世界の秘密・望ちゃんと椅子取りゲーム


重箱の隅をつついたところで、出てこない物はたくさんあるし、まして、そこに何もないのであれば尚のこと。しかし、どうしてもつつきたくなるのは、そこに何かがある予感がしているからだ。
「天化ちゃんは、不思議ね――」
ふらんふらんと、頭を揺らした望が言う。二つのおさげが、ぽぽんと跳ねた。
「んー?」
黄天化は、くわえた葉っぱをぺっと吐き出す。
やっぱり、これよりは煙草の方が美味いのだと、懐から箱を取り出し煙草をくわえ直した。
天化は、太公・望を振り返る。
「のぞみっちほどじゃないさ」
「え――?」
ぺとぺとと天化に寄ってきた望が、ぺとんと座った。
「天化ちゃんは馴染んでないのね――楊戩みたい――みんな仲良くしよ――よ」
「あの人は馴染んでるっしょ……」
有能だから、どの世界にいても、どの次元にいても順応する。設定についていけないのは、天化のような融通の利かないタイプばかりだ。
設定の話はともかく。
「のぞみっちが教えてくれたこの世界の秘密ってさぁ、他に誰か知ってるさ?」
「あら――そんなこと話したかしら――?」
「話した話した」
確かに、あんたがはっきりと。
そう伝えても、望は不思議そうな顔をするばかりだった。そもそも、普段から気の抜けたような顔をしている。自分で話したことも覚えていないのかもしれない。
「この世界は何度も繰り返されてるって、のぞみっちが言ってなかったっけ?」
「そんなこと言ったかな――」
「……俺っちも自信なくなってきたさ……」
確か、望が、天化に言ったのだと、思う。確か。
同じ時代が別の次元に複数あり、それはある存在の手によって繰り返し繰り返し、所謂ループをしているのだと、確か彼女に準じる者がそう言ったのではなかったか。
天化は、わずかに残る情報の一端が、すとりと脳に刺さったような錯覚を覚え、そっと額の鉢巻きを押さえた。
「のぞみっちも、大概不思議さ」
「そうかしら――」
この違和感はなんだろう。
確かに実在しているのに、この世界とずれを感じさせる、この違和感は。
「のぞみっちが俺っちを不思議って言うなら、多分俺っちの方がこの世界に似合わないんだろーね」
「なんで――?」
「そりゃあ、あーたがこの世界の主人公だから」
天化が望と捉えている存在が言うことには、そういうことなのだ。
天化の違和感は、きっと天化がこの世界にとって異端な存在だから。だから違和感を拭いきれない。何がと上手く言葉には出来なかったが、このわだかまりは、違和感それそのもののせいで蔓延っているに違いなかった。
「この世界にゃ、足りないものがあるよなぁ」
「なんだろ――、アミノ酸かしら――?」
「……それは違うと思うさ……」
しかし、そんなもんなのかもしれない。体内の栄養みたいな、なくなってみないとわからないものなのかもしれない。
我ながらテツガクしてるなと、唇を尖らせる。
「それよか、のぞみっちは何用で? あーたが俺っちに用事なんて、珍しいさ」
「そそ――そういえばこれを――」
ばばーんと彼女が取り出した巻物は、取り出された勢いでばらばらと開いてしまった。
「あーあ……」
「ここにね――天化ちゃんの名前があったのよ――」
転がって行く巻物の端、それを追い掛けようともしない望。眺める天化。
「……この、何千人も名前が書いてありそうな、どこに俺っちの名前が……?」
「どっか――わっすれた――」
予想の範囲内の答えに、天化は僅かに肩を落とした。岩山の下まで転がっていく巻物の端を、遠くにいた四不象が、「ゾッフィー」と鳴きながら指差す。
「あ、そう多分、あのへん――」
「あの辺……」
それよりも、この書は一体何なんだと、望の手にある巻物を受け取り、天化は頭の方に書かれている文字を読む。
「……封神の書」
――封神。確かに聞き覚えがある。聞き覚えがあるが、それが一体何を意味するかを天化は知らない。
「のぞみっち、これをどこで?」
「わかんないのよ――いつの間にか四不象がね――」
「ゾッフィーが……」
「難しいことはわかんないけど、天化ちゃんは気を付けた方がいいと思うのよね――」
「へぇ」
これが何かもわからないのに、彼女は気を付けろと言う。崖の下でぼけっとしている四不象を見て、天化はやれやれと首を振った。
「あいつに聞いても、これが何かはわかりそうにないさ……」
そもそも、何を言っているのかもわからない。
「それを伝えようと思って」
望の目が遠くを見つめる。
「もしかしたら今じゃないかもだけど、けどさ――、いつか天化ちゃんがいなくなっちゃうかもしれないからね――」
何も知らないのに、彼女は気を付けろと言う。
「のぞみっちも、テツガクしてるねぇ……」
「哲学?」
視線を天化に戻した望が、天化を見てへらりと笑った。
「のぞみっちが言うなら、気を付けるさ」
「そうして――」
「はぁーい」
望の口調に合わせて間延びした声で答えれば、望は何が楽しいのか、カラコロと頭を揺らした。
「望は、天化ちゃんのこと好きよ――」
「ん……?」
いきなりの告白に、天化の思考回路が止まる。
「天化ちゃんはね――ポカポカしてるからさ、望は好きなんだなこれが――」
「それは嬉しいけど」
多分、純粋に、ただ好かれてるだけだろう。相手が望だし。
