"spring spring"
俺の可愛い可愛いお人形さん。お人形さんが手に入ったんだ。綺麗で可愛い素敵な——でも、ただの人形は、俺に好きだとは云わないの。
(どうすればいいのか、わからないな)
愛してるって伝えても、それから何をしてあげたらいいのかわからない。お人形さんと接してばかりだったから、何をしてあげれば喜ぶのかわからない。
せっせと肌を磨いて、髪を梳いてやれば、手入れしてやれば喜ぶだろうけど、それじゃあ人形にしているのと変わらない。好きの暴力をぶつけたら綺麗な声で鳴いてくれるけど、それもどうやら胸が痛い。
ブロンドのお人形さんが言った。
「ヤマトくんは、あのコをニンギョウにしたくはナいんだね」
(そうだよ、きっとそうだ)
一方的に愛すのだったら何も悩まないのに、愛してもらった時の愛し方が、わからない。
——それはきっと、欲しくて堪らなかったもののはずなのに。
「恋人に、何をしてあげたら良いかわからない、だって?」
青筋を立てるこわいこわいナイフ使い。彼の前に佇みながら、大和はうんうんうんと頷いた。
「いけしゃあしゃあと言うようになったじゃないか。帰って来なかったカーニバルの日に、ミツキと一体どんな演目を演じたんだ?」
呆れたような顔をしてそんな風に言うナイフ使いに、大和は思わずひつじのパペットを向ける。そろーっと口を開いた。
「ハチミツイロのアマいアマいのだよ」……と言いかけた羊の頭に、さくっとナイフが刺さった。
「ぎゃー! ひつじちゃん!」
普段ならありえないほどの大声を出した人形使いに、ナイフ使いは耳を塞ぐ。
「わかりやすく浮かれて……本当にムカつくな」
不機嫌を隠しもしない表情のまま、ナイフ使いはひつじの頭に刺したばかりのナイフを抜いて、くるりと回した。
「あーあ、バカらしい。あんな可愛い恋人なんだ。彼が望むことを、なんだってしてやれば良いのに」
「キいても、コタえてくれないよォ……」
「気の利かない男だな! そんなの馬鹿正直に聞くやつがあるか! 言われずともなんだってすれば良い。服や花や、食べ物だって良い、酒だって……宝石もきっと似合うだろうな……オルゴールなんてのも喜ぶかもしれない! ……って、何してるんだ?」
「め、メモ……忘れないように」
そんな甲斐性のないことを言う大和の頭を、ついにナイフ使いが引っ叩いた。
「お前、そんなに不器用じゃないはずだろう。娼婦の一人、二人くらい、知り合いもいそうなもんなのに」
それは……と口をもごつかせる大和に、ナイフ使いが首を傾げた。
「それは?」
「娼館のお姉さんは、こっちをもてなしてくれるもんだろ? そうじゃないんだ……今は、俺がミツを」
今度こそ、ナイフ使いは肩を落として頭を抱えた。
「その手の話、ミツキには絶対にするんじゃないぞ……」
「え?」
「娼館に顔馴染みがいたような話をだ! そういうのは明かさないもんだからな」
「こんなの昔の話だぞ。今、俺が好きなのはミツだけで」
「それはお前の心の中だけで完結している感情だろう。はたから見たら……例えば、ミツキからもそう見えるとは限らない。お前だって……それに」
ワタシもか……と、少しだけ笑った人形使いに、大和は小首を傾げる。
「お前もワタシも、ミツキが船を降りる気があるんじゃないかなんて、勝手に考えたじゃないか」
あれは——と振り返る。
もしも本当に、御曹司が三月をなんとしても手に入れる気だったとしたら、神経の操り糸を繋いで、あれ以上のどんな手段に出ていたかもわからない。
大和は自分の手の平を見た。あれ以上、三月をどうやって辱めていたかも、わからない。
「……気を付ける」
「無駄話をしてしまった……」
普段の態度に戻ってしまった人形使いは、いーっと顔を顰めると、大和から離れて行ってしまった。
(あの時は)
確かに、伝わらなかったな。
三月から糸を抜いたことで、三月が怒ると思わなかった。それと同じことかもしれない。
