一丁前に、女の子に声掛けられることもあるし、連絡先貰うことだってあるよ、なんて言うから、だから持てる限りの言葉で揶揄ってやった。
自分でわかってる。「そうであって欲しくないから」だ。ミツに、そうであってほしくないから、だから茶化した。ミツが相手の連絡先をポケットに忍ばせたり、そもそも受け取ったりしないで欲しいから、散々に茶化したんだ。いじくり回したら、きっとミツは突っぱねるようになるだろうなんて淡い期待を抱いていた。
「一々大和さんに口出しされたくない」
その挙げ句が、この言葉だった。突っぱねられたのは、まさかの俺の方だった。
それで頭に血がのぼったんだろう。
「じゃあ、ミツも俺に口出しするなよ。俺が誰と付き合おうが関係ないだろ」
これで終わり。
終わりだよ。俺の恋路はこれで終わりだった。
素直に言えば良かったんだ。「女の下心にかまけてないでくれ」って。かまけるのは、俺の下心だけにしてって。
愛は真心、恋は下心、なんて言葉がある。俺のは全部下心だ。だから、多分恋なんだと思う。
ミツだってわかってるだろ、俺の下心くらいさ。
「どうして、連絡先に下心があることわかってるのに、俺に下心あることが伝わんねぇんだよ……」
「男だからだろ」
——デリカシーのない男。
九条が言うのがわかる。カウンターの隣の席に座ってグラスを傾けてる男は、まるでデリカシーがない。
「男でもあるだろ。あ、こいつ、気があるかも、みたいなのさぁ」
「ねぇな」
「お前さんはなさそうね……」
おう、と曇りのない目で言い退けた八乙女に、俺はあーあと頭を抱えた。
「男子校だとさ、たまにあったんだよな。まぁ、俺は近くの女子校の子と付き合ってたけど」
人差し指の先でグラスの縁を撫でながらぼやく。八乙女はぱちぱちと瞬きをして、それから「へぇ」と呟いた。
「お前はどうしてたんだ? そういう、たまにを感じた時」
「俺は女の子が好きだし、まぁ、別に何も? 距離置くわけでもなく、普通。変に避けるのも、なんていうか、違うだろ?」
ああ、でも……と続ける。
「付き合ってる相手の話は、したかな。教室とかでさ。まぁ、変に気を持たせるのもな、って思って」
「和泉兄のも、そうなんじゃねぇのか?」
「え?」
「だから」
八乙女が、くいとグラスを煽った。こいつ何飲んでたっけ。モスコミュール?
「和泉兄もお前の下心に気付いてるから、女に声掛けられる話したんじゃないのか?」
そんな八乙女の言葉に、体中の骨が砕けたような気がした。
ぐしゃぐしゃのがらがらに崩れ落ちた俺の骨。カウンターに寝そべって、そのまま鈍いうめき声を上げる。
「やっぱり終わりなんだ……」
「始まってすらいないだろ。諦めるなよ。俺なんて二回も振られたぜ?」
うちのマネージャーにメロメロなのは知ってるけど、それはそれ、これはこれ。うちの可愛い紡ちゃんを守るために、八乙女をキツめに睨む。
八乙女は少し眉を下げて笑った。
「でもさ、ミツがそんな遠回しな牽制みたいなことするタイプか……? 竹を割ったような男のミツが?」
「もっとストレートに断ってくるって話か? 二階堂がそう言うなら、そうなんじゃねぇのか」
「……でも、そんな気もしてきた……」
竹を割ったような男に竹を割ったような男の話をされると、変に納得する。
牽制、したかったのかな。俺が距離感詰めていくことを遮りたかったのかもしれない。だから、女の子から連絡先もらうことだってある、だなんて——嫌だな。
「いやだ……いやすぎる……好きなアイドルの結婚発表受けるファンの気持ちって、こういう感じなのかな……」
「お前、それ自分で言ってて胃が痛くならないか?」
「痛い、吐きそう……」
「おい、やめろ」
そう言って、マスターに水を頼む八乙女。俺は静かに頭を上げて、それから、ミツにラビチャしようとスマホを取り出した。
「……今聞く」
「何を」
「終わりか、終わりじゃないか」
「は?」
——ここから記憶がない。
後で詳しく聞いた話によると、八乙女は自棄を起こした俺からスマホを取り上げて、ミツに宜しく頼むと連絡してから、タクシーに俺を詰め込んで寮まで送り届けてくれたらしい。
そんな俺は、気付くと寮の玄関で寝てた。
「……かった……」
