どうして、わざとあんなことするんだろう。
どうして、噂になるようなことするんだろう。
「二年D組の和泉って、女と間違われてんの?」
「二階堂のお気に入りなんだってー」
「あの二人、デキてるって話、マジ?」
「まさかー、だって二階堂先輩っていつも彼女いるじゃん?」
「なんかモテるよね」
——そうだよ。
目を伏せる。我ながら睫毛なげぇなぁと思う。溜息を吐く。睫毛長いからなんだよ。目がでかいからって、なんだよ。
なぁ、オレってそんなに女みたい? 女顔?
「あ、ほら、噂をすればってやつじゃん? 中庭にいるよ」
ねぇ、手振ってくれた〜、キャーって言われてる。二年にまでちょっかい出して、忙しい奴。
そんな風に思ってたら、「ミーツぅ」ってでっかい声で呼ばれた。
オレは聞こえないふりをする。
ちらっと見たけど、隣で弁当食べてる女の先輩、すごい顔してる。だよな。二年で噂になるくらいだもん。三年でだって言われてるんだろうな。オレと大和さんがデキてるんじゃないかって話。
(デキてねぇよ。付き合ってねぇもん)
付き合ってないのは本当。両思いのはずだけど。
お互い両思いなのを知ってて、なんで付き合ってないんだろうな。男だから? このままの関係でいたいし、壊したくないから? 大和さんに女の影がちらつくから?
弁当の蓋を閉めて溜め息を吐く。
多分、どれもこれも合ってるんだろうな。理由が一つだなんてことはない。
中学の時のオレ、なんてお気楽だったんだろう。好きだって伝えたからってどうなるんだ? 一緒の学校に行けたからって、どうなるんだよ。
答えは、どうにもならない、だよ。
「ミツはー?」
一人で物思いに耽ってたら、突然、教室の中が「きゃっ」てなった。きゃっじゃねぇんだよな。どうしてこんな人にきゃってなるんだ?
「やっぱりいるじゃん。顔くらい出せばいいのに」
「やめてくださいよ、センパイ。彼女さん置いてきちゃったんですか? 別に上がってこなくてもいいのに」
つーか来んな。
「えっ、何、なんかよそよそしくない? ていうか、違うよ。あの子、彼女じゃないし」
ふわふわっと頭撫でられて、やめろよって睨む。見上げた大和さんは、ちょっと困ったふうに笑った。
「もしかして、またなんか噂聞いた……?」
オレは机から立って、弁当箱を学生鞄に片付けた。大和さんを無視して教室を出る。
「なぁ、ミツ。今度は何」
無視する俺を追いかけてくる大和さんの上履きの音が、ペタペタ聞こえる。
わざわざ上履きに履き替えて、教室まで会いに来なくてもいいのに。ほんの少しだけ嬉しくて、ほんの少しだけ苦しい。
オレは、大和さんの問い掛けに振り返らないまま答える。
「オレと大和さんがデキてるってさ」
それから、開きっぱなしの美術室に入った。
早足でついてきた大和さんが、美術室の中でオレの腕を掴んだ。
「なんだ、やっと噂になったんだ?」
オレは、振り返って大和さんの顔を睨む。
「やっとじゃねぇよ! なんでちょっと嬉しそうなんだよ!」
大和さんの表情の理由がわからないまま、ぐしゃぐしゃっと頭を掻いた。
どう見たって、大和さんは嬉しそうで、困ってるオレとは正反対の顔をして……
「噂になればいいのにって思ってたから」
そんなことを言う。
おかしいだろ、そんなの!
「どうして!」
オレは大和さんの手を振り払おうとして、だけどできなくて……いつもだったらこのくらいなんでもないのに? 普段より力強く握られてる。まさか、怒ってる……?
オレは咄嗟に顔を上げた。なのに、大和さんの表情は穏やかなままだった。
「……ミツは俺のもんだって、みんな分かればいいんだって思ってたから」
「え……」
顎に手を添えられて、無理やり上を向かされた。横目で見た美術室のドアは閉まっていて、それを確認した瞬間に、大和さんに唇を塞がれる。
「ば、か……」
こんなの誰かに見られたらって思ってる間に、口の中に大和さんの舌が入り込んでくる。
ぬるっと柔らかいそれがオレの口を掻き乱して唾液を吸い上げた。耳の裏を擽られて、足腰の力が抜けそうになった。
「はぁ……ふっ」
こんな、誰が見てるかわからないとこで、なんてことしやがる……!
