Mellow Gravity





なぁ、と呟く。
「はい?」
それを聞いて、楽屋でナギが振り返った。
他のメンバーはそれぞれ挨拶まわりに行っている。一番早く楽屋に戻ってきたのが、三月とナギだった。
今日は、アトラクション番組のゲスト参加だ。ここ最近だと珍しく、バラエティでもメンバー全員が揃っている。
「どうしました、ミツキ?」
「オレ、何か変かな……」
不思議そうに首を傾げるナギに、ミツキは番組用衣装のTシャツの襟を掴んで、軽く扇ぐ。
「強がってるように見える?」
「何故です?」
「大和さんがさ、すごい遠慮してくるんだよ。して欲しいことがあるなら言うだけ言えよって言っても、いいよと大丈夫しか言わないんだ。らしくないよな……?」
三月がそう尋ねると、ナギは合点がいったように目を閉じ、顎に手を当てて呟いた。
「Oh……ロミジュリ案件、思ったより深刻なようですね……」
「え? 何?」
「いえ、こっちの話です」
ナギは、楽屋のテーブルの上に肘を突いて、両の手を組んだ。ロミジュリだかなんだかは知らないが、一応真剣に話を聞いてくれるつもりらしい。ナギは大抵、三月の話には真剣に取り組んでくれるのだが。
「ミツキはいつも通りですよ。一生懸命、仕事に取り組んでいます」
「それなら良いんだけど……」
「ですが、ヤマトはいつも通りとはいかないようですね」
ナギの言葉に、三月は「そうだよなぁ……」と頷いた。
けれど、どう対応してやったら良いのかわからない。わからないからそれを聞きたいのに、大和は素直に話してくれない。何かよからぬことを考えて、隠したいわけではないのはわかっている。三月を気遣ってくれていることもわかる。
「ヤマトはなんと?」
「オレに会いたかったんだって。でも、変な話だよな。会ってんじゃん。今日だって同じ現場なんだぜ?」
三月があっけらかんとして言えば、目の前のナギは整った眉根を寄せて、笑顔を溢した。あまりにも愛嬌のある表情だったので、誰も彼もが見惚れそうだなと思った。
「……ヤマトの気持ち、わからなくもありませんね」
「ナギ……?」
「ワタシは今ミツキとおしゃべりを楽しめていますが、ヤマトとはどうですか?」
「……ああ、前ほどおしゃべりってのはしてないかもな。それでも不便はないけどさ……」
「……ヤマトとミツキは、話さなくてもどこかで通じるものがあるのでしょうね」
ナギの言葉に、つい笑顔が溢れた。くすぐったい。けれど、付け足さなければならないこともある。
「お前らとだってあるよ」
「そうだと嬉しいのですが」
手を組んでいたナギが、ひらりと指を解いた。
「けれど、通じるものがあるからこそ、言葉を交わさなくて済んでしまう」
確かに、一対一で話をしたのは、この間大和の部屋に行ったのが久し振りのことだったかもしれない。時間は取れていないかもしれない。
だからと言って、どうせ結果的に甘えるんだから、変な遠慮なんてしなければいいのに。
「ふぁぁ……」
ナギと話していると、気分が落ち着いてくる。つい欠伸が溢れた。
「あ、悪い……」
「いいえ。ミツキは今日も、ニホンブヨウがあるのですか?」
そういえば、今日もこの収録の後には日本舞踊のお稽古があるのだった。このままサブマネージャーに送ってもらう予定だから、道具も車に乗せてある。
「そう。収録以外でも稽古は続けてるからさ」
「皆、楽しみにしていますよ。特にリクとイオリが、録画して永久保存版にしようと盛り上がっていました」
「はは、永久保存はちょっと恥ずかしいな……けど、見せられるもんにできるように頑張るよ。ありがとな」
うんうんと頷くナギ。心なしか、嬉しそうな顔をしている。
日本文化が好きなナギのためにも、精一杯取り組みたいし、喜ばせてやりたい。そう思うと、身の引き締まる思いがした。
「よーし! 今日もお稽古頑張るぞ!」
「その意気でーす! オケイコ、頑張りましょう!」
「ただいまー!」
