おでんと嘘とホントの気持ち


 他のメンバーにお互いを守る嘘があったとしても、多分、自分たちの間にそれはない方が良いに決まっている。
 もしかしたら、この寮の中で一番嘘が下手なのは自分なのかもしれない。
 頬杖を突いた三月が頭の中で呟いた。
 ちらりとメンバーの予定表を見た。今日は、メンバーの殆どが泊まり掛けでいない。ナギは短期で里帰り中。
そんな中、大和が帰ってこない。三月はキッチン以外の電気を消して、ぼうっと過ごしていた。
「帰ってくる予定だったじゃん」
 突発的に送られてきたラビチャを、もう一度見る。「現場で飲みに誘われたから行ってきます」そう書かれている。
 帰ってくるって言ったじゃん。ミツが一人で寂しいと悪いから、お兄さん真っ直ぐ帰ってきますよって言ったじゃん。
 三月はみるみる内に膨らんで尖ってくる唇を、自分で押し戻す。
「おう、それなら仕方ないな。楽しんでこいよ」という返事を削除しようとして、やめた。ここで消したら不審がられる。何せ自分は嘘が下手だから。
 だから三月は「何時頃帰ってくる?」と、何気なく、そして差し支えのないメッセージを追加する。
(大和さんの嘘つき)
 本当に追加したかったメッセージを、口の中で噛み砕いて飲み下した。
(嘘つき、嘘つき、ばーかばーか)
 予定表で、今日の大和の現場を確認する。医療ドラマの研修医役。たしか、ヒロインが歳上の女優さん。他にも、歳の近い共演者に囲まれるだろうし、なんて思いながらカウンターに顔を伏せる。
「……寝ちゃおうかな……」
なにも、三月は何もしないで過ごしていて、それで寂しがっているわけではない。
 大和が帰ってくると言ったから、冷蔵庫には冬季限定のビールの缶があって、小鍋におでんも煮て、それで一緒に一杯やろうと思っていただけで、だからこれは大和が悪い。
(そんなこと、ないけどさ)
 仕事の付き合いだろうし、仕方ないだろうし。そんなことは、三月の身にだってよくあることだ。
 けれど、木枯らしが吹いて、風呂も冷えるのが早くなる中、誰もいないだだっ広い寮で一人置いておかれる。
(それも、さぁ)
 三月は、ラビチャのメッセージを遡る。大和が急に飲みに行ってくると言い出した寸前の自分のメッセージを見て、溜息を吐いた。
「二人っきりなの久し振りだよな」
 そうだな、とか、それくらい返せば良いのに、ここから既読スルーになって、四十分後に返ってきた返事が「現場で飲みに誘われたから行ってきます」だ。
 なんとなく、本当になんとなく感じた違和感に、三月はもう一度口を尖らせた。
(もしかして、オレと二人なの気まずいんじゃねぇの)
 なんでだとか、どうしてだとか、そういう言葉の前に、三月は顔を覆って呻いた。
(オレが、大和さんのこと……)
 頭の中に過らせた言葉を、鉛筆でぐしゃぐしゃに消す——好きだからバレたのかな。オレは嘘が下手だから。
 一織のようにうまく嘘を——嘘と言うには外聞が悪い。それでも伏せることを知らない。
だから、もしかしたら大和に伝わってしまったのかもしれない。気まずくさせたのかも。
 だって、そういう途切れ方じゃないか。
何時に帰るのか、の問い掛けに、大和の返事がようやく戻る。
「体調崩したスタッフさんいるから、介抱してから帰る」
「男?」
 何聞いてんだろ、と思いながらそんな返事を返してしまった。
 暫しの間。大和からの返事は「そうだよ。お兄さんいくらなんでも危ない橋渡らないって」だった。自分の職業を弁えているようで安心する。
「気を付けてな」
 三月はすっくと立ち上がる。そうして、顔を洗って寝るために洗面所に向かった。
 その間、ピロンピロンとメッセージの到着を知らせる通知が鳴っている。三月は歯磨きを終えて、薄目でそのメッセージを見た。
「ミツごめん。先寝てて」
 そんなメッセージに、嫌みのようにおでんの写真を撮って送ってやろうかと思ったが、やめた。
