シーラカンスの流転


「君たち、一体何をしたんだい?」
二人は顔を見合わせる。
「レイスとウィストには血の繋がりがあるけれど、マナにも元々その素質があったってこと……? それとも、ウィストの何か……」
「な、何もしてない! 変な勘繰りはよしてくれ……!」
慌てるウィストの部屋で、マナは今、ウィストの膝に腰掛けていた。
勘繰りも何も、クラブが二人の関係を知らずとも、今この状況で大凡のことは理解できてしまうだろう。
今更誤魔化そうにも、マナが降りてくれない。ウィストも、ここまでくればもうこのままでも良いと思っている。所謂、開き直りだった。自棄とも言う。


マナがクラブと共にニーゼに現れたのは、少し前のことだった。
あまりに薄着をしているマナをニーゼの伝統的な服装で包み、ツェルに睨まれながらも塔の自分の部屋に押し込めた。
他の仲間達もマナと話したがっていたが、状況を把握してからと牽制している。理由は本当にそれだけだ。それだけに違いない。
「……キスしたのが駄目だったのかなぁ」
「ま、マナ……」
ウィストの膝に座ったままぽそりと言ったマナに、ウィストはがくっと肩を落とす。
「……へぇ、随分親密になったんだね、君たちは……あの時のアレは、やっぱりそういうことだったんだな」
「クラブ、勘弁してくれないか……」
わかっていても目を瞑って欲しい。人は、親しい友人にだって、はっきりとは見せたくないものの一つや二つあるものだ。
頭を抱えているウィストの後頭部をちょいちょいと撫でながら、マナがクラブの方を見上げた。
クラブはと言えば、ウィストを弄って面白がっているようだった。口元が笑っている。
「除け者にされて、少し寂しかっただけだよ」
「面白がっているように見えるが?」
ウィストが声色を低くしてそう問えば、クラブはついにカラカラと笑ってしまった。やはり面白がっているのかもしれない。
そんなクラブに、マナも困ったように笑って言った。
「でも、クラブ、連れてきてくれてありがとう」
それまでウィストをつついていた表情とは異なり、クラブの方も穏やかに笑って頷く。
「まったく……どうやら、ウィストも相変わらず移動が出来るみたいなのにな。その意気地なしを、いい加減どうにかしたいと思っていたところだったんだ。丁度良かったよ」
意気地なしだなんて、好き勝手に言ってくれる。開き直っているウィストは、マナの肩に頭を乗せながら呻いた。
「軽々しく言うなよ……世界の間を行き来することで、それが歪みに繋がったらどうしようかと僕なりに考えてだな……」
ふて腐れているウィストに向かって、マナがすぐ傍で「えー」と声を上げた。
「ウィストはオレに会いたくなかったの……?」
「あ、会いたかったよ……会いたかったって言ったじゃないか……あの言葉に嘘は無い……」
そう言って沈み込んでしまったウィストの背中をぽんぽんと撫でながら、「オレも」と笑うマナ。
器用なのか不器用なのかわからない二人の遣り取りを一通り眺めてから、クラブはやれやれと頭を振る。
「惚気るなら、僕が出て行ってからにしてくれないか?」
「惚気てない……!」
「それじゃあ、少し時間を潰してから戻ってくるよ。ウィストと同じような状況とは言え、マナの体もまだ不安定だからね。くれぐれも用心して」
そう言って、クラブが部屋を出て行く。
「あ、おい……クラブ!」
「お二人さん、ごゆっくり」
パタンと閉められた自室のドアを睨んで、ウィストが言葉にならない声を上げた。
どうやら、本当に時間を潰しに行ってしまったらしい。音沙汰のなくなったドアを一頻り見つめた後、ウィストは溜息を一つ吐き出す。そして、膝の上で自分の体に貼り付いているマナの背中を、戸惑いがちに撫でた。
「マナも、僕のように姿を失ったのか……?」
「ううん、オレは少し気分が悪くなっただけ。目眩、かな……すごく強い目眩が起きたけど、それ以外は苦しまなかった」
ウィストの背中に触れているマナの腕を取って、その形を確かめる。今は厚手の外套に包まれているから、ふわっとした輪郭しかわからない。それでも、布地の下は確かに人の形をしている。
露わになっている手首をするりと撫でて、ウィストはほっと息を吐いた。
「マナは強いな……」
「そんなことないよ。ウィストとクラブの話を聞いてたから、もしかしてって思っただけ」
