委細構ワズ、快哉ヲ叫ブ。本日ハ晴天也。
「あー、そろそろかな? なぁ、ラジオのチャンネル変えようぜ」
淡々とニュースを喋るだけのラジオを見て、黒髪の男が声を上げる。快活な声は赤い岩肌と青い空の隙間にさっさと吸い込まれて消えた。消えてしまったものだから、相手には聞こえなかったのかもしれない。
地面に寝転がっていた男は寝返りを打ち、不思議そうに顔を上げた。
「なぁ、おい」
おいってば。もう一度呼んで、無視されていることにようやく気付いた。むっと口をへの字に曲げて、それから腕を突いて立ち上がる。
「返事くらいしろって!」
バイクのハンドルにぶら下げてあったラジオをひったくって、自分の好きなチャンネルに回す。ザーザーというノイズの後に、軽快なドラムの音が鳴った。
「あ、ほら、やっぱり時間だ!」
「……喧しいだけだろ、それ」
ようやく振り返った金髪の男が、顎をしゃくってラジオを睨んだ。
「えーいいじゃん。俺は好きだね。一昔前の曲がよく流れるんだ。流行りの曲も良いけど、そういうのが落ち着く時もある。クラウドだって、そういう時あるんじゃない?」
うんざりしたみたいなつまらなそうな顔をして、金髪の彼は溜息まじりにお決まりの台詞を決め込もうとした。
「……興味」
「ないね。だろ?」
それを阻止されたものだから、クラウドはやはりうんざりと視線を巡らせる。
「ちょっとは興味持てって。そっちの方が楽しいぞ。多分。お前、そういうのかっこ悪いとか思ってるかもしれないけど、老い先ってもんがあるんだからさ、楽しめることは多い方がいいんじゃない? ほら、俺たち、無職みたいなもんだし。なんせ時間はたっぷりある」
「無職じゃない」
「拘束時間もないし、気楽な自由業だろ」
「そんなことないって……!」
クラウドは「あるある~」とラジオにかじりついている彼を睨んだが、そんな視線などちっとも怖くない。男は飄々と頭を揺らして、リズムを刻んでいる。
「ザックス」
「ハァイ」
ザックスと呼ばれた男は、変わらずふんふんと曲にノリながら、一応はクラウドの声に返事をした。
「俺たちは今、アンタの言う拘束時間の真っ只中だ。仕事中に、そんな……ロック? ……なんて、聞いていられるか」
「大丈夫。放っといたらバラードも来るって。パンクも、ポップスも、ジャズだって来るかも」
「そういう問題じゃない」
「あ、俺、このバンド好きなんだよな。もうなくなっちゃったっけ? どうだったっけ……クラウド知らない?」
クラウドの言葉なんてちっとも聞きやしないお気楽男に、クラウドは「知らない!」と声を荒げた。
「知らないなら、エッジのジャンク屋に寄ろうぜ。多分、レコードがあるんじゃないか?」
「だから、俺たちは……」
「そうだよ、どうせティファの店に戻らないとならないんだし……そうだ、店で流してもらったら? 最高かも! そうと決まれば、もたもた休憩してらんないな!」
イライラ、イラ……と、クラウドはいつの間にか寄っていた眉間の皺を指で撫でて伸ばしている。
「……俺たち、それぞれいろんな時間を過ごしてきたと思うんだ……」
「どうしたんだよ、急に」
「……なのに、アンタはどうしてそうなんだ?」
「うん?」
ザックスの手元からは、軽やかな曲が鳴り続けている。
「どうしてそんなに、変わらないままでいられるんだ……」
「変わらない、かぁ……さて、どうしてだろうな」
ザックスは、赤い大地と青い空を背に、屈託のない表情でニッカリと笑って見せた。クラウドの少し深刻そうな仏頂面が可愛らしい。
「なぁ、クラウド。変わらないことってあると思う?」
「知らない。アンタと話すのはもうやめだ」
クラウドがフェンリルに跨がりながら言う。ザックスは慌ててその後を追って……、その前に、地面に突き刺してあったバスターソードを引っこ抜いた。
「危ない危ない、不用心に扱うと怒られる!」
「……なぁ」
呆れたようにクラウドが振り返って言う。
「それ、たまに言ってるけど、一体誰に怒られるんだ……?」
思わずにやけた。
「俺と話すのはやめたんじゃなかったのか?」
ザックスは意地の悪い言い方をしながら、クラウドの方を見る。そのまま、背中にバスターソードを背負って自分のミリタリーバイクに跨がった。
「……意地が悪いって言いたそうな顔だな」
クラウドがあまりにもな表情をしているので、「ははは」と笑ってやった。それを受けて、クラウドの表情は更に不機嫌なものになった。
「よっと……」
ザックスがバイクに無理矢理取り付けたハッチには、大型の両手剣が収まっているため、バスターソードは傾けて背負うしかない。
けたたましく鳴ったエンジン音が不穏だが、なんとかエッジまでもって欲しいものだ。
「大体、武器は持ってるんだから、その剣は持って歩かなくてもいいんじゃないか……」
「そうだな。使うと汚れる、欠ける、磨り減る! だもんな」
「……今更だろ?」
手元に戻ってきたバスターソードをまじまじと眺めて見た時に、自分が持っていた時はどうだったかはっきりと思い出せなかった。けれど、確実に言えたのは――貸してる間に随分な姿になったなぁ……だった。
ザックスは思わず肩を竦める。
「……だな」
ひらりと手を翻した。最早、折れさえしなければいい。
不機嫌な顔から不思議そうな顔になっていたクラウドが、ゴーグルを目元まで下げて走り出す。ザックスもそれに続く。
羽織った外套が、風を受けてバタバタと鳴っていた。
