真情クレジット


HR
【3年~冬~】

(バカの大豊作)
そんな自分の大予言を振り返り、坂田銀八は出席簿で自分の肩を叩いた。薄汚れた白衣の裾を蹴って、ふと視線を落とす。――これほどバカが揃う年も、もうないだろう。そんな風に思っていた時だった。背後から、カラカラと笑う声が聞こえて振り返る。
「なんじゃあ、何か悲しいことでもあったがか、銀時」
「……どちらにせよ間違うんだな、お前は」
「何のこっちゃ」
「いや、こっちの話」
そう言って、ふいと顔を背けた。
坂本辰馬。古くからの友人で、銀八と同じく銀魂高校の数学の教師である。
「そろそろ卒業式じゃのー」
「なぁ」
「どうじゃった? おんしゃあ、一年の時から見てた学年じゃろ?」
現在でこそ3年Z組の担任をしているが、あの暴力的なバカの揃ったZ組を任されるまでは、何事も対岸の火事。まだ分散されていたアホ共を視界の端に入れながらも、比較的平和に教師をやってきたつもりである。
(トドメとばかりにバカとアホを集めやがって、あのババア)
学園長兼銀八のアパートの持ち主、お登勢の顔を思い出し、つい煙草を銜えた口角を上げてしまった。
「これで、奴らが平和に卒業してくれたら、それで俺は万々歳だよ」
「あっはっはー、無理じゃろー」
そう言って笑いながら職員室に入っていく坂本の背中を見て、ふっと笑った。
「奇遇だな、辰馬」
「あー?」
「俺も、そう思う」
今日も一日が始まる。
もう少しでセンター試験。まだ進路の決まっていない輩に、纏めて激励を送らなければならない。銀八は、出席簿を当てたまま首を曲げた。こきんと骨が鳴った。
3年Z組ができるのは、実は奴らが入学してきた時からわかっていた。
明らかにストレート進学ではない年齢層の生徒が入り混じる入学式を、春の穏やかな屋上から眺めていた。その時から、何か良からぬ予感はしていたのだ。


一時限目
【一年~春~】

「今年は豊作だな」
入学式を遠目に眺めていた坂田銀八は、同僚の服部全蔵に向かって呟いた。
「ああ? 並みじゃねぇか?」
「いやー、今年は多いみたいよ」
「いやいや、そんなことねぇな。何せ俺のセンサーが反応しない」
「……何の」
「いや、女子の話だろ」
銀八は、見当違い全蔵にあからさまに溜息を吐いて見せた。
「大体なぁ、お前のセンサーは圧倒的にブス専だからあてにならねぇよ」
「言ったなぁ! テメェのセンサーはどうなんだよ!」
ほれほれ、と白衣をぶらさげていた肩を叩かれ、銀八は溜息混じりに白衣を広げる。袖を通し、ぴっとネクタイを緩めた。
「ガキにうつつ抜かすかよ。俺のセンサーはこう告げている。今年は……」
屋上から見下ろした。下校していく一年生たちを横目に、銀八は言い放った。
「バカの大豊作だ」
「アホのお前が言うならそうなんじゃねーの?」
バカにしたように笑った全蔵に、口から出したレロレロキャンディをぴっと向けて「うるせぇ」と言ってやった。
「前から思ってたんだけどよ、その煙草どうなってんだ……?」
「煙草じゃありません。レロレロキャンディです」
「あ、そう……」
長い前髪の向こうで恐らく目を逸らしているのだろう全蔵の顔を見て、銀八ははたと瞬きをした。
「ああ、こいつのせいか」
手に持ったキャンディを見る。キャンディというより、煙を上げて自身を燃やしながら、身体に悪くも芳しい煙を上げる煙草をだ。
「何が」
「いや、朝から新入生に睨まれて」
「はぁ?」
「多分、新入生」
ぼんやりと思い出す。すごい目をしていた、ということしか思い出せない。それから、このご時世に貴重な黒髪ストレートだということくらい。
(ああ、それならウチの新八もストレートか)
そう思い返し、一度キャンディを銜えて、ふっと煙を吐いた。いつの間にか、指に普通の煙草を挟んでいる銀八に、全蔵がげっそりとした表情を浮かべる。
「なぁ……本当、その煙草どうなってんの?」
「ああ? だからキャンディだって」
「嘘だろ、明らかに!」
「うるせぇなぁ……アレだよ、イリュージョン」
「ああ、イリュージョンかー、なるほどー……って、そんな答えで納得する奴いるか!」
叫んでいる全蔵を背に、銀八は白衣のポケットにしまってあった煙草の箱を眺めて「うーん」と唸った。
「最近の高校生は、面倒くせぇんだな」
先公が煙草を吸っていようが、酒を飲んでいようが、正直どうでも良かった。大人とはそういうものだと思っていたし、実際、自分もそう変わらない大人になってしまったし。
「キャンディだって言えば、あんな顔しなかったのかねぇ」
ぼそりと呟いた。

