-three sense-
「……ミツーキ?」
目を覚ますと、三月の周りには、ありとあらゆるぬいぐるみが並んでいた。イヌ、ネコ、うさぎ、ひよこ、それに……
「ここな、ちゃん……」
三月が掠れた声で呼ぶと、そのマスコットの群れをひょいと持ち上げたナギの、その端正な顔が心配そうに三月を見ていた。
「ここなのことを、覚えていてくれたのですか?」
「職業柄、固有名詞は一回で覚えるようにしてるんだ……まぁ、もう辞めちまったけど……」
かはっと咳をして、上体を起こす。肌の上から落ちたタオルケットを見下ろして、三月はぼんやりと頭を振った。
「……大和さんは?」
「ポリスが到着したと言って、駐車場に降りて行きました」
三月は自身の頭を押さえて、ごうごうと回っている換気扇を睨む。音が響く。それを察したのか、ナギが換気扇を止めようと立ち上がった。が、三月はそれを制止した。
「回しといて……におい、籠もってるだろ?」
三月が、ナギを見上げて呟く。
「嫌なもん見せちまったな……」
「……あ」
ナギが、困惑の色を浮かべた。
大和の計らいだろう。気絶した三月は下着だけは身に付けていたが、大和に抱かれたそのままベッドに放置されていたようだ。
三月はベッドから起き上がり、自分のスラックスを拾うと、のそりとそれに脚を通す。
「普段は、三十分暴れたくらいじゃこうはならないんだ。だけど、流石に……やり過ぎたな。銃を持ってる人間相手にするのも、本当久し振りだから……」
「大和と三月は、恋人同士なのですか……?」
「え……?」
ナギに問われ、三月はへらりと笑って手を横に振った。
「ないない! あの人、女が好きだから」
一通り笑って、それから目を細める。
「オレ、あの人のこと捜査する側だったんだ。実はさ、ここって武器の売り買いもしてて、当時は密輸の嫌疑も掛かっててさ? だから、一織……ああ、一織って、オレの弟。そいつも刑事やってるんだけど、一織と一緒によくガサ入れに来てた。その時はこんなことになると思ってなかったけど。でもさぁ、そうやって立ち入り捜査で来ると、時々女がいて……多分、そういう商売してる人なんだけど……恋人、ではねぇよな。取っ替えひっかえだったもんなぁ……」
「ミツキ……?」
ぼんやりした口調のまま懐かしそうに話す三月に、ナギがそっと声を掛ける。キッチンにあったカップにミネラルウォーターを入れて、三月に手渡した。
「ああ、ごめん」
「……続けてください」
「そう、だからさ、あの人は女が好きなんだよ。オレが目の前でおかしくなるから、それで貧乏くじ引いてるだけで……本当は、男なんて抱きたくないと思う。キスもしたことない。本当に、その、下半身だけの関係っつーか……あれ……? ナギに何話してんだろ、オレ……」
「Oh……」
ナギは、今現在駐車場にいるであろう大和を床越しに見下ろす。
「日頃の行い、というやつでしょうか……」
「日頃の行い? 何が?」
「……いえ、不誠実なヤマトが悪いというお話です」
ナギは、額に手を当てて首を横に振っていた。なんだかコミカルな動きで面白い。三月は、ぷっと吹き出した。
「なぁ、ナギ、ぬいぐるみたち、ありがとうな」
「みなでミツキのことを見守っていました」
「ははっ、一体どこから出したんだか……」
「ワタシの不思議なポッケでしょうか?」
ナギはマスコットたちを腰に下げ直し、最後にクマのハルキを抱える。
「……ハルキは特別なんだ?」
「みな大切な存在ではありますが、中でもハルキは特別ですね」
首に大きなリボンを付けたクマのぬいぐるみ。そのリボンの中心には、花の形をしたビーズが付いている。ナギはハルキの胴を掴んで、そっと三月に近付けた。
「なんの変哲もないクマのぬいぐるみですが、大切な宝物ですよ」
「うん、そうなんだろうな。わかるよ」
じっとハルキを見つめていた三月だったが、なんとなく、ハルキの違和感に気付き眉をひそめた。
「……なぁ、ナギ? ハルキ、目の色が左右で違うんだな……?」
「え?」
ナギが首を傾げる。
「なんだろう。中に何か……入ってる?」
三月に言われ、ナギもクマのハルキの瞳を覗き込む。
ハルキの目は、確かに左右で色が異なっていた。明るい部屋の中で見ているからだろうか。クマの目のパーツの向こうに、小さなカートリッジのような物が……見える。
「〈何故、気付かなかったのだろう……?〉」
ずっと抱えていたのに。
