月暈に眩む


映画を見ていたんだ。
環が出た映画がもう配信されているからって、一緒に見ないかって誘われて、それで——隣でテレビを見ていたミツに腕を引き寄せられて、キスされたんだ。ちょっとだけ強引に。
「タマに見られてるみたい」
ちょっと気まずいななんて言ったら、肩を押されて、ソファに倒された。もしかしたらこのまま、
「オレ、でもいい……?」
このまま抱かれるんだと思った。
(大丈夫、多分、そんくらい……)
すき、口の輪郭だけでそう囁いて、続きを手繰り寄せようとしたミツの顔を見上げる目付きは、自分でもわかるくらいに冷めていたと思う。
ミツの手が止まる。
「なに」
誤魔化しようがなくて、ただ、ゆるりと笑った。何の感情も浮かべないのに、確かに笑ってる。こういう顔、ドラマで演ったことある。
そう思うと尚更に冷めてしまった。
「ご、ごめん」
ミツが、顔色を変えたのがわかった。何年も前に見たことある顔だった。
俺の演技を見て、引いた時のようなそんな顔。ぞっとすると言う表現が合うだろうか。
「ミツ、抱きたい? 俺のこと」
だから、俺は尚更笑ってたと思う。
「いや……その、タイミング、悪かったよな……今じゃなかったかも……って……ごめん」
ミツが俺の肩を押さえていた手を、慌ててどける。
最悪の選択をしたのかもしれない。多分、お互いに今、そう感じている。
ミツが自分の手を撫でて、俺から目を逸らした。
ゆっくりと体を起こす。自分のシャツの襟ぐりを覗き込んで呟いた。
「まぁ、持ち込みやすいよな。わかるわかる……いいよ? ミツがムラムラしちゃったなら、このままどうするか見せてみてよ。ミツがしたいんだろ? お兄さん頑張っちゃうからさ」
「いや、だから……ごめんって……」
喉奥から発せられている声色と内容が、まるでチグハグだ。
笑顔の中、笑えてない目を、ミツがなんとか覗き込んできた。なんだよ、泣きそうな顔して。
(嫉妬……)
上手くコントロールできない形の嫉妬。ミツが女の子にするように俺を扱った時の、そういう些細なことを些細なことと取れない類の嫉妬。それが今、俺に三流以下の「芝居」をさせている。
「大和さん、怖いよ……」
「……怖くねぇだろ、ミツが俺のこと怖がったことなんて無いくせに。怖がってんのはいつも俺のほ……」
「怖いんだよ」
自暴自棄になる寸前に、ミツが俺の胸に額を当てる。自分の心臓の音が、急に大きく響いた気がした。
(俺、今)
死んだ芝居をしていたのかな。そのくらい、自分が自分じゃなかった気がする。血が巡る。
「み、ミツ、悪い……言い方、悪かった……」
「あんたのこと、怖いと思う時、あるよ。オレだって」
肩からふっと力が抜ける——怖がらせた。それはきっと、俺がミツを怖がるのとは別の意味で。
ミツの肩をゆっくり掴んで抱き寄せる。恐る恐るミツの背中を撫でた。お互い、恐る恐るの距離をまだ上手く詰められないでいる。
(前は、もっと……)
もっと上手くやれていたと思う。
けど、それは俺がミツのことを諦めていたから。ミツが女の子と付き合うことを受け入れて、諦めきっていたからだ。
ミツも気付いていなかった、知らないでいたから上手くやれていた。ただそれだけに過ぎない。
「オレのこと、まだ、信じれない……?」
ミツの問い掛けに、そんなことないよと答える。そんなことない、誰よりも信じてる。
だけど、どうしてか相手を傷付けてしまう。俺が感情を乗りこなせないばかりに。
「ねぇ、大和さん……」
棘を纏って、人を寄せ付けないようになる。その様を、人は意固地と呼ぶだろう。意気地無しとも、呼ぶだろう。
「ごめん、ミツ……」
