パラライズ・アディクション
「ねぇねぇ、この間の巳波と二階堂すごくなかった?」
「ショーのでしょ? やばかった〜」
ずずずとストローで音を立てる。その雑音の合間に聞こえた棗巳波のファンらしき二人組の言葉に、三月はもう一度、ずっとストローを吸った。
「なんていうか……エロかったよね……」
ずっずずず、ずずっず——この妙なリズムをストローで奏でたかったわけではない。つい、つい溢れ出してしまっただけに過ぎない。
(……そう)
だよな? と、三月は首を傾げる。共演した相手が相手なばかりに、ショーで披露したダンスにはやけに色気があった。
(プライベートではそんなことないから、つい忘れてたけど……)
三月も現地で見たわけではなく、特別に配信された動画を見ただけに過ぎないのだが、途中、何故か張り合い始めた棗巳波と二階堂大和のことが一部で話題になっていた。
(大和さんは、エロい……)
訂正——色気がある。
思い返せば、フレンズデイでTRIGGERのSECRET NIGHTを披露した際も少し話題になった気がした。アイナナのメンバーの中だから殊更……というわけではなく、大和は特別色気がある。
(確かに、棗はなんとなくエロいし……抱かれたい男ランキングで騒がれてたこともあったし……)
その巳波と渡り合うのだから……そして、あのTRIGGERの双璧と並んでも見劣りしないのだから、もしや、大和はアイナナのメンバーが思ってる以上にセクシーなのではないか……
三月は、持っていたカップを持ち上げ、席を立つ。
普通に、ごく普通に考えれば、メンバーとして誇らしい、あるいは羨ましい。それで収まる話が、何分、三月にとってそれだけでは済まない問題だった。
「あ〜、また共演するみたいだし、すごい楽しみ〜……」
「普段から仲良いんでしょ? もしかして、撮影以外でもさぁ」
きゃいのきゃいのとした遣り取りに興味津々な自分の耳を、無理矢理引き剥がす。
そうして、三月はぶぶんと首を振った。
——好きな人が色気を振り撒いていたら、そりゃあ心配になるものだ。共演相手も色っぽく、満更でも無いような態度だと尚の事……
(棗は違うと思うけど! 思うけど!)
撮り溜めていたドラマの消化をするために、レコーダーのボタンをピッピピッピと押し進める。気付けば、大和の今シーズンのドラマを全て見送っていた。今は気分じゃなかった。
「オフィスラブ物なんて、む、無理!」
無理無理無理無理! 今は無理!
そう、少なくとも、今は無理だ。
後で見るか? 残しておくか? 三月はリモコンで肩を叩いて口を尖らせた。
IDOLiSH7のわんぱくの中にいるから秀でていると思っていることもあった。そうじゃない。大和は元々色気がある。このドラマのポスタービジュアルだって、相手役の女優と絡んでいる大人っぽいものだった。
むっと三月の眉間に皺が寄る。
そんな最中、コンコンと部屋のドアをノックされた。「はいよ」、そう強めに返事をすれば、ドアを開けたのは大和だった。
「なぁミツ、ホン読み手伝っ……あれ、なんか見てた?」
「ドラマ消化中だよ!」
「何怒ってんだよ……」
大和は三月の部屋にずかりと入り込むと、三月の隣、ソファに座って画面に目をやった。
「ああ、これか。見てくれてたんだ?」
「まだ見てないし、ちょっと気分じゃねぇの、今。MEZZO"が出た心霊番組でも見ようかなって思ってたところ!」
「お兄さんよりMEZZO"くんたちの方が気になるんだ、へぇ〜、そう〜」
ぷつと、三月はリモコンの操作をする手を止める。
「そういう言い方すんなよ……メンバーのことはみんな気になるよ?」
「はいはい。まぁ、七五三終わったばっかりのミツには刺激が強いかもな。これ、キスシーンリテイク多くて大変だったんだよ」
「えっ」
思わず声が出た——キスシーン、あるんだ……そう思うと、やはり気が進まない。