意気込んでいる三月と、それを鼓舞するナギの元に、陸の元気な声が飛び込んでくる。その後から一織が続いた。
「戻りました。……二人で拳を握って、何の話をしていたんですか?」
「ミツキのオケイコの話です!」
楽屋に戻った勢いのままテーブルに上半身をダイブさせていた陸が、ばっと起き上がる。
「あー! あれ! すっごく楽しみにしてるんだよ! ね、一織!」
「七瀬さん、兄さんにプレッシャーを掛けないでください」
「なんだよ、一織だってすっごい楽しみにしてるくせに……」
「そうですね。とても、すごく、楽しみにしていますよ」
「ほらー! 録画して、みんなで見ようね!」
ワーワーと騒ぐ陸とは対照的に落ち着いている一織。ナギもにっこりと笑って、二人の話に相槌を打っている。
暫くして、三月が陸の背中をとんと撫でた。
「陸、結構体を動かす番組だからさ、ちょっとだけ落ち着こうな」
「うん! みんな一緒だから、テンション上がっちゃった! ちょっと白湯飲んどくね」
「そうしてください」
楽屋に備え付けられているポットを覗きに行った陸の背中を眺めつつ、一織が微笑んだ。
「兄さん、日本舞踊はそれなりに体力も使うと聞きます。体に気を付けて、頑張ってください。私も、本当に楽しみにしています」
「おう! ありがとな、一織!」
「いえ……」
照れているのか、少し俯いた一織を見て、三月とナギは顔を見合わせ笑った。
「あ、そうだ! ねー、一織~!」
すると、突然、陸が自分の荷物の中から赤色のタオルを取り出した。
「なんですか? 散らかさないでくださいよ……」
「わかってるよ! それより、見て見て、このタオル!」
陸がぱっと広げたハンドタオルには、一織の部屋でよく見掛けるうさぎさんの刺繍がしてあった。
「なっ……! なんですかそれは……!」
 一織が、明らかな動揺を見せる。しかし、陸の「見て見て~!」は止まらない。
「この間、百さんにもらったんだ~! 持ってきたの思い出したから、一織にも見せようと思って! ほら、みみちゃんとロップちゃん!」
「う、かわ……っ! ごほん! わかりました、わかりましたから、もう片付けて……!」
タオルを広げて見せびらかしている陸に、大股で近付いていく一織。二人の遣り取りを見守りつつ、ナギが、ちらりと楽屋の時計を見る。
「……ヤマトとMEZZO"の二人が戻りませんね」
「だな。どっかで捕まっちゃったかな……オレ、探してこようか」
「いけません、ミツキは方向音痴が……」
「大丈夫だって。局の中では迷ったことないし!」
そう言って、三月は楽屋を一人で出る。さて、あいつらは誰の楽屋に向かったんだろう? と思いながら、通路をあてもなく歩き出した。
その傍ら、ナギの言葉を思い出す。通じるものがあるからこそ、言葉を交わさなくて済んでしまう――それを自覚すると、途端に大和の声が恋しくなる。
(ごめんな、大和さん。オレ、話さなくてもいいなんて思ってないよ)
受け流すみたいに扱った気はないが、それでも大和が踏み込めなくなってしまうような気持ちにさせてしまったのかもしれない。少し焦燥する。
誰より甘えたがりなのに、あんな風に躊躇するなんて、大和らしくもない。
「……甘えればいいのに」
――甘えさせてやれたらいいのに。
ただの出汁巻き玉子に『めちゃめちゃ美味かったよ。やっぱりミツのが一番好き』とラビチャを送ってきた大和のことを思う。にやける口元に手を当てて、はたと気付いた。
「ん? ここ、どこだ?」
途端に、自分が口にした言葉を思い出す。
「きょ、局内では迷ったことねぇのに……!」
考え事をしてたら迷った。というか、楽屋のフロアから離れてしまった。
「や、やばい! 戻らないと……!」
慌てて、三月は早足になる。一度回れ右をすると、不思議なことに方向感覚が麻痺する。認めたくはないが、やはり方向音痴の気が激しいのかもしれない……と、後悔してみても遅いが、とにかく今は戻らなければ!
