光彩奪目を去なす -光彩奪目-


 逃げ出した。
 妖怪の皮膚は日に焼けることを知らないのか、けれど、血管は確かに通っている。魚の腹のような滑らかな皮膚の中、青い管と血潮の色が透ける首筋を見て、重は今まで感じたことのないような欲を覚えた。
 臓腑から喉から、まるで、目に見えない手がぞろりと登り、這い出てくる感覚。
 戸惑いがちに見上げて、けれど、首を、肩口を差し出してくる鎌鼬の姿に、血が逆流するような焦燥を感じた。
 気付けば、彼を置いて逃げ出していた。口の中に溜まる唾液を懸命に飲み下し、鞘を掴んで走っていた。
 詰所に駆け込み、汲んで飲み干した水は一切の味がしなかった。
 吐き気がする。胃が「欲する物はこれではない」と訴え掛けてくる。吐き気がする。水を押し上げ、そうして「望む物を」と。
 重は、ぐるぐると巡る意識を押し退けて、食堂の机を叩いた。
 イライラとは違う、今感じているのは、じりつく欲とそれに対する動揺だ。蛟の力を欲しがった時は、もっとわくわくとした。けれど、今はそれと違う。皮膚の下を、骨の節を、虫が這うような感覚だった。
(なんだ、これは)
 鎌鼬の体液を口に入れてから、本当に何かが狂ったのかもしれない。
 ぞっとした。自分は、本当に彼の肉が欲しいのだ。
 そんな重の耳に、衣擦れの音が届いた。
「重」
 低く落ち着いた声に、重は思わず舌を打ちそうになる。何故なら、こんな時には聞きたくない声だったからだ。
「……なんや、英はんかいな……」
「顔色が悪いな。薬を持ってこさせようか」
「いらんわ。それより何の用や……自分の施しなんいらんとこやけど、見ての通り、気分はめっちゃエエところですわ」
「それは邪魔をしたな」
 脂汗を拭った重を見て、英はすらりとした目を細めて笑う。癇に障る。
「単刀直入に伝えよう。明日の朝に、私と貴様で公開稽古を行う。真剣一本勝負だ」
「はぁー、それホンマやったんかいな……しかも明日ぁ? 急すぎるやろ。かったる……」
「前々から伝えておくと、貴様、逃げ出すだろう? 重」
「なんですのん……」
「今回ばかりは向き合ってもらうぞ。私とて、不要な人斬りはしたくない」
 英の神妙な表情に、重はつい眉を上げる。
「……どういう意味や?」
「そのままの意味だ。今回の稽古、貴様が逃走、もしくは不戦敗でもしようものなら、即刻処刑するようにと……もしくは、私自らその場で処分するように言われている」
 体の内を駆け巡っていた興奮が、急に冷めてしまった。重は呆れたとばかりに溜息を吐く。そうして、口元をあえて歪めて言った。
「それ、自分言うてええやつなん?」
「特に口止めされてはいない。私個人としては、お前に伝えておかなければならないと思った。だから言ったまでだ。……ただの稽古で終わらせたい。必ず参加するように」
 英の瞳が、幾許かの必死さを持って重を見た。
 ――処刑も何も、こんな場所に配属された上に降格を受けた時点で、ある種処刑されたようなものではないか。
 眼鏡のブリッジを上げる。もう一度静かに息を吐いた。
「ハイハイ、りょーかい」
「違えるなよ」
「しつこいなぁ。まぁ、こんなオレでも命は惜しいし?」
 重がひらっと上げた手を見て、英はほのかに安堵したようだった。背中を翻し、振り返らないまま食堂を出て行く。
 ――命が惜しいのは本当だ。しかし。
(……やり合いたくねぇな……)
 蛟と英を交戦させた理由が、今、はっきりとわかったような気がした。
(避けてるのか、オレは)
 英と一対一で刀を合わせることを。
 ふらり、懐から式神を取り出した。手の中の人形を見つめて、重は肩を落とす。
「一歩間違って死ぬ前に、食うてもうてもええのかも……」