そんな三月の横で、手に持っている何らかの台本を眺めながら、大和が目を細めた。
「まだそこまで見てなかった? ネタバレしちまったなー、悪い悪い」
「そ、そうだよ! 余計気ぃ進まなくなったじゃん……」
「あれ、そうなんだ?」
台本からやはり視線を上げないまま、大和は「そっか〜」だの「へー」だのとのたまっている。
何故か気恥ずかしくなり、三月は結局、レコーダーの電源を切った。民放のリアルタイム放送が流れ始めたテレビをそのままに、自分の膝の上にリモコンを置く。
「あれ? MEZZO"くんたち見るんじゃないの?」
「……ホン読みすんだろ……付き合ってやるよ」
「マジ? 流石ミツ〜」
ぎゅうっと肩を抱かれる。ふわりと跳ねている髪越しのこめかみに頬擦りされた。三月は思わず、腕で大和を突っぱねる。
「や、やめろよっ」
すると、大和の表情が、少しむすっとしたものに変わってしまった。
「なんで」
「なんで……って、あんたの方こそ、最近高校生みたいなスキンシップ増えたよ? 斜に構えたお兄さんはどうしたんだよ」
——カッコつけてエロいとこ、オレにも見せてみろよ。そういう気持ちも、少しはある。けれど、みなまでは言えなかった。
「そういう態度だと、お前さん色々言ってきてたじゃん……だからこんなに素直になったってのに、それもお気に召さないっての」
「お気に召すとか召さないとかじゃなくて……甘えんのは良いよ。変にベタベタすんなって言ってんの!」
今はただの頬擦りで済んだが、過剰な時は腰にも首にも抱き付かれて、寮の中ではそのまま付いて歩くなんてのもざらだった。誰もいないと手を繋いだりと……色気あるお兄さん仕草とは、とてもではないが言えない。まるで子供みたい。酷い時は赤ちゃんだ。三月はそう思っている。
それを大和に伝えると、大和は手に持っていた台本をぱんと閉じた。
「変ってなんだよ。変じゃないベタベタって、何」
「な、なんで怒るんだよ……」
「怒ってねぇし。ミツが回りくどく言うからさ。何があったか知らないけど、出てって欲しいならそう言えばいいだろ」
やれやれとでも言うかのようにソファから立ち上がった大和が、三月を振り返る。
後ろ髪引かれるような、そういう不機嫌さを浮かべた表情に、三月は僅かな罪悪感を覚えた。
思わず、大和の部屋着の裾を引っ張っていた。
「ち、ちがうんだよ……」
慌てて手を離す。
「出ていかなくていいよ……あー……っと、なんていうか……くそ、なんだっけ……」
「……なに」
すとんと、大和が再び腰を落ち着けた。顔を覆ってあーだのうーだの言うことしかできない三月の顔を覗き込んで、ただ黙っている。
その内、ぽんと頭を撫でられた。ここで、ようやくのお兄さん仕草は、とてもずるい。
「……ホン読み、あるんだよな。ごめん、オレ、今は相手できないかも……」
仕事あるなら放っといていいよの意だったのに、大和は三月の頭を撫でて、その手で肩を撫で、そのまま黙ってただ隣にいた。
三月には何も言えなくなる。何か言わなきゃ、何か、そうでないと——この内にあるものが伝わってしまうような気がした。
(良いのか悪いのかわかんねぇけど、この人は……大和さんは)——三月の思う通りの姿を選びがちだから——(このままここにいて欲しいなんて思ったら、いつまでだってこうしていてくれるような気がしちゃうんだ……)
それって、とてもこわい。自分に都合が良過ぎてしまって。
そろそろと、顔から手を剥がす。優しく微笑んだ大和が、三月の前で「ん?」と首を傾げた。
(何か、言わなきゃ)
三月の方が「い」の形を作る。
「いろけ……」
「色気?」
途端に、大和の顔に疑問符が浮かびまくった。
「色気、オレ、いまだにわからなくて! あんた、ほらっ、他グループと絡むとエロ……いや、色々言われるじゃん? あれ、羨ましいなと思って!」