そうはやる気持ちのままに足を進めていくと、丁度ドアから通路に出てきた姿に見覚えがある。三月は、ほっと胸を撫で下ろした。
「あっぶねぇ! 良かった、迷うところだった!」
三月は目の前の大和に駆け寄って、それからはぁーと長い息を吐く。
「何、ミツ迎えに来てくれたの? ていうか、もしかして迷ってた……?」
「そ、そんなんじゃねぇよ! あんたのこと迎えに来たのは本当だけどさ」
迷ってたんだろ……と小言のように言われ、三月はくるりと踵を返す。
「違うって!」
「ったく、危なっかしいな、お前さんはー」
「だーかーら、迷ってないって言ってんだろ!」
「はいはい」
しつこい大和の方など振り返ってやるものかと思いながら、ずんずんと通路を進んでいく。
「あ、ミツ」
突然、大和に腕を引かれた。先に進もうとした反動で、勢い余って大和に背中から寄り掛かる形になり、そのままぎゅっと抱き締められた。
「お!」
「……ミツ、そこ右折」
すれ違ったスタッフが二人を見て、驚いたような顔をした。けれど、すぐに微笑ましげに笑う。それに応えるように、大和はぺこっと会釈をしていた。
「えーっと……」
三月は、と言えば、肩に手を置かれ、体の向きを右向きにされる。そのまま、大和の手がとんとんと三月の背中を叩いた。
「はい、直進ー」
「了解……」
驚いて、心臓が少しどきどきした。Tシャツの上から胸をとんとんと叩く。――落ち着け、落ち着けオレ。
「お前さん、楽屋までの通路わかんなくなってたのに、よく俺の所に来れたな」
「だな……なんでだろう、なんかに引き寄せられたりして」
「……引力?」
「なんだよ、引力って。でも、そうかもな。目に見えないし、普段気にも留めないけど、そういうのって引力っぽいかもな」
隣を歩いていた大和が、柔らかく笑った。暫くお目に掛かっていなかったような気がするそんな表情に、三月ははたはたと瞬きをする。
IDOLiSH7の楽屋の前で足を止めた大和に倣って、三月も足を止めた。
すると、大和が三月の肩を抱いて、かっくりと首を横に倒す。三月の頭に、大和の頬が触れる。
「俺も、引力感じてるよ」
ぴたっとくっついて三秒ほど。そうしてぱっと離れたかと思うと、大和は楽屋のドアを開けた。楽屋の中が、またわぁっと騒がしくなる。いつの間にかMEZZO"も戻っていたらしい。
一方で、
(何、今の……)
三月は僅かなんて言い難い、永遠にも似た三秒の中にただ一人取り残されたのだった。

これはもしかして、寂しくさせすぎたかもしれない。三月は、稽古着の着物を見下ろしながら呟く。
「いや、和服見たからって、大和さんのこと考えなくても……」
似合うもんなぁ。日本舞踊なんて、きっと器用にこなしてしまうんだろうと思う。
もしかして、オレよりも大和さんみたいなタイプがチャレンジした方が良かったんじゃ……? そこまで考えて、頭をぶんぶんと横に振る。いやいや、何言ってんだ! そんな中途半端な気持ちじゃ打ち込めない!
