もしものちゅーと世界スケール




  「噂」って所詮噂で、コツンとローファーの先で蹴った小石の行方くらいどうでも良いことなんだろうな。だって、その先はもう爪先届かないんだから。
「二階堂、今誰と付き合ってんだっけ」
「別にー、誰とも付き合ってねぇけど」
 紙パックのコーヒー牛乳飲みながら、クラスメイトに聞かれたことにボケっと返事する。
「はー? ◯◯駅のアパートからねーちゃんと出てきたの見たってのは?」 
「知らねーよ。他人の空似だろ……大体なんで真逆の駅なんだよ、どうせ転がり込むなら学校前がいいな。ギリギリまで寝れんじゃん?」
 コーヒー牛乳のパックをきゅっと握り潰して、それを掴んだままの手で眼鏡のブリッジを上げる。
 よくわかんないけど、そういう噂が絶えないお兄さんです。まぁ、これまで二分の一くらいは本当だったけどさ。
 バイト先の大学生と付き合った時期もあるし、女学の後輩と付き合ってもみたし。家に帰りたくなくて、手頃に「雨宿り」させてもらったこともある。文化祭の賞金目当てで学校のマドンナさんとカレカノごっこしてもいたし?
「でも今は、マジで誰とも付き合ってねぇし……」
 だってさ、本命が近くにいるしさ。もじもじ。牛乳パックを指先でぐにぐにしてみる。
 後輩と付き合ってみたのだって、あいつに似てたからだ。でもやっぱりどんなに可愛くても違うんだよ。どんなに喧嘩っ早くても違って、だって、どきどき。
「フリーでも、すぐ女寄ってくんべ……?」
 訝しげな顔して聞かれる。
「フリーじゃなくても寄ってくる」
 にやーって笑いながら言ったら、太腿どつかれた。
「いって!」
 だって実際そうなんだもんな。
 「あ、大和〜、おっすー」とか言って廊下通っていく同級生におっすーって返す。今日、髪の毛巻くの成功してんじゃん。いいねー、女の子はかわいいね〜
「…まぁ、長続きしねーしな、二階堂くんは……」
「はぁ? うるせぇよ」
 そう、らしい。確かに長続きはしない。わりと一途なんだけどな。四年も片思いしてるの、我ながら引く(合間合間に誰かしらと付き合ってるけど)。
 手でこねてた牛乳パックを、自分のクラスじゃねぇけど、教室のゴミ箱に入れて、そのまま上履きずるぺた鳴らしながら階段降りていく。さっきまで隣にいた奴はついてこない。
 学校ってそういう世界だ。少なくとも俺にとっては。
 つるむ相手はいるけど、四六時中ってわけでもなくて、気分乗らなかったら付き合わない。それで済む。それでいいじゃんって思うし、ちょっと寂しかったりする時もある。
 だから女の子と付き合うのかもしれない。家に帰りたくねぇし。
『ミツ、家行っていい?』
 携帯で、本命(※四年片思いの相手)にチャットした。帰りたくないのもあるけど、違う。会いたいからだ。
 和泉三月、中坊の時の後輩。今も後輩。俺の大好きな、超ベビーフェイスのスイーツみたいな男。女の子よりも可愛い。本人からすると、その顔と身長が悩みで、中身はなんと喧嘩番長みたいっていうギャップが愛しい。
 そう、愛しい。いとおしいんだわ、これが。
 ギスギスしてた中坊の頃の俺をドロドロに蕩してくれたこの喧嘩番長が、俺は愛しくて仕方ない。
 黙って一緒にいてくれて、必要な時に手を握ってくれて、内心的には構ってほしい時、自転車の後ろに飛び乗ってくれた。抱き締めてくれた。ただの後輩でしかないのに、何かと俺のタイミングに「合った」んだ。
 中学卒業する時に、思い出代わりにミツのキスを貰った。不意打ちだったから、貰ったっていうより奪ったに近いけど、それで俺の人生の春はリセットされたはずだった。
