鋭い目付きで胡散臭い、いけ好かない男――それが、妖怪からしたってどうしようもない、その男の第一印象だった。
蛟を使役することに失敗した彼の男と言えば、どうやら相当に堪えたらしい。詠に付き合ってだらだらフラフラしているよと、九尾の狐が扇を揺らしながら笑って言っていた。彼が言うからには、重が堪えているというのは本当のことなんだろう。
さて、だけれども、話が変わってくる出来事があったのだ。
「ちゅってして、がぶってされたの?」
「そう……」
鎌鼬は、いつも共に遊んでいる鬼火の前で腕組みをしながら頷いた。
「おかしくねぇ? なんで噛むんだよ……」
「うーん、お腹でも空いてたのかなぁ」
鬼火は呑気にそんなことを言う。お腹が空いてるのは、さては鬼火の方ではないだろうか。
「いや、そもそもなんでちゅってされたんだ?」
「鎌鼬が美味しそうだったのかも」
「お前、適当に言ってんだろ……」
「ごめんね、鎌鼬。そろそろ葛ノ葉に行きたいなぁって思って……」
あははと鬼火が笑った。鬼火は、何かと九尾の狐に会いたがる。
そんなわけでだ、鎌鼬は、「ちゅっ」とされて、「がぶっ」とされたのだ。誰からかって、例の堪えているらしい男からだ。
ちゅっとするのは、人間同士のする親愛行為なのだそうだ。妖怪も口や体を擦り合わせたりはする。触れると温くて愛おしい気持ちが湧くのはわかるから。
(じゃあ、なんで噛んだ?)
噛まれた唇の端をぐにっと摘まんで、鎌鼬は首を傾げる。
いけ好かない男と思っていたわりに、弄ばれた唇も舌も、案外悪くは無く、気分が良かった。多分、相手が「うまい」ってやつだったんだろうと思う。
触れるだけで終わるかと思われたそれは、あっという間に深い物に変わってしまった。口の隙間からテリトリーを侵され、驚いている鎌鼬の舌先には重の舌が気色が悪いほど丁寧に触れて、ねとと絡め取られた。
勝手にぐちゃぐちゃと口の中をかき回される一方で、押さえ付けてくる重の手は何故か優しい。鎌鼬のうなじを、宥めるような仕草で指先が滑っていく。ぞくぞくとした感覚が背筋を走った。電流みたいなそれに、ついうっとりとしていた。その最中だった。
がぶ、と急に口の端を噛まれたのだ。
「いたい」と声を上げようとするのに、その出所である口が押さえられているものだからうまく声にならない。ぎちりと噛まれた口からは血が滲む。甘やかな接吻が、急に鉄の味になった。その内、その鉄の味をずるりと吸われ、舐め取られた。
口を離すと、互いの口の間を唾液の糸が伝う。無色のはずのそれには血が混じり、そうして、やはり自分の口から血が出ていたことを知った。
――なんで? そう思うより先、鎌鼬は重の頭を両手で押さえ付け、重の唇に自分の口をぶつけていた。がつんと歯が衝突する音がした。
いやらしく笑っていた重の目が眼鏡の向こうで苦悶に歪んだのを認め、鎌鼬は重と同じように、彼の口に噛み付いた。
「い……っ!」
重の鈍い声がする。牙のある鎌鼬の歯の方が絶対的に痛かろう。鎌鼬は、そうほくそ笑む。
顔を離すと、重の口元にはまんまと血が滲んでいた。
「しかえし」
そう言えば、重の表情が一変した。
妖怪が危害を加えられて牙を剥かないわけがなかろうに、まるで重は裏切られたみたいな顔をしたものだから、鎌鼬はきょと、と目を見張った。
「……加減を知らへん動物やんなぁ」
「う、うるせぇ! 元はと言えばそっちが……!」
そっちが噛み付いたりしなければ、鎌鼬はただただ快楽を享受していただけで済んだのに。
「あーあ、折角蕩けさせてやったんに、損したわぁ……」
「蕩け……蕩けてねぇし!」
――蕩けてたと思う! けれど、素直にそうですとは言いたくない!
鎌鼬はむっと口を尖らせて重の胸座を掴もうとしたが、いけ好かない男はその手をするりと避けると、外套を翻して大股で歩いて行ってしまった。
残された鎌鼬は「はぁ?」と声を上げて、その場で地団駄を踏んだのだった。
さて、今度は彼奴、何を企んでやがるのか。