月に叢雲と金平糖 ◆ 九


百と千に唆されはしたが、けれど彼らの言う通りに間違いはなく、大和は確かに三月惹かれている。本気を見せたいとも思う。それにしたって、今三月の顔を見たらどんな反応をしてしまうか、自分でもわかったものではなかった。
何かを考え耽っていると、つい足下を眺めがちになるものだ。下がってくる眼鏡を中指で押し上げ、大和は溜息を吐いた。
「グッドモーニング、ヤマト。朝食ですか?」
朝の比較的早い内に喫茶店を訪れた。そこには、いつもと変わらずナギがいた。普段通り優雅に違いはないが、少しだけ眠そうではある。
「お前さん、本当にいつもここにいるのな……」
「ここはワタシの第二の家のようなものです。ヤマトの方こそ、この時間に来てもミツキはいませんよ」
「知ってるよ」
だからこそ来たのだ。そこまで言わずに、カウンター席に座った。ナギが不思議そうに首を傾げる。
「ミツキに会いにきたのではないのです?」
「そう。今日はお前さんに会いにきたんだよ、ナギ」
「ワタシに?」
ナギがぱちぱちと瞬きをする。長い金糸の睫毛が、尚更目に付く。その向こうの美しい青い瞳は真っ直ぐに大和を見ていた。思わず、大和は目を細める。
不思議そうな顔をするナギの態度は尤もである。けれど、筋を通すためには、何故かナギに伝えておかなければならない、そんな気がしたのだ。
大和は店主に珈琲を頼むと、はっと息を吐いた。
「……引けないところまでいっちまった」
「何を……?」
大和の言葉にきょとんとしていたナギが、はっと口を結ぶ。やけに神妙な顔をした後、ゆっくりと目を閉じて、それからいつもの通り人好きのする顔で笑った。
大和はカウンターに頬杖を突いて、それを振り返る。
「泣かせるつもりはないよ。けど、泣かしちまうかもしれない。だから、先に言っておこうと思ってさ」
「……今度は本気なのですか?」
声色を変えずに尋ねてくるナギに、大和は目を伏せ、頷いて見せる。
「本気も本気。マジってやつ。笑っちゃうよな」
「当たって砕けようと言う武士道精神を笑うようなことは致しませんよ」
「……ちょっと待って。お兄さん、砕けちゃうのかよ……」
店主から珈琲を出されていることに気付いたナギが、大和に向かってそっと手で示す。幾分か遅れてから、大和もカップを持ち上げた。
「たとえヤマトが砕け散っても、ミツキとヤマトがワタシの友人であることに変わりはありません」
ナギの言葉に、思わず笑みが漏れた。珈琲を口に運ぶ。今度は、この渋みに触れても自棄を起こすことなどなさそうだ。――嗚呼、美味い。
「いつの間に友人になったんだか」
「珈琲を嗜みながらこんな風に話せるのですから、ワタシとヤマトの間に他に特別な資格が必要ですか?」
首を振る。
「ありがとう、ナギ」
「骨は拾って差し上げますよ」
それにはありがとうとは言わなかった。
ただ、手土産の金平糖の袋をカウンターに置く。それを見て、ナギがくしゃりと笑った。その表情は、まるで子供のような、天使のような愛らしいものだった。

(背中を押してくれんのは有り難いけど、なんでどいつもこいつも俺が振られる前提……?)
確かに、幾許かの武士道精神を見せなければならないような相手である気もしてくる。可愛い顔をして男前な一人の男に、大和はどれだけの誠意を見せなければならないんだろうか。
「問題はそこなんだよなぁ……」
些か心許ない自分の誠意について考えていると、どうしてか頭が痛くなるような気がした。
それ故、気分転換にでもと銭湯に寄って、昼過ぎに家路についていた時のことである。普段通りの鞄を提げた愛らしい背中を見掛けたのは。
一度見つけてしまうと、まるで歯止めが利かなかった。
歯止めのない勢いのそのままに三月の体を捕まえ、口吸いまでなら許されるものと弄くり回した結果、結局また泣かせてしまったらしい。
それでも回り始めた気持ちはもう止まらない。
――その結果が、この演劇のような台詞である。
「三月さんを、お慕いしています」
自分でも驚くくらいの真摯な言葉に、途端に気恥ずかしくなる。
大和は慌てて立ち上がり、袴の膝を手で払った。
「……って、いう感じ、なんだけど……」
目の前の三月の顔が見られなくて、そっぽを向く。殴られる覚悟はできていたが、それでも表情を見るのが怖くて、大和は目を伏せた。何と滑稽な姿だろうかと自分で思う。
その内、三月が溜息を吐いたのが聞こえた。随分と長いそれに、大和は「やってしまった」と頭を抱えたくなった。
「……あのさ」
「なに」
「舞台の上の、役者みたいだった」
「……何が」
「今のあんたが」
ぎくりとする。大和は恐る恐る三月の顔を見る。
複雑な表情をしているが、どうやら怒ってはいないようだった。