ゆっくりと、大和さんの顔が離れていく。そのまま突き放してやろうとするのに、今度はぎゅって抱き寄せられて耳元で笑われた。
耳の輪郭を緩く甘噛みされて、オレは大和さんの腕の中で身悶える。今度こそ立っていられない。
「あ……ッ」
「……そろそろ、ミツにエッチなことしちまいそう……」
「バカ言ってんじゃねぇよ……!」
バカ、本当にバカだ。学校でそんなこと言われて、どうしていいかわからなくなっちまう。
だって、あんたはさっきまで中庭で、可愛い女子高生とさ、日向ぼっこしてたじゃん。そんなの、そんなのって、絶対そっちの方が良いに決まってんのに。
「……ミツ、俺もさ、噂聞いたの。聞きたい?」
「え……?」
「ミツちゃんが、美術部の女子と付き合ってるんだってー……ってさ?」
そんな? ガタンって、美術準備室の方から物音がした。
「う、うそ、だろ」
——見られてた……? オレは体が固まって、動かなくなるのを感じた。
ぎくしゃくとするオレに変わって、大和さんが準備室の扉に近付くと、容赦なく開ける。
中には、しゃがみ込んで隠れていた——同じクラスの美術部の子だ。
み、見られた……——眩暈がした。
「ミツも大概、隙があるよな。ごめんね。実は、和泉くんはお兄さんのなんです」
「だ、誰がお兄さんのだよ……大体、オレたち付き合ってないし……それも噂だって」
これは、どっちに向けた弁解だったんだろう。頭がぐらぐらして、誰に向けて言い訳をしてるのかわからなくなった。弁解って言ったって、付き合ってないのは本当のこと、なんだけど……
大和さんは、ぐるりと振り返って白々しい顔で言った。
「へぇ、放課後遅くまで一緒にいるって聞いたけど?」
ああ、こういう顔してる時、ちょっと気に食わない時……不貞腐れてる顔だ。
「美術部、残ってくれる人がいないって言うから、体育祭のために手伝ってただけだって! 一緒に作業してただけ……」
「一緒に? へぇ、浮気じゃないんだ?」
大和さんが刺々しくそう言うと、女の子は「ごめんなさい!」と言って美術室から逃げて行った。
「浮気も何も……あの子とは何もないよ……何疑ってんだよ……」
「本当に? あの子もミツも、本当に何のつもりもなかった? キャンプファイヤーの時も? 嘘つくなよ」
やっぱり怒ってるんだ……確かに、ちょっと良い雰囲気だなとは思ったよ。思ったけど、あんたすぐ邪魔しに来ただろ……そうだよ、邪魔をしに来たじゃん。
オレは大和さんの自棄がどこまで続くかわからなくなって、思わず額を手で覆った。
「なぁ、落ち着いてよ。そういう自棄みたいな聞き方すんなって……」
うんざりしてるわけじゃない。そういうわけじゃないけど、そう言う自分はどうなんだよって気持ちがないわけじゃない。
「手、繋ごうとしてた……」
「そりゃあ……雰囲気くらい良くなったらさ……!」
あんただって、誰彼構わず手繋いで、腕組んで、なのに、なんでオレはダメなんだよ。
そう口から出そうになった時だった。
「……どうして、俺じゃダメなんだよ?」
「え……?」
「どうしてだよ。俺の方がずっと、ずっとミツのこと好きなのに」
「なに、が?」
「何がじゃねぇだろ。なんで付き合ってくんねぇの。ミツも俺のこと好きなのに」
大和さんに、強く抱き寄せられた。準備室の方に連れ込まれて……
ああ、まただ。また流される。そろそろチャイム鳴るんじゃねぇの。早く鳴って。早く終われ、休み時間も。
「……だって、オレ、男だし。大和さんの周り……女の子ばっかりじゃん」
チャイム、鳴れよ。今すぐ。
「そんなの関係ないだろ。じゃあ、お前さん、俺の事追いかけてきてまで何したかったんだよ」
「何も考えてなかったんだよ、オレ……! だから」
「だから、付き合えないって?」
大和さんの目が、きゅって鋭くなる。鋭いけど、裏切られたみたいな悲しそうな顔。
「違う、そうじゃ」
「キスさせてくれて、抱き締めるのも良いのに、なんで付き合うのはダメなの」
あ、チャイム鳴ってる……誤魔化したいわけじゃないけど、今は、今はごめん、大和さん……頭がグラグラする。どう伝えたら良いかわからない。一旦仕切り直したいよ。
そっと大和さんの手を振り解いて、準備室の外に出ようとする。
なのに、パタンと後ろから扉を閉められた。ご丁寧に鍵まで掛けて。
「えっ……」
「……なんでだよ」
大和さんが、オレのこと——今度は後ろからやんわり抱いた。カーディガンの下、ワイシャツにするりと手を入れられる。
驚いて振り返った。
「お、おい……?」
「……俺、誰とも付き合ってない。本当だよ。そりゃあ、寄ってはくるけど」
大和さんの大きな手のひらが、オレのこと抱きすくめたまま、胸、胸……? 揉んできて、あれ、オイ、ちょっと……!
