ゆめからさわぎ





「そういえば、思い出すことってあるのかしら」
夢に死人が出てくることがある。その大概は顔も覚えていない奴らだが、たまに、本当にごく稀に、記憶に残っている奴が現れる。だから、うっかり居座ってしまう。
自分の夢の中に居座るというのも妙な話だ。居座っているのは奴らの方だろうに。
「いい女の顔は、なかなか忘れねぇな」
「あら、銀さんお上手ね」
ふふふ、と生前のように笑った女の顔に、銀時はつい笑い掛ける。
ああ、嫌だ嫌だ。どうにもこいつは苦手だな。
目を閉じても声は聞こえる。まるで、彼女がすぐ側にいるかのように思えた。
実際には、そんなことあるはずがない。彼女は、もう随分前に死んでしまったのだから。
「銀さん、すごく危ないわ」
「……へぇ?」
ミツバ。確か、それが彼女の名前だった気がする。幼さの残る大きな目が、彼女の弟によく似ている。そして色素の薄い髪の色も。
「一体、何が危ないって言うんだ?」
「だって……」
そこにいるはずのないミツバが、ゆっくりとしゃがみ込んで、そして困ったように眉を寄せた。
「だって銀さん、血が止まらないじゃないの」
困ったような、痛みを共感しているかのような、そんな悲しそうな顔が、途端に見えなくなった。
瞬きをして、その不可思議に気が付くと、つい笑みが漏れる。
「ははっ、違ぇねぇや……」
脇腹をさする。ぬめったものが指に付着した。見下ろせば、指先には黒い液体が。
夢に死人が出てくることがある。その大概は顔も覚えていない奴らだが、たまに、本当にごく稀に、記憶に残っている奴が現れる。だから、うっかり居座ってしまう。
自分の夢の中に居座るというのも妙な話だ。居座っているのは奴らの方だろうに。
しかし、これは夢ではない。
「まるで、走馬燈だな」
自分は今、死に損なっている。そのせいで彼女の亡霊を見たとしたら、それはとても危険な状態ではないのか?
銀時は、ぼんやりと目を閉じた。





半ば、もう目を覚ますことはないのではないかと思っていた。
そんな銀時の期待を裏切り、自分の目の前にあったのは、薄汚れた白い天井だった。
「……生きてら」
呟いた銀時の顔を、新八が怒ったような表情で見下ろす。
「死んでても文句言えませんよ。何があったって言うんですか」
「あー……」
何があったか、なんて、思い出そうと思っても思い出せるものではない。事故に遭った後というのはそういうものだ。
「悪い」
「悪いと思うなら一人で抱え込まないでくださいって僕が思うの、何度目だと思います? 銀さんにはわからないでしょうけどね」
その言葉が嫌みなのか優しさなのか、そんなことも判別できない程度には参っている。
「近くを通った沖田さんが見つけて、連絡をくれたんです」
「沖田くんが?」
「ええ、今はもう屯所の方に戻られてますけど……」
そいつはなんて偶然だろう。
口にこそ出さなかったが、銀時はそんな風に思った。
丁度、お前の姉の幻を見てたのだと言ったら、例の青年はどんな顔をすることだろう。
「僕、家に連絡してきますね。神楽ちゃんが家に戻って寝てるところなんです。銀さんが目を覚ますまで病院から離れないなんて言うもんだから、姉上が無理矢理連れ帰ってくれたんですけど……心配してるはずだから」
「いいよいいよ、寝かせとけ」
椅子から腰を上げた新八が、ゆっくりとまた椅子に腰を下ろし、そして「それもそうですね」と頷いた。
「お前も、早いところ家に戻ってちゃんと寝ろよ」
「わかってますよ」
新八の眼鏡の弦の向こうにも、ささやかなクマがある。おそらく、自分を心配してこの少年も寝ていなかったに違いない。
「幸せ者ね、銀さん」
「ああ」
頷いてしまった。その声の出所は、決して新八ではなかった。
「……あれ」
不思議そうな銀時の方を見て首を傾げる新八に、銀時は「あ」と声を上げた。
「ちょっと、お前アレ、ジャンプ買ってこいよ」
「は? 起きて早速ジャンプって。あんた、何考えてんですか……」
「いいからほら。頼むって」
「仕方ないですねー……」
新八は椅子から立ち上がると、ぶつぶつと文句を言いながら病室を出て行った。
部屋に残された銀時は、固唾を飲んで、それから自分の横を見る。
何も置かれていないサイドテーブルにちょこんと座った短い髪の女が、気絶する前に見た姿と同じ様子でそこにいた。
「す、スタンド……?」
「あら、さっきは普通に話してくれたじゃないの」
「ば……バカ野郎。俺は基本的にゆうれ……目に見えない奴らが苦手なんだコノヤロー!」
「十四郎さんもそうだった。それなのに、総ちゃんが百物語やろうなんて言い出したりして。男の人って案外かわいいところがあるのよね」
くすくすと笑ったミツバに、銀時はむっと口を尖らせる。
自分の腹から胸に掛けて巻かれている包帯を見下ろし、それから口を開いた。
「なんだよ、何しに現れたってんだ。まさかとは思うが、お迎えじゃねぇだろうな」
「銀さんがお望みなら、連れてってあげますけど」
「生憎と、もうちょっとくらいは生きられそうだけどな」
「私も、そっちの方が良いと思うわ」
がらりと部屋のドアが開く。そこには、むすっとした新八の姿があった。
「あのねぇ、銀さん。今日何曜日だと思ってるんですか。金曜日ですよ、金曜日。ジャンプなんてあるわけないじゃないですか! って、俺も動転して気付かなかったよ、チクショー!」
「俺だって、今の今まで気絶してたんだから曜日なんてわかるわけねぇだろうが!」
「じゃあなんでジャンプなんて言い出したんだよ。バカじゃないのか、あんた!」
「う、うるせぇよバカ! バカって言う方がバカなんだぞ!」
新八に向かって怒鳴りながら隣をちらりと見やれば、そこにはもうミツバの姿はなかった。銀時は、そっと安堵の息を漏らした。


病院の天井を見上げながら、ぼんやりと思う。
知ってる人間の霊が出てくるのは、そんじょそこらの霊と出くわすのとは訳が違う。性質が悪いったらない。
「……よりによって、なんであの女かね」
「あの女とは心外じゃのう」
先程とは違う声に、銀時ははたと目を見開き、瞬きを忘れた。
身体を起こせば、そこには、過去に自分が墓地まで送り届けた男がいた。
「……今度はお前かよ」
「なんだ、もう忘れられたかと思ってたがのう」
「……京次郎」
狛犬の男だ。自らの居場所を守るために死力を尽くした不憫な男。否、幸福な男とも言えた。死に場所に迷わず、ただ一心に辿り着けた男だ。
「沖田の姉ちゃんの次はお前? おいおい、本当にお迎えが来てるんじゃねぇだろうな」
「沖田の姉ちゃんがどこのどいつかは知らねーが、わしらはここに在るんじゃない。お前がわしらを知っとるからここにおる」
「……わけがわかんねぇな」
もっとわかりやすい言葉で話してくれないだろうか。そもそも死人か、あるいは本当に亡霊か。そして幻覚だったとしても、言葉を交わしていること自体が不思議なことだというのに、それにつけてわかりやすい言葉を求めることはお門違いだろう。
銀時は再びベッドに倒れ込み、そして、頭の後ろで腕を組んで呟いた。
「つまり、おたくら本物の幽霊じゃねぇってことか」
「どっちか言うたら幽霊なんじゃねぇのか? そこんところはよくわかんねぇな」
「わかってねぇのかよ……」
本人たちにもわかっていないのだから、他人の銀時には尚更わかるはずもない。
「しっかし、久し振りじゃなあ。酒でも酌み交わしたいもんだ」
「俺は御免だ。お前と酒を飲んだ後は、碌な思い出がねぇからな」
「それもそうか」
はははと声を上げて笑ったかと思うと、京次郎は銀時の顔を見下ろして、はんと鼻を鳴らした。
「お迎えじゃねぇにせよ、顔色は良くねぇのう」
「こんなところにいるくらいだからね」
さて、始めにミツバを見た時、何があったのだろう。
銀時はそれを思い出そうと、近付いていた京次郎を手で払う。
「お」
「お、じゃねぇよ。とっとと帰んな」
「そうだな。またのう」
「縁起でもねぇこと言うなっつーの」
うっすらと汗がにじむ額を撫でる。
亡霊が消えたところで、ようやく部屋の中が冷房の風で満たされていることに気付いた。
「いい加減にしてくれ。気が狂いそうだ」
しかし、京次郎はヒントを残していってくれた。
恐らく、彼らは本物の幽霊ではない。それにしたって銀時は一応の知覚をしている。ならば、近しいものとして考えられるのは、幻覚症状だ。
ケガの後遺症によるものだとしたらと、つい腹を撫でる。
だとしたら、この傷が癒えれば自然とこの幻覚もなくなるだろう。
「……気が滅入るぜ」
数日の後、銀時は退院した。傷の治りは良好で、幻覚も意識をすれば一切見なくもなった。
やはり、一時的なものだったのだと荷物を小脇に抱えながら呟く。
「え?」
迎えにきた新八が、銀時の独り言に首を傾げた。
「なんでもねぇよ」
銀時は、そんな新八の頭をついと押して笑った。
「そういえば、銀ちゃん、なんでケガしてたアルか」
「ああ?」
亡霊を払うことに意識を集中させていたから、そんなことまで気が回らなかった。
銀時は、純粋な神楽の疑問に肩をすくめた。
「なんでだっけ」
「誤魔化そうったってそうはいかないアル……」
「いや、本当に覚えてないだって……」
何があったんだっけ。
そんな風に呟くのが尚更胡散臭いのか、神楽が訝しげな顔をした。
「なんだよ」
「絶対誤魔化そうとしてるアル……」
「まぁまぁ神楽ちゃん。銀さんだって年なんだから。ボケだよ、きっと」
「その言い草はないだろー……」
恐らく、新八も少なからず怒っている。そんな言い草だった。
けれど、神楽から興味をそらすには、その言葉で十分だった。銀時はそっと胸を撫で下ろす。覚えていないものは覚えていない。
(あいつだったら、何か知ってるのかもな)
思い出したのは、ミツバの顔だった。
「あら、呼んだ?」
「うわあああ!」
ひょいと脇から顔を出され、銀時が思わず声を上げた。その声に銀時の前を歩いていた神楽と新八がびくりと肩を震わせ、振り返った。
「な、なんすか!」
「何アルか! 傷、痛むの?」
自分の声に、脇腹がびくりと震える。確かに痛む。けれど、それは傷のせいで出た声ではなかった。
銀時はハッと我に返り、首を慌てて振った。
「そ、そんなこた……! っててて……」
腰を折ってうずくまる銀時に、神楽は心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫アルか。病院、戻る……?」
そんな神楽の顔に、銀時はぶんぶんと手を振り、大丈夫だと伝える。
そして、突然顔を出したミツバをちらりと横目で見た。
彼女もやはり心配そうに口元に手を当て、銀時を見ている。しかし、神楽や新八から、彼女の姿は見えていない。当然だ。彼女は銀時の幻覚だ。幻なのだから。
(おい、ひっこんでろよ!)
「そんなこと言ったって、銀さんが呼んだから……」
(呼んでねぇぇぇええ! ちょっと思い出しただけだ!)
その『ちょっと』がいけなかったのだろうが。ミツバは心配そうに「そう?」と様子を伺いながら、じわじわと姿を消していく。
消えていく幻を見送りながら、銀時はふと不安そうな顔をする神楽と新八の視線に気づいた。
「こ、これはだな……」
「新八、なんか銀ちゃん変アル……百面相してるアル」
「病院戻った方がいいかな……なんか、だ、大丈夫っすか銀さん……頭でも打ちました……?」
「や、だから……だいじょ、大丈夫だって……」
このままでは、折角退院したばかりだと言うのに、また病院に強制送還されてしまう。
銀時は流れる冷や汗を拭って立ち上がると、心配する新八と神楽を後目に、すたすたと万事屋への道を急いだ。
思い出してしまったことがきっかけとなって再び彼女を召還してしまったのだとしたら、迂闊に思考を巡らせることもできない。
「どうすんだよ……」
万事屋の机の上で一週間前のジャンプを眺めながら、銀時は呟いた。机が、どすんと音を立てる。そこに腰掛けた男が、銀時を振り返って言った。
「受け入れろってぇことさ」
「ナチュラルに出てくるんじゃねぇっつーの……」
机に座った京次郎に、銀時は溜息を吐く。
「おいおい、お前もいい加減に慣れろ。わしの他にだってお目に掛かってるんだろう?」
「そりゃそうだけどさ……」
夢や幻覚を受け入れるというのも妙な話だ。それに、受け入れてしまっては難儀な相手ばかりが出てくる。
はい、そうですか、と頷くにはあまりにも困難な提案に、銀時は口を尖らせる。
「四六時中じゃねぇんだ。しばらく我慢したらどうだ」
「あのなぁ。お前ならまだし、便所や風呂であの姉ちゃんに出てこられてみろ。出せるもんも出せやしねぇよ!」
「案外ウブなんだな」
「うるせぇ! あの女は特別だっつーの!」
「それは初耳」
飄々とした京次郎の態度に、銀時は尚のこと眉間の皺を深める。
「特別っつーか、あんまり物言いたくねぇっつーか……」
「そりゃあ確かに特別だ」
「大体……なんでお前なんかにこんな話しなきゃなんねーんだよ! 出てけっつーの!」
「出ていけたら出ていくっつーの、ってとこかのう」
「出ていけねーのか」
自分たちの自由で出たり入ったりしているのかと思いきや、そういうわけではないらしい。
銀時がきょとんとすると、京次郎はふっと笑って目の傷を撫でた。
「言うたじゃろ。わしらを見てるのはお前だけ。なんでここにわしらがいるかって言ったら、お前がわしらを覚えてるからだ、ってな」
「だったら、俺の意思に反して出てくんじゃねーって……」
「お、家族が帰ってきたみたいだぞ。黙った方がいいんじゃねぇか?」
京次郎のその言葉に、銀時はむっと口を閉ざす。
京次郎の言う通り、外から階段を上る足音が聞こえてきた。
「だから、俺の意識から独立しちゃってんじゃん……」
銀時の呟きは、消えてしまった京次郎本人に果たして届いているのだろうか。
そんなことを考えながら、帰ってきた神楽に「おかえりー」と声を上げた。
家族だなんて、言ってくれるものである。