間違ってはいないが、そういうことじゃない……という言葉が、ボロボロと口から溢れた。間違ってはいないが。
それを聞いた大和が、少し訝しげな顔をする。
「……いや、ミツはそのままでも……」
「ホラ、このドラマも! オレはまだ見てねぇけど評判がさぁ!」
リモコンを指差しながら言えば、大和はするーっと目尻を細めた。
「……もしかして、共演系のゴシップでも見た? 言っておくけど、お兄さん共演者に手出したりしてないからな……」
「え、あんた、また書かれたのかよ……」
「なんだ、違うのか」
大和はポケットからスマホを取り出して、ニュースサイトをするすると眺めている。
「それ言うなら、ミツも学生服着た……なんだっけ? クイズ番組でさ、誰かとのツーショがリアル学生カップルとかって言われてたじゃん……」
スマホから視線を離し、片付けてしまった大和が、口を尖らせて三月を見た。
「いや、あれは色気の話じゃねぇじゃん……オレがガキっぽいからだろ。つーか、あんたもそういうの見るんだ……」
「嫌だからな。普通に」
「は?」
「ミツが共演者とどうこう言われるの、嫌だから。俺」
無いことをでっちあげられたら誰だって嫌だろうし……メンバーのことなら、そりゃそうか。
三月は、何故か跳ね上がった肩をゆっくりと落とす。
「……オレ、何もねぇよ?」
「俺だって何もねぇよ!」
なんで食い気味に怒ってるんだろう? 三月はしぱしぱと目を瞬かせる。
食い気味ついでにソファの背もたれに手を置かれて、まるで壁に追いやられてるみたい。壁ドンは古いよ大和さん、なんて言葉が頭を過ぎる。
「……どんなに絡んでても、お前さんとは何も言われないだろ。実際のところなんて、誰もわかんねぇんだからさ」
「大和さん……?」
……実際のところ、とは、なんすか。
三月の背中にどっと汗が浮かんだ。
「お兄さん勘違いしてたな。ミツは可愛いより、色っぽく迫られる方がお好み?」
だからなぁ、実際のところがまったくわからないままだけど? 三月は、思わずごくんと息を飲む。
「ほ、ホン読みは……?」
「棗の台詞、ミツに頼もうと思ったけど気が変わった」
「そ……」
それは確かに、今は嫌かも……そんな風に思ったら棗巳波に申し訳ないが、それでも今は少し……目を伏せる三月に、大和がじぃと鋭い視線を向けた。
「例えばさ、今俺のことを間に受けて、おでこから首の……鎖骨の辺りまで真っ赤にしてるミツってさ」
「えっ、お、あ、暑いのかな、部屋! 換気扇回す?」
「色っぽいんだよ、すごく」
目が丸くなるとはこのことだろう。元より三月の目は丸いが。
そんな表情できょとりと大和を見上げる。
「だから、気にしなくていいんだよ」
「ど、どういうこと?」
「必要以上に見せないで欲しいってこと、他所に!」
つう、と、大和が三月の鎖骨をなぞる。それから、隠すように手のひらを当てた。
「でもオレ、あんたに」
釣り合いたい? 違うな、せめて好みに寄り添いたい気持ちはあるよ、かな。それが例え、適性がなかったって。
「エロいって思われたいかも……?」
あ、違う。そういうことじゃない!
気付きはしても——口から出てしまった以上は後の祭りだった。
「は……?」
「ち、違うぞ! そういう意味じゃ……あんたみたいに、ってこと!」
「それは、ミツはお兄さんをエロく見ていると……」
「ちがうって! 違うくないけど、違うっつーか!」
「え、エロいって思うようなことしても良いってこと?」
「違うの! わざとかよ! それはもう全然違う話……!」
そう言っている間に、大和が三月の太腿を持ち上げた。大和の膝の上に抱えられ、三月はふぎっと変な声を出す。
「何がどう違うって……?」
「そ、そんな……」
少し嬉しそうににやつく顔が……
(良くないぞ! その顔は、よ、よくない……!)
