-six locations-
大和が承諾しようがしなかろうが、ナギは二階堂事務所に世話になることになった。ナギが早々に解放されたのも、一織が融通を利かせ、「ナギには既に身元引受人がいる」ことを理由にしたからであった。
「ったく、余計な金が掛かっちまったなぁ……イチもイチだよ。誰が保護者で身元引受人だっつーの……」
ぼやく大和を余所に、ナギはぼんやりと地下の壁を眺める。事務所の倉庫らしいこの部屋には、数々の輸入品が片付けられていた。
「〈ねぇ、これ正規で仕入れた物? 密輸って悪いことじゃないの?〉」
そんな風に背後で呟くナギに、大和は倉庫の品を一つ一つ眺めつつ、くるくると指を回して円を描いた。
「〈気になさんな。ま、お陰様で警察には睨まれてるけどさ〉」
呑気な男である。そんな呑気な男にナギはふっと息を吐き、そして、改めて大和の背中を見つめた。
「〈……ヤマト、私はここにいてもいいのだろうか?〉」
「〈はぁ? お前さんが仕事を手伝うって言ったんだろ?〉」
「〈……そうではなくて〉」
「え?」
ナギは、振り返った大和の隣にちょこんとしゃがむ。肩には、三月のくったりうさぎが乗っかっていた。
「〈この事務所に居座っていてもいいのか、ということだよ〉」
そう問えば、大和は大袈裟でわざとらしい溜息を吐いた。
「……そんなの、今更だろ?」
「〈私は、貴方から許可を受けていない。ここの責任者は、ヤマト、貴方だろう?〉」
真剣な表情で言うナギに、大和はそれこそ今更だと笑った。
「お前さん、しっかりした喋り方するよな。元は金持ち? 貴族だったりする?」
「ヤマト、話を逸らさないで」
「だから、今更だって言ってるだろ? ミツがお前さんのことを気に入ってるんだ。俺が今更何言おうが関係ないよ。まぁ、仕事はきっちりこなしてもらうけどさ」
ナギの肩にあるくったりうさぎの鼻を指先でつついて、大和が再び品物に視線を落とした。骨董品だろうか、ナギも、大和の手元に視線を落とす。
大和はチェストの上にあるリストをじとりと眺め、その内一枚を抜き出すとナギに見せた。
「こいつに載ってる数の確認と、セーフティの確認頼むわ」
渡されたリストをちろりと一瞥する。どうやら――銃器らしい。ナギはむすっと顔を顰めた。
「ミツキだけですか? ヤマトは、ワタシを気に入っていないのです?」
「……気に入ってなかったら、お前の腰にぶら下がってる猫さんはとっくにゴミ箱行きだよ、ナギ」
「……素直じゃない人ですね」
ナギは大和に差し出されたリストを片手に、渋々とその場を離れようとした。けれど、ふと思い立ち、はたと足を止めた。
「ヤマト」
「今度はなんだよ」
大和はナギを振り返らないままで聞き返してくる。なるほど、都合が良い。ナギは笑った。
「〈好きなら、キスくらいしてあげたらどう? 喜ぶんじゃない?〉」
「は、はぁぁ?」
「ああ、勿論、ワタシにではありませんよ。ヤマトの本命……」
「お、お前なぁ……!」
ばっと振り返った大和の不満そうな顔に、ナギはここぞとばかりににっこり可愛らしく笑って見せた。
「好意を伝えるなら、早ければ早い程良いですからね」
そう、好意は伝えられる内に伝えた方が良い。ナギは少なくともそう思っている。特に、三月や大和のような立場なら、尚更のことだろう。
しかし……
「誰と間違ったんだろうなぁ」
ふぁ……と欠伸をする三月に、トーストを囓っていたナギが唖然とした。その隣では、青筋を立てて顔を覆っている大和がいる。
――間違ってないと言えばそういうことになるし、間違ったと言うには……ああ、ダメだこれは。
ナギは、タマゴサンドを握り潰しそうな大和の手を見て、やれやれと首を横に振る。
覚醒後の三月は、ぼーっとした顔で呟いていた。
どうやら、先の一件で一暴れも二暴れもした三月は、組織の目を付けられてしまっているらしい。昨日、夕方まで猫探し(これは本当の猫探しである)に奔走していた三月が、暴走したまま戻ってきたのはそのせいであった。
猫は見つからないし、途中で組織の人間らしき男たちに追われ、そいつら叩きのめしてきてヘトヘトだと、それだけを言ってマンションの玄関口で崩れ落ちた三月。
大和は、そんな三月をベッドに放っていたが、暫くしてまた三月は暴れ出してしまった。
さっさと別室に隔離されたナギだったが、同じ階に居たので、若干部屋が揺れていたのを思い出す。今度は別の階に逃げよう。そう思った。
その翌日であった。
「大和さん、誰と間違ってキスしたんだろう……」
ナギも既に感じていたことであったが、フラッシュバック後の三月は、非常にぼんやりしている。それはもうぼんやりしてるため、赤裸々な内容も――この通りである。
「〈おめでとう、ヤマト。ミツキにキスできて良かったね〉」
そのぼんやりした三月が焼いたトーストを口に運びながら、ナギは大和に嫌みにも聞こえる言葉を掛けた。
「〈うるせぇ……〉」
ナギの助言を真に受けて、恥ずかしいやら、立場がないやら、複雑なんだろうなとナギは思った。