問題は、意識から独立した存在が見えることではない。それらが見えるようになってしまったっきっかけである。
しかし、どう思い出そうとしても、銀時にはミツバに会う前後の記憶がない。ケガをしたショックにしては、あまりにも長く続く後遺症である。
「お前、何か知らねぇの?」
天井を見上げて尋ねてみると、ぴょこんと視界に顔を覗かせたミツバが首を傾げた。
「お答えしたいんだけど、ごめんなさいね、銀さん」
「……半信半疑で呼んでみたけど、出てくるもんだねぇ」
「……総ちゃんたちに伝えたら、銀さんにケガをさせた人を捕まえてくれるのかしら……」
「お前さんの弟じゃ、ちょっとばかり心配だけどな……」
「え?」
職務怠慢の弟の真実をこの姉に伝えてはいけないのだった。
銀時はそっと口に手を当てて、それから首を横に振った。
「真選組ってやつは、一般市民のいざこざに一々首突っ込むほど暇じゃないのさ」
「そんなに忙しいのね……」
少し悲しそうな顔をしたミツバに、銀時は思わずふっと微笑む。そして、静かに身体を起こした。
「そうだな、うちよりは圧倒的に忙しいかな」
「みんなの身体が心配だわ」
「止めたって止まりゃあしねぇよ、あいつらなんて」
机に肘を突いて、銀時は溜息まじりに言う。ミツバはそんな銀時の隣に立って「それもそうね」と頷いた。
「それに、今一番心配なのは、銀さんの身体だわ」
「……お前ね」
物腰や口調からもわかる。庇護欲を掻き立てる上、時折覗く一生懸命さが何とも可愛らしい。なんて魅力的だろうと、つい思ってしまった。
「惚れるのもわかる気がするわ」
「え?」
「いや、こっちの話」
さて、では彼女はあの男のどこに惚れたのだろう。そんな野暮な気持ちが湧いてきた。銀時は、ついとミツバの顔を覗き込み、そして、意地悪く笑った。
「お前さ、どこが良かったんだよ」
「何の?」
「そりゃあほら、顔を見ればぶっ倒れちまうようなあいつの……」
そこまで言い掛けて、銀時は「あ」と声を上げた。
そういえば、彼女は自分の幻覚に近い存在であり、そんな意識の内とおぼしき存在に質問を投げ掛けたとしても、流されてしまうのが関の山である。
「……何やってんだかな、俺は」
もしかしたら、目の前にいる彼女の振る舞いも、自分の都合の良い女性像の一部なのかもしれない。
そう呟けば、ミツバはふふっと笑って銀時の肩を撫でた。
「銀さんは、時々子供みたいな顔をするのね」
「ああ?」
「なんだか、すごく可愛らしいわ」
にっこりと微笑んだミツバに、銀時は自分が意表を突かれたことを知る。
彼女の手から逃れて、頭をがりがりと掻いた。
「だから、お前らは俺の意識の内の何かなんだろ! 可愛いとか言うなよ、クソッ!」
「本当のことを言っただけよー」
「うるせぇな……」
銀時が身体を引いて口を尖らせると、丁度風呂から上がってきた神楽がぱたぱたと机に寄ってきた。
「銀ちゃん、電話してた?」
「ああ?」
「ずっと話してるの聞こえたアル」
「あー……」
つい、相手のいないはずの会話に熱中してしまった。
銀時は、ぽりぽりと頭を掻いて、それから「ちょっとな」と頷いた。
「今度からは、もうちょっと小さな声で話すことにするわ」
隣のミツバがそんな風に言うものだから、銀時はつい「そうじゃねぇ」と言い掛けたが、今はぐっと飲み込み、神楽に言う。
「ちょっと長谷川さんと飲まねぇかって話になったからよ。出てくるわ」
「電話の相手、マダオだったアルか?」
神楽の不思議そうな顔に銀時はかっくりと頷き、そして立ち上がる。
「お前はちゃんと寝て待ってろよ。歯磨きも忘れんな」
「わかったヨー……でも、銀ちゃん病み上がりなんだから、ちゃんと帰ってこいヨ。酒は控えめになー」
「わかったヨー」
神楽の口調を真似て返事をした。
神楽に背中を向ける。ミツバは、そんな銀時の背後で悲しそうな顔をした神楽の表情をしかと見たようだった。
「控えないとね」
ミツバの声に、銀時は顎を引いた。
長谷川と飲む約束など取り付けていない。銀時は、ぼんやりとかぶき町の道を歩いていた。
「ていうか、お前ついてくるつもりかよ」
「だって、銀さんが心配なんだもの」
「留守番して神楽を見ててくれた方が、安心ではあるんだけどな」
「銀さんがそう言うなら、戻ろうかしら」
道を振り返ったミツバが、すぐに銀時の方を向いた。
「……慣れない道だから帰り道わからなくなっちゃった……」
「だろうな」
思わず笑った。
ミツバは銀時の隣を歩きながら、色とりどりのネオンを物珍しそうに眺めている。
そんなミツバに、つい「離れるなよ」と言い掛けた。実在していないのだから、離れるも離れないもないのだ。
「銀さんが倒れていたのは、もっと静かな通りだったわね」
「そうだな」
新八の話では、沖田が見つけてくれたそうだ。自分がどこに倒れていたのか、そんなことも思い出せないが、少なくとも繁華街ではなかった。そんな気がする。
眩しいくらいのネオンに目を細め、銀時は静かに足を止めた。
「本当に長谷川さんがいないもんかね」
一人きりでいると、つい幻覚と話をしてしまっていけない。
「銀さんのお友達?」
「まあ、悪友って感じかな」
「へぇ」
ミツバは、くすくすと笑って銀時の話を聞いている。おそらく、実体が見えたら、とても意外な二人組なのだろうと思いながら、銀時は肩をすくめた。
「あんた、酒は飲んだのか?」
「お酒? いいえ、全然……」
「だろうな。弟も許さなそうだ」
ほんの少しだけ、飲ませてみたいような気がした。銀時は彼女を置いて、すっと足を踏み出す。――だから、実体がないんだってば。
目を閉じて、そんな言葉を心の中で呟いた時だった。肩にどんと何かが当たった。
「おい、テメェどこ見て……」
声の主を見れば、すぐ隣で眉間に皺を寄せていたのは、見慣れた男だった。
「あ」
声を上げたのは銀時ではない。背後のミツバだった。
「あ、やばい」
実体がないとは言え、こんなところで気絶されては困ると背後を振り返れば、そこには既に彼女の存在はなく、銀時はふらふらと周囲を見回す。
「なんだ、テメェかよ! おい、謝れよ」
「あれ、おかしいな」
見慣れた土方は気にも止めず、辺りをきょろきょろと見回している銀時に、土方が思わずその頭をすぱんと叩く。
「おかしいのはテメェだよ!」
銀時は殴られた頭を撫でながら、土方を振り返った。
「いってーな、何すんだよ」
「何すんだよ、じゃねぇよ。テメェ、人にぶつかっておいてその態度はなんだ!」
「うるせぇな。考え事して歩いてたんだよ」
確かに、人とは言えないが、何かと話ながら歩いていたのだ。ぼんやりしていたのは自業自得である。しかし、土方相手に素直に謝る気は起こらなかった。
銀時は口を尖らせ、土方を睨む。
「大体、お前だってぼんやりしてたんじゃねーの? これくらい避けろよ。テメェは人に肩ぶつけて歩いてんですか。中学生ですかコノヤロー」
「何開き直ってんだコラ。しょっぴくぞ」
「へーへー、やれるもんならどうぞー……っていうか、お前がこんなところ一人で歩いてんだから、何か用があったんじゃねぇのかよ。さっさと消えろや」
「あ、近藤さん迎えにいく途中だった」
「アホ」
本当に何某かの用件を忘れていたと知り、銀時はへらぁと笑う。
「アホはテメェだっ……て、おい」
土方が、銀時の袖をぴっと引く。銀時は思わず顔を背けた。
正直、長居はしたくない。いなくなってしまったミツバのことも気掛かりだ。
「あんだよ。俺は今捜し物を……ぐっ!」
土方が、銀時の腰骨の辺りに拳を当てた。鈍い声を上げた銀時の顔を見て、土方は「あーあ」と息を吐いた。
「見えてんぞ」
「何……」
「包帯だよ、包帯」
ぎくりとした。見下ろせば、確かに開き過ぎとも言えるファスナーの合間から包帯が覗いている。
それがどうしたと土方の顔を見れば、その表情は何ともつまらなそうな顔をしていた。
「おたくには関係ないでしょ。通してくれる?」
「テメェを拾ったのは、うちの組の隊長だったと記憶してるんだが」
「それは……」
「捜し物って言ったな。何やらかして刺されたかは知らねぇが、あんまり胡散臭いことばっかりしてると」
「あーもう! うるせぇ奴だなぁ! しょっぴくぞは聞き飽きたっつーの!」
銀時は、ばっと袖を振る。
「さっさとゴリラでも何でも迎えに行けよな」
「お前……」
土方はがりがりと頭を掻いて、それから長い溜息を吐いた。
銀時の横を通り過ぎようとした土方の気配に、ふと思う。
(本当に、どこが良かったんだかな)
口を開けばこうだ。それが時折面白おかしいとも感じるが、最近はうるさいばかりで、気に入らない。
「ごめんね、銀さん。つい……」
「お前……」
すっと姿を表したミツバに、銀時が思わず声を上げる。その声に、土方が振り返った。
「は……?」
「あ、いや、その」
ちらと見れば、またもミツバの姿は消えている。つい、とは言ったが、こうも出たり入ったりされては、こちらが気まずい。
「あのー……えっと」
「なんだよ。呼んだか」
「バカおめー……自意識過剰なんだよコノヤロー」
どうにも腑に落ちない様子の土方に、銀時がふーっと溜息を吐いた。そして、周囲にミツバの姿がないことを確認すると、言った。
「あのさ、一杯付き合わない?」





