ひとさらいの夕べ -VANILLA edition-
【 Chapter 5 】
「兄貴……言ったよな。百さんのことは庇うなって……」
「庇ってはいない。何か理由があるはずだと言っただけだ」
「だから、それが悪いんだっつーのに!」
大和は、事務所のソファにどっかりと座ったまま、テーブルの脚を蹴り付けた。どかっというその音に、大和の前に座っていた八乙女楽が眉を顰める。
「物に当たるな、二階堂」
「あのなぁ! 元はといえば、お前が状況を拗らせてんの! わかってるか?」
「百さんが薬の売人雇って悪さしてるなんて、絶対に他に何かある……」
「他の組のもんに見られてんだよ! お前が庇うようなこと言うと、余計ややこしくなる!」
「事実なら事実で、理由があるはずだって言っただけだろうが! 庇ったわけじゃねぇ!」
だっから、と大和が言って、今度はテーブルを叩いた。置いてある灰皿がごとんと動く。
「それにしたって、今は「うちがケジメ付けます」って言っとけって言ったよな、俺は!」
「ケジメは付ける! 付けるが、俺は百さんを信じてる! あの人は悪戯に悪いことをする人間じゃねぇ!」
「ホンットわかんねぇ野郎だな、お前は!」
ドンとバンが繰り返し響く事務所の中で、大和がスマートフォンを見てソファに沈む。
「……八乙女、どんな理由があろうと、余所のもんに目付けられてる今、余計なこと言って火に油注いでる場合じゃねぇんだよ。俺らだって、百さん……いや、百が雇ったバイヤー見つけて、吐かせてんだ。百がヤベェことに関わってんのは、もう事実なんだよ。それは、百に付いていった御堂も同じ。ここまでは、お前さんでもわかるよな?」
「……そうだな。お前たちはよく調べてくれたと思ってる」
大和の言葉にしゅんと視線を落とした楽は、それでも首を横に振った。
「だが、俺は百さんから直接話を聞かないと納得がいかねぇ」
「まぁ、お前さんはそういう奴だよな……」
だから人を惹き付ける。が、しかし、他の組のシマを百が荒らしている以上、付けなければならない落とし前は発生するもので、それがわからない楽でもない。
「にしても、今日の立ち回りは酷かった。反省しろよ。一歩間違ってたら殺り合いになってたんだからな」
「それはお前に感謝してるよ。二階堂」
「感謝する前にヒヤヒヤさせんな……」
ようやくやれやれと羽織を脱いだ大和が、手で顔を扇ぎながら溜め息を吐いた。
「大体、お兄さんは今忙しいんだっつーの……」
「なんだ? 女か?」
大和はスマホを取り出し、するすると操作すると、バンド仲間と写っている三月の写真を拡大する。
「男の子。可愛いだろ」
スマホに顔を近付けて訝しげな表情をした楽が、大和の方を見て首を傾げた。
「お前……二階堂、ガキに手ぇ出したのか……」
「言っておくけど違うからな! 本当、純粋に可愛がってるだけ! あと成人してるから! うちの弁護士が調べたから間違いない」
「おい、何調べさせてんだ……」
スマホを眺めてゆるっと口元で弧を描いた大和に、楽がもう一度「おい……」と声を掛けた。
「まぁ、百さん関係でさ。ちょっと迷惑掛けちゃったんだよね。だから多少詫び入れしてるってわけ」
「何? それなら、俺からも詫びないとな」
「嫌だ。お前とは絶対会わせねぇ」
「は? なんでだよ。代表者としてケジメ……」
そそくさとスマホを懐に仕舞い、大和はむすっと口を尖らせた。
「お前さん、顔も性格も良いからな」
「ありがとな。それの何が悪いんだ? 会わせるのに文句無しじゃねぇか」
大和が暫しの間の後、低い声で言う。「それが悪いんだよ」と。
「お前さんのこと気に入ったら、どうしてくれんだよ」
「は? 何が?」
「ミツが!」
「蜜? 蜂蜜か?」
「ちげぇよ! 今見せた奴が! この可愛い子!」
そう言えば、ようやく楽は合点が入ったのか、声を上げて笑った。
「純粋に可愛がってるだけなんだろ?」
「そうだけど」
じとりと楽を見て、大和は立ち上がる。紋の入った羽織を事務所のハンガーに下げて、静かに溜息を吐いた。
「堅気だから、あんまり関わらせたくねぇし」
「それはそうだろうな」
「……百さんの件もあるからな。そろそろ、会うのもやめようと思ってるんだ、俺は」
そう言った大和の背中に、楽が問い掛けた。
「良いのか、それで」
「なんで?」
へらりと笑って振り返った大和は、楽の真剣な表情を見てぴくりと眉を動かした。けれど、軽薄に見える表情をやめる気はなかった。
「お前、役者だよな」
「お陰様で」
手のひらを天井に向けて、嘲笑うかのようにした大和に、楽は何か言いたそうに口を開いた。けれど、結局何も告げないまま形の良い唇を閉ざす。
ただし、すぐにぱっと表情を明るくして、手を叩いた。あまりの豹変に、大和の方が面食らった。
「そうだ!」
「なんだよ」
「お前の誕生日、バー貸し切ってるから」
「はぁ?」
ここのところ、息の詰まる話題ばっかりだからな、飲んで騒ごうぜと言って立ち上がった楽に、大和は「誰のせいだ!」と怒声を張った。
楽に言われた「良いのか、それで」という言葉が、頭の中にずんと残っている。
最初は、本当に身体検査でしかなかった。顔が可愛くて、体も綺麗で、気まぐれにさすれば跳ねて反応を返す体が健気で面白かっただけだった。
(キスしたい)
それが、弄くっている内に唇を奪いたくなって、奪うのが惜しくなった。奪ってしまったら終わる気がして、それができなかった。できていないから、手には入っていないから欲しい。どうか、そこ止まりであって欲しいとも思う。
事務所から自宅のビルに戻る車内で、スマホを覗く。約束の領収書を受け取って金を渡したから、もう関わることはないだろう――大和の方から追い掛けなければ。
「……なぁ、お前さ、ミツのこと、どう思う?」
大和は、いつも運転手をしてくれる舎弟に話し掛ける。
「良い子ですよね。兄貴に食って掛かるくらいだし、肝も据わってるわ、面構えもしっかりしてるわ……」
「そう、だよなぁ。良い子なんだよ」
