言ってはなんだが、切れ味抜群。非の打ち所がない美形だ。こんな仕事をしていないでモデルにでもなれば、あちこちで引っ張りだこに違いない。そんなことは、振り返るまでもなくわかっている。
わかっているのに、だ。大和のスマホを見て先ほどから目を瞬かせている三月の目は爛々として、その輝きを少しも翳らせはしない。
「大和さんの兄貴、めちゃくちゃかっこいい……」
顔が良い、イケメン、オーラがすごい、めちゃくちゃ好きな顔エトセトラ……三月の賞賛の言葉を聞きながら、大和はするっと目を細める。作り笑いである。
その言葉のひとつひとつ、全部。ぜーんぶ、自分に向けられていたらどんなに良いか。
かっこいい、顔が良い、イケメン、めちゃくちゃ好き、大好き、愛してるエトセトラ……三月から向けられれば破顔してしまうに違いない言葉なのに、それは今、大和の頭領である八乙女楽に向けられている。
(……兄貴の顔が好みってことは、だよ)
——もしかしてミツって、俺の顔は好みでは、ない。
ある程度、顔が良い自覚はあるし、どんな仕草で取り入れば効果的かも心得ている。だから三月を陥落させたという僅かな自信もあった。
けれど、きらきらと表情を輝かせて食い入るように楽の写真を見ている三月を前にすると、どうしたって「敗北」の文字が頭に重くのし掛かってきた。大和の自信という自信が、がらがらと音を立てて壊れていく。誤魔化すために眼鏡を上げた。
「ミツってそういう顔が好みなんだ?」
「いや、こんな顔嫌いな奴いなくねぇ? 隙がねぇんだもん……オレ、本当こういう顔に弱い……」
聞きたくなかった言葉がグサグサと胸に刺さる。ここで、「お兄さんの顔は?」なんて聞こうものなら、嫉妬しているのが伝わってしまうし、顔が良いと思っていることに呆れられるかもしれない。本物の美形の前では風の前の塵に同じ……そんな言葉を唱えながら、大和は静かに奥歯を噛み締めた。
「うわー……会ってみたい。いや、生で見れるだけで良いかも」
——ぜってーに会わせねぇ……
小さい男に思われても良い。絶対に会わせない。
大和が作り笑いを浮かべながら車窓の外を眺めていると、三月がスマホを握ったまま、とんと大和に寄り掛かった。
「他に写真ねぇの?」
きゅるっとした目で見上げられる。そんな顔、今まで見たことがない。
「ああ、見せられるやつはないかもね」
そっかぁとすんなりスマホを大和に返す三月に、大和はほっと胸を撫で下ろす。勿論、そんな風に見える仕草はしない。
「あはは、気に入ったか」
相変わらずの作り笑いだ。寄り掛かっている三月の肩を抱いて「よそ見するなんて悪い子だなぁ」とでも囁く余裕があればまだ良かったのに、大和にはそんな余裕が微塵もなく、ただ窓の外に視線を投げやることしかできなかった。
「兄貴、そろそろ着きます」
運転席に座っている武蔵が、ちらとこちらを見た。ああ、うん。そう適当に返事をした。
今日はホテルバーで軽く飲んで、そのまま……と思っていたが、少し気が変わる。気が変わるというか、削がれるというか。
自分が誰のものか、わからせた方が良いのかもしれない。そんな意地の悪い思考が、大和の頭の中を漂っていく。
(……なんで?)
