SPEC〔lv〕CHECK



――本当は、気付いていたんだ。
ナイフ投げのナギがずっと「あいつには用心して」って言っていた理由だって、本当はずっと気付いていて、気付いていたのに体を見せて、それで弱みまで見せたりして――つつつと、長い指が三月の首の骨をなぞった。首の裏の刺青を僅かに強く撫でられて、鼻から呼吸が抜けた。
「……ふ」
多少なら、声を出したって大丈夫だ。船内の騒音も揺れも、一個室の音くらいは掻き消してくれるから。
三月はうつ伏せた肩口に、フードを被ったままの男の顔を見上げる。男はぎらりと鋭い双眸を誤魔化そうともせず、右手に付けた器具で操り糸を巻き取った。くん、と三月の顎が引かれる。首が張って、やはり声が漏れそうになる。
「苦しくは、ない……?」
「う、ん……」
観客の体を操る演目をするからと、数日前から頼み込まれていた。だから、体の自由を奪うことを許した。
人形使いの指から伸びる操り糸の丈夫なこと。それを直に感じながら、三月はまたちらりと人形使いを見上げる。
(興奮……してるんだよなぁ)
上着を脱いで、肌着の上から操り糸に絡め取られている。今や、三月は人形使いの思惑のままに動くお人形さんだ。苦しくはないと答えた通り、痛みや息苦しさはない。ただ、どうやって自分の体が動かされるのかという不安はある。そして……
寝台から起こされ、膝を突く。そのまま背中から倒れ込んで、流石にぎょっとした。そんな三月の体を、人形使いが受け止めた。左右に開かれた腕から伸びる糸が自分の体を支配しているのが見えて、三月は息を飲んだ。
露わになっている三月の肩口に、人形使いの唇が触れる。ぴくんと身を震わせると、フードから覗いた人形使いの目がゆるっと弧を描いた。
(……一織が欲しかったのは、こっちの能力か……)
人の体の自由を奪い、意のままに動かす力。
パペットの操作も、ドールのダンスも、それから腹話術も、どれも愛らしい物好きの団長が好みそうなものではあったが、何より団長の役に立つのはこの力だろう。
「あんた、まだ秘密があったんだな……」
三月がそう問い掛けると、人形使いは弧にしていた目をぱっと開き、きょとんと不思議そうな顔をした。糸の支配が切れて、途端に三月の体は自由を取り戻す。
「ひ、秘密……?」
「そう、本当は人を操るのが好きなんだろ……どこでこんな能力得たのか知らないけど、すごく愉しそう……」
人の体の自由を奪って、何をしてきたのだろう。そう疑える程に。
三月は、人形使いにすっぽりと抱えられている体勢から体を起こそうと試みる。絡み付いたままの糸を払う方法がわからず、フードの中を覗き込んだ。
「なぁ、これ緩んでるけど……外して良いもん……?」
「……俺、は」
「ん?」
くしゃりと顔を歪めた人形使いが器具を操れば、三月に絡んでいた操り糸の数々がするりするりと仕舞われていく。その端々を目で追って、面白いもんだと三月は思った。
「ごめんなさい。気持ち悪いと、思った……かも」
「そんな風には思わないけど……ただ、なんていうか」
「気味が、悪いと……」
「そ、そうでもなくて」
ぞくりとした。感情よりももっと内側の感覚、本能的な危機感に針先を突き付けられる感覚を、三月はうまく言葉にできずにいる。
自由になった手を恐る恐る持ち上げて、そうして人形使いの顎を撫でた。
「引いてはいないよ。誰にだって特定のことに……なんていうか、夢中になることはあるだろうし……」
三月が恐る恐る触れているように、人形使いも恐る恐る三月に触れる。三月の腹に回った人形使いの手に付いている器具が、ひやりとくすぐったかった。
「でも、演目としてやるにはどうかなぁ……別の仕事で使うには、使いようがあるとは思うけど」
三月がそう言えば、人形使いは緊張のある面持ちを悄気させて、「そうですか」と呟いた。あまりにがっかりとした様子に、三月は僅かに足をばたつかせる。