 式神の頭部にちゅっと口を付けて、そのまま手を離した。
 浮き上がった式神が、主の指示を空中で待つ。
「鎌鼬の顔面に突撃して戻って来てや」
 飛び立った式神にひらりと手を振って見送る。
 顔を見たら、また得体の知れない焦燥が込み上げてきそうなものだが、しかし、今無性にあの童顔に触れたくて仕方が無かった。
 淡い色の恋心なんて、自分にはとてもではないが似付かわしくないけれど、夕の陽を受けた式神の色は、もしかしたらその手の色に似ていたのかもしれない。


 さて、戻ってきた式神はと言えば、重が意図していなかった物を引き摺って戻ってきた。いや、意図していなかったわけではないが、なんというか……ぐしゃりと前髪を掴む。
「……なんでやー」
「こっちの台詞だっつーの!」
 式神にしがみついて引き摺られてきた鎌鼬が、部屋の窓に詰まっているのを見て、重ははぁと溜息を吐いた。
「何、オレに会いたかったん? さっき会ったばっかやん」
「そうだな! お前は逃げ出したけどよ!」
 いーっと牙を見せる鎌鼬の言葉に、不意に自分の情けなさが頭を掠める。すまなかったなどとは言わないが。
「いや、なんや、急にな……鼬の肉なん、生臭そうやなぁって思うて」
「失礼だな、テメェは本当に……」
 呆れたような顔をした鎌鼬が、窓に詰まったまま尻尾を立てている。
 重は、式神の効力をそっと切って、窓に詰まっている鎌鼬のために仕切りを広げてやった。
 ずれてしまった帽子を押さえながら、鎌鼬がふるふると頭を振る。光の加減で橙にも桜色にも映る髪が、ちかりと揺れた。
「……結局、からかってたのかよ」
「何……?」
 鎌鼬が、着物の上からそっと自分の鎖骨を撫でた。
「食いたいってやつ、さ」
 顔を背けて、目を伏せて、僅かに頬を染めながらそんなことを溢す鎌鼬に、重はふと口を開き、けれど何も言わないまま閉じる。暫しの思案の後、何故かはわからないが唇を尖らせたくなった。
「最後の晩餐に鼬肉は、あんまりやわ……」
「さいごのばんさん?」
「オレ、明日英はんにたたっ斬られるかもしれへん」
「な、なんで!」
 万が一にも、重がここに来て逃走するか、もしくは事故が起きようものならば、の話である。その可能性を持ち出したところ、鎌鼬が、ぎゅうっと重の外套を握った。
「なんで? お前、また悪いことしたのかよ!」
「人間には人間の面倒があるんやわ。鼬さんにはわかれへんかもせぇへんけど」
 あまりに必死に縋り付いてくるものだから、顔を逸らしながらつい面白おかしくなってしまう。
 子供みたいな縋り方をしてくる鎌鼬の髪を撫でた。覗いた人の耳が赤い。その上でぴこんと動いた鼬の耳にそっと口を寄せる。
(耳くらい、囓ってみてもええのかも)
 はむ、と唇で挟むと、重の外套を握っていた鎌鼬の手が、途端に重の体にぎゅうっとしがみついた。
「ひゃうっ」
 上がった嬌声と、自分の胸元でふるりと震えた鎌鼬を見下ろして、重は思わずごくんと唾を飲み下す。耳からはつい口を離してしまった。
 なのに、まただ。喉奥から這い上がる欲がある。腹の底から湧き上がってくる気色の悪いものが、今にも口から溢れそうだった。思わず、手の平で自分の口を覆う。
「……重、どうした?」
 鎌鼬が、心配そうに顔を上げる。そして、僅かに潤んだ瞳で重の顔を恐る恐る覗き込んできた。
「やっぱり、オレ、不味いかなぁ……」
 冗談ではない。今すぐ啜りたくて仕方がない、その欲が自分を蝕んでいるというのに。
 皮膚を裂いて、あらゆる血管から垂れ流れる血液を啜り吸い上げ、覗く肉に牙を立てて引き裂きたい。露わになった骨だって、数多の臓腑だってしゃぶりつくしてやりたいというのに! 