「言われなくても寝るよ……」
 そう呟く。三月は胸がぎゅうっと痛むのを感じて、思わず目尻を指で擦る。
 頭の中を駆け巡る、寂しい寂しい、大和さんのばーかばーか、それがとても幼稚な言葉のように思えて、だから口を真一文字に結んだ。
「無理して帰ってこなくても大丈夫だよ」
 気遣いのつもりで送った言葉だった。
 三月は戸締りを確認して、それから一人で自室に向かうと、携帯をテーブルに置いてベッドに潜り込んだ。
 その夜中だった。たんたんたんとわざとらしく階段を上ってくる音が響いて、ベッドから落ちかけていた三月が目を覚ます。
 自室のドアが、ガチャガチャと音を立てた。
 鍵を掛けているから、当然開かない。
「こわ……」
 掠れた声でそう呟く。
 テーブルに置いてあった携帯の画面が、ぱっと明るくなる。ピロンピロンと重なる通知、それからもう一度ガチっと鳴るドアノブに、三月は思わず枕を持ち上げ、ドアに向かって投げ付けた。
「誰だよ、うるせぇな!」
「俺だよ! 俺!」
 率直に「詐欺か」と思った。それは大和の声に違いないのに、三月は投げた枕をそのまま、またベッドに倒れ込んで目を閉じる。
「ミツ、ごめん! 顔だけでも見せて」
「やだよ、寝てんだよこっちは」
 うんざりして、寝転がったまま言う。
 テーブルの上で明るくなったままの携帯には、思っていたより通知が重なっていた。
 のそりと起き上がって、それを手繰り寄せる。
「何、突然」「帰るって」「ミツ?」「寝た? これから帰ります」「ミツ〜」「無視しないで、ごめん」以下省略。
「ミツ、帰ってこなくてもいいなんて言わないで……」
 ずる、とドアを擦る音がした。
 三月は眺めていたスマホをそっとテーブルに置き直して、それからベッドから立ち上がる。
 がちゃんとドアの鍵を開けた。
 ゆっくりと開いたドアの向こう、大和がマフラーも上着も外さないままで立っていた。
「寝てたんだけど……」
「わ、悪い」
「介抱するって言うから、無理して帰ってこなくてもいいって……気にしなくていいからって思ってラビチャしたんだけど」
「本当に?」
 三月は、嘘が苦手だ。
 だから、ここで嘘つき、ばーかばーかと罵ってやることはいくらでもできたのに、不安そうに焦っている大和の顔を見たら、眼鏡が少し曇っているなと思ったら、口を閉ざすことしかできなかった。
「体調崩したのは、本当に男のスタッフだったよ」
「それ、オレに関係ある? ないよな」
「だって聞いてきただろ。気にしてたんだろ、お前さん……」
「だから、オレに関係ないよな。聞いて悪かったよ」
 今はどうでも良い、そんなこと。そう言うにはやはり嘘がつけなくて、三月はそっとドアを閉めようとした。
 それを大和が阻止する。
「俺だって、たまにくらいミツと二人で過ごすのも良いなって思ってたよ。本当、これは」
「いいよもう、そういうの。そういう誤魔化すみたいなやつ、大丈夫だから」
「でも、だって、二人でいると嘘つけないから」
 はっと口を覆った大和が、三月から顔を逸らした。
「なぁ、あんた、オレに何か嘘ついてんの? いつから?」
 つい、そう言って詰め寄ると、大和は手で口を覆ったまま「だって、二人だと歯止め利かなくなる」と吐き出した。
「二人きりになると、好き勝手しちまうから」
「……どういうことだよ……?」
 三月は大和の言っていることがわからないまま、ただ二回、瞬きをした。
 
三月に嘘をつくのは、正直怖い。
 それでも、必要な嘘だってあるはずだ。例えば、三月を守るための嘘だったら——一織と陸の歌う「解決ミステリー」をぼんやりと聞きながら思う。
 二人のドラマがシーズン2の放送を控えている今、局の一角に設置されているモニターでコマーシャルが流れていた。
(どうやら、ミツは俺のことが好きらしい)