「いや、その、凄いことではあるんだけど……何をさせられるんだろうって怖さと、さ……」
背後から抱えられているせいだろうが、少し違和感がある。具体的に言うと、腰に何かが当たっている。
「……えーっと、あんたがその、昂揚してるのを抑えられれば、って思うんだけど……」
三月がそう伝えると、もぞもぞと動くローブ姿の男が三月から離れ、俯いて顔を隠したまま丸まった状態で寝台から降りていった。壁と寝台の合間に挟まって、こんもりとしている。
「……ゴメンナサイ」
「い、いろんな奴がいるよな。新人の話聞いてると、みんな色々あるんだなって思うよ……?」
三月はこんもりとしているフードをつつきながら、しどろもどろ声を掛ける。なんとか気を持ち直して欲しい。そう思うが故に、「寝かし付けてる間に反応する奴もいるし」と、うっかり過去の経験を溢してしまった。
「……なんだって?」
急にきつい口調になった人形使いが、ばっと顔を上げる。それに驚いて、思わず三月は体を引いた。
「俺が言うのもなんだけど」
「うん……?」
「ミツは、警戒しないのか、そういう人間に」
「警戒……って、一応仲間だし」
「襲われるかも」
「そんなの、ないない! 流石にそこまでは」
再び壁と寝台の間に沈み込んで行ったフードが、ふるふると震えだした。その様子をやはり「面白いなぁ」と思いながら、三月はフードの頭を撫でている。
「人、操ってるの、気持ち良いの?」
「……違う」
フード頭が小さく応えた。
「綺麗な物って、好きに踊らせたくなる、から」
「綺麗な物かぁ……」
確かに、人間という名の造形品は綺麗な物に含まれるのかもしれない。三月だって、楽器の造形に思わず感嘆の息を漏らすし、美しい旋律だって、ああ自分が奏でられたらと思い耽るのもしばしばだ。
肩からずり落ちた肌着を指の先で掬って戻す。肌理の細やかなその肩口に唇を寄せていた人形使いの恍惚とした表情を思い出すと、些か照れた。
「まぁ、誰にでも興奮しなけりゃあな、使えるんじゃ」
フードの隙間から申し訳なさそうに覗いている人形使いの常磐色の瞳が、船内の照明で橙の光を反射した。ほんのりと頬が赤い。
「誰にでも、じゃ、ない」
人形使いの左手がふらりと持ち上がる。途端に、三月がフード頭を撫でていた右手が、くんと引かれた。
「え……?」
寝台の上にゆっくりとへたり込まされ、そのままシーツに縫い止められる。頭の上で両腕が糸に拘束され、三月は目を丸くした。
「触るだけ……触るだけ、だから……」
許して、と耳元で囁かれて、三月はぞくりと身悶えた。
ローブを外して控えめに覆い被さってきた人形使いの指先が、恐る恐る三月の頬に触れる。長い睫を撫でて瞼の形を確認したかと思うと、鼻筋を辿って、唇の先に触れた。硬い指の皮に、三月は思わず、ちゅっと吸い付く。人形使いが少しだけ笑った。
けれど、その指は唇に留まることなく、三月の顎の下を擽って輪郭を辿り、耳をそっと包む。塞ぐようにされて、中指で耳の裏をなぜられた。まるで花弁を撫でるような手つきに、三月は瞼を震わせる。
「な……に……」
腕を取られ露わになっている脇の下に人形使いの鼻筋が触れて、そのまま唇を当てられた。
「え、お、オイ……っ!」
触れるか触れないかの感触にぞくぞくとして身悶えれば、声が漏れる。三月は、きゅっと唇を噛んだ。
人形使いの指先が三月の項を擽り、産毛を摘まむ。三つ編みを払った手がするすると首筋を撫でている間に、人形使いの口先が二の腕に触れて、肘の関節を舐めた。
「や、ひゃ……ッ! くすぐったい……」
そう言うと、人形使いが顔を上げて三月に微笑んだ。相変わらず恍惚としたその表情に、三月は言葉を発することができなかった。
三月がせめて声を抑えようと噛んでいた唇の赤みに気付いたのか、人形使いが三月の唇に自身の口先を当てる。
「……あ、え……?」