 重は、自分の手が赤く染まっている幻覚を見た。瞬きをする。幻覚は消えない。その手で鎌鼬の不安そうな目を覆い、そうして頬を撫ぜた。白い頬に、血は付かなかった。
「……食うてもうたら、鎌鼬やなくなってまうやん」
「……え?」
「食うてもうたら、減ってまうやん。オレを好きな子が、いななってまうから……」
 重を抱き締めていた鎌鼬の手に、きゅっと力がこもった。
「だから、オレ、食べられへんわ。お前のこと」
 こんなに欲しいのに、なくなってしまうことの方が嫌だ。
 そう口にすれば、重の胸に貼り付いていた鎌鼬が、ふにゃりと笑った。
「……なんだよ、その理由」
 視界の端に見える鎌鼬の尻尾が、嬉しそうにふらふらと揺れている。
 この妖怪は、本当に自分のことを好きなのだと思う。そう感じる。だから食べてしまいたい。自分に欲しい。
「食べられへんけど……欲しゅうて欲しゅうて……」
 喉から手が出そうだ。そう言えば、鎌鼬が重に改めて貼り付いた。
「んー……? 人間って、そういう時どうすんだろう」
「……さぁ。考えたことないなぁ……」
 まともに人間を好きになったことがない――好き……? 好き、だって? まさかな。
「じゃあさ」
 外套を、鎌鼬にまたぎゅっと握られた。そのまま強く引かれ、ぼんやりしていた重は思わずバランスを崩す。すんなりと鎌鼬に引き寄せられ、そのまま、唇にむちゅと口を当てられた。舌を入れる真似事でもしたかったのか、それとも動物の本能なのか、重の口を鎌鼬がぺろっと舐める。
「じゃあ、番になろうよ」
 重が呆けたまま鎌鼬を見つめていると、暫くして、鎌鼬の方がこてんと首を傾げてしまった。
「……オレ、また笑われる……?」
 笑われても、諦めないけどさ。そう言ってまたぎゅっと抱き締められた。
 鎌鼬の言っている意味がひとつもわからないまま、重はただ熱くなっていく顔を覆うこともできず、わなわなと口を震わせた。
「そ、それはー……人間で言うところの、プロポーズだろ……」
「ぷろぽぉず?」
「あー、そういうのは普通、その……もっと、好きになってからっつーか……大体……」
 ギクシャクと眼鏡を上げる。もう一度落ちてくるので上げる。もしかして手が震えているかもしれない。
 何を言い出すんだ、この鼬は。
「重、驚いてんの?」
「驚いてるっつーか……あんまりにもお前さんが、その、突拍子もなくオレのこと好きだから……吃驚してるっつーか……」
「マジで? やっとお前のこと化かせたってこと?」
「な、なんだよ、化かすって! 嘘ってことかよ!」
「ち、違うよ! 番になりたいのは本当! えっと、お前が、オレのこと好きなら、だけど……!」
 重は思わず、ぎゅうっと目を閉じた。
「……なんで、お前さん、オレのことそんなに好きなの……?」
 わからない、わからないと首を振りたいのに、体がうまく動かない。
「それ! 考えたんだよ、オレなりに。なんつーかさぁ」
 鎌鼬が、すりすりと重の肩に頭を擦り付ける。大きな帽子が床に落ちて、けれどそのままだ。鎌鼬の耳が、安心したようにぺたんと折れた。
「放っておけないんだよな、お前のこと」
「あんなに罵ったのに……?」
「あんなに罵られたのに」
 くすくすと肩を震わせて笑った鎌鼬に「何」と問えば、下から小さな声で返事が返ってきた。
「重、すげぇドキドキしてる……」
 重の心音に会わせて、鎌鼬の耳がぴくぴくと動いていた。
「来て」
 その内、鎌鼬が重の部屋の寝台に手を引いて呼び付ける。自分はそこにひょいと座って、重の手を握り直した。
「……人間ってさ、番になったら交わるんだろ? ここ、擦り付けんの?」
 ぴらりと着物の裾を持ち上げて、鎌鼬が洋袴の上から自分の股間を撫でた。
「擦り付けるっつーか……」
 説明したくないなと思いながら、先程「化かされた」ことが途端に気恥ずかしくなり、また、悔しくなってきた。
