光彩奪目を去なす -酔い待ち月-


多分、重とはうまくいっていたと思う。
鎌鼬のことは食べられないという宣言を受けた後も、体を重ねて合わせて、妖怪が享受するのとはまた違った快楽を楽しんでいたはずだ。
それが、ある日ぱたりと……
「避けられるようになった……?」
円が、呆れたような顔をする。
「……俺は毎晩呼ばれるのに?」
そう呟いた円に、鎌鼬は心の底から驚いたというような顔をした。目をまん丸にしている鎌鼬の頭を撫でつつ、詠が苦笑いする。
「まぁ、僕もよく庵で会うけど……」
「な、なんで?」
重に会えていないのは、鎌鼬ばかりだった。会えていないわけではない。出会しても何故か挨拶程度で済まされる。
――オレたちって、うまくいってたんじゃないの……?
重に体を撫でられるのを想像すると、思わず尻尾が揺れる。鎌鼬は両手で自分の頬を覆って、フラフラ揺れる尻尾をそのままに「なんでなんで……」と考え込んでしまう。
詰所の入り口でこんな話をしているものだから、近くを通った蒼が、心底鬱陶しそうな顔をしていた。
「それで、重を探しに来たわけだ?」
「そ、そう……! そうなんだよ!」
「でも、会ったからってさ、また避けられちゃうんじゃないの?」
そう言った詠の方を、鎌鼬がさっと見上げる。
「だからさ」
そうして、鎌鼬は懐から小さな酒瓶を取り出した。
「……酒?」
円と詠の声が重なる。
「そう。これは妖怪に伝わる強い酒で……その名も「浄土・地獄落とし」! これを飲んだら、いくら浄土にいる仏さんでも、悪酔いしてたちまち地獄行きになっちまうって酒! これなら重もイチコロだと思ってさぁ」
料理酒に使ってたんだけど、持ってきちゃった。
そんな風に言う鎌鼬に、円と詠は顔を見合わせた。
「……それ、本当の意味でイチコロじゃない?」
二人の言っている意味がわからず、鎌鼬はきょとんと首を傾げたのだった。

さて、地獄落としの実行に移ろうと、早速鎌鼬は円に頼み込んで重の部屋へと潜り込んだ。例の酒瓶を抱えたまま、寝台の上に座って重を待つ。
「面白そうだから、見掛けたら戻るように伝える」と詠も言っていたし、夜には戻るはずだ。明かりを点けないで、暗がりの中待っている。
部屋の窓から、灯影街の光が見えた。鎌鼬は寝台から立ち上がって、ぼんやりとそれを見つめた。
「……ただ待ってるのって、つまんないな……」
灯影街の明かりを見ていると、自分もあの中に戻りたくなる。ちぇ、と壁を爪先で小突いた。
ただ待っているのがつまらなくて、何度か重の胸に飛び込んで行ってみたこともある。しかし、ここ最近の重はどうだ。反応も薄く、抱き締め返してもこない。体を合わせるなんて以ての外だった。
「……これって……」
ふと、鎌鼬の頭を過ぎる――もしかして、二度目の失恋では?
えっ、と口を押さえた。
気付いてみると、体中からどっと汗が吹き出した。
「あれ……オレ、もしかして、嫌われて……?」
まさかまさかと思いながらも、その思考が止められない。まさか、重の奴は鎌鼬との遣り取りに、もう興奮を覚えていないのではなかろうか……?