 ミツが同じ高校に入って来るなんて、その時は思いもしなかったんだ。
「ラビチャする距離じゃねぇだろ」
 ふと顔を上げると、呆れたような顔したミツが購買で安売りしてる売れ残りのパン齧ってた。まくまく動かしてる口が可愛い。
「今日はダメ」
「えっ、なんで!」
 かわいい〜と思ってたら、お伺いを拒否られて、俺はミツに歩み寄る。小走りで。
「今日、店手伝うから無理」
 ミツの家は、有名なお菓子屋さんだ。長男のミツはそこのせがれで、よく店を手伝ってる。
「へ、部屋で待ってるか、俺も手伝う」
「ダメ。つーか、嫌だよ……あんた、人のベッドで寝るんだもん」
「ミツのベッドだと思ったらつい……」
 つい、興奮しするし、安心します。好きだ。
「とりあえず今日は駄目。お客さんも来るし」
「……うう」
 じゃあ、今日は何を抱き締めて安心を得ればいいんだ……ミツの部屋でミツを抱き締めるのが最近の癒しなのに……好きだ。
「帰りたくない……」
「彼女のとこでも行けばいいじゃん」
 ツン、そう言われる。
 そこで、お兄さんはピンと来てしまう。
「また変な噂話聞いたのかよ」
 ミツが、変な顔する。
「別に聞いてねぇし」
 俺は思わず、大股で一歩近付いて、ミツの腰を両手で引き寄せた。
「何聞いた? お兄さんに聞かせてごらん」
「聞いてねぇですし」
 やだやだって後ろ向いたミツをバックハグする。頭に頭乗せるといい匂いがした。あ〜、今日体育あった? ちょっと汗くさい。最高。好きだ。
「やっ、やめろ! 嗅ぐな!」
「嗅いでない。吸ってる」
「同じだろ……!」
 同じじゃない。ミツを吸うということは、不足してしまった栄養素を鼻から吸引しているということだから、それが俺のシナプスを通って……なんだっけ。つまり興奮する。
「聞かせてごらん。メロンミルク奢ってやるから」
「それ、あんたが好きなだけじゃん……」
「そうだけど、ミツも好きだろ」
「いや、オレは別に……」
 自販機の前でベタベタしてると、ミニスカート短すぎるくらいの女子どもが「二階堂、ばいばーい」って手を振っていく。
「じゃあなー」
 ミツにすりすりしたまま手を挙げた。すりすり。
 そうしたら、ミツがパンのゴミをぎゅうって握って、遂に実力行使で俺の腕を捻る。
 はいタンマタンマ! いたたたた!
「なっ、何すんだよ!」
「何すんだじゃねぇよ。すりすりすんな。気色悪い」
「き、気色悪い……」
 うっ、凹む。まぁでも? 女子の先輩の前で野郎同士でベタベタしてたら、気にするか、ミツなら。
 でもお兄さんはミツに気色悪いって言われたことの方が気になります。泣いちゃいそう。
「大和さんは普通と思ってっかもしんねぇけどさ、やっぱり距離近いと思う……」
「ミツだから近くしてんの」
「そうじゃなくて……」
 ぼそぼそ。ミツがなんか言って歯噛みした。聞こえなくて顔近づけたら、べしゃりって顔を上に押された。天井が見えるー……
「聞こえないよー、ミツ小せぇからぁ」
「どうやら、このままボディに一発欲しいらしいな?」
「いや、それは勘弁して……」
 両手を上げた。
「……この間、見たもん。女の先輩に手繋がれてた、大和さん」
 もじもじしてるのが、見てなくてもわかる。天井向いてた顔を戻して、ミツを見下ろした。
 あるよなー、あの、気付くと手繋がれてる、みたいなこと。振り払うのもなんだなーと思って相手の好きにさせてるけど……
別になんでもねぇよ? 女子ってよくアレやってこないか?」
「されたことねぇよ!」
「じゃあ、されてみる?」
 カーディガンから覗いてるミツの指先に、ちょんて触る。まぁ、距離感探られてるのわかるんだけど、あからさまに拒否るのも後味悪いしさ?
