うそつきカエルと王子様


「ミツとチューできるなら、俺はカエルになってもいい」
またわけのわからないことを言い出した……酔っ払いってのは、どうしてこうなんだか。
「両生類とはキスしねぇよ……」
三月が不可解だという顔を下げたままそう言えば、大和はゆっくりと、それはゆっくりと、わざと、わざわざ床に倒れる。
三月は、それを正直に鬱陶しい動きだと思った。面倒臭くもある。
「両生類は両生類同士で仲良くやれよ。大丈夫、大和さんだったら、可愛い彼女ができっから。カエルだけど」
「カエルじゃなくてもできるわ、彼女くらい!」
——カチン。
三月の中のガスコンロに火が点いた。とても軽快な音だった。青い炎が揺らめいて嗚呼綺麗なんて思いながら、ぐつぐつ煮える鍋を思う。どうせなら、すき焼きとかが良いな。
「だからぁ、それでも俺はぁ」
頭の中ですき焼きの具を並べながら、現実の缶ビールのプルタブを上げる。卵も溶かなきゃ。
目の前にある今はもう空のつまみの小皿。それを冷めた目で見下ろして、三月は開けたばかりの缶ビールを呷った。
カエルのことを考えていたら、口の中がむにゃむにゃしてきた。粘液とか付くのかもしれない。そういえば、アマガエルの粘液には毒性があるらしい。尚更、キスなんてできるわけない。
「それでもミツがいいからっていう」
「カエルの王子の話ってさ」
大和の話を遮って、三月は例のカエルの童話を思い出す。キスでなんて元に戻らないんだぞというのを伝えたいかどうかはともかく、酒の席だから、話を逸らせればなんでも良かった。
「お姫様が、一緒に寝るの嫌がってカエルを壁にぶん投げたんだぜ」
「……へぇ」
「それで、壁にぶつかったショックで人に戻んの。だから、キスなんかしても駄目なんだって。大和さんはカエルのまんまってこと」
ぐびっと、またビールを口に入れる。ぬるくなって、苦味が増す。あと、心なしか雨の匂い。カエルの話なんかしてるからだろうか。
すんと鼻をすすって、三月はビール缶の中を覗いた。
「ミツは、俺のことぶん投げないの?」
「中身出そうじゃん」
たしかに……と、大和が笑いながら返事をした。三月の腕力で投げたら、カエルは途端にカエル爆弾になってしまうだろう。グロテスクなので想像しないように。
……ああ、想像しちゃったかな。子供の頃、川で投げて遊んだよな……残酷なことだよ。
缶を回してみる、まだ少しちゃぷんと音が鳴る。
「戻らなくても、ミツとチューしたいけど」
「戻らないならオレはしてやんないし……そもそも両生類とはしねぇよ。せめて人に戻れ」
「人ならいいんだ」
「可愛いお姫様だったらな」
「ご機嫌ようってかー」
「ごきげんよーう、大和姫〜」
「ちょっとゴツい姫だけど大丈夫かしら〜」
ケラケラ笑って、それから俯く。
「大和姫、彼女できんだろ。じゃあいいじゃんそれで。彼女の方がいいじゃん」
「だから、それでも俺はミツが」
カエルの王子様はどっちなんだろう。手脚は短くて、可愛いったって筋張って骨張って、かと言って、鍛えたってゴツくはならなくて。
「オレの方がカエルみたいだよ」
三月はひらりひらり、自分の手のひらと手の甲を眺める。生憎と、水かきはない。
アイドル和泉三月としてだったら、この肢体を悔やむことはそうそうなくなったけれど、大和の言うようにだったら? どうだろう、悔やんでるのかな、何がどうして嫌なのかわからない。
「……だから、嫌だよ」
そう呟けば、大和がすっと口を閉じた。だらだらと酔っ払いの戯言を垂れ流していた唇が閉じて、への字に曲がる。
「俺は、可愛いお姫様が良いと思うよ」
