ミツって、なんていうか、言い難いけど、
「唇柔らかそう」
言い難いけど、口が滑った。
番宣で出たバラエティでさ、言ってたんだよ、ちょっとイケメンな芸人さんが。キス芸するなら三月くんが良いって。どうやらその人、後輩とするのがお約束になっちゃったらしいんだけど、でも、どうせするなら、三月くんみたいなさ、って言われて。俺、想像しちゃったんだよな。ミツとその人がするの。
正直、駄目。事務所NGならぬ、俺NG。
口を押さえて睨みそうになった目を伏せた。芸人さんは悪くないからね。
……いや、悪いわ。ミツなら良いって、ミツをそんな目で見てんのかよ。悪いわ。確かにミツは可愛いけど。
可愛いけど、案外立派に男、なんだわ。だから、そういう目で見たら……見たらな、唇柔らかそう。知ってるからお兄さんは。乾燥すると悪いからってスキンケアしてるのも、とろっとしたハチミツの香りがするリップ塗ってるのも、知ってるから尚更。柔らかそうだなぁ……って思うんですが。
「……まぁ、手入れしてっから」
きょとんとしたミツが、俺の方見て返事した。
「し、知ってる」
俺も溢れてしまった言葉に動揺して、普通に返事が返ってきたことにも動揺して、それで、ぷいと正面に向き直った。
玉子焼き、みたいな感じなのかな。つまみの出汁巻きを箸で摘んで、ふにと唇に当てる。柔らかい。
いや、人の唇がやらかいのは知ってるけど、今問題なのは、ミツの唇の柔らかさだ。人それぞれ違うから、これまでしてきた女の子たちとは違うと思う。案外硬いかもしれないし。
出汁巻きを改めて口に入れて、俺は静かに咀嚼する。
舌も溶けちゃうくらい柔らかいかもしれない。いや、舌が溶けるってありえねぇだろ。でも絡まってる間にどろどろになって、なんだか溶けて——って当然のようにディープキスのこと考えてた。というか、ミツとキスすること考えてた。唇の柔らかさを測るのは何もキスだけじゃないはずだ。そう、ミツが俺の頬にキスしてくれたら、それだって柔らかさがわかるわけで——だから、キスはしないじゃん!
「大和さんもクリーム、付ける?」
「へ、へあえ?」
つい変な声が出た。ミツがびくりと肩を竦める。
「いや、ほら、気になってんのかなって……」
あ、そう! そうだよな! そう、俺はなんでミツの唇が柔らかそうなのか気になってたんだよ。決してミツの唇の弾力が気になっていたわけじゃなくって……
「ああ、そう……俺、ガサガサだからさ」
「あー、そうだよな。大和さんの唇、時々切れちゃってんの。オレも気になっててさ」
バッグの中からリップクリーム取り出してきたミツが、人差し指に取って「ん」てその指向けてくる。
「え」
俺が呆けてると、顎を掴まれて、つつつって塗られて、塗られてる。今。ミツの人差し指が俺の唇をなぞって、そのまま二周くらいされた。
「んー、やっぱりささくれある……これやるよ。オレ、予備あるし」
そう言って、今塗ってくれたばっかのクリームの容器を寄越すミツ。呆然と受け取る俺。
余った……とか言って、自分の唇に人差し指塗り付けてるミツ。それって、間接キスじゃない?
「ミツ、それは」
「え? どれ?」
ぼーっとして、手元のリップクリーム見て、ぼーっとしてミツの唇を見た。
どう見たって柔らかそうな唇。同じ物塗ったって、俺の唇もこうとはいかないだろう。サーモンピンクの健康的なぷるんとした唇が、ちょっと目に毒。目を剥がす。
「あ、もしかして嫌だった……?」
人差し指をぴって立てて、ミツが慌てて言った。
「悪い悪い、なんか、指出してもらうのもなと思って……つい」
「あー、いや、それは別に……ただ、ミツの唇にそのまま塗ったら、その……」
顔を押さえる。指に少しリップが付いた。
「……あ」
そっか、と呟いたミツが、ちょっと目を見開いた。目、でっか。
「あははは! 悪い、間接チューじゃんな! やっちまった……!」
ケラケラと笑い出すミツに、安心したり、がっかりしたり、俺はちょっと顔を背けて眉を寄せた。まぁ、そういう反応になりますよね。
「あー……ごめんな。うっかりしてた……」
ごめん、って頭を下げるミツ。気にしすぎたかもって思う俺。ミツからしたら俺との間接チューなんてなんでもなくて、多分。
「でも、大和さんにくっつけたわけじゃないから、オレがしただけってことで……許してよ」
「……そうだな。お前さんが損しただけだし?」
「損なんて言ってねぇだろー……」
「損だよな。野郎と間接チューしたって、ときめきも何もねぇわけだし?」
「おい、拗ねんな拗ねんな。ときめいたよ。ときめきましたぁ」
「うるせぇよ。ときめくなっつーの……」
冗談冗談。笑って終わらせようってやつだろ。
「だって、大和さんが」
そうそう、俺が変に拗らせてるからいけないんだよな。いつもの大和さんに戻れば良いんだろ、と思ってへらって笑って見せたら、ミツがちょっと真面目な顔した。
「大和さん、野郎とチューしたら、やっぱ損?」
「ん?」
