続・事あれかしと君を待つ
「……女の子」
——自分が嫉妬深い男だなんて、知りたくなかった。オレはオレのことさえ疑っている。
「女の子扱い、するぅ……」
酔ったふりをして、クイーンサイズのベッドの足元に転がる。ぼすぼすとベッドの縁を蹴っていると、大和が三月の腕を引いた。
「女の子扱いはしてねぇって……床に転がってると冷えるだろ。だからベッドに上がれって言ってんの!」
「やだ! ヤダヤダ! やだ、オレ、女の子じゃないし!」
「いてっ! いてててっ」
腕を出鱈目にバタバタさせて、三月を抱えようとしている大和にわざと当てた。
三月の猛攻を受けた大和が溜め息を吐く。それを聞いて、三月はぎゅっと目を閉じた。
このまま有耶無耶になれば良いし、最悪部屋の外に蹴り出されても良い。拒んでいた大和の部屋に引き摺り込まれて、嫌がっていたベッドに引き上げられようとも、気分ではなかった。きっと、明日もそういう気分にはならないだろう。
大和が、ベッドの足元でジタジタとする三月に貼り付くように覆い被さってくる。頬を掴まれ、無理矢理上を向かされた。とんがらせた唇をぎゅっと塞がれて、思わず、三月は大和を押し除けようとした。
「ん、う……むぅー!」
しかし、どうやら——今日は本気らしい。
三月が呻いていると、三月の口に大和の指が入り込んだ。ぐっと唇を開かされて、その隙から舌がぬるりと踏み込んでくる。
「や、ぁ……」
三月の抵抗も虚しく、大和の舌が三月の舌を絡め取った。頭の奥が痺れるような感覚に、三月は震える。溢れそうな唾液を飲み込もうとするが、上手くいかない。溺れそうだった。
ちゅ、と音を立てて離れた大和が、三月の顎の下、ぴんと張った部分に噛み付いた。
「も、や……だ。あと、あとつくからぁ……っ!」
「見えないよ」
耳たぶを噛まれて、そのまま吸い付かれる。確かに、そこなら……見えないかも……と三月の瞳が移ろい出した頃、大和の手が三月のシャツの下に入り込んできた。
やわやわとあばらの上から皮膚を揉んできたその手を払い除けようとしながら、ごろんと床に転がる。なんとかうつ伏せたになった三月を床と自身の間で圧迫したまま、三月の髪に鼻を差し込んだ大和が、ふーっと深呼吸をした——擽ったい。笑いながら身を捩る。
いつの間にかたくし上げられていたシャツの隙間から胸と腹がひんやりとした床に触れる。ぴくんと背骨が跳ねた。
「……ミツ」
床との狭間に這って入り込んでくる大和の手が三月の胸の飾りを指に挟む。きゅうっと絞られ、三月は、は、と息を漏らした。
「ん……っ、は」
「何怒ってんの……」
どっと心臓が鳴る。皮膚越しに触れている大和の手に伝わったかもしれない。咄嗟にそう思った。大和の手が、三月の肌の上を滑った。
「お、こってなんか……」
「自棄で暴れること、増えたよな」
「え……?」
「暴れるっつーか」
振り返ろうとした三月の頬に、するりと大和の口が触れた。まるで動物が宥めるみたいに。
「甘えるっつーか」
いい大人が、酔って甘える。
そうして大和に甘えてる自覚をさせられると、急に首が熱くなった。首だけでは無く、それはやがて頭のてっぺんまで届く。そこで行き詰まったのか、胸の中腹まで熱くて息苦しくなった。
三月は慌てて体を起こそうとする。その頭を大和が撫でた。どうやら、床と挟めたままにしておきたいらしい。三月を逃す気は無いようだ。
「あ、あんたの酒癖、うつったんだよ……! オレ、そんな、甘えるとか、ねーし!」
「ははっ、感染ったとか、やーらし」
「やらしくねぇだろ!」
「やらしいよ」
すっごくやらしい、そう耳元で囁かれて、三月は息を飲んだ。
ここは、避けていた大和のテリトリーだ。もう少しうまくやれると思っていたのに、有耶無耶になって蹴り出されれば良いと思っていたのに。
「……やまとさん」
焦れに焦れていたのは自分だったのだと思う。嫉妬のあまりややこしくなって、本当はもっとすんなりここまで来れたはずなのに。
「ちゅーしたい……ちゅーしよ……」
そう言えば、ぐずぐずになった三月の唇に、大和が唇を重ねた。角度を変えて隙間を埋めて、ぺったりと触れ合わせてくる。それに応えながら、三月はぎゅっと大和の首を抱き寄せる。
「ミツは、酔わないと素直に言ってくれなくなったなぁ……」