◆ ◆ ◆

「やっべー! 入学式から職員会議遅刻かよ!」
ベタベタとゴム製の便所サンダルを鳴らしながら走る。駆け抜ける途中で、クラス表を持った生徒たちがきゃらきゃらしているのを見ながら、ふっと微笑んだ。
「やれやれ、パリっとした制服着ちゃって……」
そんな中に、猫耳を付けた中年女性を見て、銀八は思わず二度見する。
「はぁ?」
呆けてる間に、柱にぶつかった。
「あだぁ! な、なんだ今のは……」
そんな銀八の横を、無精ひげを生やしたグラサンの男が歩いて行く。
「……え、俺より年上じゃね……?」
思わず呟いた。
(今年は、なんかおかしいぞ……)
滅多やたらなことでは動じない銀八と言えど、流石に異変に気付いた。
(なんか、ちょいちょい変なのがいるぞ……?)
ただでさえ変な教師の多い学校だが、生徒ばかりは普通だと思っていたのに……と、眼鏡の向こうで遠い目をした銀八は、ふるふると頭を振る。
「いやいや、まだ始まったばっかだしな、うん……」
柱を避けて、再び走り出した時だった。びたん、と何かに当たった。びたん、なんてもんじゃなかった。ごつんという音も聞こえた気がする。この忙しい時に。
「い……ってぇ!」
あまりの衝撃に倒れ込んだ銀八が、がばりと起き上がると、そこには、同じように床に倒れていた生徒がいた。
しかし、ここは生徒だろうが関係ない。何の躊躇もなく、自分と衝突したであろう相手を怒鳴りつけた。
「何処見て歩いてんだテメェ!」
その声がハモった。
はっとして、涙で霞んだ目元を拭う。そこには自分より少し背の低い男子生徒が、これまたパリっとした学ランを着て座り込んでいた。
「って……先公かよ」
ぼそりと呟いた彼に、銀八は一応顔をしかめる。
初日から先公呼ばわりとは、やってくれる。ずれた眼鏡を外して、フレームが歪んでいないかと日に透かして見ていた時だった。
銀八と衝突した生徒の元に、ゴリラのような図体と顔をした生徒が駆け込んできた。
「おい、トシどうした! 向こうの廊下まで聞こえたぞ、ゴーンって音! 大丈夫か?」
「ああ、近藤さん……大丈夫だ。俺も寝惚けてたらしいわ……」
銀八はそれに気付き、眼鏡を掛け直す。そして腕時計を見た。それが指し示す時間は、とっくに遅刻枠さえも超えていた。
溜息を吐く。そのまま生徒用玄関の段差に腰掛けて、懐の煙草を探る。
「はー……遅刻だな」
そんな言葉を呟くと、ゴリラ顔の生徒が銀八の顔を覗き込んできた。
「先生、職員会議とかないんすか?」
「だから、遅刻だって。もういっかなーなんてよー……どうせ一年持つのは決まってるし……」
「え、先生、一年の担任なの」
「君たちはドキドキワクワクして楽しみにしているかもしれないけど、先生たちはとっくに知ってるからね……まぁ、精々発表を楽しみにしていたまえ。ゴリラくん」
「いや、ゴリラじゃねぇよ、俺……近藤勲という立派な名前が……」
「近藤ゴリラくん、そろそろチャイム鳴るんじゃね? お前も遅刻するんじゃね?」
「や、今の先生に言われたくねぇ……って」
そんな時だった。生徒用玄関に、チャイムの放送が流れる。
「あー! 本当だー!」
近藤は、慌てて走り出した。近藤が放り出した鞄を引っ張り上げ、銀八と衝突したばかりの生徒がその後を追う。
あまりに手慣れている一連の動作に、煙草を口に銜えたまま笑った銀八を、そんな彼が振り返った。
「ん?」
酷い目付きだった。まるで親の敵のような目で見られて、銀八はひらりと上げた手を引っ込める。
(人殺しそうな目してら)
結局、無表情で見送ることとなった銀八に一応の会釈をして、その青年は去って行った。
「なんだ、あいつ……」
近藤と同じように慌てているか、もしくは、どうでも良いとばかりにゆっくりと校舎に向かう生徒たちの中、銀八はせめて職員室に顔を出さなければなるまいと腰を上げた。
その時だった。
「銀ちゃーん!」
「かぐ……だぁぁぁぁ!」
でかくて白い犬に乗った桃色の髪の少女に突撃され、銀八は玄関口に再び突っ伏すのであった。


「銀八ィ! あんた初日から遅刻しようなんざ、良い度胸してんじゃないか!」
頭に白い犬を噛み付かせ、血を垂れ流したまま理事長室に入ってきた銀八を、銀魂高校の理事長・寺田綾乃こと、お登勢が怒鳴り付けた。
「別に先公にとっちゃ初日じゃねぇだろ! 大体なぁ、俺ぁ聞いてねぇぞ! なんであいつまでウチの学校来てんだ!」
「仕方ないだろ。神楽が勝手に受験してたんだから、あたしらに口出す権利はないさ。まぁ、誰も知らない学校行くよりは、新八やあんたがいる所選んだ方が良いに決まってんだろ」
「あのなぁ! 俺の苦労がまた一つ増えただけに過ぎねぇだろうが!」
「学校ではおとなしくって言い聞かせておけばいいだけだろ」
「既に! おとなしく! ねぇんだよ!」
銀八は、頭にかぶりついてじゃれてくる白い犬、定春を振りほどこうとしながら叫んだ。
「留学生ったって、これはねぇよ。これは常識範囲外だよ。規格外サイズだよ!」
「まぁ、犬に乗って登校しちゃいけないって校則はないからねぇ……」
暢気にそんなことを言いながら煙草をふかすお登勢。
銀八はようやく定春を振りほどくことに成功し、理事長室から出て行こうとした。
「こら、待ちな、銀八。これから入学式だっつーのに、どこに行こうってんだい?」
「うるっせーな……別にどこも行きやしねーよ……校内にはいる」
「そういう問題じゃないよ!」
怒鳴られ、銀八は早々に理事長室から逃げ出すと、一目散に駆け出した。その後を、定春が追い駆けてくる。校舎の中にお登勢の怒声と、定春の足音が響いた。
定春は、先程銀時に突撃してきた留学生、神楽の飼い犬である。それが、何故銀八にこれだけ懐いているかと言うと、銀八と神楽はお登勢のアパートの同じ部屋で同居していたことがあったからだった。
そこには、今日入学しているはずの志村新八も含まれる。
「……今年はちょっとばかし面倒だな……」
今年は、というより、これから始まる三年間が、である。
「あおん!」
屋上まで逃げ切った銀八の背中に、定春がじゃれつく。
「だから、入学式くらい勘弁してくれ、ババア!」
そう叫んで、屋上で大の字になった。
しかし、そんな銀八の心配を余所に、一年時に持ったクラスは至って普通の生徒の集まりに過ぎなかった。お登勢を始めとした銀八をよく知っている上司たちのことだから、最初から奇才(内訳:バカアホマヌケ)のオールスターズを作り出すかと思っていた銀八は、初日の教壇に立って、つい拍子抜けしてしまったのだった。
「よう先生!」
「おお、さっきのゴリラ」
帰り掛けの一年に声を掛けられ、銀八はやけに濃いその顔を記憶の中から捻出する。ついでに、頭を打った痛みも一緒に思い出して顔をしかめた。ゴリラ、もとい近藤の背後には、その痛みの元凶がいた。
(また睨まれた……)
煙草からゆるゆると上がる煙を見ながらそんなことを考えていると、近藤が口を開く。
「先生、入学式いなかったろ? 俺、一応探したんだけどなー……確か、坂本先生?」
「違う違う。坂本は別のクラスの数学教師の毛玉でバカな奴。俺ぁ、坂田だよ。坂田銀八」
「なんだよ、ややこしいから先生は、銀八先生な……俺のクラスの先生じゃねぇじゃん」
「なんで俺がゴリラの指導員にならなきゃなんねーんだ。大体、お前のクラスのせんせーです、とは言ってないだろうが」
「それもそうだけど……って、先生、俺ゴリラじゃねぇよ!」
そう言いながらも笑って返してくれる近藤に、銀八は目を細める。
その背後からもう一人、ぴょこんと顔を出した。隣にいる人殺しの目をしている生徒とは打って変わって、可愛らしい団栗眼をした茶髪の青年に、銀八は首を傾げて見せる。
「おやおや、先生なのに煙草に銀髪たぁ、またとんでもない先生ですねィ。それと、近藤さんはゴリラですが、あんまりゴリラゴリラ言うと傷付くんで、勘弁してやってくだせぇよ、銀八の旦那」
「おお、悪かったな、ゴリラ」
「ほら、ゴリラ。先生が謝ってますぜィ」
「総悟……お前も言ってる。ゴリラって言ってる……」
どうやら青年の言う通り、あまりにもいじめすぎると凹んでしまうようだ。先程よりもしょんぼりとしている近藤に、銀八はやれやれと口を閉じた。
「総悟、テメェもいい加減にしやがれ。近藤さん、気にすんな……」
「ああ、トシ、いいんだ……ゴリラって言われるからにはきっと、俺にはゴリラに準ずる何かが……」
ようやく介入して来た黒髪の青年に、銀八は思わずぶつけた額を撫でた。青年も同じことを思ったようで、途端にしかめっ面になった。
「おや、何かあったんでィ?」
そんな様子を、茶髪の青年が口を出す。すると、黒髪の青年は近藤を連れて、さっさと歩いて行ってしまった。
「先生、さよーならー!」
近藤だけが銀八にひらりと手を振ったので、それに応えてやる。
「ハイ、さよーならー」
銀八は、自分の隣に残った茶髪の青年を見下ろして、肩をすくめて見せた。
「お前は行かないのか?」
「旦那ぁ、土方の野郎となんかあったんでィ?」
「土方ぁ?」
聞き慣れない名前に銀八が首を傾げると、青年は続ける。
「あの目付きの悪いクソ野郎でさァ」
「ああ、まぁ……大したことはねぇよ」
「ふーん」
疑い深く銀八の顔を見上げてくる青年から逃れるために、銀八は煙草を口から引き抜き、そっと煙を吐いた。
「それと、旦那じゃありません。先生です」
「はい、センセー」
それ以上の会話はさせてもらえないと踏んだのだろう。青年は頭の後ろで腕を組むと、二人の後を追おうとした。その途中で振り返る。
「あ、先生。俺、沖田総悟って言います。以後お見知りおきを」
そう言ってにっこりと笑った沖田に、銀八はひらりと手を振った。
「へいへい、気が向いたらね」
そんな沖田と神楽が同じクラスになったことで、平穏無事な銀八のクラスにまで戦争の片鱗、破壊音が届いていたのは言うまでもない。
はたまた別のクラスでは、ホームレス高校生がいるとか、怪物のような転校生がやってきたとか、そんな話が絶えなかった。結局平和なのは自分のクラスだけで、はた迷惑な学年なのに変わりはなかった。