ぱたんと携帯を閉めた土方が、カウンターに座って溜息を吐いた。
「誰か、代わりいた?」
「山崎に任せた」
「ジミーくんもかわいそうに」
カウンターに立ってるメニューを指で弾いて、銀時はひひひと笑う。
「俺も今日は上がりだったからな。別に、空いてりゃ誰でも良かったんだ」
「上がりだったのに、ゴリラのお守りなんて大変だねぇ」
「お守りじゃねぇよ」
店主から目の前に差し出された徳利を傾け、銀時は「へえ」と頷いた。
「徳利」
「ん」
制服姿のままの土方は、上がりとは言え仕事が終わってすぐ、おそらく着替える暇もなく屯所を出てきたのだろう。それだけ大事なのだ。お守りの必要なゴリラ、もとい近藤が。
それなのに銀時の一杯だけ、という誘いに乗ってきた。その事実が、銀時の気分を少し紛らわしていた。
注がれた徳利の中身を覗き、土方は呟く。
「一杯飲んだら、大人しく帰るんだな?」
「おう。俺は約束は守るからな」
「また道ばたで野垂れてても知らねぇぞ」
「そんなヘマはしねぇよ」
銀時は、その一杯にちびちびと口を付けながら、隣で説教垂れている土方の声を聞く。
(いい声だねぇ……)
ぼんやりと思った。
「ああ、確かにこいつは色男だ」
降ってきた言葉に、銀時ははたと瞬きをした。ミツバの声とは違う。男の声だ。
(出やがった……)
今度は、声に出してしまうなんてヘマはしなかった。
銀時は頭に手をやり、そして、ちらりと隣を見る。土方のそのまた隣には、いつの間にか腰を掛けていたやくざのお兄さんがいた。
「まあ、わしほどじゃねぇがな」
似たようなもんである。
(京次郎くーん……今は引っ込んでくれない? ねぇ、三百円あげるから)
「三百円くらいで傾くような男に見えるか? 随分安く見られたもんだ」
銀時が酒を飲む手を止めてきょろきょろとしているのに気付いた土方が、不思議そうに顔を上げる。
「どうした」
「いや、なんか虫がいる気がして」
「ああ? 虫……ハエか?」
同じように辺りをきょろきょろする土方を見て、京次郎がやれやれと首を振る。
「虫とは失礼な」
「うっせぇ、狛犬」
「あ?」
京次郎にかけた言葉に、土方が振り返る。銀時はぶんぶんと首を振った。
「ゴマ団子食べたいなって」
「結局何か食うんじゃねぇか」
「だって腹減ったんだもん」
へらと会話を続ける銀時に、京次郎が「おーおー」と声を上げる。そんな京次郎を土方越しに見ながら、銀時は首を傾げた。
(確かに、いい男はいい男だけど)
京次郎も、なかなかに箔の付いたいい男だった。
銀時所望のゴマ団子を店主に頼み、実はこの店にゴマ団子なんて代物がないことに気付いたらしい土方が、どうしたもんかと口を尖らせている。
(俺の周りにゃ、いい男が多くてね)
ついでにいい女も多いときた。大抵はベクトルが銀時には向くことがないし、万が一に向いてきたとしても変態ばかりだが、だからと言っていい女ではないとは言えない。
(困る困る)
「惚れそうかい?」
(さて、どうだか)
そうは言っても、狛犬の方はとっくに死んでいるというのに。
(残酷なこと聞いてくるもんだ)
ああ、もしかしたら、とてもお気に入りだったのかもしれない。
もしも、奴があそこで死なずに、何らかの関係が続いていたら、それはまた特別な感情を動かしていたのかもしれない。
銀時は頬杖を突きながら、ふっと微笑んだ。
「お前……」
そんな銀時を見て、土方がその耳を摘む。
「あででで!」
「何考えてんだ。気色悪いぞ」
「だからってつね……抓んなよ!」
「大体、ゴマ団子なんてねぇじゃねぇか」
「知らなかったの? あたたたっ! ちょ、いて! いてぇって!」
ぺいっと払われた耳を撫でながら、銀時が口を尖らせる。不機嫌そうな土方の向こうで、京次郎が、にやにやと笑っていた。
(なんだよ)
「いや」
(何。気色悪い……)
「お前のお気に入りになるのも、悪くなかったかもなってよ」
そういえば、考えていることは筒抜けだったのだということを思い出す。
銀時はちっと舌を打って、それから徳利の中身の飲み干した。
「一杯終わったな。おら、帰れ」
「ケチ臭いこと言うなよ」
ごねる銀時に、席から立ち上がった京次郎がそっとその肩を抱いた。
「お……」
身体をわずかに引き寄せられた銀時は、不思議な力に引かれるまま椅子の上でバランスを崩す。
「そ、男は細かいこと気にすんな。そっちの方が」
回された手にそのまま額を撫でられ、銀時は、はたと瞬きを忘れた。
「惹かれるじゃろう?」
耳元で囁かれた言葉の意図を察し、わずかに心臓が跳ねた。
身体がよろける。椅子から落ちそうになった銀時に、土方はつい腕を伸ばした。
「あぶね……!」
「ど、まっ!」
力一杯腕を引かれ、土方の肩に額をぶつけた銀時が慌てて身体を起こそうとする。
「何してんだお前は……」
「いや、や! なんか、身体がだな!」
銀時はカウンターに腕を突いて土方の腕の中から逃れると、両手で頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
動揺したのは、土方に抱きすくめられたからではない。
京次郎のせいだ。それも、おそらく幻覚の延長と思われる京次郎に、妙なことをされたからだ。
(お前……何してくれてんだよ!)
何を考えても相手に伝わってしまうのはわかっている。だから、心の中で精一杯の悪態を吐いた。
しかし、対する京次郎は、にやにやと笑うばかりだった。おそらく、この動揺は的確かつ正確に伝わっているだろう。
「気まずいのう」
(お前のせいでな!)
肩を怒らせて、しっかりとした姿勢で椅子に座り直した銀時に、土方は不思議そうな顔をするばかりだった。
「おい、痛んだか」
「何が!」
「何がって……傷がだよ」
「傷……?」
脇腹をさすった。そして、京次郎が見えない土方は銀時の身体を心配しているのだと悟った。
はて、と首を傾げる。何をそんなにムキになって突き放す必要があったのだろうか。
「……いや、大丈夫」
「ならいい」
どこかよそよそしい態度になった土方に、銀時は思わず首を傾げた。相変わらずにやにやしている京次郎には、心の中で必死に悪態を吐くばかりである。
「それ飲んだら帰れよ」
「ん……うん」
銀時は徳利の中に注がれたもう一杯に口を付けながら、ちらりと土方の横顔を盗み見た。
(……ああ、なんか)
京次郎に触れられたこめかみを、ぐいぐいと拳で拭う。そして、揺らぐ胸を押さえながら呟いた。
(なんか、ごめん)
相手には、その向こうの相手が見えていないのだった。
居酒屋を出て、土方に言われた通り万事屋への道を歩き始めた銀時の袖を、土方がくいと引いた。
「聞かねぇけど」
「あん?」
傷の理由をか、それともどこか上の空だった銀時の気持ちをか、そのどちらとも知れないが、銀時は軽く頷いた。くわんと頭の奥が揺れる。
「痛むか」
「……聞かねぇんじゃなかったの」
何を聞かないか。それが痛みでないことを知りながら、意地悪を返す。土方が、眉間に皺を寄せた。
「そうじゃねぇ」
「大丈夫だよ」
「そうか」
恐らく、想像していた通りの答えを言えただろう。その言葉が安心を促したのか、それとも不満を促したのかは知らないが、少なくとも意表を突くことはなかった。そんな反応だった。
「土方くんは」
ぼうっと隣を見れば、そこには未だ京次郎の姿があった。
「これから暇なのかい」
「暇なわけあるか。明日も朝から仕事だよ」
「そうかい」
だろうね、と背中を翻す。困ったように笑った京次郎に、こいつらが出現している限りは銀時の思考は駄々漏れなのだと悟った。気恥かしいなんて思いはしないが、煩わしいと思った。
「万事屋」
「んー?」
間延びした声を上げれば、背後から頭を撫で付けられた。驚いて振り返る。土方はまるでなんでもないことのように、無表情のままでその手を振った。
「んだよ」
「いや、こっちの台詞なんですけど」
まんまと台詞を取られた銀時の頬を、煙草臭い指が撫でる。そして最後にぴんと額を弾くと、土方はようやく満足したのか、煙草を指に挟んでひらと手を振った。
「じゃあな」
「おう?」
ふらふらとする背中を見送りながら、銀時は呟く。
「変な奴……」
すると、隣の京次郎がくっと笑いを噛み殺し、そして銀時の一歩前を歩いて行った。
「気になったんじゃろうのう」
「何が?」
「匂いがしたんじゃ。きっと別の犬コロのな」
「犬……?」
先程、京次郎に掬われた首元を撫でる。
ああ、なるほどと思えば、丁度良いタイミングで京次郎が振り返った。
「色男を呼ぶ奴だ」
それが誰を指しているのか、一度その台詞を聞いただけではわからなかった。
銀時はぐるんと首を傾げ、そして「あー」と間延びした声を上げた。