クラブが席を外したのを良いことに、ウィストはマナの腰に腕を回して引き寄せる。少しどきどきする。
「……その件だが、どうしてマナに……」
マナが喜んでウィストの膝に乗った時点で、どきどきはしていた。クラブには、「頼むから此処にいてくれ」とも思った。思いはしたが、その一方で、「頼むから席を外してくれ」とも思った。建前と本音の間を、心が行ったり来たりしていた。
そんな葛藤を続けているウィストの顔を覗き込み、マナが上目遣いに言う。
「やっぱり、オレたちがキスしたせいかな……?」
「そんなことで……?」
「そう、だよね……これ以上したら、どうなっちゃうんだろ……」
「これ以上、って……」
――これ以上って、なんのことだろう。
本音と建前の合間を行ったり来たり漂うウィストの心の中に、ぽつんと落とされた「これ以上」。湧いてきた疑問を押しやろうとしても押しやりきれず、ウィストは思わず眉間を指で押さえた。
「マナ、その……今はマナの体も不安定な状況だし、やっぱりお互い、むやみやたらに触れ過ぎるのは良くないと思う」
「でも、オレ……」
もしかしたら、ウィストの体の中の精霊の気と合わさって、何かしらの影響を起こしかねないし……もしかしたら、マナの中の精霊の気と混ざり合って、人の形をまた保てなくなってしまうかも――まずい。溶けそうだ、建前が。
「僕は、シンヨーでマナに触れ過ぎてしまったこと、少しだけ悪かったと……」
「オレは後悔してない!」
しどろもどろになっているウィストに、マナが食い気味に言った。きっぱりそう言われてしまっては、ウィストに立つ瀬はなかった。
「ウィストとだったら、オレは、ダメなことでもしたいって思ったんだ……思ったのに」
クラブに言われた「意気地なし」という言葉が、頭を過ぎる。
「ウィストは、やっぱり……悪いことだったって思う……? しなきゃ良かったって……思う?」
不安そうに顔を上げたマナの瞳が、暖炉の火を反射して燃えている。きっと悲しい思いをさせていると思う。あるいは――あるいは怒りを抱かせているかもしれない。
「……すまない」
ウィストは、静かに謝罪の言葉を口にした。
「そう……そう、だよね。あれは悪いことだったんだ……」
「違う。そうじゃなくて……」
言葉にならない言葉を喉の奥から捻り出し、ウィストはマナの体を強く抱き締めた。
「わっ」
「なんというか……僕は根が我儘なくせに、建前ばかりでみっともないなと思って……だから」
マナの肩に頬を擦り寄せる。ウィストの膝の上に座っていたマナは、ウィストのその言葉に安心したのか、ほっと息を漏らした。
「なんだよ、それ……」
漏れたマナの笑い声に、ウィストも静かに息を吐く。笑ってくれると安心する。
「僕ちゃんなんだから、もっと素直にしがみつけばいいのに」
けれど、笑いながらそう言ったマナに、ついムッと顔を顰めてしまった。
「ぼ、僕ちゃんって……またそれか……」
「そういえば、大人に僕ちゃんだなんてどういう意味なんだろう? ウィストが甘えん坊ってこと?」
「……多分違……いや……」
恐らく、集落の連中はウィストが逃げ回っている様を見てそう言っていたんだろうが、突き詰めれば所詮自分は甘えていただけで……「甘えん坊」と言われると逃げ道が無かったし、振り返れば間違っていないとも思う。
「……間違ってはいない」
そう言ってウィストはマナを抱えたまま、自室のベッドに倒れ込んだ。ウィストの首に腕を巻き付けたままだったマナが、きょとんとウィストの方を見た。
そのまま体を起こして、ウィストの上に跨がるような形になる。
「甘えん坊なの?」
「……悪いかよ」
暫しの間、ベッドの上で見つめ合った。その内、マナがふにゃっと笑って言った。
「……ニーゼの服、あったかいけど、こういう時もどかしいね」
もっとくっつきたいと呟いたマナが、自分の上着を肩から下ろした。
「もどかしい……? 暑くなったかな。暖炉に火がついてるから、此処でなら少しくらい脱いでも……」
そう言い掛けたウィストに体を擦り寄せて、マナがくすくすと声を漏らす。どうして笑われているのかわからなかった。
「ウィストが脱がせてよ」
その上、マナに掛けられた言葉に、ウィストは瞬きを忘れてしまった。
――ウィストが、脱がせてよ?