今日の集会で、百の足取りを掴んだら報復を――落とし前を付けると約束してきた。楽は、ああして百と御堂のことを信じているが、問題はそこじゃない。
(八乙女には悪いが、出てこられると長引きそうだ。あいつがごねない内に、さっさと近付きたい……)
できる限り、楽の意向は尊重したい気持ちはある。何故百が楽を裏切ったのか、その理由は知りたいが、早めに方を付けたい。それが大和の本音でもあるし、楽の立場を守ることにも繋がる。
(良い子を、血生臭い目に遭わせるわけにはいかないよな)
車窓から、外のネオンを眺めて目を細める。
「堅気のガキとのお遊びも、ここまでかな……」
あわよくば、くれてやったネックレスがなるべく売られないと良いのに。なるべく、あの細首に巻き付いたままならば良いのにな。そんな風に思って、大和はこつんとガラスに額を当てた。
【 Chapter 6 】
三月は、その気になればケーキを焼ける。実家は少しばかり名の知れた製菓店であったから、小さい頃から手伝いはしていたし、腕には覚えがあった。だから、ホワイトデーのお返しなんかは、よくクッキーを焼いたりもしたものであるが……バレンタインデーにチョコを用意するのは、初めてかもしれない。
「いや、誕生日……誕生日、だから……!」
バレンタインデーの方ではない。二階堂大和に、誕生日のプレゼントを強請られたからだ。決して他意はない。断じて、告白のそれではない。ただのプレゼントだ。
アパートの狭い台所で作ったウイスキーボンボンを箱に詰めながら、三月は静かに唸った。
(帰ればオーブンあるけど……)
それこそ、そんなの「本気」が過ぎる。手を抜いたわけではないけど……と思いながら、ウイスキーシロップをぺろっと舐めた。
「酒、大丈夫だよな……多分」
きゅうっと喉が熱くなるくらいには奮発した。
小箱に詰めて、均一ショップで買ってきた包装に包む。緑色のベールを付けて、我ながら完璧、と胸を張った。まぁ、渡すのは男なのだが。
悩みに悩んだが、三月に振るえるものと言えば、菓子作りの腕くらいのものであった。しかし、それがやくざ者の舌に合うかどうかは知れないが……
(残らない物の方が、良いだろうし)
ベールを纏めて結っているリボンを撫でて、三月はそっと目を伏せる。
「なんか、変なことになっちゃったな……」
危ないチケットを拾ったせいで大和に会わなければ、今頃は自分が万が一にも貰えるかもしれないチョコレートのことを考えているだけで良かったのに。
気付けば、大和のことばかり考えている。連絡を待っているし、黒い車が横切る時には視線で追ってしまう。
(こんなの、おかしいのに)
住む世界が違う。あの地下のクラブに入ってしまった時から、わかっていたはずだ。大和たちとは住む世界が違って、吸う空気が違うということに。
飲み下したはずのウイスキーシロップが、腹の中でかっと熱くなった。
「……取りに来るかな」
プレゼント楽しみにしてるからと、強請ったのは向こうだ。だから、きっといつもの通りに大学の周りで拾われるはずだ。
三月は、オレンジのダッフルコートを着てマフラーを巻いた。一度外して、例のネックレスを付ける。その上から、ぐるぐると念入りにマフラーを巻き直した。
帽子は被らなかった。大和が三月だとわかりやすいに越したことはないからだ。
今日ばかりは、さっさと見つけて欲しい。果たして、今日ばかり、だろうか。目の下が僅かに熱を持った。きっと舐めたウイスキーのせいだろう。
二月十四日、学校内では普段つるんでいる連中がチョコを渡し合っていた。すれ違った環も、小さな箱を持っていた。差出人を聞いたところ「秘密」と言って誤魔化されたが。
「みっきー、今日夕方どうする?」
「あ、オレ、用事あって」
「おー」
環は、三月の手元にある紙袋をちらっと見て「わかった」と頷いた。
「じゃあ、今日はミーティング無しな~」
環は、さっさとトウマと悠に連絡を済ませたようだった。そして、ぽーんと三月の肩を叩くと「がんばれよー」と言った。
「……は? なんで?」
「なんで……って、貰った感じじゃねーじゃん? みっきー、作ったのかと思って」
「つ、作ったけど」
「だろ~? へへ……そんな気合い入ってんの貰う奴、ぜってー幸せじゃん!」
そりゃあ、綺麗にラッピングしたと思う。だって、誕生日プレゼントだから。だから、決してバレンタインの意味では、なく……と顔を下げる三月を、環がぎゅっと抱き締めた。
「でも、俺もみっきーの手作りチョコ食いたい。作って、今度……」
そんな環に、三月は「ははは!」と笑い声を上げた。
「いいよ! 作ってやるよ。仕方ない奴だなぁ」
「やった! じゃ、みっきーまたな」
最後にぽんぽんと肩を叩いて手を振った環に、三月は困ったように笑った。
「まぁ、頑張るか? 多少は……」
さよならを頑張るのか。そう思うと、少しだけ腹に力を入れないとならない気がした。さよならを頑張る。頑張らないとさよならができないみたいだ。
(……大和さん)
あんたは、どうなんだろう。いつまで三月で遊ぶつもりだったんだろう。
三月はマフラーに埋めていた頬を、手のひらで拭った。
「いつまでも何も、関係ないよ……終わりだ、終わり」
今日で、終わりにしなきゃ。
そう思ってキャンバスの入り口に向かったのに、三月を迎えるような車はなかった。ぐにゃっと首を傾げる。
「……あれ?」
長々駐車しては、他の学生からも警戒されているのに――今日は、受け取りに現れると踏んでいたのに。
暫くうろうろしてみても、夕日が滲んできても、例の黒塗りの車は来る気配がない。三月は持ってきた紙袋を見下ろして、静かに息を吐いた。体が冷えていたせいか、白い息は出なかった。
三月はダッフルコートのポケットからスマートフォンを取り出し、通話履歴を探った。登録していない番号の表示、それをタップして、掛けるかどうか思案する。
「何か、あったのかな……」
揉め事になってる、とか、仕事、だとか。電話してみても大丈夫だろうか。これまで、三月から掛けたことはない。