目指すは、ティファの店があるエッジだ。フェンリルに積んだ荷物を一瞥する。ウータイで受け取った酒と調味料だそうだ。大したものではないが、仕事は仕事。そのついでに、周辺地域のパトロールも行った。空き家と廃墟の増えたゴンガガには寄らなかった。
「うちに残ってたかな。レコード……」
――もうないかぁ。
口にクラウドのフェンリルが巻き上げた砂が入りそうだったので、慌てて閉じることにした。
ティファに荷物を渡しに向かったクラウドを待つ間、一足先に埃っぽいジャンク屋でレコードを探してみる。
「ザックス」
コンコンとヒビの入ったガラス窓を叩かれた。視線を向けると、そこにはクラウドが立っている。店の内側から、ザックスもコンコンと叩き返してやった。
「早かったじゃないか。ティファ、なんだって?」
「とりあえず次の仕事は……待て。話しにくい」
くぐもっている声を窓越しに聞いて、思わずにかっと笑った。
「だな」
ジャンク屋の中に入ってきたクラウドが、ザックスの持っていたレコードに視線を落とす。
「これが、好きなバンドの?」
「違う違う。呼ばれたからさ。適当なの持ってただけだよ」
「探し物は見つかったのか?」
「まだ。もう少し探してみる」
「ふうん」
レコードが並んでいるコンテナの中に何かのミュージカルの劇伴らしきジャケットを戻し、それから改めて一枚一枚眺めていく。
店主は退屈そうにカウンターの中で欠伸をしていたが、クラウドは熱心にザックスの手元を見ていた。
「どうしたんだ? 興味、ありそうじゃない」
「興味、出てきたんだ」
「そりゃ良かった」
「ティファも、レコードは店で流せるって」
「やったな」
それなら、目当てのレコードが出てこなくても雰囲気が良さそうな物を買ったら良い。今のクラウドがそれを聞くことにも、きっと意義があるはずだ。
「……クラウド」
「何?」
「……俺、変わらないままじゃないと思うんだ」
レコードのジャケットを選別する手は止めないまま、ザックスはゆっくりと呟く。
「こうして在る以上、多分変わっててさ。ほら、汚れるからって言って剣を使わなくなった、とか」
「……それは知らないけど」
「親の顔を見たくなくなったとかさ」
そう言えば、クラウドが、むっと口を閉ざした。少し尖らせているようにも見える。
「……でも、変わってないように見えるのは、俺の中に大事な部分が残ってるからじゃないかな、って」
「大事な部分……?」
「お前が俺らしいと思っている部分が残ってるから、かな」
パタン、コンテナの中の最後の一枚を持ち上げる。
やっぱり、都合よく大好きなバンドのレコードの美品なんて見つからないもんだ。
「お前が、俺を俺だって信じてくれる部分を見てくれてるから、俺も俺は俺なんだ! って思うよ」
ふらりと気を抜いたら光の粒子になって命の大河に絡め取られる存在を、人類は何と定義するのだろう。――ゴースト? それとも、モンスター?
「ザックス、何言ってるんだ?」
いつの間にか手を止めていたザックスの横顔を、クラウドがじっと見つめていた。
「……お前のそういう鈍いところ、俺、結構好き!」
「急になんだよ!」
変わっていく。少しだけ大人になったと思う。諦めたこともある。だからこそ捉えられる自分の存在の限界と、生身の人間との境界線も見える。
見えているが、多少の我儘で平行線に立っている。
「あー……レコード見つからなかったな。クラウドが好きそうなやつ、試しに聞いてみようぜ。俺も新規開拓だ」
「……そんなこと言われても、わからない」
「そういう時はインスピレーションで選ぶんだよ、インスピレーション!」
ザックスが覗いていたコンテナを、今度はクラウドが眺めている。それを、ザックスが見ている。こうしているのも面白い。
「残せていて良かった」
「何……?」
「いや、なんでもない」
――これからも残していけると良い。他の何が変わろうとも。
「これにしよう、かな……」
「お、いいんじゃない?」
ザックスも名前くらいは知っているが、実際に聞いたことはないバンドのレコードだ。それを両手で握ってジャケットのイラストをじっと眺めているクラウドは、まるで子供のようだった。
「欲しかったものを見つけたって感じ」
「え?」
「ううん、こっちの話! いいじゃん、クラウドが選んだことに意味があるんだ」
「変な曲が流れてきても、笑わない……?」
「大丈夫だよ。このバンド、名前くらいは知ってる」
ほっとしたように肩を落としたクラウドの背中を押して、店主の元に向かう。ジャンク屋にあるレコード一枚、ささやかな金額だった。それに――俺達は今、労働を終えてきたばっかりだし!
「興味、出てきたんだろ?」
「……出てきたよ」
「じゃ、失敗したって、また別の聞いてみたらいい。俺達には、レコードを聞く時間も、ラジオを聞く時間も、たーっぷりあるんだ。それとも、また喧しいだけだ~とか、言う?」
チャラけたように言ってみる。昔みたいに、青年だった頃のように。
すると、いまだに両手でレコードのジャケットを大事そうに握っていたクラウドが、ふっと笑った。
「言わないよ」
やった! と、クラウドの肩を叩く。
――ほらな、お前も少しずつ変わっていってる。大事な部分をちゃんと残したまま。
ザックスの前髪が、目の前でふらっと揺れた。
エッジの風景も、少しずつ変わっていく。それで良い。それでこそ、地に足を付けている意義があるというものだ。
多少の我儘だけで走り続ける、その意義が。