「でも、正直さ、すげぇどきどきしたよ。すごいな、大和さんって。きっと、あんたの周りの女の子って、みんなこういう気持ちになるんだろうな」
「ミツ……」
暫くの間、女とそういう遣り取りはしていない。けれど、きっと三月はまだ、大勢の相手の内の一人が自分であるとそう認識しているのだろう。大和の自業自得とは言え、拭いきれない焦燥に駆られる。
「違うよ、ミツ……俺、本気でお前さんのこと……」
どうにか、伝えなければならない。真剣に想って慕っていることを。けれど、喉が渇くばかりでうまく言葉にならなかった。
そんな中、三月の方が「なあ」と声を上げる。
「本当に、女と会ってないの?」
「……信じてくれんの?」
「ナギにもそう言ってたんだろ? 俺が鎌倉行ってた間に、そういう話したって聞いたよ」
確かに、ナギには三月と知り合ってからそういうことはしていないと伝えた。その後、本当に「できなくなってしまった」ことまでは言っていないが……。
滲む罪悪感に、思わず眉間を押さえながら返事をする。
「……そうだけど」
「じゃあ、さ」
三月が思案するように目を伏せた。暫くして顔を上げた三月の瞳が、爛と光る。
「ウチは社員寮だから、変な噂が立つと後で面倒なんだ。大和さんなら、都合の良い場所あるだろ。そこで会おうよ」
「え……?」
突然の三月の申し出に、大和の口から間の抜けた声が漏れた。
路地裏にぽつんと落ちたその間抜けな声を、三月が笑って拾い上げる。
「……あんたに一回くらい遊ばれてみるのも、悪くないかもしれないかなって」
呆然とした。まるで、魂が口から抜けてしまったような気がした。一瞬で浮かれ上がった自分にはっとする。
浮かれるには早い。冷静になれよ、と、大和は眼鏡を多少強めに上げる。
「遊びなんて思ってない。本気だよ!」
「……なら尚更、どうすんの。会うの? 会わないの?」
動揺も照れの色もない。ただ真っ直ぐな三月の目に、大和は怖じ気付きそうになりながらも、それでも逃げないように踏み止まる。
遊びにするつもりなどはなく、だからこそ、大和は三月に自身のアパートメントの部屋を教える決意をしたのだった。

部屋に戻ってみると、お早いことに新聞社からの電報が届けられていた。三月が言っていたのはこれのことか、と思う。
早速翌日、三月の上司の呼び出しに応じるために新聞社へと出向いた。そこで、窓から自分を見下ろしてくる三月と目が合った。
胸が鳴る。けれど、大和は何でもない顔をして、ぺこりと軽く会釈をした。窓から覗いている小さな顔は、ふふんと笑っている――なんだその勝ち気な顔、可愛いな。
「いつの間にそんなに仲が良くなったんだい」
三月の上司に言われ、大和はつい「いつの間にですかね」と返事をした。
「和泉が窓際でニヤニヤしてたもんだからよ。あいつ、二階堂がいてもいなくてもね、見てんだよ。そこから」
「……なんだかなぁ、あのちびっ子は」
リバーレと親しい大和から相手方に取材を持ち掛けてはくれないかという依頼に簡単にサインを済ませ、仲介の前金を頂戴する。
それを元手に百と千に承諾を取る手順の大凡を考え、それから大和は今日訪れた本題も本題に取り掛かった。
「編集長サン、次のミツの休みっていつです?」
そう尋ねると、三月の上司はぽかと口を開けた。煙草がふらりと揺れる。
「なんだい急に。あいつは……次の日曜が休みだったかな」
「どうも。何、ちょっとそろそろ本腰入れて口説こうかと思ってね」
それを冗談と受け取ったか本気と受け取ったかどうかは知れないが、上司は笑って煙草を銜え直した。
「ははあ、まぁほどほどにしてやってくれよ。あれが二階堂坊ちゃんみたいな遊びを覚えたら敵わんからね……」
うちの大事な若手なんだから……と煙草をぷかりとやりつつ言う男に、大和は「ははは」と笑い声を上げる。
「心配頂かなくても、ミツには女遊びなんざ覚えさせませんよ。覚えさせてたまるかっつーの」
「おやおや」
何処まで知っているんだか、何処までわかっているんだか、呆れたような顔をした三月の上司に、大和はへらと笑って頭を下げる。
「まぁまぁ、リバーレの兄さん方と接触取れ次第、またご連絡しますよ。近頃忙しいようだから、すぐにとはお約束できないですけどね」
「ええ、よろしく」
話合いも程々に、大和は新聞社の受付で油を売っていた三月の襟首を背後から捕まえた。もしかしたら、仕事中の大和から逃げていたんじゃないかなんて不安が頭を掠めたが、それでも三月は素直に振り返ってくれた。
「急に何すんだよ! オレは猫かなんかか?」
「似たようなもんでしょうが」
「んなことねーだろ!」
そんな二人の遣り取りを、受付の娘が笑って見ている。ひらひらと手を振って、三月を受付から引き剥がした。他の誰にも聞こえないように、耳打ちをする。
「土曜の夕方、迎えに来る」