三月の瞳からはらりと落ちた雫にその口が触れて、涙を吸い上げた。
その後もひっきりなしに触れてくる唇になんとなく応えながら、正中線を辿っていく彼の指に意識を送る。胸の中心で止まったそれが、肌着の上から焦れったく頂点をつついて、潰されて、思わず声が出そうになった。唇を塞がれているから、鼻から声が抜けるだけに留まった。
「ん、う……ふぅ……」
三月の声なき声を自身の口の中に飲み込んだ人形使いが僅かに体を持ち上げて、満足げに笑う。
「……ミツ」
腹筋の膨らみをひとつひとつ撫でて、人形使いの指は腰骨の辺りで円を描いた。
三月の臍の下が震えて、堪らないでいる。何かが上がってくるような、そんな感覚だった。
「う……駄目、だよ……そこ、触っちゃ……」
触るだけでもこんな――三月ははらはらと泣きながら、人形使いに懇願するように口を動かした。
「……どうして? 気持ち良くない……?」
本音を言えば、一つ一つ部品が磨かれていくみたいで気持ちが良い。けれど、三月は生身の人間だ。だから、羞恥という感情がある。こんな風に晒されていれば尚のこと……
なのに、人形使いは三月のズボンを下ろして下着だけにすると、太腿の付け根をぐるりと一周、丁寧に揉んだ。親指と人差し指で丹念に。
柔らかくもない尻をやわやわと揉まれ、三月は漏れそうな声を噛み殺す。その気配を察知して、人形使いはまた三月の口を塞いだ。
操り糸が、三月の片腿を持ち上げる。必然的に開かれた股間で勃ち上がった三月の性器が、下着の布地を持ち上げていた。溢れ出した先走りがその布地を濡らしている。人形使いの綺麗な指が、その先端をぐりりと押した。
「ん、や、ああ……ッ!」
ついに漏れた声に口を押さえようとしたが、腕を拘束されていてはままならない。三月は涙目でぐちゃぐちゃの視界の中で、人形使いの顔を見上げた。「離して」と懇願するのに、人形使いは人差し指の背で眼鏡を上げるだけだった。
人形使いの指先が三月の下着の中に入り込む。下生えを摘まんで梳いていたかと思うと、勃っている物の根元を指で包んだ。輪を作った指にするすると撫でられて、三月は胸を震わせる。呼吸がおのずと速くなる。
「……苦しい?」
唇の隙間で、そう尋ねられた。今度は流石に苦しいと何度も頷いて見せると、人形使いが器具の付いた手を持ち上げる。しゅるりと緩んだ操り糸から、三月はようやく腕を取り戻す。
そのまま相手を殴り付けても良かったのに、三月は拳を握るだけで、そうはできなかった。
三月から唇を離した人形使いの眉尻が、すっと下がって――まるで縋るみたいに三月の瞳を覗き込んだからだ。
「な、んで、そんな、顔……」
三月が何も出来ないでいるのを見届けると、そんな縋るような表情のまま、人形使いは三月の性器を扱き始める。
触るだけ、と最初に言われたことを思い出しながら、それでもこれは、こんなのは……と頭の片隅で思った。性器を愛撫される浮遊感で、片隅にしか置いておけなかった。
「……や、だ、だめ……き、もち……」
自身の先走りのぬめりと他人の手の温度、それから操り糸の器具の硬さが三月の幹を刺激する。いつの間にか腰が振れているのを恥ずかしくも思いながら、最早不可抗力だとも思う。
ぐちゅっと深く唇を噛まれると、人形使いの眼鏡の縁が顔に当たって痛かった。それさえも、三月の首元をぞくりとさせる。
(やばい、気持ち良い……)
次第に何も考えられなくなって、三月はゆるっと瞼を閉じた。
「い、イっちゃう……オレ、も、だめ……」
「ははっ……」
三月の訴えに、人形使いが笑い声を漏らした。
「じゃあ、イっちゃおうか……? なぁ、ミツ……」
許可を出される。そう意識が認識をする。だから頷く。
「はい……」
――間違い無く自分の口から出ていたのに、嬉しそうなその声は、この声は、
「はい、マスター……ッ」
まるで自分の言葉ではないようだった。