親指が震える。寒いせいかもしれない。
三月は一度息を吸って、吐いた。
意を決して大和の電話番号をタップする。夕日は既に彼方に向かって、キャンパスの前の景色は濃紺に落ち込んでいた。大学の照明も、もう一部しか点いていない。
コール音の後、不在を告げるメッセージが流れた。
「……あはは……」
途端に、胸の奥がずきりと痛んで、詰まったような気がした。三月は、そっと階段に座る。
「あー……」
紙袋を震える指で掴んだまま、組んだ腕にそっと頭を伏せた――そうだよな。誕生日、ましてやバレンタインデーだ。本命だっているだろうし。
そんな言葉が頭を過ぎる。
「オレ、何、本気にしてんだろ……」
からかわれただけだって、なんで気付けなかったんだろう。
金もなさそうな学生に、大人が、ましてや裏社会の人間がプレゼント強請ったりするわけがない。
三月は、マフラーの下、首に下げていたネックレスに触れる。ずしりと重いそれが、今は尚更に重石のようだった。
「浮かれて、バカみたい」
髪の合間を冷たい風が吹き抜ける。気付いてもらいたくて帽子を被ってこなかったことを、今は酷く後悔した。
大和が三月からの着信に気付いたのは、九時を過ぎた頃だった。
いくら酒好きといえど、昼からバーで散々飲まされ、散々騒いで、いよいよ飽きてきた頃、酔いに酔った頭でスマホの画面を見た。通知欄には、三時間前に着信。
「あっれぇ」
喉が焼けて、声が擦れている。飲んだくれた組員が歌っている下手くそなカラオケを横目で睨みつつ、大和はその着信に頭を巡らせた。
「何……ミツから……へっへへ」
そういえば、三月から連絡が来たことはない。いつも掛けるのは大和からで、車から声を掛けるのも大和からで、なのに今日は三月からの着信があった。
「誕生日祝いでも、言ってくれんのかなぁ」
へらんと笑って掛け直す。
プレゼントの催促をしてはみたが、別に好かれてるでもない。用意なんてしてないと思っていた。けれど――
(嬉しいなー、ミツからの電話)
もう会えないと思ったから。もう会わない方が良いって決めたから。だから、尚更嬉しい。
(これだけで、十分プレゼントだよ)
暫しのコールの後、無音になる。電話が繋がったのだと思って、大和は声を上げた。
「あ、ミツぅ?」
でんわ、ありがと、とソファに凭れて寝惚けたみたいに言った。けれど、電話の向こうの三月は、はっと息を飲んだだけだった。
「……ミツ? あ、俺、大和」
「やまと、さん」
小さな、消え入りそうな声。それをスピーカー越しに聞いて、大和は思わず立ち上がった。眼鏡がずれた。元の位置に戻す。
「三月?」
「……はい」
――えずいてる。
「どうした、ミツ。また具合悪い……?」
「……ちがうよ」
続く鼻を啜る音。大和は、スピーカーの向こうの情報に集中する。集音マイクを塞いで、カラオケを流してる奴に向かって「静かにしろ!」と怒鳴った。場の空気が途端にピリつく。
「大和さん、怒ってる……」
スピーカーに耳を当て直すと、三月の声がそんな風に呟いた。
「……怒ってないよ? ミツ、どこにいんの? 仲間といる?」
「違う……違うよ……」
ぐす、ぐすっと鼻を鳴らす三月の涙声に耳を澄ませる。酒でぼやけていた意識が、ゆっくりとはっきりしてきて、大和は――はっとする。
「まってたのに」
声が出なかった。
「待ってたのに、オレ」
――チョコレート準備して、待ってたのにな。
大和が、ふらりとした足取りで舎弟を探した。それまでしんとしていたバーの中で、いつも大和の運転手をしている男が革靴を鳴らして歩み寄る。
ハンガーから大和の羽織を外して、渡した。
「兄貴、どこまでです」
「ミツ、今どこ。家?」
そう問えば、三月は余計に声をくぐもらせた。
「……来ないで」
「嫌だ。どこだ? 吐きな。言わなかったら、わかるよな?」
脅迫するような口調になったことを、少し後悔した。けれど、そのくらい焦っていて、そのくらい気が動転している。
今を逃したら、本当に終わってしまうような気がした。
暫しの沈黙の後、三月が溜息を吐く。
「……アパート、です」
「すぐに行く」
「やめて、いや……だから」
「……逃げたら殺す」
大和はさっさと通話を切って、舎弟の男に連れてバーを出た。残された男達は、楽を含め、ぽかんと口を開け、首を傾げてしまった。
しかし、最早大和にはそんな輩を振り返っている余裕はなかった。車の後部座席に、さっさと乗り込む。
「ミツのアパートまで頼む。抵抗するかもしれねぇけど、逃がしたくない。取れるホテルならどこでも良い。部屋、押さえといてくれ」
「はい」
発車した車のシートに頭を預け、僅かに揺れる脳を押さえる。
「……飲み過ぎた」
飲み過ぎて、反応が遅れた。そんな律儀なことをしてもらえると思ってなかった。
(……逃げられたら、どうしよう)
殺すとまで言った。きっと部屋の中で震えて待っているに違いない。三月は大和のことを恐れてるから。だから、抵抗らしい抵抗をしないのだから。
(逃げられたら……)
それでも、逃げないで欲しいと祈っている。
(ごめん、ミツ……)
脅迫をしたのに、心の中では縋って、祈るような気持ちで目を開けた。かなりスピードを出してくれているらしい。横切っていく他の車のランプが、綺麗なラインを描いて大和の視界から消えていく。
「悪いな……」
「大丈夫ですよ」
眼鏡のブリッジを上げる。受け取った羽織は、袖を通さないままシートに放り投げていた。乱れている着物の合わせを睨んで目を瞑る。
「大丈夫ですよ、兄貴。あの子、良い子ですから」
きっと兄貴のこと待ってますよ。そう呟いた運転手の言葉に、大和は静かに頷いた。
【 Chapter 7 】
アパートまで辿り着くと、大和はさっさと階段を上った。三月の部屋のインターホンを鳴らして、ノブに手を掛ける。鍵が掛かっている。
「ミツ」
急く気持ちを抑えながら声を掛けた。このまま鍵を開けられなかったら、ぶち破ってしまいそうだった。