「ああ、早速? つーか、オレの休みに合わせてくれてる?」
「お前さんの上司殿に聞いたら、あっさり教えてくれたからさ」
「あっそ」
慌てる様子もなく、照れる様子もない。ずっと何処か淡々としている三月の態度に大和は違和感を覚え、けれど、口には出せないでいた。
「で? オレは何を準備しておけばいいの?」
「ここで待っててくれればそれで良いよ。ミツの寮で待ち合わせても良いけどさ」
つい漏らした言葉に、三月がむっと訝かしむ。
「ウチの寮まで知ってんのかよ……」
「まぁね……」
「情報屋って、おっかないなぁ」
――なぁ、本当にいいのかよ。そんな言葉が、大和の胸を過ぎる。けれど、言ってしまったらこの約束が有耶無耶になってしまうような、なくなってしまうような不安が勝った。
なんて脆い関係だろう。それを取り消したくないその一心で、大和は黙っている。
(卑怯者)
ミツには何も知らせない卑怯者。俺は勝手にこいつのことを知った気になっているというのに。
「……どうしたの?」
ずい、と顔を覗き込んでくる三月に、大和は驚いて体を引いた。まんまるの団栗目があまりにも純粋に見えて、まるで、いい加減で卑怯な自分を責めているように思えた。
「なぁ、あんた、今更怖じ気付いてないよな?」
逆に三月からそんな風に言われてしまい、大和は思わず眉を顰める。
「ミツ相手に怖じ気付くかよ」
そう返すと、へへへと子供っぽく笑われた。可愛い。可愛いが、その可愛い表情に対して、罪悪感も躙り寄ってくる。
「だよな。安心した。いくじなしなんて言わせんなよ。こっちは真剣なんだからさ」
――俺だって真剣だよ。真剣のはず、だよ。
三月の言葉に、これまでの自分の所業を振り返る。そういう風に揶揄されても仕方のないことをしてきている。結局のところ、一人に固執する感覚を大和本人でさえ測りかねていた。
「それじゃ、土曜日に」
「ああ」
特に何でもない挨拶を交わして、それから新聞社を出る。
いくじなしなんて、本当のことだ。胸が騒ぐ。――どうしよう、マジかよ。本気で、ミツが自分の部屋に来てしまう。
(本当に、本当に良いのかよ……)
頭に浮かんだあまりにも情けない言葉に、大和は長く重い溜息を吐いた。

「まさか、大和さんと待ち合わせすることになるなんてな」
土曜の夕方、そう言って笑った三月が大和を迎えた。
昼から待ち構えていてやっても良かったのだが、幾ら何でも気が早い。大和はそんな自身の落ち着きのなさに嫌気がさして、銭湯に行ってきたところだった。
三月が、大和の目の前ですんと鼻を鳴らす。
「もしかして銭湯行ってた? オレも昨晩は寮の風呂浴びたけど……寸前に体洗った方が良い?」
「……いいよ、そのままで」
大和は三月の耳元に顔を近付けて、触れそうな距離で鼻を鳴らす。日の匂いと、新聞独特の印刷物の匂いが仄かに香る。
「臭くねぇ?」
「……おひさまの匂いがするけど」
「何それ、なんかガキっぽくないか……?」
「心配しなくても、お前さんガキだからね」
そう返事すると、ブーツの足先を踏み付けられた。
「いって……!」
「そのガキ口説こうとしたの、どこのどいつだよ!」
そう言われては大和に言い返せる言葉などなく、口を真一文字に結んで黙るしか無かった。やれやれと手元の番傘を揺らす。柄に結んでいた守り巾着もふらんと揺れた。
「あ、本当に付けてくれてたんだ」
「……ミツから貰ったから」
守り巾着を指先で遊ぶ三月から視線を僅かに逸らし、頬を掻く。素直に聞き入れたのが、ほんの少し照れくさかった。
「あんたって、意外と素直だよな」
「意外とは余計だよ……」
不貞腐れたみたいに呟く大和に、三月がにかっと笑って見せる。
「いじけんなって」
「いじけてない……」
いじけてはいないが気まずくなって、さっと背中を翻す。
日が暮れる前に、部屋が暗くなりきる前に、さっさとアパートメントに戻りたかった。どうせなら、三月の上から下までをじっくりと眺めてやりたい助平心もある。
(ちゃんと男なんだろうな)
夢の中で触れたときの昂りを忘れはしないが、現実ではどうか知れない。大和とて、男とするのは初めてなのだから。実際のところ、自分がどう反応するものか、全く予想が付かなかった。
(……勃つのかな、俺……)
大和の後から黙ってついてくる三月を振り返る。きょとんと首を傾げた仕草があまりにも愛らしい。静かに息を吐いた。
勃ちませんでした。それで済ませるわけにはいかない。多分、三月だって生半可な気持ちではないだろう。
(真面目な奴だもんな……)
裏切るようなことはしたくない。杞憂であってくれと願わずにはいられなかった。

赤い日が差し込むアパートメントの一室。敷きっぱなしだった布団の上に、三月の小柄な体を放る。
「へ……?」
たった今放られた三月が、ぽかんと大和を見上げてきた。
