――本当は、気付いていたんだ。
ナイフ投げのナギがずっと「あいつには用心して」って言っていた理由だって、本当はずっと気付いていて、気付いていたのに体を見せて、それで弱みまで見せたりして――つつつと、長い指が三月の首の骨をなぞった。首の裏の刺青を僅かに強く撫でられて、鼻から呼吸が抜けた。
「……ふ」
多少なら、声を出したって大丈夫だ。船内の騒音も揺れも、一個室の音くらいは掻き消してくれるから。
三月はうつ伏せた肩口に、フードを被ったままの男の顔を見上げる。男はぎらりと鋭い双眸を誤魔化そうともせず、右手に付けた器具で操り糸を巻き取った。くん、と三月の顎が引かれる。首が張って、やはり声が漏れそうになる。
「苦しくは、ない……?」
「う、ん……」
観客の体を操る演目をするからと、数日前から頼み込まれていた。だから、体の自由を奪うことを許した。
人形使いの指から伸びる操り糸の丈夫なこと。それを直に感じながら、三月はまたちらりと人形使いを見上げる。
(興奮……してるんだよなぁ)
上着を脱いで、肌着の上から操り糸に絡め取られている。今や、三月は人形使いの思惑のままに動くお人形さんだ。苦しくはないと答えた通り、痛みや息苦しさはない。ただ、どうやって自分の体が動かされるのかという不安はある。そして……
寝台から起こされ、膝を突く。そのまま背中から倒れ込んで、流石にぎょっとした。そんな三月の体を、人形使いが受け止めた。左右に開かれた腕から伸びる糸が自分の体を支配しているのが見えて、三月は息を飲んだ。
露わになっている三月の肩口に、人形使いの唇が触れる。ぴくんと身を震わせると、フードから覗いた人形使いの目がゆるっと弧を描いた。
(……一織が欲しかったのは、こっちの能力か……)
人の体の自由を奪い、意のままに動かす力。
パペットの操作も、ドールのダンスも、それから腹話術も、どれも愛らしい物好きの団長が好みそうなものではあったが、何より団長の役に立つのはこの力だろう。
「あんた、まだ秘密があったんだな……」
三月がそう問い掛けると、人形使いは弧にしていた目をぱっと開き、きょとんと不思議そうな顔をした。糸の支配が切れて、途端に三月の体は自由を取り戻す。
「ひ、秘密……?」
「そう、本当は人を操るのが好きなんだろ……どこでこんな能力得たのか知らないけど、すごく愉しそう……」
人の体の自由を奪って、何をしてきたのだろう。そう疑える程に。
三月は、人形使いにすっぽりと抱えられている体勢から体を起こそうと試みる。絡み付いたままの糸を払う方法がわからず、フードの中を覗き込んだ。
「なぁ、これ緩んでるけど……外して良いもん……?」
「……俺、は」
「ん?」
くしゃりと顔を歪めた人形使いが器具を操れば、三月に絡んでいた操り糸の数々がするりするりと仕舞われていく。その端々を目で追って、面白いもんだと三月は思った。
「ごめんなさい。気持ち悪いと、思った……かも」
「そんな風には思わないけど……ただ、なんていうか」
「気味が、悪いと……」
「そ、そうでもなくて」
ぞくりとした。感情よりももっと内側の感覚、本能的な危機感に針先を突き付けられる感覚を、三月はうまく言葉にできずにいる。
自由になった手を恐る恐る持ち上げて、そうして人形使いの顎を撫でた。
「引いてはいないよ。誰にだって特定のことに……なんていうか、夢中になることはあるだろうし……」
三月が恐る恐る触れているように、人形使いも恐る恐る三月に触れる。三月の腹に回った人形使いの手に付いている器具が、ひやりとくすぐったかった。
「でも、演目としてやるにはどうかなぁ……別の仕事で使うには、使いようがあるとは思うけど」
三月がそう言えば、人形使いは緊張のある面持ちを悄気させて、「そうですか」と呟いた。あまりにがっかりとした様子に、三月は僅かに足をばたつかせる。
「いや、その、凄いことではあるんだけど……何をさせられるんだろうって怖さと、さ……」
背後から抱えられているせいだろうが、少し違和感がある。具体的に言うと、腰に何かが当たっている。
「……えーっと、あんたがその、昂揚してるのを抑えられれば、って思うんだけど……」
三月がそう伝えると、もぞもぞと動くローブ姿の男が三月から離れ、俯いて顔を隠したまま丸まった状態で寝台から降りていった。壁と寝台の合間に挟まって、こんもりとしている。