ナギは、ハルキの瞳を指先で撫でた。一見するとプラスチックの半球。その隅を、カリカリと爪でつついてみる。
「難しいですね……でも傷付けたくはないし……」
「破るわけにもいかないし、どうしよう……」
「あっ……」
そうこうしている内に、ハルキの左目の半球がぽろんと落ちてしまった。呆然としているナギに代わって、三月がそれを慌てて拾う。
「わっと! お、おいナギ、接着剤、後で接着剤でくっつけよう!」
な……? と、三月が首を傾げる。ナギは、どうやらそれどころではなかった。
指先で引き抜いた小さなチップ、それを見つめて絶句している。
「〈……奴らが追っていたのは、私ではなく……まさか、これだったのだろうか……?〉」
それから程なくして、事務所に一織とトウマを連れた大和が戻ってきた。
ソファに座ってクマのぬいぐるみと一緒に頭を抱えているナギ、そしてそんなナギの背中を撫でている三月を見て、三人はすぐに異変を察知したようだった。
「おお、一織、狗丸……」
「おい、ナギの奴どうしたんだよ、ミツ……」
大和もナギの落ち込みように気付いたのか、そっとソファに歩み寄った。
ついでに、くしゃりと三月の髪を撫でる。小声で「シャワー浴びてないのか?」と囁かれ、三月は頷いた。
「ハルキの中からチップが出てきてさ。それ見てから、ずっとこの調子なんだ……オレ、心配で……」
ナギが、くしゃくしゃと自分の髪を掻き回している。見かねて大和が声を掛けた。
「〈どうした、ナギ……〉」
「〈私一人の問題ではない……これに気付かれている? 追われているということは、ハルキの身に何か……? ハルキに、裏切りの嫌疑が掛かっている可能性が……?〉」
ぶつぶつと何かを呟いているナギの目が、床の木目を見てキョロキョロと動き回っている。大和の言葉も、今は届いていないかもしれない。
「おい、ナギ。ハルキさん、危ないのか……?」
そう溢した大和に、一織が眉を上げた。
「……ハルキというのは……桜春樹……?」
途端に、ナギが顔を上げる。一織の方を見て、すくりと立ち上がった。
「〈ハルキを知ってるのか? 何者だ? ただの警察ではないのか?〉」
ナギに詰め寄られ、一織はこほんと咳払いをした。
ある種の威圧を一織に容赦なく向けるナギを、三月が背後から抑える。
「ナギ! 落ち着け、これはオレの弟だから!」
「イオリ・イズミ……? 教えてください。何故ハルキを知っているのですか?」
三月の言葉を聞いて改めて一織に向き直ったナギが、僅かに興奮した様子で言った。けれど、一織は眉ひとつ動かさない。
「……素性が知れない相手に話すわけにはいきません」
ナギに見下ろされても厳格な態度を崩さない一織に対して、三月が咄嗟に声を上げる。
「一織、頼むよ。ナギは、その……変な研究の被害者でさ……」
体を起こしたばかりで三月もまだ混乱している。視線を迷わせながら言うと、一織はどこか悲しそうに三月を見た。
「兄さん、それが確かだとわからない内は、こちらも情報を漏らすわけにはいかないんです……わかって頂けるはずでしょう」
「そんなこと、わかってるよ」
「ならば」
ナギがもう一度、一織にきつい視線を向ける。
「ならば、ワタシが今すぐにそれを証明しましょう。どこへでも連れて行ってください。ワタシの体を隅々まで調べれば良いだけです。さぁ、早くしてください」
騒然とする場を見かねて、大和がナギの肩を叩いた。
「ナーギ、落ち着け」
「ワタシは落ち着いています!」
「はいはい、お前さんは落ち着いてるのな。じゃあ、段階追って話していこう。イチも、俺のさっきの話を加味して、ちゃんとナギの話を聞いてやってくれないか? 少なくとも、ナギはお前さんたちに積極的に協力してくれると思うけど?」
大和に一瞥され、一織は忌々しそうに顔を顰めた。
「なんでお兄さんばっかり睨まれるかな……」
「それは、貴方が兄さんをこんな汚いところに住ませているから……!」
「オレぇ? オレのせいで一織が大和さんに怒ってんの……?」
自分の顔を指さして、「なぁなぁ」「本当に?」ときょろきょろする三月に、トウマが首を横に振った。
「あー……和泉一課長、今のは完全に……私怨っていうか……まぁ、気持ちはわかりますけど」
暫しの沈黙に耐えかねて、大和と三月が同じタイミングで首を逸らした。最中、大和が「いてて……」と背中を擦る。ついでに、三月は自分の指先の爪を見て、「あー」と声を上げた。
「爪切るの忘れてた」
「……つめ?」