我に返った俺は、縮こまってしまったミツを宥めながら、心の中で泣いていた。

月暈に眩む

「またやっちまった……」
「念願叶って付き合ったってのに、過去を引き擦ってるからだろ」
ずばっと袈裟に斬り伏せられた気分だった。
お猪口の日本酒を啜ろうとした八乙女が、見かねてそれをテーブルに戻す。
「今はもうお前のこと考えてくれてるんだから、過去の女を引き摺ったって仕方ないだろ。今の和泉兄を見ろ」
「……でもさ、俺には俺の傷だってあるだろ? まだ癒えてねぇの!」
「話せばわかってくれんだろ。あの器のでかい和泉兄だぞ? 今更何を躊躇することがあるんだよ!」
「躊躇することがあるからこうなってんだろうが!」
わっとテーブルに伏せた。不満そうな顔をした八乙女が、静かに息を吐いたのがわかる。
「お前って、本当に和泉兄に弱いのな」
「……そうだよ。世界中の誰よりもミツに嫌われたくないと思ってる……」
「そんなことになるなら、一歩引いて見守ってなきゃ良かっただろ」
お猪口を摘んだ手の指で、ぴっと俺を指しながら続ける。
「俺のことだけ見てくれって言えば良かったじゃねぇか、もっと前に。違うか?」
「言ったろ……嫌われたくねぇの。あの顔に好きな子がいるんだって言われて、背中押さないわけにはいかないだろ……」
「俺ならその時点で告白する」
「お前さんは、だろ?」
俺は卑怯で、底意地が悪いんだよ。そう言えば、八乙女は静かに肩を落とした。
「大和さんって優しい、オレのことよくわかってるのはこの人だ、そう思って……万が一にも振り向いてもらえないかと思ってたんだ」
「……虚しくならないか……?」
不思議そうな顔をする八乙女に、俺は思わず微笑んで、笑っていた。虚しいに決まってる。虚しかったに、決まってるよ。
「虚しくなったよ。それから、ミツの話を聞けなくなった。名前を、呼べなくなった」
俺は「ミツ」をアルバムに片付けて、目の前にいる子から目を逸らした。俺が知ってるミツだけを記憶に残そうとして、残しきれなくて爆発していたことからも目を逸らして……「二階堂」、そう呼ばれて顔を上げる。
「今は、違うだろ」
「……ああ」
眼鏡をずらして、目尻を拭う。
「今は違うんだから、ちゃんと見てやれよ。ミツのこと」
「テメェが呼ぶな!」
「何でだよ。良いじゃねぇか……」
「よ、良くない! あいつはお前さんの顔、どストライクなんだぞ!」
そう言えばカラカラと笑った八乙女が、だから今の和泉兄を見てやれよともう一度言った。
俺は、むっと顔を顰める。それができたら苦労してなんかいない。
「大体、誰が何と呼ぼうが良いじゃねぇか」
「自分だって、俺が紡って呼んだら怒るくせに……」
「おい、呼ぶな……」
ほらなとひらり手を振った。おどけて見せる前に、八乙女が少し、息を吐いて笑う。
「それに……」
「なに」
「お前の顔も、和泉兄からすればストライクらしいぜ?」
そんなわけない。今まで数えきれないくらい否定されてきたし、俺はミツの好みをよーく知っている。
眼鏡のブリッジを上げた。嘲るように笑う。
「それは無いって」
「だから、今の和泉兄を見ろって言ってんのに、なぁ?」
誰に向かって……そう振り返る前に隣に座った存在の圧を感じて、俺は顔を覆った。
「まーた二人で飲んでたのかよ」
「だから呼んだろ。お前、遅れるって言うからさ」
したり顔で言う八乙女の視線の先、恐らく来ている和泉三月の顔を見れないまま、俺は徳利から酒を貰おうとした。が、中身が無いことに気付いて舌を打つ。
「おい、何舌打ちしてんだよ……飲み過ぎ」
「今来た七五三はわからないかもしれないけど、お兄さんそんなに飲んでませんー」
