Want to Chu!!



 大和さんって、なんていうか、言い難いけど、
(唇、触りたい……)
 言い難いけど、そんな言葉が頭を過った。
 オレって、こんなに積極的だったかな……? 二十一年生きてきて、急にムラムラムカムカするもんなんだって腕組みをする。
(キス、したいなぁ)
 大和さんとキスをした。飲んでる時に偶然スキンケアの話になって、そのまま成り行きでキスをした。成り行きでキスなんてできるもんかわからないけど、大和さんがしたいって言うから……って、そういう考え方は良くない気がする。まるで大和さんが悪いみたいだ。
 黙ってされたオレにだって責任はあるし、それに——マスクの上から自分の唇に恐る恐る触れてみる。ふにっとして少し熱い。
 オレだって、したかったんだと思う。
 それが大和さんと、って意味かどうかはわからないけど、人肌に触れたかった気持ちはあって。だから、絶対に大和さんが悪いわけじゃないんだけど。
 ……けど?
 ふに、もう一度唇を押す。
 深く被った帽子とマスクの間から、ちらりと線路の向こうの大型広告を見た。一織と大和さんが抜擢されたガムの広告だ。
 ——眩い程のクールな刺激——爽快感の強いガム。試供品をもらったけど、ちょっと辛いくらいのやつ。
(一織も大和さんも、そこまでクールじゃねぇけど)
 写っている二人の表情は、キリッと鋭い。
 普段のギャップに笑えてきてしまう反面、こういうモデルとして切り替えが上手いのが羨ましくもあり、圧倒もされる。
 ふに、柔らかい自分の唇をマスク越しにもう一度押して、摘んで、溜息を吐いた。
(かっこいい……)
 悔しい。かっこいいと思うことはあるけど、それを通り越してキスしたいと思うなんて、オレってもしかして参ってるのかもしれない。
 広告の、大和さんの隣に写っている我が弟の顔を眺めて「兄ちゃん、どうしたら良いんだろう」なんて思ってみる。だけど、広告の中の一織はクールぶったまま、何も答えてはくれなかった。当然だ。でも、大和さんから目を逸らすには丁度良くて、オレはしばらくじっと一織を見ていた。
 ついでだから写真も撮っておこう。スマホを持ち上げて、カメラの画面に映った一織の顔を軽くタップした。すると顔認識機能が働いて、大和さんの方がぼけてしまう。
 オレは慌てて大和さんの顔もタップした。今度は一織がぼけてしまって居た堪れない。何度か同じ操作をして、オレは結局スマホを下ろした。
「……うーん」
 改めて、一織の方を鮮明にする。そのまま、パシャリと写真を撮った。
 別に、大和さんの顔なんていつだって見れるし。そんな気持ちでスマホを眺めていると、オレと広告の間を電車が走り抜けて、キーッと音を立てて止まった。
 遮られてほっとする。ほっとしてしまった。だって、これ以上見ていたら——唇を尖らせて、オレは首を振った。
(キス、して欲しい)
 あまりにも積極的なセリフじゃないか。キスして欲しいだなんて。あの人が喜びそうな言葉だ。
 そこまで考えて頭を振った。ぼぼぼっとマスクの下の頬が熱くなった気がした。
 
 額に、首元に、耳に、ありとあらゆる所にキスされた。
 今までそんなことされたことない。したこともない。大和さんが触れた所から溶けていくような気がして、首から上がどろどろでめちゃくちゃになりそうだった。それが「気持ち良い」ってことだって、その時のオレは気付いていなくて、だから尚更、それに気付いてしまった今、やるせない気持ちが喉元まで競り上がっている。
 オレにキス芸してもいいって言う人がいるらしい。確か芸人さんだって言ってたかな。
「しても良いくらいの気持ちでされるの、ちょっとムカつく」
 そう言ってた大和さんが、すごく真剣な顔をしてた。ふざけて笑うとかでもなくて、酔ってるはずなのにあまりにも真面目な顔してたから、オレはときめいてたんだと思う。
ときめいたか聞いてくるところは余裕ぶってて嫌だったけど、だからこそ「ときめいたよ」なんて返せなくて、返せないのに、オレは正直に「口にキスして欲しい」なんて言ってた。
 最初は、酔ってたせいで流されたって思い込んでたけど——掴んでいた吊り革が、停止する電車の慣性にならってオレを引っ張る。息を止めて踏みとどまって、真っ直ぐに立ち直せた時、ほっと息を吐いた。そう、最初は流されただけだって思ってたのに。
(キスしたい……)
 オレからしたら、大和さんは返してくれるのかな。
 景色が止まってる車窓をぼうっと眺めてる。ここの駅にはガムの広告は貼られてない。安心する一方で、少し寂しい。
 スマホを取り出して、撮ってきたばかりの写真を見る。少しぼけてる大和さんの顔を見て、やっぱりかっこいいと思ってしまう自分に少し呆れた。かっこいいのは知ってる。
 隣に立っていた女の子がちらりとこちらを見て、口に手を当てた。それを視界の端に捉えて、オレは少し顔を上げる。目を合わせて、口の前で人差し指を立てて笑った。彼女は黙ったまま何度か頷いて、それだけで済ませてくれた。
 大丈夫、アイドリッシュセブンの和泉三月が、メンバーの広告の写真撮って眺めてた。それで済む。まさかメンバーにキスして欲しいと思ってるだなんて、どうやったって流出しないだろう。それなのに、オレの心はざわついて、スマホをさっとポケットに戻した。
 気付いてるのは、ただ一人オレだけなのに。
 