「なぁ、その流暢な英語やめろよー……オレ、なんか仲間外れみたいじゃん……」
口を尖らせて言った三月に、大和が顔を覆ったまま吐き捨てるように言った。
「〈うるせぇ、ちびっこ。滅茶苦茶に犯してやる……〉」
「あ、オレになんか言ったのはわかる……チビって言った? チビって言ったろ今……?」
ふらーっと瞳を上げる三月を、ようやく顔を覆う手をのけた大和がじとりと睨んだ。そんな大和のしょうもない言葉を聞いていたナギが呟く。「サイアクですね」と。まぁ、本当に最悪だ。
それよりも、だ。ナギは、三月の暴走が悪化しているような気配を感じていた。先程も、三月がふと握った瓶にヒビを入れてしまったところであった。
(力の調整がうまくできていないのか……)
三月は捜査の最中、組織に捕まり、無理矢理投薬をされて改造を受けたと聞いている。
(拒絶反応が起きているのかもしれない……)
暴走しかけている三月を見る度に、急速に終わりへと近付いていく「数値」に気付く。頭の中に浮かんでくる死へのカウントダウン、ナギはそいつについ歯噛みした。
「……ヤマト、ミツキに無茶をしないでください。ただでさえ状態が悪化していると言うのに」
「そうは言っても、見てらんねぇんだよ。フラバしてる時のこいつ……そこら中に体打ち付けるわ、反吐と鼻水でぐしゃぐしゃ、興奮しておっ勃ててさ……ああ、そりゃヤってても同じか……ぐっちゃぐちゃだもんな」
それだったら、気持ち良い方が良くないか?
テーブルに頬杖を突いて言う大和に向かって、ナギは心底不快だという表情を返した。
「……大和さん、ナギになんて話してんだよ……」
そんな遣り取りを見ている間にようやく意識がはっきりしてきたのか、次に顔を覆ってしまったのは三月の方だった。
「やっと目覚めたか? まぁ、話の発端はお前さんだけどな」
「はぁ? なんでオレのせいなんだよ!」
「ミツがお兄さんの純情弄んだから」
「何言ってんだよ、あんたに純情なんてねぇだろうが!」
ワンテンポ置いて、大和がぐすんと泣き真似をした。それを、ナギが横目に見る。瞳だけを動かして、今度は三月をじっと見た。
「……自業自得ではありますが、流石にヤマトが哀れですね」
「え? 何が?」
そんな二人を見ても、三月は不思議そうな顔をするばかりであった。
ナギの予測上、三月が消耗しているのは本当のことだ。それは一織にも伝えてある。
動揺を隠しきれていなかった一織は、苦い表情で至急抑制剤の開発を進めたいと言っていた。それに関しては、似たような力を持っている天も協力的だと話していたが、それでもだ。
地下の射撃場で射撃訓練を行う三月を見て、ナギは目を伏せた。
(刑事には、戻れないんだろうな……)
周囲を巻き込むかどうかはともかく、三月の体そのものが刑事の仕事に耐えられないのだろうことは容易く想像ができた。
頭の中が、ぎゅうっと引き絞られるような感覚になる。
三月が刑事の仕事を続けていたとしたら、ナギが三月に会うことはなかっただろう。浮かび上がったゼロの数字に、ナギはふらりと首を振った。
(ヤマトが雇っていることで生き長らえているミツキの命が、私のせいで……)
「ナギ?」
防音用のヘッドホンを外した三月が、ナギの方を振り返った。
「どうした……? 具合、悪い?」
「いえ、ミツキは熱心だと思いまして……」
「ああ、うん。最近、体動かすこと多いからさ。いつでも、ある程度は撃てるようにしておかないとと思って」
僅かに紅潮している三月の頬を見て、ナギは呟いた。
「……銃を発砲する際、多少なりとも血圧は上昇します。それが三月の能力の誘発に繋がってしまう……ほどほどにした方が」
「……だよな。自分でもわかってるつもり」
「抑制剤は受け取らないのですか? 使っているところを見たことがありません」
「……貰ってはいるよ。ほら」
三月が、スラックスのポケットからトローチを取り出す。
「一人でどうしようもない時とか、たまに口に入れてる。でも、興奮抑制剤だからかな……その後の倦怠感っつーの? それに耐えられなくてさ。これより良い薬を必ず作るって一織は言ってくれてるんだけど……」
なかなかうまくいかないみたいだなぁ……諦めているみたいな調子で言う三月に、ナギは小さく溜息を吐いた。
「ハルキの中から出てきたチップに、三月に役立つ内容があれば良いのですが……」
「そうだな……まぁ、オレが自分でコントロールできれば、それが一番良いんだけど」
きゅる、と三月の瞳孔が広がった。射撃室が僅かに暗いからかもしれない。けれど、その動物的な視線に、ナギは本能的な戦きを感じ、そして――天の瞳のことを彷彿とした――動物における狩りの衝動、それは本能にも近いものだ。コントロールする・しないの話ではない。
「……ミツキ」
ナギは自分の肩に乗せていたうさぎの手で、三月の頭を撫でた。撫でられた三月の方はと言えば、目を細めて「なんだよ~」とにこやかに笑った。
動物的な瞳は、瞼の中に隠れてしまった。