「七五三にプラス三十近いんだから、もうそのネタやめろよ、おっさん……」
あんなに気まずい夜を過ごしたのに、俺たちは八乙女の前で「俺たち」を演じることができる。それに安堵して、ようやくミツの方を向いた。
それぞれ演技がお上手ですねーの気持ちで見たミツの顔は、真っ赤だった。
「あ? お前さんこそ、どっかで引っ掛けてから来た……?」
「飲んできてねぇよ、うるせぇな……」
ミツの所に届いたお通し、それを脇目に見るミツの耳まで赤い。
そんな様子にニマニマしている八乙女を、ミツが睨んだ。
「言うなって言ったじゃん……」
何を!二人で秘密事!やらし! そう言い掛けた俺の肩を、ミツがぱしんと叩いた。
「切れ長の目が緩む瞬間に弱いんだと」
殆ど酒の残っちゃいないお猪口を飲み干して、八乙女がそんなことを言うものだから、ミツがメニューを片手に構えて投げようとしていた。
「あっ、おい!」
それを慌てて制しながら、俺は何の話をされているのか理解できずにいる。

「大和さんって、からかわなくなったよな」
「何が?」
「やきもち〜? ってやつ。やらなくなったよな」
帰り際のタクシーでそう言われて、俺はこんな所でなんて話をするんだと思った。
けど、深夜のタクシーだ。これが何か——変化をもたらすものだなんて思わない。酔っ払いの可愛いやり取りで済むに違いなくて、俺は窓の外を見ながら、この辺りはもうミツの家の近くだな、なんて思っていた。
「八乙女と二人でばっか飲んでんのズルい……」
「いや、今日は呼ばれてたんだろ? ズルくないでしょ」
「ずりぃよ。オレだって」
大和さんに会いたいのに——ぽつんとシートに落ちたミツの言葉。それを耳に入れずに指先で捏ねて、持て余して、笑った。
「ははっ……プライベートじゃ他のグループの奴との方がよく会ってるなんてさ、忙しいのも困りもんだよな」
そう言えば、ミツが暗闇でじっと目を光らせた。
——わかってるよ、付き合ってるのにって言いたいんだろ。わかってるんだよ。
「……こうなってから、また離れた気がする」
「……そう? 落ち着いたのかもな」
「なんで」
ミツの言葉を持て余してる手で頬杖を突いた。相変わらず車の外だけを見ている。もう少しで、この会話も終わる。
「俺、さっき気付いたんだけど、世界で一番怖いんだって、お前さんに嫌われるのが。だからかな、何も」
見えない壁が、車のシートを二分しているような気がした。
「何も無い方が、良いのかもって」
ヤキが回ったのか、酒が回ったのか、俺はどうしてか泣きたくなった。そんなことを言うつもりは無かったのに、きっと俺は——きゅっと手を握り込んだ——ミツに手が届いてるはずなのに、まだ自分の手元で古いアルバムを見ている。
八乙女の「今の和泉兄を見ろよ」と言う声が頭を掠めて、ふと振り返る——今のミツは、目頭を押さえて黙っている。
「オレのこと、嫌いになったのはあんたの方じゃねぇの……」
「どうして……?」
「嫌いになったから、嫌いになりそうだから、近付かないんじゃねぇの」
呆然とした。ミツに吐き捨てられた言葉に、俺はたじろぐ。
「そんなことねぇって」
言い掛けた言葉に、ミツが「ここで降ります」と重ねた。ミツのマンションまではもう少しあって、俺は更に動揺した。
「お、俺も降ります!」
俺が支払いをする気があるのを察知すると、ミツが顔を逸らした。
運転手がドアを開ける。すぐさま飛び出して走って行ったミツの背中を、俺は慌てて追いかけようとして、足を引っ掛けた。
「おわっ」
運転手が、苦笑いをして会釈する。
「二階堂さん、頑張ってください。いつも妻と見てます、ドラマ」