稽古をしている内に着物も着られるようになるかと思いきや、なかなか一人で着る機会がなく、たまに着付けて頂いて、それをまた片付けてもらうの繰り返しだった。
元々体幹は鍛えているから、足運びや摺り足は随分と良くなった。……はずである。
とは言え、番組企画の期限に合わせてある程度は仕上げなければならない。ダンスと舞踊では気を付けることがまったく変わってくるが、繊細な所作なんかはダンスにも活かせるかもしれないし……! と、三月は拳を握る。
それにしても、である。和服を見ただけで大和のことを思い出すなんて、よっぽどだ。
仕事の現場では週に何度かは一緒だが、家の中での時間は取れない。大和にドラマの撮影が入ってない今がチャンスだと言うのに……うかうかしていると、次の撮影や、放送に伴う番宣で忙しくなってしまう。
いや、現場でも積極的に話せばいいのに! 三月はそう思うが、この間の迷子の一件以来、大和の様子がおかしい。
厳密に言うと、おかしいのではなく普通に戻っているのだ。謎の「会いたかった」発言の行方はどうなったんだろう。何かが解決してくれたのか、それとも――それとも、諦めてしまったんだろうか?
「結局、出汁巻きしか作ってやれてないし……」
稽古が終わったら、何作ってやろうかなぁ。
三月の通常の仕事に加え、今はお稽古に時間を取られているから、家のことはほとんど大和と壮五がやってくれている。陸は体調管理の兼ね合いでどうしても家にいる時間が多いので、陸なりに出来ることをやってくれているという話も聞く。
「何作ろっかなぁ……」
「三月くん、何作るの? ごはん?」
小学生の稽古仲間が、三月の顔を覗き込んで首を傾げた。
着物を畳めていない三月の代わりに、四つん這いになって稽古着を畳んでくれている。
「わぁ! 大丈夫大丈夫! 自分でやるって!」
「三月くん、おうち帰ってごはんするのー? 大変だから片付けてあげるね」
一人だったと思いきや、二人目の男の子が「ぼくもー」とやってくる。三月が慌てている間に、二人で三月の荷物を片付けてしまった。
「あ、ありがとうなぁ……」
「三月くん、いそがしそーだからいいよー」
「みんなも忙しいだろ? 学校行ってきてからのお稽古だもんなぁ……」
「三月くん、お仕事おつかれさま~」
「おつかれさま~」
二人の男の子に労われ、三月は「たはは」と頭を掻く。
「ありがとう」
今度、実家のお菓子でも持ってこようかな……と思う。
片付けてもらった渋紙色の着物を抱えて、三月は稽古場を後にした。
「今日は、このまま帰れるかぁ……」
流石に、番組企画の稽古をしているとなると、飲みの誘いも受けにくい。なるべく出るようにはしているが、それでヘマをしては元も子もない。
「百さんとかって、すげーよなぁ……よっぽどじゃなければ、飲みの誘い断ったことないらしいし……」
三月と仕事の方向性が似ているから、百も肉体派のチャレンジ企画をこなしてきただろうに……。
三月は、いつの間にか丸まっていた背中をぴんと伸ばし、それから「ダメダメ!」と頬を叩いた。自分を奮い立たせる。
「あ、でも、姿勢はかなり意識するようになったかも……?」
稽古の影響を感じながら、三月はサブマネージャーの迎えの車に乗り込んだ。
「ありがとうございまー……あれ、マネージャー?」
すると、助手席には、ふわふわとウェーブの掛かった髪の女性が座っていた。
「三月さん、お疲れ様です!」
にっこりと笑った紡マネージャーに、三月は思わず顔がほころんだ。一瞬、全ての疲れが吹っ飛んだような気がした。
「少し時間が取れたので、三月さんのお迎えに伺いました」
「小鳥遊さん、ここのところデスクワーク続きだったので、お誘いしたんですよ」
運転席のサブマネージャーも少しだけ振り返り、頷いて見せる。
