セミダブルに潜め事
2部頃のお話ですので、少しぴりつきます。
「申し訳ありません! 本っ当に申し訳ありません!」
行動力凄まじく、優秀・敏腕とは言え、あの頃はまだ、高校を出たばかりの女の子だった。疲れも溜まれば、冷静な頭では間違えようのないこともきっと間違うことだろう。
それが、ステージに関わることでなくて本当に良かった。免許を取ったばかりだから、事故などでもなく、ただただ良かったと大和は頷いていた。
「まぁまぁ、ツインとダブルって間違いやすいもんな」
「そ、それどころじゃないんです……ダブルどころかセミダブルだなんて、どうしたら間違うのか……本当に、申し訳ありません……!」
もう少し若い頃、その区別っていまいち付いてなかったなぁ、なんて思うし、その話を聞いていた環はまさに首を九十度ほど傾けていた。
それでも、何度かツアーの宿泊を手配してくれている紡が取り違えるくらいだから……彼女がとことん疲れていたか、施設がミスをしていたかのどちらかだろう。
「その上、空いていたはずの部屋の空調が壊れていて手配もしてもらえないだなんて……完全に私のミスです……」
もしかしたら、後者かもしれない。その気持ちが強くなる。
「空調壊れてた件って、元々聞いてたりした?」
「いえ……部屋の件を把握して、変更を掛け合ってみた時にそう言われてしまって……」
「あ~……そういうことか」
頭を下げっぱなしの小鳥遊紡に、大和はぽりりと頭を掻いた。
「いいよ、マネージャー。普段、一人部屋が良いってワガママ通してもらってるし。一晩くらいなら、ソファでだって寝られるんだしさ」
「そ、そんなわけにはいきません!」
「それなら……」
のそりと紡に一歩歩み寄る。そうっと耳に唇を寄せて、呟いた。
「マネージャーの部屋におじゃましても良い?」
「そっ」
「冗談だよ、じょうだ」
それは、と言い掛けた紡からさっと身を引いた瞬間、大和の頭にバチーンと平手が飛んだ。ただでさえ速かった平手に対して、紡から身を引くことで自ら平手に向かっていくような姿勢になってしまった大和は、そのまま膝を折って蹲る。
「いってぇぇぇぇ……」
「このおっさん、今良からぬこと言っただろ! 大丈夫か、マネージャー!」
大和に平手を飛ばしたのは三月だった。
部屋のことを案じて、様子を見に来たところだったのだろう。そんな時にマネージャーに言い寄っているかのように見える大和がいれば、そりゃあ平手を飛ばす。飛ばすに違いない……本当に飛ばすか……?
「お、お……っ、こんの……チビ……」
くわんくわんと揺れる頭を抑えながら大和は目尻を拭う。流石に涙が滲んだ。
「は、はい! 私は大丈夫ですが、大和さん……! 大和さん、大丈夫ですか!」
「おう、大丈夫大丈夫! このおっさんは俺が成敗しておくからさ!」
蹲っているのにシャツの首根っこを掴まれ、三月に無理矢理引き上げられる。
大和がそんな三月を振り払いながら怒鳴りつけようとすると、キッとつり上がった三月の目と目が合った。
「せ、成敗って……そんな悪いことしてねぇって」
思わず、たじろぐ。たじろぎながらも、やっとのことでそう捻り出せば、三月は「本当か~?」とすかさず紡に視線を向けた。
「どうなんだ、マネージャー」
「え、ええっと……」
「言いにくいこと言ってんじゃねーか!」
もう一度平手をお見舞いしようと構えた三月に、大和は身構え、紡はなんとか両者を遮る。
「マネージャー、部屋割り変更になったって聞いて……え?」
そんな瞬間に出会した陸が、「マネージャーの取り合いしてる」と絶句したのを見て、三月と大和、そして紡は「違う違う違う!」と身振り手振りで必死に伝えたのだった。
陸を混乱させた責任を感じたのもあり、大和は素直に紡が取り間違えたという部屋を選択することにした。自分の頭に平手をお見舞いした三月を巻き添えにして——
「なんでオレまで!」
メンバーで食事を済ませて部屋に戻った三月は、それでもまだ受け入れられないような態度を取っている。
しかし、その態度もまた揶揄い甲斐がないと言えば嘘になり……大和はわりかし、この状況を楽しんでいた。