何を頑張れと言われたのか理解しきる前に、俺は「どうも! 奥さんにもよろしく伝えて」と気の利かない返事をして、九十度ほど頭を下げた。
折角の声援なのに、本当に申し訳ない。走り出した俺の格好は、さぞ無様だったと思う。

ミツは足が速い。スポーツ系の番組でもレコードを残すほど、あいつは努力してるし運動神経もある。
息を切らして吐きそうになってる俺とは大違いで……(見失った)見失ってしまった。
きっと家に向かったに違いない。俺は重たくなった足を引き摺りながら、乱れる呼吸を整えようと胸を叩きながら、ミツのマンションを目指す。下向くと吐きそう……
スマホを取り出して、一応、ラビチャを入れる。
「ミツ、どこ」「吐きそう」
たすけて……まで入れ掛けて、流石に情けなくなって手を止めた。
「……泣きそう」
置いてかないでぇと夜中の歩道でへたり込みそうになりながら、ミツの返事がないことを片目で確認する。既読にもならない。
「ミツぅ……」
コンビニで水くらい買った方がいいかも。目が回る。
だけど、コンビニで煌々としている電灯さえ眩しくて、俺の足元はよろけて道路側に流れてしまった。
足が覚束ない。急に走ればそうもなる。そのくらいには酔ってる。
ふらりと、道路に足を踏み出して、しまったと思った。それを容易く引っ込めることもできないままでいた。
その時「おい!」と怒声が飛んだ。腕を引かれて抱き止められる。
「バカ! 危ねぇだろ、大和さん!」
抱き止められるというか……俺の胸にミツをお迎えしたというか……
「……みぃつぅ〜……」
俺は安心して、そのままぎゅうっとミツを抱き締めた。
背後を走り去ったトラックが巻き起こした風圧に、急に酔いが覚めた気がした。

俺が道路に飛び出さないように、ミツがぎゅっと手を握ってくれている。少し震えてるそれを上手く握り返せないまま、俺はただ見つめることしかできずにいた。
「飛び出そうとしたわけじゃないって」
二、三度目になる弁明に、ミツが黙って頷く。
「ごめん……」
手の震えは収まってきたけど、それでも、ミツのがむしゃらな力が解けることはなかった。
「ミツ」
「オレは……嫌われるより、あんたが」
声も震えてる。怒ってるのかもしれない。
「あんたがいなくなる方が怖い」
ああ、と口の中で思わず唱える。目頭がじんと痛んだ。
「交通事故に遭って死んだツラに謝りに行くなんて、絶対御免だからな……っ」
「あ、あれは若気の至りってやつで、その、今はそんなこと思わないし……! さっきのもわざとじゃないんだってば! 悪かったって!」
手を振り払ってミツの目の前に土下座したい気分……昔言った言葉を突き出されて、更に恥ずかしくて、俺は足を止める。ミツも止まる。
「……言ってよ」
「な、何を……!」
「嫌だったら、変に笑って誤魔化さないで、嫌だって言ってよ、大和さん……八乙女に言う前に、オレに言って……そこは、そこはオレのもんじゃん……」
「ミツ……?」
ぐす、と鼻を啜ったミツが、俺の腕を力任せに振って、引く。
「触るのも怖い? 嫌になった? オレのこと、嫌い?」
ぐしゃぐしゃと顔を拭ったミツが、泣き顔を上げる。また泣かせてしまったことに、俺は愕然として、落胆した。
「……俺が、ミツのこと嫌になるわけねぇじゃん……」
「オレが今まで付き合った子みたいに大和さんにするの、嫌なんだろ……っ! 許せないんだろ!」
やれ、と頭を掻く。
「……抱かれても良いってのは本当」
声を潜めた。内容が内容だし、それに……ミツのマンションまではもう少しだけど、この後どうするんだろう。そんなことをぼんやり思う。
「ミツ、明日仕事……?」
「今聞くかよ……明日、朝から……」