「びっくりした……!」
「お誘いも頂きましたし、三月さんのことびっくりさせようと思って来てしまいました。お邪魔じゃなかったですか?」
「邪魔なわけないだろー! 嬉しいよ!」
三月はサブマネージャーの後部座席に座って、それからシートベルトを締めた。車が走り出したのを確認してから、紡がゆったりと後部座席の方を振り返る。
「お稽古の調子は如何ですか?」
「順調! ……って言いたいけど、まだまだ全然。小学生の子たちの方が立派に踊ってるよ。日本舞踊って、足腰に結構くるのな」
「そうみたいですね。ラビチャで進捗も教えて頂いて、私も少し調べたり動画を見てみたりはしていたんですが、優雅に踊ってるように見えても、結構汗をかかれるとか……」
「そうそう! オレもそれは驚いた」
荷物の中のスポーツタオルを見て、三月は頷いた。稽古が終わって、着替える時には汗だくになっている。
「あんなに涼しげに見えるのになぁ……」
「大変ではないですか?」
「大変だけど、面白いよ。日頃の姿勢なんかも気遣うようになってきたし」
「三月さんが楽しまれてるようなら良かったです。何か困ったことがあったら、すぐに仰ってくださいね」
「うん、ありがとな、マネージャー」
フロントガラスに向き直る紡の背中を見て、三月はほっと息を吐いた。
紡と話すと落ち着く。久し振りに穏やかな時間を取れているような気がした。車窓の景色の中を流れていく街の明かりに目をやった。疲労感も相俟って、なんだか眠くなってくる。
「あ、そうだ、三月さん」
「ん、何……?」
ごめんなさい、眠ってらっしゃいましたか……? と律儀に聞いてくる紡に、三月は苦笑する。
「大丈夫」
「過密なスケジュールが続いてますので、せめてこのチャレンジの収録が終わった後、三月さんのご希望に沿ったオフを設けたいと思います。ご希望があったら教えて頂きたいです」
「本当? 良いのか?」
「確実とは言い難いのですが、一日二日くらいであれば、なんとか調整しますので……!」
拳を握っている紡を見て、三月はこめかみをこてんと窓ガラスに当てた。
「ありがとう。考えとくよ」
「はい。決まりましたら、いつでもラビチャくださいね」
うん、と返事をしながら、眩しい街灯の連なりを見やる。三月が疲れているのを察してか、紡はそれ以上声を掛けては来なかった。
もう少し話したかったな、だとか、折角だから笑ってもらえるような時間にしたかったな、だとか、考えはしたものの、この小さな車内の空気に甘えて、三月はそっと瞼を閉じる。
目を閉じていても、いくつもの光が瞼の裏側をきらきらと走っていった。それを、ゆっくりと見送った。

「ミツ」
「ん……」
肩を軽く揺すられ、名前を呼ばれた。目を無理矢理こじ開けようとしたが、視界はぼやけるばかりで、つい手で目を擦る。
「やまとさん……?」
「ウチ着いたぞ。起きれるか?」
うつらうつらする視界に、何度目かの瞬きをする。ようやくはっきりとしてきた意識。最後の一押しで、三月はぶんぶんと首を振った。
「……めちゃくちゃ寝てた……」
「マネージャーが連絡くれてさ」
車のすぐ傍に立っていた大和の背後に、少し心配そうな紡の顔が見える。
「起こしてしまってすみません。私が運んでも良かったんですが、大和さんが出てきてくださって……」
「いやいや、マネージャーに運ばれたら、流石に……ミツの男としてのプライドに関わるって」
な? と振られ、「おう」と返す。
「お兄さんがおぶってやっても良かったんだけどね」
「うるせぇよ」
三月は大和の太腿を軽く蹴って、そのまま車から降りた。
「この、暴力七五三め……」
「もう一発蹴られたいのか、おっさん」
そんな二人の遣り取りを、紡は口に手を当てて笑って見ていた。
ちょっとくらいは笑わせられたなと思い、三月もにかりと笑って見せる。