【一年~秋~】

ある日の屋上。新八と神楽と重箱弁当を囲んでいた時のことだった。
「最初は、なんかえらい学校来ちゃったなって」
「そうアル。とんでもない猛者ばっかりの学校に来ちゃったネ」
シュッシュとシャドーボクシングを始める神楽を見上げて、新八が言う。
「いや、神楽ちゃん、その元凶だから。その内の一人だから」
そんな風に、一緒に暮らしていた頃と何ら変わらない会話をする神楽と新八を見て、銀八はふーっと煙草の煙を吐いた。
「銀さん、煙草の本数増えてません……?」
「うるせぇよ、ぱっつぁん。いろいろあんだよ、先生も。っていうか、学校では先生って呼びなさい」
「はい、先生」
「はーい、センセー」
新八に倣って銀八のことをセンセーと呼んだ神楽が、びっと手を上げる。
「でも、銀ちゃんセンセーに、煙草は似合わないアル」
分厚いレンズのぐるぐる眼鏡の向こうで、瞳をまんまるにしながら言う神楽のその眼鏡も似合ってない。そんなことを思いながら、銀八は自分の眼鏡を上げた。そして、煙草のフィルターを摘んで、口からずるりと引っ張り出す。
「いや、これ煙草じゃねぇから。レロレロキャンディー」
「だからどうなってんだ、その煙草ォォォォ」
ついツッコミに専念してしまった新八が、こほんと咳払いをして秋空を見上げた。
「来年は銀さんのクラスがいいなぁ」
「あ、新八ずるい! 私も銀ちゃんのクラスがいいアル!」
そんな風にわーきゃーと騒いでいる二人に、銀八はレロレロキャンディーを口に含みながら口角を上げる。
「まだ二学期も終わってねぇんだ。油断してるとテスト落とすぞ」
「はーい、センセー」
声を揃えて返事をする二人に、銀八は尚更笑ってしまった。
こうして三人で昼食を取るのも悪くはないが、どうしても大飯食らいの神楽がそのほとんどを平らげてしまう。そうなると、育ち盛りの新八が食いっぱぐれないように密かに身を引くのはいつも銀八であった。
「腹減ったな……」
購買部で菓子パンを選びながら、ぼんやりと呟いた時だった。昼休みも後半であるから、人のいないはずの購買部でなんとなく圧迫感を感じた。隣を振り返る。
「おや……」
そこにいたのは、確か風紀委員で有名な三人組の中の一人、土方だった。
「多串くんじゃないの」
しかし、沖田から一度聞かされたきりの名前を銀八が覚えているわけもない。顔は知っているが名前は知らない。だから、適当な旧知の友人の名前を当てはめることにした。
「……誰スか、それ」
すると、隣にいた土方は銀八を振り返り、人を殺しそうな瞳を上げる。
途端に、なんとなく、ほんのなんとなくであるが、銀八の中で火花が散ったような気がした。
(あれ、なんだろう。この気に食わない感じ)
自分でさえもよくわかっていないが、心のどこかで告げている。とりあえず『コイツ気に食わねぇ』と。そんな気持ちを白衣の上から撫で付けた。
(いやいや、俺がガキならまだしも、もう立派なオトナで先生なんだから、この感情はいかんよ。なぁ)
それでも、隣の彼の瞳は凄みを増す。
(挑戦的な目ぇしてくれちゃってまぁ……)
思わず、口角を上げた。
土方は購買部から見事にマヨネーズ物のパンばかりを買い締め、そして、代金を払おうと財布を引き抜いた。そこで、銀八は思わず声を上げる。
「あー、おばちゃん。イチゴ牛乳ひとつ。この多串くんにツケといて」
「は、はぁ?」
そしてまた、おばちゃんも良い感じで空気を読まない。「あいよー」などと言いながら、クーラーからいちご牛乳の紙パックを差し出した。
それを受け取り、さっさと歩いて行こうとする銀八。
土方は律儀にもさっさと金を払い、お釣りを受け取ると、そんな銀八の肩をぐっと掴んだ。
「おい先生、何考えてんだ! 生徒にたかってんじゃねぇよ!」
食い付いた! とばかりに、銀八は振り返る。
「だって、多串くん、お金一杯持ってそうだったんだもの」
「だものじゃねぇよ、だものじゃ! ていうかふざけんな! 金寄越せ!」
「えー、いいじゃん百円くらい……」
「たかが百円、されど百円だっつーの!」
ばっと手を出す土方の目に、明らかな動揺が浮かんでいる。
「そういう顔もできるんじゃん」
「は……?」
「いっつも人殺しそうな顔してるからよう、どんな殺伐とした高校生かと心配になったぜ、先生は。ビー○ップなの? バッ○ボーイズなの?」
そう言って、白衣のポケットの中を探る。
「どっちかって言うと、今日から○はノリだよねぇ……あ、やべ! 本当に金持ってなかった」
入っていたのは、チョークボックスと飴の包みとガムとチョコ。
「なんだ、お菓子ばっかじゃねぇか……」
呆れたように呟いた土方に、銀紙に包まれたチョコレートを渡す。
「涼しくなってきたから溶けないし、もう持ち歩いてもいっかなーって思って入れたばっかりだったのになぁ……」
「べ、別にこんなの……!」
「アレだよ、借金手形代わりに持っておけって。そしたら忘れないだろ」
トーンを落とし、銀八が「俺は忘れるかもしんないけど」と呟いたのを、土方は聞き逃さなかった。
「それ逆だろ、普通! 借りた方が忘れてどうすんだ!」
「まぁまぁ、良いじゃないの、多串くん」
そう言って、ひらりと手を上げた銀八に、土方が叫んだ。
「俺ぁ、土方だ!」
うん? と振り返る。嫌みったらしく笑っている銀八に、土方は再び目付きを鋭くして呟いた。
「それと、湘南純○組派ッス……」
手にパンを抱えて背中を翻し、さっさと走って行った土方に、銀八ははたと瞬きをする。
何のことかと思えば、先程の銀八の戯言に対してのお返事か。
「……ぷっ」
思わず吹き出した。手に持ったイチゴ牛乳に視線を落とし、抱えたばかりの感情を肯定する。
「いやいや、生徒いじっちゃいけねぇな」
完全なSではない。しかし、それに近い性癖がある。要するに、昔からいじめっ子気質なのだ。だから、つい面白そうな相手を見付けると憎まれ口を叩いてしまう。
安易に感じたのだ。『こいつ、いじったら面白そうだ』と。それで鎌をかけてみたら、案外向こうも乗り気だったものだから、少し楽しくなってしまった。
「マヨネーズ好きの土方くん……ね」
借金手形は銀八の手元には残っていないが、それでも確かに名前は覚えてやった。銀八は煙草を携帯灰皿の中にねじ込んで、イチゴ牛乳の紙パックにストローを指すと、それをちゅうと吸って微笑んだ。