「そんなこと……ん」
三月が言おうとすれば、すぐにその口を塞がれた。
「連れて来ないでって言われてから、ミツ自慢やめたのに」
「あんだよ、ミツじまんて……」
「好きな子、見せびらかしたいじゃん」
「自分のこと好きな相手に……? 性格悪いよ……」
「ミツにそう見えるなら、俺って大分鈍くなったのかも」
「……そうかもな」
本当は、もっと早くに連れ込まれると思っていた。三月がそうされたいことを汲み取って、きっと無理矢理のふりをして——それをしなかった大和は、前よりずっと鈍感になったのかもしれない。
「……オレは、マンネリして、ダメになったのかと思った……」
「マンネリしねぇよ。ずっと可愛いよ。ずっと惚れ直しちゃうって……」
「本当……?」
「本当」
くしゃ、と、大和の手が三月の紙を撫でた。
「根っこのところはずっと自信ねぇの、相変わらずだな。自分が嫌んなる……」
「そこも含めて、ミツが好きだよ……一緒じゃないといられないくらい、お前さんのことが好き」
三月に逃げる気がないことがわかったのか、大和が体を起こす。抱き着いていた三月も、静かに腕を解くことにした。
「……ベッド、上がる?」
「んー……」
目を擦った。
「本当に? 良いの?」
「そうだなぁ……」
床の上で転がっているより、大和とくっ付いている方が当然ながら温かくて、気持ち良い。
「もう今更かって、気付いたかも」
沢山キスもしたし、体を触り合うようなこともした。それでも、最後まで踏み切ってない関係が続いているのを、大和はどう思っていたんだろう。
マンネリもせずに、ただ待ち続けた気持ちってどんなもん? そう切り出そうとして、ローションに塗れた指が自分の内側を穿っている現状を肩口に振り返る。くちくちと音を鳴らして三月の尻穴を広げ動いているそれが腹の裏を刺激して、もっと奥の方がきゅんとした。
「ン、う……っ」
「声、出る……? いいよ、ここ、防音」
はぁ、随分と用意周到なことで……と思いながら、三月は——随分と長い間、そうして待ち構えて、待ち過ぎるくらい待たれていたのだと思うと、怒る気にもなれなかった。
「……ね、ッ、あ、ちょ……手、止め、て」
「あ、痛かった? 爪切ったけど……それでも傷付くって言うし……」
「そ、じゃ……なくって……」
ぺろんと背中が出るくらいに捲れていた三月のシャツの裾を、大和が戻す。
「……やっぱ、やめる……? ベッドで寝てくれるだけで、俺は」
「あー……も……」
優しいところ、好きだけど……そんなことを考えながら、三月は上体を起こそうと腕を立てた。大和が慌てて抜いた指が名残惜しいのか、三月の幹が焦れる。
「大和さんがいつから……とか、オレはわかんねぇけど、ここに引っ越してからも随分経つのに散々待たされて、それでもしたいもん……? こういうの……、オレ、男だけど……」
三月がそう言えば、大和はきょとんと目を丸くする。暫く黙ったままでいたが、眼鏡のブリッジを親指の背で上げて、それから——バツが悪そうに目を逸らした。
「あー……えっと、嫌だった……?」
「嫌じゃないよ。それは本当。なんとなく、オレが挿れられる方かなって思ってたし。あんたが……」
うーんと少し考えてから続ける。
「その、好きなんだろうなってのも、感じてたし……オレの、こと。そうしたら、まぁ、こうなるかもって……」
言葉に出してみると気恥ずかしい。かりかりと頭を掻く。太腿をローションがじっとり伝っていくのを感じながら、このままの体勢でいるのもと困り始めた頃、大和が溜息を吐いた。
「なんだよ、その溜息……」
「あ、いや……もしかしてなんだけど、さ」
「うん?」
あー、いや、でもこれは、とか、気のせいかも、とかぼそぼそ言う大和に、三月は仕方なく体を起こす。溢れそうなローションを手のひらで拭って、拭いきれず諦めて、ベッドにぺたんと尻を付けて座った。
「なに……はっきり言えよ。隠すな。こっちはもう下半身丸出しなんだぞ……」
「それはすまん」
「スースーするから早く言えよ……」
続きをするのかしないのか、はっきりして欲しい。若干、ほんの少し芯を持ち始めた下半身がつらい。触ってくれないなら自分で触ってしまいたい。
「……もしかして、ミツも待っててくれてた……?」