その言葉を反芻しながら、ベッドに体を預けていたウィストはそっと目を閉じた――いや、待ってくれ。
「ヨイノの家でした時みたいに、脱がせて」
あの時は、ただ夢中で……夢中で、その――ずれた眼鏡のブリッジを上げる。そのせいでまたずれたピントを合わせられない。視界がぼけた。動揺している。
「いや、しかし……その、今マナの体は不安定だからと言われたばかりだろ……?」
「きっと、オレ、あの時のウィストと同じなんだよね……?」
「それはそうかもしれないが……」
マナが痺れを切らしたのか、上からウィストの襟を柔く掴んだ。驚いているウィストの肩口からそれをずり下ろして、そのまま覆い被さるようにウィストの口を塞いだ。
「んむ……」
唇を離して、お互いはっと息を吸う。
見上げたマナの瞳が、ぱちぱちと燃えていた。
「ダメ……?」
橙の灯の色はそんな綺麗な色をしながら、それでも不安そうに揺らいでいる。
乗り上がっているマナのことをそっと押し返し、ウィストは上体を起こした。
「……わかった」
そのまま、乱れてしまったマナの前髪を梳く。
「え……?」
僅かに首を傾げたマナを自分の膝の上から降ろし、ベッドに座らせた。そのまま、ウィストは彼の肩を撫でる。
「わかったから、少し時間をくれないか」
「あ……そ、そうか……オレ、えっと、ごめん! また、ウィストの気持ちも考えずに突っ走って……はしたないこと言って……っ」
俯いてぶんぶんと首を振るマナに、ウィストは思わず苦笑いした。マナの耳飾りをそろっと手で遊んで、耳の縁を撫でる。
「ん……くすぐったい……」
そのまま、身じろぎするマナの頬に触れた。柔らかい。
「違うんだ……ここはシンヨーと違って暖炉が無いと冷えてしまうから、少しでも準備をしないと」
マナが「え」と顔を上げた。ぼんやりと開いていた唇に触れるだけのキスをする。そうして、ようやくマナの頬から手を離した。
「すぐに戻る。待っていて欲しい」
ウィストを見上げているマナの頬が、ぽかと赤く染まった。


ベッドにタオルを敷いて、その上にマナを横たえた。自分のシャツのボタンを開きつつ、マナを見下ろす。
マナのご所望通りに、ウィストの手でマナの帯を外して服を開きながら、その細っこい首筋に口を寄せた。
「ひゃ、ふふっ……」
擽ったそうに身を捩るマナが、ウィストの耳飾りを撫でる。
「ね、くすぐったいよ……ふわふわする……」
ウィストは耳飾りを外して、そっとチェストの上に置いた。
明かりは消してしまったから、部屋の中は暖炉の火で仄かに明るいだけだった。暫し悩んで、眼鏡を顔から抜く。それもチェストに置いて、僅かに顔を顰めた。
「見えにくい?」
「うん……」
そう頷くと、マナがウィストの手を取って、自分の胸元に持っていく。
「ここだよ」
「そのくらいは見えるよ……」
けれど、あえて中心からずらして唇の端にキスをする。啄むように口を尖らせて離すと、マナが自分から口の凹凸を合わせてきた。見えてない? と、そう笑ったマナともう一度唇を合わせる。
その内、誘われたままシャツのボタンを上から順に外して、そこから素肌に触れた。ぴくりとマナの胸が震えたのを指先で感じながら、自分の襟元も更に緩める。
マナのズボンを下着ごと下ろして、そのままベッドの隅にやった。シャツだけを纏っているマナの体を見下ろして、ウィストは自分もシャツを脱ぎ捨てると、掛け布団を手繰り寄せて背中に掛けた。
「寒くはないか……?」
「うん、大丈夫」
抱き合って、肌を擦り寄せる。どちらのものとも知れない心臓の音がとくとくと音を立てていた。少し早い。
「ウィストも……」
耳元で、「脱いで」と囁かれる。ぞくりとする。
マナの手が恐る恐るウィストのズボンを引っ張った。引っ張って脱げる物でもないので、ウィストはすごすごと布団の中でズボンを下ろす。下着も下ろしてしまって、マナの服と同様にベッドの隅に脱ぎ捨てた。
布団の中で互いの脚を絡ませる。
「あったかい」
ぴったりとくっついているマナの頭に顔を寄せて、ウィストはつい吐息を漏らした。良い匂いがする。このまま眠ってしまっても良いくらいに、今は心地が良い。
けれど、今日はそれだけで済みそうになかった。眠るためだけにマナを待たせたわけではないのだから。