◆ ◆ ◆

「銀ちゃんのクラス何やるアル?」
冬の風が吹き始めた頃だった。制服の上からジャージを着て、弁当をつつく神楽が呟いた。
「何が」
「ぶんかさい」
そう呟いた神楽が、箸で芋の煮っころがしを転がす。煮っころがしを作った方の新八は、そんな神楽に「行儀悪いよ、神楽ちゃん」と声を掛け、ついでに顔を上げた。
「僕のクラスは、きもだめしやるんですよ」
「ありきたりネ。地味アル」
「う、うるさいなぁ……そういう神楽ちゃんのクラスはどうなんだよ!」
「かき氷」
「こんな季節に!」
文化祭トークで盛り上がる二人を、銀八がじとーっとした目で見る。
「……お前ら、クラスで弁当食えばいいだろ。もう準備も始まってんだし……」
「えー! なんで突然そんな話になるんですか!」
「うるせぇなぁ……」
身体ごとそっぽを向いて、煙草の煙を吐き出した銀八の肩を、神楽が叩く。
「銀ちゃん、クラスの子にハブられてるアルか」
「なんで先生がハブられるんだよ……いや、銀さんがイベント事嫌いなのは知ってたけど、まさか、先生なのに我関せず決め込んでるとか、そんなことはないですよね……いくら大人気ないからって……」
新八にそう言われ、銀八はぎくりと肩を震わせる。
「まさか……様子見に行ったり、とか……ほら、先生なら、ねぇ?」
だんまりを決め込んだまま、ぷかーと煙草の煙を上げる銀八の肩を、今度は新八が叩いた。両サイドを新八と神楽に固められ、銀八は頭を掻く。
「うん?」
「うん? じゃねぇヨ、腐れ天パ」
「銀さん、一応先生でしょー……」
そんな風に言われ、銀八は静かに「うん」と頷くだけだった。
文化祭だとか、体育祭だとか、学校行事は好きではない。
体育祭は日に焼けると後が困るし、文化祭はイベント事独特の軽いテンションについていけない。というか、それが嫌いで、学生の頃からほとんど首を突っ込まなかった。その感覚が教師になっても抜け切らなくて、今でも活動費用を手渡したまま、クラスごと放置してしまう。
先程投げ付けられた新八の言葉が、頭の中でガンガンと鳴っていた。
「わかってんだよー……わかってんだよ、俺だって……」
いい加減、そろそろ大人にならないとならないことくらいわかっている。大人の教師になって、文化祭でキャッキャしている生徒(普段影の薄い奴がしゃしゃり出てきたり、普段からやかましい奴が勝手に平然と仕切った挙句、空回りして出し物の方向性が迷子になったり、最終的にはカップルが何組か出来上がっていたりする)諸君を暖かく見守れ……
「見守れるかぁー!」
スパーンと便所サンダルを投げ付けた。
そんなわけで、文化祭の活動時間になっている午後は、銀八は屋上か保健室で過ごしている。職員室にいると、同じく文化祭トークに花が咲き居た堪れない。敵はクラスだけではないのだ。
「……へっくし……しっかし、もう冬に向かってんだな……屋上に長居するのもきついわ」
そんな風にぼやいた。
「……あ、図書準備室……」
なんてどうだろう。この時期なら、図書室すら人がいないだろうし、ただでさえ風通しが悪く薄暗いイメージを持ったあの部屋なら、一人きりになれる気がする。そう思って、放り投げたサンダルを拾おうと膝を突いて歩いていた時だった。
「あ……」
「あ……」
開けられたドアの中から出て来た人影が、ゆっくりと扉を閉めた。
「なんで閉めんだよ!」
「あ、いや……」
そこにいたのは、マヨネーズが好きな土方くん。の、土方だった。
銀八は思わず、拾い上げた便所サンダルを、ぽーいと投げ付けた。
「失礼だな、お前はー!」
「失礼なのはどっちだ!」
ガッとドアを開けた土方が屋上に上がり込み、便所サンダルを銀八の膝に落として溜息を吐いた。
「教師のくせに、何やってんすか」
「や、休憩?」
「職員室行けよ」
そう言った土方が、すたすたと手摺の近くまで歩いて行く。その後を、つい追った。手摺を背もたれにして座った土方が顔を伏せる。居眠りの姿勢だ。銀八は、その隣に腰を下ろした。
「多串くんこそ、文化祭の準備はどうしたんだ。サボりですかコノヤロー」
そう言って煙草を口に銜える銀八を、土方が横目で睨む。
「……普通、生徒の前で煙草吸うか?」
「いつものことだろ。俺に至っては校舎の中でも吸ってますし」
「わかってんならやめろよ……」
「お前も、教師にタメ口はんたーい」
そう言えば、土方は長い溜息を吐いて、それから口を開いた。
「あんまり好きじゃねぇんですよ。こういうの」
「ああ?」
「文化祭の準備とか……みんなでガンバローよ的な雰囲気が」
銀八は思わず目を細める。そして、寄り掛かった手摺を見上げて、空にふっと煙を吐き出した。
「お前、顔キレーだしな。準備と言う名目でさぞ絡まれるだろ。羨ましいねー」
「うるせ……大きなお世話っすよ」
言い直されたことに気付き、「律儀な奴だ」と土方を見やれば、首を撫でるその仕草は本当にうんざりしたものだった。
「まぁ……あと二回あるとは言え、さ。今しかないもんだぜ。そういう面倒臭さも」
「じゃあ、なんであんたもここにいるんだよ」
話を振られ、銀八が口を真一文字に結ぶ。じとりとした瞳が、そんな銀八を睨み付けている。
「いや、俺は嫌いだから」
「は?」
「文化祭」
暫しの沈黙。呆れたように声を上げたのは土方だった。
「人にどうこう言えないじゃないっすか」
「いやー、こんなだからこそ、言えるじゃん?」
実際、その通りなのだ。更生しているならまだしも、未だに逃げ回っている自分の言えたことではない。途端に腹が立った。
立てていた膝を伸ばして「うるせぇな!」と声を上げる。
「いいんだよ、別に教師なんて参加しなくても! いいからお前はとっとと教室戻れや! そして女子にちやほやされれば良いだろーが!」
「先生、逆ギレですか。あと、それ職権濫用です」
「いいんだよ、別に」
その日の午後は、それ以上何も言わず、お互い昼寝をして過ごした。
銀八がチャイムに気付いた時には、既に隣に土方の姿はなかった。
目を擦り、立ち上がる。銀八が脱いで放ってあった便所サンダルが几帳面に並べられていたのを見て、思わず笑った。
「なんだ、あいつ……」
グラウンドからは野球部の声、体育館からは、バッシュで歩き回っているキュッキュという音が聞こえる。それぞれ部活の始まる頃合いである。
「俺も戻るかー……」
伸びをした。
「あいつも部活かぁ? いや、帰宅部か……」
そう呟いて、くっと笑う。あれで案外、部活にはものすごく打ち込んでいたりして。
自分のクラスの生徒がどの部活に入っていようが興味がないのだから、他のクラスなんて尚更である。
「そろそろ、テスト作らないとね」
そういう時期だった。他人様のことなど考えている余裕はない。先生だって忙しいのだから。