 重はずり落ちたままだった眼鏡のブリッジを上げて、そのまま鎌鼬の股間にある彼の手を握る。
「……相手が女なら、中に挿れんの。鼬だって交尾するだろ? あれと同じ」
「……じゃあ、男だったら……?」
「そうだなぁ……ケツの穴でも使うんじゃないの?」
 自室とは言え、あくまでここは詰所の一室。なんとなく声を潜め、なんとなく鎌鼬の耳に口を近付けた。本当に、ただなんとなくの連鎖だった。
 鎌鼬が、ころんと寝台に寝転がる。そのまま体を横に倒して、腰を覆っている着物を前側に払った。するりと洋袴を下ろす。一瞬露わになった尻を、鎌鼬の尻尾がふらりと隠した。
「……使ってみてよ」
「は?」
「どう使うのか、使ってみて」
 ゆっくりと瞬きをする。急に言われても、重にも男同士での経験はない。しかし、目の前には曝け出されている可憐な尻。あくまで男のそれでしかないのだが……ごくんと生唾を飲む。
 食欲は、相変わらずじりじりと喉元を締め付けていた。苦しい。食べたい。
「あのなぁ……使えって言われたって、ぬめらせるような薬もないのに」
「え? 薬ならあるけど」
 ……ああ、余計なことを言ったと重は思った。相手は鎌鼬という名の妖怪だ。傷薬を持ち歩いているに決まっている。
 懐から容器を取り出した鎌鼬が、中に入っている白い軟膏を指に纏わせて、くちゃくちゃと音を鳴らした。
「あっためれば、使えるかな……?」
 ここまで来ては、重に「ハイ」も「イイエ」もなかった。

 やってみるかとやけくそ気味に応じてから暫く、寝台に両手両足と突かせてうつ伏せにしている鎌鼬の尻の穴を、彼の傷薬で解している。
 外套を脱ぎ去ってはいたが、正直のところ気乗りはしていない。なので、着物を乱して締まりのない格好をしているのは、鎌鼬の方ばかりである。
 確かに、体温で温めた傷薬は尻の穴にぬるぬると入っていくし、指の滑りも悪くはない。けれど、頭の中は「ここに本当に入るんか……」という疑問符ばかりである。
「鎌鼬はん……あきまへん。全然オレのブツ入りそうにないわぁ……」
「あ、喋り方戻ってる……くっそぉ、余裕ぶりやがって……」
 鎌鼬が、ふらりと尻を振った。それに伴って尻尾も揺れる。尻の穴に指を出し入れしていると、尻尾の方がふらふらと揺れて、悦いんだか悪いんだかはともかく、何かしら感じているらしいという反応は窺えた。
「別に、余裕があるわけやないし……」
 重の人差し指と中指を咥え込んでいる鎌鼬の尻穴を見ながら、きゅっと唇を噛む。寝台に腰を下ろして両脚を広げているその中心で、袴の布地がテントを張っていた。決して余裕があるわけではない。
「嘘やん……嫌やもう……」
 気乗りはしてないつもりだった。
「なに、嫌って言った……?」
「いや、嫌やけど、違うて……嫌やないです……」
 食べたい、だと思っていた。いや、今も思ってはいる。だから、決してこれは性愛ではないのだと思っていた。それが、どうしたことか。
(食べるって、そっちでもええんかい……)
 自分の欲望の行方がわからず、頭の中がぐらんぐらんと揺れている。
 あやとりを失敗した時のようだ。紐が解けない。解けないまま、すっきりしないまま、鎌鼬の尻を弄っている。正直に「滑稽だ」と思った。
「はぁ……」
 目の前で、ふらんふらんと鎌鼬の尻尾が揺れている。重は鎌鼬の尻穴を押し広げながら、思わずの尻尾に顔を寄せた。かぷ、と根元を噛むと、それまで大人しく伏せていた鎌鼬が、「ふひゃあ」と鳴いて、体を起こす。
「なっ、何すんだよ……!」
「んー、尻尾が暇そうやと思うてぇ」
「暇じゃないし!」
 重の指を、鎌鼬の尻穴がきゅうっと締め付ける。
 尾の付け根というのは、あらゆる動物において性感帯らしいという話は聞いていたが、どうやら真実のようだ。空いている方の手で、尻尾の先をこりこりと捏ねる。こちらよりも、やはり根元らしい。反応が薄い。
