お菓子をもらいに


死者の魂が訪れる日がやってくる。だから、そこに紛れた悪霊や魔女に負けないように、姿を知られぬように、襲われぬように、仮装して変装して誤魔化して、身を守らなければならないのだ。
得体の知れない何かしら共から。
ガチャリと、ドアのノブを回して気が付いた。この部屋には、鍵を掛けていなかっただろうか? そんなルフレの疑問は、ドアの先で椅子に座っている盗賊の姿によってすぐに解消された。
「ガイア……」
予想内である。しかし、予定外である。
そんな来訪者の名前を呼んで、ルフレは思わず手の中からぽろりと紙袋を落とした。
「ああ、邪魔してるぜ」
一方で、予定外の来訪者は実にあっけらかんとした様子で挨拶をした。ルフレは慌てて足元の紙袋を拾うと、ちっと小さく舌を打つ。
「本人が鍵を掛けたことも忘れていたから、申し訳ない気持ちもあるんだけど、さらっと鍵開けスキルを発揮するのやめてくれないか? 一応、城内なんだから……」
「悪かったな。職業病だ。許せよ」
「許すけどさ」
入られたって構わない。見られて、あるいは盗られて困るものもない。
ルフレは改めて自室に足を踏み込むと、我が物顔で椅子に座って本を読んでいる盗賊の姿を一瞥した。その手の内にある本は、確かに見覚えがある。
「珍しいね。ガイアがここで本を手に取るなんて」
「ああ、お前の方こそ、こんな本を部屋に置いておくなんて珍しいと思ってな」
「はは、そうかもしれない」
ガイアの手が、本のページをめくる音を鳴らす。一般の書物の紙より僅か厚い紙で作られた本だから、その音がやけに耳に付くのも仕方のないことだった。
「こいつは絵本じゃないか。イーリスの軍師様は、こんな子供向けの本まで目を通すのか? 勤勉なことだな」
皮肉のつもりで言っているのか、それでも、そんな言葉を口にする本人だって、ゆっくりと、確かに内容を踏まえながら本を読み進めているように見えた。
そんな姿を背中に感じながら、ルフレは、今し方買って来たばかりの紙袋の中身を広げる。小さなキャンディやチョコレート、そしてクッキーの類を小分けにしたものをベッドの上に並べ、数を数える。
「ああ、頼んだ分より一つ多く入ってる……」
「何の準備だ?」
「ガイアのじゃないから、食べちゃダメだよ」
「……わかってるよ」
どこかつまらなそうな返事に、ルフレは思わず苦笑する。
商店の主人に少し悪いと思いながらも、余分に入っていたチョコレートを持ち上げ、ガイアに向かって投げた。
それを受け取ったガイアが不思議そうな顔をして、それから彼お得意の意地悪な顔で笑う。
「俺の分じゃないと聞こえたが?」
「もらっておけばいいじゃないか。どうせ、返すつもりもないだろ」
「そうだな。一度懐に入れたら、な」
チョコレートをそっと机の上に置き、そして手元の本のページをめくる。
その様子が不思議に思えて、ルフレはついガイアの肩口に顔を寄せた。
「どう、その本? 気に入った?」
「ああ、お菓子泥棒の話か」
「それは後半の話だろ……そうじゃなくて、僕が参考にしたかったのは最初の……」
「ハロウィーン……ね」
「そういうこと」
「こんなイベント事までちゃんとお調べになるとは、勉強熱心で何よりだな、お前。俺としては、お菓子がもらえれば、内容なんてどうでもいいけど」
ルフレはガイアの手からそっと絵本を抜き取って、それから片手に乗せるとパタンと閉めた。それはまるで、戦闘後に魔導書を閉じる動作に似ていた。
「イベント事という言葉で片付けるなら、そもそもお菓子を乞うて回るのは主に子供の役目だ。ガイアはもう子供じゃないだろ」
「派生イベントがあってもいいと思わないか?」