「それでは、我々は事務所に戻りますね。大和さんも、ありがとうございました」
「おう、遅くまでご苦労様」
「サブマネさんも、ありがとうございました」
いえいえと運転席から会釈をするサブマネージャー。紡は改めて大和と三月にぺこりと頭を下げると、早足で助手席に乗り込んだ。
「おやすみ、マネージャー」
「おやすみなー」
大和と三月がひらひらと手を振る。紡も手を振って応じてくれた。
二人は送迎してくれた車を見送りながら、ふーっと息を吐く。
「ミツ、大分寝入ってたけど、飯食える?」
「あんの?」
「あるある。ソウがキンピラ作ってくれたんだよ。だから、お兄さんも味噌汁作りました」
「ちょっと辛いきんぴらごぼう?」
「ちょっと辛いで抑えてもらったきんぴらごぼうな。タマが台所でストップとオッケー繰り返し叫んでたよ」
MEZZO"が二人で台所に立って騒いでいる様子を想像して、思わずふはっと笑う。
「最高」
「ソウが味噌汁温め直してくれてるからさ、早く中入ろうぜ」
寮に向かって歩き出す大和の背中を追いながら、三月は少し俯く。持っている荷物の重みが、なんとなく増した気がした。
「悪いな、オレ、全然飯作る余裕なくて……」
「何言ってんだよ。気になさんな。できる奴がやりゃあいいんだから」
「でも、みんなも忙しいのに」
「今日は俺とソウに余裕があったんだし、ミツが余裕ある時に今日の分返してくれたらいいんだ。いや、返さなくったっていいんだし」
大和が三月を振り返った。
「顔上げろって」
俯いている三月の頭を、大和がくしゃりと撫でる。
「マネージャーがさ。チャレンジ企画終わったら、ちょっとした休み取ってくれるってさ」
「良かったじゃん。温泉とか行ったらいいんじゃないか? あ、でもちょっと離れた場所じゃないと、見つかっちまうかな……」
「大和さん、何食べたい? 手間掛かるやつでもなんでも作ってやるよ」
三月がそう言うと、大和は眼鏡のレンズの向こうで目を丸くした。それからくしゃっと笑って、ついでに三月の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
「う、わっ」
「ったく! お前さんはもー!」
ぐしゃぐしゃ気が済むまで三月の髪を撫でた後、髪を梳く。
「……茶碗蒸しと、炊き込みごはんと、鯥焼いたのも良いな。あと……」
指折り数えながらポンポン出てきそうなメニューの数々に、三月はにんまりと笑う。そして、大和の言葉に重ねるようにして言った。
「ブリ大根?」
口を真一文字にして、はたはたと瞬きをした大和が、ゆっくり頷いた。
「……食べる」
「よしよし、期待してろよ」
ドアの前の段差を上がって、僅かに近付いた大和との身長差。更に少しだけ背伸びをして、大和の頭を撫でる。いいこいいこ、と口の中で唱えた。気まずそうな、けれどどこか嬉しそうな大和の表情を見て、三月は笑う。茶化すとすぐに元に戻ってしまうので、茶化してしまわないように気を付けながら、名残惜しく手を離す。
「ただいまー」
ドアのロックを開けて、リビングに届くようにただいまを言った。
「おかえりなさい!」
あじさい色のエプロンをしている壮五が、リビングから顔を出す。三月は、後ろで何とも言えない顔をしている大和をそのままに、部屋の中に入った。
「今、ご飯を盛りますね。いつも通り食べられそうですか?」
「おう、体動かしてきたから腹減ってるよ。壮五、ありがとうな」
炊飯器からご飯を盛りながら、壮五は首を横に振った。
「いえ、大したことは……」
「大したことだよ。すげぇ嬉しい」
遅れてリビングに入ってきた大和が、のそのそとソファの方へ向かう。そのまま、ごろんと横になってしまった。
(お、ちょっとヘソ曲げたか……?)