聞かないで済むのは土方くらいのものだ。
翌日、包帯を取り変えていると、万事屋を訪れた新八に渋い顔をされた。
「銀さん、昨日飲みに出たらしいじゃないですか。神楽ちゃんから聞きましたよ」
「だって長谷川さんが」
「長谷川さんなら、駅前の立ち飲み屋でバイトしてましたけど」
「……あれ」
さっさと嘘がばれてしまった。銀時はきょとんとした顔で新八を見上げる。
「銀さん、酷いじゃないですか。外に出たいならそう言ってくださいよ。嘘までついて……これじゃあ神楽ちゃんが可哀想です。それに……」
「新ちゃん、怒ってる?」
「当然です!」
ばん、と目の前に回覧板を置かれた。
「罰として、お願いしますね。回覧板」
「う……」
万事屋の次は裏の花屋の屁怒呂様宅である。銀時はソファに深く座り直し、そして包帯を巻く手を早めた。新八なりの鬱憤の晴らし方ならば仕方ない。
「総ちゃんと同じくらいの歳かしら? 随分心配してくれて……弟ですか?」
「んなわけあるか」
隣に現れたミツバに、銀時は小声で答える。当の新八はと言えば、掃除機を掛けるのに夢中で、銀時の声には気付いていない様子だった。
「十四郎さんと、総ちゃんみたいな関係?」
「あいつらがどういう関係かは知らねぇが、うちの新八の方がおかん気が溢れてるのは間違いないねぇ」
「まぁ」
上品に、そして可愛らしく笑うミツバに、銀時は肩をすくめた。
「じゃ、回覧板行きますか」
「はい」
「お願いしますよ、銀さん!」
ついてくるつもりらしいミツバと、見送るつもりの新八の声が丁度よく重なったものだから、銀時はついつい吹き出してしまった。
回覧板さえ渡してしまえば、屁怒呂閣下恐るるに足らず。
さっさと新八の罰を終わらせた銀時は、そのまま着流しの懐に腕を突っ込み、ミツバを連れて歩く。連れる気がなくとも、彼女は勝手に付いてくる。
「お前、なんで昨日突然消えたんだよ」
意地の悪い質問とわかっていながら問い掛ければ、ミツバは口元に指先を当てて黙り込んだ。
自分の目に見えているものの仕組みが、少しだけわかってきた気がする。一人が現れている時に、別の誰かは現れない。だから、もしあの場にミツバが居続ければ、京次郎は現れたなかったのだろう。
「お陰で、俺、椅子から落下しちゃったんだけど」
「突然いなくなったのは謝るけれど……」
言い難そうにしているミツバに、銀時は更なる意地悪を仕掛けてみたくなり、思わず口角を上げた。
最早、銀時の頭の中から彼らが幻覚であるという考えはすっかり消えていた。
「お前さ、あいつのどこが良いわけ」
意地悪の延長で、再びそんな問い掛けをしていた。今度こそそのあいつが誰か、彼女には確実に伝わったことだろう。
すると、ミツバは唇を少し噛んで、それから言った。
「本当は、すごく優しいのよ。あの人」
「……へぇ」
「大事なもののために自分の気持ちは二の次にして、だからずっと一人きりで」
ミツバを見ていた視線を逸らす。ついと見れば、青い空の合間をふらふらと天人の飛行船が飛んでいた。
「……それは、理由にならないかしら」
「俺、思うんだけどよ」
「はい」
「俺は、人をちゃんと好きになったことがねーからわかんねぇけど、多分理由とか、理屈とか、そういうものじゃ推し量れねぇんだろうな」
「……そうね」
「きっと、理由があった方が良いこともあるだろうけど、そういうんじゃねぇんだろうな」
ぼんやりと空を見る銀時を見上げ、ミツバが微笑んだ。
「……そうかも、しれませんね」
綺麗な女だ。そう思って、つい目を細める。
「あいつのこと、今も好きかい」
「ええ」
その答えにどこか安心して、銀時はふぁーっと欠伸をするふりをした。安心なんてものを見透かされるのは気が引けた。
「いいねぇ。いい女に惚れられて。羨ましいったらねぇや」
「銀さんだって、言うほどモテないわけじゃないでしょう?」
「そんなことねぇよ。どこぞのマヨラーより全然だ」
銀時のそんな台詞を聞いて、ミツバがそっと銀時の帯を肘でつつく。そして、少女のように笑った。
「私、銀さんのことも大好きよ」
「言うねぇ。まともに顔を合わせたのなんて、ほんの短い時間だってのに」
気も使える。旦那の三歩後ろを歩き、影踏まないだろう立派な女。この世にいないのが惜しいくらいの女だ。
亡き後さえ想われている。きっと、病院の屋上で泣き腫らしたあの男は、彼女の墓標にさえ応えることはないだろうけれど、こんなにも想われている。
「あんた、死んだの惜しいわ。俺がもらいたいくらい」
「そうねぇ、私、もっと早く銀さんに会っていれば良かった」
冗談のように言って退けた彼女に、思わず吹き出してしまった。
「一緒に十四郎さんの所へ挨拶に行くの。そうしたら、少しくらい後悔してくれたかしらね?」
後悔などしない。あの男は、絶対に後ろを振り返らない。
そんなこと、きっと彼女ならわかりきっている。だけど、こんな少しだけひねくれた冗談を言う。
銀時は顎に手を当て、その冗談に乗ったふりをしてやった。
「そうだな。流石に俺が相手じゃあ、あの野郎もきっと奥歯ぎりぎり噛み締めただろうよ」
「そうね。ちょっとだけ、そんな顔が見たいわ」
声を上げて笑うミツバの姿に、良かったと思った。
この際、彼女が亡霊でも幻覚でも何でもいい。ただ、病魔に悩まされていない彼女の姿を見れただけで、この謎の症状には意味があったのだ。
「銀さん」
「んー?」
「ありがとう」
はたと瞬きを止めた。その言葉は、まるでさよならと同意義に聞こえたからだ。
「ありがとう。ちゃんと、お話してくれて」
「あー……お前、幻覚だったか、亡霊だったか……」
「我慢してくれて」
ふわりとミツバの前髪が揺れた。彼女が首を傾けた。そして銀時の手を握る。
「多分、好きなんでしょう?」
確信しているとは言えなかった。ただ、彼女が言うのだから、銀時の心の内を覗くことのできる彼女が言うのだから、恐らくはそうなのだろう。
銀時は頭を掻いた。
「言ったろ。俺、わかんねぇんだよ。好きとか、嫌いとか」
「ええ」
「でも、なんつーか、ちょっと変な気はする」
もどかしいとか、そう呼ぶのが正しいのだろうか。ただ、変な気がする。この気持ちを言い当てる言葉を思い付かない。
そんな銀時の手を握ったまま、ミツバが続ける。
「なのに、押し殺してくれる貴方も、とても優しいわ」
何を押し殺しているというのだろう。
そんなことを考える余地もなかった。銀時は肩をすくめてへっと笑うと言った。
「まぁ、銀さんってば男の子だからね。レディファーストってやつよ」
優先すべきは女の子の気持ちだろうし、そもそもどちらかと言えば否認したい。そこで意固地になっては、認めたも同じなのだ。
そう言えば、ミツバはそっと微笑んで、銀時の手を引いた。
「本当はね、銀さんが血をたくさん流して倒れてる時、総ちゃんを呼んだの。総ちゃん、お願い銀さんを助けて。助けてって」
「流石姉弟。見事に通じたじゃねぇか」
「でもね、来てくれたの、総ちゃんじゃなかったの」
その言葉に、銀時は足を止めた。
「は?」
「十四郎さんだったのよ」
「でも、新八が沖田だって……」
「最初に貴方を見付けたのは……」
ミツバがそう言い掛けた時だった。遠くからあおんと犬の鳴き声がして、続いたのは「銀ちゃーん」という神楽の声だった。
銀時がその声に気を取られている内、ミツバの姿は消えてしまった。
「……なんだ、知ってたんじゃん」
頭の中に、本当はすごく優しいのよというミツバの声が木霊した。





沖田に、せめてどこで自分を拾ったのか。その状況を聞かなければならないとは思っていた。その対象が移り変わっただけで、尋ねる内容にはなんら違いはない。しかし、少しばかり気まずいのは何故だろう。
銀時はソファに寝転がったまま、長い溜息を吐いた。
「どうしたんすか、銀さん……傷痛みます?」
「いんや……」
あれから、ミツバの姿は見えなくなってしまった。かと言って、別の誰かが姿を現すこともない。今まで見えたものが突然に見えなくなると、少し寂しくなるものだ。適当な会話をする人間が減ってしまったのだから。
「何言ってんだ、俺は……」
元より、幻覚と話していて、それを会話と呼んで良いものか。
「は?」
「なんでもねーよ」
銀時は身体を起こし、不思議そうな顔でお茶をすする新八の顔を見た。
「お前さ」
「はい?」
「親父さんの夢とか、見たりする?」
「父上の、ですか」
新八は暫く考えてから「すごく、たまに」と曖昧な返事をした。
「ここのところさ、白昼夢が見えるんだよな」
「へぇ」
「でさ、死んだはずの奴が見えるわけ」
「怖いですか?」
「……怖い?」
思った程反応のない新八の方が、余程怖い。
銀時は怖いか、との問いに暫く考え込んでから首を振って答えた。
「いや、全然。親しげに話し掛けてくるから、尚更怖くもなんともねーの」
「じゃあ、大丈夫ですよ」
「何が?」
へらと笑った新八が、人差し指を立てて言った。
「怖くないってことは、銀さんにとって害のない幽霊なんですって。なんか、そんな話を聞いたことあります」
「そういうもんか? ていうか、誰が幽霊見えるって言ったよ」
「白昼夢だか幻覚だかなんだか知らないですけど、怖くないならいいじゃないですか。じきに見えなくなりますって。それまでは見えなかったんでしょ」
「まぁ、そりゃあ」
歯切れの悪い銀時の言葉に、新八は湯飲みに残っていたお茶を飲み干して、そっとソファから立ち上がった。
「お盆過ぎたばっかりだし」
「そういうもんかよ」
「あんた、いろんな人に関わってるじゃないですか。仕方ないですって」
寄せ付けてしまうみたいな言い方をされると、少し困る。
「お前、驚かないの」
「あれだけ不思議なことばっかりあって、今更驚くことありますか?」
そりゃあそうなんだけど、と銀時が頭を掻けば、新八は台所で「今日の夕飯、何にしよう」などとぼやいていた。
「心配だったら、お祓い行けばいいでしょ」
「そっか」
そうだ、最後にはその手があった。
とは言っても、ここ暫くは姿を見ていないから、新八の言う通りその必要はないのかもしれない。それに、実害はない。
(……あいつらのためにも、一応聞いておかないとならないか)
第一発見者であるところの土方十四郎に、話を聞かなければなるまい。
「ぱっつぁん、ちょっと出てくるわ」
「お祓いですか?」
「まぁ、似たようなとこ」
あいつがいれば、ミツバは尚更出て来ない。似たようなところだろう。
銀時は原チャリを走らせ、真選組の屯所に向かった。平日の昼間であるからここにいる可能性は低いが、それでも闇雲に町中を歩くよりは確実であった。
「ごめんくださいよっと」
「あ、旦那だ」
気だるそうに声を上げたのは、沖田だった。
「あ、サボり魔だ」
「違いまさァ。昼寝昼寝」
「サボりじゃん」
「昼寝が文化の星だってあるそうですよ」
「そりゃあ羨ましいな」
さて、と銀時は屯所の中を見回す。
「いる?」
「俺ならここに」
「そうじゃなくて」
つまらなそうに肩をすくめた沖田が、首を横に振った。
「まだ戻ってやせん」
部屋の中をひょいと覗き込み、恐らく時間を確認したのだろう。すぐに出てきて、沖田が言った。
「もう少しで三時ってとこだから、あと三十分くらいで戻るでしょ。お茶でも用意しましょうか」
「そうだな。お前にも話聞いておきたいし」
「へぇ?」
沖田が不思議そうな顔をした。しかし、すぐに合点がいったのか、額からアイマスクを外し、そして、近くを通った隊士に客間にお茶を用意するように声を掛けた。
通された客間は小さなもので、銀時は備え付けのテーブルの元に腰を下ろす。
「この間の、傷の話ですかィ」
銀時は自分の腹部をそっと撫で、そして頷いた。
「あの前後の記憶がねぇんだ。だから、一応お前らに聞いておこうと思ってよ」
「旦那は、中々余計なことに首を突っ込みやすからねィ」
「ほっとけ」
注意はしているのだが、時々事後処理が行き届かないことがある。その不始末のせいだとしたら、神楽と新八に迷惑を掛けかねない。
運ばれてきた茶菓子とお茶に手を付けながら、沖田が呟く。
「俺が見付けた時には、もう旦那しかいやせんでしたよ。だから、あんたが何してたかとか、誰に刺されたかとか、さっぱりでさァ。むしろ、俺が知りたいくらい」
「そうか……あれ、どこだった?」
「どこだったって、そんなことも覚えてねぇんですかィ」
意外そうな沖田に、銀時はぽりぽりと頭を掻く。そして、静かに頷いた。
「実は、俺もよく知らないんでさァ」
「ああ?」
「口止めされてんですが、第一発見者は別の人間でねィ」
「だから話を聞きに来たんだって」
「前後不覚だったのに」
沖田が、少しだけ語尾を強めた。
「そんな旦那が、なんで第一発見者を知ってんです?」
しまったと思った。
幻覚が言う言葉を鵜呑みにしたとしても、だ。口止めをされているということは、新八も第一発見者は沖田だと思っている。そして、この口調から察するに、組の中にもそれを知る人間はいない。知っているのは沖田と、その張本人だけなのだろう。
「野郎が見付けた時には、旦那はもう意識を失ってたって話だ。一体、どこでその情報を得たんで?」
「……さてね」
下手に白を切るのは、この男相手では上手くない。頬杖を突いて、暫し考える。
「なんとなく」
「なんとなくですかィ」
目の前のせんべいを齧り、銀時は「あ」と思った。
「それ、辛くねぇですかィ。旦那……」
「美味いけど」
「そうですか」
恐らく、激辛せんべいだ。盆を過ぎたから、供えていた分を引き上げてきたのだろう。
誰にか、彼女にだ。
「まぁ、相手が旦那じゃあ、いつか割れるかぁ」
「そういうこと。喋っとけよ。今の俺には菩薩と狛犬が付いてんだから」
「なんの冗談ですか、それ」
ぷっと笑った沖田が、眉を寄せたまま言った。
「旦那お察しの通り、第一発見者は土方の野郎でさァ。で、屯所近くだって言うから俺がお迎えに行って、周辺捜査に当たったのも、これまた土方。だから、あの野郎に聞くのが一番だと思うんですけどねィ。だが、あの意地っ張り、俺には黙ってろなんて言いやがりまして。だから、病院運んだのも、眼鏡に連絡したのも俺でさァ。感謝してくだせぇよ、旦那」
「そいつは御苦労だったね、総ちゃん」
「……だん」
すぱん、と襖が開いた。そこから現れた三白眼に、銀時と沖田は口を閉ざす。
「あーあ、折角旦那と休憩してたのに」
「お前は朝から晩まで休憩してんだろうが。仕事に戻れ、総悟!」
「へいへーい」
ひょこひょこと部屋を出て行った沖田がちらりと銀時を振り返る。そして、口の前で人差し指を立てて言った。
「旦那、もう一回」
つい口を突いて出てしまった呼称を振り返り、銀時はむーっと口を尖らせる。
先日まで一緒にいた女を思い浮かべながら、できるだけ丁寧な口調で言ってやった。
「行ってらっしゃい、総ちゃん」
「やったぁ」
そのやりとりに、土方が心底不思議そうな顔をした。
「なんだ、今の」
半ば早足で出ていった沖田が、今度は振り返りもせずに「関係ねぇだろい、死ね」と言い残して、廊下の奥に消えた。
「コラ、総悟テメェ!」
「いいからいいから、ネタは割れてるんだから土方くん、ちょっと銀さんと休憩しようじゃないか」
「なんで俺がテメェと休憩しなきゃなんねーんだ。テメェなんざ、二十四時間三百六十五日休憩だろうが」
「お、よく知ってるねー」
土方はどかっと銀時の前に座ると、口に新しい煙草を銜え、ライターを鳴らした。
「あんだよ。テメェから誘うなんて、碌な用じゃねぇだろ」
「お前、俺が怪我したこと知ってたんじゃん」
「……知ってたよ」
「その時の様子を聞こうと思ってよ。一応、沖田くんが第一発見者だって言うから」
会話に伏線を敷くことは容易で容易い。こうすることで、銀時が察したと思わせないように仕組んだ。
沖田には若干申し訳ないが、恐らく彼はそんなこと気にもしないだろう。
「総悟の野郎……バラしやがったのか」
「まぁ、俺がカマ掛けたんだけどね」
「どっちにしたって切腹だ」
「そう言わない言わない」
ぺっぺと手を振った銀時に、土方は口を閉ざし、それから目を伏せた。
「ゴロツキ長屋の近くだ。そこでお前は腹刺されて倒れてた。傷から得物はドスだろうと判断したが、周囲にチンピラややくざもんの姿は無かったし、人気もねぇ。出血量はともかく、目立つ外傷は刺し傷だけだったから喧嘩とは考えにくい。一応捜索は続けてるが、目立った情報はゼロだ。まぁ、こんなところだな」
「目星は? どうせついてるんだろ?」
「あの辺りで、以前やくざ同士の抗争ででかい喧嘩があっただろ。不思議なことに、やくざ屋どもはみーんな病院送りになったし、そのお陰で組も解体もされたって話だが、その残党が居付いてるらしくてな。俺は、そこに目ぇ付けてる」
「……へぇ?」
ふーっと煙を吐いた土方が、頬杖を突いて興味のなさそうな銀時をぎろりと睨んだ。
「まさかとは思うが、テメェ、一枚噛んでやしねぇだろうな」
「やくざもんなんて面倒なところに首突っ込むかよ、バーカ」
「理由はともあれ、そういうバカがお前だろが」
銀時の背後で、くっくと笑う声がした。
(笑うなよ)
「ああ、悪い」
銀時に背を預けて、そして溜息を吐いた男を今はそのままに、目の前の土方にチャラけて見せる。
「前に痛い目見てるからな、俺は。そういうのはやめたの」
「だといいんだがな」
「半分は本当じゃのう」
口を出してくる京次郎の脇を肘でつついて、銀時はすくりと立ち上がった。
「まぁいいや。そこまで聞ければ十分だ」
「余計なことすんなよ」
「わぁってるよ。おまわりさんの邪魔になるようなことはしないって」
先程沖田の出て行った襖を開けて、土方に背中を向けたままふと思う。
この男は、そうしたら喜ぶのだろうか。そうでないことを知りながら、からかいたい衝動に駆られた。
「じゃあな、十四郎さん」
土方の顔も見ない内、気付けば再び畳に腰を下ろしていた。着物を力一杯引かれたのだと気付いた時には、首に腕が巻き付き、羽交い絞めにされていた。
「テメェ」
呆然とした顔をすぐ真横に見て、銀時はつい手を伸ばした。
(京次郎、悪い。動くな)
振り返ろうとした京次郎を廊下に留めたまま襖を閉める。壁の向こうから「おいおい」と声が聞こえた気がした。
「なんなんだよ、今の」
襖の向こうの声など、もうどうでもいい。今は目の前で困惑している男をどうにかせねばなるまい。
羽交い絞めを解かせて少し噎せて見せれば、明らかに動揺した土方が視線を逸らした。
「別に、深い意味はねぇよ」
「さっきの総悟にも」
「だから意味はねぇって」
「そういうのは」
眉間に皺を寄せてしきりに睨んでくる視線を正面から受けながら、銀時は首を掻いた。土方の声は、やはり怒っている。
「不愉快だ」
「悪ふざけしたい時もあるさ」
レディファーストでいろいろ我慢したのだから、これくらいは許して欲しい。そう言えば、彼女はきっと許してくれるだろう。
けれど、この男はそうはいかない。それがわかっているからこそ、銀時はこうして悪ふざけに興じた。
「沖田くんは喜んでくれたけど」
「俺は、腹が立つ」
胸の中で、だろうねと頷いた。
何故腹が立つのか。そこまで言いはしなくとも、不愉快なのはわかりきっていた。踏み込んで良い場所と踏み込んではならない場所に分けたら、間違いなく後者だろうから。
「俺には優しくないしなぁ」
「話を逸らすな」
「まぁ、そうなんだけど。俺にも優しくしてくれたら、それが理由になんだけどなって」
不思議なことを言う銀時に、土方の怒気がわずかに削がれてしまった。
その瞬間に、銀時はついと土方の額を押す。
「不器用でも、せめてお優しければいいのになぁ」
「何言ってんだテメ……!」
わずかに生まれた距離を使って、足を上げる。土方の身体を蹴って立ち上がった。
「足グセの悪い奴だな!」
「うるせぇよ、バーカ」
銀時は襖を開けて、そこで立ち往生していた京次郎に声を掛ける。
「行くぞ」
「おう、もう良いのか?」
京次郎の問い掛けには答えず、廊下をどすどすと歩く。部屋の中から、「オイコラ」と土方の声が聞こえた気がしたが、振り返りはしなかった。
「俺は、やっぱりちょっとあの姉ちゃんが羨ましいわ」
そんな独り言を拾ったのは、ただ一人、京次郎だけだった。





