「盗賊って、具体的には何をするんだい?」
そんな質問を投げ掛けられ、ガイアは手に持っていたチョコバーをそっと懐に忍ばせた。
「なんだって?」
「だから、盗賊って具体的には何をするんだろうと思ってさ」
「基本的には……依頼を受ければなんでもするさ。ただし、依頼内容に嘘偽りがあれば話は別だ。俺の場合はな」
「へぇ、盗賊もいいなぁ」
「なっ、何言い出してんだ、お前……」
過去に一度参加した戦争。
王国軍の戦術師であったルフレという青年が、ガイアを見上げて、気の無い様子で答えた。
鎧を外したローブ姿はまるで出会った頃を彷彿とする。
「……戻ったら、ガイアがいなかった。ガイアだけじゃない。何人かには、まだ会えてない。みんな、元気でやってるのかな」
「さぁな、そういうのは、クロムの方が詳しいんじゃないか? 俺だって、あれから顔も見てない奴が何人もいる。お前だけじゃない」
そう言えば、ルフレは「うん」と小さく呟いた。
「会いたいか?」
「そりゃあ」
「なら、こんな所にいないでイーリスの城下に戻ればいい。あそこにいる方が、余程可能性ってやつがあるだろ」
素っ気なく言い放ち、そして小屋の隅にある荷物を持ち上げる。
ここは、ガイアの隠れ家だった。主に菓子の類を蓄えるために使用しているから、食糧庫のような形になってしまってはいるが、一応一通りの生活ができるようにはしてあった。とは言え、仕事の合間に戻るだけ。その程度の使用頻度の場所である。
「ごめん。迷惑だよな」
負い目を感じている。そんな様子だった。
ガイアは持ち上げた荷物を溜め息と共に床に置き、そして、ルフレが座っている椅子の正面に置かれたテーブルに腰掛けた。
「住み付いてるわけじゃない。別に、気にする程のことじゃないさ」
元々来客など予想していないから、この部屋には椅子を一脚しか用意していない。
「お前、イーリスで何かしたのか?」
「いや? そんなことはないよ」
「じゃあ、なんでそんな顔してる」
ガイアをおずおずと見上げたルフレの瞳が、僅かに揺れた。
「ギムレーを倒した後、消えたお前を、クロムもリズもずっと待ってたんだ。イーリスに戻ればいいだろ。それに、軍師としてのお前の頭は、まだ必要とされてるんじゃないか?」
「勿論、クロムもリズも、僕に対しての対応は全然変わらないさ。けど……」
成程な、と思う。言わんとしていることは、何となくだが読めた。
クロムやリズ、そしてフレデリクではないのだ。それよりも、外野の人間が、ルフレを良く思っていない。先の戦いを知る者、即ち、軍部上層部の者であろう。
「……なんとなく、わかったぜ。お前の考えてること」
ガイアは椅子に座っているルフレを見下ろしながら、確認するように、穏やかな口調で続けた。
「あいつはお人好しだが、不穏な空気くらいは読める奴だろ。お前に対する悪意の目に気付かないわけ……」
くっと俯いたルフレから表情が読めなくなってしまった。ガイアは、ついつられてその顔を覗き込もうとして、そして気付いた。
「……おい、ルフレ。そのアザ……どうした?」
ルフレの胸に、黒い痕がある。
がたん、とルフレの座っていた椅子が音を立てた。慌てた様子で立ち上がったルフレの肩を、咄嗟にガイアが掴む。
「おい!」
ローブの襟刳りを広げた。そこに刻まれていた黒い文様に、ガイアは目を見張った。
「なんだ、これは……いつからだ!」
「……昨日、ここに来ただろ。だから、三日前だ……多分、呪術の類だと思う。軍の資料室で調べようとしたんだけど……本を読んでいたりすると頭がぼうっとして……多分、僕は今、魔法が使えない」
魔導書の類は、それそのものに魔力が宿っていることがある。ルフレには今、その文字を読解することができなくなっているということだろうか。
「フレデリクには言ったのか? あいつは、こういう対応もお手の物だろ? サーリャやヘンリーを呼び出してくれるんじゃないのか」
「今、出てるんだ……フレデリクは海の向こうで……」
「クロムには」
「……余計な心配、掛けられない……から」
「何言ってんだ、お前……!」
口を突いて出た言葉に、はっとする。怒鳴る相手はルフレではない。
一先ずは、強張っているルフレの肩を撫で付け、そして唇を噛む。気付けば、銜えていたキャンディの棒は口許から落ちてしまっていたが、今はそれどころではなかった。