 寮に帰ると、台所に立って飯の支度してる大和さんがいた。少し遅い昼飯でもするんだろうかと思って歩み寄る。メニューは多分、トマトソースのパスタだろう。
「近場で見つけたから、撮ってきたよ」
 そう言って 鮮明な一織とぼけた大和さんの写真を見せると、大和さんはふはって吹き出した。
「何これ、なんでお兄さんピンボケしてんだよ」
「顔認識がうまくいかなくってさぁ」
「なんでだよ、二人くらい認識できるだろ!」
 オレのバキバキに割れてるスマホの画面のせいで、尚更大和さんの顔は不格好かもしれない。拡大して笑う。
「なんでかなぁ、眼鏡のせい?」
「そんなわけねぇだろ……」
 オレの気持ちのせいでした、なんて言えるはずもなく、オレはちらりと大和さんの顔を見上げる。笑ってたけど、少し眉が寄ってる。悔しいーみたいな顔をしてて——キスしたいなぁって思う。
「あー……でも、折角だったのに、勿体ないかもな。また見つけたら撮り直すよ」
「まぁ、別に……目の前にいるし? いいんじゃねぇの、そこまでしなくても」
「拗ねんなよ。オレがしたいの」
 そうだよ、オレがしたいんだから、すれば良いのに。
 顎にずらしたマスクの上の唇を、つんとさせる。したいって言うだけがこんなに難しくて、いろんなことを考えて困惑して、結局のところ伝えないでいるのに、大和さんはどうやって、どうしてオレに「したいと思ってる」なんて言えたんだろう。これが経験値ってやつなのかな。
 オレは虚しく尖っていた唇を戻して、息を吐いた。
「目の前にいるのに、ねぇ」
 目の前にいるのに——オレは上着を片付けようと、共有スペースから出て部屋に向かった。
 階段の途中で、スマホの画面を眺める。広告の大和さんが拡大されていたままで、オレはもう一度心の中で呟いた——目の前にいるのに。
 目を閉じて、眩いほどのクールな刺激にさっと唇を寄せる。スマホの画面はひんやり冷たくって、凹凸もなくて、だから永遠にこのまま離さないでいられるかもなんて錯覚を覚えるくらいに面白みがない。
 何をやってるんだろうと思って、目を開けた時だった。
「ああ、ミツ」
 階段を覗き込んできた大和さんがオレの名前を呼ぶ。慌ててスマホから口を離して振り返ると、驚いたみたいな顔してた大和さんと目が合った。
「ミツも、食うかなって、思ったんだけど……」
「な、なにを」
「えーっと、昼飯……?」
 なんで疑問系なんだよ。
 何していたかなんて、ぱっとわかりゃしないだろ。そうは思うのに、オレは多分不自然に顔が熱くて、変な表情をしていて、とにかく何も繕えてなかったんだと思う。大和さんはしばらく黙ったまま、オレの顔をまじまじと眺めてた。
「食う?」
「い、いい。さっき外で食ったから……」
 そっか、と笑った大和さんが、ちょいちょいと手招きした。仕方ないからオレはスマホの画面を消して、恐る恐る階段を降りる。あと一段降りたら終わり。そこで、ぐっと腕を掴まれた。
「わ」
 ずらしていたマスクの少し上、わの形で開いた唇に、大和さんの凹凸がある唇が当たって、ふわっとする。
 そっと離されて、バランスを崩した体を支えるために抱き寄せられて、肩をぽんぽんっとされて……されて、オレは大和さんに抱き付いたままでいるんだけど。
「……目の前にいるんですけど。その眼鏡のアイドル……それも、無修正でピンボケもないやつ……」
「あ、えっと……ハイ……」
 ハイ、だって。顔も見れないのに。
「それともミツは、修正済みでピンボケしたやつの方がお好み?」
 まぁ、そっちの方が髭もないし、なんて言う大和さんを見上げる。密着してたから、マスクがずれる。
「飯食ってきたばっかでさ、なんのケアもしてねぇんだけど……」
「ああ、うん……?」
「もう一回、してほしい……」
 そう言えば、大和さんはすかさずオレの唇塞いで、角度を変えてもう一度。凹凸があったって髭が当たったって、永遠にこのまま離さないでいられるかもなんて錯覚は訪れる。
 だけど、共有スペースから流れてくるトマトソースの香りに、オレはそっと大和さんの胸を押した。ふらっと離れた唇の隙間で「火、点いてないか?」と呟いた。
「……点いてる」
「飯、しよっか……」
「うん」
 名残惜しそうに腕を剥がした大和さんが、渋々共有スペースに戻っていく。それを見送ってしばらく、階段を上ろうとしたオレの足はくるりと向きを変えて台所に向かっていた。
 昼飯食ってない大和さんには悪いけど、悪いんだけど、火が点いてたのはコンロだけじゃないみたい。
 パチンと火を止めた大和さんが振り返る……火が点いてたの、オレだけじゃないみたい。
 したいとしてほしいが噛み合ったんだから、もうしない理由がないよなぁ。
 オレは少し屈んだ大和さんの首に腕を回して、そのまま笑ってる口元に唇を当てた。
 パスタを茹で始める前で良かったって、心の底から思った。