「や、大和さん……! やめ、やめろ、擽ったい……!」
くにって乳首を押されて、摘まれて、オレは思わず唇を噛む。
「んっ、く、いたっ」
体が震える。ひくひくって、震えて大和さんの腕に縋って……どうしよう、ちょっとこわい。こわいのに、無い胸を指でぐにぐにって揉まれたら、なんか、変だ……気持ちよくなっちゃって……
「や、だ……やまとさ……」
「嫌なのに、勃ってんだ?」
「勃っ……たってねぇ……!」
「あはは、勃ってるよ?」
ぐっと膝を股の間に押し込まれる。脚、開きたくなくて、つい内股になる。大和さんがそれでも無理矢理広げてきて、恥ずかしくて……
「ほら、ズボン持ち上がってる」
「も、持ち上がって、ねぇって……」
大和さんの胸を押し返した。
くっそ、余裕ぶりやがって……! どうせ、どうせオレはこういう機会だって……!
情けなくて、ぶわって涙が出た。
それを見て、今の今までヘラヘラ嫌みに笑ってた大和さんが、突然ギョッとした顔をした。
「み、ミツ……?」
「ねぇよ、こんなもん、こんな……こんな雰囲気だってなかったし、もうわかんねぇよ……女の子と付き合ったこともねぇし! だから、大和さんと、とか、わかんねぇんだよ!」
涙がぼろぼろ溢れてくる。オレは、ぐちゃぐちゃと顔を拭った。息が苦しい。
「付き合いたいって言うならさ、大和さんだって、なんで、あんなふうに……女の人と、なんでだよ……オレ」
「み、ミツ、ごめん……! ちょっと待て、泣くな!」
「泣いてねぇよ!」
泣いてる。すごい勢いで泣いてる……涙が止まらなくてぐしぐし顔を拭ってたら、大和さんが慌ててティッシュ出してきた。
「ご、ごめん。カッとなって、調子乗った……」
脂汗かいて、青い顔してる大和さん。本当に調子に乗ったんだなと思って、オレは渋々そのティッシュを受け取る。鼻をかんで、それからでっかい溜息を吐いた。
「……ミツが、そんな風に悩んでると思わなかった……」
「悩んでねぇよ……」
「悩んでるじゃん……いや、悩ませてたんだな、俺が」
捲れ上がってたシャツを直して、そのままぎゅって抱き締められた。オレは安心して、つい大和さんのブレザーの裾を握る。
はぁって安堵の息が漏れた。ぎゅってしてくる大和さんの腕の力が強くなる。
「……好きになったの、大和さんが初めてで、オレ、わかんねぇの。付き合いたいとか……? 付き合いてぇけど、さ。先輩で、男じゃん……わかんねぇよ……ただでさえ女の子と付き合ったこともねぇのに……」
「……ミツ」
大和さんが、戸惑いがちに優しく背中を撫でてきた。気持ちよくって、思わず目を閉じる。
「……大和さんが本気がどうかもわかんねぇ。信じたいけど……オレがガキだからかなって思っちゃうじゃん。あんた、女の子好きだし」
「でも、俺はミツが……!」
「わかるけど……」
わかるけどさ……それでも、惨めな気持ちになるんだよ。
ぐす、と鼻を鳴らした。
そんなオレから、大和さんがすごすごと手を離す。そして、ポケットの中から四角い小さな箱を取り出し、え? おい……おぉぉ?
「……いや、その、深い意味はないんだけど」
その箱で深い意味はない、は? 無茶じゃないか?
オレは思わず目を丸くした。言葉の通り、本当に丸くなってたと思う。
「えっ、ええ……?」
大和さんははにかみながら、オレのことを準備室の机に座らせると、例の箱から指輪……シルバーアクセかな。出されて、大和さんの右手が、オレの左手を掬った。
ぽかんとしてる内に、大和さんに摘まれた指輪が、オレの左手の薬指に嵌められた。
「……俺と、付き合ってくれませんか?」
ひゅぼんと顔が熱くなった。
なっ、なんでそうなるんだ! あんたは!
「えっ、こ、これ……って」
机に座っていて、今は大和さんより背の高いオレ。オレは思わず、答えを待ってる大和さんの頭を真上から叩いた。
「あだっ、なんだよ!」
こんなの、どう考えてもプロポーズだし!
「どうしてあんた、すぐ飛躍するんだよ!」
思い出すよな、卒業式のキス。
思い出しちゃうよな。あんなの、あんなのさぁ、好きだって思うだろう、オレのこと!
好きだからしたんだろ! まさか、さよならのキスだなんて、バカじゃないのか! なんで勝手に飛躍してさ! バカだよ、バカバカ!
「だ、だって、ミツのこと、早いとこ予約しなきゃと思って……」
ミツ次第だけど……と、今更バカなこという大和さんに、オレは今年最大の溜息を吐いた。
「指輪嵌めてから言うことか!」
オレは、手元の指輪をじぃぃっと睨む。
こんなの、もう外せるわけないだろ……
顔を上げて大和さんを見た。答えを待って、ハラハラおどおどしてる顔。
「……喜べよ。予約、成立だよ」
付き合おっか、そう言えば、なぁ、これってもしかして「結婚を前提に」ってこと?
そんな疑問が頭を掠めたけど、そのまま大和さんに力一杯抱き締められて……オレは今、何も考えられない。
ああ、しあわせ。