「危なかった。オレ、唇触ってみる?って言いそうになったの。柔らかそうとか言われっからさ……?」
えっ、はい。
「でも、野郎の唇触るのなんて、そ、損だよな。そうだよな……」
ミツが、俺の唇を撫でた人差し指を眺めて、ぷるぷると首を振った。
「洗ってくる!」って言ったミツの人差し指を捕まえて、ちょっと曲げる。
「おっ、折れるわ、バカ!」
「さわる」
「へ?」
次に疑問符浮かべたのは、ミツの方だった。
俺は真剣なので、ミツの人差し指を掴んだままもう一回言う。
「触ってもいい……?」
「い、いいよ」
ことんと頷いたミツが、つんと顎を突き出す。だから、誘われるように指を伸ばして、人差し指の腹でミツの柔らかそうな唇を隅から中心に向かって撫でた。
「切れてもないし、ささくれもない……」
「まぁ、今は、タイミング良く……?」
「柔らかいし……」
「そ、そう……都合も、良く……っつーか」
お日柄も、時間も良い感じで……だからというわけではないんですけど、俺はミツの唇から指を離して、じぃって見つめた。
緊張した面持ちのミツの目の前で、なんとなく、自分の唇に人差し指を当てる。
「あ……っ」
ミツが息を飲んだ。
間接キスだって気付いた瞬間をミツにも共有させて、それから、やっぱりミツの唇の方が柔らかかったなぁと現実を体感した。
やっぱりキス芸させるには勿体無いし、俺NG、出しちゃうかも。
「な、なんか……変な空気になっちゃったな……! 片付けるか!」
空いてる缶を三つ四つ纏めて、ミツが慌てて立ち上がろうとした。それを眺めて視線を上げながら、俺はぼんやりまだキスのこと考えてる。唇の端を舐めたら、塗ってもらったリップがべとついていた。
「ミツとならキスしても良いって人がいて」
「え、何」
中腰になったミツが固まる。驚きと困惑と、それからちょっとの期待の色。
「でも、俺的にNGなんだけど」
「なんであんたがNG出すんだよ。何、苦手な人?」
すとん、座り直すミツ。まだ手の中にある空の缶。だから、手が塞がってて、逃げられないなって思った。
「苦手っていうか、それは嫌だなって思って」
「だって、しても良いって」
「俺は、したいって思ってんのに」
逃げられないから、ずいって顔を覗き込んで掬い上げるみたいに唇当てた。さっき指先で感じたのとはまた違うやらかさ加減に、俺はもう一回、ふにって唇を押し付ける。
声にならない声がミツの鼻から抜けて、なんかの鳴き声みたいだった。
ミツの手からは、纏めてた缶が落ちる。カラカラと音を立てるそいつらが、ささやかに転がってった。
「だから、しても良いくらいの気持ちでされるの、ちょっとムカつく」
ぽやっとした顔してたミツの頬が、じわじわピンク色になって、サーモンピンクの唇は尚更赤みが増して、俺は、可愛いな〜綺麗だな〜と思ってて、だから「しても良い」なんて人にはやりたくなくてさ。
「……ときめいた?」
ときめかないよな。野郎とキスするなんて、きっと損だし。
「とっ……」
口を押さえて固まったミツが俯いて、おでこまで真っ赤。うっすら汗かいてる。かわいそうだなと思って、前髪の分け目からそのおでこにも唇当てた。ミツがぴくって震えて、でも逃げないでいる。瞼にもちゅってする。やっぱり震えて、きつく目を閉じて、だから目尻にも当てて、ほっぺにも触れた。長い睫毛が肌に当たって擽ったい。
全部柔らかいけど、やっぱり唇が一番柔らかい。
いつの間にか体縮こまらせて、俺の両腕の間に収まってたミツの腰を引き寄せる。ようやく縮こまった体の中から腕を伸ばしたミツが、少しだけ俺の胸を押した。
「だ、あのっ、おい……!」
「はい」
瞳が、目の中できょろきょろ揺れてる。俺はミツしか見てないのになぁ。
「し、したいって」
ミツがオロオロしながら自分のやらかい唇に指を当てる。指の節の曲がり方がなんとなくエロくって、その指にまでキスしたくなって、また顔近付けたらミツが勝手に床に倒れた。
ほとんど覆い被さってる俺を見上げて、ミツが静かに——唇に指を押し当てたままで言う。
「したいって、どこまで……?」
ふわっと上気してる首もパーカーの襟から覗いてる鎖骨も、今ならどこだって確かめられそう。
俺は、ミツの唇にあるミツの指の、その人差し指の第二関節を口先で咥えて、ちゅっと音を立てる。
「……試してみよっか」
どこまでできるか試してみよっか。舌が溶けるかどうか、試してみるのも良いかもしれない。
唇から指を離したミツが、たっぷりゆっくり溜めてから「とりあえず」と切り出した。
恥ずかしいのか目を閉じてしまったから、俺はすかさず、空いた唇に吸い付く。何か言おうとしてたんだな。はふって漏らしたミツが、無理矢理俺の唇から唇離して、小さく溢した。。
「口、口にしてほしい……けど」
あんた、がっつきすぎ……って顔を隠して丸まっちゃったミツの髪を払う。
したいとしてほしいが噛み合ったんだから、もうしない理由がないよなぁ。
あらわになったミツの耳の裏に、俺はふふんって笑って唇を当てた。