 重の手に纏わり付きながらも逃げようとする気まぐれな尻尾を左手で遊びながら、右手の指を、くっと鎌鼬の奥まで挿れ込む。すかさず、尻尾の根元を少し強めに擦った。
「はふっ、ふ、あぁっ」
 左腕に尻尾が絡まり止めさせようとするのに、鎌鼬の尻は重の手に擦り寄ってくる。どちらも本能に違いない正直な様を見せ付けられ、思わず口角が上がった。
「あはっ……」
 自分の中で、何かに火が点いたのがわかる。重は張り詰めている袴の紐を解いて急いで脱ぎ去ると、普段からだらしなく合わせている作務衣に袖を通したまま、襟を肩から下ろした。
 下着をずり下ろし、昂ぶっている自分自身を取り出す。鎌鼬の傷薬でぬめった手で扱いてやると、先端から汁が滲んだ。
(ご無沙汰だもんなぁ……)
 鎌鼬の口に出して以来だ。あれだって、まるで気分じゃなかった。けれど、今は違う。
(挿れたい)
 生殖行為でもないんでもないことを目の前の動物が望んだから、滅茶苦茶にわからせてやりたい。食って食らわせてやりたい。蕩かして、ぐちゃぐちゃにして、人間というものを刻んでやりたい。
(……オレは、結局人間風情でしかないんだな……)
 九尾の狐に言われたことが、ふと頭を過ぎった。
「鎌鼬」
「んー、何……?」
「オレ人間やけど、ええの?」
「……今、それ関係ある?」
 二本の指で、鎌鼬の尻穴をくぱと広げる。うつ伏せている鎌鼬は眉を顰めているが、けれど、構わずに立ち上がった性器の先を当てた。傷薬でどろどろになったそこに、じっくり埋めていく。
「あー……っ」
 ずるずると飲み込まれていく感触に、背骨がびりびりとした。思わず呻く。体が歓喜で震えそうになるのを耐えながら、鳴き声を上げないように口を押さえている鎌鼬の横顔を見下ろした。
「鎌……痛ない……?」
「いたくはっ、ない……けど、くるし……」
 ずっぽりと重の性器を咥えている鎌鼬の尻が、ぴくんと跳ねる。
 腰を両側から押さえ込んでいた手を緩め、宥めるように尻尾の付け根を撫でてやった。すると、鎌鼬はかっと目を見開いて、重の方を悔しそうに睨んだ。
「や、それぇ……っ、だめだってばぁ……っ」
「なんでぇ……尻尾、アカンの?」
 尻の奥まで自分自身の性器を押し込みながら、鎌鼬の尻尾の付け根もトントンと叩いてやる。すると、鎌鼬は呻き声を上げながら呆気なく射精してしまった。鎌鼬の精液が、重の寝台を汚す。
「あーあ、自分、イッてもうてるやん……」
「だ、ダメだ、って言った、も……んっ」
 鎌鼬の太腿から、溢れてきた傷薬が垂れていく。それがまた寝台のシーツを濡らすものだから、重は鎌鼬の体を背後から抱き締めて、そのまま体を横に倒した。倒れた振動が内側から伝わったのか、重の体の上で鎌鼬の体がびくんびくんと波を打つ。
「い、やっ、くるし、おく、奥、やだっ」
 重に乗り上がった形になり、鎌鼬の内側はびっちりと重の性器で埋められている。それが嫌だ嫌だと体を捩る度に内側が擦れて、次第に重の性器が膨張していることに気付いたのだろう、鎌鼬は、ぴしりと動くのをやめてしまった。
「なんや、サービスタイム終了なん?」
「さ、サービスじゃねぇ、し!」
「ほんなら、今度はオレのサービスタイムな」
 男同士で激しく動いて大丈夫なものだろうかと一瞬思案して、けれど、次の瞬間には腰が動いていた。
「ひゃあっ」
 寝台がギシギシと音を立てて揺れる。尻穴に激しく出し入れをされて、鎌鼬は重の上から逃げようとするのに、重力には逆らえず、そのまま重の体の上で跳ね上げられていた。
 自分に背中を見せている鎌鼬の腰を押さえ付けながら、しなる肢体を眺めている。
「い、やっ、ちょ、てめ……ッ」
「あはっ……ほーんま、かあいらし鼬さんや」
 腹の奥を何度も突き上げられて、尻尾の臨戦態勢を解除できないのだろう。先程から立ち上がりっぱなしである。そのため、重からは繋がっている部分がよく見えた。傷薬が濁ってぐちゃぐちゃに漏れ出している。