だよなぁ、そうだろうよ。人気者のMCだ。コメンテーターだってやってる。俺は思わず笑う。こんな、笑ってる場合じゃない時に。
「帰ろっか……」
そんな俺の言葉に、ミツはきっと裏切られたみたいな顔をしたと思う。よく見てなかった。暗いから、街灯なんて無いことにしていた。
「本当、あんたは離れていくばっかりだな……」
ミツも笑う。多分、鼻を少し赤くした、可愛げのない顔だ。
「本当にそっちで良いなら、オレ、今からあんたのこと連れ込んで襲っちまいそう」
「何、三月クン、怒ってんの?」
無理矢理、手を解こうとする。解けない。強く結び直される。いい加減に、酔いが覚めてきた。
「いって……おい、離せよバカ力……!」
「離さない。あんたが離しても、オレが離さないから」
ずいとミツが俺の両手を引いた。顔が近付く。泣いてると思った顔は、泣いてはいなかった。
「もう今更嫌わないし、離さないよ……何されても……」
ちゅ、と唇の端に触れる。ミツの小さな唇の、乾燥していることを知る。
「もう離さないは、俺のセリフだし……」
緊張感を知る。
「撮られたらどうすんだよ……」
「いいじゃん、夫婦漫才でもやる? やろうよ……オレ、今なら本気でできると思う。大和さんと」
夫婦したいな。そう言ったミツが、もう一度唇を合わせてきた。啄むようなキスに答えながら、ぎゅっと目を閉じる。
「で? あんたは結局どうしたい……?」
ちゅ、とつい自分からミツの口を塞ぐ。
いいか、撮られても。メンバーが酔ってキスしてたくらいだったら、あいつら許してくれないだろうか? 開き直って、本当に夫婦漫才してみるのも悪くないのかもしれない。
「やまとさ……?」
「……格好悪いだろ、ガキみたいにがっついたら……」
甘ったるく息を漏らしたミツが、俺の言葉にきょとんと目を丸くした。
「そんなの今更気にしてんのかよ!」
ごちん。突拍子もなく飛んできた頭突きで、頭がぐわんと揺れた。
お前さ、さっきの緊張感どこやったの。

玄関で靴を脱ぎ捨てて、さっきの吐き気も眩暈も忘れて壁に縫い留めたミツとお互い夢中で口を吸い合ってる。額を合わせて、ぺって出した舌を絡めた。
静かで暗いままのミツの部屋に、お互いの吐息だけが響いて、少し悪いことをしている気になった。
「……なぁ」
その内、ミツがくたりと項垂れる。口から伝った唾液を拳でぎゅっと拭って、ミツが一息吐いた。
「何食うと、そ、んな……上手くなんの、きす」
「……さぁ?」
やだと顔を逸らしたミツの顎を摘んで上を向かせる。もう一度深く口を塞いでやれば、ミツの体からガクッと力が抜ける。膝を折ってずるずるへたり込むミツが、口の隙間から「クソ」と溢した。
「ぜ、ぜってぇ、付き合ってた……誰かと……ッ」
「そんなことないよ、もう七年くらいフリーだって……いや、十年くらいかな……」
「それで、こんなにずっと上手いわけ……ねーだろ……ブランクとか、わっ」
へたり込んでいくミツを膝の上に抱え上げて抱き締める。ジャケットをずり下ろしながら、少し湿ったシャツの胸元に鼻筋を当てた。
「はぁ……」
「なに……」
「イメトレですよ、イメトレ……イマジナリーミツにそりゃあもう、様々なプレイをね……してもらったんで……」
「おい、堂々とオカズ発言すんな!」
喋ると浮いてくる鎖骨を銜える。ちゅと音を立てて離せば、ミツがシャツの襟ぐりで首元を隠した。
「何しても良いけど、痕付けんのは勘弁しろよ……明日仕事だって……!」
「わかってる……」
ずるずると壁を伝ってへたっていくミツを床に横たえて、気持ち乗り上がる。そわそわと視線を泳がせるミツの、せめてもの興味を奪いたくて、俺はTシャツの裾を上げて大袈裟に脱ぎ捨てた。