多少乱暴で性急過ぎるかとは思ったが、それでも気が削がれる前にと思わずにはいられない。布団に転がした三月に乗り上がりながら、さっさと襟巻きを緩める。
「ちょ、待った! 話っ、話があ、る……うっ」
布団に縫い止めるために、そのまま荒く口で口を塞ぐ。制止を訴える三月の声がお互いの口の中でくぐもった。
「ま、って、や、まとさ……っ」
何度も角度を変えて触れている内に、三月が段々と静かになっていく。触れ合わせては離す唇の音と、短く漏れる三月の高い声が大和の鼓膜を擽った。
気の済むまで柔らかい桜色を吸って、そのまま首筋に舌を這わせる。ほんのりと汗をかいているのか、塩辛い味がする。
「な、あ……や、まとさん……?」
変わらず短く喘ぎながら、三月が小さく名前を呼んだ。顔を上げて、手の甲で口元を拭う。
「何」
見下ろせば、夕日の朱のせいもあるのか、顔を真っ赤に染めた三月が、ぼんやりとした様子で大和を見上げていた。潤んでいる瞳が愛らしくて堪らない。吸い上げた首筋には、小さな花が滲んで咲いていた。
「……眼鏡、ぶつかる……邪魔だろ」
言われて、大和は思わず眼鏡の弦を握った。
「……外したくない?」
「や、外す、けど……」
三月が下からそっと手を伸ばし、大和の眼鏡を抜き取る。ぼやける三月の表情を惜しく思いながら、眼鏡を持っているその手を見下ろした。
「……男前だなぁ」
「あんまり、見られたくない」
大和は、ふいと顔を逸らす。
三月が体を起こして眼鏡をひとしきり眺めた後、丁寧に畳んでそっと卓の上に置いた。
「大丈夫だから、顔、よく見せて」
三月の手が大和の頭を撫でて、そのまま頬の上を滑る。引き寄せられるままに三月の方を向くと、三月がゆるりと目を細めた。
「心配しなくても、今更あんたが何者かとか、誰に似てるとか、気にしないよ」
とくんと、大和の中で心臓が音を立てる。
「それに、あんたが途中で手を止めても気にしないつもり。ほら、オレってさ、顔は女顔だけど、体は結構がっしりしてんだぜ? だから、大和さんが幻滅したって仕方ないし……あんたも、思ってたのと違うーって怒るなよ?」
「お、怒らねぇよ……! 怒るわけないだろ!」
慌ててそう返すと、三月がにこりと笑った。そのまま大和の首に腕を回して抱き寄せて、お互いの隙間を埋める。
「あのさ……暫くは、他の女のこと抱かないで欲しい」
とんとんと宥められるように背中を叩かれる。何を言い出すのかと思いながら、大和は眉を寄せて目を閉じた。返事をする。
「……だから、そういうことしてないよ……」
「他に一番がいても、オレにはわからないようにして」
「わからないようにして……って……」
またそんなことを言う。
まるで、頭に釘が突き刺さったようだった。釘から痺れ薬が回って体から力が抜けるような、そんな錯覚に襲われる。金縛りにでも遭っている最中かのように思えた。
――わからなければ、それでもいいのかよ。そういう気持ちでお前さんは俺に抱かれに来たのかよ。そんな言葉が、喉元まで迫り上がってくる。
「なーんて、な!」
ムシャクシャとする気持ちを抱えたまま大和が黙っていると、三月が突然、大和の背中をぱんっと叩いた。
「は……?」
「そういう面倒なこと、言うつもりないよ、オレ」
密着していた体を離して、大和は三月の顔をじっと見る。三月の本心がどこにあるのかわからなくなり、そうすることしかできなかった。
「大和さん、面倒なの好きじゃないだろ?」
「……そう思う?」
「オレも正直、女々しいこと言いたくない。自分が情けなくなる」
そんなことを言う三月に、大和は思わず、たはぁと顔を覆った。
もっと、もっと強請ってくれてもいいのに。縛り付けてくれたっていいのに。特に、今この瞬間くらいさぁ……そう思う頭を横に振って、それから三月のことを改めて見据える。
大和の胸の内など知らないだろう三月が、ニッと笑った。
「……女々しいことは言いたくないんだけど、一つだけ本気のお願いがあってさ」
「何」
これ以上、何を言われるんだろう。何を望まれないのだろう。
不意に逸らしてしまった視線を戻す。すると、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ三月が切なそうに眉を寄せた。
「オレに飽きたら、すぐ振ってよ」
目を見張る。三月の柔らかい前髪が揺れた。その向こうの視線が大和から離れ、布団の皺の方へと落ちていく。
「じゃないとオレ、あんたにとって良いもんだって、良い存在なんだって、勘違いしたままになっちまうから」
そう呟いた三月に、頭痛がする。三月の方を向いていられず、大和は思わず頭を抱えて敷き布団に倒れ込んだ。
「何、どうしたの大和さん」
「どうしたの、じゃ、ねぇよ……マジで……」