 ついでに、先程射精した鎌鼬の精液が二人の隙間にまとわりついて、ぱちゅぱちゅと卑猥な音を立てていた。
「や、だっ、ばかっ、んう、腹、くるし」
 短く途切れ途切れに鳴く鎌鼬を跳ね上げるのをやめて、重は、よっと体を起こした。自分の上に座るような形になっていた鎌鼬を背後から抱き締めて、そうしてべろりとうなじを舐め上げる。汗が滲んでしょっぱい。
「ひぃっ」
 十分に消毒をしてから、ささやかに口を開いた。唾液でてらてらとした鎌鼬のうなじを眺めて、そこにかぷりと噛み付いた。
「ん、う……ッ」
 きゅうっと吸い上げ、痕を付ける。歯形と鬱血の痕を両方付けて、何故だか、ただそれだけのことにやけに安堵した。血は出なかった。血が啜れなくても良いと思った。
 鎌鼬の肩に後頭部を乗せてほうっと息を吐くと、鎌鼬が不思議そうに振り返った。
「かさ、ね……?」
「うん……」
 止めていた律動を再開させる。寝台は、キシキシというささやかな音から、すぐに嘆かわしい悲鳴へと変わってしまった。
 その音に掻き消されるくらいに抑えられた鎌鼬の鳴き声をすぐそばで聞きながら、重は、ぎゅうっと目を閉じた。


「きっつい……」
 鎌鼬は、重の寝台の上で丸まった状態で目を覚ました。
 体を起こしてみたが、腰が痛くてすぐに倒れ込む。その上、尻尾はがびがびだった。シーツに包まっていたが、どうやら――何も身に付けていない……脱がされた服が寝台の下に散らばっているのをシーツの中から睨み付け、鎌鼬はくぅんと鳴いた。
「人間の交尾、きっつい……」
 しかもしつっこい……小動物の交尾は至って素早いものだが、重にあちこち擦られ舐められ、挙げ句の果てには噛み付かれた。その後遺症の数々を撫でて、鎌鼬は「使ってみてなんて言うんじゃなかった……」と呻く。
 自分の傷薬を使っているから、きっと治りは早いだろうが、それにしてもだ。ねちっこいし、しつこいし、何度も体勢を変えさせられた。あっちへこっちへやられて、人形みたい扱われた気分だった。
 しかし、それだけじゃないのがまた嫌だった。
「……重、笑ってた」
 いつもの嫌みな笑い方じゃなくて、蕩けたみたいにふにゃっと笑っていた。それが見られて良かった、だなんて……鎌鼬は、かぁっと熱くなる頬を両手で押さえる。
(あの顔が見れたからいっか……なんて、バカじゃねぇのオレ……!)
 吹っ掛けたのは鎌鼬からだ。それに文句はない。
 が、しかし、気乗りしないような顔をしながら、自分の気持ちは言わずに好き勝手してくれた重に物申してやりたい気持ちが、鎌鼬の中にふつふつと湧いてきた。
 鎌鼬は、衣服の一枚一枚をやっとの思いで拾い上げ、そうして重の部屋を出た。
「くっそ、文句くらい言ってやる……」
 ふらふらと詰所を歩いていると、稽古場に刀衆が集まっていた。その中に檸檬色の頭を見つけ、鎌鼬はえっちらおっちら駆け寄った。
「あ、円! みんなも……なぁ、重どこにいる?」
 急に声を掛けられ、振り返った円が驚いたように目をぱちくりさせた。そのまま、鎌鼬に向かって、「しー……」と口の前に人差し指を立てて見せる。鎌鼬は、思わず首を傾げた。
「なに……?」
「静かに。今日は中央の監督が入ってる公開試合だから、君がいるのまずいって……」
 そう言って円は自分の襟巻きを外すと、そっと鎌鼬の頭に乗せた。
「え、どういうこと……?」
「監督と言っても通信だから、中央の人間が実際にいるわけじゃないんだけど……ほら、今この状況、見られてるんだよ」
 円は、稽古場の中心を指さした。そこには――重と英が互いに刀を向けて構えている。
 円に誘導されるまま稽古場を一瞥した鎌鼬が、慌てて言った。
「試合って……? あれ真剣じゃんか!」
「そうだよ。そういう指定らしい」
 重が言っていた「英に斬られるかもしれない」というのは、この事だったのか……?