 実際、今俺は距離感探ってる。ミツとの。
 そのまま、ミツの指先が逃げようとするから、するって指絡ませて繋いだ。でも手に力はあんまり入ってなくて、入ってないけど、手汗やばそう。さりげなくやろうとしたけど、お兄さん実は緊張しています。だって大本命だから。
「……振り払えなくね?」
「確かに、なんか……」
 はっ、ミツのほっぺが、赤い! 俺に繋がれてる手見下ろして、ぽわって赤くなってる! か、かわいい! 好きだ!
「で、でも、大和さんに気があるんじゃ、ねぇの……相手は……」
「わかんないけど」
 まぁでもよくあるよな。ないのか? 気付くと手繋がれてること。そうか、気があるのか。まぁ、知ってましたね。気付かないふりしてるだけで。
「でも、そんなこと言ったら、俺から手繋いだってことはさぁ」
 二の腕で、とんってミツの肩にぶつかる。とんって。
「……そういうことになっちゃうけど」
 耳まで赤いミツ。めちゃくちゃかわいい。
「わ、わかんねぇよ……」
「まぁ、ミツがそう言うなら、今度からは繋がれないようにしよーっと」
 ぷいと目を逸らされた。首まで赤い。かわいい。好きだ。食べちゃいたい。
「でもお兄さんは気のある子にしか手伸ばさないかも」
 そうしたら、「嘘つけ!」って怒鳴られた。
「この間、女子の頭撫でてただろ! オレ見たもん! 誤魔化されねぇからな!」
 顔真っ赤にして怒鳴って、俺の手を振り払うミツ。
 あーーーと思う俺。はい、それくらいは……するじゃん……しないのかもしれない。頭は、撫でるじゃん。ミツの頭撫でるのも、そこはあんまり照れがないし。
「あれは違うって言ったろ!」
 けど、流石に俺も声を上げる。違うんだってば。気持ちの入りが違うの!
「ていうか、今すごい離し方した……傷付いた……」
「勝手に傷付けよ、もー……高校生になってこんな先輩になってる思わなかった……中学の時あんなだったのに……」
 あんなって言うなよ。
 確かに、人を避けてたけどさ。
「……ミツが変えたんだよ、責任取れよ」
「なんであんたの女癖の責任取らないとならないんだよ。やだよ」
「だから誤解だってば……」
「うるさい、取っ替え引っ替え野郎」
 だからぁ、ミツが付き合ってくれてたらそんなことぉ、ない……とは言い切れないけど、いや、だから触るくらい、なんだよ……
「こんな俺は、嫌い?」
 だから、ちょっと意地悪したくなって、そんな言葉が口から出た。
 本当に傷付いてるよ、ミツ。好きな子に振り払われたら、こんなに落ち込むんだな。
「追いかけてこなきゃ良かったって思う?」
 でもな、俺はもう知ってるんだよな。受験票握って好きな野郎追いかけてきちゃった可哀想な奴のこと。
 両思いだと思ってたのに、俺のだらしなさで傷付けちゃった奴のこと。
 ……手汗すごい。ていうか、ワイシャツの下の汗がすごい。我慢できなくて、口の裏側の肉噛んだ。嫌いって言われたら泣いちゃうかもしれない。
「そんなこと言ってないだろ……」
「どうだか!」
 あ、思ったより強い口調になった。やべ、はず、はずかし……声でかいし……
「両思いなのに」 
 両思いのはずだ……うう、吐きそう。
「両思いはわかるけど、あんたの周り女の子いすぎ」
「ち、違うって! 見てりゃわかんだろ!」
 拗ねてんな、俺。かーって熱くなる。恥ずかしい。俺、拗ねてるわ。ミツ相手に拗ねてる。なんでわかんねぇんだよって。あ、やばい。目が回る。
 両思いはわかるってなんだよ。わかってねぇだろ。もう、実力行使しちゃうぞ。エッチなことしちゃうぞ、俺が本気出したらすげーんだからな。女の子たちだって、すごいって言ってたし……って、こういうのが良くないんだなぁ……