何度目かのガチャガチャという音で、中からくぐもった声がして、大和は手を止める。
「やめてよ……今、開ける」
ゆっくりと開いたドアの中から、裸足の三月が現れた。部屋の中が薄暗い。台所しか電気を点けていなかったらしい。
「ミツ、ごめん。待たせた」
「……待ってません」
「嘘。待ってたのにって言ったろ」
ドアを後ろ手に閉めて、大和は鍵を掛けた。ここまで来て、逃げられては困る。
「聞き間違いじゃないですか」
「聞き間違わない」
三月は板の間に足を上げて、そのまま大和から後退る。目の下が腫れてる。泣いてたんだと思うと、いとしくて目眩がした。
「酒臭い……酔ってるんでしょ。聞き間違いくらい、あるんじゃないですか……大体、何時だと思ってるんですか」
「……十時回ったかな」
「大和さんみたいな人にはわかんないかもしれないですけど、夜中ですよ、もう。騒がれても困るんで、帰って……」
帰ってと言った三月の腕を掴む。厚手のパーカーの胸座を掴んで引き寄せて、キスしようとしたところで、顔を懸命に逸らされた。
「いっ……や……」
「三月」
名前を呼ぶと、三月はびくりと体を震わせ、それから顔を背けたまま力を抜く。かといって、抱き込むだけの強引さはきっと、今は毒だろう。
大和は、抵抗をやめた三月の肩をそっと引き寄せるだけに留めた。
「……ごめん、ミツ」
「……どうして、来たんだよ……」
俯いていて見えないが、三月の声がぐずっと濁る。
「もう、終わりで良かっただろ……オレのことなんて」
「ミツのプレゼント、欲しかったんだもん」
加減ができなくて、ぎゅうと抱き締めた。三月は大和の胸を押し返そうとしたが、すぐに諦め、だらりと腕を下ろしてしまった。
「……オレばっかり本気にしてた。あんたは忘れてたのに」
「忘れてたんじゃないよ……」
「忘れてたんだろ」
「違う……好かれてもいないのに、準備なんてしてないと思ってた……」
そう言えば、三月がもぞりと身じろぎをした。大和の肩口に当てた頭を擦り付けて、言葉にならない声を上げる。
「……好きなわけじゃない」
「うん……でも、チョコレート用意してくれたんだ……?」
「……もう捨てた……」
大和は部屋の暗がりの中、ゴミ箱に無造作に突っ込まれているひしゃげた紙袋を見つけた。
三月から手を離して、そっとその紙袋に近寄る。膝を折って、ゴミ箱から救出して、中から緑のベールに包まれているラッピングを取り出した。歪んで角は凹んでいるが、その小箱を眺める。
振り返れば、三月の瞳がぐずぐずと揺れていた。
「……実家、菓子屋だっけ。作ったんだ?」
「なんで知ってんだよ……」
「うちの弁護士が調べた」
リボンを解いて、ベールを剥ぐ。小箱を開けると、中にはチョコレートが散らばっていた。
「食べていい?」
「捨てた物漁るなよ。みっともない……」
「みっともなくていいよ。今、ミツしかいないし」
そう言って、ひょいと一粒口に入れた。口の中でくしゃっとチョコを割ると、中からアルコールの風味のするシロップが漏れ出した。酒を飲みすぎて、正直はっきりとは味がわからないけれど、それでも口の中に甘みが広がる。
「もう、それ持って帰れよ……」
三月が大和を睨みながら言う。睨まれても仕方のないことをしている。そういう自覚はある。
「それで終わりにしようって思ってたんだ。渡して、さよならって……頑張って言うって……」
腫れている目を擦りながら、三月が続けた。
まるで自分の心の中を見ているようで、大和はぼんやりともう一粒チョコを口に入れた。また口の中で割る。
「……ミツ」
三月は、大和が呼んでも玄関から動こうとしなかった。
口の中に流れ込むシロップを舌で拭いながら、大和はそっと小箱に蓋をする。それを持ち上げたまま、ゆっくりと三月に歩み寄った。
「会いに来なかったら、俺のために頑張らせることなかったな」
三月の後頭部に手を添えて、そっとうなじを擽った。くんと上を向かせて、ぼんやり開いた口に唇を合わせる。チョコとウイスキーシロップの纏わり付いた舌をねじ込んで、戸惑っている三月の舌に絡めた。ねとりとした感触の合間、シロップと混ざる三月の唾液を吸い上げて唇を離す。もう一度角度を変えて重ねてやると、三月がぎゅっと大和の着物を握った。
「……ン……ふっ」
つうと三月の顎を伝った唾液を、舌先で舐め上げる。
三月が緩く顔を逸らした。無防備な喉元が晒されたので、吸い寄せられるようにそこに噛み付いた。
「や、だ……あ」
甘く噛んで舐める。耳たぶを食むと、大和の腕の中で三月が震えた。
「やっ、やまと、さ……」
「さよならって、頑張らないと言えない……?」
三月の瞳が、とろんとまどろんでいる。大和の酒気にあてられて、僅かに酔ったのかもしれない。愛らしい両の目が大和の方を見上げていた。
そんな三月が、ふわっと頷く。
「……俺も、ミツにさよならって言いたくないなぁ……」
――それでも、さよならをしなきゃいけないのに。
「……なぁ、ちょっと付き合ってよ」
三月が首に下げているプラチナのチェーンを指で遊んで、そのまま三月の手を取る。指を絡ませようとして、けれどその小指だけを結んだ。まるで指切りげんまんをするかのような形のまま、手を揺らす。
「ミツが帰りたいって言ったら帰してあげる。だから、付き合って」
僅かに頷いた三月の指を、すっと引いた。
外は冷える。それなのに、上着を着せる手間も与えず外に出て、部屋の鍵を掛けさせた。震える三月の肩を抱いて、待っていた車に乗せる。カタカタと震えている体を抱いたまま、ゆっくりと走り出した車窓の外を眺めた。
(可哀想に)
寒空の下、深夜の中へと連れ出され、有無なんて言わせるわけがないのに。それでも大和の言葉を信じて、帰してもらえると思って乗り込んだんだろうに。
(帰すつもりなんて、ねぇのにな)
チョコレートとウイスキーの味がした三月の唇を見下ろす。自分の両手にはーっと息を当てている三月が、きょろりと大和を見た。
「……寒い?」