大和は顔を伏せたまま三月の腰を抱いて縋り付く。言葉にならない呻き声と、堪えきれない溜息が漏れた。
「お前さんは、俺がどんだけミツのことで悩んだか、全っ然わかってない……」
「は? おっさん、悩んだの? なんで?」
「ほら、そういうこと言うし……」
三月のズボンに顔を擦り付けた。駄々を捏ねたくて仕方ない気分だった。
「えー……だってよー、最初っからあんた……その、口、してくるし……」
「それは、意識してなかったから。全然、まったく……ただ、顔が可愛いと思ってたから……」
「最悪だな、あんた……可愛いけりゃなんでも良いのかよ……」
素っ気なく言われ、余計なことを言ったと口を結ぶ。いや、それにしたって、今不愉快なのは大和の方だ。
「俺が女たらしで、ミツと恋人になっても浮気するかもって、そう思ってたの? そういう奴だと思ってんのに……なんでミツはのこのこ来たの……」
聞きたくも無いが、それでも聞かずにはいられなかった。大和は三月の方を見ないままで問う。三月の方こそ、本当に遊びのつもりだったのだろうか。
そんな不安に苛まれていると、三月がわしわしと大和の頭を撫でた。
「なんでって、なんでかな……胸も無いし、硬いし、外見だって綺麗でもないし。そんなオレに大和さんを引き留められるなんてさ、端から思わないのは本当だけど……」
そう続けながら、三月もゆっくりと布団に横になる。
顔を伏せたままでいると、三月に耳を引っ張られた。仕方なく、三月の方へと顔を向ける。
思っていたよりすぐ近く、目の前で三月が笑っていた。
「それでもいいから、この人になら一回くらい抱かれてもいいかもって思った……って言ったら、どうする?」
触れそうな距離で、瞬きを忘れた。
日はいつの間にか沈み込み、入り込んでいた夕日の欠片もなくなって、けれど、三月の穏やかな表情がきらりと輝いたように見えた。
「……うそ」
「ここで嘘ついてどうすんだよ。あんたと寝て、あんたの秘密でも売り飛ばす? 売れるようなネタなの? 実際のところ、数ある噂話の中のどれがあんたの隠したいことかは知らないけどさ」
穏やかな表情のまま視線を巡らせる三月の、その瞬きを見詰めている。三月が敷き布団に頭を擦り寄せて、「大和さんの匂いがする」と呟いた。
夢か現か判別が付かない。空気中に舞う埃が白く光る。
「俺でいいの……? 嫌いじゃ、ないの……?」
「何言ってんだよ。今更嫌いなわけないだろ。まぁ、最低な男だとは思うけど……思うけどさ。ずるいよ、大和さん。あんたのこと、オレも好きになっちゃったんだもん」
頭に体中の血が集まった気がした。かあっと熱くなっている顔を隠すために、大和は寝返りを打って三月に背中を向ける。
「おい、逃げんなよおっさん」
そんな大和の背中を、三月の膝が蹴った。
「いったぁ……」
「夢じゃないだろ。良かったなぁ、痛みがあって」
他人事のように言われた。
大和は起き上がって、そうして改めて三月に覆い被さると、星月夜の中に浮かび上がるその輪郭を見下ろした。
「……夢じゃないんだ」
大和は自身の袴の紐を解く。触れないことに堪えきれず、袴を腰に下げたままで三月のシャツの釦に手を掛けた。兎に角急く気持ちを抑えながらひとつずつ釦を解いてやると、シャツの開けた合間から、程好く筋肉の乗った胸板が現れた。
自身の着物の合わせを緩めながら、今度は三月のズボンを剥がしていく。最中、自分の袴と下着を雑に畳の上へと放った。
いよいよ三月も大和が本気なことがわかったらしい。ふわりと笑みを浮かべていた三月の表情に、僅かな緊張が走った。
「……緊張する?」
「そりゃあ……初めてだから」
「俺も男は慣れてない」
そう言って三月の頬に唇を寄せた大和の胸を、三月が気持ち程度にとんと押す。
「……違う」
「何が?」
「違うの。オレ、初めてなの」
ぱしぱし、ぱし、瞬きを繰り返し、大和が首を傾げた。
「だから、初めてなんだって……口、合わすのも……その、体合わせるのもさ……」
恥ずかしそうに顔を背けながら言う三月に、大和の頭の中でチーンとお鈴の音が鳴る。動揺のあまり、既に外しているはずの眼鏡を上げる仕草をしてしまった。
「……う、ウソぉ?」
「ここで嘘ついてどうすんだよ! だっから、あんたのこと最低だって言ってんだろ! オレの初めてどうしてくれんだよ!」
悪ふざけで三月の初めてを奪ってしまった事実に、急な罪悪感が押し寄せてくる。しかし、逆に堪らない気持ちもある。
せめぎ合う罪悪感と興奮の合間で、大和はつい口元を手で覆った。笑ってしまいそうな泣いてしまいそうな、歪な心境である。しかし、泣きたいのは多分、目の前で顔を覆って呻いている三月の方だとも思う。
「……悪い」
せめぎ合い、悩んだ結果、大和はようやく算出された謝罪の言葉を口にした。けれど、その瞬間にすぱんと三月に引っ叩かれた。