硬い枕に顔を擦る。眼鏡がない。探そうと顔を上げようとすると、頭をポンポンと撫でられた。
「硬くて悪かったなぁ、おっさん」
あ、終わった。
形を取り戻していた骨という骨がぐにゃっと砕けて、俺はもう一度倒れ込む。
ぐしゃぐしゃと顔を擦りながらうめき声を上げていると、ミツが——膝枕の主が——くっくと笑った。
「ここで寝るって駄々こねたの覚えてる?」
「覚えてない……」
「ミツ、枕してぇ〜ってぐずったのは?」
「全然、記憶に御座いません……」
ははははって遂に笑い出したミツの声が、廊下に響く。
「大和さんの交友関係には口出ししないけど、八乙女にあんまり迷惑掛けるなよ」
「あー……それは、後で詫び入れとく……」
「うん……」
また、さらりと髪を撫でられた。うっすら目を開ける。眼鏡、どこだろう。
「ミツも、ごめん」
「何が?」
「床、冷たいだろ」
「平気。大和さんの方が、酒飲んだから? ひんやりしてるよ? 寒くねぇ?」
頬を撫でられて、緩く頷く。
「大丈夫、寒くない……」
くん、と鼻を鳴らした。ミツのパーカーから甘い匂いがする。
「……お菓子のにおい、する……?」
「おう、一織と陸にちょっと焼いてやったの。パンケーキ」
「いいなぁ……お兄さんも食べたかった……」
「ふふ、素直じゃん……何? パンケーキでいいの? つまみじゃなくて?」
「つまみも良いけど、パンケーキも……ミツの作るもん全部好き……ミツのことが好きだから全部が良いの、なんつーか」
ごろん、ぐちゃって、そうしてミツの腹に額寄せて、その真逆の頭の後ろの方で「何言ってんだろ」って思った。
「ばか」
バカだな。終わってるのに。何もかも。終わってるところにさ、恥を塗って、上塗り。
「メープルシロップ、舐めたい」
「匂いだけだよ。もう片付けたし」
「舐めたい……」
ぼんやり、どんより、ぐんにゃり、頭が揺れる。起き上がって、座ったまま目を閉じた。
下心があるから、さ。俺わかるんだ。こうしてるとミツが甘やかしてくれること。
しょうがねぇなぁ……って小さい声が聞こえて、唇にふにっとした感触が触れて、目を開ける。
「味する?」
「うん」
牽制、されるよ、そりゃあ。
だってこんなのバレない方がおかしい。流されてる自覚があったら尚更、牽制するよ。そりゃそうだ。
「……キス待ち顔、うけるなー」
「ミツもたまにしてるよ」
「してねぇよ。オレのは待ってねぇっつーの……うたた寝してるところに、してくるからだろうが……」
始まる前から終わってる。終わってるから、始めようがない。そのいい加減な片思いの上で、俺は溺れてるわけで……
「口冷たい。お湯飲んでから寝れば? 多少、酔いも覚めるだろ」
重そうに腰を上げて、ミツがくしゃくしゃっと俺の髪を掻き混ぜる。眼鏡、どこだろう、って思ったらミツの胸元、パーカーの下のシャツの襟にぶら下がってた。
「眼鏡」
「部屋置いとくから、取りに来て」
「うん」
離れていくミツの背中がぼやけて、何回か瞬きした。
居慣れた場所だから眼鏡がなくても多少は物事こなせるもんだけど、それでも不便には違いない。
言われた通りにお湯を飲んで、顔を洗って、部屋に戻って着替えて——ようやく眼鏡を取りに行く。
「ミツ?」
部屋のベッドの上で毛布に埋もれてるミツを仰向けに返して、さっきまであった眼鏡の行方を探す。チェストの上に見つけて、はぁと息を吐いた。
「大和さんさぁ」
毛布に埋もれてたミツが目を開けて、探るように言った。
眼鏡もないし、暗がりだから目を細めて顰めて見下ろす。こえーよと笑われた。
「大和さんがよくやるやつ。ヤキモチ? ってやつ。オレもしたくなったの。わかった?」
「え」
「連絡先の話」
一層眉を顰める。それからゆっくりうっすら目を開いて、「あー」って頷いた。
「やきもち……」
「妬いた?」
「やき……やい、たっていうか、いや、そんなもん貰うなよって思った、かな?」
「全力で攻撃して来るから、やきもちなのか説教なのかわかんなくなって、そんなのわかってるよって思ってさ……」
全力で攻撃、したかも。どこまで口回したかは覚えてないけど、そういう隙が良くないんだよお前さんは、みたいなこと言ったかも。
「……妬いてました。ごめんなさい……」
