
「失礼しちゃうよ。ショックガンなんて通さない鎧はいくらでも開発されてるのに……化け物だって? こっちは、痛いもんは痛いのにさ……」
 ずかずかと歩み寄ってくるクーに、ジンはびくりと震え、そしてその圧迫感に思わず腰を地面に付けてしまう。クーは先程自分に放たれたショックガンをむんずと掴み、放り投げた。ガタガタと足元で震えるジンの頭をバチンと叩き、そして足元に転がっている石英を拾って砂を払う。
「物の価値もわからない内は、賊を目指すなんてやめた方がいいよ。あと、子供が賊になるのは、あまりおすすめしない。性質が悪いからね」
 クーは自分が持てる分だけの燃料を持ち上げ、そして空を見上げる。
 彼の肩に乗った鳥が、コロロロロと泣いたのを聞いて、だるそうな表情をぐっと歪めた。
「……とほ、買った分の燃料を無駄にしなきゃならないなんて、俺ってなんて不幸なんでしょ……」
 クーが何を言っているのかはわからなかったが、突然焦り出したクーが丘を駆けあがって行ったのを見送りながら、ジンはたっと街に逃げ帰った。途中で空を見上げれば、赤い軌道を描いた赤い飛行艇が、ひゅっと飛び立って行った。その軌跡はまるでクーに巻付いていた鳥の尾のようであった。
「……なんだったんだ、あいつ……」
そこで振り返る。赤い髪をした、赤い船を駆る、義賊の話を。
「……まさか」
驚愕の出会いを家族に話そうと慌てて丘を下りて、街に入ろうとしたジンを、突然の風圧が襲う。圧の先を見やれば、そこにはこんな至近距離では拝んだことのないような大型戦艦が待機していた。本来であれば着水の上で入港するであろうその戦艦が、空中で浮遊待機している。
そんな光景にジンが目を丸くしていると、マントを羽負った少女が垂らした縄をするりと降りてきてジンに声を掛けた。
「アンタ、そこのアンタ!」
「え……っ?」
「赤い髪をしたボンクラの飛行艇乗りを見なかった?」
「それなら……今、飛び立って……」
「ああもう! また逃げやがったのね! オーケー、窮丁、下ろして! 補給を始めるわよ!」
 そんな少女の掛け声を受けて、野っぱらに容赦なく着陸した戦艦の起こした風圧に、街の建物が、森が、丘が、軋む。起こした風がはためかせた船の帆に描かれたしゃれこうべの絵に、ジンは確信した。
「あ、あんたたちって、もしかして……」
 しかし、少女はジンの声になど耳を貸さず、でかい声で船に向かって叫ぶ。
「野郎共! 空保が嗅ぎ付けてくるまでに休憩を済ませなさい! 犬共は補給に集中、以上!」
「はーい、おかしら代理ー!」
「よし、返事も良好!」
整った返事を聴き付け、そのおかしら代理と呼ばれた少女がマントを翻す。
「あ、あの……あんたたちは海賊……?」
「見ての通り」
ぺしりと叩き付けられた返答に、ジンが目を白黒させていると、少女はさっさと街へと向かって歩いて行ってしまった。どやどやとそれに続き船を下りてくる強面の男たちを見ながらジンが固まっていると、その末尾に続いた髪の長い女性が腕を伸ばす。
「少年」
「わ!」
ぞろりと、彼女の腕から蒼い蛇が巻き付いて絡み付く。先程の赤い鳥を思い出し、ジンが震えて動けずいると女性はふっと笑った。
「成程、少年はアイテールと……クーパーと接触したのだな」
 女性に絡み付く白蛇が、ぼやりと姿を歪ませたかと思うと、女性は男たちの後に付いて歩き去ろうとしていた。
咄嗟に、ジンは声を上げる。
「あ、あの人は、一体なんなんだ!」
ゆっくりと振り返った女性が、無表情で言った。
「私の孫だ」
 ジンの驚きは、ついにぐうの音も出さなかった。