「謝るくらいならすんな!」
それはご尤もである。では、謹んで何の言葉を返そうかと思案した後、口を突いて出たのは「ご馳走様でした」というひどく品の無い言葉であった。
勿論、もう一度叩かれた。
「ミツ、お兄さんの頭がバカになっちゃうだろ……」
「もう十分馬鹿だろ!」
「……それもそうかも」
そう頷いて、はだけている三月の胸に頭を委ね、頬ずりをした。鎖骨のくぼみに潤んだ舌を這わせて、そのまま胸の谷間をなぞる。
触れられることに慣れていないらしい三月が、ぴくりと震えて反応を返す。それを楽しみながら、空いている手の指先でシャツを捲り、そのまま手の平で胸を覆った。女の弾力とは違う。程好い筋肉を指先でやんわり揉んでやると、これがなかなか反応が良い。胸の中心を摘まんで潰すように捏ねてやる。むずがるように体をくねらせる三月に、つい笑った。
頭の上では、三月が自分の口を手で覆っている。
「……苦しいでしょ。声、出せば?」
そう言って、手で捏ねている方と逆の胸の乳首に吸い付いた。
「あっ……」
乳首の先を舌で押し、舐め上げてから顔を離すと、信じられないというような表情をした三月が大和の方を見ていた。大きな瞳が零れ落ちそうなほどに目を見開いている。
「あはは、かわいい……」
小さな胸を撫でて弄るだけでびくびくと震える体をいなしてやりながら、もう一方の手で三月の下着を脱がす。その中でささやかな主張を始めていた三月の物を柔く握ると、三月が慌てて体を起こした。
「ちょ、ま、待って、そんなとこ……!」
「大丈夫だから、触らせて」
余裕などまるでない。それは大和も同じで、自分の張り詰めている欲を見やって奥歯を噛み締める。
(もうちょっと待ってろっての……)
初めてと聞いて昂ぶらないわけがないが、それにしてもだ。尚更段階を踏まねばならない。それだけの理性はある。
「大和さん、勃ってんの……?」
「ミツのもな」
月明かりだけが差し込む暗がりでもわかる。目の前の三月の顔が真っ赤だ。頬を合わせてみると、成程熱い。喉から笑いが溢れた。
「ミツのほっぺた、あっつい。かわいい」
「わ、笑うなよ……だって、こんな……」
頬をくっつけたまま、三月の物をゆっくりと扱いてやる。そのまま体重を掛けると、三月が再び布団に倒れ込んだ。手の動きは止めない。
「……ミーツ」
はくはくと呼吸を乱しながら、三月がうつろな目を大和の方へと向けてくる。扱いている手を止めてやると、三月の口からほうっと息が漏れた。
「あのな」
「う、ん」
「男同士って、ミツのここ、使うんだけど」
ぐっと三月の太腿を押し上げて、尻が見える状態に返す。すると、あまりの体勢に、三月がかっと目を見開いた。
大和はそのまま三月の尻の谷間に指を這わせて、くぼみを指の腹で撫でる。途端に、三月が体を硬くしたのがわかった。
「……ま、まじで?」
「マジで」
目の前にある表情が、ざっと音を立てて青ざめる、その様を見てしまった。
そりゃあそうだ。自分が突然尻の穴を使うと言われたって、青ざめてしまうと思う。
「……驚くよな。だからさ、ミツ」
「……い、いいよ! オレ、多分大丈夫! 体だって丈夫だし……!」
大和の苦笑も見て見ぬふりをして、三月が身を乗り出す。脚を上げているために、随分と間の抜けた体勢になった。その反動で、上体がすぐにぱたんと布団に倒れる。
「こーら、人の話を聞けって……」
「だ、だって!」
暴れている三月の足首を捕まえて、靴下を脱がす。脹ら脛を指先で撫でてやり、踵をゆっくりと布団の上に下ろしてやった。
「だってさ、オレがしても良いって言い出したんだぞ! それで出来ないなんて今更……っ、言えないし!」
「言っていいんだよ、ミツ」
そう言って、不安そうな顔をしている三月の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。
「言えよ。怖いんだろ?」
焦りからか脂汗を滲ませている三月の額に、ちゅっと接吻を落とす。大和の体の下で、三月が「うう……」と呻いた。
「それに、お兄さんさ、一回で済ませてやる気、ないから」
宥めるように慰めるように、三月の頭を胸に抱く。髪を梳いて、撫でてやる。
「一個ずつ、ゆっくりミツが欲しい。一気に手に入れるなんて勿体ないじゃん」
撫でている手に頭を擦り付けながら、三月がはぁと息を吐いた。仕草とは裏腹に、不貞腐れたみたいな声で言う。
「……全部、全部手に入っちゃったら、その先どうすんだよ……」
大和は笑いながら、そんな三月の頬をうりうりとつついた。
「どうしよっか? 愛想尽かされないように目一杯かわいがってやりたいから、すげぇ時間掛かりそう」
ようやく落ち着いたのか、三月がのそりと体を起こした。黙ったまま、ただ視線を向けてくる。その内、目を閉じて、唇をきゅっと突き出した。