思わず、窓際にしゃがみ込んだ。蹲って、持ってきた酒瓶を胸に抱く。
「……す、好きだと思ってるの、まさかオレだけ……?」
鎌鼬が愕然としていると、急に部屋の明かりが点いた。
はっと顔を上げる。すると、そこには驚いた顔をしている重がいた。
「かさね……」
重は蹲っている鎌鼬を見るや否や、足早に駆け寄ってきた。そうして、鎌鼬の背中を撫でる。
「な、なんでおるん? どないしたん……自分、調子悪いん?」
少し慌てている。自分の背中に触られたことに安堵して、鎌鼬はほっと息を吐いた。しかし、ここでほっとしている場合ではない。
鎌鼬が顔を上げると、重は眼鏡の向こうでふっと目を細めた――穏やかな表情だって向けてくれるのに、何故急に……と、鎌鼬はおもむろに持っていた酒瓶の蓋を開ける。
「え」
そうして、それをくっと口に含むと、困惑している重に飛び付いた。
「はぁ?!」
突然飛び付かれた重は、そのまま床に転がる。すかさず、鎌鼬は重の口を覆うように唇を合わせた。度数の高い酒のせいで、口の中がかぁっとする。
妖怪の特別な酒だ。人間が口に含めば尚更のことだろう。繋がった唇から酒を流し込むと、重が顔を逸らしてゲホゲホと噎せ出した。
「げほっ、く、は……っ、なんやこれぇ……けほ……さ、け?」
「うん。美味いだろ?」
「美味いっつーか、つっよ……」
喉元を押さえてまだ咳払いをしている重に、鎌鼬はきょとんと首を傾げる。口に含んだだけの鎌鼬でも、なんとなくとろんとしてくる。それだけ強い酒だった。
もう一度、瓶の口をちゅぽんと咥えた。少し傾けて飲んでみる。
「んー、んまい」
「味わからんかった……そないに?」
「うん、九尾の狐の秘蔵の酒だからさ。厨房から持ち出してきちゃった」
床にぺたんと座り込んでいる鎌鼬に向かって、重は「ふーん」と返事をした。
どうやら、まだ特に変化はないらしい。
(もしかして、重、酒強いのかなぁ……)
瓶の口を咥えていた唇を離して、上目遣いに重を見る。顔が少し赤い。眼鏡を外して額を拭っている。
「……はぁ、流石に、喉かぁっとするわ……妖怪の酒って、みんなこうなん……?」
「ううん、これが特別」
鎌鼬は、酒瓶に蓋を閉め直す。そうして、頭を押さえて項垂れてしまった重に近寄った。
「なぁ、なんか変なとこない?」
「何ぃ、なんか盛ったん……?」
「盛ってないよ。妖怪の酒飲むと、人間ってどうなっちまうのかなって思って」
「あはっ……どうもなってないで……? なんや、めっちゃふわふわするけど」
顔を上げた重の、掛け直した眼鏡がずり下がっている。目尻が若干下がって、とろんとまどろんでいた。かわいらしい顔もするんだなぁと思っていると、急に重が鎌鼬の口元を舐めた。
「……ん?」
「んー……美味い、確かになぁ……」
「も、もうちょっと飲む……?」
手放してしまった酒瓶を手繰り寄せようと背後に手を伸ばしたが、叶わず、体ごと重に引き寄せられる。顎の下に重の鼻筋が触れて、そのままくんくんと匂いを嗅がれた。それに飽きたかと思えば、鎌鼬の首筋を甘噛みし始める。
「やっ、ちょ、かさね……くすぐったいよ……っ」
笑いながらやんわり押し戻そうとするのに、鼻息の荒い重は全然鎌鼬から離れてくれない上に、着物を掴んで引き摺り下ろそうとしている。いつの間にか膝の上に抱え上げられていた。
鎌鼬の腕に、着物の袖が引っ掛かる。
「ン……やだ、脱ぐならちゃんと脱ぐから……」
「なんで? 脱いで何すんのぉ、鼬ちゃんわぁー」
着物の下に身に付けている洋服の布地の上から、重がぱくっと鎌鼬に胸に噛み付いた。それも甘噛みだから、決して痛くはないが……
(ヘンな感じ……)
じわ、と布の上から舐められる。恐らく立ち上がっている乳首に、焦れったい感触が纏わり付いていた。
「な、ぬぐ……脱ぐから、まって……」
「あかんて、脱いだら交尾してまうやん?」
「しないの……?」
え、と思って重の顔を押し退ける。悪戯っぽく笑っている重が鎌鼬の手に頬を擦り付け、それからつんと唇を尖らせた。
(うっわ)
――欲しがられてる……!