 俺も好きだよと言えたら、どんなに楽だろう。言えるだけの勇気があればだが。
 今日は、メンバーの殆どが泊まり掛けでいない。ナギは短期で里帰り中。
 そんな中、寮にいる三月からラビチャが来た。
「二人っきりなの久し振りだよな」
 そう、俺に勇気があるならば、この言葉を深読みして尻込みすることなんて、きっとなかっただろうに。
(……気まずい)
 二人っきり。二人っきりを強調されると、気まずい。嬉しいに決まっている。だって、好きなのだから。けれど、好きだから困る。
「大和くん、今日の飲み会行く?」
 衣装の白衣を羽織ったままぼんやりしていると、撮影スタッフに声を掛けられた。その言葉につい乗ってしまったのは、やっぱり大和に勇気がなかったからなんだろう。
 三月に「現場で飲みに誘われたから行ってきます」と連絡を送った時、やけに肩が軽くなった。帰りたくなかったわけじゃない。けれど、三月との仲を考え過ぎていたのもまた事実だった。
 大和は、三月のことが好きだ——恐らく三月が思うよりずっと。よこしまで煮崩れている感情は、ジョッキの中のオレンジの液体の中にさえ三月を投影してしまう。わずかに浮かぶ白い泡がパチンと割れた。
(ミツの好きは、多分、俺のと違ってて)
 もっと綺麗で透き通って、ほら、まさにこんな——ジョッキを煽った。ビールって、どうしてこう美味いのか。
 ごくんと喉を鳴らして飲み干すと、隣に座っていた歳上の女優がとんと肩を叩いた。
「大和くん、大分飲むよねぇ」
 そう言う彼女の手元にもビールジョッキ。
「はとりさんだって、それ三杯目ですよね……?」
「あたし、ビールだけなら飲み続けられちゃうから」
 そう言った佐原はとりという女優は、ビール瓶を片手に大和にジョッキを出すように促す。
「ん」
「あ、ハイ……ありがとうございます……」
 大和は注いでもらったそれを一瞥して、とりあえずは一口。
「大和くんの年齢でビールいくの、最近だと珍しいよね。好きなの?」
 言われてみれば、同い年くらいの俳優陣は皆、度数の低そうなカクテルを注文している。
 大和はジョッキをもう一度見やって、それから「あー」と曖昧な返事をした。
「ビールってどんなにしんどくても、一口目が最高じゃないですか」
「そういう言い方するってことは、今の現場がしんどいと」
「そ、それは……まぁ、勉強させてもらってます……」
 あははと笑うはとりに、大和も釣られて苦笑いした。
「難しい顔してんじゃんと思って」
「まぁ、今日帰ってもメンバー殆ど家にいないんで、寂しいんですよねー、なんつって」
 ちらり、こういうことを言ったら相手はどんな反応をするだろう。大和ははとりの顔を見たが、彼女はさして顔色も目の色も変えずに「へー」と言った。
「あたしはマネージャーが待ってるから、真っ直ぐ帰るけど」
「え、マネージャーさんですか……?」
「マネージャーが彼氏だから」
「あ、そういう……」
 隠してるわけじゃないんだ……と周囲をちらちらした。そんな大和の背中に、とん、と何者かの背中が当たる。
「二階堂さぁん」
 ずいーっとグラスを両手で突き出して「飲めなくなっちゃったぁ」と言ってくる女の子。彼女からグラスを受け取り、大和は軽く笑ってテーブルに置いた。
「ねぇ〜、飲んでくださいよぉ」
「はいはい、後でね〜、ありがとう」
 大和の肩に寄り掛かった彼女をそのまま、はとりに向き直る。
「大和くんって、あしらうの上手いよねぇ。慣れてんの?」
「あしらってませんよ。人聞き悪いな……」
「ほらー、白石ちゃん、相手にしてないってさ」
 傾いたままでいるその女子に、はとりは笑いながら声を掛けた。すると、え〜んなんてふざけた態度を取りながら、白石と呼ばれた女子は離れていった。飲みかけだったグラスは、大和がテーブルに置いたままだ。
「あー、ありがとうございます……」
「大和くん、ちょっと面白がってるだろ?」