多分、強請られてる。大和は、吸い寄せられるように唇を合わせてやる。わざと、ちゅ、と音を立てて離れた。
「なぁ、ミツも触ってよ」
「え?」
「俺の。俺も触るから、ミツも触って」
戸惑っている三月の手を絡め取って、自身の物を握らせる。大和も、少し力を失っていた三月の物をまた扱き始めた。
「え、わ、わかんねぇよ、オレ……っ」
「自分のするみたいにやればいいよ」
「そんなこと、言ったって……これさぁ……」
随分と我慢をしていた大和のそれが、三月の手に包まれて緩く握られている。あまりにぎこちない三月の手の動きに、つい笑ってしまいそうになった。
お互いの先走りでぬめる手を誘って、物同士を擦り付ける。
目の前にある三月の頬にそっと口付けた。すると、仄かに緊張が緩み、口元からふやけた声が漏れる。ぺろと舐めて宥めてやると、次第に三月が大和に寄り掛かってきた。かく、かく、と揺れている三月の腰を視界の端に捉えながら、大和はお互いの物を扱く手を速めていく。
「やまとさんの、おっきい……」
は、は、と呼吸を乱しながら、三月がそんな事を溢した。
蕩けている表情が愛らしくて、つい意地悪を言ってやりたくなる。大和はただでさえ近い顔を更に近付けて、声を潜めて囁いた。
「これが、ミツのナカ入っちゃうかも、な……?」
ぐちゃぐちゃと鳴る水音と、激しくなる衣擦れの音に紛れるお互いの呼吸を聞きながら、ただ擦り合いをしているだけなのにやけに興奮する。こんなことを夢にまで見て、本当に馬鹿みたいだと思うのに、それでも昂りを押さえられない。
「ミツ、気持ちいい?」
「ん、きもち……いい……大和さんは……?」
「きもちいいよ」
裏筋を軽く引っ掻いてやると、それまで蕩けていた三月の表情が色を変えた。
「そ、それ……やだ……っ」
三月の鈴口をぐりぐりと刺激しつつ、逃げようとする腰を引き寄せる。自分の物の裏筋と摺り合わせて、擦り上げる。その手を速めながら、大和は三月の耳たぶを噛んだ。
「やっ……あっ、あっ……!」
三月の物がびくびくと震えて吐精する。シャツの合間から反った胸が露わになった。
大和はたまらなくなって、びくびくと痙攣する三月の体を布団に倒す。そのまま馬乗りになると、三月の両の太腿を持ち上げた。
「え……?」
一瞬、三月が表情を引き攣らせた。怖いのだろうと思うが、それでも止められない。余裕がない。
大和は、三月の太腿の付け根に自身の物を挟んで、そのまま腰を前後に揺すり始める。男の筋肉が程好い弾力を持っていて、扱くには丁度良い。体液に塗れたお互いの肌が当たって、ぱちゅぱちゅと卑猥な音が鳴る。まるで、挿れているみたいだった。
「や、やまとさん……?」
脚の付け根から出入りする大和の物が、射精したばかりの三月の物と擦れていることに気付くと、三月は引っ切りなしに続く快感から逃れようと、布団を掻く。
「ま、って、待てって……! な、なにこれ……っ」
ぐいぐいと擦られ、再び三月の物が硬くなっていく。逃げられないように脚を抱えてひたすら腰を打ち付ける。――大和の方も限界が近い。
はだけている三月の胸が目の前に曝け出されて上下している。腰の動きが止められない。腕に絡んでいる自分の着物が邪魔で仕方ないが、脱ぎ捨てる余裕も今はなかった。
(ヤバい……止めらんねぇ……っ)
――このまま達したい。
やがて、擦り上げられていた三月の物がまたびくりと震えて、精を吐き出す。布団を掴んで射精感を逃そうと身を丸める三月が、がくがくと体を震わせている。
「ひっ……、う……くっ……ん」
口を手で押さえた三月が声を殺す。漏れた吐息さえ愛おしい。
「……かっわいい……」
つい、そんな言葉が漏れた。
三月の精液が自分の脚を汚して、更に大和の物をぬめらせる。大和も激しい射精感の高まりを覚え、ようやくそこで動きを止めた。
「っ……!」
精を吐き出した物が、三月の脚の間でびくびくと脈を打つ。
三月は、度重なった快感の波に呑まれたのか、覚束ない様子で天井を見ていた。
「ミツ、悪い……トんでない……?」
大和は、そんな三月の頬をぺちと叩いた。
暫くして「は……」と息を吸った三月が、首を横に振る。
「う……お、起きてる……」
三月がぱちぱちと瞬きしたのを見て、大和はほっと胸を撫で下ろした。
脚を開かせて自身を解放すると、三月の首元まで飛んだ精液を指先で拭った。思っていたより、ずっと汚してしまった。僅かに申し訳なさがある。
三月はと言えば、大和の布団の上でくったりと伸びたままでいた。続けて達したせいだろうか、気怠そうに体を伸ばす様がいやらしい。
「……ごめん。怖かったろ」
「驚いたけど、大丈夫……」
だらんと脚を投げ出して仰向けになっている三月を見下ろして、大和はその辺から手拭いを手繰り寄せる。それで自分の物を拭って、のっそりと立ち上がった。