目が覚めると、三月に絡んでいた糸は全て外されて、体は寝台に横たえられていた。
ふと見やれば、壁と寝台の間に蹲っているローブの男が、なにやらもぞもぞと動いている。
「……あれ、オレ……」
意識が途切れる寸前の妙な浮遊感を思い出し、三月はそっと口を覆った。
けれど、視界の端で縮こまっているフードの頭が気になって、腹が立って苛立って、思わず腕を上げる。ぼすんと殴れば、フードの隙間から、困惑しきった人形使いの顔が現れた。
「ご、ゴメンナサイ……ごめん、つい……」
取り返しの付かないことを……とまた顔を隠してしまった人形使いに、三月は先程までの勢いはどこへやらと歯噛みする。
「あ、の、なぁ~!」
湿った肌着と下着と、それからまるで別人のようにめそめそぐずぐずしている人形使いにイライラは募るばかりだ。三月はばっと肌着を脱いで、それを人形使いに投げ付けた。
「もう! クラウンに頼まれるまで、人間操るの禁止っ!」
そう言えば、人形使いはこくこくと頷いて、フードの隙間から三月をじいっと見つめている。
「添い寝も、禁止……?」
「……それは」
急にぼっと熱くなった顔を拭って、三月は特大の溜息を吐く。
禁止と言うには、何か惜しい。とりあえず今は、そんな返事をするよりも早く下着を替えたい。
船内の壁を睨んで、三月は自分の唇を覆ったのだった。

SPEC〔self〕CHECK



勝手に期待して、勝手に思い込んだだけだったのだ。あんな風に触れられる自分は、きっと精巧で美しい造形物なんだと、そう自惚れただけだったのだ。
奇術芸団は、来訪すれば街から宝を一つ頂戴してゆく。
「彼女と丁重に踊って差し上げてください」
クラウンがパチンと指を鳴らした瞬間、人形使いが指に付けた器具より伸ばした操り糸で、不運な目撃者の婦人を絡め取った。婦人は、まるで操り人形のように自由を奪われ、悲鳴を上げる。
けれども、そんな婦人を腕の中に迎え入れ——僅かに昂揚した様子の——人形使いは微笑んだ。婦人が息を飲むのが聞こえたかと思えば、人形使いはまるで何かの演目を演じるかのように婦人の口先に指を当てて、声を出さないようにと指示をする。
「静かにしていてくだされば、命までは奪いません」
クラウンがそう言って、今度は三月に目配せをした。三月は頷く。
ハーモニカのような笛を口に銜えた。音のないそれを吹いている内、人形使いの腕の中にいる婦人は意識を失い、そうして操り糸によって簡単にダンスを踊った後、手頃な椅子に降ろされた。
一つ演目を踊り終えた婦人の手を絡め取り、人形使いがそっとその華奢な手の甲に口付けを落とす。ローブの向こうで薄く笑った表情に、三月は落胆していた。
(なんで)
三月がハーモニカを口から離すと、仲間たちは耳に付けた栓を外し、そうして本日の目的を果たさんとする。
「素敵なドレスですね、兄さん」
上等に仕立てられたドレスを腕に、クラウンが三月に微笑みかけた。けれど、三月はどこか上の空で、クラウンの言葉には曖昧に頷くことしかできなかった。
「兄さん……?」
クラウンが不思議そうな顔をしていた。
そんなドレスも似合う素敵な人形なのだと自惚れていたのだ。人形使いが操るものはなんだって、そうして素敵になり得ることを失念して、勝手に期待していたのだ。


飛行船に戻って、そのまま夜間の内に街を離れる。
目的を果たして空高く飛び立ち、大気の軌道に乗った飛行船を操舵手と技師たちに任せ、三月は自室への通路をとぼとぼと歩いていた。
「ミツキ」
そんな三月に早足で近付く者がいる。足を止めて振り返った。そこにいたのは、ナイフ投げだった。
「ナギ、どうした?」
「こちらのセリフです」
ナイフ投げはおもむろに三月の顔に手を伸ばし、そうしてそっと頬を撫でる。
「ミツキ、元気がありません……」
「そんなことないよ」
