「体力ないくせに、はしゃぎすぎたんじゃねーの。海水浴は思ってるより体力使うし」
ぶっきらぼうに言う声とは裏腹に、団扇を扇ぐ手は穏やかに風を送っている。
天化の吐く毒を真上から浴びながら、太公望は緩く目を開けた。
「おぬしだって…」
「俺っちは別だろ。自慢じゃねーけど体力ある方さ」
仲間内で、海の近くの宿に来ている。
確かに、海など滅多に見るものではないからはしゃいでしまった部分もある。
しかしだ、
「……まさか巨大鮫に追い掛けられるとは、誰も思うまい……」
「普賢サマが宝貝持ってて良かったさー」
と、そんなドタバタは置いておいて。
「おぬしは……良いのか、花火……皆、待っておるのではないか……?」
温泉を嗜んだ輩は、手持ち花火で遊びに外に出ている。一際はしゃいで出て行った天祥との雷震子の姿を見て、次元が同じとは……と苦笑した。
しかし、手持ちの花火も良いものだ。とかく、あれは美しい。
「みんなが待ってんのは、あーたの方さ。それが、体調崩すなんてバカだなぁ」
「おぬしだって、遊びたいのではないか……?」
「遊びたいけど、一人ほっぽりだしてはいけねーさ。寂しいっしょ」
「寂しくなどないわ」
「まぁまぁ、強がっちゃって」
ぱすんと団扇で顔を叩かれた。
額から昇る熱気が団扇で塞がれ逃げ場を失う。
太公望は、当てられたら団扇を押しのけた。
太公望に胡座の膝を貸している天化が、くすりと笑った。
「強がっておるのはどっちだ……」
「俺っち強がってねぇよ」
「本当は遊びに出たいくせに」
「まぁね、でもこっちも悪くねーよ」
団扇で扇ぐ手が、再び動き出した。
身体中を被うような熱気が、ふわふわと退いていく。
気持ち良くない訳はない。太公望はぎゅうっと目を瞑る。
「……はぁ」
「むしろこっちが悪くないっつーか」
「……何故」
尋ねる自分は、大概バカだと思う。
「んー……落ち着くし」
「おぬしは、騒がしい方が好きなのかと思ったが」
「まぁ、時と場合によるさ」
「重くないか……煙草も、吸えぬし」
「大丈夫」
目を開ける。はたはたと団扇が動く。目がチカチカとする。
「俺っちのことまで気にしなくて良いから。今は自分のがつらいだろ」
遠くを見ている。花火をしている皆が見えるのだろうか。そこに、自分は映っていない。
目がチカチカする。
「……わしからは、おぬししか見えんのだから、気にする」
遠くを見ている天化が、少し笑う。
「俺っちからは、みんな見えんなぁ。なんかバシャバシャ火の粉上がるのやってる」
「……向こうへ行けばいいのに」
――こちらを見ないのなら、構わなければいいのに。
湧き上がってしまったそんな気持ちで呟けば、天化がそろりと視線を落とした。
「またそーいうこと言う……ほってけねーってのに」
「うるさい、放ってく時は放ってくであろ」
団扇とは片側の手が、太公望の頭ぐしゃぐしゃと撫でた。まるで、その話はするなと打ち消すような、そんな乱暴な手付きに、太公望は首を振る。
熱で弱った頭が、ごうんと揺れた。
「もうよい。向こういけ」
「わぁったよ、ちゃんと見てるから……」
「こっち見んな」
「忙しい人さ……」
ぐずぐずとごねている。それがふてくされから来ていることを知りながら、太公望は天化の膝から頭を上げようとするのに、力一杯押さえつけられ、それも叶わない。
「馬鹿力やめんかい!」
「やだね」
「ぬう……」
「あーたは、俺っちだけ見とけばいーさ」
キョトンと、天化を見上げる。
外を見ているが、耳が真っ赤だ。日焼けだろうか。
「……だから、さっきからおぬししか見えん」
ぼけっと当たり前のことを返せば、「ふーん」となんでもないように返事をされた。
「天化」
「んー」
「天化」
「ハイハイ」
「天化」
「なぁに」
呼べば返ってくる返事に、太公望はにんまりと笑う。
それだけでもいいのだ。別にこちらだけを見て欲しいだなんて、そんなことは言いたくても言わない。
(……わがままめ)
聞き捨てたわけではないぞうと、天化の顔を見上げている。
(自分だけ、そんなわがまま言いおって)
自分はこっちを見ないくせに。どれだけ太公望が天化を見ているかなんて、気付きもしないくせに。
(わしなんて)
「……わしとおっていいのか……」
そう言えば、天化は口角を上げて、それから太公望の頭を撫でた。
「いんだよ、需要ねーもん」
「あるぞ」
「ねーよ。どっちか言ったらスースの方が」
「全然足りぬ」
うつ伏せて、胡座をかいた膝に手を添えて、そっと頭を擦り付ける。
わがままが通るなら、天化よりずっともっともっとわがままで、それだけでいいなんて、ちっとも思わない。きりがない。
「……人は弱ると甘えたくなるだけで、さぁ」
「気の迷いみたく言うな……」
「実際どうだか」
はたはたと団扇が動く。風が当たる。
目尻が熱い。頭に熱が上ったようだから、このまま、独占をしたまま少し眠ろうと決めた。
「……元気になったら、途端にこんな態度なかったみたいな顔するくせに」
そんな、素っ気ない呟きを頭の端で聞く。
嗚呼、だって、しかし、言い訳が頭の中で渦を巻いた。
(正気で好きだ好きだ愛してるなんて、謳えたものではない)
ふわふわと頭を撫でるその感触が嬉しくて、きゅっと目を閉じ直す。
「寝た?」
まだ、とは返事をしなかった。
「今度は、二人で来たいさ……」
やっぱり、天化の方がわがままで、太公望が思いもしないことを言い出すのだ。
「でも、スースはきっと、みんなとがいーよな……」
ゆっくりと顔を上げる。
どうしようもない優しい顔でそう言っていた天化に、太公望は思わずくしゃりと笑った。
ああもう、本当に、これだから需要が止まらない。
「二人きりも、楽しみにしておる……ぞ」
そう言えば、天化はすかさず口を尖らせ、「それ、なかったことにすんなよな」と言った。
「善処する……」
我ながら、あてにならないと思った。
(正気は、ハズカシい……)
今でも十分恥ずかしいのに、果たして正気に戻って耐えられるのだろうか。
そんなことを思いながら、正気に戻るべく目を閉じたのだった。