「王宮にいる時に比べて、具合はどうだ」
「ずっと楽だよ。だから、出て行けって言われたらどうしようかって思ってたんだ。ははは……」
「笑ってる場合じゃないだろ……」
そもそも、ここに自分がいなかったら、長期の仕事に出ていたらどうするつもりだったのだろう。
頭がキレる上、その気になれば高等魔術の類も扱えるルフレのことだ。呪術の本質に気付き、王宮から離れて、森の辺境の地まで来たに違いない。
王宮から離れれば症状が和らぐ。つまりは、この呪術は術者と対象の距離によって効力が変動する類のものだ。その手の効力が変動する術は一度の術式で力を消耗するのではなく、術者は継続して力を必要とするものであることが多い。
つまりだ、術者は王宮、もしくは王宮に近しい場所で、力を継続的に使用することが可能な環境にあるということになる。
「……お前、気付いてるな」
「……だから言っただろ。クロムもリズも、以前とは立場が違うんだ。彼らがどんなに変わらないでいてくれたとしても、ね」
悲しそうなルフレの声色に、ガイアはキャンディの棒のない唇を噛む。
「だからと言って、何故クロムに言わない!」
「家臣に、そんな人間がいるだなんて知らせたくないじゃないか。辛い思い、させたくないんだ……」
「その代償に、お前が苦しんでもいいってのか?」
「いいんだ!」
声を荒げたルフレが、すっと力を失った。
「……いいんだ。いいんだよ、僕は」
自暴自棄になっている。己に価値を見出せないでいる。
そりゃあそうだ。一度は邪龍と共に消えることを選んだ男だ。自身に対する一定の価値など、感じているわけがない。
彼は、一度選んで死んだのだ。
「……ルフレ」
ガイアはこれ以上声を荒げることを辞め、こほんと咳払いをした。そしてルフレに対し、床に膝をついて見上げる姿勢を取る。
「よく考えろ。お前らしくもない。今回は矛先がお前だった。しかしだ、主君の戦友に呪術を掛けるような家臣をそのままにしておいて良いと思うか? もし、そいつがクロムに不満を持ったとする。そうなれば、相手が主君と言えど、犯人は同じことをするんじゃないのか? 頭のキレるお前だ。俺が言ってること、わかるよな?」
おずおずと頷いたルフレが、でも……と口を開く。
「……クロムに限って、そんな見離されるようなことは……」
「クロムが見離されるんじゃない。家臣が心変わりするんだ。人の心は変わるもんだ。どれだけクロムがカリスマ性を兼ね備えていたとしても、な」
「……そう、だね」
「今回お前がしたことは、その危険因子を野放しにしたってことだ。それが、どれだけバカなことか、わかるだろ」
ガイアに言われ、ルフレは自分の胸の呪印を押さえる。そして、深くゆっくりと頷いた。
それを見届け、ガイアはようやく穏やかな息を吐き、そして言った。
「城下に戻ってクロムに伝える。にしても……今のお前に城下に戻れってのは酷だな……暫くここに一人でいれるか? 俺にも、仕事の先約があるし……」
「いや、ガイアのお陰で目が覚めたよ。ありがとう、僕は城に……」
「戻るな」
跪いたままガイアはルフレの手を握る。それは反射にも似ていた。
「あ……いや、今晩中に終わる仕事なんだ。だから、戻るな。待ってろ」
「ガイアが、それで良いなら……」
驚いたように目をぱちくりと瞬かせたルフレが、ガイアが動揺しているのを見て、ふと笑った。その表情に、ほっと胸を撫で下ろす。
ガイアは懐を探り、そして一本キャンディを取り出すと、ルフレの手に握らせた。
「魔法はともかく、剣は使えるな?」
「ああ、大丈夫だと思う」
「よし」
ルフレという男は、剣技にも長けている。あのフェリスの重鎮ロンクーに稽古を付けてもらったのだ。当然だろう。
ガイアは立ち上がり、ルフレの頭をぐしゃりと撫でると、自分もキャンディのバーを銜え、そして言った。
「依頼しろよ。俺に」
「え?」
「助けてくれって、最初から言えば良かったんだ」
ルフレの細い髪がふわんと揺れた。咄嗟に俯いたのだと気付き、ガイアはそれ以上言葉を口にしなかった。先程持ち上げた荷物を再び手に取り、そして、ようやく小屋を出る。
キャンディを渡したのは、どちらかと言えばガイアからの依頼、否、懇願の代償でもあった。
「……ここにいろよ」
焦りから、つい足早になる。それが、ささやかに剣の鞘を鳴らした。