それがとても滑稽に思えた。
楽に勝てるわけがないんだと知っているからか、何故か三月が自分だけのものだと思っていたからか、理由はわかりやしないが、それでも「妬く」ことそのものが滑稽に思えた。
気が変わった。軽く飲ませてと思っていたことを容易く操作して、三月にしこたま飲ませた後、寝落ちしそうな身体を抱えて、取ってあった部屋のベッドに放った。あっという間にすやすやと健やかに寝息を立て始めた三月の顔を見下ろして、肩を落とす。
自身の上体だけをベッドに倒し、三月の横顔を見つめながらゆっくりと瞬いた。ふわんと揺れた三月の前髪を軽く摘む。撫でて、ほっと息を吐く。
(気付かれてるんだろうな……)
やけにやたら無言で飲ませたこと、気付いていないわけがない。それでも「もう飲めないよ」と言わなかった三月の危うさに、そっと溜息を吐く。
安い男だったら、酔い潰した相手を滅茶苦茶に……なんて、軽率なことをするだろうが、生憎、大和にはその気がない。その反応が見たくないと言えば嘘になるが、それでも「気が変わって」しまった。
(セックスするだけなんて、さ)
やだな。やだよな。そう呟きながら、三月の手を恐る恐る握る。指を絡めて握り込んで、そのまま自分の胸に当てた。
身も心もぜんぶ攫ってしまいたい。いつか三月が大和にしたように、あっという間に肉体の内にある心だって攫ってしまいたい。なのに、自分には、きっとその力がないだろう。
「すき……」
好きだよと漏れた言葉を、眠った三月は決して聞いていやしないだろう。
大和は、三月が目を覚ます前にホテルを出た。いつものことだ。書き置きだけ残して、武蔵に送迎を頼んで――いつものことをしただけのはずなのに、運転手はちらちらと大和の方を見る。
「和泉三月に嫌われでもしましたか」
「随分とストレートな聞き方だな……」
「他に、兄貴が静かな理由を思い付きませんでした」
「……嫌われてない、と思う。俺が勝手に」
不貞腐れてるだけ。そう、今、不貞腐れてるんだな、俺……顎に手を当てて、そうかと頷いた。
「お前さ、俺とミツって一体なんだと思う?」
「さぁね……面倒見てやってるわけでもないし、セフレにしては……その、お熱いですし」
お熱いという言葉に、ついカラカラと笑う。
「……なんなんだろうなぁ」
そりゃあ、熱は上げているから、三月に見せているかどうかはともかくだ。この男からすれば、大層お熱く見えるだろう。
「だから……何かになりたいんだと思う……」
「え?」
「ミツの何かになりたいんだと思う。まぁ、駄目なんだけどな。そんなこと考える筋合いもないんだってわかってんのに」
だんまりになった目の前の運転席を見やって、大和はふっと笑った。
「悪い。変な話……」
「……和泉三月に聞いてみればいいじゃないですか」
「は? お前さんのなんなんだって?」
「俺には、今更のように思えますね」
俺もお前も、関係の名前を見出せないでいるのに、それをミツは知っているとでも言うのか。
大和は改めてシートに深く座り直すと、唇を開いて、けれど迷いながらも閉じることにした。何を言ったら良いか、思い付けなかった。
次会った時に聞こう、次会った時に聞こうと先延ばしにしてる内、三月を呼び付けるタイミングを見失っている。抱き締めたいという欲求が薄れて、「触ると怖い」に近付いていた頃、珍しく三月からの着信があった。
けれど、大和は出なかった。頭の中で「臆病者」と罵る声があって、それでようやく事務所の中で電話を折り返した時、三月が驚いたような声色だったのを聞いて、少しだけ罪悪感が湧いた。
「忙しかった……?」
「ああ、まぁ……」
曖昧な返事に、三月がはぁと息を吐く。
「……刑務所にでも入ったかと思った」
「はー……?」
「ってのもあるけど……なんていうか、別れるのかなって……」
それこそ、「はー?」だった。大和からは別れる気はない。ふっと湧いたその言葉を胸に留め、再確認する。俺は、別れる気は、ない。
「……別れたい?」
そのくせ、口先では小狡いことを言う。自分の性分に苦く笑う。
「別れたかったら、電話してねぇよ」
少し怒ったみたいな声を返されて、大和は胸を撫で下ろす。
「ミツ好みのお顔の兄貴に振り回されて、お兄さんもわりと忙しかったんですよ」
軽口のままそう言えば、三月は少し怒ったみたいな口調のまま言った——違う。不貞腐れてるのかもしれない。
「邪魔して悪かったですね……」
無理矢理丁寧にした三月の言葉を聞きながら、大和は確信する。相手は不貞腐れているんだ……自分と同じように?