何も言わないままぐうたらモードに入った大和を見やって、三月はテーブルに着いた。壮五が三月の前にそっと味噌汁茶碗を置いた気配を察して、そちらに顔を向ける。
「大和さんもありがとうな、味噌汁。あ、カボチャの味噌汁じゃん!」
「そうなんですよ。柔らかくて美味しかったです」
三月は、ぱっと手を合わせる。
「いただきます!」
テーブルの向かい側には壮五が座って、エプロンを外していた。
笑顔で頷いた壮五に促されるまま、三月はきんぴらごぼうを口に入れる。
「うっま……」
ピリッとした刺激が強い気もするが、そこは壮五の愛嬌の範囲だろう。環の「ストップ」が、程好い仕事をしたのかもしれない。
「これ、柚子の風味だよな?」
「あ、そうなんです。環くんが、ただ辛いんじゃなくてこういうのはどうかとロケ先で見つけてくれて……柚子の風味がある七味を使ったんです。お口に合うと良いんですが……」
「すっげぇ良いと思う! これ、めちゃくちゃご飯進んじゃうな!」
「良かった! みんなも褒めてくれたんですよ。環くんにも伝えなきゃ……」
ふふっと笑顔を溢した壮五に、三月もにっかりと笑う。
味噌汁茶碗を手に乗せて、ずっ……と一口、口に含んだ。ほろりと柔らかくなっているカボチャの甘みが味噌汁にしみ出していて、優しい味になっている。
「はー……味噌汁しみるなー……」
そう言えば、頭だけ上げた大和がにんまりと笑った。
「美味い?」
「……オレ、大和さんの味噌汁好きだなぁ」
「なんだよ、味噌汁だけ?」
悪戯っぽく言った大和に、壮五と三月は顔を見合わせ、肩を竦める。
「正直に言ってもいいのか? おっさん、照れても知らねーぞ?」
「あ、それなら僕も便乗させてもらって……」
味噌汁の中のカボチャのように柔い脅迫をすると、大和は慌てて顔を逸らし、元通り寝っ転がってしまった。
「オレ、大和さんのこと好きだな~! 愛してるぞ、リーダー、味噌汁超美味い!」
「僕も大好きですよ、大和さん。今日は手伝ってくださって、ありがとうございました」
二人の言葉を聞くなり、もぞもぞとうつ伏せになった大和を見て、三月と壮五は再び顔を見合わせた。恐らく、照れてしまったので、ダレたふりをしているんだろう。くすくすと笑う。
すると、その笑い声が聞こえたのか、大和ががばりと起き上がった。三月の後ろを通り過ぎつつ、こんと頭を小突く。
「お前さん、疲れてんだろうから早く食べちゃいな」
顔を逸らしていたのでうまく見えなかったが、居心地が悪くなったのだろう。リビングから出て行く大和を見送って、三月は「ありがとなー」と声を上げた。
(……ゆっくり話せるかもって思ったけど、出ていっちまったな……)
白米をかき込みながら、少し反省する。
「三月さん、片付けは僕がやりますから、お風呂に入ってしまってください」
「いや、ご馳走になったんだから、片付けくらいさせてくれよ」
三月がそう言うと、壮五はふるふると首を振った。
「いえ、久し振りにキッチンに立って楽しかったので、片付けまで自分でやってしまいたいんです」
ごちそうさま、と三月が手を合わせる。壮五はすっと立ち上がり、片付けを始めた。
それを眺めているのも悪い時間ではないのだが、夕食で体が温まったせいなのか、忘れていた眠気が急に押し寄せてくる。
「悪い……ありがとな、壮五」
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
三月はのそりと立ち上がり、脱衣所へ向かう。畳んであるパジャマ代わりのTシャツと短パンを取り出し、格段に重くなっていく体を引き摺りながら、一日の終わりを感じて長い長い息を吐いた。

三月が入浴を終えると、今度はナギがリビングに降りて来ていた。
「ミツキ、今日もオケイコでしたか?」
「おう。けど、今日は家で飯食えたし、ゆっくり風呂入れたよ」
「それは良かった。ソウゴとタマキの賑やかな調理を、ミツキにも見てもらいたかったですね。まるでスポーツのようでしたが」