マナが、ちうとウィストの肩に吸い付いた。彼が付けたままの耳飾りがくすぐったい。ウィストはそっとマナの耳飾りは外してやると、そのまま隙だらけの耳の縁を噛んだ。舌で輪郭を辿って、付いてしまった唾液をじゅっと吸う。
「ひゃ……っ」
びくびくと身悶えたマナが、ウィストの腰に回していた手に力を込める。柔く芯を持ち始めていたお互いの性器が擦れて、もどかしい。
「どうしよう……」
はふっと吐息を漏らしたマナが、むず痒そうに両の太腿を摺り合わせていた。マナの臍の下を爪の先で撫でながら、ウィストはぼんやりと開いているマナの口に口を合わせた。間もなく舌を忍ばせて、驚いているマナの舌を絡め取る。逃げようとはせず、自分もなんとかウィストに応じようとするマナの熟れた唇をそっと舐めて、ようやく顔を離した。
耳と口と、それから内腿とを丹念に愛撫してやった結果、マナの性器がウィストの腹に当たっている。それと同様に、マナの太腿にもウィストのそれが当たっていた。
「……ちょっと恥ずかしい、かも……」
「すまない。暖炉の灯りがあるから……」
「ううん、布団で見えないから、逆になんか……ウィストに触ってるなって感じちゃって……」
驚いたウィストが僅かに体を起こすと、マナがふるふると首を振った。タオルの上でマナの髪が擦れる音がした。
「で、でも……! 恥ずかしいし、ちょっと暑いけど、嫌じゃないから……!」
唇が少し腫れている。そんなに吸ってしまったろうかと思いながら、ウィストはマナの頬を撫でた。
「汗で冷えるといけないから、タオル持ってきたんだ」
「それで待ってて欲しいって言ったんだ?」
「そう……マナの体に響くといけないからな……」
既に、羞恥でうっすらと汗をかいている。それを枕元のタオルで拭ってやる。余裕がないのに、余裕のあるふりをしている。
体を冷やしてしまうのは、ニーゼでは命取りになりかねないし……と真剣に考えている内、目の前のマナの目がふわっと見開かれた。綺麗な瞳が零れ落ちそうだ。
「考えてくれたの……? オレのこと……」
「か、考えるだろ……もしマナの体に何かあったら、悔やんでも悔やみきれないし……」
そう言えば、マナがウィストの胸に抱き付いて、もぞもぞと体を捩った。当然、ウィストの性器はマナの腿に当たったままなので、あまり動かれると……あまり擦れてしまうと……口を真一文字に結んだウィストに、マナが「へへ」と声を上げた。
「……じゃあ、いっぱい汗かこっか……?」
マナが、布団の中で自分の太腿を持ち上げる。僅かに体を折って、薄く息を吐いた。ただでさえくっついている中、ウィストの勃起している性器を自分の尻の合間に触れさせて、腰を前後させる。
「はっ……」
ごそごそと鳴る布団の衣擦れの中、マナが頬を染めて、こちらからは見えない自分の性器を扱いているという事実。それに呆然としながら、ウィストは慌ててマナの性器に手を当てた。
同じく勃ち上がってしまっているのだから、マナだって早く解放してしまいたいはずだ。
「ウィ、ウィスト……いいよ、オレ、だいじょうぶ……」
「や……その、下手だったらすまない」
「下手……?」
ウィストの言葉に、マナが微笑む。
「おれも……」
持ち上げていた腿を開いて、ウィストの物の先をあてがっている。見えないから、だから余計な想像力が働いて、ウィストは思わず身震いした。一体、マナはウィストの物をどうする気なんだろう。
「ま、マナ……?」
「おしりの間、何度か油薬で解してみてたんだけど……へ、ヘタだったらごめんなさい……」
ヨイノの家で一晩過ごした時は、お互い何となく「男同士でも股間を使うらしい」という知識の元、擦り合わせて終わった。それが、まさかマナの中ではいつの間にか……
「ここに、ウィストの挿れたら……気持ち良くならないかなって……思って……」
そんな風に解釈されているとは思わなかった。
ウィストは自分の頭がかっと熱くなるのを感じて、マナからそっと視線を逸らす。
「だ、だめだ、それ……ッ」
「大丈夫、ゆっくりすれば、入ると思う……」
ウィストの性器の先に、マナの尻穴が吸い付いた。じわじわと受け入れられていく感触を感じながら、ウィストは口を震わせる。
どれだけ丹念に解したんだろう。ウィストのいないヨイノで――マナが、一人で? ウィストの物を受け入れるためだけに?