素直に謝ると、ミツがきゅうっと目を細めた。
「……オレ、下心ヘタみたい」
はははって笑ったミツが目を閉じる。俺は「おやすみ」って言って、部屋を出た。
とぼとぼ、暗い廊下を歩きながら角の自分の部屋まで来て、角部屋って寒いんだよなと踵を返す。
ミツの部屋のドアをまた開けて、すたすたとベッドに歩み寄って、毛布を跳ね上げて「いーれて」って言った。
「足が冷てぇからヤダ!」
はぁーっと思って、脚をミツの体に巻き付ける。
はぁー、そっかー、ヤキモチ妬かせようとしたんだ。俺に、ミツが、やきもち、妬かせたかったんだ? はぁー、嘘だろ、可愛い可愛い。
「言ってくれれば、パンケーキにもヤキモチ妬くのに」
「一織と陸はノーカンだろ。妬くなそんなの……」
「うるせぇな、こちとら一人っ子だぞ。生まれてこの方、全部自分のものなんだよ」
「嘘つけぇ、それで拗れてるくせしてぇ……」
「そうだよ? お兄さん拗れてんの。大好きなもの独り占めしたいの」
背中からぎゅっと抱き締めてそのまま、はぁって息を吐いたら「酒くさ」って笑われた。
「あの、さ」
「んー?」
「大和さん、自分が誰と付き合おうが関係ないだろって言ったけど、せめて、さ。誰かと付き合った時は教えてくれよ。口出しは、多分しないから」
「……マジ?」
ここまで来ても、真心スレスレまで来ても、それでも俺の下心は伝わらないらしい。永遠に片想いかもしれない。
「口出し……? しないしない、多分」
「そうじゃなくて……あのさ」
ミツに伝えてるけど伝えてないことがあるんだ。始まる前から終わってて、終わってると思ってるから伝えてないんだけど。
「独り占めできるとは思ってないけど、俺さ、俺……ミツのこと好きだから、付き合いたい……」
よ、っと巻き付けていた脚を擦り付ける。ミツの脛はさらっとしてて、ごめんなさい。お兄さんの脚はざりっとしてるかも。
「それは、流石にオレ、口出しするぜ……?」
「どうぞ」
「……脚やめろ、チクチクする……」
だって寒いし落ち着かねぇんだもん。
「やめないー」
「じゃあそのまま聞け。もう知らない」
「うん」
「オレも、大和さんのこと、好き」
脚を止めて固まった。
それ口出しって言うのかな。何が続くのか少し怖くなって、息を止める。
「こんなのずっとバレると思ってたんだ……オレ、下心、やっぱりヘタかもしれない……」
ぐるりと振り返ったミツが、力一杯抱き付いてくる。気持ちの中で何回か砕けた骨が、また物理的に砕けそうな気がした。
「思ったんだけど……俺の下心とミツの真心で丁度良いんじゃない……?」
「どういうこと……?」
「愛は真心、恋は下心、二つ合わせて恋愛だから」
「オレら、恋愛してるってこと……?」
なんだそりゃ、青春みたいな話だなぁってミツが頭擦り付けて笑ってる。もう一回、脚巻き付けても怒られないかな。
確かに青い春だわな。今、もう秋も暮れて冬になりそうだけど。恋と愛でぎゅっとしてるとあったかい。
「ミツの下心かわいいなぁ……」
「おっさんの真心もかわいいけどな」
永遠に片思いじゃなくて良かった。良かったのかわからないけど、明日起きたらなんてことしちまったんだろうって思うかもしれないけど。
でも、向かい合って愛のかたまり抱き締めてるの、これ以上の幸福があるかなぁ、ないかも。この一晩くらいは。
この一晩くらいは、みんなの三月を独り占めした気分になっていいのかも。
——さてと、青春じみた話はここまで。
後に聞いた話、この時のミツは「誰かと付き合ったら教えてって言ったら、大和さんが本気かどうかわかると思って」いたらしい。
「どうだった? お兄さんの下心、本気だった……?」
苦し紛れにそう聞けば、満足そうに目を細めてミツは笑った。
「まぁ、収穫はあったよな。オレは、素直な大和さんが大好きだからさ?」
弄ばれた結果、クリスマスプレゼントは、お互い貯金を出し合って指輪を買うことになりそうです。勿論、身に着けたりはできないけど、サイズは薬指に合わせるつもり。我ながらベタベタにベタで、ついでにやっぱり青春だなぁ。
けど、ミツの下心がヘタだなんてまったくもって冗談じゃない……
俺は、散々にそう思い知らされたのだった。