「上着くらい、着させてくれても良かったのに」
そう言った三月に、大和は曖昧に笑って見せた。
「逃げないよ、オレ」
だから、急かさなくたって良かったのに。
それが自分への言葉だと気付くのに、たっぷり三秒ほど掛かったと思う。
逃げないと言った三月は、大きめのバスローブに包まれてベッドの上でぼんやりとしていた。裾の隙間から生えている生脚の先には色気の無いトランクス。くまさん柄のそれを引っ張って、大和は呟く。
「……なんでクマ」
「弟にもらった。うちの弟、ファンシーなの好きだから」
へぇと興味なさそうに返事した。
「くまさん汚すと悪いから、脱いどこっか」
「うん」
準備の余裕を与えていたら、もう少し色気のあるパンツでも用意してくれたのかなと思う。少なくとも、くまさん柄ではなかったと思いながら、大和は三月のトランクスを脱がせた。
バスローブの裾で股の間を隠した三月が、目を瞬かせる。
「……隠すのに、逃げないの?」
「今日、ホテル連れてこられたのは、流石にそういうことかなって思ったから」
だからシャワーも大人しく浴びたし、大和が浴室にいる間だって待っていたと言う。
「今ここで帰りたいって言ったって、多分無意味だろ」
「わかっててついてきたんだ?」
「……そうだよ。大体、帰りたいなんて思ってないしさ」
ベッドに頭を預けていた三月が、すごすごと大和を見上げる。シーツに広がっている猫っ毛が、ふわりと散らばっていた。
可愛らしいオレンジの束を指先で摘まみ、梳かしてやる。そのまま、頭の形を確かめるように指で辿って、顎の輪郭を撫でた。何かを期待するように揺れた三月の瞳が、照明の色を反射して光る。少し涙目になっているのは、酒気のせいだろうか。
触れるだけのキスをした。眼鏡がずれて下がる。それを、三月の手が恐る恐る抜いた。
「……冷たい。眼鏡……」
「眼鏡ないと見えないよ……?」
「見なくてもいいよ。男の体なんて」
ベッドの傍らにやられた眼鏡を横目に、大和は三月の胸を撫でた。バスローブの襟が広がって、三月の肩から落ちる。
見なくて良いと言われたのが少し癇に障って、大雑把に結ばれていたローブの紐を解いた。わざと開いて広げてやると、三月が少し体を傾けて隠す。
「こーら」
内股になって隠されてしまった陰部を、太腿を開いて見下ろしてやると、三月がかっと顔を赤くした。
「わかっててついてきたんだろ? 明かり消してなんて女々しいこと言って、がっかりさせんなよ?」
「わ、わかってるよ……!」
身体検査の時にも眺めたが、なるほど、うっすらとではあるが筋肉が付いて引き締まった体をしている。そのわり肌の肌理は滑らかで手触りが良い。乾燥に気を使っているんだろうと思う。触れる頬は、いつもすべらかだから。
「面白いもんでもないだろ……」
「面白くはあるかなぁ」
ぺろっと舌なめずりをする。
「男の裸に興奮するのは初めてだけど、悪くない」
それを聞いた三月が、不安そうに眉を寄せて、それからことんと息を飲んだ。
「……約束とか、ないの?」
「は? 何が?」
「他に約束とか。だって、誕生日なんだろ……」
もう深夜の零時になろうとしている。確かに誕生日ではあったが、それと「約束」が繋がらないまま、大和は首を傾げた。
「他に、会う人とかさ……恋人とか、いないの」
可憐な唇から漏れるその言葉の意味を咀嚼するのに、時間が掛かった。大和は「あー」と鈍い声を上げて、そのままずいと三月に顔を近付ける。
「へーえ?」
「あんだよ……」
「気になるんだ? お兄さんにイロがいるかどうか」
「うるせぇな……別に気にならないし……ただ、そういう人がいるんだったら、オレみたいなのに構ってていいのかなって……申し訳ないだけ」
三月のすぐ横に肘を突いて、頭を支える。横になって転がって、少し不貞腐れたみたいな顔をした三月を見た。
「顔も知らない、いるかいないかもわからない相手に申し訳なくなる必要ないだろ。覚悟して来てんだったら、自分が取ってやったくらいの自信持てばいいのに」
突いている肘から、刺青が覗く。それをちらりと見て、三月の瞳が揺れた。隠してやっても良かったが、今更かとも思う。
「……持てるわけねぇだろ……」
「どうして? 実際選ばれてんのに?」
そう問えば、開かれたままのバスローブの合わせを手繰り寄せて前を隠し、三月がこてんと大和の方を向いた。むっと唇を突き出したような顔をしている彼に、大和はゆるりと目を細める。
「大丈夫だよ。俺、愛人は持たない主義だから」
「……何それ」
「俺が愛人の子だからさ。その辺はしっかりしてんだよ。道徳っつーか、倫理観っつーか? ああ、貞操観念か?」
「手慣れてそうなのに」
「愛人は持たないってだけで、女の子は好きよ、俺」
「……あっそ」
女の子じゃなくて悪かったなと、三月が擦れた声で言う。
大和は思わず笑った。うっかり出てしまった自分の軽口に律儀に反応する三月がいじらしくて、つい頭を掻く。
「ミツも好きだろ、女の子」
「そりゃあ……人並みには」
「気持ち悪い? 俺に触られるの」
シーツに沈んでいる三月の柔らかい頬を擽る。むにりと撫でてやると、擽ったそうに目を閉じた。小動物みたいだと思った。
大和の問い掛けに、三月はふるりと首を振る。
「気持ち悪くない……」
「嫌い?」
「嫌いじゃ、ないよ……」
「俺のことは?」
「嫌いじゃ、ない……」
僅かに距離を詰めて、唇の先が掠めるくらいになったところで「本当に?」と囁いた。三月が戸惑いがちに頷く。ほんの少し触れた口を、ゆっくりと押し付ける。三月の鼻から呼吸が抜けて、ふっと声が漏れた。
「怖い?」
唇をねっとりと剥がして尋ねれば、「時々」と言った。
「俺が怖くて言うこと聞かなきゃならないって思ってるなら、それだったら今すぐやめるよ。どうする?」
止める気がないのに、そんな言葉を投げ掛けた。狡くて汚いやり方だ。それを自覚した上で薄ら笑った。
すると、目の前の三月がきゅっと眉を寄せる。
「……そういう聞き方は、嫌だ……」
「どうして?」