「今、お湯沸かしてくるわ。体拭いてやるから待ってて」
「自分でできるよ……?」
よっこいせと体を起こそうとした三月の肩を、大和がとんと押して倒した。ぽかんとした三月の表情が、大和を見上げる。少し間が抜けていた。笑ってしまう。
大和は卓の上の眼鏡を掛け直して、そっと三月の額に唇を寄せた。
「ちょっとくらい、面倒見させてよ」
湯に浸けた手拭いで、三月の体に付着した精液を拭って落としてやる。
シャツも脱がせてからするべきだった。汚れている三月のワイシャツを眺めて、とりあえずは湯を張ったたらいに放った。
「汚しちまったから、俺のシャツ着て帰りな」
「着流しもまだ返してないのに……?」
「今度返してくれればいいから」
そう言えば、三月が「またそれかよ」とぼやいた。そんな三月の顔に、自分の寝間着の浴衣をぶつける。
「それ着ろ」
「……ありがと」
三月が着替えている間に、布団の敷き布を変えてしまう。てきぱきと一人でやってのける大和を見詰めながら、三月が何故かにやにやと笑った。
「なんだよ……」
「いや、慣れてるなぁと思って」
「別に、普通だろ」
自分自身も寝間着に着替えて、さっぱりとした布団に座る。
そうして三月を手招きする大和に、三月は少し大きい浴衣の袖を捲って四つん這いで近付いた。大和の浴衣では、三月にはどうしたって大きい。
十分に近付いたところで、三月がぱたんと倒れる。そのまま大和の膝を枕に寝転がった。
「硬くない?」
「硬いけど、くっつきたいじゃん?」
そう言って見上げてくる三月の髪を指で払って、大和はほっと息を吐く。
「ミツは終わった後にくっつきたい派かー」
「大和さんは違うの?」
「ミツだったらくっつくのも良いかも、派」
「なんだそりゃ……嫌なんじゃん。じゃあ離れよっか?」
頭を上げようとする三月の肩を押さえて、そのまま膝枕を続けてやる。三月が、するすると頭を擦り付けた。
「大和さん、今日は寝れそう?」
「え?」
「隈、まだあるからさ」
大和を見上げる三月が、自分の目の下をとんとんと指で叩く。大和は思わず、自分の頬を撫でた。
「今日は、寝れると思う……多分」
恋煩い、その言葉が頭を掠めた。もしかしたら、興奮で逆に寝れないかもしれない。そうは言わなかった。
三月が「良かった」と呟くと、ごろりと体勢を変える。
「なぁ、そういえばこの布団さ、敷きっぱなしだったけど……他の女と寝たまんまとか言わないよな?」
程好い昂揚と穏やかさの合間、充足感を噛み締めていた時だった。三月がそんなことを言うので、大和は思わず噎せた。
「あ、あのなぁ! まだそういうこと言う? 大体、ここになんて誰も上げねぇよ! 住んでる場所が割れると面倒だし……」
「冗談だよ、冗談……一応言われたこと信じてっから」
「ったく……」
大和は手近なところにあった団扇で自分を扇ぎ、動揺を飛ばす。十分に落ち着いてから、三月の方へと団扇の風を向けた。ふわふわと揺れる前髪が可愛い。
団扇の風に心地よさそうに瞼を閉じている三月の顔を見下ろしながら、ふと思い立った言葉を呟く。
「……ミツが最初。初めて。俺の布団で寝るのはね」
そう言えば、三月がぱっと目を見開いた。綺麗な瞳がころんと零れ落ちそうだった。
零れ落ちたら口に入れてしまいたい。琥珀みたいな綺麗な瞳は、金平糖みたいにさっと溶けてしまうんだろうか、それとも、びいどろのように冷たいのか?
「おっさんさぁ……ずるいよ」
「何がだよ。ていうか、お兄さんでしょ……」
しつこいようだが、一応訂正をする。
「大和さんさ」
すると、今度は名前を呼ばれた。
「何」
返事をすると、びいどろのような砂糖菓子のような、綺麗な瞳に三日月の光が灯った。その光に、つい視線を奪われる。
「……もう一回、ちゃんと言ってよ」
「何を?」
「本当に、オレでいいの?」
魔力を帯びたかのような三月の瞳を見下ろして、大和は静かに息を飲んだ。団扇を扇ぐ手を止めて、そうして、三月の目を手で覆う。この星を誰にもくれてやりたくないと、そう思った。
「おい、隠すなよ」
「隠したいよ……」
これは決して、直接伝えるのが気恥ずかしいからではない。だから、大和の手を押しのけた三月の、期待するような表情を甘んじて受け入れる。
意を決して、小さく咳払いをした。
「俺は」
見下ろせば、三月は柔らかい笑顔を浮かべていた。
「……和泉三月さんを、お慕いしています」
そう言えば、三月は満足そうに微笑んで、大和の膝から体を起こす。
十分に視線を交わして、それから――三月が大和に飛び付いた。抵抗する間もなく、二人して布団の上に倒れ込む。目の前には金平糖みたいな星が散った。
それは、子供のようにはしゃいだ何とも甘やかな夜だった。