お人形は愛を伝えても伝え返してはくれないが、生きた人間はそうではない。
(伝え返されたこと、嬉しかった……)
だから、もっと優しくしたいのに。
(服、花、食べ物……酒、オルゴール……)
そういえば、三月はよくこのひつじで人形使いの真似事をする。その姿が大変に可愛らしい。
(お人形……)
でも、このひつじはあげられないし……うーんと頭を抱えていると、船員の一人にぶつかった。ついでに船が揺れるものだから、大和はそのままよろけて倒れ込んでしまったのだった。
(人の好きって、難しいな……)
「何寝てんだよ」
通用口の天井を見上げていても何も答えは出なかった。
だから、今度は幅狭の甲板から見える空を眺めていると、急に三月が覗き込んできた。
「……びっくりした」
「見張り中だろ。ぼんやり寝転がってる奴があるか? びっくりしたのはこっちだっつーの……何しに来てるんだか……」
「すまん……少し、考え事を」
大和が言えば、三月は見張り台の伝声管をそっと手で覆って閉じた。
そんなことをしても、団長の映像機は追ってくるかもしれない……そう思いながら、大和は体を起こす。起こしきる途中で、大和の頬に三月の唇が触れた。
「……びっくりした」
「また?」
「うん、どうしたの」
「……天気が、とても良いから」
三月の団栗目が、日の光を受けてきゅるりと輝いた。
(宝石みたい)
宝石なんてあえてくれてやらなくたって、こんなに美しい。ドールの瞳、その美しい細工を、思わず口に含んだ幼い時のことを思い出す。ただ冷ややかな無味加減に、すぐにぺっと吐き出したそれは、今だって魅力的には違いはない。しかし、大和はもう大人だ。誤って口に含むようなことはないだろう。
けれど……これはつい、啄んでしまいたくなる。
三月の小さな顎に手をやって、引き寄せる。
(これは)
瞳をいざ啄もうとした時、三月が目蓋を伏せた。ふにっとした肌に唇を当てて、大和は口角を上げた。
「くすぐった……」
そうして、くすくす笑った三月の口元にキスを落とす。
「ミツ……ナギに、聞くもんじゃないって言われたんだけど」
「なあんだよ……」
こんな時に、そう言わんばかりに瞳を蕩かした三月が僅かに眉を上げる。逆に、唇を塞がれた。
「ミツ……? あのさ」
「んー」
ちゅっと音を立てて離れていく唇がいつもより赤い。花だって、添えてやらなくたってこんなにも華やかで、可憐で——
「ミツは、何が欲しい?」
え? きょとんと大和を見た三月に、大和は……フードを目深に被り直した。引っ張り出したひつじのパペットで更に顔を隠す。
「お、れに、あげられるものなんて、限られてる、けど」
声色が、うまく作れない。
「それ、でも……っ」
三月が、ひつじごと大和を抱き締める。頭をひつじ越しに抱かれ、少し息が苦しくなった。
「み、ミツ、息、でき、な」
眼鏡も、潰れる……そう呟けば、三月は大和のフードに潜り込もうとする。こんな場所に入れるわけがない。やめよう、やめようと首を横に振るが、三月は大和の頬に吸い付いて、それからケラケラと笑い出した。
「あはははっ! も〜!」
「もうはこっちのセリフ……!」
「……欲しいもの? 抱き締めてよ」
「う、うん」
抱き締める。こんなことが、嬉しいだろうか。
「もっと、折れるくらい抱き締めて」
「それはダメだよ」
転がる。嬉しい。
何が、返せるんだろうか。この嬉しいという気持ちに。何を報いることが好ましいのだろうか。
二人が絡まりながら甲板を転がったせいか、船が急にぐらんと傾いた。
まさかの敵襲かと慌てて顔を上げる。けれど、周囲の空には何もなく、本当に本当に何もなく、ただ強く風が吹いただけだった。
「オレたちのせい?」
三月が、そんな風にふざけて言った。奇遇だな、俺も少し、ほんの少しだけそんなことを思ったよ。
思わず、顔を見合わせて笑うのだった。