「あんたが怖いだけだったら、もっと媚びてるよ……媚びて媚びて、命乞いみたいにしてる……心にもないこと言って、早く終わらせようとしてる。きっとな」
三月が、恐る恐る大和の唇に指を触れてくる。ふわりと撫でるみたいに押されて、つい目を見開いた。
「……言うこと聞かなきゃならないって思うよ。だって、怖いもん……逃げたら殺すって言われて、怖くて……」
「……すまん。悪かった……あれはつい」
電話口で咄嗟に出た脅迫。目を伏せて、三月の肩を撫でる。怖がっただろうとは思っていた。
「怖かったけど……」
だから、続いた三月の言葉にほんの僅かに動揺した。
「……会いにきてくれるって思ったら、嬉しくなった……」
大和のバスローブに躊躇しながらも擦り寄った三月から、石鹸の匂いがした。清潔感のある香りが鼻孔を擽る。
「あんたに嘘つきたくないから、怖いって言うよ。言っちゃうよ……でも、オレがめちゃくちゃになってるの、それだけじゃないってわかってよ……」
「……めちゃくちゃ……?」
「めちゃくちゃだよ、今……心ん中」
「えー……ごめん」
おずおずと大和の体に手を回してくる三月の頭を撫でて、ふわふわの髪に鼻を差し入れた。
わかってよと言われても、大和には心当たりが無い。嫌いじゃないの反対は必ずしも好意だとは限らないように、三月が滅茶苦茶になる理由だって、嫌悪でないからといって好意だとは限らないのに――自分にとって都合の良い考えまで至れないまま、寝そべっているシーツの方へと瞳を向けた。
(吊り橋、渡ってるだけじゃねぇかな……)
三月の襟足をふわふわと撫でながら、そんなことを思った。
大和は意図的に吊り橋を渡らせて、その手を握ってやってるだけだ。緊張する胸の鼓動が大和の方を向くように仕向けているだけだ。自分は――三月の手を取る。緩く握った――そういうことが、得意だから。
「ミツ、いい?」
「え……」
は、と息を飲んだ三月が、大和の顔を見て小さく頷いた。
体を起こして、改めて三月のバスローブを広げる。恥ずかしいのか、三月がふらりと顔を逸らした。露わになった首筋に骨が浮く。
大和はその線に唇を寄せて吸った。舌を這わせて味わって、鎖骨に噛み付く。身悶えた三月が漏らした吐息が愛らしい。
ちゅ、ちゅっと首筋に痕を残しながら、何をされるのかと震えている三月の内股を撫で上げる。やわく熱を持っているペニスを握って上下に扱いてやると、三月が慌てて大和の胸を押した。
「ちょ、ちょっと、大和さん……!」
やめて、と制止の声を掛けられても、手を止めないでいる。湿っている玉を持ち上げて揉んでやると、三月の腰がぴくと震えた。
「や……だ、どこ、触って……っ」
「触らないと始まらないだろ? それとも、ミツはお兄さんとこういうことするの、やっぱり嫌なんだ?」
「嫌とは言ってないだろ……び、びっくりしただけ……」
もじもじと内股を擦る三月の腰骨を撫でてやって宥めるついで、ぐっと自分の腰を押し付ける。バスローブ越しでもわかるだろう。既に勃ってる。
「……え、うそ……」
三月の胸の中心でぴんと立ち上がっている乳首に舌先を這わせて、ぐっと押し込む。びくっと背中をしならせた三月が、逃れようと体を背けた。
そんな三月の腰に腕を回して、引き寄せる。意図せず胸を突き出すような姿勢になってしまった三月の胸筋に噛み付いた。敏感になっている乳首を再び吸って苛めてやると、三月は猫みたいな声を上げて大和の頭に縋り付いた。
「や、だ、それぇ……っ! や、す、吸わないっ、うっ……!」
ちゅぱっと口を離すと唾液の糸が渡った。薄い胸を指と指でやわやわ揉んでやる。それがむず痒いのか、三月は、ん、んと声を上げながら体を捩っていた。その間も、三月にごりごりと股間を押し付ける。
「んっ、も……クソ……! おっさんくさい!」
「お兄さんだって言ってんだろ?」
バスローブの合間から下着を脱いで、主張している自分の物を取り出す。三月がそれを見下ろして、ごくんと唾を飲んだ。
「やまとさん、まさか、オレで勃ってんの……?」
「他に何で勃つんだよ……はー、ミツが焦らすから、苦しいな……」
つんと尖っている三月の口に、ちゅっと唇を当てる。上目遣いに三月の顔を覗いて、「なあ?」と声を掛けた。
「……何、どうすればいいの……」
「ミツはこういう時、どうして欲しい? 思う通りにしてごらんよ。合ってたら褒めてやる」
何か言いたそうにした三月が、顔を顰めて体を起こした。
後ろ手を突いて仰け反る大和の股間に割って入って、ちょこんと身を屈める。
「うう……」
勃ち上がっている大和のペニスに顔を寄せて、戸惑いがちに口を開き、先端を咥えた。
「ああ、そっちの方?」
「んむ」
違うの、と言い掛けた三月の頭をすりすりと撫でてやった。三月の小さな口の中に自身が飲み込まれる様を見て、はぁと息を吐いた。
「いいよ。やってみれば?」
三月が、一度れっと大和のペニスから口を離す。舌先で亀頭を舐めてみて、手で支えながら裏筋に舌を這わせる。質量が増して硬くなっていくのがわかるのか、三月の瞳が不安そうに揺れた。れっれと繰り返し舐め上げられ、大和は思わず口角を上げる。
「良い眺め」
「……そうかよ」
余裕綽々の大和が気に入らないのか、三月は口を開いて再び大和の物を咥える。躊躇しながらも、喉の奥まで入れて、その圧迫感に口を離した。
「ごほっ……」
噎せている三月の頭を撫でて、大和が呟いた。
「慣れてないんだから無理すんな。追々にしなさい」
「誰が、慣れるか……っ」
それでも、大和の亀頭はパンパンに膨らんでいる。十分楽しませてもらった。射精させてくれたら万々歳だったが、三月はけほけほと噎せてしまって、これ以上は望めそうにない。
大和は、チェストに放ってあったコンドームの包装をぴっと破いて自分のペニスに付けていく。それを見ていた三月の頬が、段々と赤くなっていった。
「ミツ、ケツ出して」
「え、は、はい……」
肩から落ちて、最早腕に袖が引っ掛かっているだけのバスローブをそのままにうつ伏せになった三月が、不安そうに振り返る。