屯所を出て原チャリを引きながら、銀時はつい呟いた。
「で、そういうわけなのかい。狛犬さんよう」
「ああ?」
長い前髪を掻き上げた京次郎が、静かに溜息を吐いた。
結局、彼らの存在の謎は直接的には解けないままだ。
銀時は記憶を欠いている。自らが見たはずの自分を刺した人間のことを綺麗に忘れている。見えるはずのない彼らが見える。
こうも考えることができる。実はこれは、最初から因果があってのことだったのではないか。
中村京次郎にこの肩を貸したことが理由となって生まれただろう、その腹の傷を撫でる。
「まぁ、そういうことじゃろうのう」
歯切れの悪い言い方をする京次郎に、銀時は思わず笑みを溢した。
「俺、お前のこと、恨んじゃいないよ」
「……ああ」
「これも、自業自得の内だ。土方にも言われたし、首を突っ込んだ俺が悪い。お前は、なーんも悪くねぇんだ」
かりかりと頭を掻いた京次郎の眉間に深い皺が寄る。生前に拝んだそのおっかない面は、どこか困惑を浮かべていた。
「安心していいんだよ」
もしかしたら、これを伝えるために自分は京次郎を呼び付けたのかもしれない。そう言いたかったのかもしれない。
京次郎の額をぐりぐりと指で撫で付ける。そして、くっくと笑った。
「それに、俺ぁよ、お前みたいな野郎が好きでね」
「そりゃあええ趣味じゃのう」
「言ってろ」
意地っ張りで、大事なことは誰にも言わない。墓の底まで持って行くような、そんな男は嫌いではない。
「万事屋の」
「坂田銀時」
「銀時か」
「そう」
「お前、ええ男じゃったわ」
少年のように笑ったやくざの男が言った。その言葉に、銀時は溜息を吐く。
「ほんと、もうちっと早く会ってたらいいツテもできただろうに」
「やくざに貸し借りなんて作るもんじゃねぇさ」
「それもそうだ。身体で返せなんて言われたら困っちまわぁ」
「悪くねぇのう」
軽口が半分程、残り半分は本気かもわからない。本気であってもどうしようもない。相手はもうこの世にはいない。
今目の前にいるものが口にしている軽口だって、銀時のストックから生まれたものかもしれないのに。
(おやおや、死人にはあまり関わるもんじゃねぇや)
遠くの夕日を見た時、うっかりぽろりと落ちた雫を隠すため、銀時は京次郎の先を行く。
「とにかく、お前はもう消えてよし」
「つれねぇなぁ」
「幻覚だか幽霊だか知らねぇけど、危ない男とは関わらない主義なんだよ、俺は」
「そういう男の方がそそられねぇかい?」
「言ってろバーカ」
もう少し早く出会っていたならば、この狛犬は死ななかっただろうか。もう少し早く出会っていたならば、この狛犬は今と同じように、こうして銀時に軽口を叩いていただろうか。もう少し早く出会っていたならば。
「じゃあな、銀時」
違う未来を、共に過ごせただろうか。
銀時は振り返る。そこにはもう、見知った狛犬の幻影は見えなかった。
「今度、また会いに行くさ」
だから、とっとと消えちまいな。
手向けの言葉はそれで十分だった。





ただいま、と戸を叩けば、口の端にご飯粒を付けた神楽が迎えてくれた。
「銀ちゃん、どうしたアル」
「あん?」
「元気ない」
それだけを言って、食べ損ねていたご飯粒を拭って口に入れた神楽が、とたとたと居間に戻っていく。どうやら、今日は新八がいないようだった。
「新八は」
「今日はお通ちゃんのらいぶでーぶいでーの発売日だから、徹夜で上映会だーって飛び出して行ったヨ」
「若いねぇ」
どこでやるのかは知らないが、新八にとっては大層熱い夜になるに違いない。
銀時は台所に入って自分の茶碗に飯を盛ると、神楽の正面に座った。
「銀ちゃん元気ないから、特別に鮭フレークあげる」
「おう、さんきゅ」
差し出された鮭フレークのビンから白米にフレークを撒き、そして、一心不乱に掻き込んだ。
「ケガしてんだから、ほどほどにな」
「そうだな」
神楽なりの気遣いに、つい込み上げてくるものがある。
(死人を追っ掛けるもんじゃねぇな)
死人に興味はない。だから、追うような真似もしない。そう、遠い昔に誓って、実行してきたはずなのに、ふと揺らいでいることに気付く。
これだから、いい男って奴は。
「銀ちゃん」
「ああ?」
「眉と眉の間にね、皺が寄ってるアル。銀ちゃんらしくないネ」
「あ」
言われてはっとする。眉間に緊張が集中していた。これじゃあまるで狛犬本人ではないか。
銀時は眉間の皺を撫で付け、そして溜息を吐いた。
「銀ちゃんは、勝手にいろいろ片付けちゃうから」
「うん」
「勝手は駄目ヨ」
「……そだな」
「そんな顔すんなヨ」
「ごめんな」
神楽が、すくりと立ち上がる。口の端の米粒をぺろりと舐めた。
「ごちそうさま」
「おう」
そのまま台所に駆け込んだかと思うと、居間のソファには戻らず、ごそごそと脱衣所に入って行った。就寝準備を始めようと言うのだ。
銀時は取り残された居間で、茶碗の中にわずかに残った鮭フレークを見下ろした。
「勘弁してくれよなぁ、京次郎」
呼び掛けても、もう彼は現れないのだということに安心し、そして脱力した。