「リクは落ち着いて休めるように一人部屋って決まってたし、ソウとタマは仕事の関係で一緒。それ以外だと、お前が一番コンパクトだからだよ」
「こ、コンパクトだぁ……? ぶっ飛ばす……」
紡から聞いていた通り、部屋にはダブルよりも小さいセミダブルのベッドがひとつ。それに、あとはデスクと椅子と……よくあるビジネスホテルの様相だった。
「ソファでも良いかと思ったけど、無い部屋だったか……」
「ホントだ……どうする?」
「どうするったって……」
他の部屋は幸いツインがきちんと確保されていたが、逆に言えば、どこも三人入れるような部屋ではなかった。腐ってもセミダブルであれば、ギリギリなんとか二人入るだろう。
(相手が女の子だったら十分の幅だし……)
ちろりと見た三月の上背は、およそ一六五センチ。横幅も然程……男と比較すれば柔らかい分、女性の方が三月よりも幅を取ることもあるだろう。そんな下世話なことを考えながら「品定め」のようなことをしていると、ベッドを眺めていた三月が振り返った。
「やっぱりオレ、一織とナギの部屋行こうか……?」
「ああ、兄弟だし、一緒でも良いってイチが言ってたっけ……でも、向こうシングルだろ?」
「それはそうなんだけど……家族だしさ、まだマシかなって」
「……ミツは?」
「え?」
「ミツは、イチと寝たい?」
そう問えば、三月は口を尖らせ、次第に……なんとも言えない表情を作った。
「その言い方、なんか嫌なんだけど……」
「ははは、イチはまんざらでもなさそうだったじゃん。そんなに兄弟同士くっついて寝たいもんかな~と思ってさ。お兄さん、一人っ子だから、仲睦まじい兄弟がどこまでベタベタするのかとか見当付かないけど」
「あんたのために言ってんだろ。それなのに、変な言い方して……さっきだってそうだよ。結局、マネージャーに何言ったんだよ……困ってたじゃん」
「別に。責任取って、マネージャーの部屋で面倒見てくんない? って言っただけ」
「な、なんてこと言ってんだよ!」
「冗談だよ、冗談」
ラビチャで吹っ掛けるような、ほんの冗談だった。大和だって、そのくらい弁えている。
弁えてはいるが、俯いて瞳を揺らしてしまった三月を、ベッドに腰掛けてそっと見上げる。
「あの子があんまりにも頭下げるからさ。気が紛れれば良いと思ったんだけどな」
「……本気にしたらどうすんだよ? セクハラだぞ」
「気を付けるよ。それで……ミツ、どうする? イチとナギの所、行く?」
三月が複雑そうな表情を変えないまま、首を横に振った。
「いいよ、このままで。シャワー先に借りる」
「ああ」
何気なく座ったベッドは、振り返ってみると、思っていたよりずっと狭いような気がした。
三月と入れ替わりでシャワーを浴びて、頭を拭きながらドアを開ける。そこには、ベッドの上でぼんやりとスマホを見ている三月がいた。
髪はドライヤーで乾かしたばかりでふわんふわんと跳ねているし、備え付けのナイトウェアから覗いている素足をぷらぷらとさせている姿は、あまりにあどけなく、幼く見えた。
「大和さん……前閉めろよ……」
顔を上げた三月が、げっと顔を顰める。
ナイトウェアを肩に掛けるだけ掛けてボタンを閉めていない大和は、その襟をはためかせて顔を仰いだ。
「だってまだ拭いてないし」
「ちゃっちゃと拭け、バカ」
「いいじゃん、減るもんでもないし」
「これだから一人部屋に慣れてる奴はよぉ……」
その内、三月は大和から目を逸らすようにベッドに横たわった。スマホを持ったまま背中を向けてしまった三月に、大和は少し肩を落とす。
「ミツ、歯ぁ磨いた?」
「磨いたよ。大和さん、夜なんかすることある? オレ寝るけど、電気点けたままでも大丈夫だから気にすんなよ」
「ああ、ホン読みくらい、かな……けど、今日やらなくても大丈夫」
「そう? 売れっ子俳優は地方イベントの合間も大変だなぁ」
「まだ売れっ子って程でもねぇよ」
「いや、オファーだって何件も来てるじゃん。それも結構大御所の監……」
「どうでもいいだろ、そんなこと」
三月と話しながら、ぼんやりと銜えていた歯ブラシをがちりと噛む。そうして漏れ出た言葉を受けて、彼がどんな顔をしたか、怖くて振り返れない自分に驚いた。
