Lollipop DeadEND - 11



-Pythagoras-

事務所のあるマンションに戻ると、駐車場はすっかり元の状態に戻っていた。二つ目の事務所も、割れた窓ガラスの修復は済んでいるらしい。
大和の目の前でコーヒーを飲んでいるミツキが、修理の請求書を何枚か寄越した。それを受け取り、大和はヒビの入った眼鏡を上げて顔を顰める。
「うーん……従業員一人分が高くついたなぁ」
「大和さんが受け入れるって決めたんだからな」
「連れてきたのはお前さんだろーが……」
そう言えば、三月はわははと笑ってカップを置いた。
「最終的な決定権は所長にあんだろ?」
「そうなんだけどさ……」
履歴書をテーブルの上に置いて、ソファに腰掛けているナギを見る。その向かいのソファにどっかりと腰を下ろし、大和は静かに息を吐いた。
「……本当に良いんだな?」
「ええ。構いませんよ」
大和が三月を見やる。三月は、一度かっくりと頷くだけだった。
「じゃあ、六弥ナギさん、採用です。最初は雑用からだぞ」
「オフコース! 何でもやります」
テーブルの上に座っていたクマのハルキを抱き直して、ナギがにっこりと笑う。
大和はと言えば、ナギの履歴書を持ち上げて溜息を吐いた。
「ミツ、新人ご希望の猫探しはあるか?」
三月は、黙ったままテーブルの上に依頼概要を並べた。
猫の写真が付いている依頼書が二枚と、それからもう一枚は三月の手元にあるままだ。
「猫探しは二件くらい。あとは……ボディーガードの話も来てる。なんか、オレが立ち回ってたのが噂になったらしいぜ? 大和さんが入院してる間も頼まれた」
 ピースサインを作って見せる三月に、間髪入れずに大和が睨みを利かせる。三月がびくりと肩を震わせた。
「……お前さんは、暫く暴れるの禁止」
「わかってるよ……」
流石に、先日の暴走については反省しているらしい。
そんな三月の手元を、ナギがずいっと覗き込んだ。
「美女のボディーガードなら大歓迎ですよ」
「残念、輸入会社の社長さん」
それまで顰めっ面をしていた大和も、それを聞いて三月の手から依頼概要を抜き取った。
「ああ、この人か……、それなら俺が行くよ。知り合いだし」
「バカ言え。あんた、病み上がりだろ?」
三月は慌てて大和の方に身を乗り出した。大和が、依頼概要に向けていた顔を上げる。じぃと二人の視線が交わった。
暫し間を置いてからおもむろに逸らされたそれを見て、ナギがOh……と声を上げる。
「……病室の録画を消すのは、大変困難なミッションだったと狗丸氏が言っていました。ここなをクレーンでキャッチする方が余程楽だったと……」
「おい、蒸し返すなよ……」
「あー……狗丸に謝っておかねぇと……」
ぐしゃあっと顔を覆う三月。大和の方はと言えば、ソファから立ち上がると、ふらふらデスクに歩み寄る。そこに放置されていた煙草の箱から一本引き抜いた。
「お兄さん、煙草吸ってくる」
「なんで? そこで吸えばいいじゃん」
「うるせぇな、外の空気に当たりたい気分なんだよ」
そう言った大和を一瞥して、ナギはテーブルの上から一枚、依頼概要を持ち上げた。
「ワタシは早速、猫ちゃん探しに取りかかりますので、センパイ方はどうぞゆっくりお過ごしください」
「お、お前……追っ手に追われる心配なくなったからって悠長なこと言ってぇ」
「ノープロブレム、ミツキ。それよりも、ミツキはあのおしゃぶりをしている所長を慰めて差し上げてください。大丈夫です。ワタシにはほら、この通り」
ナギが三月に見せたスマートフォンの画面には、環からのチャットが映っていた。「ナギっち、ゲーセンいこー!」と書いてあるそれを見て、三月が静かに肩を落とす。
「お前、遊びに行くんじゃん……」
「猫ちゃんも探しますよ?」
タマキにも手伝って頂きましょーう! と手を叩くナギが、軽い足取りで事務所を出て行く。
ついでに、煙草のフィルターをおしゃぶりよろしく銜えたまま、呆然としている大和にウインクを一つ。
「それでは、ごゆっくり」
「あー、ナギ……晩飯までには帰ってこいよ」
「了解しました、所長殿!」
敬礼の真似事をしてドアを閉めたナギを見送って、三月と大和はつい顔を見合わせた。

ナギは、「お膳立て」した事務所の部屋の中のことを早々に頭の隅に追いやり、軽い足取りのままエレベーターへと飛び乗る。
どうやら、環がバイクで迎えに来てくれるらしい。友人と外に遊びに行くなんて、ナギにとっては初めてのことかもしれない。
ナギは、胸に抱いているハルキの頭をさわさわと撫でる。
ハルキも生きているかもしれない、いつか会えるかもしれない。なんて不明瞭で不安定なifだろう。
けれど、それをナギに教えてくれた大和には感謝している。そんな大和に対する、ほんのささやかなお礼のお膳立て。そのくらいはできたのではないだろうか。
「〈……ハルキ、私にも友人ができたよ〉」
――少しだけ、そう少しだけ素行は悪いけれど。
そんなことを思うと、口元が緩む。
エレベーターからぴょんと飛び出して、ナギは意気揚々と外の世界に踏み出したのだった。