「お前の名前、教えてくれよ」
ずっと前、友達だった顔がそう言った。クラウドはゆっくりと瞬きをする。だから、そうだ。死人はどう足掻いたって戻らないんだ。
神羅ビル跡地の整理をしていた時だった、それを見つけたのは。
古いデータバンクの中に、兵士のパーソナルデータが大量に残っていた。
「ヴィンセント」
クラウドが声を上げれば、音もなく近付いてきたヴィンセントがその手元を覗いた。コンピューターに表示される兵士たちのデータを見て、ヴィンセントが目を細める。
「眩しいか?」
「いや……」
「これは、なんだろう」
「さて……見たところ神羅兵のようだが」
それは見ればわかることだったが、あえて口にはしなかった。
旧世代のモニターには、兵士姿の男たちの写真、名前、血液型や配属先だろうか、記載が漏れている部分もあるが、そんなデータが映っている。
「探し物は見つかったのか?」
「……いや」
「そうか……」
ヴィンセントの探し物とやらに付き合うついで、今だ片付けのなされないビルの探索を行なっていたところだった。
「お前の方こそ、使えそうなものは見つかったか?」
「ジャンク屋に売れそうな物は山ほど見つかった」
お陰様で、ポーチはガラクタで一杯だ。当然ながら、神羅の中で重要な素材は見つからない。というか、既に回収されているものと思う。捨て置かれたビルなのだから、重要な物・価値のある物が残っているわけがないのだ。
「何よりだ」
「……そうだな」
本気で言っているのだろうか。ヴィンセントのことだから、本気かもしれないな……。クラウドはそんなことを思った。
それにしても、だ。
「……消されていないということは、このデータは然程重要ではないということか……」
おびただしい量のパーソナルデータだ。神羅は今だ数名のタークスとそれを率いる社長の存在によって暗躍している。今は大人しくしているが、いつまた何をしでかすかはわかったものではない。鼻につく連中だと思う。思わず、クラウドは顔を顰める。
「……俺に聞かずとも、もっと詳しい人間に聞いてみればいいんじゃないか?」
「断る」
ヴィンセントの提案は、即座に却下した。仮に連絡や接触を取れたとしてもだ。できれば、奴らには会いたくない。関わりたくもない。
「……クラウド」
「だから、嫌だと言って……」
「今のは、ソルジャーじゃないのか」
「何?」
適当にページを送っていた画面に、再び注意を向ける。ページを戻して、思わず、吐息が漏れた。
「……どうして」
どうして、彼のデータまで存在するんだろう。
ヴィンセントの提案を実行する羽目になったことを呪いながら、携帯電話を耳に当てている。しばしの呼び出し音の後、のろのろとした「はいはい~」という言葉に、今すぐ携帯を叩き折りそうになった。我慢した。
「レノさんだぞ、っと~」
「聞きたいことがある。知っていれば答えろ。知らなければ答えなくていい。こちらはそのまま電話を切る」
「おいおい、たまに連絡寄越すと思ったらいきなり脅迫かよ……流石に傷付くぞ、と」
そんなことを言いながら、軽い口調は変わらない。傷付くなら勝手に傷付けばいいと思うし、実際、クラウドの態度ひとつやふたつで傷付く男でもないだろう。
クラウドは決して態度を崩すことなく、淡々と続ける。
「おしゃべりをする気はないんだ。神羅のビルに残されたデータバンクに兵士のデータを見つけた。そこに、ソルジャーのデータもある。本来なら消されていてもおかしくない物だろ。何か知っているか」
「そんなところで何を探してるんだ?」
のらりくらりとした口調にイライラする。そのイライラを隠しもせずに応じた。
「質問に答えろ」
「まぁ、見つかって困る物も残っちゃいないだろうが……待てよ? ソルジャーのデータもある、だって?」
「そうだ。一般兵の名前と、それから、数名のソルジャーの物もある。これは何の為のデータなんだ……調べてみたけど……形式が、俺にはわからないし……」
「ふーん……」
間延びしたレノの声に、クラウドは、あ、と思う。
「クラウド、独り言が口から出てるぞ、と」
「うるさい。知らないのなら切る」
「あー、ちょっと考えさせろよ……」
「うるさい、切る」
「だっから……」
茶化すようなことを言われるのは好かない。特に、レノ相手では尚のことだ。
クラウドが、さっさと通話を切ろうとした時だった。レノの口から、信頼できる人間の名前が出た。
「ツォンさんなら知ってるかもな」
そうだ、それならこのちゃらんぽらん男より余程話が通じるだろう。
ちゃらんぽらん男も、どうやらそのデータに興味があったらしい。詳細はすぐにツォンに伝わったようだった。