ミツはまんまとたじろいで、それからことりと息を呑む。
「こ、ここ、玄関……」
「さっきの威勢どうした? 連れ込んでどうとか言ってなかったっけ?」
「なっ、お、怒ってんのかよ……!」
「怒ってはいないよー、全然」
「う、嘘だ……怒ってる……オレ、わかるもん。あんたが不機嫌な時って……ひゃっ!」
ミツのタンクトップ越しに、きゅっと胸板を摘む。こりりとした塊を潰すと、ミツは僅かに身を捩った。
「怒ってんじゃんかぁ……」
「怒ってないって。痛かった? ごめんごめん、加減わかんなくて」
タンクトップをずり上げる。そこには、摘まれたことに反応してぷくりと主張するミツの乳首があった。
「そ、そんなとこいじるの、怒ってる証拠だろ……!」
両腕で顔を隠したミツが吐き捨てた言葉に、さて、どうだかと腕組みをする。
「怒ってはいないって……そこに胸があったから」
「胸があったら摘むのかよ、あんたは……!」
「人聞き悪いな……ああ、でも……」
むちっとした柔らかい胸筋を、恐る恐る揉み上げる——一応、まだ怖かったりするんだよ。まだ、本当に許されてなんかいないんじゃないかって。
「ミツの胸は揉みたいって思ってたけど」
そう言えば、ミツはなんとも言えない顔をした。口を結んで顔を逸らして、それからでかい溜め息を吐く。
「冗談じゃなくて……?」
「ここで冗談言うかっつーの……」
「どうやって……したかったんだよ? ちょっとやってみて、今
」 「いま?」
「今!」
仏頂面でそう言うミツ。俺はごくりと生唾を飲み込んだ。脱力してふわふわのミツの胸に両手を添える。掬うように持ち上げて、指先に主張を訴えてくる乳首を指に挟んだ。くりくりと両側を捏ねてやると、ミツが僅かに腰をくねらせる。
「ン、ン……ッ、く、すぐったい……」
乳首を弄りながら胸に這わせたままの指にも力を込める。
やらかいと零せば、ミツはそっと俺の手を止めさせた。
「胸以外、は……? どうしたかったの、あんた……」
「どうしたかったんだっけ……」
はぁ? ミツが確かにそう言った。体の向きを逸らそうとした、その隙に、首をぎゅっと抱く。覆い被さるように抱き付いて、すーっと息を吸った。
「好きだー……って気持ちばっかになって、忘れちまったよ……」
「……忘れんなよ、そんな……大事なこと」
奥の奥まで暴いて濡らして汚して、そんな欲求は多分、当て付けみたいなもので、だから今、そうやって突き付けたかったんだよと言うのは憚られた。
(……俺は、ミツを……)
大事にしたかったんだ。
「みつき……」
俺の口から溢れた名前を聞いて、ミツがびくりと肩を震わせる。
「お、おっさん、また」
慌てて体を離して、ミツの顔を見る。驚いたような怯えたような表情に、胸が冷たくなった。
「あ、いや……違う、違うから! 緊張して、つい……」
「……変なの」
二度ほど瞬いて、それからミツが目を逸らした。動揺しているように見えて——やっぱり動揺していたんだと思う。そういう顔をしてる。
「自分の、名前なのにな……あんたに呼ばれると違うもんみたいな気がして……」
「……ミツ?」
「……ローション取ってくる」
俺の下からずるりと這い出たミツが半分脱げていたパーカーを放る。歩きながらタンクトップを持ち上げて、それも床に脱ぎ捨てた。
部屋に入って姿が見えなくなる。
(ローション……て)
あ、するんだ。本当に。
いつの間にか正座していた自分の股間を見下ろすと、そこには先走って持ち上がっている股上があった。
思わず手で隠す。
「何してんの……そのまま玄関でやる気か?」
「……いや」
今立てないっすね、と虚ろな視線を上げる。
ミツは男の、その虚ろな視線の大凡の意味を察して、ぷっと吹き出した。