「却下。君の要望を断ろうものなら、とんでもないトリックで返されそうだからね」
ルフレの言葉にくっくと笑ったガイアが、そっと椅子から立ち上がる。そして、皺の寄ったマントをばさりと払った。
「それこそ、お菓子泥棒だな。街のお菓子というお菓子を盗んで回るなんて、ロマンが溢れてるじゃないか」
「企んだことがあるなんて言わないよね……?」
「まさか。菓子だけはまっとうな手段で手に入れると決めてるんでね」
「それを聞いて安心したよ。この話のモデルがガイアだったら、どうしようかと思った……」
ガイアが立った席に代わりに座り、居慣れぬぬくもりに僅かに腰をずらす。そんな椅子の上で、ルフレは絵本を胸に抱いた。
「ハロウィーンなんて浮かれたイベントが出来るんだ。平和に感謝して、謹んで行わないとって思わないかい?」
「街にいない俺にとっては、どうでもいいことだがな」
お菓子泥棒にはロマンなんて言葉を語りながら、実にあっさりとした態度で返事をするガイアを見上げ、ルフレははっと溜め息を吐いた。
「……城下町に住めばいいのに。君なら、どんな仕事だって器用にこなせるだろ?」
「そいつはどうも。だが、前にも言っただろ? 俺はここに住み付く気はないんだ」
「……僕がいても?」
「お前がいても」
そっか、と吐き出したルフレの頭をぽんぽんと撫でながら、ガイアはちらりとベッドに放られたままの菓子の山を見る。そして、机に残っているほんの一包みに、ふむと声を上げた。
「今日は仮装をしてくれば良かった」
「え……?」
「仮装して、菓子をくれって言えば、お前はなんだかんだ言って俺に菓子をくれた気がしてな」
「あげたじゃないか」
「……そうなんだが」
ルフレの訝しげな顔に、ガイアはそっと視線を逸らす。
「……気に食わないと」
「……まあ」
あの山に比べれば、と見つめられているその先のお菓子の山を、ルフレは紙袋に叩き込む。こんな状態にしておけば、それはそれは目の毒だろう。特にこの甘党にとっては。
「仮装してたってあげやしないよ」
「ちぇ」
「いい大人がそういう態度取ってもダメ」
子供のように舌を打って見せるガイアに、ルフレは笑みを零した。
外見は立派に大人だし、中身もとても成熟している彼だが、菓子が絡むと途端に幼い子供のようになる。そこが可愛らしいところでもあるのだが。
「ハロウィーンの仮装はね、現世に帰ってくる死者の魂の群れに紛れた悪霊や悪魔の類から、身を守るためにするんだ」
ヘンリーよろしく、ぴっと指を立てて言うルフレに、ガイアは口に銜えた飴の棒をぴんと上げた。
「同族だから、襲わないでくれってね」
ふっと変わったルフレを纏う空気に、ガイアはあーあと欠伸をする。
「そのための仮装……」
言い掛けたルフレのローブのフードを持ち上げ、ガイアはそれをすぽんとルフレの頭に被せた。そして、そのままの足でベッドに腰を下ろす。
動かないでそのままいるルフレに、頬杖を突いて眺めるガイアの視線が僅かに細められた。
「……なら、お前にこそ必要か」
ルフレは、少し眉を寄せる。
「これは失言だったな」
「……いや?」
フードをかぶったまま床を見つめるルフレを、ガイアがぼうと見ていた。
――群れに紛れるための扮装。それが必要なのは、今のルフレの方だ。仮装して菓子を乞う子供たちに、己の過去を、そして未来を重ねたのだとしたら、大層滑稽なことだろう。
ガイアが笑っている。こういう時、ガイアは少し意地の悪い顔をするのだ。まるで、悪党が獲物を狙うような顔を。
そんな表情が、ふわりと一変する。
「なら、俺は何にしようか。黄色のクマとかにするか」
「クマ……? ガイアが?」
「そうだ。お前は……妖精の子なんてどうだ? それとも、俺と一緒に気ぐるみにするか?」