「特に面白みもないデータだったぞ、と」そんな文面と共に、手の空いている彼の後輩がクラウドの元を訪れる旨がメールで届いた。
「あいつが来るんじゃないのか……」
安堵するような、どこか引っ掛かるような、そんな気持ちを素直に口に出せば、カウンター越しのティファが首を傾げる。
「あいつって、レノ? 何、仕事でも頼まれたの?」
「……ティファは、時々テレパシーでも使えるんじゃないかと思う……」
「そんなことないよ。クラウドがわかりやすいだけ。最近、特にかなぁ」
天井を見上げながら言うティファに、クラウドはむっと眉を顰める。自覚はない。そうしたいとも思わない。
「……そうか?」
そんな顔をすれば、クラウドの方を見たティファがおかしそうに笑った。
「そんなつもりないって顔」
「実際にないよ……」
「でしょうねー」
それより……と、ティファが話を戻す。
「仕事じゃないなら、なんでタークス?」
「話さないと駄目か?」
「聞いてもいいなら聞きたい」
改めて、ティファの顔を見る。穏やかな口調と、穏やかな表情。けれどクラウドを見る眼差しだけは真剣だった。
もしかしたら、心配を掛けてしまったのかもしれない。少し思う。
「この間、ヴィンセントと神羅ビルの探索をしたんだ」
「うん、聞いてるよ。ヴィンセントからね」
話さなくても良いと思っていたので伝えていなかった。もしかしたら、ヴィンセントだけでティファの店を訪れたのかもしれない。
クラウドは、ゆっくりと視線を下げる。
「……怒ってないから大丈夫。ケガもしてなかったし、危険なことはなかったんでしょ」
ティファの言葉に、クラウドは深く頷いた。
「……ああ」
それを見てティファはふふっと笑う。本当に怒ってはいないようだった。
「それで?」
「一般兵や、ソルジャーのデータを見つけた。ただ、俺には扱えないデータ形式だったから……」
「ソルジャーのデータまで……?」
「……ああ」
安堵する。ティファが引っ掛かる部分もクラウドとリンクしていた。重要度はどうあれ、放っておくべきことではなかったのだ。
「それって、さ」
「うん……」
知らないことを知ることができるかもしれない。まだ、取り戻せていないピースになるかもしれない。だから、放っておいてはいけないと思った。
モニターに表示された、まだ幼さの残るザックスの写真を見た時から、クラウドの胸はざわめいていた。
十分な間を置いて、ティファが表情を変えた。
「……そのデータについて、教えてもらえることになったんだ?」
また穏やかに笑って、そしてクラウドの返事を待っている。
「ああ。イリーナが来るって」
「そっか。良かった……気を付けて行ってきてね」
「うん」
それ以上、ティファは何も言わなかった。
クラウドもまだ考えている。新しいことを知ったところで、何にもならないこと、取り返しのつかないこともわかっている。けれど、いつだって、いくつだって知りたい。触れたいのだと思う。
たとえ、そこにもう肉体がないとしても。
レノのメールの通り、イリーナと神羅ビルで落ち合った。こんな場所でタークスの一人と待ち合わせをするというのも妙なものだと思ったが、言葉にはしなかった。
「あ、本当に来た! 良かったぁ」
「おしゃべりする気はない」
「はいはい。こっちにもその気はないから大丈夫よ」
「……話が早くて助かる。ありがとう」
彼女の先輩とは大違いだ。怒らせていた肩をすっと下ろすと、何故だかイリーナが笑った。
「何がおかしい?」
「別に。ちょっとはアイサツした方がいいかと思ったけど、ありがとうとか言われるとね」
小首を傾げた。イリーナは笑ったまま、ビルの瓦礫を革靴で踏みつけて中に入っていく。
「早く行きましょ。私も気になってるのよね」
「あ、ああ」
イリーナには、必ず誰かが同行しているものだと思った。けれど、今日は本当に彼女一人だけのようで、クラウドは正直拍子抜けしている。だから「ありがとう」なんて言葉が口を突いて出たのかもしれない。
だから、だろうか。彼女に笑われたのは。そんな風に思って、指先でそっと口を押えた。
「向かいながら話すわね。単刀直入に言うと、クラウドが見つけたデータは戦闘シュミレーション用のパーソナルデータなのよ」
「……戦闘……?」
別のことを考えていたから、イリーナの言葉に対しての反応が遅れた。
クラウドは彼女の後を追いながら、聞き逃しそうになった言葉を反芻する。
