先輩から送られてきたチャットに、大和は「うげぇ」っと顔を顰めた。内容は、決して酷い物ではない。酷い物ではないので、逆に反応しにくい。非常に反応しにくい。
「どうしたの、大和さん」
大和があまりにもな声を上げたので、一緒に車に乗っていた三月とナギが後部座席から乗り出してきた。
大和は、今し方反応に困っていたその写真を拡大して、無言のままナギと三月に見せる。
「Oh! ミスターユキとミスターモモ、ベリーキュートです!」
そこには、ウサミミを付けたRe:valeの二人が、仲良く抱き合って写っていた。三月は「相変わらずラブラブだなぁ」と笑う。
「まぁ、キュートではあるよな。特に百さんは……。ナギ、代わりに返事送っておいてよ……」
「イエ~ス」
大和のスマホを受け取ったナギが、丁寧に千に返事をしている。大和の方はと言えば、これからの仕事を思って、ずしりとシートに沈み込んでいた。
「こなれてる先輩方は良いよな……お兄さんは気が重いよ……」
「まぁまぁ……」
三月は、宥めるように大和の肩を叩く。
「資料とサイト見せてもらった感じ、ロリータって言っても、シュッとしたシルエットの服の路線みたいじゃん?」
「そうなんです」
運転手を務めていた紡が、ハンドルを握ったまま三月の言葉に頷く。
「こちらのブランドが、この度メンズ向けのお洋服を売り出すそうなんです。そのイメージモデルに、三月さん、大和さん、ナギさんの三人を是非ともお迎えしたいとのことでお話を頂きまして……! 打ち合わせの際に、皆さんが着用予定のお洋服の実物を見せて頂いたんですが、とっても素敵なんですよ!」
「たしか、元々メンズとしての扱いはあったけど、今回から大々的に広告を打つってことだったよな?」
「はい!」
洋服ブランド関係の仕事ということで、紡の言葉にもどこか興奮が感じられる。どんな仕事であっても一生懸命に違いはないが、それにしても、少しテンションが高い。
「マネージャーは……えーっと、ルナクレスケンス? ってブランドの服、知ってたの?」
三月から渡されたカタログを眺めていた大和が、紡に尋ねる。
レディースモデルも、想像していたより甘さ控えめでシックな雰囲気があり、愛らしい。ふわりと裾の広がったショコラ色のジャンパースカートは、紡にもとても似合いそうだ。
「存じておりました! 着たことはないんですが、どのお洋服もとっても可愛らしくて……カタログを拝見しているだけでも胸が躍りますよね」
「へー、まぁ、見た感じ、マネージャーも似合いそうだよな」
ペラペラとカタログをめくっている大和の元に、ナギからスマホが戻された。
「終わった?」
「終わりました~! ミスターユキに、我々はこれからロリィタファッションのモデルの仕事だとお伝えしたところです!」
「なっ、余計なことを!」
「ヤマトの写真を楽しみにしていると承りました」
動揺した大和の目の前で、ナギが胸に手を当ててウインクをする。そんな二人の遣り取りに、三月が声を上げて笑った。
「あっはっは! こりゃあ、男前に撮ってもらわないとな! 広告にも出る予定だし、観念しろよおっさん。どうせどっかで見つかるんだから。ナギ、オフショも撮らせてもらおうぜ」
「ナイスアイディアですね、ミツキ!」
後部座席でキャッキャしている三月とナギ。一方で、大和は一人、潰れたような声を出しながら、またもずるずるとシートに沈んでいってしまった。
「王子ロリかぁ」
沈んでしまった大和からカタログを取り戻しつつ、三月が企画書を持ち上げながらナギに言う。
「少年イメージのデザインで女性が着てたものを、メンズとしても……って、ナギがこういうの着たら、普通に王子様になっちまうよな?」
「幼い頃の服装にも似ています」
「確かに、こういうイメージあるよ。クール&キュートだな」
「ミツキが着用するモデルも楽しみですね」
「だな。普段なら、ちょっと照れちまうとこだけど、是非オレたちにって言ってもらえるのは嬉しいしさ。頑張ろうな、ナギ」
「イエス!」
