光彩奪目を去なす -告人不知-


――オレが重を、好き?
そう思うと、なんでこんな奴のことだとか、ひどいことされたのにだとか、そんなことを全部差し置いて、顔がかぁっと熱くなった。
鎌鼬は「そんなわけないだろ」と口先だけの嘘を吐こうとしたが、それは重の絶望したような表情と言葉に遮られてしまった。
「気色悪い」
――今、こいつ気色悪いって言った?
そちらから見たら、確かに妖怪なんて化け物に違いなく、けれど、その化け物に先に触れたのは誰でもない重の方であるのに、吐き捨てられた言葉があまりにも残酷で、心が無かった。
「お前……が、お前が触ってきたんだろ、先に!」
鎌鼬は、やっとのことでその言葉を叩き付ける。重はと言えば、少し眉をひそめて、それから呆れたように言った。
「こっちは、お前のこと利用しただけだ。別に情なんてない」
「だって、いやらしいことしたいって言ったのに」
「情なんてなくても、いやらしいことなんて人間いくらでもできるんだぜ? 知ってる? お気楽な妖怪にはわかんないか?」
「わかるよ……わかるけどさ」
「わかってないんだろ? だから、自分が好かれてるなんて勘違いしたんだろ?」
「わかるよ……!」
鎌鼬が、重の外套の襟を掴んだ。
「人間の世界で遊んでた時、子供の姿を借りてたら襲われそうになった。鼬でも襲われそうになるのに、あいつらと同じ人間の子供でもそうなんだって思ってたけど、あれって、あれって……そういうことだったんだろ……」
重は何も言わない。心底不快そうな顔で、ただ鎌鼬を睨んでいるだけだった。
「けど、重なら……お前なら、良いかもって思ってた。ちょっとだけだけど……」
「オレが」
この男が表情を作るのが、いよいよ見て取れるようになった。時折、こういう嫌な顔をする。まるで、嫌な人間になろうとしているかのような顔だ。
「お前のことを本当にかっ捌いて食ってやろうって、そう思ってたって知っても、そんなこと言える?」
鎌鼬は、思わず目を見開いた。外套を掴んでいた手を、重に無理矢理払われる。
「言えないだろ? 殺されて食われるなんて嫌だもんな? バカな奴だよ、本当に。オレのことが好き? 勘弁してくれ、笑っちまう」
まさか、そんなことを本気で考えていたとは思わなかった。何故という疑問よりも、混乱が先立つ。
それにしたって、鎌鼬は重に払われた手を見つめて奥歯を噛み締めた。
「……オレがバカなのは認める。オレだってそう思うよ……思うけど……」
ちらりと見上げる。
(なんで泣きそうな顔に見えるんだろう)
重の表情が、どこか泣き出しそうなもののように思えた。
雲外鏡に見せられた人間界での重は、決して嬉しそうでなかったように思う。母親に、肉親に会えたのに? むしゃくしゃしていそうなその表情を思い出す。今だってそういう顔をしてる。
――オレのことをバカにしてるのは、重の方なのに。
その表情は、ちっとも愉快そうには見えなかった。
「……けどさ、オレの好きは、オレのもんなんだよ」
「は……?」
「オレ、多分、重のこと嫌いじゃない。お前の言う通りだと思う。好き、だと思う。だって、悪い気しないよ、お前がオレに噛み付いたって……そりゃあ、痛がって素直に食べられてなんかやらないだろうけど……でも、変だな。悪い気はしなかった。気色悪いとも思わなかった」
――人間のくせに、とも思わなかった。
「だから、多分オレ、重のこと好きなんだと思う」
そう言えば、ひそめられていた眉の皺がふらっと解けた。きょとんとして、段々と不思議そうに変化していく重の表情を見つめながら、鎌鼬ははっと息を吐いた。
「オレの好きはオレのもんだ。だから、笑われたって良いけど、お前に否定される筋合いはない。お前にくれてやる筋合いもない」
「いや、オレのこと好きなんに、なんでくれへんの……おかしいやん」
「これはオレの気持ちだから、お前のもんじゃない」
くしゃりと自分の着物を握る。首にぶら下げた装飾品が、しゃらりと音を立てた。
――苦しい。
胸がぎしぎしする。息苦しくて、血がちゃんと巡っていない気がして。鎌鼬はぎゅっと口を結ぶ。
(オレ、もしかして、失恋ってやつしてんのかなぁ……)
「お前になんか、やらない……」
自覚すると途端に悲しくなって、目の端から涙が零れそうになった。鎌鼬はぐしゃぐしゃと自分の顔を拭って踵を返す。そうして、一目散に走り出した。
「お前になんかやらねぇよ、バカ!」
そう叫んで逃げ出してしまった。悔しいが、足が止まらない。
背後で重がどんな顔をしていたかなんて、もうどうでも良かった。ただ、引き留めようと手を伸ばしていたのはかすかに見えた気がする。ただの鎌鼬の願望だったかもしれない。
振られたみたいな気持ちを味わえばいいが、実際に振られているのは鎌鼬の方だ。
わーっと泣きながら走っていると、上等な香りのする外套姿にぶつかった。
また刀衆の野郎かよと顔を上げると、そこには肩口に鎌鼬の体当たりを食らって苦悶の表情を浮かべている蒼の姿があった。
「わ、鎌鼬、どうしたの?」
「と、突然、ぶつかってくるな……」
その隣にいた鬼火が、鎌鼬の肩を抱いて心配そうに声を上げる。蒼も鎌鼬が泣いているのに気付いたのか、ぎょっと表情を変えた。
「何があったんだ……?」
「鎌鼬~、泣かないで~! 蒼も一緒に慰めてよー!」
わぁわぁと騒ぐ二人を目の前にして、鎌鼬は爪の先で自分の涙を拭う。けれど後から後から溢れて止まない。
「何、お前ら……なんで街で一緒にいんの……」
「あのねぇ、ボクの住処の雨漏りを蒼が直してくれるって言うから」
「な、直すとは言ってない! 様子を見てやるだけだって」
「えー! 直してくれるんじゃないの?」
そんな二人の遣り取りに、鎌鼬は「あはは」と間の抜けた声を上げる。
「いいなぁ、お前ら。仲が良くて」
ぼろぼろと泣きながら笑う鎌鼬を、鬼火がぎゅうと抱き締めた。
「どうしよう、鎌鼬が泣き止まないよ……! 蒼も! 蒼も背中から抱き締めて!」
「え、なんで私まで」
「いいから!」
鬼火に言われるまま、蒼も渋々と鎌鼬を抱き締める。二人に抱き締められ、鎌鼬は尚更涙が止まらない。
「どうしたんだよ、鎌鼬……」
「問題があったなら、聞くくらいならできるが……」
気を遣っているのか、珍しく優しい言葉を掛けてくれる蒼のせいもあって、鎌鼬は顔を覆ってうううと背中を丸めてしまった。
「……あいつ、気色悪いなんてさ、そこまで言わなくたっていいじゃんか……本当に、本当に好きなだけなのにさぁ……」
堪えきれず小さな声で泣き言を漏らしてしまった鎌鼬の言葉に、鬼火と蒼が鎌鼬越しに視線を合わせた。