こころさらいの言うことにゃ



 そういえば、「触らないで」って言われたことないな。
 ごーんごーんと頭の中で鳴り響くショックのその理由へと辿り着き、大和はベッドの上で呆然としていた。
 目の前には、シーツの上でわんわんと子供のように声を上げて泣く三月。そんなに嫌だったかな……と思いながら、巡るのは「なんで、どうして、もしかして一ラウンド目が悦くなかったかも?」という、どうにもしょうのないものだった。
 ホテルに連れ込んで目一杯愛して、それから、少しの悪ふざけで自分の着物に袖を通させて一通り楽しんだ後、シャワーを浴びて戻って、もう一回……なんて欲を出したところだった。
「人の着物、床に脱ぎ捨てて寝てるなんて、良いご身分だなぁ、ミツ」
「すみません」
 距離を置きたい時、本当に恐がっている時、三月は他人行儀な敬語を使う。しかしだ、その時の言葉は、あまりにも冷たかった気がする。
「嫌です。もう触らないでほしい」
 ぴしゃりと言い放たれて、大和は目を丸くする。
 抵抗しても、家族にも三月にも報復はしないとは以前伝えていた。
 けれど、これまで三月が大和に対して、こんな拒絶のような抵抗をすることはなかった。なんなら、腕を突っぱねることさえしなかったのに——それが、ベッドで横になっている三月に覆い被さろうとした瞬間、胸を押された。
「もう会わない」
 その上、突然別れの言葉を突き付けられたとあっては、何もかも急過ぎる。
 大和には、全く納得ができなかった。
「ミツ、どうした?」
 くたくたに体をいじめて踊らせたから、眠いのかもしれない。それにしたって、こんな言い草する子ではなかった。
「疲れちゃった……?」
 枕に半ば伏せられている顔を覗き込みながら、曝け出されたままの素の肌を撫でる。
「やっ……」
 柔肌とはいかないが、それでも肌理もハリもある、少し外見に気を遣っている男の肌だなぁと思う。
 肩を撫でて背骨の節を数えながら、腰を焦れったく撫で回した時、ようやく三月が身じろぎをした。もう少し煽ったら、食いついてくる気がした。
「やめろ、やだ!」
「そう言ったって、ついさっきまで仲良ししてたじゃん?」
 なんでもない顔をしながら、あんなに手脚を絡めてきてたのに、覚えてないなんて薄情にも程がある。
 大和はそのまま、まだ自分の残滓と汗で湿っている三月の尻の間に中指を挟もうとした……が、体を仰向けに返した三月に阻止される。
 それでも前側に手をやって腰骨を撫でて諦めないでいると、それまで抵抗していた三月が、ぶわっと大粒の涙を溢した。
「え」
 言葉が出なかった。
 ただやんわりとした問答をしながら、体を撫でていただけだ。
 それなのに、目の前の三月は両手でぐしゃぐしゃと顔を拭いながら、子供みたいにわーわー泣いている。
「えっ、えっ、ミツ、どうしたの! 俺なんかした?」
 慌てる大和をよそに、三月はぎゃんぎゃん泣いた後、泣き疲れたのか眠ってしまった。
 大和は結局、三月の言葉の真意を一つも聞けないまま、三月を置いてホテルを出たのだった。
 詫びも思い付けないままだったから、チェストに万札いくらかと「これで美味いものでも食いなさい」という走り書きだけを残した。三月は嫌がりそうだと思いはしたものの、大和にできるのはそのくらいのものだった。


 翌々日、少しは落ち着いたもんかと思い、大学の入り口に車を出させた。
「ミツ」
 遠目でもその車を見つけたんだろう、ギョッとした三月を、大和の方とて見逃さない。
 わざわざ車から降りて、そそくさと逃げていく三月を追う。
「三月!」
 名前を呼ばれて、三月がびくりと肩を震わせた。
 三月だって、潜在的には大和のことを恐れている。それを利用するために、喉の奥から低い声でもう一度、三月の名前を読んだ。
「ミツ、理由もないのにもう会わないは、流石に納得できませんよ。お兄さんに話してごらんよ」
 有無を言わさない圧を掛けながら歩み寄る。袴の衣擦れが鳴ったかと思えば、三月がずるりと後退りした。
 手を伸ばして髪を撫でれば、もう抵抗はできないだろう。だって、恐がっているのだから。
 大和がにぃと笑うと、三月は後退りした足をそのままに、ぐっと唇を尖らせた。
「そういうところが、嫌い……」
「は?」
「恐くしないって言ったじゃんか! でも、するんだろ。あんたのそういうところ、嫌いだ、オレ!」
 ——嫌いって……嫌いって、なんだっけ?
 大和が呆然と立ち尽くしている間に、三月は踵を返して走っていってしまった。浮かんだ涙で、瞳がどろっとしていた気がした。
 けれど、今泣きたいのは、不甲斐ないことに大和の方であった。
 