【二年~夏~】

「しっかし、今年の剣道部は強いのう」
職員室で、そんな話を振られた。
春の選抜を終えて、表彰が体育館で行われたのだ。その時、見覚えのあるゴリラが壇上に上がっていたのを見た。ついでに、見覚えのある目付きの悪いのと、見覚えのある茶髪も一緒だった気がする。
「昔を思い出すぜよ」
銀八の隣で、坂本がそんな風に言った。銀八も視線を上げる。
「のう、銀時」
「いや、俺は思い出さねぇけど、別に……」
「えーワシら一緒に戦ったぜよ。団体戦でぇ、ワシが中堅でぇ、銀時が副将じゃ。大将より強かったんに、道場に来ないもんじゃき、副将でのー」
稽古は楽しいと思ったことがない。試合もだ。
「あんまり、向いてなかった気がする」
「喧嘩しちょるより、菓子作っちょる方が楽しそうじゃったきに、なあ」
サングラスの向こうでそんな風に笑った坂本に、銀八は眼鏡越しに笑って応えてやる。
「喧嘩じゃねぇよ。稽古だろ」
「ワシらの剣道なんて、喧嘩みたいなもんじゃろ」
「まぁな」
顔を見合わせて笑っていると、剣道部顧問の松平が割り込んできた。
「何、銀八と坂本よォ。オメェら剣道経験者なわけ? そういうことはもっと早く言えよう。オジサンったら、ホラ、射撃専門だから、あいつらのこと全然わかんなくてよォ」
「はぁ、まぁ、昔の話ですけんどー」
返事をする坂本と一緒に振り返ると、紫色のジャージを着た松平が親指を立てて、ついでに拳銃を坂本のこめかみに当てて笑っていた。
「で、どうよ。ウチの精鋭二年は。三年はボロボロだけどなぁ、すげぇのが入ってきたもんよ、うん?」
「あのー松平先生、これ本物じゃないよね、本物じゃないよね? あっはっは、どうしよう銀時、こういう時に限って、わし本物持ってないぜよぉ」
ガタガタと震えながら両手を上げる坂本。けれど、松平に拳銃を下ろす気配はなかった。
「まぁ、これ……」
そんな光景に、銀八は口角をひくつかせながら、ついこの世界の真理を口にしてしまった。
「3Zだからね……」
 校舎には、スパーンと威嚇射撃の音が響いた。