ウィストは昂ぶる興奮と申し訳なさで、頭がパンクしそうだった。その上、一物の先は既にマナの尻の穴に埋まって擦られているのだから、性的な昂揚で頭がガンと痛む。
「くっ……う……!」
思わずベッドに敷いたタオルに頭を擦り付けた。その間も、ウィストの性器はマナに誘われるまま、彼の内側の肉を掻き分け、開いていく。
「はっ、あ……っ、あっ」
ウィストの物を擦り上げながら短く嬌声を漏らすマナが、ウィストの下でぴくぴくと震えていた。
「ま、マナ……苦しく、ないか……?」
「ん……アッ、だ、だいじょ……ぶ……」
ずっずとマナの中に飲み込まれていく。止めないで欲しい。止めたくない。けれど、理性の一部が、こんなことして大丈夫なのかと問い掛けてくる。
それも――組み敷いているマナの、自分より狭い肩幅を見下ろした。こんな体の中を犯して……?
「ン、は……っ、ウィスト……?」
残された理性で腰を引き剥がそうとすると、マナがウィストの腰に脚を絡めてきた。
「ま、待って……もう少しで」
「し、しかし……っ!」
ぎゅっとマナの脚に引き寄せられ、マナの奥に性器が当たる。ぐちゅっと水っぽい音が体の芯に響いて、もっと掻き混ぜてやりたくなった。はぁと息を漏らしたマナが、燃えて溶けそうな瞳から涙を零した。
「はっ、はっ、奥……、当たって……」
涙を流しているが、辛くはないのだろうか? もし辛い思いをさせていたら……もし負担を掛けていたら、そんな言葉がウィストの頭の中を巡る。そんな言葉ばかりだ。
苦しさからなのか、タオルをぎゅっと握っているマナの手が、血色を失って白くなっていた。それが、ウィストにはどうしても痛々しく見えてしまった。
「マ、マナ、すまない……ごめん、僕は……」
「え……?」
それまで苦悶の表情を浮かべていたマナの表情が一変した。
ウィストが表情を曇らせたのを見上げるなり、マナはぎょっとして、慌てて体を起こす。ずるりとマナの中からウィストの性器が抜けた。
「ウィ、ウィストぉ……?」
顔を覆って俯いてしまったウィストの背中を、マナが呼吸を乱しながら撫でる。
「え、どうしたの……! なんで? 気持ち良くなれそうだったのに……もしかして、ウィストは気持ち良くなかった……?」
不安げにウィストの顔を覗いて、しまいには「ごめんなさい」と溢したマナに、ウィストはぶんぶんと首を振る。
「……き、きもちよかったんだが……ごめん」
「なんで謝るの? ねぇ、どうして、そんな泣きそうな……」
「だって、マナを……傷付けてしまうと、思ったら……」
――こわくて。
消え入りそうな声でそう言ったウィストに、マナは目を丸くした。
「嫌なんだ。君のこと、苦しめたくない……折角、好いてくれているのに、嫌われたくない……僕は……」
続くウィストの言葉に、マナはいよいよ口元から笑みを溢し、そうして、丸まっているウィストをぎゅうっと抱き締めた。
「バカだなぁ、もう……!」
泣いてこそいないが、滅茶苦茶な顔をしているウィストの頭を上げさせて、マナがうりうりと頬を撫でる。マナに抓ったり擦ったりされるまま、ウィストは「だって」と声を上げた。
「だっても何もないよ! 僕ちゃんってこういうことかぁ……」
「こういうことって、どういう……」
一通りウィストの顔で手遊びした後、マナは溜息まじりに笑って言った。
「嫌いになんてならないよ。やっと……やっと見つけた人なんだもん」
ウィストがきょとんとしている内に、マナがウィストの唇を啄んだ。ふにと甘噛みされて「仕返し」と笑われる。
マナに啄まれたばかりの唇を指で撫でた。あったかい。いや、熱い。