「ちょっと待って。僕らは仮装なんてしない」
「いいんじゃないか、菓子をやる方が仮装したって。大人だから悪霊に勝てるなんて保障もないんだし。それならいっそ、紛れちまった方が気が楽だ」
ベッドでくつろぐガイアに歩み寄り、そしてルフレはその隣に腰を下ろす。
「大体、みんな仮装しちゃったら、誰にねだればいいのかわからなくなっちゃわないか?」
「そんなの適当でいいんだよ。ついでに、貰えるんなら片っ端から声を掛ける」
「もらえなかったら、その分報復しようって言うのかい。君は」
「どうだろうな」
真顔で言うガイアに、ルフレはほとほと困ったというような盛大な溜め息を一つ吐き出してから、けれど吹き出して笑った。ベッドの上で身体を丸めて笑うルフレに、ガイアはふっと目を細める。
「大体、わかる奴にはわかるんだよ」
「そうだね。ガイアなら、お菓子のにおいを嗅ぎつけてきそうだ」
そんな自分の言葉にさえにんまりと笑うルフレの髪を掻きまぜ、グローブを外すと、その頬を拭う。
「物事は都合よく使え。紛れていられるなら紛れてろ。それが辛いなら隠れればいい。俺は、そのためにここにいない」
ここにいないという、一見不安を煽るかのような文句を頭の中で反芻し、ルフレはふと肩を落とした。
「……それって……」
「もっとわかりやすく言わないと伝わらないのなら言うが?」
「……聞いていいなら、聞くよ」
何とも読解の難儀な言葉ばかりのやり取りの中で、ガイアがこほんと咳払いをした。
ガイアはルフレの頬を両手で包んだ。こそばゆいが、ルフレは我慢して待ってやる。
「どうしても逃げ出したい時は、俺の所に来い」
ガイアはイーリスの城下を離れることによって、ルフレに場所を与えてくれている。
薄々わかっていたことだった。けれど、寂しくもあった。そんな感情のせいでよろついたルフレの上体を自分の膝の上に倒し、ガイアはしてやったりと笑った。
「僕が、さっきどんな気持ちで、城下町に来ないのか聞いたと思う……?」
「さぁな。聞いていいなら聞くぜ?」
「僕はこんなに会いたいのに、ガイアは僕に会いたくないんだな、アホバカマヌケ! ……って、思ったんだよ……!」
口許を自身の両手で覆いながらガイアを見上げてくるルフレの前髪を指で遊びながら、ガイアはふーんと声を上げる。
「今は?」
「悔しい気持ちで一杯だ!」
「そいつは予想外だな。喜んでくれると思ったんだが」
いけしゃあしゃあとした態度で言うガイアの口元の飴の棒を引っこ抜いて、ルフレはそれをがちんと口に銜えた。噛まれた衝撃で飴がばきばきに割れてしまったらしく、ルフレの口からはガリガリざくざくと音が聞こえる。
「……会いに、行ってもいい?」
「当然だろ」
手の平でぐしゃぐしゃと顔を拭ったルフレが身体を起こし、そして飴の欠片もなくなってしまった棒を口から出してくずかごに放った。
「ハロウィーンは子供たちを待とうって思ったんだけど、予定を変えることにしたよ……」
「俺も、仮装でもして菓子を貰って回ろうかと思ったけど、やめておくことにするさ」
こすって赤くなった顔でガイアを見つめ、ルフレは迷いがちに口を開く。
「仮装をして、ガイアの所にお菓子を貰いに行くから」
「ああ、菓子なら山ほど用意がある」
つい、ふにゃりと笑ったルフレをガイアが引き寄せる。薄く開いた唇に口付けると、ニヤリと笑った。
「ただし、俺は菓子をタダでやるような、出来た大人ではないけどな」
必要のなくなったハロウィーンの本と買い溜めの菓子を思いながら、ルフレは肩をすくめる。
暫し考えた後、それは全て目の前の大人に譲るとして、本は来年まで片付けておくことにした。