意地のわるいひと
どういう反応するんだろう。安全が約束されてる場所でなければそれほど酔いはしない。けれど、多少なりとも飲んでれば、ほろ酔いには足を突っ込んでいて、だからそんな迂闊なことを思った。
どういう反応するんだろう。
ウイスキーのグラスを傾けながら、耳に当てているスマホに声を流し込む。
「珍しいな、お前さんから電話なんて」
定期的に逢瀬を重ねているし、別段声を聞きたいことがあるわけでもないだろうに、なのによりによってキャバクラで接待を受けている最中に——別に楽しんじゃいない。取引の一環だから——掛けてくるなんて、と大和は思った。
(……鼻が利くなぁ)
なんでそんな所にいんの、だの、浮気しないって言ったじゃんだの、そう言われれば悪い気はしないが、さて……大和はグラスをテーブルに置く。からと鳴った氷を見下ろして、スマホのスピーカーに耳を傾けた。嬢が次のボトルを持つが、首を横に振る。
「……そっちこそ、なんか後ろうるさい……何処にいんの。外?」
「いや、綺麗なお姉さんがお酒注いでくれるお店」
そう言えば、隣についていた嬢がキャッと声を上げた。目を合わせて、ニッと笑ってやる。笑ってやるだけだった。
大和の興味は、嬢になど向いていないからだ。最悪と思いながら、その最悪を電話の向こうの彼に向けて楽しんでいる。
(おーおー、最悪)
勧められた時だけ吸う煙草を口に銜えて、火をつけてもらうのを待つ。そっと近付けられた火を視界で確認して、ひゅ、と息を吸った。止める。煙草を指に挟んで口を離すと、安穏と煙を吐き出した。
(息抜きくらいさせてよ)
作り上げられた退屈な接待の中で、彼くらいは大和を翻弄して欲しい。
どんな答えが返ってくるか待っていると、スピーカーの向こうで彼がぼそりと言った。
「ふーん、女の人に構って欲しい気分だったんだ?」
「そんな気分ねぇよ。仕事だって、仕事」
「あっそ。顔だけは良いもんな。チヤホヤされる仕事も大変だなー」
少しだけ棘のある言葉尻。
「それほどでも」
思わず口角が上がる。火の点いたままの煙草を銜え直して、大和は「何もないなら切るよ」と呟いた。
嘘、切らない。ずっと話していたい。こんな不味い煙草より吸いたいに決まってる。
「何もないよ、別に。煙草吸ってんの……?」
「吸ってるよ。じゃあなんで掛けて来たの……」
「オレの前では吸わないじゃん」
「貰った時だけ吸うの」
「知らなかった。掛けなきゃ良かったな。邪魔だったよな、オレ。ごめん」
「は? なんでミツが謝っ……」
「おやすみ」
「おい」
唐突に切られた。いや、切る意図の言葉は掛けられたが、結局何故掛けて来たのか理由はわからないままだった。
相場は「声が聞きたかった」とか「何してるかと思って」辺りではないのだろうか。少なくとも、大和はそういう時に電話を掛ける。
「邪魔じゃないのに」
——邪魔なわけないのに。なんで切るの。
通話の切れたスマホの画面を眺めながらそう言えば、隣の嬢が「彼女ですか?」と声を掛けてきた。
「そんな感じ」
そんな感じ、そんな感じかな。わからない。
(おやすみってことは、寝るのかな……もう?)
スマホに映る時間は零時半、そりゃそうかと思う。夜の街はこれからの頃合いだが、外の世界は——なんでこんな時間に掛けてきたんだ、電話なんて。
聞いても答えなかった彼の様子を思い出そうとするのに、後頭部では多少の動揺をして、うまく思い出せないでいる。
気に入った子を連れて出て構わないなんて誘いをあしらって、大和は同行していた武蔵に運転を頼んでいた。行き先は一つだったし、気に入ってる子もたった一人だけだった。
「電話、来てたんですか」
「ああ……ちょっとしくじったかも」
「あの子相手だと、しくじってばかりですね、兄貴」
ぐさりと刺さる。その通りだ。
「……やくざの女だったらさ、多少は弁えてくれるだろ。そうじゃねぇから、ちょっとくらい妬いてくれるかなって思ったんだよ、多分。いや、妬いて欲しかったんだろうな……妬いて欲しかった」
「……兄貴が思ってるより弁えてますよ、あの子は」
「……だな」
不味い煙草で乾燥した唇を自分で摘む。口は災いの元だ。大和はつい頭を抱えた。
潰れたような声で「俺が悪かったわ」と言えば、武蔵に「あの子に言ってくださいよ」とばっさり切り捨てられたのだった。
勝手に作った合鍵を差して、和泉三月の住むアパートの部屋に上がり込む。
当然ながら暗い部屋の中を歩いて、三月のベッドの横に立った。すーっと寝息を立てている表情を見下ろして、大和は溜め息を吐く。
「ミーツ……」
羽織を脱いで、眼鏡を抜いて、テーブルの上に放る。
三月の寝相で乱れている掛け布団を持ち上げベッドに乗り上がると、流石に三月が瞼を持ち上げた。
「……不法侵入だ……」
「子守唄歌ってもらいに来た……」
「キャバ嬢に歌ってもらえよ……」
ひどく眠そうな三月なりの低い声がそう言う。もぞもぞと入り込む大和を気持ち押し除けようとしながら、それでもベッドの半分は空けてくれた。
「酒臭いし、煙草臭いし、やだぁ……」
「一本しか吸ってないって……」
「着物、皺になるよ……」
「いいよ」
「オレが嫌」
覚束ない手で袴の帯を解こうとする三月に、大和は小首を傾げた。
「脱いで……ハンガー……そのへん」
「……え、いいの?」
「脱ぐだけ……」
もちゃ、と動く三月の手を捕まえて、繋いで、軽く振った。
「明日一限だから……脱ぐだけ……」
「うん」
一限なのに夜中に電話をしてきて、三時近くに潜り込んできた大和を突き放さない三月の手を頬に当ててきゅっと息を吸い込んだ。
不味い煙草なぞよりずっと吸っていたい。
大和はさっさと着物を脱いで、ハンガーに掛けるのは面倒でやめた。起きたら怒られる気がする。けれど、狭い床に放るだけ放って、戻ったベッドの中で三月をゆるく抱き寄せる。
「……綺麗なねーちゃんと寝てくれば良いだろ、バカ」
「ミツがそれでいいならそうするけど」
「んー……」
返事にならない言葉を返して、三月はもぞもぞと大和に擦り寄ってきた。
弁えてる。弁えなくて良いのに、そんな必要ないのに弁えている。もどかしい。
「なぁ、なんで電話してきたの。子守唄聞かせようとしてくれた?」
「しねぇよ、そんなの……」
「じゃあ」
なに、と言い掛けた大和に、入眠寸前でふにゃとした三月がぽそり言った。
「おやすみ、してほしく、て」
ふにゃ。
「でも、きてくれたから……いっか、て」
——ゴメンナサイ。
完全に三月が寝てしまった。大和の腕の中で。なので、もう何度謝ろうが聞こえちゃいないだろうが。
「ミツ、ごめんなさい……」
起きたら、ごめんなさいとすまんと悪いを繰り返し唱えよう。もう試すようなことしませんと誓おう。でも、試しちゃうかもしれない……可愛いから……
翻弄されてぐずぐずになっていく自分の身と心を懸命に取り留めながら、このまま三月の服を剥がしてしまいたい衝動を抑えながら、大和は「明日は一限、明日は一限……」と唱えるのだった。