 鎌鼬はことんと息を飲み、そうして稽古場の中心をじっと見つめた。
 英は剣を正眼に構えている。剣術を知らない鎌鼬からしても、穏やかながら隙のない構えのように見える。一方、重はと言えば、顔の横で柄を握り、刀身を寝かせた状態で構えていた。
「なんだよあれ、脇ががら空きじゃん……」
「あれは八双だな……あの人、あんな構えもできるんだ」
 呟いた楓に、鎌鼬が顔を上げる。
「八双……?」
「あまり振り被らないで斬り込みに行ける構えだよ。鎌鼬の言う通り、重の場合だと右に寄せてるから、体の左側ががら空きになるデメリットはあるけどね」
 あの人あんまり稽古出ないから、何ができるのかよくわからないんだよな……と溢した円に、鎌鼬は「へぇ」と生返事を返した。立っていると腰がずしりと重いが、それでもこの歪な緊張感の中では、痛みも大分鈍っていた。
 じり、と重が左足で躙り寄る。けれど、英は一切姿勢を崩さず、微動だにしない。沈黙の中で、次第に空気が尖っていくのを感じる。審判をしている蒼も、ひどく緊張しているようだった。
 先に動いたのは、やはり重の方だった。重が肩口から剣を振り下ろすや否や、英は刀身を僅かに正眼からずらし、後方に下がった。下ろされた重の剣を擦り上げ、返そうとしたが、すぐに重に間合いを詰められる。
 そのまま、両者鍔迫りになった。遅れて聞こえた金属のぶつかる音に、鎌鼬はつい耳を塞ぐ。随分と鈍い音がした。重の打撃が強いことを、それが物語っている。
 しかし、鍔迫りの最中も落ち着いている英が、食い気味の重を早々に押し退け、改めて間合いを取った。
 今度は中段に構えようと手元を下ろした重の手首を英の剣先が狙う。半身を引いて避けた重を、二の手、英の突きが襲った。
 小手に打ち込んだ体勢を戻すことなく、低い姿勢から飛び上がるように重の喉元を狙った英のその切っ先が、後退した重の髪を削ぐ。
「あっぶな……!」
 一瞬の出来事に、流石に円も声を上げた。
「な、なぁ、これ、ケガとかしないよなぁ……!」
 鎌鼬が慌てて円の袖を引いた。
「真剣だからな。ケガするとしたら大ケガだよ……」
 そう返され、鎌鼬はばっと稽古場を振り返る。
「こっちのこと散々振り回しておいて……! あの野郎!」
 突きの連撃から続いて袈裟に振り下ろされた剣を、重が刀を寝かせ、刀の腹で受ける。
「ぐっ……!」
 膝まで突いてしまっているこの姿勢は、非常にまずい。
 円も蒼もそっと眉をひそめた。ここから持ち直したとて、生まれるであろう隙は誤魔化せないだろう。
「おー! やってるやってる……って、重、ピンチじゃん!」
 遅れて稽古場にやってきた詠が、わーっ! と声を上げた。
 英の圧に堪えながら、それを押し返すことまではできない。受けるので精一杯のように見える。
 重の剣撃にも力強さはあったが、当然ながら英も強い打撃力を持っている。姿勢を崩してしまっている重には、あまりに分が悪い。
「重ー! 負けるなー!」
 詠が呑気とも取れるような声を上げる。それを見て、円が肩を竦めて笑った。
「あらら、急に賑やかになっちゃったね」
 ぐぎぎ、と歯を食いしばっている重が、ちらりと詠の方を見た。
「うっさいわ! こっちかて、負けてケガなんしたないっつー……」
 重が一瞬、きょとんとしたのがわかった――バカじゃないのか、試合の最中だぞ? 円と詠の隙間にいる鎌鼬は思った。
 けれど確かに、それはもう間違いようがなく、この瞬間、重と視線が合ったのだと思う。
「貴様、よそ見してる場合か!」
 英の怒号が飛んだ。続いて、重が英の剣を押し返す。
 それに英が怯んだ隙に、後方に跳んだ重が英と十分な間合いを置いて一呼吸する。左手に握った刀の背で、とんとんと自分の肩を叩いた。
「はーあ、堪忍な、英はん。お稽古事はここで終わりや」
「……ハッ、笑わせるな。端から剣術稽古などしていないクセに」
「あはっ、オレ、稽古嫌いやもん」
「知っている!」
 上段に振り被り真正面から斬り込んできた英と、下段から斬り上げた重の剣がぶつかり、再び激しく斬り結ぶ。重としては、そのまま剣先を跳ね上げたかったところだろうが、英の腕力で押し戻された。
「ちっ、お利口さんな剣だな……ッ」
「お前と違って毎日稽古は欠かさないからな。覚悟しろ!」
 ひらりと返された英の剣が、重の胴体を狙った。それを、重は手首を返して受け止める。しかし、これでは――
「逆ががら空きだ!」
 もう一閃、柔軟に真逆から打ち込まれ、今度こそ重は剣撃を受けた……――かに思われた。
