七夕の


遊びのように始めたこの逢瀬も、段々と形式張ってくるわ、天気は悪くなる一方だわ、そろそろやめてもいいんじゃないか? なんて思い始める。
だって、見て欲しい、この洪水。一昨年の比じゃねぇわなんて一人で笑っている。こっちの岸には、あの人と違って、一緒にこの光景を眺めてくれる輩はいないもんだから。
「たはぁ……」
溜め息を吐く。結局今年だって、泳いで渡るのは俺っちの方だ。あの人は呑気に「天気が悪いということは、そもそも織姫と彦星は会えないのだから、わしらも会わんでいいのではないか?」なんて言い出すのだ。
とんでもない。
ふらふら掴みどころのないあの人が、律儀に毎年向こう岸に現れる。だったら、この機会を逃すわけない。
なんて言いながら、毎年毎年、水嵩の増した河を渡るのは骨が折れる。今年はなんか、とんでもない。死ぬかもしんない(死なないけど)。
「……でもなぁ」
ムッとする。毎年毎年ただ待つだけ。天候悪けりゃ諦める。
「会いたく、ないのかね」
岸には現れる。それが、どういうことかはわかるつもりだ。会いたくないわけじゃない。
でも、無理にでも会おうとするのはいつもこちらで、あの人はそれをただ待つだけ。
(俺っちが諦めたら、どうすんだろう)
珍しいこともあるもんだって、帰っていくんだろうか。それとも、此方側に来てくれる? ぼそりと呟く。――ありえない。
むしゃくしゃして頭を掻いた。
別にさ、こっちだってわざわざ無茶苦茶な苦労して、試練乗り越えてから会いたいわけじゃないんだぜ。その上、無茶をすれば「バカか」と言われる。
「……今年はやめとくか……」
そんなことで、来年から来なくなったらどうしよう。
薄っぺらい頭で考える。
「……したら、そこまでってことさ」
納得なんてしてないけど、納得したことにして、俺っちはすとんと岸に腰を下ろした。
泳ぐためにビニール袋に入れた通信用の宝貝を見て、着信に気付く。
「カバっちだ」
何用さ。あの人が、なんかやらかした? もしかして……もしかして、こっちに向かってたりして? なんて淡い期待を抱きながら、そっと内容を確認する。
『今年はちゃんと待ってるっスよ!』
「……待って……?」
ああん……? と眉間に皺を寄せた。
けど、一緒に送られてきた画像に、寄せたばかりのその皺がすぅっと広がった。ついでに、すぅっと、息を吸う。
「織姫サマ……」
恐らく、多分。
不貞腐れた姿は、どちらかと言えばゲテモノ。しかし、元々の童顔と華奢さが合間って、身につけている女物の華やかな衣装が妙に似合ってしまっている。けれど、結局身体構造は男なわけで、覗いているふくらはぎの筋肉が、繊細なその服装とはどうにも不釣り合いだった。
なのに、だ。
「やっべー……」
思わず口を手で押さえる。
嫌がって不貞腐れている。というよりは、恥じらっている。誰もあーたにそんなもの強要しないんだから、勝手に着たんだろうに。それを、自分で恥じらっている。
ポロンと頭のネジが落ちた気がした。
可愛いなんて思わない。似合ってはいるが、それと好みとは別の話で、俺っちは決して可愛いなんて思ってやらないんだけども。
けれども、不貞腐れてるのは、妙にクる。
無言で立ち上がる。ビニールに入れた宝貝から、更なる着信。それを見た。
『あ、着替え始めちゃったっス!』
合掌。
バカな俺っちは、自分の身体を信じて、荒れ狂う河に飛び込んでしまったのだった。


それから、どんだけもがいて泳いだろう。気付けば、なんとか岸に辿りつき、ふらんふらんと歩いていた。
「やー……流石に今回は、死ぬかと……いや、消滅するかと思ったさ……」
そんなことを言っていると、信じられないとでも言うような顔をしたカバっちと、太公望師叔がいた。
「あ、ス……」
すでに着替えていて、送ってもらった写真の服装ではなく、いつもの道着だったので、俺っちは、ちょこっとだけがっかりした。
アレを目の前にしたら、ケラケラと盛大に笑ってやろうと思ってたのに。
「こんの、バカ……っ!」
バ・カ?