まんまと松平に掴まってしまった二人は、武道場のドアの陰からこっそりと中を覗き込む。
成程、表彰台に上がっていた二年がずば抜けて強いのは、一目瞭然だった。そもそもの姿勢が違う。そんなことを考えていた銀八の隣で、坂本が間抜けな声を上げた。
「おーおー、やっとるのう」
「近藤の家が道場で、今の二年のほとんどがそこの門下生だったらしくてよう」
「……なるほどね」
それで、あの三人はよくつるんでいるのだ。校内でも度々見かける。時たま校門の前で張っていることもある風紀委員の三人組は、そこそこ有名だった。
「遅刻ラインだと掴まるんだよな、俺……沖田くん、だっけ。アレに」
「ハイ、旦那。沖田総悟でさァ」
「そうそう、総一郎くんに……って、え?」
道場の中の生徒は、皆稽古をしていたはずだ。銀八と坂本が振り返ると、そこにはいつの間にか面を外している沖田の姿があった。
「旦那が稽古見に来てくれるとは思いやせんでした。それと、あと坂本先生?」
「わしら、学生時代剣道やっとってのー! なぁ、銀時」
「あーまー、うん。ていうか、俺先生ね。旦那じゃなくて、先生ね、総一郎君」
「総悟でさァ、銀時先生」
「銀八ね、銀八先生ね! そこだけは間違えちゃダメね。先生との約束」
「えー、そうじゃったんか、銀時―」
銀八は、隣から顔を出している坂本の頭をぶん殴り、それから沖田を振り返った。
「そんなことより、お前は稽古抜けて良いのかよ」
「ああ、いいんでさァ。俺、稽古嫌いなんで」
「あー、俺も嫌いだったわ」
そこに、低く凄みのある声が響く。
「総悟!」
そんな声で名前を呼ばれ、沖田は不服そうに振り返った。
「はーい、戻ればいいんでしょ、戻れば……」
そうぼやいて、頭の手ぬぐいで頬を拭った沖田は、銀八ににこりと笑い掛けて言った。
「退屈な稽古に戻りまさァ、旦那……じゃねぇや、先生。また見に来てくだせェよ」
「暇だったらな」
そう言って早々に手ぬぐいを頭に乗せた沖田が睨んでいる先、彼を見て、銀八は思った。
「……なるほどね」
「どうかしたがか、銀時」
「なんでもねー……とっつぁん、俺ぁそろそろ戻るわー」
そう言って坂本と松平に手を振った銀八は、すっかり葉っぱだらけになっている桜の樹を見上げて呟いた。
「いいねぇ、ギャップってやつかな」
相変わらず人を殺しそうな目をしているけれど、成程、それは剣道の中で培われてしまったのか。
「……あんまり、良くはないか?」
そんな目は、できるならしない方が良い。
「折角キレーな顔してんのに、勿体ないねぇ」


【二年~秋~】

二年になって、各クラスで問題児と言われる人間が明らかになってきた。問題児なんてレベルではない。まさに、バカの大豊作。そう称したことを後悔するくらいだった。
「……確かに、バカの大豊作だったわ。お前の言葉を思い出して、俺鳥肌立ったもん」
そんな風に呟いたのは、屋上で漫画を広げる服部だった。
「今年の文化祭もばっくれたろ? 大変だったんだぞ。アホ二年共に触発されて、源外の爺さんが花火持ち出してよー……」
そんな風に話し掛けてくる服部をちらりと見上げる。
「……何もないよりは面白いんじゃねぇーの」
「ばっくれてた奴はそりゃあ面白いだろーけどな。お前……後片付けが大変だったんだぞ、こっちは!」
そう言って服部が立ち上がった。そんな彼の背後、屋上への入り口からパタパタと音がする。
「銀さ……銀八せんっせぇー!」
その尻に、突如として、蹴りが炸裂した。
「ぐっふえ!」
そのまま屋上に撃沈した服部を見下ろし、銀八が「あーあ……」と呟いた。
「痔が治ったばっかりだったのになぁ、服部……」
「き……きさ、ま……猿飛ぃ……」
一人で過ごせる唯一無二の場所が、段々といろいろな人間に侵略されているような気がしてならない。
そんな銀八の視線の先には、生徒の一人である猿飛あやめがいた。勿論、変態と名高い彼女は銀八のクラス外の人間である。
「先生! さっちゃん、お弁当作ってきたんだゾ!」
 なのに、やたら絡まれる。あからさまな好意を歪んだカーブで当て付けられる。ある意味どストレートなのだが、これをストレートと言ったら負けな気がする。
「あーはいはい、いらねぇよ。納豆に塗れた弁当なんていらねーよ、俺は……」
そう言って軽くあしらいながら、屋上を後にした。その後をさっちゃんが追ってこようとしたが、拾っておいた服部の漫画の角で脳天をひっぱたくことでそれを回避した。
「最近……絡まれるんだよな」
各クラスの問題児とやらに、である。
元々、面倒臭い奴に好かれる性分ではあるが、こんな時に、しかもクラス以外の生徒に何故好かれなければならないものか。銀八は、少し顔をしかめた。
「……どこ行こう」
隠れ家を完全に変えるべきか。そう思って図書室への廊下を歩く。
図書準備室は、この一年の間に既に銀八の隠れ家となっていた。やはり銀八が踏んでいた通り、あそこは一人になるのに最高のスペースなのだ。ソファもある。ついでに校舎の端なので、誰も寄って来ない。夕方になると丁度夕日が差し込んで、暖かくて気持ち良い。
そんな隠れ家に向けて足を運んでいたその途中で、教室の中で床にめりこんでいる近藤……を介抱する土方を見つけた。
そして、遠くの方から轟音が聞こえる。
「……神楽と沖田くんかな……」
その音にももう慣れた。それから、床や壁にゴリラがめり込んでいる姿も見慣れたものだ。
犯人は勿論……
「おい、新八、志村姉はどうした……」
教室の外で銀八を見つけ、駆け寄ってきた新八に尋ねる。
「あ、姉上は……その……」
言葉を濁す新八に銀八は肩をすくめ、それから、教室の中の近藤と土方に歩み寄る。
「おーい、ゴリラ、生きてっかー」
「近藤さんはゴリラじゃねぇ」
いつの間にか、すぐに食って掛かってくるようになった土方の頭を撫で付け押さえると、銀八は床から近藤を引き抜いた。
「やれやれ……また校舎が破壊され……」
遠くで、がしゃーんという音が響いた。
「……向こうもか」
呟いた銀八が、近藤に肩を貸しながら教室を出て行く。
これは、今日も図書準備室での昼寝はお預けだ。
「近藤さんは、俺が運ぶ」
そう言って、気絶している近藤のもう片方の肩を担ぐ土方が、銀八を睨んで言った。
「おや……」
相変わらず、ゴリラが大好きなようだ。そんな風に思って微笑み掛けたたところで気付いた。
「……身長伸びたな」
「は?」
土方が固まった。突然固まってしまっては、銀八の負担が重くなる。近藤の身体を引っ張ると、当の土方はそっぽを向いてしまった。
「ったく……運ぶって言うならきっちり運べよな」
「あんたが変なこと言い出すから……!」
そんな二人に担がれている近藤が、「うーん……」と唸り声を上げて目を覚ます。
「あー……悪いトシぃ……と、あと、せんせー……?」
「お目覚めか、ゴリラ」
近藤の腕を肩から下ろし、銀八は口からレロレロキャンディを引き抜いた。
「……その飴」
呟き掛けた近藤が、はっとして辺りを見渡す。
「お、お妙さんは!」
「もうとっくに帰りましたよ……」
歩み寄ってきた新八が、呆れた声で言う。それを聞いて、土方は顔をしかめて言った。
「あのなぁ、近藤さん……あの女はやめとけ」
「いくらトシに言われても、それだけは無理な話だ!」
「あいつは近藤さんをいたぶって面白がって……!」
妙の身内である新八がいることに気付き、土方が咳払いをする。そして、小さく「スマン」と呟いた。それに対して、新八が苦く笑う。
「まぁ、言われても仕方ないですよ……実際、本気ですからね、ウチの姉上……」
 何に対して本気なのか、それは言及しないことにしておいた。
改めて、土方が近藤に向き直る。
「あんたが女に吹っ飛ばされたり張り倒されたりめりこまされたり……もう見たくねぇんだ……」
相手が女とは思えない言葉の数々に、銀八と新八は顔を見合わせ、頬をひくつかせる。まぁ、妙の所業ならば仕方ない。
「いや、でもお妙さんはなー!」
そう言い返そうとする近藤を制して、銀八が呟いた。
「まぁまぁ、お前なぁ、ヨメがこう言うんだから……」
「ヨメ……?」
首を傾げる土方と近藤に、新八が思わず吹き出す。
「ちょ、銀さん!」
「だってぇ、土方くんってば、いっつもゴリラの隣でこんな感じでよー……なんだお前ら、夫婦か。妬けるねコノヤロー」
がくっと肩を揺さぶられたような気がして正面を見れば、そこには顔を真っ赤にした土方がいた。
驚いた。ネクタイを掴み上げられていて、押し返すこともできない。
「なっ……なっ、なん……!」
銀八は、首を傾げた。
「ああ、悪い。怒った?」
「なんてことを……!」
そんな二人を、近藤が無理矢理引き離した。
「わ、わわ、トシ、ごめんな! 俺が不甲斐ないばっかりに……! な、それはないよな、流石に! 俺となんて御免だよな!」
「御免も何も……! この、腐れ教師が……!」
何やら怒っている土方を、近藤が必死に慰めている。そんな様子を見て、銀八は笑った。
「あー、やっぱ面白いな」
つい口から零れてしまった言葉に、土方がぎらりと銀八を睨む。洒落の通じない眼だ。
「いやいや、ごめんごめん」
一年の時のことを思い出した。クラスも違うのに名前を覚えてやったのも、それが発端だったのかもしれない。
「やっぱり、おもしれーわ。マヨネーズが好きな土方くん」
そう言って目を細めて笑ってやると、土方は今にも怒鳴り散らしそうな憤怒を見せてくれた。
「あ、キレた」
だから、銀八はさっさと新八を連れて逃亡を決め込む。便所サンダルがぺろんと鳴った。
「ちょ、銀さん! 今のは、土方さんマジで怒ってましたって!」
「ああ、だから早いところ逃げないとなー」
心配そうな顔をする新八に背を向けて、銀八は呟いた。
「……妬けちゃうなー」
自分も学生だったら、ああやってつるんでいただろうか。対峙していただろうか。どちらにしても、対等な立場だったら、とても面白い学生生活が送れたかもしれない。結構、好きな人間の部類だったかもしれない。
(好き……?)
はたりと足を止める。ふらついた白衣の裾に、ぼんやりと思った。
「ああ、俺、先生だったわ」
対等なんて、とんでもない。
(好きとかって)
眩暈がした。