後部座席でナギとうんうん頷き合っていた三月が、ずいーっと顔を覗かせる。
「おっさんもな」
「……いえす……」
シートに沈み込みながらもなんとか返事をする大和に、紡と三月は顔を見合わせて笑った。
撮影を行うスタジオに到着すると、現場にはいくつもの衣装や小物が広げられていた。
「おはようございまーす!」
紡と大和、三月、ナギがスタジオに入る。既に話し合いをしていたらしいスタッフたちが、一斉に顔を上げた。
その中でも、一際忙しそうにしている女性が飛び上がる。
「社長、ほら! ほらほら!」
他のスタッフから、社長、社長、と背中を押されているその女性が、たどたどしく四人の前に現れた。
「お、おはようございます……! ルナクレスケンス社代表取締役の深山るなと申します。打ち合わせの際は、小鳥遊さんには大変お世話になりまして……! 本日は、どうぞ、よろ、よろしくお願いしますっ!」
深々と頭を下げた深山社長に、紡も深々お辞儀を返す。三人もそれに倣った。
「IDOLiSH7の二階堂大和です。よろしくお願いします」
「和泉三月です。すっごく楽しみにしてました!」
「六弥ナギです! お会いできて光栄ですよ!」
「わあ……ありがとうございます……私もすっごく楽しみにしていて……こちらこそ、光栄です……」
既に泣きそうな深山社長の隣に、すらっとした男性がやってきて、そっとその背中を叩く。
「社長、早速ご案内しましょう」
すると、深山社長はぴっと飛び上がり、それから衣装を何着か抱えて更衣室へと向かった。
この深山社長自らがブランドのデザイナーをしていることは受け取っていた資料にも載っていたので、三人とも把握している。
「すみません、普段はもっとしっかりしているんです……何せ、社長、IDOLiSH7の……特に、三月さんの大ファンで……」
男性のスタッフが、小声で謝罪してくれた。
「えっ、ありがとうございます……!」
「ミツ推しか~! まぁ、ミツはこの通り可愛いですし、しかも男前ですからね」
「ワタシも、貴社の作品をミツキが着用するのを楽しみにしています!」
「今回は本当にありがとうございます。企画が決まってからもう、社長も舞い上がったりなんだり……とにかく喜んでおりまして……、小鳥遊事務所さんとお三方には感謝しかありません」
現場のスタッフの穏やかな視線に、三人もなんだか嬉しくなった。
その後は、衣装の調整に小物の取捨選択でそれぞれスタッフに囲まれ、現場は忙しない状況だった。社長本人も、スタッフの合間を縫って駆け回っていた。
三月は、前立てにフリルの付いたブラウスに袖を通す。生地が柔らかくて、破いてしまわないかと心配になるが、いざ着てみると、案外肩まわりに余裕がある作りになっていた。
ボトムスには黒いハーフパンツ。そして、同じく黒色のサスペンダーコルセットを合わせ、腰をきゅっと絞られた。露わになっている脚は、厚手のニーハイソックスとブーツで隠される。
首元には大きめのリボンか、それともネクタイかと検討されたが、最終的にはネクタイが採用された。最後に渡されたレースの手袋は、アクセントとして手首に小さな黒いリボンが付いているものだった。
「撮影時は、この耳を付けてもらって」
ヘアメイクさんが、ウサギの耳が付いたカチューシャと三月の髪型を合わせるために奮闘している。
その背後で、既にばっちり決まっているナギが、わくわくと飛び跳ねていた。
「おー、ナギ、もう終わったのか?」
三月と同様にウサギの耳を付けたナギが、左右に揺れているのが鏡に映っている。
「イエス! 見てください、ミツキ! キュート&エレガントですよ!」
「見てる見てる。ナギ、お前、最高にエレガントだよ」
三月は、鏡越しにナギのコーディネートを見てみる。
すらっとしたグレーのパンツに、黒いベストを合わせている。ブラウスは三月の物とは色違いのようで、象牙の色をしていた。光の加減できらきらと光が散っているように見える生地だった。