「何がですか?」
「女を引っ掛けるのさー」
 はとりはジョッキを傾けて、カラカラと笑った。
「……そんなことないですよ?」
「だったら、寄り掛からせてちゃダメでしょ」
「まぁ、そうですね」
 そんなことを言っている最中、大和から離れていった女子の近くで、前のめりにテーブルに額を当てて動かない男のスタッフがいる。
目の前にはグラスがいくつか……大和と同じ要領で飲まされ過ぎてしまったのではなかろうか。
 大和はそっと立ち上がり、彼の肩を叩いた。
「大丈夫ですか……?」
「あー……にかいど、くん……あの、ちょっと……」
「白石ちゃん、お冷貰ってきてくれないかな。あの、家、どこですか? タクシー呼びます……?」
 少し慌てる下座の方で、大和は介抱できそうなメンバーを消去法で探した。いや、そんなことしなくても自分で良いか。相手は男だし。
 そう思って、さっさと三月に帰りが遅れそうな旨を連絡する。
 それを見ていたはとりが、大和に尋ねた。
「大和くん、予定あんの?」
「あ、いや、ミツに……メンバーに帰るの遅れるって伝えてて」
 水をゆっくり飲みながら頭を上げたり下げたりしているスタッフを横目に、三月とラビチャのやり取りをする。気をつけてなと言われたから、自分のことは気にせず寝ていて欲しいと伝えた。
 落ち着いてきたらしいスタッフの背中を撫でながら、大和はほっと息を吐く。 
「にかいどーくん、ありがと、す……」
「気にしないでください。お互い様ですよ」
 はとりが、店員にタクシーを呼んでもらってくれたようだ。
 それを聞いて、大和はスタッフに「車乗れそうですか?」と尋ねた。曖昧に頷くスタッフに、柔らかく笑って見せる。
「おうおう、大和くんは女の子だけじゃなくて男も引っ掛けるつもりなのかな?」
「はとりさん、やめてくださいよ……」
「だってさー、涼しい顔して沼のような男だねー」
 その時だった。三月からのラビチャの通知に、大和はひょいと視線を移す。
「無理して帰ってこなくても大丈夫だよ」
 そんな内容に、つい目を丸くした。
「おや、どうした」
 はとりが大和の手元を見る。別にどうってことない内容なのに、大和はつい画面を隠した。
「あ、いや……」
「大和くん、やっぱりなんか約束あったんじゃないの?」
 頭を過ぎる。三月には、早く帰ると言ってあった。おちょくるような口調で、三月が寂しがるといけないからなんて言っていたはずだ。まさか、あの三月がそれを真に受けていたなんて?
「二人っきりなの久し振りだよな」という言葉を深読みする。また、更に。
(ミツは、俺のことを好きらしい)
 好きな奴と二人っきりなの、俺だったらそりゃあ嬉しい。ミツも、もしかしたらそうだったのかもしれない。
 それなのに、帰ってこなくても良いと言う。
(怒らせたかも)
 そう思うと、途端に背中が冷たくなった。
 大和の表情が陰ったのを見て、はとりが「おーい」と手を上げる。
「清野くんさ、この子の面倒お願いできないかな?」
 上座の方でスタッフと談笑していた俳優を呼んで、はとりはすくりと立ち上がった。
「清野くん駄目そうなら、うちのマネ呼ぶわ」
「あ、大丈夫っすよ。何、君、具合悪いの?」
 はとりの一声で、我関せずだった上座もざわつき始めた。
 そっと体を引いた大和が、はとりを見上げる。
「大和くんはお帰りよ」
 空気はいつの間にか、飲み会を解散する方向に変わっていた。
 そんな中、大和ははとりに背中をとんと叩かれるまま、最低限の挨拶を済ませて走っていた。
「何、突然」「帰るって」「ミツ?」「寝た? これから帰ります」「ミツ〜」「無視しないで、ごめん」……続け様に三月にラビチャを送り、そうして最後に「俺が悪かった。無神経だった」と打った。
 既読が付かないまま、途中でタクシーを拾って寮まで辿り着いた。