「……ゴメンナサイ」
「い、いろんな奴がいるよな。新人の話聞いてると、みんな色々あるんだなって思うよ……?」
三月はこんもりとしているフードをつつきながら、しどろもどろ声を掛ける。なんとか気を持ち直して欲しい。そう思うが故に、「寝かし付けてる間に反応する奴もいるし」と、うっかり過去の経験を溢してしまった。
「……なんだって?」
急にきつい口調になった人形使いが、ばっと顔を上げる。それに驚いて、思わず三月は体を引いた。
「俺が言うのもなんだけど」
「うん……?」
「ミツは、警戒しないのか、そういう人間に」
「警戒……って、一応仲間だし」
「襲われるかも」
「そんなの、ないない! 流石にそこまでは」
再び壁と寝台の間に沈み込んで行ったフードが、ふるふると震えだした。その様子をやはり「面白いなぁ」と思いながら、三月はフードの頭を撫でている。
「人、操ってるの、気持ち良いの?」
「……違う」
フード頭が小さく応えた。
「綺麗な物って、好きに踊らせたくなる、から」
「綺麗な物かぁ……」
確かに、人間という名の造形品は綺麗な物に含まれるのかもしれない。三月だって、楽器の造形に思わず感嘆の息を漏らすし、美しい旋律だって、ああ自分が奏でられたらと思い耽るのもしばしばだ。
肩からずり落ちた肌着を指の先で掬って戻す。肌理の細やかなその肩口に唇を寄せていた人形使いの恍惚とした表情を思い出すと、些か照れた。
「まぁ、誰にでも興奮しなけりゃあな、使えるんじゃ」
フードの隙間から申し訳なさそうに覗いている人形使いの常磐色の瞳が、船内の照明で橙の光を反射した。ほんのりと頬が赤い。
「誰にでも、じゃ、ない」
人形使いの左手がふらりと持ち上がる。途端に、三月がフード頭を撫でていた右手が、くんと引かれた。
「え……?」
寝台の上にゆっくりとへたり込まされ、そのままシーツに縫い止められる。頭の上で両腕が糸に拘束され、三月は目を丸くした。
「触るだけ……触るだけ、だから……」
許して、と耳元で囁かれて、三月はぞくりと身悶えた。
ローブを外して控えめに覆い被さってきた人形使いの指先が、恐る恐る三月の頬に触れる。長い睫を撫でて瞼の形を確認したかと思うと、鼻筋を辿って、唇の先に触れた。硬い指の皮に、三月は思わず、ちゅっと吸い付く。人形使いが少しだけ笑った。
けれど、その指は唇に留まることなく、三月の顎の下を擽って輪郭を辿り、耳をそっと包む。塞ぐようにされて、中指で耳の裏をなぜられた。まるで花弁を撫でるような手つきに、三月は瞼を震わせる。
「な……に……」
腕を取られ露わになっている脇の下に人形使いの鼻筋が触れて、そのまま唇を当てられた。
「え、お、オイ……っ!」
触れるか触れないかの感触にぞくぞくとして身悶えれば、声が漏れる。三月は、きゅっと唇を噛んだ。
人形使いの指先が三月の項を擽り、産毛を摘まむ。三つ編みを払った手がするすると首筋を撫でている間に、人形使いの口先が二の腕に触れて、肘の関節を舐めた。
「や、ひゃ……ッ! くすぐったい……」
そう言うと、人形使いが顔を上げて三月に微笑んだ。相変わらず恍惚としたその表情に、三月は言葉を発することができなかった。
三月がせめて声を抑えようと噛んでいた唇の赤みに気付いたのか、人形使いが三月の唇に自身の口先を当てる。
「……あ、え……?」
三月の瞳からはらりと落ちた雫にその口が触れて、涙を吸い上げた。
その後もひっきりなしに触れてくる唇になんとなく応えながら、正中線を辿っていく彼の指に意識を送る。胸の中心で止まったそれが、肌着の上から焦れったく頂点をつついて、潰されて、思わず声が出そうになった。唇を塞がれているから、鼻から声が抜けるだけに留まった。
「ん、う……ふぅ……」
三月の声なき声を自身の口の中に飲み込んだ人形使いが僅かに体を持ち上げて、満足げに笑う。
「……ミツ」
腹筋の膨らみをひとつひとつ撫でて、人形使いの指は腰骨の辺りで円を描いた。
三月の臍の下が震えて、堪らないでいる。何かが上がってくるような、そんな感覚だった。
「う……駄目、だよ……そこ、触っちゃ……」
触るだけでもこんな――三月ははらはらと泣きながら、人形使いに懇願するように口を動かした。
「……どうして? 気持ち良くない……?」
