くちびるが赤いからさ
「ミナ、メイクしてる?」
それは、してますけど。仕事中なら大体……そう言って、巳波はそっと頬に指を当てた。
撮影を終えて、トウマと合流するまであまり時間がなかったので、メイクは落とさないままスタジオを出てきた。
少しきつい印象はあるかもしれないが、それでも悪くはないだろう。だって元が良いんだから——そんな自信を大いに振り翳し、トウマと顔を合わせた瞬間、どこか抜けてる彼はそんな言葉を巳波に掛けたのだ。
「あ、いや、そうじゃなくてさ。いつもと違う感じの」
「コスメ関係の撮影がありまして」
「へぇ、またでかい広告になったりすんのかな? ホラ、これなんか良く撮れてるだろ? ハルの……あの新発売の炭酸のさ」
そう言っておもむろに自分のスマホの画面を見せてくるトウマに、巳波はそっと顔を寄せてスマホを一緒に覗き込む。そこには、駅ビルの広告に若手モデルと並ぶ悠の姿が写っていた。
「あら、可愛らしい。撮りに行かれたんですか?」
「ああ、オフに近く通ったからさ。ミナのポスターも、どっかで見れるといいけど」
そんな風に言うトウマに軽く肩をぶつける。
「探してください」
「え?」
トウマがきょとんと、巳波の横顔を見ていた。だから、巳波は視線をゆっくりと流し、それからトウマの瞳を見つめる。
少し視線が上がる。もしかしたら、相手は靴底の厚いブーツでも履いているだろうか。
「街中、私の写真を探して歩いて、駆けずり回ってください」
できるでしょうとばかりに言えば、トウマがことんと固唾を飲んだ。
「あ」
溢れたトウマの言葉と重なるように、一言言う。
「なんてね」
それから、そっとトウマから離れた。巳波の呆気ない言葉を目の前に、トウマはただ巳波の口元を見つめていた。
積み木を重ねて、突いて倒す。そんな瞬間のための言葉だ。「なんてね」、緊張が解れるだろうと掛けた言葉に、何故か彼は余計に緊張しているような顔をする。
「狗丸さん? そろそろ行きますか?」
今日は夕食を一緒に食べようと約束していたんだ。お腹空いちゃった……と小さく溢すと、トウマははっと我に返り、自分の口を手で覆った。
「……いや、駆けずり回るよ。お前がそうして欲しいなら」
そんな大切なこと、視線を逸らして言わないで欲しい。
巳波は思わず、「あら」と呟いた。この後に何を返したら良いか迷っている間に、トウマが伸びをした。足元を見れば、やはり靴底の厚い……なんとヒールのあるブーツを履いているじゃないか。
「飯、行くか! そろそろ予約の時間だし!」
「狗丸さん、ずるいですよ……」
「え? 何が?」
「ブーツです……やけに目線が高いと思った……」
普段は同じくらいの視線が、うまく交わらない。それが少し悔しい。悔しいからとトウマを瞳で見上げれば——これは、所謂上目遣いになりやしないか?
巳波は慌てて(けれど、慌てているようには見えないように)、顎を上げた。それでも、少し見上げる形になってしまうかもしれない。やっぱり悔しい。
「……あ、いや……そ、そう、か?」
恐らく悔しさの滲んでしまった巳波を見て、トウマが……笑いを堪えている。
「何笑ってるんですか」
「いや、その……違うんだ。これ先輩がくれて……ブーツ、カッケェからそのまま……へへ」
「笑いましたよね、今!」
「だぁって……だってさ! 悪い! マジで謝る! 謝るけど、ミナが可愛くて!」
ふわっと、耳が熱くなった気がした。なので、トウマの耳を前髪の隙間から掻き分け、指で掴む。
「いってぇ!」
「あら、わざわざ私の前で身長底上げする狗丸さんも、大層可愛らしいですけど!」
わぁっとトウマが口を開ける。そんなつもりは無かったのか、それともあったのか……不明確だった部分が、表情ひとつで露わになる。なんて可愛らしい。
耳を掴んでいた指を離してやると、トウマが顔を伏せて腰を折った。巳波より、彼の頭の高さが低くなる。
「気にしてたのかよ」
「気にしてませんけど」
「あ、あのさぁ、今日……メイクもだけど、ミナさぁ」
可愛すぎ……と声を殺したトウマの頭を、上からぽこんと叩いた。頭を軽く叩くだけに留めてやった。何せ、相手も自分も今はアイドルなのだから。