とかく、喧しい。
やれ、あれを描けだの、やれ、これを描けだのとさんざ喚き散らしていく男は、また自身の娯楽小説の原稿を置いて、忙しそうに飛び出していった。
「おい、学者先生」
「そうとも、その学者先生は今、至極忙しいんだ! 学会に出す論文が仕上がってないんだからね。困ったもんだよねぇ」
さてはこの男、趣味でしかない娯楽小説の執筆を優先したのだ。
「だから、ご褒美に彼らに相応しい挿絵を用意してくれたまえよ!」
「ちょっと待て。何故オレがお前のご褒美を用意しなければならないんだ。冗談じゃないぞ」
「僕だって冗談のつもりはないとも!」
「お前のそれは、性質が悪い」
「おや、キミは僕が良い性質の方のニンゲンだと思っていたのかい? それは光栄だなぁ!」
ドアの向こうで走るふりをしながら、男は笑う。だから自分は答えてやるのだ。
「オレは、人類に性善説を信じているつもりだがね、あんたに至っては性悪説が正しいと常々思う。この人でなしめ」
「未知の奇怪生物をまるで見てきたかのように描くキミも、中々に人でなしだと思うけどね」
「口の減らない男だ」
「物書きだからね!」
はははと声を上げながらついに本当に走り出した学者を見送り、卓上に置かれた原稿を手に取った。
溜め息を吐く。自分は本来、娯楽小説に挿し絵を描くような絵描きではないのだ。あの男とて、物書きとはほど遠い分野の学者だと思われる。
本当の所、素性は知らない。知りたくもない。
「人でなしめ。今度はどんな世界を書いてきたんだか」
見たこともない奇怪な生物を描かせているのは、あの男の小説他ならない。あの男さえいなければ、異世界の生物の姿形など脳裏にさえ浮かばないというのに。
けれど、彼は触れてしまった。共に人でなしと言われても仕方ない。しかし腑に落ちない。そもそも、まるで見たことのあるように奇怪生物を描くのは、あの学者の責任である。
幸い、彼は講義を済ませたばかりだし、大学に提出する書類もサインをしたためたばかりである。手が空いていると言えば空いている。そこに、質の良い、まるで悪魔の契約書のような娯楽小説があるのだから、読まない理由はないのだ。
「しかして、オレはまた術中にはまるわけだ……」
扉を開いてしまえば、男が口八丁手八丁で作った奇怪な世界を目の当たりにしてしまうことになる。
小説というのは、読み手が存在することでようやっと完成するのだ。
完成の手助けの代償に、彼は男の小説にささやかな挿絵を添えることとなる。
仕方がないのだ、この禍々しくも奇怪な世界を覗いてしまった以上、それを自身の頭の中に残しておくには気が狂う。
——オレは絵描きでも何でもなく、しがない歴史学者なのだ。
そう何度伝えても、「キミが見たものを知りたい。みなそう思っているとも」と鉛筆を握らせてくる。絵を描くことなど趣味のひとつでさえなかったというのに。
「キミは僕の本を読んだらば、密かに街の壁にらくがきの限りを尽くしてしまいそうになるはずだ。しかし、それはまるで悪ガキのようではないかい? ならば、僕はそのらくがきを活用してあげよう」
らくがきなどと言ってくれるが、しかし、男の言うことに間違いなどなく、彼自身、彼の絵はらくがきの範疇と思っている。決して美術作品などにはならない。男の娯楽小説と同じだ。
「僕の本の挿絵を描きたまえよ」
目を爛々と光らせて言った男の言葉通りに、彼は男の物語に挿絵を添える役割を担ってしまった。
男の言うことは本当だ。男の小説を読んでしまうと、頭の中がぎちぎちに苦しくなってしまう。それを吐き出すために、街にらくがきを繰り出すのは時間の問題だったろう。
悪魔のような物書きだ。そうとわかっていながら、新作と聞いては読まずにいられない。
そうして、自分はまだ悪魔の囁きにまんまと乗ってしまうのだった。