「……こんなことして、オレにがっかりしなかった? オレばっかり興奮して、ドキドキしてない……?」
「……どうしてそんなこと聞くんだよ」
「だって、ウィストは優しくて真面目だから。だから、オレに付き合ってくれてるだけなのかなって、ちょっとだけ思って」
小さな声でそう言ったマナの瞳が、ウィストから逸らされた。その瞳をずいと追う。
「……マナが思うほど、僕は真面目じゃないよ」
「なら、ウィストが思うほど、オレも真面目じゃないと思うよ。言ったじゃん。ウィストとなら、ダメなことだって……いけないことだってしたいって……」
お互いの瞳を覗き込みながら、ゆっくり瞬きをする。その内、ウィストはかくんと項垂れた。鎮まっていた股間の物が、またやんわりと熱を持つのを感じた。
「……ねぇ、もう一回してみよっか……?」
「……うん」
真っ赤になって俯きながらも、それでも確かに返事をして頷いたウィストに、マナは少し照れ笑いする。
どちらともなく、そっと互いの体躯を引き寄せた。



「マーレはいいなぁ、海があって」
マナが太陽の下でそう溢すと、水着姿のラジが笑って言った。
「何言ってんだよ。シンヨーだって、素敵な池があるんでしょ?」
「それはそうだけどさぁ……」
ぱちゃぱちゃと海に足を付けて遊んでいるマナの元に、普段よりは薄着のウィストが歩み寄ってきた。そんな二人を見て、ラジが言う。
「まさか、また二人に会えるなんて思わなかった!」
「僕もだよ、ラジ。元気そうで何よりだ」
「えへへ、ウィストの方こそ。ボクもまた別の世界に行けたらなぁ……二人みたいに運命の相手が見つかるかも……まぁ、怖い思いをするのは、流石にもう嫌なんだけど……」
「運命の相手……?」
ラジにそう言われ、ウィストとマナは顔を見合わせる。少しだけ頬を緩めてはにかんだ。
「うん、仲が良さそうで良かった……」
そんな風に溢すラジ。まるで眩しい物でも見たかのように目を細めたラジの瞳が、きらりと光彩を放つ。それほど、マーレの太陽の光は強い。
共にマーレへと来たクラブは、少し離れたテントから三人の様子を見ていた。眩しそうに額に手を当てている。少し微笑んでいるように見えた。
「クラブも元気そうで安心したよ」
そう言ったラジに向かって、海から頭を出したアンズがぶんぶんと手を振って合図を送った。
「どうしたんですか、アンズ様ー!」
ラジが大きな声で叫ぶ。
「ラジー! またあいつだー!」
どうやら、アンズは海に潜って遊んでいる間に何かを見つけたらしい。騒いでいるアンズに向かって訝しげな顔をしていたラジが、何か合点が入ったように飛び上がった。ぱしゃりと海水が跳ねる。
「もしかして、またあの大きい魚を見つけたのかな」
「大きい魚?」
マナとウィストが、首を傾げて尋ねた。
「うん、魚。かなり大きくって……アンズ様でも捕まえられないんだよね」
よいしょと両の足を開いたラジが、軽く準備運動をした。どうやら、アンズの手助けに向かうらしい。
「昔は、ずっと深い所に住んでたらしい魚なんだけどさ。最近、浅瀬にも出てくるようになって……環境の変化なのかな?」
「ラジー! 早くしろ、今日こそぜってー捕まえる!」
「はいはい! あんまりひどいことしないでくださいよー! 噛み付かれたらどうするんですか!」
そう言いつつアンズの方へと泳いで行ったラジの背中を見送りながら、マナはウィストを見上げた。
「ここは、随分温かいよね。暑いくらい……だから、生き物も大きいのかな?」
「どうだろう。ニーゼも暖かくなることは増えたが、それにしても、マーレもシンヨーも穏やかだよな……正直羨ましい。魚も、いくらでも大きくなるかもしれない……ここも植物の育ちが良い気がするし……」
