惑溺SERVICE ROOM



 和泉三月はアイドルだ。見ている人を惹きつける、キラキラした本物のアイドル。
 角度によってその煌めきを変える宝石みたいな、そんな存在。だけど、ただ大人しくお行儀よくしてるだけ、なんてもんじゃなくて——そうでよかったと思ってる。ミツのことを独占したくならなくて済むから。宝石箱に閉じ込めて、必要な時だけ撫でるみたいなことをしなくて済むから。
 だから、和泉三月がアイドルで良かったと思ってる。
(お、思ってるんだよ……俺は)
 浴槽に浸かって、三月に背中を支えられてる。後頭部は三月の肩に乗せて、風呂の天井を見上げている。
 三月の脚の間に挟まれて、体に寄り掛かって、三月に抱き締められている。
(あっつい……)
 けれど、このポジションをみすみす逃したくはない。のぼせ上がりそうなのを耐えながら、大和は天井に掛かる靄を見つめていた。
「大和さん、そろそろ上がる? のぼせねぇ?」
「ん? あ、ああ、大丈夫……だと思う」
 大丈夫じゃないと思う。全然、大丈夫じゃないと思う!
 事の始まりは、撮影で遅く帰ってきた大和が、丁度入浴しようとしていた三月に気付かれたせいだった。リビングなんて寄らなければ良かったのに、大和はつい顔を出してしまった。
(いや、帰ってきたら顔出すだろ、普通……)
 先に入ったら良いよ。お兄さん、ミツが出るの待ってるからと、確かに言った気がする。
 それなのに、パーカーを半分脱いだ三月は、大和に駆け寄るなり上着を脱がせ……ようとしたが、カバンの紐に引っ掛かった。カバンを下ろして上着を脱がせ、そのまま脱衣所に大和を引き込んだのだ。
「大和さん、眠そうだから一緒に入っちまおうぜ」
 寮の風呂は、一度に何人も入れる程度には広い。子供らはよく一緒に入っているし、大和だってそれほど気にはしないが、その日に限っては三月の誘いを断りたかった。
 何故って、疲れているからだ。疲れていると気を遣えない。気を遣うような間柄かと言われれば今更ではあるが、それにしても、何をしでかすかわかったものではないし、一人になりたい気持ちだってある……と思いかけていたところ、既にベルトを外され、デニムを下されていた。
「や、やめて、ミツ……自分で脱げます……」
「えー? 早くしろよ」
 Tシャツの裾をたくし上げられたのでバンザイをしたが、三月の身長では大和を脱がしきれなかった。仕方なく自分で頭を抜いた。
 そのまま、全裸に剥かれてシャワーを掛けられ、頭を洗われ体を擦られ、終いには浴槽に浸けられて今に至る。
(い、至ら、ないだろぉ……)
 流石にあかすりは途中で奪い取ったが、自分そっちのけで大和を洗濯していた三月が自分の体を磨いてる間、ぼんやりと浴槽に浸かっている間、うっかりほんの一瞬うたた寝した内に、自分が三月の脚の間に挟まってのけぞっているとは思わなかった。
 以上、回想終わりである。
 さて、この回想の合間に、更に頭がぼんやりしていた。いよいよ立てなくなってきている。ただでさえ、こってり絞られ疲れて帰ってきているのに、こんなに気持ちの良い場所に収まっていたら……ついでにのぼせてるし。
 大和はいい加減諦めて、三月の肩から頭を上げる。頭の中が、ぐわんと音を立てて揺れた。
(み、水、被りたい……)
 ぽかーっとして眩暈がした。前のめりになると、大和の体を抱いて支えていた三月が「上がる?」と尋ねてくる。
「上がる……悪い、ちょっとのぼせたかも」
 ぴちゃん、と音がした。浴槽から立ち上がれずに頭を押さえている大和のすぐ横にあった脚が、おずおずと抜けていく。
 そのまま、さっと立ち上がった三月が浴槽の湯を抜いた。
「水持ってくるから、そのまま動くなよ」
「うん……」
 ぐらんぐらんと揺れる頭を抱えながら、ぼんやりした状態で返事をする。
 しばらくして、三月が絞ったタオルとコップいっぱいの水を持ってきた。
「お前さん、裸のままうろうろすんなよ……」
「言ってる場合か。オレが湯冷めするより、あんたの方がやばそうだぜ……?」
 タオルで頬を、額を撫でられる。冷たくて気持ちよくて、目を閉じている間にコップを突き出された。
「飲める?」
「うん……」