その首元には大きなフリルがあり、黒い細身のリボンが結ばれている。成程、どこからどう見ても王子様である。編み上げのロングブーツが、そこに仄かな色香を残していた。
「ナギさんは、その上からジャケットを羽織って頂くんですよ」
ジャケットに袖を通したナギが、スマホを持って大和を探しに行く。どうやら、千との約束を律儀にも果たそうとしているらしい。
三月はそんなナギの背中を見送りながら、苦笑いを浮かべた。
「ナギくん、もしかして今日は一段とはしゃいでます?」
「ですねぇ。久し振りに、この三人で仕事だからかな……」
後頭部の髪を軽く巻いてもらっている。気付けば、ウェーブの付いた軽い仕上がりのヘアースタイルになっていた。
「Oh! ヤマト完成でーす!」
三月がOKを貰って椅子から立ち上がった頃、大和の肩を押しながら、ナギがにこにこで控え室に戻ってきた。
「うお、ミツ、めちゃくちゃ可愛い……」
「ベリーベリーキュートですよ、ミツキ! ヤマトもキュートボーイに仕上がっています!」
ナギがキュートボーイと呼ぶ大和は、と言えば、濃いワインレッドのシャツに細めのネクタイ、太腿にベルトが付いているスラックス。そして、常磐色の燕尾のジャケットを羽織っていた。燕尾の裏地には白いレースがあしらわれていて、シックな中にも華やかさがあった。スラックスに合わせられたヒールのある革靴はキャメルカラーが選ばれており、全体の大人っぽさの中にも、可愛らしさが覗いている。
「はいはい、お前も予想通りの王子様だよ……」
左側の髪を止めて頬を出している大和の耳には、バラの花から雫が落ちているようなデザインのイヤリングがあった。
そして、やはりウサギの耳のカチューシャなのである。
「ワタシたち、キュート&クールなウサギさんですね!」
撮影ブースに立ちながら最終調整を受けていると、ハンカチを抱き締めたまま固まっている社長の姿が見えた。
三月は「ちょっといいですか」とスタッフさんに申し出て、そっと社長に近付く。
「み、三月く……三月さん!」
「深山さん、今回は、素敵な衣装用意してくださってありがとうございました。どうですか? オレ、イメージに合わせられてますかね……?」
握り締めていたハンカチをより一層ぎゅうううと絞りながら、社長は「勿論です!」と声を上げる。
「あ、あの、本当に、私、三月さんのファンで……いつか三月さんに自分の服を着て貰いたくて……! 夢が叶いました……!」
握り締められてぎゅうぎゅうのハンカチで自分の目尻を拭いた社長が、「とにかく」と、仕切り直す。
「三月くんに撮影を楽しんでもらえたら、それ以上のことはないんですよ……」
深山社長の嬉しそうな、うっとりとした表情に、三月は胸が一杯になる。
「あ、ごめんなさい! 三月くんなんて私、馴れ馴れしく……!」
「あはは、大丈夫ですよ、くんの方で! 本当にファンでいてくれてるんだなぁ……オレも、そっちの方が嬉しいです」
三月が笑うと、社長もようやく笑ってくれた。仕事中だったこともあり、慌てているような表情ばかりを見ていたような気がする。三月は、ほっと安堵の息を漏らす。
「じゃあ、深山さんも、オレたちの撮影楽しんでくださいね! 精一杯頑張らせてもらいます!」
「はい! あの、あの……再来月のライブも絶対絶対行きます……!」
「……はい! ありがとうございます!」
三月はぺこんとお辞儀をして、撮影ブースに戻った。大和とナギも、そこから社長に向かって頭を下げる。ついでに三人でピースを送ると、社長はふらふらとよろめいていた。
――めっちゃファンの反応だ! 三人で視線を合わせて笑う。
「有り難いよな。俺達を好きな人達が、俺達の仕事に携わってくれるのってさ」
「だな。安心して取り組めるっつーか、幸せなことだなーって思う」
「イエス。非常に幸福なことです」
それぞれ個別のカットを挟み、三人でのカットを繰り返し撮っていく。
「丁度ウサミミだ!」
ナギのアカウントから送られてきた写真を眺めながら、Re:valeの百が呟いた。