真剣な顔でそういうウィストに、マナはぷっと吹き出す。
「な、なんだよ……」
「ううん、帰って何か試そうとしてるでしょ? 折角、ここには素敵な海があって、ウィストの隣にはオレがいるのになぁ……」
オレも泳いで来ようかなと、マナが服のホックを外した。
ウィストはと言えば、慌ててマナに近付こうと靴を脱ぐ。砂浜の上にその靴を放って、波の間を恐る恐るウィストが歩み寄って来た。
「別に、マナのことを蔑ろにするつもりはない……!」
「わかってるけど……」
するりとマナが脱いだ服を、ウィストはなんとなく受け取った。薄手のシャツ姿になったマナが、ぐっと伸びをした。
「早く帰りたいのかなって思っただけ」
「ニーゼで試したいことがあるのは事実だが……その、マナとも一緒にいたいよ。嘘じゃない」
マナの方を見て真剣に言うウィストから、ふらりと視線を逸らす。寄せては返す波を見つめながら、マナがはにかんだ。
「オレも」
海の水は湖のそれとは違って、重くてべとつく。けれど、果ての見えない景色を見ていると、何故か心が落ち着いて、凪いでくるような気がした。
「シンヨーでできることがまだあるって思うと、ワクワクする。もっとたくさん、いろんなことを知りたい」
――でも、ウィストといるのも大好きなんだ。
そう言ったマナに、ウィストはつい頬を掻いた。
「……マナのことだって、もっと知りたいよ、僕は」
ウィストの言葉に、マナはにかりと笑ってウィストの肩に寄り掛かった。
「いいよ! 教えてあげる! オレもまだまだいっぱい知りたいな。ウィストのこと!」
遠くで、例の魚とラジとアンズが格闘している。二人が飛び掛かると、ばしゃんと大きな水飛沫が立った。その後、「くっそー!」と叫ぶ悔しそうなアンズの声が響いた。どうやら取り逃がしてしまったらしい……悔しがって騒いでいるアンズに、マナとウィストは顔を見合わせて笑う。
「ウィストも泳ご!」
「え? ぼ、僕は海で泳いだことなんて……!」
「いいからいいから、オレが教えてあげる! そんな深い所まで行かなきゃ大丈夫だよ!」
ウィストが持っていた服を、マナが砂浜まで放り投げた。
そんなマナに腕を引かれ、ウィストもぎくしゃくと海水をかく。そんな彼の隣で、マナは幸せそうに笑っていた。


これは、マーレと言う地で、とある吟遊詩人が聞いた話である。

太古の昔より、深い深い海の底に住んでいた魚がいた。
多くの仲間が滅びる中、その魚は生きた化石として何億もの時を殆ど変わらぬ生態のまま過ごしたと言う。
何故、そんなことが可能だったのであろうか。
一説に、その種は他の海洋生物とは異なり、住処を変えることを望まなかったのではないか。進化しないがために、ただそこに在り続けることができたのではないかと言われている。
「では、その魚が自ら変わりたいと願ったら、彼らはもっと早くに滅んでいたのかもしれないね」
吟遊詩人は、残酷にも聞こえる変質の歌を歌おうとしたが、しかし――
「けれど、変わりたいと願えば、報われることだってあるかもしれない」
吟遊詩人は歌を続ける。
「僕は、友人たちからそれを教わった」
燦々と輝く太陽を見上げた。その光を反射して揺蕩う水面、それを進んで行く友人らに目を細める。
「あ、クラブが歌ってる」
友人たちは、吟遊詩人に向かって大きく手を振った。そんな彼らは、海に向かって歌う彼の歌に願うのだろう。
遥か世界の隅まで、どうかこの希望の歌が届くようにと。



【 シーラカンスの流転 終 】