本音を言えば、一つ一つ部品が磨かれていくみたいで気持ちが良い。けれど、三月は生身の人間だ。だから、羞恥という感情がある。こんな風に晒されていれば尚のこと……
なのに、人形使いは三月のズボンを下ろして下着だけにすると、太腿の付け根をぐるりと一周、丁寧に揉んだ。親指と人差し指で丹念に。
柔らかくもない尻をやわやわと揉まれ、三月は漏れそうな声を噛み殺す。その気配を察知して、人形使いはまた三月の口を塞いだ。
操り糸が、三月の片腿を持ち上げる。必然的に開かれた股間で勃ち上がった三月の性器が、下着の布地を持ち上げていた。溢れ出した先走りがその布地を濡らしている。人形使いの綺麗な指が、その先端をぐりりと押した。
「ん、や、ああ……ッ!」
ついに漏れた声に口を押さえようとしたが、腕を拘束されていてはままならない。三月は涙目でぐちゃぐちゃの視界の中で、人形使いの顔を見上げた。「離して」と懇願するのに、人形使いは人差し指の背で眼鏡を上げるだけだった。
人形使いの指先が三月の下着の中に入り込む。下生えを摘まんで梳いていたかと思うと、勃っている物の根元を指で包んだ。輪を作った指にするすると撫でられて、三月は胸を震わせる。呼吸がおのずと速くなる。
「……苦しい?」
唇の隙間で、そう尋ねられた。今度は流石に苦しいと何度も頷いて見せると、人形使いが器具の付いた手を持ち上げる。しゅるりと緩んだ操り糸から、三月はようやく腕を取り戻す。
そのまま相手を殴り付けても良かったのに、三月は拳を握るだけで、そうはできなかった。
三月から唇を離した人形使いの眉尻が、すっと下がって――まるで縋るみたいに三月の瞳を覗き込んだからだ。
「な、んで、そんな、顔……」
三月が何も出来ないでいるのを見届けると、そんな縋るような表情のまま、人形使いは三月の性器を扱き始める。
触るだけ、と最初に言われたことを思い出しながら、それでもこれは、こんなのは……と頭の片隅で思った。性器を愛撫される浮遊感で、片隅にしか置いておけなかった。
「……や、だ、だめ……き、もち……」
自身の先走りのぬめりと他人の手の温度、それから操り糸の器具の硬さが三月の幹を刺激する。いつの間にか腰が振れているのを恥ずかしくも思いながら、最早不可抗力だとも思う。
ぐちゅっと深く唇を噛まれると、人形使いの眼鏡の縁が顔に当たって痛かった。それさえも、三月の首元をぞくりとさせる。
(やばい、気持ち良い……)
次第に何も考えられなくなって、三月はゆるっと瞼を閉じた。
「い、イっちゃう……オレ、も、だめ……」
「ははっ……」
三月の訴えに、人形使いが笑い声を漏らした。
「じゃあ、イっちゃおうか……? なぁ、ミツ……」
許可を出される。そう意識が認識をする。だから頷く。
「はい……」
――間違い無く自分の口から出ていたのに、嬉しそうなその声は、この声は、
「はい、マスター……ッ」
まるで自分の言葉ではないようだった。
目が覚めると、三月に絡んでいた糸は全て外されて、体は寝台に横たえられていた。
ふと見やれば、壁と寝台の間に蹲っているローブの男が、なにやらもぞもぞと動いている。
「……あれ、オレ……」
意識が途切れる寸前の妙な浮遊感を思い出し、三月はそっと口を覆った。
けれど、視界の端で縮こまっているフードの頭が気になって、腹が立って苛立って、思わず腕を上げる。ぼすんと殴れば、フードの隙間から、困惑しきった人形使いの顔が現れた。
「ご、ゴメンナサイ……ごめん、つい……」
取り返しの付かないことを……とまた顔を隠してしまった人形使いに、三月は先程までの勢いはどこへやらと歯噛みする。
「あ、の、なぁ~!」
湿った肌着と下着と、それからまるで別人のようにめそめそぐずぐずしている人形使いにイライラは募るばかりだ。三月はばっと肌着を脱いで、それを人形使いに投げ付けた。
「もう! クラウンに頼まれるまで、人間操るの禁止っ!」
そう言えば、人形使いはこくこくと頷いて、フードの隙間から三月をじいっと見つめている。
「添い寝も、禁止……?」
「……それは」
急にぼっと熱くなった顔を拭って、三月は特大の溜息を吐く。
禁止と言うには、何か惜しい。とりあえず今は、そんな返事をするよりも早く下着を替えたい。
船内の壁を睨んで、三月は自分の唇を覆ったのだった。