 英が剣を振り下ろすその瞬間、剣先がぶれたのだ。何故か――英の懐に飛び込んだ重が、そのまま英の足首を払った。それはまさに柔術の足払いの要領だった。
「えっ」
「えーーー!」
「なるほど、稽古事は終わりとは、そういうことだったのか……」
 一人だけ冷静に呟いた楓の言葉の後、重は肩を突き出し、そのまま英の体に体当たりした。英の体が、場外近くまで飛んだ。
「おのれ、貴様ぁ! 子供騙しのようなことを……!」
 英のブーツが稽古場の床を擦った。すぐに体勢を立て直そうとした英の眼前に、すらり、重の刀の切っ先が突き付けられる。
 暫しの沈黙、後に、長く長く吐き出される呼吸の音。そうして、にっこりと笑った重が呟いた。
「はい、終わり」
 こんな喧嘩のような試合を認めたくないのだろう。蒼が酷く不満そうに「勝負あり」と言ったので、円と鎌鼬はつい吹き出してしまった。
「はー、終わったわぁ~」
 コキンと首を鳴らした重が刀を鞘に納め、それから鎌鼬の方を見る。
 やはり、先程目が合ったのは気のせいではなかったのだ。
「……珍しく本気だったな、重。やり方は最悪だが」
 そんな重に、同じく刀身を鞘に納めた英が声を掛けた。
「男たるもの、負けたない時もあるやん?」
 重が軽い口調でそう言うと、英はそっと自身の右目を撫でた。
「……この傷を付けたのも、お前にとってそういう時だったのか?」
 重から、小さく溜息が漏れる。
「……それは別。それは、多分オレの八つ当たり、だったと思う。罪だろ? 突き付けるか?」
「……それでも、私は実力で負けたんだ」
 今日のような油断だったのかもしれない、そう言った英に、重はふらりと手で払って見せる。
「うるさ……またそれかいな。言ったやん? オレかて気にしてへんし?」
「どうだかな」
 そう言って笑った英に、重は口を尖らせた。
 ぷいと子供っぽい態度を見せて、いそいそと鎌鼬の方に近寄ってくる。すれ違った蒼が重を睨んでいた。気付いているのかいないのか、重はやけにへらへらとしている。
「はー、終わったわぁ。鎌鼬、体、痛ない?」
「……痛いけど、緊張感怖くて忘れてた」
 円に寄り掛かって立っていた鎌鼬が、借りていた襟巻きをそっと外す。「ありがと」と返された襟巻きを円が受け取り、再び自分の首元に緩く巻いた。
 それを見て、重は眉を寄せて笑う。
「あはっ、……なんや、かあいらしく円に寄っ掛かって。オレが抱っこしましょか?」
「いらねぇよ……」
 そんな二人の遣り取りを見て、円が不思議そうな顔をした。その内、「もしかして」と呟いた。
「俺、お膳立てした甲斐あった?」
 ついでに、横から詠がにゅっと顔を出す。
「え、なになに? 重、ついに? ついに?」
 幸い、楓だけは僅かに首を傾げ、ゆっくりと瞬きをしていた。何がなんだかわかっていないようだった。今の重には大層助かる。
「うわー、こっちもうるっさ……」
 面白半分できゃーきゃー騒ぐ二人を後目に、重がのそのそと部屋に戻っていく。「寝直そー」などと聞こえた気がして、鎌鼬は慌ててその後を追った。
「な、なぁ!」
「何や。言っとくけど、昨晩の謝らへんよ? やりたがったのお前やん?」
 囃し立てられたせいでどこかうんざりした顔をしている重が、そのままの表情で鎌鼬を振り返る。
 けれど、今の鎌鼬にそんなことは関係なかった。
「……かっこよかった」
「……は?」
 階段を上りかけていた重の袖を、鎌鼬がきゅっと握る。そのまま引き留められ、重は間抜けな声を上げた。
「重、かっこよかった」
 鎌鼬が橙の瞳で見上げれば、それまで飄々としていた重が途端にむっと唇を噛む。それは、怒っているのではなく、また悔しがっているのでもない。
 そんな重が、言い難そうに口を開いた。
「ほんっとに……食っちゃいたくなるから、やめろよな。そういうこと言うの……」
「……それが、重の好きってこと?」
「……そういうことなん違いますか……食われへんけど……」
 鎌鼬は思わず、ニカッと笑う。
「重、照れてるー」
「照れてない……!」
 つくつくと重の背中をつつきながら、重について鎌鼬も階段を上がっていく。
 ぼんやりと思った。体はまた痛むが、飽きるまでは一緒にいたい。飽きるまでは。
「お前、嫌なとこもあるけどさぁ」
「あはっ、正直に言うてくるわぁー、この動物……」
「お前といると、飽きないよ」
 そうか、それも重の好きなところかも!
 鎌鼬がそう言えば、重はまた口を尖らせて「なんやそれぇ」と照れ隠しの声を上げた。それはそれは大層眩しそうに目を細めながら。