「……邪魔じゃないよ」
「一般人のガキのオレなんかが、すみませんでした」
「どうした? まぁ、確かに、ガキじゃないとは言えないけどさ……」
「……大して飲んでもいないのに潰れて、ガキっぽくて、悪かったなって」
早口で畳み掛けるように言われ、大和は、はと息を飲んだ。けれど、三月はすぐに我に返ったのか、「ううん」と言い直す。
「……愛想尽かされたかと思ったんだよ……」
そんな三月の言葉に、大和は思わずぱしりと瞬きをした。
愛想を尽かすも何も、酔い潰したのは大和の方だ。それがわかったら、軽蔑するのは三月の方じゃなかろうか。
「……俺が言うのもなんだけど、お前さんはもう少し警戒心を持った方がいいと思うよ」
「は? どういう意味だよ……」
「わざと潰したの。気付いてなかった?」
え、と短く声を漏らした三月が「なんで」と尋ねてきた。大和は思わず、くくくと笑う。本当に気付いていない。
「ミツが俺以外の男によそ見するから、潰してわからせてやろうと思って」
心にもなかったことを言えば、今度こそ三月は怒声を上げた。
「ば、バカ! 犯罪だろ!」
「ミツの寝顔があまりにも幼児だったから気が変わっちゃった。何もしてないよ……自分の童顔に感謝しろよ」
「うるせぇな!」
暫しの間の後、三月が再び口を開く。大和は一言も逃すまいと、スピーカーに意識を集中させた。
「そういうこと、電話で言わないでよ。直接言えって……」
「何のこと」
「よそ見すんな、とか……」
口を尖らせて言ってるであろう三月の声を一言一句聞いてから、大和はほっとして、そのまま緩く口角を上げた。
「……酔っ払って、目、覚まして、大和さんと何もできなかったの思い出して……でも、肝心のあんたもいなくてさ……ちょっと落ち込んだんだぞ……」
「……何もできなくても、俺にはミツがいてくれればそれで良いんだけど、ミツは」
——聞いてもいいんだろうか。
「ミツにとって、俺ってなんなの?」
面食らったのか、三月がはっと息を飲む音が聞こえた。電波のノイズの合間、その動揺を拾い上げる。
「いやさ、何なのかなーって思って」
何の気無しを装って言葉を続ける。三月はそろっと口を開き、それから呟いた。
「……変人」
「ヘンジン?」
「物好き……?」
「モ、モノズキ……」
「おっさん」
「オッサン……」
大和は思わず、額を押さえて俯く。
成程、そもそも三月の中では、大和が思っているような次元に大和自身はいないのかもしれない。自信なんてそもそも持つべきではなかったのかも……本当に泣きやしないが、目尻にじわっと湿り気を感じた。
けれど、続く三月の言葉で、その湿り気は一気に気化してしまった。
「でも、触られると嬉しい人……」
大和は復唱をやめて、口を閉ざす。
「ううん、触って欲しい人……かな」
「……他に無いの? 顔が良い、イケメン、大好き、愛してる~とか」
「うっわ、本当あんたって自信過剰……」
呆れたような三月の声を聞きながら、頭の隅で「そんなことないよ」と項垂れる。
――必死なんだ、案外。
「……オレも、聞きたいことがあんの。ずっと前からさ」
「何?」
「オレ、大和さんのなんなんだろう」
はっとした。お互い探り合いだったんだな、なんて思う。
(見出せてないよ、ミツ……)
大和は、三月が目の前にいないことに心の底から安堵した。今、きっと自分は酷い顔をしている。
恋人になってくれるかとでも言えれば良かったんだろうか。そうすれば、こんな顔をしなくて済んだのかもしれない。けれど、大和は「駄目」なんだろう。三月に残ってはいけない。三月の中に残ってはならないと、どうしたってその意識が纏わり付いて離れない。舎弟にまで今更だと言われるのにも関わらずだ。
「大和さん? 聞こえてる……?」
「うん……聞こえてる」
「……言いたくないなら、いいよ。言わなくても」
ああ、またこれだ。結局は三月が譲歩して、諦めて、大和の好きにさせる。そうして甘やかされていることに対して、自覚がないわけではない。
「あんたが何でも、オレが何でも、今更忘れてなんかやらないし」
「うん」
「自分だけが覚えてたいとか通用しねぇし? ……って、え。今、うんって言った……?」
「……うん。忘れないで」
酷い顔をしている。今、とても見せられないような顔をして、空いている手で覆う。額を拭った。
「小せぇことで嫉妬した俺がいること、忘れないで、自覚して、ミツも」
直接なんて言えるわけない。こんな酷い顔見せられるわけがないのだから。だから、顔を見ている時は格好くらい付けさせて欲しい。
「あ! ば、バカ……! そりゃあ、あんたの兄貴は顔良かったけど、違……っ! オレ、全然そういう気持ちじゃ……!」
慌てた三月の声に、大和は思わず笑う。そんなことわかっているのに、けれどまだ不満は残っていて、だから粘着質な声をスマホのマイクに流し込んだ。
「次、今夜でも良い? 俺に目一杯欲情して、俺を安心させてよ」
「よくじょ……」
「期待してる。それじゃ」
無責任に通話を切った。
確かにセックスだけの関係が嫌だと思っているのに、求められれば安心して、刹那的に満たされて、そんな刹那的なことが許せないのに忘れることを望んでいる。本当は、忘れてほしくなんてないのに。
大和は、眼鏡を外して静かに息を吐いた。矛盾だらけの感情を三月の小さな体ひとつに向けている自分に、更に嫌気が差す。
(愛想尽かされるのは、俺の方だ)
とっくに俺だって俺に対して愛想を尽かしているんだから、名前の無いこんな関係がいつまでももつわけがない。
情けない顔に蓋をするために、大和はそっと眼鏡を掛け直したのだった。
【 こころさらいに続く 】