朝、目を覚ますと、銀時の布団のすぐ側に沖田総悟が正座していた。
「おや旦那。思ってたより随分早いお目覚めで」
「……お早う」
「おはようございまーす」
正座のままぺこんと頭を下げた沖田に合わせて、銀時もぺこりと頭を下げる。そして、手近なところにある時計を見た。
「なんだ、まだ八時じゃん」
ばさっと布団を被れば、すぐにその布団を沖田に剥がされた。
「何しやがる!」
「もう八時でさァ」
「なんの用だよ!」
「旦那、自分を刺した相手のこと、本当になーんにも覚えてないのかと思って」
いそいそと同じ布団に入ってきた沖田を足蹴にしながら、銀時は自分の布団から抜け出て行く。
「ったく! 何、お前!」
「いやぁ、嫌がられるとつい追い掛けたくなるってやつでさァ」
「気色悪っ!」
表情を変えないままの沖田が、銀時の布団に寝転がりながら、ついと表情を伺ってくる。
「で、何か思い出したかなーって」
「事情聴取かい?」
「似たようなもんですねィ」
そのまま銀時の布団の上でアイマスクを被って眠り始めた沖田に、銀時はがっくりと項垂れる。
「覚えてないから、この俺がわざわざテメェらに話を聞きに行ったんだろうが」
「そうなんですよねィ。じゃあこの話は?」
「ああ?」
「中村組とかってね、ゴロツキがほざいてるそうで」
「……その話か」
「心当たりは?」
「お前、口軽いだろ」
「御存知の通り、相手によります」
アイマスクを上げて再び銀時のことを見上げてきた沖田に、銀時は溜息を吐いて見せた。
沖田に動く気配はない。神楽が寝床に使っている襖を顎で示せば、沖田はとっとと身体を起こし、そしてついと襖を開けた。
「安心してくだせぇ。空ですぜィ」
「……その中村組の組長になっただろう野郎の心中に、付き合ったことがあってな」
「心中?」
「俺が殺したわけでも、介錯したわけでもねぇが、ただ看取ったのは間違いねぇ。それが、妙な繋がりになっちまったのかもしれねぇな」
相変わらず沖田の表情は変わらないままだった。けれど、その団栗眼が虚空を見つめ、ぽんと手を叩く。
「わかりやした」
「何が?」
「何、土方クソ野郎の読みと俺の大予言は間違っちゃいなかったってことでねィ」
意外な人間の名前に、銀時は思わず「はぁ?」と声を上げる。
「旦那も俺に話してくれたし、俺も旦那に話したいことがあるんでさァ」
「へぇ?」
薄々仕組みに気付いてきた銀時は、甚平の紐を解きながら、沖田の声に耳を傾ける。
「とりあえず、ここに入ってたチャイナと、それから眼鏡も一足お先に屯所で匿ってますのでご安心を」
「下のババア共は」
「旦那には俺が、あと、下は山崎の野郎が付いてますんで」
早々に甚平を脱ぎ去り、身支度を始めながらも、銀時は沖田の単調な声を聞く。
「俺も妙な夢を見ましてねィ。それが引っ掛かってしょうがねぇ。仕事も手に付かねぇと思っていたらだ。旦那が刺された時の目撃証言が上がりましてねィ」
「それが沖田くんの予言のお陰だったってか」
「何、夢に知り合いが出てきてね。あまりにも信憑性のある話だから、俺も調べ事に夢中になっちまいまして」
銀時は、思わずふっと笑う。
そして、沖田とすれ違い様、その背後に立っていた女性の額をつんと小突いた。
(お前ね)
「うふふ」
そんな挙動に、不思議そうな顔をした沖田が振り返った。
「旦那?」
「ここんところ、なんかいろいろ担いでてよう。肩凝りがひどいったらねぇや」
「そいつは御苦労なこった」
声色から、感情は上手く読み取れない。沖田はそういう奴だ。
銀時は肩を軽く回し、そして「うし」と声を上げた。
「それで? 俺はどう立ち回りゃあいい」
「やだなぁ、わかってるくせに。おとなしく俺と引きこもりでさァ」
「やだなぁ、お前の方こそ、わかってるくせに」
楽しそうな時の表情だけは別だ。とても子供っぽい、嫌みな顔をする。
「流石旦那。まぁ、傷が開かない程度にお願いしますよ」
「痛いのは俺だからね。わかってらい」
そう言って、銀時はひらり手を上げた。腰には、木刀が下がっていた。





噂のゴロツキ共が潜伏しているという通りには、既にちらほらと真選組隊士の姿が見えた。
(これだけ怪しまれてたら、誰も表なんか歩かねぇっつーの)
銀時自身も路地に紛れ、そして沖田に案じられた傷をそっと撫でる。
そもそも大して深い傷じゃない。刺さりどころが悪く、失血が多かっただけだ。それとタイミングだ。
「それって、大した傷なんじゃないかしら」
「あのねぇ、お前とだべってる間にどばどばと出血したわけよ、こっちは。だからお前のせいでもあんだぞコノヤロー」
「あらひどい。それは濡れ衣よ」
ぷうと口を尖らせたミツバが、銀時の隣にしゃがみ込んだ。
「それより、どうするの? 銀さん」
「別に。警察屋さんがあっさり検挙してくれるってんなら、俺は見物人になるだけさ」
「そうじゃなかった場合は?」
「さぁてね」
そう言うと、ミツバは沖田と似たような目をきゅうと細め、そして、静かに立ち上がる。
「私の好きな人達は無茶ばかりするから、心配だわ」
「お前みたいな別嬪に言われると、うっかりドキッとするわ」
銀時はミツバの手を取り、そしてそれをぎゅっと握った。
「言ったろ。痛いのは俺だからな。無茶はしねぇさ」
「本当よ」
「おう。それより、沖田に言うことはねぇのか。京次郎も消えちまった。お前も、消えちまうんだろ」
「総ちゃんには、前にもちゃんとお話したもの。大丈夫よ。私の役目は、銀さんの無事を祈ることなんだから」
「……ミツバ」
そういえば、彼女は自分の幻覚から始まっていたということをすっかり忘れそうになっていた。それは、彼女のせいだけではなく、京次郎の影響もあった。
銀時は、そんな幻影に笑い掛ける。
「野郎にも、伝えることはねぇのか」
「それなら尚更。ずーっと昔に、もう伝えたから」
「そうか」
「あえて言うなら、一個だけ」
「あん?」
ミツバは銀時握られた手を見下ろして、それから銀時の胸をとんと叩いた。
「あの人と、仲良くね」
銀時は思わず呆然として、それから固唾を飲んだ。
「気色悪ぃ……」
「またそういうことばっかり」
笑ったミツバに、他に何も言い返すことができなかった。
そっぽを向いて頭を掻く。そのまま背中を翻し、銀時は目を伏せる。そんな銀時の背中に、ミツバは声を投げ掛けた。
「銀さん」
「あんだよ」
「ありがとう、さようなら!」
返事をするために、喉が動かなかった。だから手を振った。きっと彼女は全てを見透かして笑っただろう。


十一


ちらほらと見知った人間がいる。その隙間をすり抜けながら、銀時は土方の姿を探していた。できれば、見つかる前に見つけておいて、出会したくはないところである。
「……出て来てねぇのか」
恐らく、組の人間は、銀時が紛れ込んでいることに気付いている。先程からちらほらと視線を感じる。もし出て来ていないにしても、土方か近藤の耳に入るのは時間の問題だろう。
いつだってゴロツキが集まるような場所の相場は決まっている。じめじめとして薄暗い場所だ。
ドブの流れている長屋を道なりに進めば、障子の破れた部屋から何者かが銀時を覗いていた。
「おい」
痩せ細った男が、その部屋から現れた。銀時は、思わず木刀の柄に手を掛ける。
「……なぁ、ここいらで色男を刺したっていう野郎の話は聞いてねぇかな」
「色男だって?」
ドスを構えた男の目が血走っている。長屋の部屋の中からは三人の男が現れた。
「やれやれ、随分と変わっちまったな」
ひょいと耳を掠めた声に、銀時は木刀を抜く。
「やっちまって構わねぇな」
「当たりめぇだ」
声の主の顔を見る必要もなかった。口角を上げる。
「じゃ、そういうことだから、きっちりオトシマエつけさせて頂きますか」
腹に穴が開いてようが、忠義を誓う人間を失い迷った人間を恐れことなどない。
銀時は木刀を薙いだ。この喧嘩、負けられるわけがなかった。
手始めに、痩せた男がふらふらと銀時にドスを突き出してきた。それを呆気なく木刀で払えば、続く男達は刀を持ち上げ、斬り掛かる。
「おせぇよ」
――飛び道具くらい持ってきな。
そう呟けば、背後で笑い声が聞こえた。
「あーあ、うるせぇや。本当に持ってたら面倒だ! さっさと終わらせちまおうや!」
一人を木刀で袈裟に斬り付け、二人目を殴り倒す。実も元で、京次郎がひゅうと口笛を吹いたのが聞こえた。
「一丁か」
その瞬間、銀時の頬をひゅんと弾丸が掠めた。銀糸の髪がはらりと散ったのを拳で捕まえて、ちっと舌を打つ。
「あのさぁ、お前黙っててくんない!」
「ケガのせいで動きが鈍ってるんじゃねーのか? あの時囲んだお前はそんなもんじゃなかっただろ」
「時と場合とノリってもんがあんだろうが!」
「さっきからごちゃごちゃうるせぇな!」
ついにゴロツキの一人が銀時に怒鳴った。その声が、ぴりりと銀時の鼓膜を刺激する。
「あーあ、うるせぇってよ、ホラ」
「なめられたもんじゃのう」
「そりゃあ、見えないからね」
京次郎の赤い着物が、はらりと舞った。
「いいから、とっとと終わらせろや」
「わぁってるよ」
長屋の壁に寄り掛かった男に、二人のゴロツキは気付かない。気付くわけがない。見えるわけが、ない。
銀時は、わずかな怒りで眉間が震えたのを感じた。
「ったく、サツは何やってんだかな!」
いつにしたって、ピンチの時に警察は駆け付けてくれない。
元より期待もしていないのだ。守護天使のような女とはもう別れてしまったし、危険を知らせてくれる人間もいない。そもそも、あれは最早人間ではなかったし。
「ていうか、あいつの弟が仕事もせずに背中押したせいなんだけどね」
発砲の音が響く。銀時は体勢を低くしそれを避けると、銃を持っている男の正面に潜り込んだ。銃口を向けた男の足を蹴り払い、そして、体勢を崩したその男の腹に木刀を打ち下ろす。
もう一人がひっと声を上げたその瞬間に、木刀で下段から薙いだ。
「う、わあ」
それを避けようと体勢を崩した男に突きを捻じ込む。その剣気が風を起こし、男を長屋の奥まで吹っ飛ばした。
銃を握ったまま泡を吹いている男の上に座り込み、銀時はその銃を持ち上げた。
「やれやれ、所詮は、持つ人間の技量次第だわな」
「おうおう、それは褒められてるって受け取っていいかい?」
「おめーじゃねぇよ。調子乗んな」
さて、と京次郎が銀時の頬を撫でた。血が流れているらしい。京次郎の指に血が付いた。その指を舐めて、京次郎が呟いた。
「有難うな」
「こういう輩がもう出て来ないことを祈るぜ」
「おう、生き残りには、わしが夢枕に立って回ってやらぁ」
ニッと笑った京次郎に、銀時も思わず笑みを溢す。
「そいつはおっかねぇや」
先程の銃声にようやく気付いたのか、遠くからざわめきが聞こえてくる。銀時と京次郎はそちらを眺めながら、ぼんやりと呟いた。
「沖田の姉ちゃんとも、ちゃあんとお別れしたからな。お前とも、今度こそお別れだろ」
「なんだ、切ねぇなあ」
「言ってろ」
京次郎は、ぽんと銀時の頭を撫でた。またも銀時はその顔を見上げることができず、目を伏せる。
「墓参り、期待してるけんのう」
「病み上がりに、忙しいねぇ」
そんな銀時の言葉に、京次郎はくっくと笑うとその手を離した。
「じゃあな、銀時」
その言葉に、銀時は顔を上げないまま、ゴロツキの腹を腰掛けにしたまま頬杖を突いた。
「あーあ、傷開いたな。コレ……」
ぼうっと離れていく意識の中、はっきりとした声が届く。
「なんでテメェがここにいやがんだ」
空気を震わせて伝わる現実の声に、銀時は顔を上げる。そこには、不機嫌色全開の土方十四郎の姿があった。
「しかも、何してくれちゃってんのお前は。何、その敷いてるやつ」
「正当防衛ですよ、おまわりさん」
「あのなぁ!」
土方が、ぐっと銀時の腕を引っ張った。立ち上がった銀時の着流しには赤い染みが滲んでいる。
「バカかお前は! 傷開いてんじゃねぇか!」
「つい」
つい、尻ぬぐいに全力になってしまった。
「何がついだ……」
「つい、知り合いの男前のために頑張らなきゃならない気持ちになっちゃってさぁ……」
一瞬はたと瞬きを止めた土方が、続いて目を逸らした。
相手が残念な早とちりをしているような気がして、銀時はその肩に凭れかかる。
「言っておくけど、君じゃないから」
「ああ? そんなつもりねぇから! ていうか血が付くから近付くな!」
「今度墓参り連れてってやるよ……? ホント、超いい男だから」
「何それ、喧嘩売ってる……?」
凭れたはいいが、力が入らない。土方の身体に寄り掛かったままずるずると地べたに座り込むと、ようやくその肩を抱いて支えてもらえた。
「バカ野郎、熱が出てきてんじゃねぇか! おい、誰でもいい! このバカ運び出すの手伝え! どうにかして車回せオラ!」
ぼんやりとした中、土方の怒鳴り声が鼓膜にびりびり響いていた。思わず笑う。
この刺激がなければ、だらだらと幻覚と踊り続けてしまったかもしれない。
それも良かったか。本当に、いい女といい男だったもんだから、奴らとずっと話しているのも、悪くなかったと思ってしまった。
土方が銀時の肩を掴んだ。
「おい、寝てろ。ただし死ぬなよ」
「……死ぬかよ」
俺はこれから墓参りにも行かなきゃならないんだから。