「監督が誰とかは、さ……いいだろ。別に。今はどんな仕事でも受けておきたいしさ」
苦し紛れにそう言った。
演技、できてるだろうか。シャワーを浴びたばかりの背中が、しんと冷えた気がした。
「……そうだな。すごい人の目に止まるってことは、大和さんがそれだけ頑張ってるってことだし、魅力的だってことだし。すげぇじゃん、大和さん!」
耳に届く三月の声色に安堵して、ようやく振り返る。三月が笑っていて、更に安心した。
「ミツが、そうやってすげぇじゃんって言ってくれると、さ」
もご、と口の中で泡立つ歯磨き粉を頬の奥へ押しやる。
「頑張ろうって気に、なるよ、もっと」
これは、本心かな。本心だと良いな——自分でもそう祈っていた。自身の心の、得体のしれない部分から出てきた言葉に、押しやったはずの歯磨き粉が逆流しそうになった。早足で洗面台にそれを吐き出し、顔を上げて口を拭う。
(……本心の、はずなのに)
まるで、ペテン師だ。
ミスした彼女の気を逸らそうとした軽口を指先で遊ぶような、似たような気分だった。
口をゆすいで、ウェアのボタンを掛け忘れていることも気に止めず、「それ」と同じ気分で気まぐれにベッドに乗り上がる。ぎしりとスプリングが鳴った。それを聞いて三月が振り返る。
「やま」
ベッドに横になっていた三月が振り返り、体を起こす前に、絡め取るようにして抱き込んだ。履いていたスリッパは脱ぎ捨てた。
鎖骨の端に三月の呼吸が当たって、それで前を閉めていないことを思い出す。
「あ、え……っ?」
「……男二人だと案外狭いなー、セミダブルって」
三月の耳元で、声色だけは明るくそう囁いた。
「ミツが乗ってるの見てたら、結構でっかく見えたのに」
「だ、誰がちいせぇって……!」
「お前、思ったよりサイズあったな。だから、こうしないとベッド狭いよなぁって」
ぎゅうと抱き締めると、三月が大和の胸元を叩いた。暴力的なそれではなく、ギブアップを訴える時のような、ささやかな抵抗だった。
「も、もう少し、離れたって……! つーか、ボタン留めろ! 肌、肌当たってっから……!」
「忘れてたー。ミツ留めて」
「バカ! だから言ったろ……もう、ちょっと離れろよ!」
ボタンを留められそうな、その程度の空間だけを緩めて空けると、三月は「まったく」と文句を溢しながら、大和のナイトウェアのボタンを留め始めてくれた。
ぷつん、ぷつんと閉められていくそれを感じながら、大和は掛けたままだった眼鏡の弦を握る。
「……外す?」
「なにが」
「眼鏡……」
「部屋暗くして欲しいナ~、見られると恥ずかしいから」
「だっから、そういうのやめろって……」
「うるせぇよ、案外好きなクセに」
「おっさんがやるのがキモいんだよ」
「ひっど……」
ぶつくさと言いながら、三月はベッドのヘッドボードにある照明パネルをぱちぱちと触る。その内、部屋の明かりが全て消えるボタンを発見して、「これだ」と小さく溢した。
「電気消すから布団入れよ」
「ミツ、掛けて」
「じゃあ手ぇ離せ……」
三月が照明のボタンを触っている間も何となく彼の腰に回していた手を、渋々外す。外しきれなくて、三月のナイトウェアを握った。
「掛けにくいだろ」
そう文句を言われて、ごそごそと脚を布団に潜らせる。
「戻ってきてよ」
「何言ってんだ……」
「みなまで言わせるか? お兄さんの腕の中、空いてますよ」
「ベッド狭くて、そこしかねぇんだろうが」
「ははっ! そうとも言う」
照明を改めて全部消した三月が、嫌々と言ったような動きで大和のすぐそば、胸の辺りに潜り込んできた。それを確認して、少しむず痒い気持ちを覚える。覚えながらも、慎重に眼鏡を外した。ヘッドボードの小物置きに眼鏡を置いて、それから小さく息を吐く。
暗闇の中、壁の向こうからは水を流している音が聞こえた。シャワーを浴びたりしているのかもしれない。
「……隣、タマたちの部屋だっけ」
「ん……?」
「……今からシャワー浴びてんの、ソウかな」
「……あ、ほんとだ……聞こえる」
こんなに聞こえるのに、目敏く耳敏い三月が気付かないなんて、そんなこともあるんだと思った。
