頽廃した神と踊る


「おぬしも気付いておるのだろう」
最中に言われた言葉が、胃の底まで落ちてくる。
「わしの中に、おぬしを」
太公望の中に埋めている指を、ぐちゃりと押し込めた。短い呻きと吐息が、天化の神経を掠めて、そしてその言葉が逆撫でていく。
「おぬしを求める気持ちが、もうないことを」
それがどうしたって言うんだよ。
眉を寄せて、心の中で吐き出した。
なのに、身体は繋げるってのか。
魂魄が分かれた時に、彼の中にあった気持ちは呂望が持っていったのだと、そう告げられ、天化の瞬きが止まった。
その動揺を読まれたのだと思う。太公望は薄く笑って、天化の言葉を待っていた。
天化は口に銜えていた煙草を灰皿にねじ込んで、それから「で?」と短く返した。
「呂望が望んだ。おぬしを愛しくお慕いしていたいと」
「それで」
「だから、わしはあの個体に渡したのだ。おぬしに触れたいという心を」
胸を撫でて、それから太公望は微笑んだ。
天化は、その先にある彼の意図を汲み取り、そうして尚更に眉をしかめた。なんて面白くない話だろうか。
「なら、あんたはなんでここにいんの」
ここは天化の、炳霊公の寝所だ。太公望がここにいる理由。目的。それは、天化との交合に他ならない。
なら、何故ここにいる。それは持って当然の疑問であった。
「好きでもないのに、ここに来る理由は」
「それをおぬしが望むから」
「……いつからそんなに殊勝になったさ」
「さて、いつからかのう」
魂魄が分かれたせいかのう。そんな風に笑って言う太公望。
天化は、そんな男の身体を蒲団に倒す。絡め取るように広げた襦袢の奥には、天化が何度も自身を刻んだ身体があった。
ぐちゃり、ぐちゃり。男の身体を内側から押し込め、広げながら、天化は先の遣り取りを振り返っていた。
「だから……っ」
嬌声を飲み込む喉の動きを見つめ、天化はぐっと唇を噛む。
「だから、呂望を抱いたら良い、のに」
嘲るように言った男の顔を、張り飛ばしてやろうかと思った。
「馬鹿なこと言うな」
「何故。所詮は、同じ容れ物であろう」
「馬鹿げてる」
どうしてか、男は天化が嫌がることばかりを言う。本人だって、自分のことをそんな風には思っちゃいないだろうに。
天化に向けられている刃のような言葉を噛み締め、天化はくっと目を閉じた。
「馬鹿げてる部分が、わしの身に残ったのだろう」
王奕の力で魂魄が分かれた。彼は、その魂魄をいくつもに分けることができる。それは知っている。そして、それらがまるで別人かのような存在になり得ることも、天化はよく知っていた。
「馬鹿げているから、おぬしとこのように興じるのだろう」
足裏で、ぐっと天化の腕を押す。
天化は太公望の中から指を引き抜き、そうして粘液の纏わりついた指先を見つめた。
「呂望に手を出しかけたこと、怒ってるなら謝る」
「そういうことではない。わかるであろう、わしの話が」
「でも、呂望は抱かない」
目の前に、あんたがいるのに。
そう言えば、太公望はゆるく笑ったまま言った。
「わしは、もうおぬしのことを愛していないんだよ、天化」
天化は、面と向かって言われた突き放しの言葉に目を伏せる。
「その気持ちは呂望の中にある。だから、あやつを抱いてやればいい」
「……俺っちを、嫌いになった?」
「違う。もう何もないのだ。好きも嫌いも、乞う気持ちも欲も。おぬしに対して、何も」
「なら」
自身の、力ない一物を擦る。ショックで萎えてしまったこのどうしようもない存在が、どうにか猛ってくれないだろうかと顔を伏せて待つ。
「また焚き付けるだけさ」
元より、強要から始まったような関係だ。また火を着ければいい。それだけだ。
顔を上げれば、太公望は不思議と無表情だった。本当に、あらゆる感情を呂望にくれてやったのではないかと恐ろしくなった。
「……呂望は、おぬしを愛してくれるのだぞ?」
「別に、あーたに愛されたいとは思わないさ……」
「虚しくは、ないか」
「虚しくても」
あなたは、元から――
「今更」
振り向いてなどくれなかったじゃないか。
「天化」
止められた。太公望のもう一方の手が、するりと天化の首に巻き付く。引き寄せられて、頭を胸に抱かれたかと思えば、すぅっと耳元で息を吸われた。
「すまぬ。おぬしの気持ちを……考えておらんかった」
「ホントだよ……」
どうして、それで天化が引くと思っていたのだろう。神格を得て、それでもこの人を探して隠居していた天化に、何故そんな言葉が通じると思ったのだろう。
「どうしてだろうな。おぬしと向かい合うと、どうしてか考えが至らぬ……」
大切そうに髪を撫でられ、目を閉じる。
「何故であろうか。他の者なら思い遣れるものを、おぬしの気持ちに寄り添ってやることができんのだ……」
「俺っちのこと、どうでもいいからだろ」
「あのなぁ……」
いつも通りの体温のある口調に、天化は思わず安堵の息を漏らした。太公望は、それを不満から来る溜息とでも取ったのだろう。少しだけ肩を怒らせ小さく唸っているのが聞こえて、つい笑ってしまった。
「……何もないというのは、違うようだな。わしは今、とても切ない思いをしておるぞ……」
「俺っちは、もっと切ないさ」
「なにおう……」
天化に対して考えが至らないというその根元にある心の動きは、一体何に由縁しているのだろう。
(……噛み合わないなぁ)
だから惹かれるのかもしれない。
自分にはできないことができるから。自分には考え至らないことをこなすから。
「おぬしは、愛されて良いのだ」
そんなふざけたことを言う。どの口がと、身体を離そうとすれば、彼は天化の意のままに、意のまま過ぎるくらいに天化を解放した。
「わしでは、愛してやれない」
悲しそうにそう言った。
「わしのままでは、おぬしを愛してやれない。だから、わしはすべてをあの子に渡した。愛されて欲しいおぬしを、わしは愛してやれないのだ」
「……かっこつけしい」
きっと、渡したくなかったのに、彼はどうしてか渡してしまった。大人ぶって涼しげな顔で、海より深いその心を。
「愛されたいわけじゃない。俺があんたを……愛したいだけなんだ」
「それでは、わしが困る」
「困れよ」
緩く抱かれた頭の感触より、それよりきつく太公望の身体を抱き締める。当然だ。だって、こんなものは奪うか奪われるかなのだから。
「勝手に困れ。何度だって惚れさせてやる。そん時まで、あんたとしない。フェアじゃない」
そう言えば、天化の腕の中で太公望が笑った。
「よしてくれ。おぬしが言うと、意地でも突っぱねたくなる」
愛したいというのが恋心であるならば、愛されて欲しいというのは、まるで慈愛のようではないか。
(あんたは、思ってるよりずっと厄介なものを残してるさ)
あわよくば、その慈愛が全人類でなく天化だけに向けられているようにと、頽廃した神はそんな横暴を思った。