十二


「銀ちゃん、タオル変える?」
「おー……」
夢か幻かと思った声に目を開ける。目の前は真っ暗だった。しかし、銀時の間の抜けた声を肯定と取ったらしく、神楽の手が、そっと手拭いを退けた。どうやら、濡れた手拭いで顔面を塞がれていたらしかった。死んでしまう。
急に明るくなった視界に、銀時は「いたい」と声を上げた。
「神楽……?」
「また傷開いたアルか」
「らしいね」
障子が開いて、新八と沖田が顔を覗かせた。
「お、旦那のお目覚めだ」
「良かった。神楽ちゃん、熱はどう?」
「大分下がってきたみたい」
顔を合わせた瞬間に不穏な空気を醸し出した神楽と沖田の圧力を感じ、新八は「やるなら表でやれよ」と呟いた。その呟きに、神楽と沖田はぷいっと顔を背け合う。
「恐ろしい回復力で何よりっすよ、銀さん」
「……ここどこ」
「屯所です。真選組の」
天井の感じから自宅ではないとは思ったが、まさかそんな所に寝かされていようとは。
せめて病院にでも担ぎ込んでくれれば良かったのに。そう呟こうとしたのを沖田に悟られたようで、ひょいと口を挟んできた。
「一応、うち専属の医師に診てもらったら、鎮痛剤と増血剤を打ってもらえたんでね。言い付け通り安静に寝かせてたとこでさァ」
「そこまで酷くない?」
「普段よりは」
普段を知ってか知らずか、そんな風に言う沖田に、銀時は肩をすくめる。そして、ぱたんと布団に横になった。
「とりあえず手拭い変えとくネ。なんかあったら呼ぶアルよ」
絞り過ぎて水気の無い手拭いを新八が取り上げ、改めて手拭いを絞ると、神楽と沖田よりも先に立ち上がり、そしてまた障子の向こうに出て行った。
「ゆっくり寝ててくだせぇよ」
新八に倣って立ち上がった神楽と沖田を見て、あえて素っ気ない態度を取ったのだと悟った。
銀時はぼんやりと天井を見上げ、そして、頬の傷をなぞった。絆創膏が貼られている。
先程この頬を撫でた男の顔を思い出して、軽く頭を振った。
「……おやすみ」
傷が治ったら、あのせんべいと、それと酒を携えて墓参りに行かなければ。時期を過ぎたとしても関係ない。行くと言ったからには待っているに違いないのだ。
ぼんやりと、楽しみだなぁと思った。
まるで、夢のような数日間であったと思う。本来ならばもう姿を見ることもない人間と話し、過ごしていたのだから。
「……いやいや、そんなことあるわけねぇよ」
完全な一人きりというのは、すごく久し振りのような気がする。呼べば答える。あるいは、呼ばなくても出て来ていた二人がいたせいか。
銀時は、軽く自分の肩を抱いた。
「……寂しいなんてことはねぇよ」
まるで、身体の中から何かが零れ落ちてしまったような気がする。
戻ってこいとは言えない。戻ってきたら困る。
寂しいだなんて、そんなことは。
「……おーい、新八ぃ」
慰め程度に呼んだ声は、広い屯所の中で本人に届くことはないだろう。
「あー……もう」
手の平で目の前を覆った。
虚無感なんてものは、比較的頻繁に出くわすものであったからそれに対する耐性だってあったはずだ。
それなのに、このザマはなんだ。
「何、姉ちゃんと兄ちゃんがいるって、ああいう感じなわけ……」
家族はおろか、兄弟もいた記憶がないからわからないけど。
そんな風に呟くと、すぱっと襖が開いた。先程新八たちが出て行った方とは間逆の戸が開いたものだから、銀時は驚いて肩をびくつかせた。
「な、何っ!」
「何とはなんだ。具合どうか見に来てやったんだろうが」
「なんだ、お前かよ……」
銀時は入ってきた土方を見上げ、ほっと息を吐く。
(いや、ほってなんだよ。ほっ、て)
こういう心の中の呟きに、ツッコミがないことが既に切ない。
「どうだ、具合は」
「ああ? 鎮痛剤? が効いてるみてぇだ。そんなにしんどくはないけど」
「眼鏡のこと呼んでただろ。何の用だ」
「いや、ちげーよ」
「あ? 何が?」
「ちげーんだよ」
「だから何がだよ……」
口に煙草を銜えようと一本取り出した土方が、唇に挟む前にそれを箱に戻した。
「なんか隠してやがんな……?」
「いや、それもちげーんだって!」
「だから、どこから何が違うんだって聞いてやってんだろうが!」
「何その聞いてやってるって! えらっそうな奴だなぁ!」
唾を飛ばしながら反抗してくる銀時を見下ろし、土方は長い溜息を吐いた。
「お前は、聞かねぇと答えねぇだろうが」
「普通そうじゃねぇのかよ」
「知らねぇよ、そんなもん」
銀時の布団の隣に腰を下ろし、土方はそっと銀時の頬を撫でた。
銀時は、つい目を逸らす。
「痛むか」
「別に……」
「で、要件はなんだ」
「……お前には死んでも言わん」
「死んでからじゃ遅いぞ。言っておけ」
「それ、お前には言われたくないんですけど!」
あんないい女に何も告げずに死なせたお前に言われたくねぇんですけど! とまでは言わなかった。恐らく、そこに介入する力は銀時にはなかった。
「いいから言えよ」
「しつこい」
「大体、男前の墓参りってどこだよ。連れてってくれんだろうが。その話も碌に聞いてねぇぞ」
「気が変わった。一人で行く」
土方の手を逃れ、ごろりと転がった銀時を引き戻し、土方はその額をべしりと叩いた。
「仕事の途中なんだから、さっさと言えや」
「どういう俺様だよ、お前よー!」
叩かれたばかりの額を撫でて、銀時は振り返る。そして、結んでいた口を解き「あー」と声を上げた。
「墓参りは二件あるから、一人で行く」
「増えてんじゃねぇか」
「一人はお前もよく知ってる奴だよ」
「……どうでもいいけどよ」
あからさまに不機嫌そうな顔をした土方をじぃと見上げたまま、銀時は思う。こいつは、彼女の墓参りなどしたことがあるのだろうか。本当なら、連れて行った方が喜ぶのではないだろうかと。
「ああ?」
「ううん。なんでも」
「なんだお前」
それはこちらの台詞である。銀時はぺっぺと手を払い、土方に「仕事に戻れよ」と続けた。
「もうお前の相手飽きた」
「人が親切に要件を聞きに来てやったのに、なんて態度だ、テメェは!」
「うるせぇな。生きてる人間の相手すると疲れるんだよ。一昨日来いや土方コノヤロー」
「様子が変だと思ってりゃあこの調子だから、俺お前のこと一回ぶっ殺してもいいと思ってる……」
震えながらそんな風に言う土方に、銀時はにんまりと笑った。
「化けて出てやる」
「お前なんて怖くねぇわ……けど」
言い掛けた土方の顔を見上げたまま、銀時はその言葉の続きを待っていた。
「うるさそうだな、お前は」
「いいかもよ。寂しくなくて」
「仮に俺が寂しがり屋だとしても、テメェみたいな奴は用無しだボケ」
「そっか」
ふふふと笑った銀時の顔を暫く眺めていた土方が、何か思い出したように口を開いたが、結局何も言わないまま、ぐしゃりと銀時の髪を撫でた。
「戻る。処理が終わるのは深夜だ。それまでに、飯食って寝てろ」
「えー、俺、家帰れねぇの?」
「帰りたきゃ帰れ。誰も止めねぇよ」
「へーい」
タダ飯が食えると言うのなら帰る理由は無い。銀時は、もう暫くこの部屋で世話になろうと心に決めた。その刹那に、土方が呟いた。
「寂しくなったら俺の部屋にでも転がってろ」
すぱんと音を立てて閉められた襖を見て、思わず「はぁ?」と素っ頓狂な声が上がった。
「結局寂しがりじゃん」
襖の向こうでどすどすと足音を立てて去ってしまった土方には、きっと届いていないだろう。
銀時は自分の膝を引き寄せ、痛んだ腹にくっくと笑った。
「……か、悟られたか、だな」
時たま、腹立たしい程に空気が読めるから困る。
食事には自ら出向かなくとも、夕方に山崎と新八が粥を持ってきてくれた。
味に馴染みがあるから、恐らく新八が屯所の台所を借りたのだろうと安心して口に運んでいると、近くで爆発音が聞こえた気がした。言わずもがな、神楽と沖田の所業だろう。
少なくとも、ここにいれば安全だと思えた。ただの思い込みでないと良い。また傷が悪化する。
服薬して暫く、副作用らしき気だるさも消えた頃には、屯所の中も静まり返っていた。
銀時は浴衣の袷を手繰り寄せ、僅かな寒気を覚えた。
「……仕事、終わったかね」
新八と神楽は、食事を済ませて道場に帰って行ったと山崎が聞かせてくれた。
「そういえば、今日はゴリラに会ってねぇな」
普段ならば、一度くらい顔を合わせてもおかしくはない。もしかしたら、奴も道場にいるのかもしれない。歓迎されているかどうかはともかく、である。
こんな風に人のことばかり考えていることが、自らが寂しさを抱えているせいなのだと気付く。
銀時は布団を抜け出し、そして障子を開けた。
縁側に腰掛け、ぼうっと空を見る。濃紺の中に白い月が浮かんでいる様に、目がちかちかした。
「綺麗だなぁ。あいつらがいる間に、酒でも用意すりゃあ良かった」
京次郎の前では「お前との酒に良い記憶がない」と蹴ってしまったが、結局ミツバとも飲み損ねてしまった。一杯くらい付き合ってもらえば良かったかもしれない。
「そのための墓参りか……」
こうして虚空に語りかけている現状に、つい手元が寂しくなった。
「万事屋」
「あー?」
すっと襖が開いた音に振り返る。そこには、隊服から私服の着流しに着替えた土方がいた。
「仕事終わったの」
「いいや、休憩ついでに着替えただけだ。あと暫くってとこだな」
「お忙しいこって」
「お前は、大丈夫みてぇだな」
「まぁな」
案じて来てくれたのだろう。
「待てど暮らせど来ねぇから、もう寝たかと思った」
「待ってたんだ」
へぇと意地悪く笑って見せれば、口に銜えていた煙草をそのままに、土方は銀時の隣に座った。
「来るような気がしたんだがな」
「お前さぁ、時々現れるその妙な自信はどこからくるんだよ……」
「観察力と経験と、それから、なんとなくってとこだ」
すかーと煙を吐いた土方の横顔をじぃと眺めていると、何故か二度見された。
「何……」
「いいや、どこがいいのかなぁって思ってさ」
「なんだお前いきなり……そんなの俺が知りてぇし」
「いや、俺がじゃなくて」
何が悲しくてこんな訂正を入れなければならないのかと思いながら、銀時は顔色ひとつ変えずに言う。
すると、土方は暫くぽかんとしてから正面を向いてしまった。
「あ、そう」
「興味ねぇの、お前。自分のどこが好かれてるか、とか」
「相手による」
「それもそうだねェ」
きっぱりと言い放った土方に、銀時は相槌を打った。確かに、聞きたくない相手とかいるよねぇ、と自己の経験を交えて頷いた。
「お、前は」
「うん?」
「どこがいいとか、あんのかよ」
煙草を挟む手がぎくしゃくと動いた。緊張するくらいなら聞かなければいいのに、と思いながら、銀時は静かに息を吐く。
「俺ではないけどさ、大事なもののために自分の気持ちは二の次にして、すごく優しいからって、言ってた。ああ、俺じゃないから、変な勘違いしないようにね」
念のため二度繰り返しておいたが、その言葉が通じているか不安になり、銀時は土方の方を見る。
「……素直に言う辺り、本当にお前じゃねぇんだな」
「うん」
「……確かに、お前の口からは死んでも聞けなさそうな内容だったわ」
「だろ。俺も聞けると思ってなかったしね」
銀時の言葉に、土方の表情が不可解そうなものに変わった。
眉間に皺をよせ、不思議そうな、疑うような顔になったのを見計らって、銀時が目を逸らした。
「これって、誤魔化されたよな?」
「わかってるなら、次から気を付ければいいんじゃねぇの?」
「……言う気はねぇってことはわかった」
銀時は自分の気持ちを口にすることはないということを思い知ったらしい土方は、額に手を当てて項垂れていた。
「お前は信じないだろうしなぁ」
「何がだよ」
ここ数日の間に銀時の身に起こったことを、恐らくこの男は信じない。何より、彼女の言葉を受け入れるとは思えなかった。死んでまでそのような仕打ちでは、彼女が哀れで堪らない。
「俺の気持ちとかさ」
だから、返答さえ誤魔化しておいた。諦めたように言ってやった。銀時の気持ちなんて、言葉にしたとしても相手は信じない。
土方はちっと舌を打って、それから縁側から立ち上がる。
「信じさせてもくれねぇくせに」
「だって気色悪ぃもーん」
「もんとか言うな。そっちの方が気色悪いわ」
障子に手を掛け振り返った土方が、バツが悪そうに銀時の髪の毛をゆるくつまんだ。
「傷に障る。程々にして中入れ」
「暗い部屋に一人きりはさびしいだろ」
「大の男が何言ってんだ」
「襖越しとは言え、いつも神楽ちゃんと一緒だからね」
特に、ここ数日は賑やかな奇人変人も付いていたことだし。
そこまでは言わなかったが、どこか様子の違う銀時に、土方は再び溜息吐く。
「……報告書があと二、三枚残ってる。それから風呂に入ったら戻れるだろうから、くれぐれもここで寝るなよ。寝てたら庭に転がし落とすからな」
「おう、待ってればいいんだろ」
「そうだ、待って……」
ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻いた土方の動きが、ぴたりと止まる。そして、縁側の縁でふらふらと足を振っている銀時を見下ろしたまま固まった。
「待ってんのかよ、お前が……?」
「おう、待ってるぞー」
気の無い返事に聞こえるように努めた。
生憎と、今日は一人きりでは眠れそうにないから、必然的に待っている破目になるのだろう。
「いつまでも待ってるよ」
いつまでもいつまでも、戻ってくるというのなら待っていよう。銀時は振り返らないまま、ただ襖が閉まる音を聞いた。