——大和さんには、ね。
だって大和さん、女の子が好きだって散々言ったじゃん。筋張ったカエルより、ずっとそっちが良いに決まってる。
三月は、ぐしゃぐしゃと前髪を掻き混ぜた。
「ミツ」
顔を上げないでいると、前髪の隙間に唇を差し込まれる。額に触れて、炭酸の感触みたいにパチンと跳ねた。
「ごめんな、俺が可愛いお姫様じゃなくて。ついでに、自分勝手でさ」
「……毒、あるんだぜ。カエルって」
「知ってる」
「だからオレ、嫌なんだって」
「両生類同士なら大丈夫じゃねぇの?」
そう言われて顔を上げる。三月の体を中心に手を突いて近付いていた大和の顔は、全然カエル王子と似ても似つかなくて、いいなぁと思う。泣きたくなる。
「そんな顔が良いカエルいるかよ、嘘つき」
その気になれば、彼女なんていくらでもできるカエルなんているかバカ。そうやって、口先だけで罵った。
汚い毒を吐く口を、大和の口が塞ぐ。
三月は、ぽかと口を開けたままだった。
「可愛い王子様だな、お前さんは」
可愛い王子様ってなんだよ。王子様はかっこいいもんだろ。
今の大和さんみたいに、なんて一瞬でも思ってしまったら――思ってしまったばかりに、三月の耳がぽかぽかと熱くなった。
「お兄さん、顔、良い?」
「う、ぬぼれんな……! 大体、オレは八乙女みたいな顔が良いし」
「よりによってそいつの名前出す……?」
「出す。超好みだから」
「……知ってる」
心なしか、がくっと肩を落とした大和が、ふらりと瞳を上げた。部屋の天井を見て「はーあ」なんて溜息を吐く。
「……全然、同じじゃないじゃん。オレと大和さんなんて」
ぱしっと、大和の目が瞬いた。少し間の抜けていた表情はすぐにキリッとして、だから三白眼って卑怯なんだよな、と三月は口を尖らせる。どうしたって団栗目の自分の目尻を拭った。
「両生類同士なんて、よく言えるよな」
違うものだよ、どう考えたって。どうがんばったって。だから毒で死んじゃうんだ。
三月は、自分の顔をぐちゃぐちゃと擦って逃げようとする。
――毒で死んじゃう。触っちゃった。触った、唇に、大和さんが。
「同じじゃないからいいんじゃん」
「大和さんは魔法でカエルになっただけかもしれないけど、オレは、多分元々カエルだから、違う」
「じゃあ、可愛いカエルの王子様でいいよ。隣で歌って、隣で飯食って、一緒に寝よう。人じゃなくても良いよ。魔法掛けて、ずっとそばに置いてやる」
魔法?
三月は顔を上げる。前髪がくちゃくちゃだ。
「まほう?」
「うん」
「どんな……?」
「ミツがきらきらする魔法」
「いつからそんなもん使えるようになったんだよ……」
くちゃくちゃの髪を手櫛で梳かれた。大和は三月を抱き込むみたいにした。もしかしたら、これも魔法の一環なのかも、そんな風に思って眉を顰める。
「俺の目には、いつでもきらきら光って見えるよ。魔法に掛かってるの、俺の方かもな」
なんだそりゃ、と笑いが漏れた。
「ずっと一緒にいようよ。ミツがカエルの王子様でも、壁に投げつけたりしないから」
そう言われて抱き締められて、ぽんぽんと背中を撫でられた。
「オレは投げるかも、大和爆弾……」
「……た、耐えてやろうじゃねぇか」
「あははは」
いいね、その意気だ。渋い声出しながら答えた大和のことがいとおしくて、溶けそうだった。やっぱり毒なんじゃないか、融解しちゃう毒。
「毒でも、魔法になるのかな……?」
「ミツが望むなら、いつだって魔法にしてやるよ」
二人で溶けて、今だけ有耶無耶にしちゃう毒。それを魔法だと嘯く大和に、三月はひっくとしゃっくりをして笑った。