イラッとして睨み付けようとした時だった。だっと駆け出したスースが、俺っち目掛けてタックルを繰り出したのだ。
や、違う。それはタックルではなかった。
飛び付いてきたのだと気付いた時には手を広げ逃がしていて、俺っちはばたんと地面に倒れ込む。その胸の上では、出るわ出るわ、ありとあらゆる罵詈雑言が吐き出されていた。
「あ、あんねぇ……こっちは、大変な中泳いで……」
「たわけが! こんな中……っ、こんな中泳ぐ奴がいるかバカ!」
「またバカって言ったぁ……」
わんわんと喚き続けるスースを見て、カバっちがふらふらと離れていく。苦笑いだった。
俺っちは一方で自分の通信宝貝を見て、はたりと腕を落とす。
(ちょっと見たかったから……とか、言えない雰囲気……)
だって、マジで怒られてるから。
「何かあったらどうするのだ! ここまで来ても、わしがおらんかったら? こんなのは遊びであろう! 無茶してどうする……こんな、くだらんことで、死んだらどうするのだ!」
死なないんですけどねぇ、なんて思いながら、反論はしない。
あんたにとっては遊びかもしんないけど、俺っちにとったら、大事な大事な賭けなんだよ。あんたがいなかったら、きっと身体以上に心ががっかりしたに違いない。そういう賭けなんだよ。遊びなんてとんでもない。
(泣きそうな顔)
珍しいなぁと思った。この程度のことで泣きそうな顔するなんて。
びしょびしょの身体から、スースの道着に水分が沁み渡っていく。吸い取られていく。生温いその感覚に、悪いことしている気持ちになった。
「疲れてんだから、怒んないでよ」
「自業自得だ、ダァホ!」
「だって」
――自惚れそうだ。
(真剣な目でそんなことばっか言われたら、愛されてる気はするんだよなぁ)
錯覚、かもしんないけど。
だから、それに免じて俺は言う。
「ごめん」
「もう絶対に、こんな無茶はするな」
「どーだろ。来年がどうかわかんねーさ」
「それでもするなら、わしはもうここに来ない。こんなお遊びはやめだ。わしは帰る」
「じゃあ……泳いで戻っかなぁ……」
キッと睨まれた。
あのさぁ、スース、それってなんの抑制になんないんだよ。だって、あーたがもし本当にいてもいなくても、俺っちまた向こう岸に現れる。橋が掛からなくたって、あーたがいるかもしれないって河を泳ぐだろうから。
怒れる視線を無視して、胸座に掛かる手を取る。するすると繋いで引っ張って、びしょぬれの身体の中に閉じ込めた。
錯覚するまま憶測すれば、あんたが河を渡らないこと、その理由だってわかってる。
(会いたくないわけじゃない。がっかりしたくないんだろ)
俺がその場にいないこと、それを知りたくないんだ。そんなこと、ありえないのに。
あんたがここにいるように、俺だってそこにきっと、いるだろうに。
そんなのは俺っちの都合の良い憶測で、感傷で、もしかしたら、この人の方こそ、俺に付き合ってくれているだけなのかもしれない。
(でも仕方ねーよな、俺っちのもんじゃねーし)
だから、この日くらい。この日くらいさ、もう来ないなんて言うなよ。
おとなしくしているスースの顔を覗く。
「……身体拭け。河臭い」
「うっわ! ひでぇ!」
「もう良かろう。風呂に入りたい。わしまで臭くなる」
胸を押される。身体が離れる。
さっきまでの罵詈雑言を繰り出したお口はどこへやら、今度はつんと口を尖らせて、ばしばしと身体を叩いている。すいませんね、びしょ濡れで。
「……あーあ、怒られた」
「バカなことをするからだ」
「……ま、心配されっと、あれだな」
顎に手を当てながら呟く。
「愛されてんなって、錯覚しちゃうさ」
ばっと振り返ったスースが、目を見開いて怒ったような顔をした。
「あ、ごめん。怒った?」
「錯覚、だと……」
「ごめんさ。勝手にそう思っちゃっただけだから、気に」
「やっぱり、帰る!」
「えー……」
宿に行って風呂入って、ねぇ一晩くらいはさぁ。付き合ってくれたっていいじゃんよ。
「なんだよ、こっちはすっごく会いたかったのに」
ぐっと押し黙ったスースはやっぱり不機嫌そうで、だけど何も言い返して来ない。
ほーら、やっぱり会いたいのは俺だけなんだ。そんな風に肩を落とす。
想像する。妄想する。あーたも、同じように思ってくれてたらいいのにな。同じように思って、言ってくれればいいのに。「わしだって、おぬしに会いたかったよ」って、言ってくれたら俺っちは何本だって河を越えちゃうのに(今だって、十分越えてるけど)。
「さっきから、錯覚だの……こっちは、だの……」
がっと口を開いたスースが言った。
「わしがどんな気持ちでここにおるか!」
「一昨年は釣りしてたさ。遊びのついでかなって」
「そ、それは、その!」
「今年は? 流石にこんな河だから、無理だって思った?」
「……来るかもとは、思った」
「来たね」
「おぬしが危険な目に遭うくらいなら、会わない方が良かった……」
「じゃあ、なんで待ってたんさ」
視線が落ちる。言いたくないことを言うんだなって思った。
「……会いたかった、からだろう」
愛は、錯覚だと思う。けど、会いたいと思ってくれる気持ちは、思い込みじゃなかったと知る。
「良かった。一方通行じゃなかったさ」
口にしたくないことを口にして、少し苦そうな表情をしているその顔を持ち上げる。つんと尖った唇に自分の唇を重ねて、今日の権利は俺にあるのだと確認する。
「……今日だけ、なのだぞ。安上がりな男だな……」
「お陰様で」
「わしには、そういうのは無理だよ」
だから、すごく我慢している。そう言ったスースのその言葉は、俺っちに拘束されるこの1日の事なのか、それとも、別の事なのか。俺っちにはわからなかった。だから、前者なんだろうと思い込むことにした。
「貴重な一晩だから、さっさと風呂入ろ」
「さっさと終わらせたいのう」
「またそういう意地の悪いこと言うー……」
「言われたくなかったら……」
ゆるりと見上げてきたスースの瞳が、何か言いたそうにしている。それを見て、俺っちは首を傾げた。
「何?」
「……いい。なんでもない」
そう言いながら、手を繋がれた。
だから、俺っちは思い込む。
“言われたくなかったら、繋げておけ”ってこと、なんだと。