大丈夫、と目を伏せて笑う。頬にあるナイフ投げの手をやんわりと掴んで、離させた。それでも不安そうな表情をやめないでいるナイフ投げを、三月はゆっくりと見上げる。
「ナギ」
「はい?」
「オレって……綺麗ではないよな」
三月の問い掛けに豆鉄砲を食らったような顔をしたナイフ投げが、きょとんと目を丸くして、それから自身の細い顎を撫でた。
「ミツキはキュートです!」
「キュートかぁ」
そっかぁ、そうだよなぁ、あははと笑う三月の肩を撫でたナイフ投げは、今度は打って変わって真剣な表情で言った。
「キュートで、朗らかで、それに……優しい。綺麗という言葉では言い尽くせない」
「お、おう……」
端正な顔立ちのナイフ投げが真面目にそんなことを言おうものなら、三月は簡単にたじろいでしまう。
「あ、ありがと……」
しかし、そんな二人の間に、突然にゅっとひつじのパペットが顔を突っ込んできた。
無言のそいつに、ナイフ投げが顔を顰める。
「おい、何か言ったらどうだ……?」
「オレもそうオモいマス」
ちっと舌を打ったナイフ投げは、このパペットのことが好かないらしい。正確には、ローブに隠れて人形に喋らせている人形使いのことが、だ。
「邪魔するにしても、もっとスマートに出来ないわけ?」
「ジャマなんて! そんなんじゃあナイヨォ」
「では、はっきり言おう。邪魔だ。ワタシは今、ミツキを口説いているのに」
口説かれてたのかぁとポカンと口を開けた三月に、パペットの背がべちゃと当たる。本人より動揺しているらしい人形使いが「みゅっ……!」と変な声を上げた。
「変な声を出すな。気色が悪い……」
「う、うるせぇな」
三月には聞き取りにくい訛りで粗野に言った人形使いを見上げれば、照れたのか、ぱしぱしと瞬きをしていた。
「あーあ、気が削げた。おやすみミツキ、良い夜を」
そう言って身を翻したナイフ投げが、三月にだけウインクをする。それをひつじのパペットで遮りながら、人形使いが口を尖らせた。
いーっとした顔をしている人形使いの眼鏡の下を覗き込むと、彼はそっと目を逸らす。
「どうした?」
どうして割り込んで来たんだろう。本当に、ナイフ投げの邪魔をしに来たのだろうか。
不思議に思って問い掛ければ、人形使いは口をもごつかせて、それからひつじを片付けた。
「ミツの元気が、なかった、から」
「……そんなことないよ」
ふらりと身を翻して部屋に向かう三月の後を、人形使いがとぼとぼとついて歩く。少し早足になる。あからさまかもしれないと思いながら、三月は足を更に速めて部屋に戻り、扉を閉めた。
その扉を、おずおずと人形使いが開いて覗き込んでくる。
「ミツ……あの……」
見下ろされて、気まずくなって、えいと無理矢理扉を閉めた。バンと鳴った扉の向こうで、人形使いが「ひぇ」と声を上げた。船内の騒音の合間にギリギリ聞こえるようなその声色に、少し可哀想になってしまい、三月は渋々と扉を開け直した。
「……ごめん」
驚いたような顔をしていた人形使いが、ふるふると首を振る。
「入っても良い……?」
「……いいよ」
本当は、少し嫌だった。美しい婦人をお人形にして踊る人形使いを見てから、胸に何かがつっかえている。
三月は上着の上からそれを撫で下ろし、部屋に入ってきた人形使いを見上げた。
「ミツは」
もご、と言い淀んだ人形使いが、ひつじのパペットをまた取り出す。何か言い難いことがあるらしい。
「ミツは、ナギにクドか……」
「口説かれてねぇって。あれはナギなりの冗談!」
「……でも」
にゅ、とパペットの横から顔を出した人形使いが口を尖らせている。
「キレイかどうかってキいてた……」
「そこから見てたのかよ……」
覗き見は良くないと人形使いをつつけば、彼は曖昧に笑って目を逸らした。
「だって」
次に言い淀んだのは、三月の方だった。
三月はひつじのパペットをそっと人形使いの手から奪うと、前を向かせて抱き込んだ。