 慌てて鍵を開ける。既に暗い共有スペースを見れば、小さな鍋がコンロに置かれたままだった。蓋を開けると、中身はおでんだった。どうやら、仕込んでおいてくれたらしい。
「ミツ!」
 大和は慌てて階段を上る。どうせ、今は三月しかいないはずだ。だから、声を抑えることなく名前を呼んだ。
三月の部屋まで行って、容赦なく扉を叩く。
「誰だよ、うるせぇな!」
「俺だよ! 俺!」
 決まってんだろ! と言いたくなったが、喉が詰まって言えなかった。
「ミツ、ごめん! 顔だけでも見せて」
「やだよ、寝てんだよこっちは」
 うんざりしたような三月の声に、大和は息を吸う。言い返す言葉を思い付かなくて、ドアに額を当てた。擦り付けながら目を閉じる。
「ミツ、帰ってこなくてもいいなんて言わないで……」
 暫くして、三月の部屋のドアの鍵が開いた。がちゃんと鳴った音に、そっと一歩、体を引く。
 出てきたのは、見るからに不機嫌そうな顔をした三月だった。
「寝てたんだけど……」
「わ、悪い」
「介抱するって言うから、無理して帰ってこなくてもいいって、気にしなくていいからって思ってラビチャしたんだけど」
「本当に?」
 三月は、嘘が苦手だ。
 僅かな不満が浮かぶその表情が少し悲しそうに見えて、大和はつい三月の顔を覗き込もうとする。しかし、三月が顔を逸らした。
「……体調崩したのは、本当に男のスタッフだったよ」
「それ、オレに関係ある? ないよな」
瞳だけを上げた三月に、つい怯みそうになる。それでも大和は黙らない。
「だって聞いてきただろ。気にしてたんだろ、お前さん……」
「だから、オレに関係ないよな。聞いて悪かったよ」
 落ち着いた声色で言う三月のその表情だけは、まるで何か察して欲しくない、触れて欲しくないとばかりに、頑なに大和の方を見なかった。
 ——三月は、大和のことが好き、らしい。
 それは大和だって同じだ。喉の奥に潜むビールの風味を思い出し、大和はぱしりと瞬きをした。
「俺だって、たまにくらいミツと二人で過ごすのも良いなって思ってたよ。本当、これは」
 そう言えば、三月にその自覚があるのかないのかはともかく、嘲るように笑われる。
「いいよもう、そういうの。そういう誤魔化すみたいなやつ、大丈夫だから」
「でも、だって、二人でいると嘘つけないから」
 嘘つけないんだ。特別じゃないみたいな顔が……外でできることができない。
 思わず口を突いて出た言葉を、手のひらで隠した。
 すると、三月が、ばっと顔を上げる。
「なぁ、あんた、オレに嘘ついてんの? いつから?」
 そう言って詰め寄ってくる三月に、慄く。
 例の件以来、三月は大和の嘘や誤魔化しに手厳しい。その所以がわかるからこそ、こうなると大和は黙秘することができなかった。手で口を覆ったまま呟く。
「だって、二人だと歯止め利かなくなる……二人きりになると、好き勝手しちまうから」
 そんな大和の言葉に、三月がきょとんとした。
「どういうことだよ……?」
 暗いままの廊下と、暗いままの三月の部屋。その境にいる二人。
 大和のスマホがじりりと通知を伝えた。大和はごめん、と一言呟いてからスマホを見る。
 はとりからのラビチャだった。
「仲直りできた?」
「できてねぇし……」
 つい口から溢れていた言葉に、三月が訝しげな顔をした。
「帰してくれた人から連絡……来てて。あの、佐原はとりさんって……」
「ああ……女優さんの」
 そう、と返事する前に、三月がしたり顔をした。
「何、その人と飲んでたんだ」
「飲んでたけど、違くて……他にも人いた」
「大和さん、歳上好きだもんなぁ」
「違うって」
「すらっとしてて綺麗だし、大人っぽいし、わかるわかる。好きそうだな〜って」
「だっから……!」
 大和が、ぐにゃりと頭を垂れた。はとりに言われた「引っ掛けるのを面白がってる」が、大和の後頭部に追い打ちを掛ける。