不思議そうな顔をする一織を見て、トウマが大きく咳払いをした。
「んんん! 気持ちはわかりますが! すげぇわかります! ですが、職務中でありますので!」
「そ、そうですね。それよりも、そのチップ、証拠品として押収させて頂けますか。そして……ナギさんと言いましたね」
「ロクヤ、六弥ナギです」
「六弥さんの身柄も、一度お預かりしたい。悪いようにはしません。まずは、貴方の身の潔白を証明する必要があるんです。わかって頂けますか?」
そう言われて、ナギは三月を、そして大和を振り返る。
「一織、任せていいんだよな?」
「当然です。信じてください、兄さん。絶対に非人道的なことはしません。身の安全も保証します」
そうは言われても、僅かに不安そうな顔で三月を見るナギに、三月は深く頷いて見せた。
「だってよ。安心しろよ、ナギ。ナギは? なんか希望あるか?」
「ワタシは……ハルキに関して教えて頂けるのであれば、いくらでも協力は惜しみません。ですが、ひとつだけお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「ワタシは、ここに戻って来ることができますか?」
ナギの問い掛けに、一織が些か難しい顔をした。けれど、トウマと顔を見合わせ、「すぐにとはお約束できませんが、努力はします」と宣言した。
「ありがとうな、一織」
ほっとしたような顔をする三月に、一織はもう一度頷いて見せる。
クマのハルキから出てきたチップとナギ自身は、結局警察に連行されることとなった。
ソファに置いていたハルキをナギに渡そうと三月が持ち上げたが、大和が咄嗟に首を振る。小声で言った。
「あいつ、今までそれ手放したことないだろ……」
三月は、はっと顔を上げる。
「わざと置いていくんだ」
続いた大和の言葉に、小さく頷いた。
例のチップが出てきたぬいぐるみだ。それが一織の耳に入れば、チップと共に押収されて戻ってこない可能性がある。
これは特別なぬいぐるみだと言っていたナギの言葉を思い出して、三月はクマのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めた。
駐車場まで見送りに行くと、そこには新たなパトカーが駐まっていた。運転席に乗ったトウマとその助手席に腰を落ち着けた一織に、三月が歩み寄る。
「すみません、兄さん……先程は、その……冷たい言い方をしてしまいました。六弥さんのことは、どうか私に任せてください」
「いや、こっちこそ、感情的だった……お前の立場がわからないわけじゃないんだ……それに、色々面倒起こしてごめん」
「そんなことは……いや、兄さんにケガが無いなら何よりです。しかし、本音を言えば、早く警察の病院に戻って頂きたいのですが……」
目を伏せて言う一織に、三月は何か言おうとして、けれど口を閉ざし首を振る。
「もう、身内の誰にも迷惑掛けたくないんだ……」
「そう、ですか……」
切なそうに眉をひそめた一織が、改めて顔を上げる。
「六弥さんの前ではまだ話せませんでしたが、我々は六弥さんの他にも被害者を保護しています。彼らのお陰もあって、兄さんに適切と思しき抑制剤の開発も進んでいるんです」
「……だから、オレの経過も警察の監視下に置きたいって? 協力しろってことか?」
「そ、そういうつもりでは……!」
わかってるよと、三月は小さな声でそう言った。そして、一織に微笑んで見せる。
「わかってるよ。一織は、オレの体のこと心配してくれてるんだよな。ありがとう。ごめんな。けど、もう暫くは大和さんの所に……いや、なんていうかさ、自分でうまくやれないか考えてみたいんだ。我儘な兄ちゃんでごめんな」
それを伝えて、そっとパトカーから離れる。三月がひらりと手を振ると、トウマが車内で敬礼をした。一織はまだ何か言いたいような顔をしていたが、それでもきゅっと結んだ口は開かれることはなかった。
ゆっくりと走り出すパトカーを見つめながら、三月が重く溜息を吐く。
「ミーツ」
背後でその遣り取りを見ていただけの大和が、三月の名前を呼んだ。振り返る。笑おうとしたが、難しかった。
「大和さん、ナギ、早く戻ってくるといいよな」
「……居候の二人目を迎えるとは言ってないんだけど?」
「今更何言ってんだよ。悪ぶんなよな、お人好しのくせして」
「それ、ミツにだけは言われたくないなぁ……」
泣きそうな顔をしている三月の頬を拭って、大和はそのまま三月の頭をくしゃくしゃと撫でた。