大和はと言えば、三月のバスローブの裾を払って、むき出しになった尻の割れ目を広げた。三月のアナルが、ひくひくと震えている。
手のひらにローションを出して、温める間もなくその尻の間に塗り込めた。冷たさに、三月が「わ」と声を上げる。ローションを指に纏わり付かせて、そのままアナルの内側に押し込めていく。
こめかみをシーツに当てつつ振り返っていた三月の目が、とろんとしていた。呼吸が浅く乱れていくのを聞きながら、大和は三月のアナルを広げていく。くちゅくちゅと鳴るローションの水音をわざと大きく立てて、三月の方を見た。
「ミツ、お尻洗った?」
「う……そ、そりゃ……あっ」
ローションを更に垂らして、弄ぶ指も増やす。ぐっと圧を掛けると、三月が口を手で押さえて顔を隠してしまった。
「ん、なん、かぁ……ヘン……」
「加減がわかんねぇんだもん。ゴムしてるし、そろそろいいか?」
「いいか、って……わっ!」
尻を上げて蹲っている三月の腰を引き寄せる。僅かに広がった穴にペニスの先を押し当てて、そのまま抱き寄せた。ぎゅうっとした感触の後に、ペニスが生暖かく包まれる。包まれるというよりは……
「ひゃ、あ……ッ」
「きっつ……」
絞られるに近い。ぎゅうっと締め付けられ、大和は思わず鈍い声を上げる。三月の腰を引き寄せれば寄せるほど、なんとか中には入っていくが、それにしても、あまりの窮屈さに、後頭部がくらりと白んだ。
「はっ……」
急に内側に杭を埋め込まれ、三月はびくびくと体を震わせていた。ぽかんと開いた口からは、声が出ないらしかった。
「ミツ、息、できる……? 一回抜こ、か……」
かくんかくんと頷く三月をゆっくりシーツに下ろしてやって、ペニスを抜く。その間も、三月の肩甲骨がぴく、ぴくと震えていた。
「あふっ……あ……」
はぁはぁと呼吸を乱した三月のアナルから、ローションが溢れる。太腿を伝って落ちていくそれを見届けて、大和はもう一度ペニスを突き立てた。
今度は四つん這いになっている三月に折り重なるように自身を埋めていく。シーツを掴んでいた三月の指がびくびくと震えて――三月の口から声が漏れた。
「や、は……あ、あん……」
声が可愛い。
「まって、や、とさ……ああっ……!」
背後から三月の腰を掴んで、ゆっくりと埋めていく。やはりきつい。きついが、じくじくと吸い付いてくる感触が堪らない。
「あー……イイな、これ……」
ローションでぬめる三月の腹の中を擦り上げて、返ってくる肉の感触を愉しむ。浅く呼吸を繰り返す三月の脇の下に腕を入れて上を向かせた。
「ひっ」
三月の大きな瞳から、ぼろりと涙が溢れる。それを見せたくないのか、手の甲でごしと顔を拭ってシーツに伏せてしまった。
ぞく、と背筋を上るものがある。恥ずかしいのか、苦しいのか、悔しいのか、悦いのか? そのどれとも読ませないまま、首から上を真っ赤にして泣いている三月の体を無理矢理仰向けに返す。体の中で大和の向きが変わって、持ち上がった三月の爪先がぴくっと震えた。
繋がった場所から指で辿って、太腿の裏を、膝の裏を、そうして脹ら脛を撫でる。踵を持ち上げて、呆然としている三月の顔を見下ろした。
「……はぁ、あははっ」
――本当に良い眺めだ。
三月の体の横に肘を突いて、びっちりと体を寄せる。お互いの体の間に挟まった三月のペニスが熱い。くちゃくちゃに濡れているそれを腹筋で擦ってやると、すぐ傍の三月がはくと口を震わせた。
腹を擦り寄せれば当然、アナルの内側も擦り上げられる。三月の瞳が行き場をなくして、白目の中でぐるりと回った。
「落ちんなよ」
「うっ……うぐ」
投げ出されている三月の腕を取って、自分の首に回させる。ゆっくり腰を前後させて揺すってやると、素直に大和の体に縋った三月が途切れ途切れに声を漏らした。
「ど、う……苦しい?」
「ん、ちょっ、と……はぁっ、あっ」
きゅうきゅうと大和の物を締め付けてくる腹の内側を執拗に擦り上げると、三月がすっと目を閉じた。
「あ、……や、まとさ……」
ぎゅっと首を抱かれて唇を合わせてやる。息を吸おうと開いた口から舌を引きずり出してしゃぶってやれば、三月がふっと笑った。
「何……」
「オレ、さっきあんたのしゃぶったから……ひひっ」
変な感じになったねと小さく溢した三月の内側に、ぐっと先端を押し付けた。びくんと跳ねた身体から三月の鈍い声が上がる。ぱんぱんと繰り返し叩き付けてやっている内、絶頂が見えてきて、大和はきゅっと目を閉じた。瞼の裏がぱっと明るくなって、下半身に溜まっていた熱が一気に放出される。
下半身を揺さぶられてぼうっとしていた三月の中からペニスを引き抜いて、コンドームを外した。口をゆるく結んで、床に放る。
限界まで貫かれていた質量を急に失って、三月のアナルがぽっかりと開いていた。そこに続けざまに突き入れてやろうとして、けれど、一度汗をかいている額を擦る。
二つ目のコンドームの包装を噛んでぴっと開くと、すぐ装着して、また三月に乗り上がった。
三月の腹の上には、三月自身の精液がぐちゃぐちゃに飛び散っていた。それを指に絡めて、再び三月のアナルを押し広げる。
再び挿入を始めると、それに気付いた三月が大和を見上げて口を開いた。
「ま、まって、まだ……っ」
「えー?」
きゅんと亀頭を絞られる。
「ま、だ……! ヘンになってるか、らぁ……!」
「どこが変になってんの。言ってごらん」
「やだ、奥……」
「奥ねぇ」
ぐっと押し当ててやると、三月の腹が震えた。
「大丈夫だよ。さっきと同じで、すげぇ吸い付いてくる……」
な、と揺すってやれば、三月が信じられないとでも言うように目を見開いた。
「気付いてなかった? ミツのケツは、これしゃぶるの好きなんじゃねぇの? もう一回してやろうな」
そう言って抽挿を速めると、堪らないのか三月が大和の背中に爪を立てた。
「はっ、てっめぇ……っ」
「や、ご、ごめ……ごめんなさ」