これも、人形使いからすれば可愛いお人形の内の一つで、操る対象の一つで、そう思うとまた撫で下ろしたはずのもやもやが募る。
三月はパペットの中に手を入れて、下手くそな手つきでひつじの口をパクパクさせた。
なるほど、これは少し——言いやすいかもしれない。
「操れれば、誰にでもあんななの、あんた」
「え……?」
人形使いが、ひつじに合わせていた視線を三月へとやる。
「……誰にでも、あんな……好きみたいな、顔すんの」
昂揚して、興奮して、うっとりとした表情を向けるのだろうか。
三月が勝手に期待して、勝手に思い込んだだけだった。あんな風に触れられる自分はきっと精巧で美しい造形物だと、そう自惚れただけだったのだと思わされる。
「……あれは、イチの指示で」
人形使いが不可解そうに視線を巡らせ、目で天井をそろりと撫でる。ふと視線を三月に戻し、瞬いた。
「……人操るの、好きなんだな、やっぱり」
しどろもどろになりながら、三月はパクパクとひつじの口を動かす。パペットで顔を隠してそうしている内に、自分が今どんな顔をしているかわからなくなった。
「そういう、わけじゃ……」
「だって、オレの時と同じ顔してた。誰にでも同じなんだ、あんたって」
そこまでひつじに言わせて、はっとする。
パペットを人形使いに取り返され、三月は思わず顔を覆った。
「ミツ」
ひつじをローブの中にしまった人形使いが、すうっと三月の手を撫でた。顔を覆っていたはずのそれが自然と持ち上がって、顔を隠したいのに隠せなくなる。
「あ、わ……」
操り糸に絡め取られているわけでもないのに、人形使いの意のまま、両手を取られて顔を覗き込まれた。
「……同じでは、ダメ?」
「だ、ダメじゃない……オレが、勝手に」
ひつじ、ひつじが欲しい。つい目を逸らす。
「勝手に、特別だって思ってただけ」
人形使いが、ちゅっと三月の唇に吸い付いた。頬にもキスをされて目を瞑る。
「ひゃ……」
「特別」
特別だよ、と耳に流し込まれ、三月は全身が強張るのを感じた。
おかしい。さっきから操り糸もないのに、体が自由に動かない。
「ミツは素敵だから、特別……」
「す、素敵だから、って……?」
自由の利かない体を持ち上げられて、寝台に降ろされる。フードを脱いだ人形使いが、静かに三月に覆い被さってきた。
「もっと特別に、したいけど……」
首筋に人形使いの唇が当たって、ちゅ、ちゅと音を立てられる。
「う、嘘だよ……! だって、オレなんて」
くすぐったくて恥ずかしくて身を捩るのに、人形使いは更に三月の上着を外して、ブラウスの胸元を探った。
「全然、綺麗じゃ、ないし……」
そう言えば、人形使いが不服そうに三月の顔を見る。首の後ろの三つ編みをゆっくりと解いて、ほぐして、ふらふらと降りてきた髪を梳きながら、寝台に三月の体を横たえた。
「確かに、俺は綺麗な物が好きだけど、好みと欲求は別だからな」
低い声でそう言った人形使いが、半開きになっている三月のブラウスに鼻を差し入れる。もぞもぞと胸元で動いたかと思うと、三月の胸の飾りに辿り着いてきゅっと口先で啄んだ。
「わ」
そのままちゅうと吸われ、三月は体を捩る。解かれた髪がシーツに擦れて音を立てた。
「お、おい、よせよ……!」
恥ずかしくてむず痒くて、人形使いの顔を退けようとするのに、力が入らない。首の後ろがぞくぞくとして、それが背骨を伝って腰まで下りてくる。べろりと胸を舌で押されて、体が跳ねた。
三月の鳩尾に吸い付いた人形使いが、そこをじゅっと吸う。吸い付かれて付いた赤い痕を見下ろして、三月は咄嗟に部屋の照明を見上げた。
「け、消して、明かり……」
聞き入れてはもらえなかった。
乱れたブラウスが腕に絡んだままだと言うのに、そのままズボンを下される。
人形使いに性器に触れられるのは初めてではないが、それにしても——三月の下着から半勃ちになっている性器を取り上げ、人形使いがそこにキスをした。