「オレの胸いじってただけで勃ったの?」
「……多分そう……いや、おおよそそう」
「アンケートの回答みたいなのやめろ……」
ローションの容器を両手であっためていたミツが、フローリングの上をぺたぺたと歩いてくる。少し眉を下げて笑っていた。
「本当に好きなんだな……自分で言うのもなんだけど……」
「好き」
思わず身を乗り出す。俺の正座した膝に遠慮がちに跨りながら、ミツが「お、ほんとだ」と溢した。
「なぁ、名前呼んで」
俺の肩に顎を乗せて、手元を見ないままチノパンのファスナーを下ろす。じりじりじりと鳴るその音が暗闇の玄関に響いて、俺は思わず息を飲んだ。
「み、ミツ……」
「もっと……いっぱい呼んで」
「ミツ……」
ミツの手が俺のデニムに掛かって、ベルトを外す。やっぱり焦らすみたいにじりじりとファスナーを下ろして、勃ち上がった俺のものをパンツの上から撫でた。
「かたいね……」
「そりゃあ……」
「玄関汚すの嫌なんだけど……あんたがこれじゃあ、いっかなぁ……ここでも」
「い、や、場所変える……?」
ローションの容器から、たーっと出されたそれを、ミツがもぞもぞと尻の隙間に塗っていく。そのくらいじゃ滑りそうにない。
チノパンと下着をゆっくり下ろしてやって、それから足されたローションを股に塗り込めていく。なんだかんだ、ミツのペニスも硬くなって、俺の腹に当たっていた。
腰を浮かせているミツが脚をふらーっと振って、引っ掛かっているパンツを脱ぎきる。
「男だと、対面座位は無理か……?」
「……バックの方が、まだ楽かもな」
つい、天井を見る。
「……ミツが女としてるの想像したくねぇ〜って?」
「人の心の吹き替えしなくていいから……」
「本当に思ってやがったよ、このエロオヤジ……一応言っておくけど、オレもあんたが女の子と付き合ってるの思い出すと、ちょっとムカムカするけどさ……」
「う、うるせぇな! こっちは考えたくもねぇんだよ!」
「よしよし、仕方のないおっさんでちゅね〜」
「おっさん呼ばわりしながら赤ちゃん扱いすんな……っ!」
しかし、ミツがあまりにもよく喋る。多分、緊張してるんだと思う。
俺の後頭部を撫でながら、体に貼り付いて離れない。顔を見せてくれない。尚更、ミツに緊張感があることがわかって、少し苦しくなる。
「……バックなら、俺の顔も見えないだろうし……正面からよりはミツも楽だと思……」
「あのなぁ、ここまできて変に気ぃ使うなよ……オレは、あんたとならって」
慌てて体を剥がし、顔を見たミツが、ぱちと瞬いた。目が合う。
「……女でも突っ込まれたら辛い日もあるんだし、男なら尚更だろ。特に、明日はお前さん仕事なんだから、楽な体位が良いに決まってる。なんなら、別に挿れなくたって良いんだからな。ミツの気持ちはわかったし……セックスすることが全てじゃねぇだろ……」
「でも、あんたはしたいんだろ?」
ぐ、と黙る。
「……それはオレだって同じ。大和さんとしたいんだ。勿論、挿れた挿れないがセックスじゃないしさ……あんたの言う通り、オレは仕事だし。だから、その、試しっつーか」
ローションと一緒に持ってきたゴムをぺり、と開いて、ミツは、ずりおろしたパンツから漏れてる俺のペニスにゴムを付けた。
「硬くすんなっつーの」
「す、好きな子に触られたら、誰でも硬くなるでしょーが……好きな子っつーか、ミツなら尚更……」
「んー? じゃあ、大和さんもオレの、触ってみる?」
さわる! と即答すると、ミツが声を上げて笑った。
玄関のスペースに反響する。思ったより響いたそれに、ミツと俺は思わずお互い口の前に人差し指を立てた。お互いの慌てっぷりに笑ってしまう。