「そう。壊れてなければトレーニングルームで使えるはずよ。ちょっと古いデータだから、破損はしているかもしれないけど……登録されている兵士のデータをターゲットに反映させられるってわけ。一時期そういうトレーニングを進めてたみたい」
「……つまり、そいつの……いや、そいつらの戦闘データとシュミレーションで戦える、というわけ……なのか」
イリーナの背中を早足で追いながら、クラウドは情報の整理をしている。
戦うことで得る情報もあるだろうが、クラウドが知りたかったものとは少し異なる。そんな気がして、溜息が漏れそうになった。
イリーナは続ける。
「それもあるけど」
「他に何か?」
「宝条がやってた実験の一つに、ええっとなんだっけ……「その人物の感情や性格に即した脳内物質の分泌によって、戦闘能力にどのような影響を与えるか」……? ってコスパの悪い実験があったらしくて……まぁ、コスパが悪いから、大々的には行なわなかったみたいなんだけどね。それがこのデータに……」
イリーナが言っている言葉の意味はわかる。けれど、それがクラウドの見つけたデータとどのように関係があり、どのようなことが可能なのか、クラウドにはわからなかった。
「つまり……どういうことだ?」
だから、咄嗟に聞き返した。
「あー、あったあった!」
だのに、イリーナはトレーニングルームの前で、うんうんと頷いている。
「だから、どういうことなんだ」
「使ってみればわかるわよ」
クラウドは、わけのわからない内にトレーニングルームの内部に押し込まれた。
戦闘シュミレーションと言うからには……戦うのだろうか。
スピーカーを通したイリーナの「始めるわよ」という声に、クラウドは顔を上げる。背中の剣に手を伸ばし、瞬きをした瞬間、閑散としていた部屋は突然色彩を変えた。
細かな青い粒子のブロックが、クラウドの足下から順々に視界を構築し直していく。
「……これは」
「シュミレーションだから、思い切りやっちゃって」
イリーナの声が遠くなった。
実際に遠くなったんじゃない。クラウドの耳から、意識から、離れてしまった。仕方の無いことだった。
目の前に現れた立ち姿に、クラウドは瞬きを忘れる。自身の前髪が揺れる向こう、そこには――
「よう、調子はどう? 俺は」
そこには、黒髪のソルジャーの姿があったからだ。
「俺は絶好調!」
ザックス=フェア。クラスセカンド。
懐かしい姿に、クラウドは立ち尽くす。これがシュミレーションのターゲット、それだけの存在。
本当にそうなのだろうか。
たんたんと飛び跳ね、体を慣らしている。無邪気な、これからひとっ走りでもしようかという子供のような動きだった。
「……ザックス」
「そうそう! 俺、ザックス。お前は?」
「え……」
「お前の名前! 教えてくれよ」
ずっと前に、友人だった男の顔がそう尋ねる。
クラウドは、ことんと息を飲んだ。このザックスは、クラウドのことを知らない。
当然だ。これは、宝条が採取したデータから生まれたザックスだ。記憶なんてものがあるわけがない。
改めて、背筋を伸ばす。
「これから戦うんだ。必要ないだろ」
「あ、そっか。でも実戦訓練なんだろ。名前くらい聞かせてくれたっていいじゃない」
「……必要ない」
「もー、固い兄さんだな……」
「兄さん……?」
「じゃあ」
ザックスがミスリルソードを軽々と持ち上げ、そして構える。安定感のある構えにクラウドは我に返り、そして自身も合体剣を握った。
「俺が勝ったら教えてもらうってことで!」
重心の安定したずっしりとした構えとは裏腹に、床を蹴って走り込んでくる身のこなしは軽い。
ミスリルソードはクラウドも何度か扱った記憶があるが、そうそう軽い物ではない。しかし、目の前のザックスは得物の重さなど感じていないかのような素早い振り上げを見せた。刀身はクラウドを真正面から捉えている。
振り下ろされた刀身を剣で受け、その風圧を感じる。――強い。軽く振り下ろしたとは思えない剣撃の重さだ。
ミスリルの刀身を擦り上げ、なんとか切り返す。しかし、ザックスは既にそこにはいない。くるりと身を返し、そのまま側方に跳ねていく。
「いいねぇ、その剣! 俺にも貸してくれよ!」
「ちっ!」
余裕のある軽口に、思わず舌を打った。
「へへっ!」
着地した先で姿勢を直したザックスが、次の剣を打ち込もうと半身になる。
クラウドは完全に後手に回ってしまっている。しかし、ザックスの俊敏さにはカウンターを返すのも一苦労だ。ミスリルソードよりも合体剣の方が重量があることも、相手のコンディションを見ると分が悪い。
こんなに真剣な戦いを余儀なくされるなら、装備を整えてくればよかった。