 渡されたコップを口に当てて傾けると、茹った口内を、喉を、食道を、冷たい水が勢いよく滑り落ちていく。慌てて飲み過ぎてむせた。けほけほと咳をする大和の口を、三月の熱い指先が拭う。
「慌てんな慌てんな」
 元はと言えば、大和の目の前で裸でいる三月のせいでのぼせているのだが、浮遊感と頭痛で、大和は湯のかさが減っている浴槽に寄り掛かることしかできなかった。
当然ながら、浴槽より三月の体の背もたれの方が柔らかかった。
「やばい……」
「どうした? 吐きそう……?」
「それは、大丈夫なんだけど」
 目の前がチカチカする。大和の顔を覗き込んでくる三月の瞳がキラキラとして、澱みのない宝石みたいだった。
 かろうじて大和が持っていたコップが、手から滑り落ちそうになる。それを三月が掴んで、残っていた水を口に含んだ。
 浴槽にだれている大和の頭をするりと撫で、頬に手を添えて、そのまま三月の口が大和の口を塞いだ。やんわり口を開けられたかと思いきや、三月の口内を通って温くなった水が大和の喉を滑っていく。
「ふ、ん……?」
 頭を上げると、目の前の三月の口から、つうっと水の滴が溢れていた。
 伝った水が三月の喉を流れて胸まで行った時、体に纏わりつく雫のどれが三月と大和を繋いでいたのかわからなくなった。
「ミツ……」
 ぼんやり名前を呼ぶ。眼鏡を掛けていないから、尚更ぼうっとしている。
「ミツの口、冷たい。湯冷め……」
 湯冷めしてるかも、と言いかけた口を、もう一度塞がれる。唇をくっつけたまま「ん?」と首を傾げた三月の上唇をちゅると吸えば、三月がふふっと笑った。
「は、大和さんが熱いだけだよ」
 唇は冷たいのに、その中にある舌はやけに熱くて、大和は三月の舌をしゃぶった。ずるりと唾液の水音が鳴る。
「あ、ふ……あっつ」
 三月の手が、そっと大和の頬に触れた。ちゅっと音を立てて唇を離すと、三月の手に額を拭われる。
「立てる……?」
「まだ、無理そう……」
 前髪から、するりと水滴が滑り落ちた。夢中で口を吸い合っていたら、その合間に浴槽の湯は全て抜け落ちていた。
 大和は三月に手を引かれるまま、浴槽から体を起こす。
 立てるじゃん。そう言って笑った三月が、バスタオルで大和を包んだ。
「ふ、拭ける! 拭けるって……!」
「さっき立てないって言ってたばっかだろー」
 そうだけどさ、と言いかけて頭を押さえる。
 ぐらんぐらんと揺れる景色に、僅かに吐き気がした。咄嗟に口を抑えると、大和の体を拭いていた三月の手が止まる。
「やっぱ吐きそう……?」
「いや、なんか……酔ってるみたいな……」
 三月が風呂場の換気扇を回して、そうして大和を脱衣所まで押し出す。ぼーっとしていると、「やっぱり拭けないんじゃん」とバスタオルをひったくられた。顎の下をぐりぐりと拭かれて、猫みたいな気分になる。喉を鳴らせたら、ゴロゴロと鳴っていたことだろう。
 大和はぼんやりと赤い視界の中で、三月の顔を見つめた。
「あー、なんか……やめて欲しい……かも」
「どうして? 頭揺れる? 気持ち悪い……?」
「そうじゃなくて、ね」
 はいよ、と着替えを差し出される。受け取れないでいると、焦れた三月が大和のパンツを広げた。そのまま足元にしゃがまれる。
「ほら、脚!」
「さ、流石に、穿くわ……自分で」
 バスタオルで顔を隠した。なんていうか、位置がまずい。
(ミツのことは、独占したいと思ったことはないけどさ)
位置がまずい。
 タオルを少しよけて、自分を見上げてくる三月を見つめる。
(……頭、沸騰しそう)
 のぼせたせいもあって、頭がガンガンと痛む。ガンガンと、金物の音が……
「ミツ、わざとやってる……?」
 大和はバスタオルに包まったまま、三月と目を合わせるためにしゃがみ込んだ。というより、下半身が限界だったのもある。とにかく位置が悪い。
「何が?」
 ゆるっと目を細めた三月が、なんでもない風に言う。
 三月に広げられている自分のパンツを見下ろして、大和はのそりとそれを取り上げた。
「俺はさ」
「うん」
「ミツが本物の宝石みたいだなって思ってて」
「宝石?」
「手が届かないみたいな、宝石箱に収まらないような、そういう宝石だと思っててさ」
 ずるずるのそのそとパンツを穿いた。そのまま、脱衣所の床に座る。