鎌鼬は、すかさず重の唇にちゅっと口付けをした。何度か触れては離してを繰り返していると、その内……噛み付かれた。がぶっとやられて顔を離す。
「いったぁ」
「痛くしてんの」
怯んだ鎌鼬の腰を重がぐっと引き寄せ、そのまま立ち上がった。抱き上げられた鎌鼬が「わ」と声を上げる。ふらり、重がよろけたが、なんとかバランスを取り直した。
「あっぶな……!」
そのまま、雪崩れるように寝台に落とされて、鎌鼬はきゅうと呻き声を上げる。
鎌鼬に覆い被さった重が、自分の前髪を掻き上げた。何もしていないのに汗をかいているのか、掻き上げた髪は元の通りに降りてはこない。
「痛いの、イヤ? きらい?」
すらっと細められた目に尋ねられ、鎌鼬はつい肩をびくつかせる。
「い、いたいのは嫌だろ、普通……」
「なんでぇ? 気持ちええかもせーへん」
勝手に鎌鼬の股の間に入り込んでいた尻尾を、重の手が握る。少し痛いくらいに掴まれて、鎌鼬は肩を竦めた。
「いた……ッ」
「根元、ぐりぐりされるの好きやん……」
先端から根元の方へ、いつもよりも力強く尻尾を掴まれ擦られ、鎌鼬は重の寝台の上で転がりながら、身の危険を感じて重の体を押し返そうとする。けれど、尻尾を掴まれているとうまく力が入らない。ついでに、酒のせいで頭がふらふらとしていた。
「こっちの尻尾も元気になってきたなぁ……」
脚の間に重の膝が割って入る。尻尾への愛撫で頭を持ち上げ始めていた性器をぐりりと押し込められ、鎌鼬ははくはくと口を震わせた。
「し、しっぽじゃない」
「尻尾やないんや? じゃあ何? 言うてみて」
「ち……」
別に、口にするのはなんでもない。そのはずなのに、何故か恥ずかしい言葉のような気がしてきて、鎌鼬は口を閉ざした。その間も、重の膝が鎌鼬の股間をぐりぐり刺激している。
「どないしたん、鼬ちゃん恥ずかしなってもうたん……? お兄さんに教えてや。鼬ちゃんのこれ、尻尾やのうてナニなん?」
にやにやとしたまま鎌鼬の耳元でそんなことを言う。終いには、人型の耳たぶを噛まれた。耳飾りごとじっとりと舐められ、鎌鼬はふるりと身を捩る。
「や、だ……やだ、言いたくな……」
「こっそり聞かせるだけやて。ナニがおっきしてイきそうなん?」
一際強く押し潰され、鳴き声を上げると、途端に重は膝の圧迫と止めてしまった。もう少しでイけそうだったのに、と顔を上げるが、涼しい顔をした重はただ鎌鼬の上で笑っているだけだった。
「言われへんなら、止めるっきゃないわな」
「え……っ、や、やだ、なんで」
「鎌鼬がええ子やないから」
「だ、だって……」
洋袴を押し上げて勃起したままの自身を見下ろして、鎌鼬は懇願するように重を見上げた。
「何?」
「な、なんでやめんの」
「せやからぁ、鎌鼬がええ子やないからやて。オレのお願い聞いてくれへんから」
「お願いって……! そ、そんなの言わなくてもいいだろ……!」
「だって聞きたいんやもん……鎌鼬が恥ずかしそーに震えながら、かあいらしい声ではよ慰めて~って言うの聞きたいんやもん?」
眉根を寄せてにやけながらそんなことを言う重の襟刳りを掴んで、鎌鼬はがっと口を開いた。けれど、何も言えないままただ唇を噛む。ふるふると震えている鎌鼬の鼬の耳を、重の指先がくにくにと摘まんだ。
「はぁ……」