咄嗟に大和の体から手を離した三月の指が、シーツを掴もうとして滑る。太腿を押し上げてぐちゃぐちゃと腹の内を掻き混ぜてやると、口を開いた三月が声を上げて喘いだ。
「や、あぐっ、ご、ごめ……っ」
謝りながら、体は大和を搾り取ろうとしてくる。
「ミツ、怖がってんのに、興奮してんの……?」
半笑いで問い掛けてやれば、三月がうっすらと目を開けて首を振った。
「ち、ちが、違うよ……!」
「まぁいいや、許してあげる。だから、もっと欲しがってよ……」
大和の手から逃げようとする手を無理矢理掴んで、再び肩に回させた。引っ掻かれようが殴られようが、本当は気にしちゃいない。
「いいよ。掴まってな」
そう耳に優しく流し込めば、三月は抵抗を諦めて、躊躇しながらも大和の体を抱き寄せた。
「……ん、やまとさ……ん」
「なに?」
三月の手が、大和の肩口の刺青をなぞる。切なそうに眉を寄せて呟いた。擦れて途切れてはいたけれど、確かに聞こえた。
「もっと……ちょうだい」
額に貼り付く前髪を払って、蕩けそうな表情を懸命に取り留めて、三月が真っ直ぐに大和を見て言った。
堪えきれずに、震えている唇にむしゃぶりつく。そのまま、気の済むまで細身の体を揺さぶった。
「腰、重い……」
綺麗なバスローブに着替えた三月が、ベッドの上にうつ伏せになって呻いている。そんな三月の髪をタオルで拭って、大和は笑った。
「風呂で腰抜かすと思わなかったなー。処女なのに頑張りすぎちゃったかな? そんなにヨかった?」
「処女ってわかってんのに、風呂でまで突っ込まれると思わなかったからな……!」
がばりと体を起こした三月が怒鳴る。しかし、すぐにピキと固まって、再びベッドに伏せてしまった。そんな三月の腰をバスローブ越しに指先で撫でて、さすって、大和はくくっと笑う。
「ごめんごめん。ミツがあまりにも可愛くて、つい」
「うう……くっそ……」
自分のすぐ傍らに腰掛けている大和の背中をちらりと見て、三月は口を尖らせている。苛めすぎたのかもしれないと思って顔を覗き込めば、三月がはらりと瞬きをした。
「……大和さんの、刺青って」
「何? ああ、これ?」
バスローブの襟から覗いている肩を撫でて、大和が首を傾げた。
「それ、背中まで続いてるんだよな……」
「続いてるよ」
三月がふらりと体を起こし、けれど起き上がることはできないまま、仰向けに転がる。
前髪を掻き上げて、口を尖らせたまま言った。視線は、何かを探っているようだった。
「……背中、見せてくれなかったから」
「そうだっけ?」
「うん……風呂でも避けてただろ……なんとなく、だけど」
「まぁ、ミツのこと抱き上げてたら、ミツから背中は見えないかもなー」
ベッドから引き摺って浴室に連れ込んだ後も、結局体を弄くり回して揺さぶって、滅茶苦茶に乱した。その結果、三月は腰を抜かして動けなくなってしまったので、ベッドまで丁寧に抱き上げて運んでやった。
その時の三月の悔しそうな恥ずかしそうな顔と言ったらもう、一生忘れられないかもしれない。可笑しくて。
「う、うるせぇな……だって、あんな……っ」
鏡に腕を突かせて後ろから抱き犯してやれば、それまで我慢していたらしい甲高い声を上げて鳴くものだから、つい嗜虐心が勝ってしまった。
「声、響いてエロかったなぁ」
「素のままのもん突っ込みやがって……」
「それはごめん」
生でする気、なかったんだけどなと溢す。一応、反省の色を見せてみた。
「……ケツ、なんかヘン……気持ち悪い……」
「朝になったら動けると良いなぁ」
「ひ、他人事みたいに……」
呑気に見えるように立ち上がって、冷蔵庫の中のミネラルウォーターを取り出す。それを三月が転がっているベッドに投げてやって、大和は静かに笑った。
「……誤魔化された」
「誤魔化してねぇよ? 何、見たかった? お兄さんの紋々」
「別に。見せたくないなら良い」
――そういう風に見えたかな。見えたかもな。
冷蔵庫の中に入っている酒の瓶をいくつか眺めて、大和は眼鏡を上げる。ゆっくりと瞬きをした。
「見ない方が良いよ。忘れらんなくなっちまうから」
冷蔵庫を覗いたまま、三月から目を逸らしたまま、そう言った。
「夢に出るかも。結構おっかないやつだからさ」
冷蔵庫を覗いていた背筋を伸ばし、「なぁ」と、ようやく三月の方を見た。釈然としない顔をしていた三月が、枕に頭を預けたまま大和の方を見ている。
(忘れて、欲しいな)
そんな風に口の中で呟いた。袴と共にソファに置いていた数珠を手首に通して、三月の傍に戻る。大の字に寝そべっていた体から掛け布団を抜いてやって、丁寧に掛けてやった。
ぽんと腹を叩いた時、「子供扱いすんな」と三月が呻いた。
「……まだ響く?」
「なにが……」
自分もベッドに潜り込んで、三月の耳にそっと唇を寄せた。焦れったく三月の下腹部を撫でながら囁く。
「俺が入ってたとこ、感じる?」
間接照明だけが点いた薄暗い部屋でもわかるくらい、三月の頬がぽかっと赤くなった。それを見て口角を上げると、腹を撫でていた手をぺちっと叩かれた。
「可愛いなぁ、お前さんは」
「もう、本当……やだ、あんた……」
自分の手の甲を顔に当てて隠してしまった三月の体を抱え込む。腕枕するように抱き締めてやると、素直に大和に体を擦り寄せてきた。
覚えているのは、このくらいで丁度良い。
(……覚えてなくたっていい時が来るって)
堅気じゃない男に体の中を犯されたことなんて、いつか覚えていたくなくなる時がくるだろうから、だからきっと見せない方が良い。見えない方が良い。
(こんな、たった一晩のことなんてさ)
耳から眼鏡の弦を抜いて、開いたままサイドチェストに置いた。
腕の中の三月は、既にすっと寝息を立てている。きっと、堪え難い疲労の中、なんとか喋っていたのだと思う。
疲れちゃったねーと頭を撫でた。柔らかな猫っ毛に鼻先を差し込んで、大和はすっと深呼吸をした。
自分は、この香りも湿度も、何一つ忘れたくないと思うのに、相手には忘れるように願うだなんて、あまりにも自分らしく傲慢なことだと笑った。