ここなのステッキを持って、えいえいと振っているナギの言葉に、三月は思わずふはっと吹き出した。
「またやってもらうか。オレも気になる」
「今度は動画を撮っておきましょう」
 そう言うナギに、三月はかっくりと頷く。意識がうろうろしているのを感じながら、ふわと欠伸をした。
「……ナギとも話してたいけど、一旦寝るかぁ……」
「お疲れでしょうからね。よい夢を、ミツキ」
「ナギもな。おやすみ」
ナギに、深夜アニメを見る余裕があることに安堵する。今一番忙しいのは、もしかしたら三月なのかもしれない。
また欠伸が漏れる。滲んだ涙を拭って、廊下を歩く。
「あ、そうだ……」
しかし、途中ではたと足を止めた。
一番隅の大和の部屋、そこのドアをノックする。
「大和さん? 寝た……?」
「ん? まだ寝てないよ。どうした?」
三月は部屋に入らず、ドアから顔を出していただけだったが、リクライニングチェアの上からちょいちょいと招かれる。ここで良いよ、と口に出しそうになったが、少し考えてから、三月は誘われるままに部屋の中へと入った。
「あの、さ」
「うん」
数日前のことを思い出し、もし今ドライヤーを掛けてもらったら、そのまま寝落ちてしまいそうだな、と思う。
「ほら、オレ、今家のことできてないからさ。何かオレにできることあったら言って」
できる奴がやればいいと言われたばかりだが、それでも気を回してくれるメンバーに何かしたい。何でも良い。返せるものがあれば良いのにと思っての言葉だった。
一方、大和は、三月の言葉にはーっと溜息を吐く。
「な、なんだよ!」
「お前さんはまーたそんなこと言って……良いんだよ。気にすんなって。さっきも言っただろ?」
座っている大和から、ぽんぽんと肩を叩かれる。宥めるような手付きに、三月はむーっとむくれて後退った。
「オレがあんたに何かしたいんだよ! なんでそういう時に限ってそうなんだよ! 言ってよ、大和さん!」
「えー……」
「えーじゃねぇよ。そういう態度する時は何かあんだろ! 素直に言えっつーの!」
三月を宥めた手が、戸惑いがちに引き戻されていく。大和が、気まずそうにポリポリと頬を掻いた。
「……じゃあ、さ」
ほら見ろ、あったんじゃん! とばかりに三月が詰め寄ると、リクライニングチェアの上にいながら逃れようとする大和が顎を引いた。
「……ミツが踊ってるとこ、お兄さんに見せてよ」
「はぁ? 今ぁ?」
「今じゃなくて」
こほん、と咳払いをした大和に、三月は首を傾げる。
「収録落ち着いてからでいいよ。着物は俺が用意するし」
 三月は、ぱちくりと瞬きをする。少し瞼が重い。やはり眠い。
「なぁ、そんなんでいいの?」
「いいのいいの。どこなら落ち着けるかな……」
「レッスン場でいいんじゃない?」
「何言ってんだよ。どうせなら和室でしょ……」
あ、と鈍い声を漏らした大和が、眼鏡のブリッジを上げた。
「まぁ、俺が準備しておくから。オフの調整をマネージャーに相談しておくか……」
 何やら、勝手に場所が決まったらしい。
「おい、どこ連れ込むつもりだよ」
「ひ、人聞きの悪い言い方すんなよな……」
ふいーっとそっぽを向いた大和。何か気まずいことでもあるのか、それとも……と、三月は大和の首に抱き付く。羽交い締めに近い。纏わり付いている眠気のせいにすれば、多少の乱暴も許されるような気がした。
「な、何すんだよ!」
「こっちのセリフだよ! 何、どこ。言えないとこ?」
抱き付いたまま、なぁなぁ~と言い続けていると、大和が「ああもう!」と呟いた。
「実家だよ、実家!」
「実家? 誰の?」
抱き付いていた腕をべりりと剥がされ、正面を向いて持ち上げられる。三月は、大和の目の前でバンザイをしたような形になった。されるがまま、きょとんとした瞳で大和を見れば、大和の方は眉間に皺を寄せて、言い難そうに呟いた。
「二階堂の家だよ……」
ぱちくりと瞬きをする。
つい先程まで纏わり付いていた三月の眠気は、大和の言葉を聞いた途端に完全に覚めてしまったのだった。