「……もし、はいらなかったら……抜き合いっこしよっか……」
「そう、な」
初めて男同士でするのに、対面ですんなり挿入できるわけもなかったのに、それでも腰を浮かせて俺の目を見ながら、見つめ合いながら受け入れようとしてくれたミツのことが好きで好きで愛しくて、嬉しくて、挿れることは結局失敗したなんて、些細なことだった。
結局、そのまま玄関でお互いの性器擦り合って、息を殺して一緒に達して、ベタベタ絡みながらシャワー浴びて、同じベッドで裸で眠った。
今の俺たちには、それが一番幸せだったんだと思う。

「大和さん、オレそろそろ行くぜ?」
ミツのベッドを占領して寝ていた俺の前髪を掻き分けて、ミツが額にちゅーっとキスしてくる。その可愛いのを捕まえたくて、適当に腕を振ってミツを探した。
「ミツ、ミツ……」
「ひひひ……紡が来るから、捕まってる余裕ねぇよ」
「……おい、お前さんの女じゃないんだから、呼び捨てすんな……怒られんぞ……」
「そのセリフそのまま返す。たまに呼び捨てしてんだろ……あんたも……」
「へへ……お兄さんはいいのぉ」
「ったく……」
俺たちの信頼するマネージャーは、今やIDOLiSH7専任のマネージャーでは収まらなくなってしまったけど、ステージ演出では今も世話になっているし、大切な仕事仲間に変わりはない。
「珍しいな……マネージャーが迎えって」
「うん。偶然空いてたみたい」
「……なら、服着るか……そろそろ」
「大和さん寝てるから、部屋まで来なくて良いって言ってあるよ」
着替えながら言うミツが何か思案して、それから振り返った。
「……勝手で悪いけど、マネージャーには言ったよ」
「なにを」
「……付き合ってるって」
「ふーん……」
ミツの枕に顔を埋めて健やかな二度寝に入ろうとした頭を、慌てて持ち上げる。
今、何かすごいことを聞いた気がした。
「は?」
「何かあったら世話掛けるのはマネージャーだからさ」
「な、な、なん……だって」
「へへっ……」
あからさまに動揺する俺に、ミツが笑って言った。
「おめでとうございます、ってさ」
「え……?」
「お二人がそれがいいって決めたことなら、だって」
本当に、すごい女だ。俺は一生あの子に頭が上がりそうにない。
「流石だな、マネージャー」
「本当になぁ」
バッグとスマホを持ち上げて、それから玄関の汚れを避けつつ出て行こうとするミツを、半裸のままで見送る。
「なぁ、オレ大丈夫? クマとかない……? キスマークも本当に付けてないよな?」
「大丈夫、かわいい。それに、同業者なんで弁えてますよ……一応」
「ったく、かわいいかわいいって、あんたそればっかりな……」
呆れたように口を尖らせるミツの、その唇の先にちょんと口を当てる。
「うわっぷ」
「だってかわいいんだもん。好きだよ、ミツ」
好き、と小さく呟いたミツの、少し白かった顔に血の気が差す。照れたんだと思う。
「……いってきます」
「いってらっしゃい」
ミツが話したなら、俺からもマネージャーには話さなきゃならないだろう。その覚悟を頭の隅で決めながら、とてとてと出ていくミツの背中を見送る。
歳を食っても、本当にかわいい。好きだ。
いつまでもうじうじと蟠っていたものが、眠気のせいなのか今はずっと薄まっている気がした。ふわあと欠伸をする。
背中を向けたドアの方から、どたどたと足音が聞こえた。忘れ物かと思って振り返ると、急にドアを開けたミツが悔しそうな顔をして口を開いた。
「お、オレ、も……大好き!」
それじゃ! そう言って閉められたドアを十二分に見届けて、でれっと緩んだ顔を慌てて押さえ付けた。
今の俺たちには、これが一番幸せだ。