とんで間もない気の迷い


記しておかねばならない書類が終わらずに、うっかり朝になっていた。
本当にうっかりしたものだった。
体は若いままだから、一晩寝ないことなどなんの苦でもないと思い込んでいたが、なんてことはない。
(しんどい……)
そう零せば、執務室から追い出された。
風に当たってこいと言われたそのまま、わしは廊下の端でぼうっと椅子に腰掛けている。
(眠い……)
外の陽気の麗らかさに、頭だけがふよふよと浮いていくような錯覚を覚え、現実には首にくっついたままの頭を柵に乗せた。
(眠い……)
ぐずぐずと柵に頭をこすりつけてみても、その眠気はどうにも解消することがなかった。
これではいかんと、無理矢理柵から頭を引き剥がし、城下の景色を見る。
眠すぎて視力が朧というか、最早目が開いとらん気がして、目をこすった。
視線を落とす。石畳の上で、木刀を振っている天化が見える。
「てんか……」
口の中で呟いたはずなのに、その声は思いのほか大きかったのか、天化が気付いて振り返った。
ひらひらと手を振られたので振り返す。すると、天化は満足そうにニカリと笑った。
ああ、なんていい男だろう。
しゅっとして無駄のない輪郭に、真っ直ぐな黒髪。その合間に覗く眼の形は中性的で、しかし骨張った鼻筋が男臭さを感じさせる。大人になりきってい ない 顔付きはこちらの庇護欲を掻き立てるが、それを本人に言えば嫌がりそうなものである。
いつから吸っているのかは知らないが、口に咥えた煙草と鼻筋の傷がなんとなくの危うさを感じさせた。しかし、決して似合っていないわけではない。 むしろ似合い過ぎてい る。だからこそ危険極まりないのだ。
だって、いい男だから。
いつの間にか握っていた拳を一瞥し、わしはそっと肩を落とす。
「疲れておるのだな……」
眉間に指を当てて、やれやれと失笑した。
あれがいい男だのと褒め千切るようでは、もう意識の衰弱も甚だしいものである
「戻ろー戻ろー」
ぷいぷいと頭を振っていると、天化が「スース」とわしを呼んだ。
振り返れば、深い緑色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。
あれにじぃっと見つめられるのは悪くなくて、睨まれるのでさえどこか高揚する。
人は美しい物が好きであろう。それに似てる。決してわしが異質なのではない。
「疲れてるよーに見えるさ。無理すんなよ」
はぁ、もう、これだから毎日稽古の輩は。
訓練訓練また訓練のおぬしらに比べたら、わしなど余程楽なものだ。
心配されるようなことではない。まったく、これだから。
「あーもう……」
疲れておるのだなぁ。なるほどなるほど。
だからこんなにもああ……、無理だ。無理無理。
顔を覆って突伏したい気持ちだった。
「あー……」
ここから飛び降りたら受け止めてくれるだろうかなんて、とんだ眠気の気の迷いである。