十三


傷に障るなどとらしくない言葉を掛けられ、むず痒くなってすぐに障子を閉めた。
布団の上で寝転がっていれば眠気もやって来るものだろうと思っていたが、その気配もさっぱりない。
ああ言ったものの、天の邪鬼の性根がむずむずと騒ぎ出した。
「……あー、飲みに行きたい」
酒でも飲めば、このむずむずとした気持ちはなくなるのではないか。そんな風に思い、銀時は身体を起こす。
「考えてみたら、待ってるとかねぇよ」
なぁ、と思わず振り返ってみたが、そこにあったのは壁だけだった。
「……誰に言ってんだろ、俺」
ここで返事をしてくれるとしたら、どちらだろうと考えてしまったその頭をぽりぽりと掻く。
「……いい男といい女に挟まれてたら、俺の立場ねぇじゃん」
むっと口を尖らせ、そして再び布団に倒れ込む。腹筋がびくと痛んだ。
「いてぇ」
普段は特に眠くなくてもいくらだって眠れるというのに、こういう都合の悪い時はなかなかに眠れない。
銀時は眉間に皺が寄るほど目を瞑ってみたが、どうやら逆効果だったようで、片目を開けてそれから唸った。
ぎこちなく立ち上がる、そして、閉めた障子を再び開けた。
「行けばいいじゃん」
退屈なら、自ら出向けば良かったのだ。
銀時は縁側を渡りながら、灯りの点いている部屋に向かって足音を殺した。一応、中庭からの位置関係を確認し、そして、目的の部屋の障子を開ける。
「ひーじかーたくー……」
間延びした声で呼び掛け、障子を開けると、そこには筆を持ったまま固まっている土方がいた。
「おい、こいつ寝てんじゃね……?」
銀時はそっと土方の横に歩み寄り、そして肩を揺らした。机の上に墨汁がはたりと落ちた。
「やべ」
ふらっと横に倒れた土方を支えるつもりで手を伸ばしたが、墨汁に気を取られ、そのまま上に重なるように、銀時も一緒に倒れてしまった。
「ってぇ……」
鈍く声を上げた土方が、ゆっくりと目を開ける。その上に乗り上がっていた銀時は、ひらひらと手を振って、それから畳の上に転がった筆を拾った。
「お前、寝てんじゃん。銀さん完全に待ちぼうけするところだったじゃん」
「あにが待ちぼうけだ……いってー……」
どうやら頭を打ったらしい。それにしたって自業自得だった。
銀時はゆっくりと立ち上がり、そして既に広げてあった土方の布団に腰を下ろす。
「おめーのせいで、俺が寝れないところだったじゃねぇか」
「何言ってんだ。別に気にせず寝るくせに」
「今寝てたのはお前だけどね!」
銀時は体勢を立て直した土方の背中をびっと指差した。
「うるせぇなぁ……疲れてんだよ。こっちは」
「俺なんて腹に穴開いて……開きかかってたから!」
「お前が勝手に開けたんじゃねぇか。折角こっちが調べて回ってたのに、テメェから首突っ込んだ奴が悪い」
「仕方ねぇだろ」
布団の上に転がり、天井を見上げる。
(仕方ねぇだろ、京次郎。お前ならわかってくれるよなぁ)
一時的とは言え、何せ口に出さなくてもわかってもらえる間柄になってしまったのだから。
(なぁ)
呼び掛けても、今はもう返事もないけれど、それでもあの時は仕方なかったのだ。京次郎のためにも、自分のためにも、手を出さずにはいられなかったのだ。
「あのゴロツキ共、元は魔死呂威組だったって話じゃねぇか。テメェ、やっぱり抗争に首突っ込んでたんじゃねぇのか?」
「そんな組は知らねぇよ。ただ、ダチがいたんだ。それだけ」
「ほー……って、やっぱりお前っ!」
ばっと振り返った土方が、寝転がってうつらうつらしている銀時の顔を見下ろした。
「寝るのか」
「……ダメ?」
「いや」
土方は、手に持っていた筆を置き、そして銀時の頭の上に腕を突いた。
「ヤクザにまでダチがいたなんてな。お前の交友関係はどうなってんだ」
「さぁ……生きてる間は、ダチになりそこねたけど……」
「はぁ?」
半笑いで返してきた土方に、銀時までついおかしくなって、はははと声を上げた。
「ちゃんとダチになっときゃ良かった……」
珍しいこともあるものだ。自分が死んだ人間を相手に悔いることがあるだなんて。手の甲を額に当てて目を閉じる。そして、小さく溜息を吐いた。
「……墓参り、行くんだろ。そいつのか」
「そ」
「あと一件は?」
「ミツバ」
そう言えば、土方はきっと複雑な顔をしているだろう。しかし、目を閉じている銀時からは見えなかった。
見ないでいたかったのかもしれない。わずかに瞼に力が入った。
「……お前も、行く?」
「……行くかよ」
「そうだろうなぁ」
来ればいいのに、なんて言えなかった。ミツバが許しても、本人が許さない何かが残っているだろうから。
「でもそれじゃあさ、姉ちゃん不憫だぜ」
あんなに好きなのに。
「やっぱり俺と結婚すりゃあよかったのになぁ」
「オイコラ」
べしりと頭を叩かれた。ついおかしくて横に転がる。
「どーしてそういう話になんだよ……」
「だぁって、いい女じゃん。俺も好きだぜ、ああいう女」
「お前な」
軽口の一環だと思われていればいい。ほんの微塵にも本気が混ざっているなんて悟られない方がいい。
「そしたらお前、あいつ攫ってさ。いいじゃん、なんかそういうの」
夢があって。
あいつの夢にもなれたかもしれないのに。当て馬役くらいやってやれば良かった。
(満足して死ぬ死人なんて、いないんだから)
突然、がっと抱き込まれた。あまりにもきつく抱き締められたものだから、傷がじくと痛んで、胃が飛び跳ねたような気になり、銀時は口を押さえる。
「びっ……」
「お前、どこ行ってんだよ」
「は……?」
そろりと振り返ろうとする。銀時のうなじに顔を埋めた土方が、怒っているような声で言った。
「お前、今ここにいんだろうが……なんで、死んだ奴の話ばっかり」
「……だって」
「だってもクソもねぇ」
銀時は瞬間的に入った肩の力を抜いて、それから目を開けた。
「妬かれても困っちまうよ。どっちも好きなんだぞ、俺は」
「誰がどう思うとかじゃねぇだろ……ここにいんのは誰だ」
「土方」
だってもクソもある。だって、ついさっきまで隣には必ず誰かがいて、その誰かは銀時以外には見えやしなかったけど、確かにいたのだ。
「大体、妬いたとかねぇからな!」
「いや、そこは妬いたって言おうぜ……本当、俺には優しくないね、君ね……」
いてて、と短く声を上げると、土方の腕が僅かに緩んだ。
その隙に銀時は土方の方へ振り返る。思いの外近かったものだから、瞬きをするタイミングを失った。
「……怒った?」
「見ての通りだ」
「成程、やきもちを妬いた、と」
「オメーの目は節穴か!」
「節穴じゃねぇよ。見ればわかるもの」
でもね、土方。俺も妬いたからわかるんだよ。妬いたからって、顔にも態度にも出しやしないけど。だけど、彼女に何を言う権利があるってんだ。
「仕方ねぇや。レディファーストだからね」
わしゃわしゃと土方の頭を撫でる。そして笑った。
「俺ぁ、わりと満足してんだぞ」
掛け布団を上げる。そして、その中に潜り込むと、銀時は灯りのついている座卓を見上げた。
「あれ、いいの」
「……俺は全然満足してねぇから。ていうか、不満しかねぇから」
「怒られてもな」
何と説明したって土方は信じないし、信じようともしてくれないだろう。
「まったく、土方くんは俺に優しくない」
「なんでこのタイミングで俺がお前に優しくしなくちゃなんねーの……むしろ優しくされたいの俺なんだけど。わけわかんねーんだけど」
ぶつくさと言いながら座卓の照明を消し、土方は銀時の隣に潜り込む。
そして、決裂した話の続きを遮るためか何なのか、銀時に背中を向けて黙ってしまった。
「おーい、土方くんや」
返事がない。
「お前、真のいい男に比べたら全然まだまだだけどさ」
「このタイミングで更に落としに掛かるたぁ、テメェは一体何のつも……っ!」
「いい男だよ、お前も」
布団を払い退け起き上がり、怒鳴ろうとした土方が固まった。その隙に銀時は土方の着流しの袷を掴み、そして自分の方に引き寄せた。
「頑張って俺を惚れさせてくれ。俺の知り合いは、いい男といい女が多いからなぁ」
引き寄せて抱き締めて抱き締められて。
思っていたその通りに動いたものだから、銀時は、思わずくっくと声を殺して笑う。
「誰だよ、真のいい男って。その枠寄越せ」
「おうおう、精々足掻いたらな」
「なんだそりゃあ……」
不満そうに言いながら、とんと銀時の背を叩く。
「眠れそうか」
「おー……」
本当は、この部屋に来た時からうつらうつらとしていて、寂しさなんてどこかに消えていたのだ。その上、こんな風に包まれては、眠らない余地などなく、銀時は瞼を伏せた。
「良かったな」
口で言いやしないけれど、結局、どこがいいのかもまだわかりやしないけれど、銀時は思う。
(ああこれだから、いい男って奴ぁ)
甘やかしてくれんなよという話である。
もう一度、墓参りの交渉をしよう。そう思って、そっと意識を手放した。