「う、わ」
驚いてる間に口の中に含まれて、三月は頭が真っ白になる。くちゃくちゃと唾液に濡れた舌に触れられ、圧を掛けては吸い上げられしている内に、いよいよ完全に勃ち上がってしまった性器がむずむずとしてきた。
そうして昂ぶらせているのが人形使いの口だと思うと堪らず、三月は寝台の上を這って逃げようとする。けれど、性器の根本をきゅっと指で包まれ、逃げられない上に力も上手く入らない。
人形使いが三月の性器から口を離せば、唾液がつうと伝った。
「だ、ダメだっ、て……や、やば」
そのまま大きな手に扱かれている内、三月は呆気なく射精してしまった。
「んぅっ、くっ……!」
懸命に声を噛み殺して、一息吐く。
以前は人形使いが口を塞いでくれたが、今は——人形使いの顔を見れば、彼は手の平にべっとりと付いた三月の精液に唾液を落として、へらと笑っていた。
「え、な、に……」
後退りする三月の体を引き戻し、人形使いがうつ伏せに返す。三月が事の次第を把握する前に、人形使いはびしょびしょに濡らした手の平で、三月の尻の合間を撫でた。
「え、え……?」
「綺麗」
「き、綺麗じゃないだろ、そこは……」
緊張しきっている三月の下半身を緩く揉んで力を抜かせる。濡れた指で尻の合間を撫でていたかと思うと、急にその指が穴に潜り込んできた。
「ひゃ」
精液と唾液の温い温度と人形使いの指の熱さに、びくりとする。そんな震えを撫でつけられ、腰の骨の形を探るように前に後ろに辿られて、三月はふらりと腰を揺らした。
「え、やだ、なに……こ、れぇ……!」
うつ伏せている寝台のシーツを、思わずきゅっと握る。
「や、やまとさ、ん……?」
肩口から人形使いを見上げれば、そこには人を操っている時の比にならないくらい、うっとりとした表情があった。いっそ凶暴にさえ見える。
そんな表情を見せられ、三月の体温がどっと上がった。吹き出した汗がシーツに伝って、湿り気を帯びる。
(な、なに、オレ……何されん、の)
怖い。怖くて、胸がばくばくと鳴って旋律を奏でた。
人形使いの指で押し広げられている尻の穴に何か、指でない物があてがわれた。なんとか振り返っている三月からは見えない。
人形使いが僅かに身を低くしたかと思うと、その何かが三月の中に割って入ろうとしてくる。
急に訪れた圧迫感に、三月は思わず寝台を殴って体を起こそうとした。なのに、その体を背後から人形使いに抱き締められ、拘束される。みしりと圧迫を増していく下半身から力が抜けて、がくっと痙攣した。
「ひっ、い」
酸素が回らなくなり白んでくる頭の一角で、ようやく「犯されている」と認識する。口を塞がれて体を仰け反れば、そのまま室内の壁に体を押し付けられた。
「うっ、ぐ」
三月の肩口に解けた髪が纏わりつく。後頭部に擦り付けられる人形使いの口元から熱い吐息が漏れるのを感じて、ぞくぞくと背中が泡立った。
「アっ、やぁ……だぁ……」
下半身には相変わらず杭が埋まっているような感覚がある。人形使いが背後で動くと、尻の入り口が擦れて、痛いのか熱いのかわからない。ただ苦しくて、人形使いの頭に腕を回した。離してと懇願しようとするのに、うまく声が出ない。
「特別……」
そんな中、囁かれた言葉にぴくりとする。
「ミツを、俺の特別にしてあげる……」
ずりずりと腰を押し付けられ、中の物が三月の内側を埋めて突き上げてくる。
「こ……ふん、して、んの……?」
「うん……」
胸の形を確かめるように揉み上げられ、摘み上げられると、鼻から声が抜けた。そうされながら、腰をぐりぐりと押し付けられる。
「してる……欲しくて欲しくて、たまらなかった、から」
ずれた眼鏡の向こうで、人形使いがうっとりと目を細めた。
しなっている三月の腰を、人形使いの指先が辿る。腿を焦ったくつつかれて、撫でられた。何度もそうして形を確かめられて磨かれている内に、特別の意味が腹の底に落ちたような気がした。