うっすら目を開く。夜目は利かない。腕の中の三月はしっとりとしていて——それはシャワーを浴びたからという理由ではなさそうだった。そっと髪を梳く。こんなことするつもりじゃ、なかったのに。
「……ご、ごめん、オレ……汗かきだから……」
熱したフライパンを濡れた布巾に下ろした時の、あのジュッという音が、大和の頭を過る。
「ベタベタになったら、ごめん……」
小さくそう謝る三月の体を抱き直しながら、大和はそっと口角を上げた。緊張——そいつのせいで、普段怖いくらいの三月の瞳も目敏さも、シャワーの音が聞こえないのと同じように鈍ってくれたら良いのに。
「大丈夫、大丈夫」
自分の「素顔」を見られるより、ずっとずっと良い。ベタベタになるくらい、怖くはない。
その翌朝、体ごとベッドの外に蹴り出されていた。
うっすら明るくなっている天井を見上げながら、大和は寝ぼけた頭で「もっとがちがちに抱き締めておけば良かった」と呟いたものだった。
「あったなぁ、そんなこと」
三月がパーソナリティをしている期間限定のラジオのブースで、彼はそんな風に笑って言った。
「しかも、あの頃さ、大和さんって一人部屋選びがちで……相部屋ってのがまず珍しかったじゃん?」
「そうだな。今は気にしなくなったけど……」
「まぁ、な」
三月が、ラジオでは言えない打ち明け話を振り返ったのか、視線を泳がせる。ブースの中を一周して戻ってきた三月の瞳が、穏やかに微笑んで大和を見た。
同じベッドで寝る羽目になったことだって、そう詳しくは話さなかった。あくまで上澄みだけの話、その中で、大和が蹴り出されたことをオチに語っただけに過ぎない。
あの日の、あの頃の大和の複雑さを、三月が察しているかどうかも、今はわからない。
同じ部屋、同じベッドで寝ることで何を誤魔化したかも話題にはならないけれど、それでも少しだけ歯噛みする。苦くもある。
「今は、大和さん、メンバーのこと大大大好きだから、最近は一人の方が寂しいだろ?」
けけけとでも笑い出しそうな悪戯っぽい言い方で話題の方向転換をした三月が、そう投げ掛けてくる。大和は少しだけ顔を顰めて「まぁ、そうか。そうかも……」と曖昧に答えた。
「ミツが人のこと蹴り出すこともなくなったから、二人で寝てても痛い思いしなくて済むしな」
「え?」
「えっ、て、ほら、お前さん……寝相がさ。昔ほど酷くなくなったろ? あれで何回青アザできたことか……」
「や、やまとさん……」
しっ、しっ、と口の前に人差し指を立てるジェスチャーを見せられる。何がしーっなのか、と思いながら大和は「しー?」と呟いた。
三月の顔が、次第に赤く染まっていく。
眼鏡を外すことに気を取られるばかりで、夜目が利かないことに安心していたあの頃は振り返りもしなかったが、もしかしたら暗闇の中で幾度となく、三月はこんな風に真っ赤になっていたのかもしれない——それだったら、もったいないことをしたなぁ……大和はそんなことを考えながらにんまりと笑った。
はくはくと、声には出さずに三月の口の輪郭が言った。
(な・ま・ほ・う・そ・う)
——生放送。これ、生放送。
知ってるよと、頬杖をついて首を傾ける。口角は上げたままだった。目元もきっと意地悪く緩んでいると思う。
目敏い三月のことは今でも少し怖い。怖いが、それと同時に、その目で、瞳で、俺を見つけてよとも、思う。俺の真意を見つけてよ、とも。
(ああ、自分の口で伝えないとならないんだっけ)
あの頃、セミダブルのベッドの上、掛け布団の中、大和の腕の中に三月は何を見ていたんだろう。見られたくなかったそんなものより、今は余程……見せつけたいものがある。
今の大和は、それを素直に見せつけてしまったりもするんだ。それを三月自身が知らないわけもなく……だから、大和は陰り無い表情で言った。
「蹴り出されても、ミツと一緒なら大歓迎だけどね。今のお兄さんは」
暫くの間、話題にでも騒ぎにでも、なんでもなればいいじゃん。たかが、時々二人で寝ることくらい。
そう、こんなことはベッドに潜めたものに比べれば、「たかが」でしかないのだから。