動揺して上手い説明を思い付けない。
この場でバランスを崩さないように、そう、バランスを崩さないようにだ。他に理由はない。三月は大和の首に腕を回す。
これ以上、近付くのが怖い。ライブの時に抱き抱えられるのは、これと言って何とも思わないのに。
「大和さんが何勘違いしてるか知らないけど、その……あんたとどうにかなりたいとかじゃ、ないんだって……」
本当のところは、どうなりたいんだろう。
初めは、巳波のように大人っぽい色気で張り合えるのが羨ましくて、共演女優と色っぽく絡む大和に対して悔しくて、もだもだとして……自分には、自分と大和はそうはならなくて……もどかしくて。
甘えてくれるのは嬉しいけどとは思いながら、変な色気を持った触れ合いは嫌だと思って——何故? 勘違いしそうになる。ドキドキするからだ。
「だから……良くはなくて」
ドキドキする。大和さんの本当のところって、一体全体なんなんだろう。
その形を確かめるみたいに首を引き寄せて、抱き付いた。大和の頭に頭を擦り付ける。
(……ドキドキしてる)
本当のところ、こんな風に三月を抱き抱えながらドキドキ心臓を鳴らして、それに負けず劣らず三月もドキドキとして、多分、大和の言う通りに真っ赤になっている。いつの間にか、お互い汗でじっとりしていた。
こんなの全然エロくないな? そう思って体を離すと、大和が——あの大和が、シャツから見えてる首元から目の辺りまで真っ赤だった。髪から覗いている耳も赤い。まるで、酒でも飲んだみたいだった。
「うえ……?」
「……良くはないっていいながら、そういうことされたらさ」
眼鏡が下がってる。三月が頭を擦り寄せたせいかもしれない。大和は、その眼鏡の向こうでぎゅっと目を閉じてしまった。
「斜になんか、構えてらんねーんだよ……」
「えっ」
お姫様抱っこのように抱えられていたのが、いつの間にか必死に抱き付くように抱き締められて、大和の息が胸に篭る。熱い。汗はひかないし、恐らく今、地球上でこの部屋だけやけに熱い気がする。温暖化が進んでいる。
(構えてらんない、なんて)
鈍い声を上げながら三月の胸に頭を擦り付ける大和の頭を撫でる。
確かに、実際のところは誰にも……絡まるのに巻き込まれてる三月にもわからない。
今日わかったのは、エロいって思うことを大和がしたがっていることくらい。しかし、今の状況は全然エロくない。ままならないとは、正にこのことだろう。
「赤ちゃんじゃん……」
「うるせぇなぁ!」
こういう姿、他で見せてないといいなぁと思う。
幸い、世間的には、大和はまだ色気のあるお兄さんらしい。三月は拝めないそれを少し懐かしく、少し寂しくも思う。自分が引き出せないと思うと悔しくもあった。
「いっか、赤ちゃんも」
眼鏡の弦の掛かっている耳が、まだ真っ赤だ。これが収まって迫られでもしたら、大和の言う本当のところを正面から突き付けられでもしたら——いよいよ危ないかもしれない。させて、あげちゃうかも。
大事な台本は床の下に投げ出されている。そういうのは、仕事の姿勢としてはよくない。よくないが、今この瞬間だけ勘弁して、許そうか。
三月は汗ばんだ大和の頭に、んーと唇を当てた。
無理矢理顔を上げた不機嫌にも見える大和が、ずれにずれていた眼鏡をするりと抜いた。伏せ目だったそれが、三月に流し目を送る——それは、かなり色気がある。
おおーと思っている内、改めて抱き込まれて、三月の頬に大和の口が当たった。それは駄目だと胸に手を置いたが、狡賢い筋張った手がさっさとそれを退けて、自分を抱き締めろと言わんばかりに背に回した。
(もしかして)
ああ、もしかして、こういう遣り取りって、駆け引きって、もう十分、色っぽいやつなのか?
「……んう」
圧迫されていた関節が緩んで、血が巡る。ぴりぴりとした痺れが走った。
背中に手を回すのでは抑えきれなくて、三月は大和の首に腕を回し直す。ぎゅっと抱いた。これでもまた、血が巡って息が漏れる。
(オレ、麻痺してるだけかも)
十分に、色っぽいものを引き出し、引き出されているのかもしれない。
こんな事実もお互いの本当のところも、だあれも知らない。知られないまま、もう少し三月だけのものであって欲しい。