そんな風に思って天化が然程相手にしないでいると、望はそれをいいことに、天化の背後に回って、後ろからぎゅっぎゅと抱き締めた。これが、なかなか力がある。天化は短く「ぐえ」と声を上げた。
「えへへ――」
「の、のぞみっちは意外と力持ち、さべっ!」
「ありゃ――」
四不象が巻物の端を、器用にも天化目掛けてぶん投げた。その勢いのまま宙に飛んでいく巻物、それを望が追い掛ける。
「あらあらあらら――! 待って――!」
「あって……ったく……」
紙とは思えないダメージを顔面に受けた天化は、鼻先をさすりながら顔を上げた。遠くにいたはずの四不象が、いつの間にやら隣に無言で立っている。
「……あのさぁ」
「ゾッフィ――」
「あーた……本物のゾッフィーはどこにやったさ……」
「……何を言うか」
ばさりと黒い布が翻る。すとんと天化の隣に座った少年が目を細めて笑った。
「わしは元々ゾッフィ……じゃない、スープーシャンだぞ」
「鳥(?)の頭から人に化けておいて、何言ってんの」
頭だけではない。服装まで変わっておいて、何を言っているのだ。
天化が見やれば、少年はグローブをした手をパンパンと叩いて「細かいことは気にするな」と面倒そうな口調で言った。
「あーたか、世界の秘密を知ってんのは」
望に準ずる存在。望に化けて天化に秘密を囁いたのは、彼かもしれなかった。よく見れば、望のフードと同じ外套を羽織っている。
「のぞみっちの親戚?」
「さぁ、どうであろう」
敵意は感じない。だから宝貝にも手を掛けないでいる。しかし、望と哲学したばかりだ。油断はできない。
「質問変えて良い?」
「ドーゾ」
「あーたは、この世界の人間?」
「半分イエスで半分ノーだ」
「……やれやれ、こっちもこっちでテツガクか……」
世界の秘密など、知らない方が良いのかもしれない。真実が気になって仕方ない。
天化は胡坐をかいた脚に肘を突いて、頬杖で頭を支えた。
「さっきの、封神の書はあーたの私物?」
「イエス」
「封神って何?」
「イエスかノーで答えられる質問にせい」
「いつから出来たんだ、そんな決め事……」
「今だ」
「じゃあ」
イエスかノーかで答えられる質問、と考えている。そんな天化の横顔を、少年は楽しそうに眺めている。
「……あんたは俺のことを知ってる?」
「イエス」
「俺っちはこの世界の存在?」
「……イエス」
「本当に?」
「本当に」
本当かよ、と呟けば、それこそ楽しそうな意地の悪い表情で天化を見てくる。わけがわからない相手だった。
「俺っちが抱えてる違和感の理由を、あーたは知ってる?」
「ほう」
そそそと近付いて、触れるくらい隣に並んだ少年が、間近で天化を見上げて呟く。
「やはり頭は良いのだな」
「頭は、って何さ……」
「何、上手い質問をしてくると思っただけだよ。イエスだ」
ぽてっと天化の肩に頭を乗せる少年に、天化は首筋がざわつくのを感じた。
「な……」
「ポカポカしている、か……あやつも上手いこと言ったもんだのう」
「の、のぞみっちのこと……?」
「うむ」
知らない奴にいきなり頭を預けられ、それが気分の良いことではないはずなのに、それでも天化は振り払えないでいる。それが何を意味するか、彼にはまったくわからない。それなのに、だ。
「今、わしの存在は、おぬしのとって違和感だろうか?」
「……どうだろう」
違和感か、そうでないか。自分の胸に聞いてみる。とくとくと血液は音を鳴らすが、それでも、謎のわだかまりは騒がない。
そっと、肩口に乗っている少年の頭に頭を近付けた。軽く当たる。
「ノー、かな……」
「そうか」
ほっとしたような声色に、天化の胸も何故だかほっと安らいだ。
「そうだと良いと、思っておったのだ」
掠れた小さな声で「うれしいものだな」と言った少年が、ゆっくりと顔を上げる。そして、立ち上がる姿を見上げて、天化はなんとなくの寂しさに襲われた。
外套を掴もうとしたが、それはできず、何も掴まない内に戻した手には、どうしてか力が入らない。
「あーたは誰なんさ……」
答えない。
「あーたはどっから来たの」
答えない。
「あーたは、俺の何なんだよ!」
やはり、答えない。
振り返りもせずに歩いていく姿を捕まえる権利は、何も知らない天化にはないのだろう。腰に差した宝貝で止めることもできたろうに、天化はそれをしなかった。
これは、あの人に向けるものではない。
「ねぇ!」
イエスかノーか、せめてそれだけでも欲しかった。
「また会える?」
ゆったりと振り返った凛とした表情が頷いた。
「イエス」
その「また」は、いつ来るのだろう。何十、何百、何千と、何万と、いつやってくるだろう。それを知るのもきっと、あの少年だけなのではないか。
この世界は、あと何度繰り返せば、あの少年の名を教えてくれるのだろう。
「おっまったせ――」
巻物を捕まえた望が戻ってきた。彼女は、天化の顔を見て、ぎょっと口を開けた。
「ど――したの天化ちゃん! いじめられたの――?」
「え?」
頬に違和感を覚えて軽く拭うと、つうと一筋だけ、涙が零れていた。
「大変、大変!」
望が、袖を差し出してくる。けれど、天化はその袖に触れることなく、望のフードに手を伸ばした。
裾を拾って頬を拭ってみたけれど、切ないかな、彼の人と同じ匂いはしなかった。