 三月は大和の言葉の続きを待ちながら、またバスタオルで大和の頭を拭く。
「だから、こういうこと、奇跡みたいだと思ってて」
「なんだって?」
「俺とかナギに、特別甘いの。奇跡みたいな話だって思うんだ」
 拭き終えた三月が、バスタオルを洗濯機に投げる。脱衣所に座ったままでいる大和にパジャマを広げ——いよいよ大和は諦めて、素直に袖を通した。三月がパジャマのボタンをぷちぷちとはめていく。
「……甘いだけじゃ、口移しなんかしねぇよ?」
 ボタンを閉め終えて、それから襟を直される。三月は大和の額を手の平で撫でた。手が冷たい。大和の世話を焼いている内に、本当に湯冷めしてしまったのかもしれない。
「ごめん、ミツ、湯冷めした……?」
「話逸らすな」
「逸らしてないでしょ。お前さんが風邪ひいたら困……」
 パンツを穿いただけの三月が、腕を伸ばして大和に抱き付いた。
 自分の体はまだ熱い。ひやりとした三月の体温がじわじわと染みる。
「じゃあ、あっためてよ」
 三月が囁いた。
 ぐわんぐわんと揺れていた頭の中が、急に冴えてくる。冷たい三月のせいで、きっと茹っていた頭が冷静さを取り戻していて、けれど、胸はどうしてか熱いままで、大和は三月の背中、素肌に腕を回して抱え込む。
「手、届いただろ」
「いや、宝石の方から飛び込んできたじゃん……」
 それって、俺の手が届いたんじゃなくて——そうじゃない。ミツが湯冷めしそうだから、早く服着せなきゃ……そう思うのに、腕の中の宝石はどうにも固くて動いてくれなかった。
「そうだよ。飛び込んだの。あんたの手の中に収まりたくて」
 すり、と頭を摺り寄せられる。くすぐったくて頭を振った。
「あんたのそれ、弁えてるみたいな顔してるやつ? 俺、嫌だな。あんまりしつこいとオレだってうえ〜ってなるけど、でも我儘言ってる時の大和さんの方が好きだよ、オレ」
体を離して、はっきりしてきた頭で三月のTシャツを探した。手繰り寄せて広げる。襟を三月の頭に通して、無理矢理腕を抜かせた。
 くしゃくしゃになっている頭を梳いて、大和は目を細めた。眼鏡がないので、いまいち見え難い。
「欲しいなら、欲しいって言ってよ」
 目を細めすぎて、三月の言葉についぱしりと目を閉じた。
「寝たふりすんな!」
「してない……眩しいだけ」
「なんだそりゃ」
 ははと笑った三月が、大和の目の前ですくりと立ち上がる。俺が温めなくたって、勝手に温かくなるんだ、ミツは。そんなことを思った。
 宝石は大和の腕から飛び出して、それから洗面台に向かって化粧水をはたいてる。
 パンツにTシャツ姿のままうろうろとしている三月を右に左に眺めつつ、大和もようやく立ち上がった。パジャマのズボンに脚を通して、ようやく元通りに形を取り戻した自分の姿を鏡越しに見る。
「顔色良くなったか〜?」
 一緒に鏡に映っている三月が、大和の腹をつついた。
「お陰様で……」
 甘やかされる通り越し、介護状態だった自分を、眼鏡を掛けて確認する。三月がへらりと笑った。
「あーあ、結局湯冷めしちまったな。ちょっとさみぃ……」
「だから言ったろうが……」
「だって、されるがままの大和さん可愛くってさぁ」
 三月の言う通り、本当にされるがままだった。否応なしに操られた自分の体を見下ろして、大和は眼鏡のブリッジを上げる。
「うちの宝石、翳ったら困るんだからさ。変なことに構わなくていいんだよ、お前さんは」
「変なことじゃないだろ。オレがしたくてしてんだから」
「変でしょ、俺だけこんなことされるの」
「変だと思うなら、お礼にあっためてって言ってんじゃん。さっきから」
 とん、と、三月が大和の方に体重を掛けてきた。さっき抱き締めた分じゃ足りないのか、勝手に飛び出したのに。
「宝石箱には入れなくていいから、大和さんの布団入れて欲しい」
 聞き間違いだといいな、聞き間違いではないんだが。
 こんな風に自由に飛び込まれて惑わされてしまうなら、よっぽど最初から宝石箱に仕舞っておいた方が良いのかもしれない。
 そんな風に思いながら、大和はぎゅっと目を閉じた——眩しい。
 三月はと言えば、鏡の前で佇んでいるだけの大和の顔にたしたしと化粧水を付けて、それから少しだけ背伸びすると、自分が今整えたばかりの唇にちゅっとキスをした。