「ミツに嫌われた……」
 不甲斐ないので、そのまま何の獲物も得ずに車を走らせ、今は事務所で項垂れている。
「そりゃそうだろ。お前は強引過ぎる」
 すると、「この男には言われたくないナンバーワン」が口を開いた。
 自分が義理を立てている八乙女楽にそう言われて、大和はしたたかに舌を打った。
「嫌われるのには慣れたみたいな顔してると思ったが、そんなことはなかったんだな」
「うるせぇですよ……」
「何か、理由があったんじゃないのか?」
「教えてくれない。ただもう会わない、嫌いってさ。寸前まで寝てたってのに」
「二階堂、お前……」
「俺はノーマルです! 変なことはしてねぇっつーの!」
 はぁと溜息を一つ吐いて、それから羽織の裾を改めて座り直した。
「ああ、でも……服は着せたかな」
「服?」
「俺の着物着たら、ぶかぶかで可愛いかなと思って」
 楽は、それだ……というような顔をした。大和は察するなり、ついと口を尖らせる。
「それだけじゃん……羽織までは着せてないし」
「はは……紋の入った羽織着せられたら、いよいよだろ。組に入れたいのか?」
「全然。ミツはお前のじゃねぇし」
「は?」
 大和の言葉に不思議そうに首を傾げた楽の髪が揺れた。綺麗な銀髪だ。
「お前さんのみたいだろ。うちの紋が入ってる物なんか着せたら! あいつは俺のなの」
「それだと、うちの連中、全員俺の物ってことか……」
「そこは自覚しろよ、頭だろ」
 はーあ……と、大和が頭を抱える。どうにも、楽は人の動かし方を知らない。あまりにも人が良過ぎるのだ、この男。それ故に、人には好かれるが反抗する者も少なくない。
「……そろそろ電話出るかな」
 大和は三月に電話を掛けながら、ちっと舌を打った。
「あのチビ、次出なかったら殺すよ、と……」
「嫌いって言われたばかりだろ」
 呆れたように大和のチャットを覗き込んだ楽に、大和はやけくそで吐き出した。
「うるせぇ! どうせ嫌われてるなら、どこまででも嫌われてやる!」
 地獄の底まで追ってやる、あの七五三……そう言いながら、もう一度電話を掛ける。
「……何」
 何度目かのコールの後、ようやく出た三月に、大和は「あっ、七五三!」と、咄嗟に言ってしまった。
「切ります」
「嘘、ごめん許してミツ! 理由、理由だけ聞かせて!」
 じゃないと地獄まで追います。そこまでは言わない。
「……だって」
 緊張から、大和はソファの上でふんぞり返る。
「な、なんだよ」
「オレは、大和さんのもんなのに」
 そうです。はい。俺のもんです。自覚があって何より、口角がつい上がる。
「大和さんは、兄貴のもんなんだなって思って」
「……え?」
 今さっき、楽とそんな話をしたばかりだ。
 大和はきょと、と楽を見上げる。
「いや、俺はやお……兄貴に義理立ててるだけで、別にそういう関係じゃ」
「わかってるけど」
 わかってるけどさ、ともごもご言う三月が、いつの間にかまた鼻を啜っている。
「だって、ずるい。オレ、こんな」
 ぐずぐずという三月の言葉を黙って聞きながら、大和はなんとなく、本当になんとなくソファから立ち上がった。
「好きなのに、オレばっかり」
 涙声で潰れてしまっていたけれど、確かにそう言った。絶対言った。「嫌い」と同じくらいはっきり聞こえた。
「ミツ、どこ。家? 今」
「……海通りの、スタジオ」
「二分で行く」
 二分は無理じゃん、そんな風に言われて、言われきる前に通話を切った。
 大和は事務所に提げていた別の羽織をハンガーから抜いて、小脇に抱える。
「ちょっと行ってくる」
「おう」
 楽の顔を振り返りもしない大和が、慌てて羽織を替えながら事務所を出ていく。それを見ていた楽は、やれやれと肩をすくめて笑った。