 ——やきもちを妬かれたら嬉しい。自分が、その人に必要とされてるみたいで。だけど、三月にこういう風に言われるのは、何故か苦しい。つらい。
「俺、歳上が好きなわけじゃない……」
 大和は、俯いたままでぐすと鼻を啜る。
「でも女の人は好きじゃん」
「好きだよ。好きだけど……」
 面白がってるわけではないといえば嘘になるが、そりゃあ自分に惑わされる女性を見ていたら気分も良くなるもんだ。仕方なくないか? なくないか……
「好きだけど……」
 三月を守るための、困惑させないための嘘が、今は三月を怒らせている。もしかしたら、傷付けているかもしれない。
「ミツの方が、好きだもん」
 消え入りそうな声でそう言うと、腕組みして不貞腐れていた三月が、途端に静かになった。
「歳上が好きなわけじゃなくて、歳下が好きなわけじゃなくて、可愛い子が好きなわけでもなくて……ミツが好きなんだよ。ミツが良いの……」
 カテゴライズされたものから消去法で選んだわけじゃない。そんなこと言い出したら、可愛くても中身がアクティブで男らしい三月なんて、その対象にならない。はっきり言える「好みとは違う」。
それでも三月が好きなのだから、どうしようもない。
 眼鏡をずらして指で目尻を拭う。自分のマフラーに埋もれた顔を持ち上げる気にならず、そのまま体を背けた。
「だから、やだったんだ。二人っきりになるの」
「……オレは、ビール買っておでんを煮てたのに」
「それだよ、そんなの……そんなのさぁ、嬉しいじゃん。我慢できねぇじゃん……」
「我慢しないで食えばいいじゃん……喜べばいいじゃん……?」
「これ以上好きになれって……? やだよ、そんなの恐い」
 体を背けた大和のマフラーを、三月が引っ張った。引かれて、振り返る。
「……こわくないよ」
 ぐいと引かれたマフラーを見下ろす間もなく、背伸びした三月が、ちょんと大和の口元を啄んだ。
「きっとこわくないよ」
 そう言った三月が大和の体を引き寄せて、それから抱き締める。背中をとんとんと叩いて、撫でて、さすった。
「……ミツが、恐い思いするかも」
「なんでだよ? しねぇよ……今怖いとしたら、それはさ」
 そっと体を離される。
 泣いてこそいないが、ぐしゃりと歪んだ大和の顔を三月が覗き込んだ。
「大和さんが、今の全部嘘って言うこと、くらい……かも」
くしゃっと眉を寄せた三月が、不安そうに大和を見上げている。
「ほ、本当に、オレの方が……良い?」
 廊下と部屋の間に立たされてひんやりとする三月の体を、堪らなくなって抱き締める。ぎゅうっと、ぎゅううっと抱き締める。
「あーあ、なんか安心したら腹空いた……」
「飲んできたんだろ……?」
「飲んできたけど、食いたいな」
「おでん? あーもう、勝手なおっさんだなぁ……」
 三月が大和の体をそっと押した。どうやらおでんに付き合ってくれるらしい……が、大和は腕の力を緩める気はなかった。
「ん……?」
「いただきます」
「ん!」
 がちゃがちゃと抵抗する間もなく部屋に押し込まれ、三月はわーっと声を上げた。
「何すんだ、ちょっと待」
 待て、と言おうとした三月の口を口で塞いで、三月が抜け出したままだった布団に押し込めた。
 マフラーを外して上着を脱いで、そのままがむしゃらに覆い被さって抱き締める。
「ひっ! な、何っ!」
「歯止め利かなくなるって言ったろ」
「そ、それっ、そういうこと?」
「誰もいなくてミツと二人っきりなんて、それ以外どうしようもねぇの! 健康な二十二歳だし!」
「お、オレも、健康な二十一歳だけど……」
 もじ、と顔を逸らした三月が呟いた。
「おでんも、食べて欲しい……オレ、一緒に食べようと思ってたのに……」
 そんな可愛らしい申し出に、大和は三月を抱えたまま、ベッドにごろんと転がった。
 今すぐそのお願い叶えてやりたい気持ちもあるが、多少はおでんも待ってくれるだろう。その方が、味が染みて美味いに決まってるのだから。