耳の付け根を指で擦られると、ぶるりと背中が震える。いつの間にか気持ちの良い場所になっていたそこを、重が執拗に捏ねた。
「うう……」
「耳も気持ちようなってもうて、鼬ちゃんはお忙しなぁ」
「重が触るから……あッ」
耳の内側を爪で引っ掻かれる。つい口を押さえた。
「ん、ん……」
もじもじと内股を擦り合わせる鎌鼬の腿を押さえて、重は鎌鼬の頬をぺちんと叩く。赤くもならないほど柔い力で叩かれたのに、それでも鎌鼬は体を跳ね上げてしまった。
「どこ触ってもエエ反応するやん……? 何、苛められるのも好きなん? 淫乱な鼬ちゃんや」
「だ、って……だって」
鎌鼬は堪らなくなって、重の首に腕を回してしがみつく。手ひどく突き返されないことに安堵の息を漏らして、そのまま鼻をぐずとさせながら言った。
「さみしかった……」
「んえ……?」
「さみしかったから……ちょっとくらい苛められても、いい」
それまで意気揚々と鎌鼬の体を抓って擦ってしていたくせに、重が急に動きを止めた。自分の首に抱き付いている鎌鼬の頭を戸惑いがちに撫でて、そうして肩を落とす。
「なんで触ってくんなかったの……? オレが、ええ子じゃないから……?」
「え、えっと……?」
「避けられてたの、やだった」
すりすりと重の頭に髪を擦り付ける。ついでに耳もこりこりとして気持ちが良かった。
「オレのこと、飽きた……?」
「あー……待った、鎌鼬、その、えーっとだな……」
重の首を離さないでいると、終いには自分の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた重が、ようやく鎌鼬の体を抱き締めた。
「お前さんは、ええ子なんだけど……」
あー……目が覚めてきた……、なんて小さく唸っている重の声を聞き、鎌鼬がようやく腕の力を緩める。けれど、重は顔を見せてはくれない。改めてぎゅうっと抱き込まれ、鎌鼬は少し首を傾げた。
「……オレがええ子じゃない、から……オレが苛めたくなっちまうから……お前さんのこと……」
それだけ言うと、重は鎌鼬の肩に顔を伏せて黙り込んでしまった。
「今更何言ってんだよ。お前、元々悪い子じゃん」
「う……」
「それにぃ」
鎌鼬が、そっと重の体から離れた。顔を逸らそうとしている重の髪を掴んで、そのまま無理矢理自分の方を向かせる。それでも、瞳だけは鎌鼬から逃れようと逸らされていた。兎角、往生際が悪い。
「……オレも、人間に悪戯する悪い子だけど?」
そう言って、重の口にちゅっと素早く口付けた。
「やり返すからさ? いいよ、苛めても」
鎌鼬の言葉に、それからその接吻に、ぽかんとしている重の間抜けな顔を見て、鎌鼬は笑う。
「あはっ」
お前でもそういう顔するんだよなーと腹を抱えて寝台に転がった鎌鼬を、重の腕が改めて捕まえた。じたじたと体を捩る鎌鼬に、重は長―い溜息を吐く。鎌鼬の股には、何やら硬い物が当たっている。
「お前もおっきしてんじゃん……する? それとも、もうちょっと飲む?」
「あの酒はあかんわ。やっぱ強いわなぁ、妖怪の酒は……抑え利かなそうやわ……」
それでも、さっきよりは目の据わっていない重は、どうやら些か酔いが覚めてしまったらしい――正直のところ、怖さもあったがそれよりも……
(ちぇ……折角ドキドキしたのに……)
そのまま懇切丁寧に抱かれながら、鎌鼬は頭の隅で「なんとかして、また目一杯飲まそう」と心に決めるのだった。