「あっちはお仕事だけど、お揃いだね」
送られてきた三人それぞれの写真を千のスマホで一枚一枚丁寧に見つつ、百が続ける。
「オフショ、めちゃくちゃカワイイ! どんな広告になるか楽しみだね、ユキ」
「そうだね。大和くんが照れてるの面白いし」
岡崎事務所のソファの上でぴったりとくっついているRe:valeの二人の所へ、凛人が笑顔で入ってきた。
「お疲れ様です。二人仲良く何を見てるんですか?」
そんな凛人に、百がぱーっと手を上げる。
「あ、おかりん、お疲れ様! あのね、後輩ちゃんたちのオフショもらっちゃったから、ユキと見てたんだ!」
百の手の中にあるスマホを覗いて、凛人は目を瞬かせる。
「わぁ、可愛い衣装ですね! 番組の撮影……?」
「ううん、モデルさんのお仕事だって」
「へぇ、良いですね……Re:valeも服飾モデルの仕事受けようかな……」
ちなみに、オレたちに送る許可は取ってあるそうです! と元気に言う百に、凛人は「何よりです」と返す。
千のスマホを改めて見てから、百は言った。
「そうだ、アウトドア系のウェアとかさ、お仕事来ないかなー?」
「今度掛け合ってみましょうか」
やったー! と喜ぶ百の隣で、千は露骨に「えー……」という顔をした。明らかに嫌そうである。嫌なんだろう。
「それって、一歩間違うと外での撮影になるかもしれないってこと……?」
「いいじゃん! 自然の中での撮影、絶対気持ち良いよ! ユキもついで遊ぼうよ! オレ、釣りしたい!」
「撮影だけでしょ。なんで釣りすることになってるの……釣り針尖ってるし、僕は無理」
「わかってるよ。でもさ、オレは川遊びしたいよー! モデルとして、実用性のチェックもしなきゃじゃない?」
このままいくと、断固インドア派の千とアウトドア派の百との間で、戦争が勃発しかねない。例え即日終わる戦争であっても、紛争は起こらない方が良いに決まっている。凛人はにこやかな表情のまま、そっと二人の間に割って入った。
「はいはい、まだやると決まったわけじゃないですからね」
「そうだけどさぁ~」
「僕は釣りはしないからね、おかりん。撮影するならグリーンバックにして」
「はいはい、釣りはしません。グリーンバックは約束できません。場合に寄りまーす」
「おかりん~~~!」
わーわーと騒ぐRe:valeをそれぞれ押さえながら、凛人は溜息を吐いたのだった。
「Oh、ミスターモモとミスターユキから感想が届いていますよ! 「大和くん照れてる、ウケる。」「大和も三月もナギも超キュート! 街で写真見れるの楽しみにしてるね!」だそうです」
「流暢に読み上げやがって……」
ナギがふふふと笑っているのを睨みながら、大和はスタジオを振り返る。
一日がかりの撮影にはなったが、千の言う通り、照れながらも楽しめたとは思う。何より、可愛いものは良い。癒やされる。
「あれ、ミツとマネージャーは?」
大和とナギが振り返ると、三月と紡が遅れてスタジオを出てきた。
「悪い、ちょっと挨拶してて……!」
そう言う三月の手には、来るときにはなかった大きなショッピングバッグがある。
「それは、もしや、ミツキにプレゼントですか?」
ナギに言われ、三月は両手でそれを持ち上げてみせる。
「あ、ああ。深山さんがさ、良ければ着てくださいって」
「それは早速、撮影会を開かねばなりませんね……!」
スマホを構えるナギに、三月は笑った。
「撮影会はしねぇっつーの! ……でも、なんかさ、オレに着てもらって夢が叶ったなんて言われたら嬉しくなっちまって……ロリータの作法とか全然わかんねぇけど、普段着れる範囲で使わせてもらおうかなって思ってさ」
三月の言葉に、大和とナギがにかりと笑う。紡も、頷いて笑った。
「このお仕事、お受けして良かったですね」
「おう! ありがとうな、マネージャー」
「こちらこそです! では、皆さん車にお願いします」
来た時と同様に、紡が運転席に乗り込む。
走り出した車の中で、三月はとても大事そうに大きな紙袋を抱えていた。