シュミレーションが始まった今となっては、悔いてもしょうがないことである。クラウドの額に汗が伝う。汗が伝う戦いなんて、いつぶりだろう。
「いくぜ!」
先程から全く変わらないスピードで飛び込んできたザックスの上段からの攻撃を、またも剣の身で受ける。そのまま合体剣の重さと力押しで払うと、ザックスの姿勢がわずかに崩れた。恐らく、整えるために後方に飛ぶであろうザックスと間合いを詰め、そのまま袈裟に斬りかかろうとした。
「やっべ!」
「遊びは、終わりだ……!」
そんなクラウドの手から、柄がすり抜けた。すり抜けたのではない。
ここで、クラウドは勝ったのだ。確かに勝った。だから柄から手を離した。
そして、そのままザックスの体に体当たりを決めた。
吹っ飛んだザックスの体が、壁にべたんと直撃する。
「いったーーー……」
「……俺だって、痛い……」
なんて硬いシュミレーション相手だろうか。クラウドも無傷では済まない。体当たりしてぶつかった肩が痛い。
「やるじゃん……えーっと」
ザックスが顔を上げて肩を竦めた。黒い前髪が、彼の綺麗な目の前に揺れる。
緊張していた肩が自然と落ちた。呼吸を整える。みっともない姿は晒せない。
「……クラウドだ」
そう名乗れば、目の前の彼は目を輝かせて頷いた。
「クラウド! 強いな、アンタ!」
『その人物の感情や性格に即した脳内物質の分泌によって、戦闘能力にどのような影響を与えるか』……イリーナの説明をようやく思い出す。
つまり、元の人格に伴った脳内物質の分泌までもシュミレーションした人工知能、それがこのデータだったのだ。
残酷なことだ。死人はどう足掻いたって戻らないのに。
どう足掻いたって、今ここでクラウドの名前を知ったデータは、ザックスとは異なる存在だというのに。
じっと自身を見つめているクラウドに、ザックスであってザックスでないものが首を傾げる。
斬ってしまえば良かった。何故、自分は体当たりを選んだのか。
斬ってしまえば良かった。こんな中途半端なものを残さなければ良かった。
「クラウド?」
けれど、確かに自分は昂揚したのだ。
この、ただのデータと剣を合わせることに。
「……お前は、自分が何者かわかってるのか?」
「それは、どういう質問だ?」
首を横に振った。
「お前は疑似人格でしかないってこと、わかってるのかと聞いている」
クラウドとて、こんなことを突き付けたくはない。
「……知ってるよ」
青年は笑う。
「実在してないんだろ。わかってる」
青年は周囲を見渡し、それから満足したように頷いた。
「それに、多分ここから出られない。だろ?」
「……そうだな」
「でもさ」
よっと声を上げて立ち上がったザックスは、軽く屈伸をして、それからぱっと明るい顔をクラウドに向けた。
「すっげー楽しかった! 俺、戦ったのがクラウドで良かったなぁ」
あまりにも朗らかな顔をするから、クラウドは面を食らった。つい、笑ってしまう。
「……俺も、楽しかった」
だから、そんな言葉が口から溢れた。
「なぁ、俺、もしかしてだけど、消されちゃう?」
「……どう、だろう」
見上げる。イリーナは、今の状況を観測しているのだろうか。そもそも、この装置はいつまで正常に動くのだろうか。
「古いデータだから、いつかは破損してしまうかもしれない」
「そっかぁ……」
「でも」
でも――なんと、言おうとしたのだろう。クラウドは戸惑った。
自分は、ただのデータに何を躊躇したのだろうか。
「でも、すぐにってわけじゃないんだな」
「え……?」
うんうんと頷いたザックスに、クラウドは首を傾げる。
「また会いに来てくれよ。俺が動く間に」
「……また、会いに来て、いいのか……?」
「もちろん!」
戸惑った。また、会いに来いと言う。だから、また会いに来て良いのかと自分は問うた。――また、会いたいと思ったのだ。このデータの青年に。
最後に、青年がニッと笑った。生前と変わらない。あまりにもさっぱりとした笑みだった。
シュミレーターの稼働が済み、部屋の中がまた暗くなる。
消えてしまったザックスを探して、クラウドはつい左右に視線を走らせた。
「クラウド!」
スピーカーから、イリーナの声がする。
「終わったみたいだから電源切ったけど、無事……?」
心の中は、混乱と自分自身への動揺でぐちゃぐちゃだ。額の汗はもうなかったが、首の後ろがざわついて落ち着かない。再び会いたい気持ちと、けれどと思う気持ちがせめぎ合う。
できるだけ無事に捉えられるように、できるだけ何も気にしていないように、そういう風に見えたら良い。
「大丈夫だ」
彼と剣を交えたのだ。みっともない姿は晒せない。