痛いところを突かれたかもしれない、そう思った。
(でもなぁ)——逡巡する。でも……目を伏せた。
「……オレたち、同意もないのに触りまくってたじゃん」
「触りまくっては……いー、いな……いないような……いや、ハイ……」
「変だなーって思いながら、オレ、思ってたんだ。オレは女の子の代わりなんだろうって」
「それは違……っ!」
身を乗り出した大和を、どうどうと押さえて、三月は首を振る。
「……わかってるよ。ていうか、わかった。わかったけど、でも大和さんが連れてくるお客さんは……あんたがオレのこと好きだとか思わないし。言ったろ? オレは女避けにはなれないよって」
「……そういうつもりで一緒に住もうって言ったんじゃない」
「そう、それも……だから、大和さんはずっと伝えててくれたんだ。わかってたんだけど、どうしても根っこの部分でさ。確信って言うの? 持てなくて」
大和が少し悲しそうな顔をした。時折、置き去りにされた子供みたいな諦めを浮かべることがあるこの男の表情に、三月は弱い。
「信じてないとかじゃねぇよ……?」
三月が顔を覗き込んでも黙ったままいる大和のことが、少し怖くなる。
自分で触って収めてしまいたいなんて建前で、ここまできたら——触って、めちゃくちゃにしてくれれば良いのに——優しくなり過ぎちゃったんだ、この人は。そう思う。
「……連れ込んでくれないかなって、ずっと思ってた」
大和が顔を上げる。
「オレの狭いベッドに潜り込んでくるばっかりで何もしないから……いつも口だけで、大和さんの大きいベッドには連れ込んでくんねーのかなって……思ってた」
目が合う。居た堪れなくて逸らした。
——これが、待っていた以外のなんだって言うんだろう。
股の間で乾き始めているローションを睨んで、ベッドから降りようとした。その三月の肩を大和が掴む。
ぺったりとベッドに倒された。太腿を持ち上げられ露わになった尻の、その秘部を、大和の指が広げた。とろりと溢れる露はまだ乾ききってはいないらしい。
衣擦れの音がした。三月の目の前に取り出された一物に大和がコンドームを付けて、ようやく気付く。
(マジなんだ……)
時間を掛けて丹念に開かれた三月の尻穴に、大和がペニスの先端を当てて、唾を飲んだ。
「待たせた」
「お、おう」
それは、今日だけの話なのか、それとも途方もなく察しようもない、三月も気付いていない月日のことだったのか、心臓がばくばくと鳴る中では全く見当も付かなかった。
ぐっと押し込まれて、先ほどの興奮が蘇るかと思いきや、思わぬ圧迫感に、三月は、はと息を飲む。
ある程度の苦痛は予想していたが、これは、思ったより……と顔を歪めた。
「う、あ……ッ」
だん、と三月の頭のすぐそばに腕を突いた大和がぎゅっと目を閉じた。挿れる方は挿れる方できついもんがあるだろうなとそんなことを思いながら、三月はその側の手に頬を擦り付ける。
この骨の節が綺麗な大きな手で撫でられたら、もしかしたら、それって幸せなのかもしれない。
(みんな、そうされたいって……思っていたのかな……)
代わりじゃないんだと、思う。思うようにする。ようや腹の底まで落ちたそれを、三月は噛み締める。
三月が自分の手に擦り寄っていることに気付いた大和が、ゆっくりと腰を突き動かしながら三月の頬を撫でた。
髪を梳かれて気持ち良くて、けれど、腹の中を蠢く圧が苦しくて、唇が震える。
「は、う……アッ……」
かは、と咳にも似た息が漏れた。苦しい。
大和が動く度に苦しそうに喘ぐ三月を、大和が撫でる。顔、頭だけでなく、宥めるように腰をさする手も、三月の肩に触れて汗を舐めてくる口先も、その全てが三月のために動いているのだと思うと、これまで覚えてきた嫉妬も猜疑も、昇華されるような気がした。
(最初から、オレのためのものだったのに)
わかりにくいんだよと、三月は大和の頭をくしゃくしゃに撫でる。それに気付いて顔を上げた大和と、触れるだけのキスをした。
くちくちと音を立てて揺らされているのに、そちらはなんだかよくわからなくなっている。
「な、これ……イイ……?」
「わっ、かんね……なん、か」
動きを止めた大和が、はあはあと呼吸を整えていた。眼鏡を外して汗を拭う。
「なんかぁ、入ってんなとは、思……けど……」