(はら、あつい……)
いつの間にか、また勃ち上がっている自分の性器が壁に当たる。
「も、っと」
気持ちよくなりたい。後ろの鈍い刺激よりも確かなそれに、三月はふらりと腰を揺らした。
(自分の部屋の壁で、自慰、してる……)
はっは、と乱れる呼吸を背後から押さえつけられ、頭が更にぼうっとした。
(あ、ちげーや……)
伝わってくる人形使いの息遣いも荒い。
(二人で、してるんだ、った……)
マスター、とまた声を上げそうになる。見えない糸に意識を操られる感覚が立ち上ってくる。気を失ってはならない。ぼんやりと霞む理性で辛うじて繋ぎ止めて、吐き出さないでいた。
(俺の意識まで操られたら、この人が……)
——人形相手の自慰になっちゃう。させたくないな。一緒がいい。一緒にしていたい。
(うん……一緒が、いい)
三月は、掠れた声で人形使いの名前を呼ぶ。
「やまと……さん」
「ん……?」
吹っ飛びそうな意識の中、なんとか人形使いの腕を掴む。
「あんた、はっ……オレのこと」
様子のおかしな三月を見て、人形使いが動きを止めた。緩やかになっていく律動の合間に、三月は呼吸のリズムを整えていく。
「オレのこと、人形として、欲しい……の?」
そう尋ねると、大和は三月に体を押し付けながら、ふると首を振った。
「……特別、って」
掴んでいる手に力を込める。三月はひとつ息を飲んで、それから言った。
「好きって、こと……?」
尋ねて、振り返る。ぎょっとしている人形使いの眼鏡が汚れて曇っていた。その向こうの顔をみるみる内に赤らめていく人形使いに、三月は思わずふはっと吹き出す。
「あ、わ……わ……」
三月と体を繋げたまま、きょろりとひつじのパペットを探している人形使いの腕を引いた。体と体の隙間が、びっちりと埋まる。
「おい、よそ見すんな……」
「あう……」
「言って、あんたの言葉で」
「う……え、っと」
三月の内側を押し上げて出たり入ったりする物の感触をなんとか追っている。早く言ってもらわないと、達してしまいそうだった。
「み、ミツが……すき……ほしい」
「……いいよ、わかった」
ここまできたら、一緒に達せるような気がした。
「じゃあ、一緒にしよ……」
三月はきゅっと目を閉じて、脚を開いた。体の内側で再び激しく動き出した物をなるべく奥まで受け入れて、出来る限り悦ばせようとぐずぐず腰を振る。
暫くして、人形使いが急に動きを止めた。かと思えば、すぐに三月の中に収まっている物がびたびたと震えて、何か温いものが染みてくる。
それが何かわかった時には、自分の部屋の壁が白濁で汚れているのにも気付き、三月はそこでようやく羞恥と困惑を思い出したのだった。


今回は流石にローブに包まれて丸まっているわけにはいかないと思ったのだろう。人形使いは三月に怒鳴られるまま、壁を雑巾でせっせと拭っていた。
三月はと言えば、じんわりとした下半身の鈍痛と内側に残る違和感に頭を痛めたまま、寝台の上にへたり込んでいる。
(ど、どうしよ……)
許してしまった。こんなことまで。
別に、壁をせっせと拭いている人形使いの特別な好きになりたかったわけでは、ないと思う。ただ、他の綺麗な「お人形さん」にも恍惚とするなら、三月は人形使いにとって誰とだって同じなのではないか、なんて、そんな考えが頭を過ぎっただけだ。
勝手に期待をして、勝手に——自分が彼から特別可愛がられていると思い込んでいただけだのに。
(欲しくて堪らなかったなんて言われたら……)
三月は、まだ痺れている尻をそうっと撫でた。
(……オレも、あんたのこと)
ん、と振り返った人形使いが、少し緊張した面持ちで三月を見る。眼鏡のレンズが相変わらず汚れていた。
三月は自身の下半身をちろりと見てから、人形使いに「眼鏡、洗えよ」と呟いた。