(エッチなことしたいけど、それはまた別の話で……そもそも、なんで両思いなのに付き合えてねぇんだろう……)
 もしかして、ミツ、本当はそういう目で俺を見てない、とか——顔を青くしてたら、ミツがひょいって覗き込んできた。
「嫌いじゃないよ。最初は、大和さんなんかって思ったけど、でも高校来たの後悔もしてないし……す、き……だし、その……いろんな噂聞くとさ、不安になんの」
 クラスメイトでさえ間に受ける噂を、学年も、教室の階層も違う奴に真偽のほどなんてわからない。どんなに俺がミツを好きでも、公言してるわけでもない。あと、まぁ、そういう意味での素行も良い方とは言えない。一途だと思ってるのも、俺本人くらいだとは思う。
「嫌いじゃ、ないんだよ」
 ミツの橙の瞳が、困ったように揺れた。
 あ、流石に「わかられてる」、と思った。
 俺が不安になったのわかったんだ。俺が、嫌いって言われたらどうしようって思ってたことが伝わったんだ。
「ミツに嫌われたら、世界終わっちゃう」
「は?」
 真顔で聞き返される。
 高校生の感情なんてそんなもんだろ。世界の終わりなんだよ。お前に嫌われたら終わんの。
「ミツと付き合えないなら死んでやる!」
「急に重っ!」
「三階から飛び降りてやる! 後悔すればいいんだ、俺を振ったこと!」
「振ってない振ってない! 人聞き悪いこと言うなよ、おっさん!」
「さっき振った! 家来ちゃ駄目って言ったもん! ミツのバカ!」
「もんじゃねぇよ、お客さんが来るって言ったろうが!」
 三階から飛び降りに行こうとする俺のカバンをミツが引っ張る。
ところで、この遣り取り、ずっと購買部のおば……お姉さんが見てる。でも証人一人くらいいた方がいいだろう。
「早まるな大和さん! まっ、待って、ヤダ!」
「何が!」
「カバン弁償したくない!」
 ……引きちぎれるな。こいつ力強いから。
 俺は突然我に帰って、ミツを振り返る。
「三階から落ちても死ねない気がしてきた……」
「救急車くらいは呼んでやるよ」
 購買部のお姉さんに見られても問題ないくらいの遣り取り。そのくらいのスキンシップ。
 俺は改めてミツの肩を抱いて、靴履き替えて帰ろうぜ〜ってした。ミツのこめかみにすりすりする。
「だっから、それ気色わ」
 そのまま、ちゅってこめかみにキスした。
「……はぁ」
「チューしたくなっちゃった。ミツの部屋まで行って、キスしたら帰るわ」
 だから、お願い。入れるだけ入れて〜って言ったら、でっけー目を爛々と揺らしたミツが、ちっせぇ声で「一回だけな……」って呟いた。
 やったぜ、その一回で舌入れてぐっちゃぐちゃにしてやる。
「……あのさ」
「んー?」
 せめて校門出るまで肩抱いてようと思って、ミツの襟弄って撫でてしてたら、ミツが言いにくそうに呟いた。
「……高校生になってさ、大和さんかっこよくなって、女の先輩と付き合ってるってわかった時、さ。俺も、世界終わったかもって思った、よ……」
 探るようにきゅるって見上げて来る目がかわいい。好きだ。
「……今、キスしていい?」
「ダメ。部屋行ってから」
 ミツの世界終わらせるようなこと、もう絶対しない……そんな罪作りなこと、泣いてしまいそうだ。ごめん、ミツ。
 抱いてた肩を更に引き寄せて、ぎゅっと抱いた。校門抜けていく奴らにヒュー! って言われて、俺は「サンキュー」って、ひらっと手を振った。
 ミツはと言えば、顔を真っ赤にして、ああ、うまそう。かわいい。好きだ。
 そろそろ、ミツと俺が付き合ってるって噂になるといいのになぁ。どうせ、他人にとって噂は噂でしかないんだから。
 そんなことを思いながら、ミツの小せぇ顎持ち上げて、桜色の唇にキスをした。