「見えないから眼鏡してたけど、あぶねーかな」
見るからに焦れている大和が口を結んで我慢しているのを見て、三月は再びの圧迫感を覚悟し、深呼吸をする。腹に力を入れると、大和の表情が歪んだ。
「いっ!」
「うえ……?」
「急に締めんな……っ!」
「んん……? こう……?」
場所が場所なので痛がるほどの刺激は可哀想だと思いつつ、それでも自分の腹を撫でて多少の緩急を付ける。大和がびく、びくと体を震わせるのを見上げながら、三月はようやく「ちょっと楽しくなってきた……」と笑えた。
「た、楽しくなかった……?」
「んー……必死な大和さん見てるのは楽しかったけど、オレも余裕なかったみたい」
三月の下半身をちらりと見下ろし、大和が「そうだよなぁ」と溢した。思わず、くくっと笑う。
「気持ち良いとか、そういうの……ケツだとわかんねーけどさ……?」
三月は、のんびりと大和の首に腕を回す。お互い汗だくになっていることに、そこでようやく気付いて、実感した。
(べたべたでも、好き、かも)
探りながら触れるのもドキドキして悪くなかったけど、同意してがむしゃらに触れるのも、好きかも。好きかも、この時間。
「大和さんが一生懸命なとこ真っ正面から見れるの、すげぇ気持ち良い……」
そう言えば、大和はびくっと腰を震わせて、あっと短く呟いた。
「なーんで、あれでイくんだよ……」
「あー、いや……ちょっと……色気が……エロ」
「エロくねぇだろ……どうなってんだ、あんたの感性……」
汚れたシーツを変えたばかりのベッドに横たわりながら、眼鏡を拭いている大和を見る。
のんべんだらりとそんなやりとりをしていると、大和がニヤと笑って言った。
「ミツの声はエロいじゃん。だから、声出して大丈夫って言ったのに」
「なんかさぁ、圧迫感はあるけど、中が気持ち良いとかは……んー……」
わかんねぇなぁと思いながら、ローブの上から腹を撫でる。まだ何か入ってるような気がして、少しそわついた。
「つーか、これ、何……」
それよりも、シャワーを浴びた後に置いてあったふわふわの深緑のローブ。身に着けろと言うことなのは理解して素直に着てやったが、一体なんのつもりなんだと大和を見る。
「それさー」
ベッドに乗り上がって寝転んだ大和が満足そうににかーっと笑った。少し可愛い。
「着替えるの大変かと思ってさ、準備しといた。まぁ、自分でシャワー浴びれるくらいだったし、考え過ぎだったけど」
自分が撫でていた場所を、今度は大和の手が撫でる。そわりとして、ぞくりとして、三月は漏らしそうな息を誤魔化すために生唾を飲み込んだ。
「腹、変とかないか……?」
「な、ない……今の、とこ」
「気持ち良くできるように頑張るよ。一緒が良いもん」
ぎゅうっと腰を引き寄せられて、抱き締められる。ローブの上から尻を撫でられて、三月は思わず「おい」と声を上げた。
「ぞわっとするから、変な撫で方やめろ!」
「変にしてない」
「し、してる……! してるから!」
眼鏡を外した大和の表情が、とろんとまどろんでいる。する側にしても、かなり気を使ってくれたのだと思う。
三月は思わず、大和の額を、頬を撫でた。
「触り方、変えてねーもん……ミツが意識してくれてるってだけだろ? 俺は、嬉しいけど」
嬉しい、ともう一度言って、広いベッドの隅で更にぎゅうっと抱き締められると、三月のシングルベッドで寝ている時と状況はさして変わらないような気がした。
「ベッド広いんだから、もっと真ん中に……」
「離れたくないんだ」
「え……?」
「一緒がいい、一緒にいて……ミツ……」
寝惚けてる。
三月のことをがむしゃらにぎゅうっと抱きながら、そんなことをぽつりぽつり溢す大和は、きっと——二人で住み出す前からきっとそう思って、その気持ちを三月に向けていたんだと気付く。
「一緒にはいるし、わかってはいたけど……」
言葉としてはわかっていたが、今一度「一緒に暮らそっか」そうやって掛けられた言葉の意味を、その時の彼の決意のようなものを振り返った。
「あんたって、オレのこと本当に好きだったんだなぁ」
むしゃむしゃと三月の肩に頭を擦り付ける大和を、ぎゅっと抱き締め返す。
抱き締めるとそれだけでは足りなくなった。オレは案外欲しがりだ——三月は思わずへらっと笑った。