 【三年~春~】

予感はしていた。何となく、最後にはこのクラスが出来上がるのだと。予感はしていた。何となく、平和なまま終わるわけがないのだと。
「おい、ババア……マジで言ってんの?」
「ババアはクラス編成に関わっちゃいないよ。偶然、あんたのクラスにバカが全員集合した。それだけのことさ」
そう言ってのけたお登勢に向かって、銀八はクラス表を突き出した。
「しかも、編成会議に俺参加してないんだけど! 完全にハブられたよね! 聞いてねぇー!」
「聞いてないあんたが悪いんだろ? だから、何度も言ってるけど、あたしゃあ何も手ぇ回してないからね。精々三年の先公共に当たるこった」
冷たくあしらわれ、銀時は理事長室を飛び出す。その手には、ぐしゃぐしゃに握ったクラス表があった。
「そんなこともう散々やってんだよー! ババアのバカー!」
バターンと鳴ったドアを見て、お登勢がやれやれと肩をすくめる。そして呟いた。
「最後の一年、精々楽しみな」
優しさと厳しさは表裏一体、なんて言うこともあるが、そんなの絶対信じない。
銀八は涙目を浮かべながらクラス表を眺めた。それも、これを渡されたのは、もう四月になりますが? という頃、というかついさっきのことだ。異例も異例だ。面白がってるとしか思えない。
もう少しで、新入生の入学式が始まる。それまで渡されなかったのもおかしいのだ。突っ込んで聞かなかった自分も悪い。それにしても、だ。
「クラス編成はロシアンルーレットじゃねぇんだよ!」
「あーもう、お前うるさい!」
叫んだ。入学式準備で慌ただしくしている職員室で、服部に廊下へ追い出された銀八は、今年も入学式をばっくれてくれようと、そのままとぼとぼと歩いて行ったのだった。
「あ」
「あ」
そこで出会ったのが、剣道着のままの土方だった。
「出た……」
「先生を化け物みたいに言うんじゃありません!」
その手に持ったクラス表をぐしゃぐしゃと丸めて、白衣のポケットに捻じ込む。とりあえず、発表の一日前だ。在校生にバレてはいけない。特に、このクラス編成だけは何としてもだ。
「おっ、お前こそ、そんな格好でなんで校舎に……」
「今日部活だったから。入学式準備手伝えって……松平のとっつぁんがな」
やけにテンションの低い土方に、銀八は首を傾げる。
「お前、そんなテンション低い奴だっけ?」
「……はぁ?」
不機嫌そうなその態度に、一年で人は変わるもんだと思う。
二年時は、ほとんど接触する機会もなかった。意図的にそうしていた面もある。
(また、身長伸びた)
同じくらいになっただろうか。そんなことを思いながら、色の変わらない黒髪を見ていると、土方がぽりぽりと頭を掻いた。
「用ねぇなら、行くけど」
瞳を伏せた。顔付きが、少し大人びた気がする。
気付けば、容姿を観察してしまっている自分の頭を少し撫でて、藍色の胴着の背中をぼんやりと見送った。
「見慣れれば、気にならなくなるよな。きっと」
ぐしゃぐしゃに丸めたクラス表。その中には、見覚えのある、あるいは聞き覚えのある名前が羅列されていた。中盤にある土方十四郎という名前に目を細める。
「なるほど、それで、トシか」
体育館の方から、近藤が「トーシー!」と叫んでいる声が聞こえた。あまりのタイミングの良さに、思わず吹き出してしまった。
授業を受け持ったこともないから、フルネームなんて初めて見たかもしれない。
今年は、奴らの引退試合があるのだろう。きっと良い成績を残すに違いない。そんなことを思いながら、銀八は図書準備室へ向かうのだった。

