もしも中学生の時に思わなければ
「にかいどーさん!」
声変わりしたような、してないような、擦れてるのに高い声がして自転車を止めた。
傍の鳥居に視線だけくぐらせて、石畳の向こう、神社の賽銭箱の前で転がっていたチビを見る。
「やっぱり! 二階堂さんだ」
学ランの詰襟をよれよれにさせて、頬にでかい絆創膏を貼ったそのチビが、爛々とした瞳で見てる。まるで猫みたいだと思った。
その猫みたいなチビと知り合ったのは、ほんの数日前。
三年に食って掛かって返り討ちに遭ってるところに、なんとなく首を突っ込んだ時だった。
だってさ、こんなチビ相手に、三年が寄ってたかって四対一してんだぜ? バカみたいだと思ったんだ。
だから「あー、警察ですか! 小学生がカツアゲされてて!」なんて、どこにも掛けてない携帯電話に向かって叫んでやった。
正直、本当に小学生に見えちゃったし。
俺の通報のふりを聞いて逃げた三年坊に置いてかれたそのチビは、すかさず「誰が小学生だ!」って食って掛かってきた。たった一年だろ。小学生も中学生も変わらないよ。ついでに、これがまた見れば見るほど幼くて、やっぱりお前さんって小学生なんじゃないの、なんて言ったら足を踏まれた。
その小学生に見間違うチビは、神社の階段から立ち上がると、たったったっと駆け寄ってきて、にひって笑った。ガキの顔してガキみたいに笑うのが、ちょっとだけ羨ましかった。
「二階堂さん、チャリ乗せてよ」
「先輩だろ。ていうか、絆創膏増えてんじゃん……また喧嘩?」
「だぁってさぁ、小学生扱いされるなら仕方ねぇよ。オレ、チビだし……でもさぁ、女みてぇ!って言われんのはさぁ! なくねぇ?」
「うーん」
ほっぺに絆創膏貼って、口の端腫らして、拳は拳打で擦れてても、それでも確かに……
(顔が可愛いからなぁ)
女の子みたい。それは本当、その通り。
はっきりと否定しないし、肯定もしない。ぼーっとした返事をして濁したら、脛を蹴られた。
「いってぇ!」
「なんかムカついた……」
「あ、あのなぁ、俺まだ何も言ってないし……! つーか、お前の先輩だって言ってんだろ! 助けてもらった恩も忘れたのかよ、この暴力チビ!」
「うるせぇよ! 助けてもらわなくても、全員倒してたっつーの!」
ふんっ!とお互い顔を逸らして、俺は自転車を引いて立ち去ろうとする。
「あっ、違……! にか、二階堂センパイ!」
そこで、何かを思い出したみたいにチビが自転車のリアキャリアを引く。
「あっ! あぶねぇな! 何すんだよ!」
「あのさ! オレんち、ケーキ屋で……その、さ。この間、二階堂さ……先輩! 通報するふりしてくれた時、絆創膏くれたじゃん……だから、これ」
ボロボロの学生鞄の中から、白いふわふわの包みの焼き菓子を出される。
「クッキー……?」
「おう、オレが焼いた」
「へー……ありがと……って! え? お前さんが焼いたの? マジで! すご!」
「すごくねぇよ。ケーキとかじゃあるまいし」
「お前、まさかケーキも焼けんの? ありがとう、えっと……」
「三月。和泉三月」
人の名前だけ無理矢理聞き出したチビは、今日ようやく名乗って、それから学生鞄を背負うと鼻を擦って頭を掻いた。
「ミツ、ありがとう」
「おう」
それじゃ、と、ミツは俺の自転車のリアキャリアに跨った。
「それじゃって言ったら、普通別れないか……?」
「乗せてけよ。オレ軽いだろ?」
「乗せてけっていうか、もう乗ってんじゃん。やめろよ……別に俺、お前とつるむ気……」
「大丈夫だよ。二階堂さん喧嘩弱そうだから、巻き込まれても守ってやるって」
「その二階堂さんやめてくんねぇ……? あと、俺、お前のせんぱ……」
「えーっと、大和さん……ぱい?」
「先輩がさんぱいになっちゃってんじゃん……何、さんぱいって……、いいよもう、さんで……」
「大和さん?」
漕げるかな……自転車二人乗りなんかしたことないから、サドルに座ってもなんとなくバランスが取れない。もし俺がバランス崩したら、この後ろに乗ってるチビどうなるんだろう。
「大和さん、もう既にふらふらしてんだけど!」
「う、うるせぇな……勝手に乗ってる奴が悪いだろ……! 転んでも知らねぇからな……!」
俺が運転ミスったら、どうなんだろう。ミツ。
後ろから、ぎゅって抱き締められて、学ラン握られた。ドキドキする。他人なんて乗せたこと、ないから。ドキドキする。
「くそ……っ」
無理矢理降ろせばよかったのに。
俺は、名前も顔も知ったばかりのチビを乗せて走り出す。自転車のカゴには学生鞄と、もらったばっかりのクッキーの包み。
「あははっ! 大和さん、ハンドルふらふらじゃんっ!」
「お前さんが重たいからだよ……!」
ハンドルが掴む手がふらついて、左右に車体が揺れる度、チビがぎゅっぎゅってしがみついてきてる。怖いだろうに笑ってる。バカみたいに。
「あーもう! 降りろよ!」
「おもしれーからうちまで乗せてよ。オレ、ナビするから」
「は、はぁ?」
冷や汗ダラダラでブレーキ踏んで、しがみついてるチビを振り返る。
「パンケーキで良ければ、焼いてやるからさ」
「え……?」
顔を上げたチビの瞳が、ちょっと涙目になって緩んでとろけてた。パンケーキの上のメープルシロップ被ったバターみたいにとろっとしたそいつに、俺はぽかんとする。
「大和さん、眼鏡ずれてる」
眼鏡でもずれてなければ、きっと俺は一目惚れしてたと思う。
(なんて、思いたくない。だって俺は今まで二人乗りなんてしたことないし、ふざけて抱き付いたことだってないんだから。こんなの、絶対おかしい)
おかしいのに! そう思うのに、バカみたいな話だ。俺は知り合ったばっかりのチビの、ミツにぎゅってされたいばかりに、慣れもしない二人乗りで必死に必死にペダルを漕いでやったんだから。
(絶対絶対、おかしい……!)
ああ、絶対振り落とすもんかなんて、この時ちょっとでも思わなければなぁ。
初夏に出会った和泉三月からは、目が眩むくらい甘い匂いがした。