◆ ◆ ◆

「おや、こんな所にいたのかい」
そんな銀八が眠っているソファを見下ろして、お登勢が言う。
「……妖怪だ」
呟いた。その瞬間に頭を引っ叩かれ、銀八は身体を起こす。
「何しやがんだ、クソババア!」
「何しやがんだはこっちの台詞だよ。あんた、また入学式サボったね……まぁ、今年は奴らの担任になるわけでもないから、構いやしないけど。儀式行事なんだから、一応は参加しなって……」
「そういうババアこそ、こんな所で何してんだよ!」
腕時計を見て、「ありゃ」と声を上げた。
「入学式なんざ、とっくに終わったよ。理事長サマはお役御免ってね」
そんな風に呟き、煙草の煙を吐いたお登勢に、銀八は自分も思い出したかのように新しい煙草を銜える。
「あんた、姿が見えないと思ったらこんな所にいやがって、そんなにここが好きなら、卒業アルバム担当にしてやろうか」
「ああ? 何言ってんだよ。俺は昼寝に使ってるだけだっつーの……大体、卒アルと何の関係が……」
振り返って気付いた。準備室の奥の棚には、重そうな書籍が綺麗に並んでいる。
「……まさか」
「そのまさかだよ。過去の卒業アルバムは全部ここで管理してる。知らなかったのかい?」
「し、し、知らねぇよ! こんな誰でも入れる所にあるなんて思わねぇだろうが!」
「ちょっと前まで鍵を掛けてたんだけどねぇ。偶然開けておいたら、どっかの野良が使ってるらしい痕跡があるじゃないか。それで開けておくようになったのさ。それも知らなかったのかい」
ソファの下の床を見下ろす。銀八は、ぽりぽりと頭を掻いた。
「……なるほど、どっかの野良、ね……」
合点が行った。白衣のポケットからソファの下に落ちてしまったお菓子を拾って、口を尖らせる。
「というわけで、そっちの方も一年頑張ってもらうから、覚悟しときな」
「えー……」
ぶーたれる銀八を余所に、お登勢はさっさと図書準備室を出て行く。そんな背中を追いながら、銀八は煙草を銜え直した。
準備室の窓を開けて、ぷかーと煙を吐き出す。
白衣のポケットの中を漁りながら、忘れていたチョコを引っ張り出した。
「あちゃー……ちょっと柔らかくなってら。もうチョコは入れられねぇな」
はた、と気付いた。そう言えば、昨年の秋頃にチョコを入れるようになった時も、何か引っ掛かりを感じた。それを忘れようとしたのは何のためだったのか。
ソファの上で自分の下敷きとなり、破れてしまっているクラス表に視線を合わせ、そして口の中で「しまった」と呟いた。
「……借金手形だ」
ずり落ちた眼鏡を、くいと上げる。道場の方から、威勢の良い「ありがとうございました!」という声を聞いて、銀八は慌てて図書準備室を出る。
購買部に向かって走って行くと、なけなしの小銭をはたいて百円を取り出した。
「おばちゃん、イチゴ牛乳!」
買ったのは、その一本だけだった。
道場に向かう途中で、いそいそと牛乳パックにストローを刺す。そして、これから始まる嫌がらせに胸を躍らせていた。
「何となくだけど、あの手の野郎は嫌いだよな。こういうの」
ピンク色のパックに頬を擦り寄せ「こんなに美味いのにぃ」と呟きながら、銀八は道場の周囲を見渡す。
「あ、いた」
水道で顔を洗っている部員の中に、先程見たばかりの黒髪を見つけ、急ぎ足で駆け寄った。その途中で、沖田が「あ、旦那だ」と呟いたような気がした。
「センパーイ、お疲れ様でぇっす」
銀八が声を掛けると、タオルで顔を拭っていた土方が顔を上げる。
「んあ?」
そんな土方の口に、先程のイチゴ牛乳のストローを突っ込んだ。
「う……」
反射的にそれを吸ってしまった土方が、げほげほと噎せる。その様子を見ながら、銀八は爆笑した。
「ぎゃはははは! 大成功ー!」
その背後で、沖田も似たように笑っているのを聞いて、思わず振り返ってブイサインをした。
「やったよ、沖田くーん」
「ナイスでさァ、センセー」
悪戯に使ったきりのイチゴ牛乳のストローを吸いながら、未だに噎せている土方を振り返る。
「二年越しの借りを返しに来たぜ」
顔を上げて怒鳴り散らそうとした土方が、はたと動きを止めた。銀八はストローを銜えながら首を傾げる。てっきり、問答無用で怒鳴り付けられるかと思っていた。しかし、そんなことはなかった。
(あ、やばい)
咄嗟にそう感じた。
土方が額を押さえて黙り込んでいる。その表情が、稽古のせいか少し赤らんで見えた。
(冗談)
稽古のせい、などではないかもしれない。
ひらりと白衣を翻し、イチゴ牛乳を片手に道場を去ろうとした。その背中を、土方が「おい!」と呼び止めた。
「何」
「二年越しって……遅すぎるだろうが……っ! 忘れかけてたわ!」
「……覚えてくれてたんだ?」
首を傾げて、眼鏡越しに問い掛ける。口を結んだ土方の微妙な表情に、銀八は声を上げて笑った。
「土方くん、先生にタメ口はダメですよー」
そう言って、ひらりと手を振る。その指先が、ちりと痛んだ。
(わかるまいよ)
沖田が不思議そうな顔をして見ていたのを頭の端で思い出しながら、銀八は職員室がある校舎への通路を急ぐ。
(俺だってわからん)
急いでいるわけではなかった。向かいたくなどなかった。
「……まずったな」
脈がある。そう判断した時に感じた喜びに、冷や水をぶっかける。
脈があっては、いけない。
「ちょっと、からかい過ぎた」
面白いからと、いじり過ぎた。ついでに、自分の気持ちも省みずに野放しにしてしまった。それがよくなかった。
気付いた途端に、それは急に加速するものだ。だから冷や水をぶっかける。
飲み終えたイチゴ牛乳の紙パックをぐしゃりと潰し、廊下に置いてあるゴミ箱に捨てる。
何の因果でこんな気持ちになったかなんて知らないが、喜んでしまった時点で確定だろうに。捨て置いた紙パックの中にその気持ちもろとも詰め込んで、一緒に捨てる。そんなイメージをした。
「こりゃあ、波乱の一年になるなぁ」
思い出したのは、新しいクラス表。銀八は、軽い気持ちを捨てたばかりの重い身体を引き摺って、さっと伸びをすると、便所サンダルを鳴らして職員室へ向かうのだった。
「俺、先生だからね」
そんな言葉を呟いて。